極右・反動政治屋都知事小池百合子嬢,そして「子どもの〈裸の王様〉」総理大臣安倍晋三君が治める東京都と日本国の疲弊・頽廃

 小池百合子都知事の「政治屋としての極右・反動思想」のアイマイ屋的な態度,けっしてホンネをみせない努力はしていても,あからさまに歴史修正主義と国家全体主義イデオロギーをチラつかせてきた

 この女流政治家の反民主主義的な本性,嫌韓意識の源流をこの人にも訪ねることができるのだが,本心を隠すこの都知事の固陋と陰湿ぶり

 そしていまや,安倍晋三君は昼夜を問わず昼寝状態? コロナ敗北宣言をしたがごとくに日常生活を過ごすこの国総理大臣の体たらく

 

  要点:1 極右・反動政治屋である小池百合子都知事の宿痾的な悪性としての本質

  要点:2 異民族差別意識に凝り固まったこの都知事で,はたしてこの国際都市・東京都をいいミヤコにしていけるのか,「権力志向マシンだけの資質」しかもちあわせない政治屋家業のゆくすえは,高がしれている

  要点:3 本日のこの記述で ① ② ③ などに引照する文章は,小池百合子都知事が「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に対して,知事名の追悼文を送らない決定をしてからもうすぐ4年目の「9月1日」を迎えるにあたり,あらためて,「小池都知事の政治的な反動性および反民主主義的観念」の痼疾であった “偏屈的な矮小性” に論及する

  要点:4 「アベノマスク8000万枚の追加配布に批判殺到『ありがた迷惑』『税金の無駄遣い』」『東京新聞』2020年7月29日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/45502

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  中島岳志「中立という名の政治性 虐殺を隠す歴史修正主義東京新聞』2017年9月25日 02時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/3337
 
 東京都の小池百合子知事が,〔2017年〕9月1日に開催された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に,知事名の追悼文を送らない決定をした。過去の知事は送ることが通例となっており,それを覆すことの政治性が問題になった。これは巧妙な歴史修正主義である。関東大震災朝鮮人虐殺が起きたことは紛れもない事実である。

 小池知事は,会見で「民族差別という観点というよりは,災害の被害,さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだ」と述べ,あくまで公平性を重視した結果であるとの見解を示した。これに対して映画監督の想田和弘は,8月25日のツイッターで,「政治性を排除することが,きわめて政治的であることの好例」と述べたうえで,「『震災の犠牲者すべてを追悼する』という一見中立的・公平にみえる言説が,朝鮮人に対する暴力を隠蔽する」と批判している。

 この指摘は重要である。行政機関が政治的中立性・公平性をかかげることで,特定の政治主張を排除するケースが頻発しているからだ。

 今〔2017〕年4月には,群馬県立近代美術館で展覧会開幕直前に美術家・白川昌生(よしお)の作品が撤去され,問題になった。白川の作品は「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」で,歴史修正主義に対する批判的メッセージがこめられていた。この作品を,県立美術館側が政治的中立性を問題視して,撤去したのだ。

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 いま問われているのは,「政治性を排除することの政治性」であり,「中立性・公平性という名の政治性」である。小田嶋隆はウェブサイト『日経ビジネスオンライン』(9月1日)に掲載した「追悼文をやめて何を得るのか」のなかで,小池知事の言葉に注目している。

 小池知事は追悼文の送付取りやめについて問われた会見で,一度も「虐殺する」「虐殺される」「殺す」「殺される」という言葉を使わなかった。知事は虐殺の犠牲者に対しても,震災関連の犠牲者と同様に「亡くなられた」という動詞を使っている。

 小田嶋は「知事の会見をそのまま英語に翻訳すると,かなり奇妙な英文になるはずだ」と指摘する。「亡くなる」という動詞は自動詞で, “died” に当たるが,虐殺の犠牲者には使えない。英語は行為者と被行為者の関係を明確にするため, “murder(殺人)” もしくは “slaughter(虐殺)” が用いられる。

 「災害関連死による死者と,虐殺による犠牲者を,おなじ『亡くなられた』という動詞で一括(くく)りに表現する小池都知事の言葉は,行為者と被行為者の関係を曖昧にした状態で語ることのできる言語である日本語だからこそかろうじて意味をなしている」。知事は,日本語特有の構造を巧みに用いることによって,虐殺を隠蔽しているのだ。これは明らかに「公平性」を装った歴史修正主義である。

 小池知事は,「震災時に朝鮮人が殺害された事実」について問われたことに対して,「さまざまな歴史認識があろうかと思うが」と言明したうえで,震災で亡くなった人への慰霊の気持を述べている。小田嶋は,この回答を「実にとんでもない言明」と厳しく批判する。「事実」の問題を「歴史認識」の問題にすり替えているからだ。

 ジャーナリストの江川紹子はウェブサイト『Business Journal』(8月30日)に掲載された「【小池都知事関東大震災追悼文見送り】に強い違和感…『あったものを,なかったことにする』誤った歴史を繰り返すな」のなかで,小池知事のものいいがトランプ米大統領の話法と類似していることを指摘している。

 トランプ大統領は,白人至上主義者のデモと反対派が衝突し,死傷者が出たさい,「どっちもどっち」という趣旨の発言をおこなった。これは「双方も同じように批判してみせることで,人種差別という根源的な悪から目をそらし」,「問題性を薄めて小さくみせようとし」ている。小池知事も同様に,虐殺された人たちを「関東大震災で犠牲となられたすべての方々」のなかに組みこむことで「虐殺の事実をみえにくくし,あるいは『なかったこと』のように扱」っている。

 高須クリニック院長である高須克弥が,ツイッター上に「ナチスが消滅してもナチスの科学は不滅」「南京もアウシュビッツも捏造(ねつぞう)だと思う」と書きこんでいたことが問題視されているが,これなどは以前であれば社会を揺るがす大きな問題になったはずである。1995年,ホロコーストを否定する記事を掲載した雑誌『マルコポーロ』は,厳しい批判にさらされ,自主廃刊に追いこまれた。

 近年,歴史修正主義的な発言に対して,世の中が不感症になっている気がしてならない。「公平性」や「中立性」という名のもと歴史修正主義が幅を利かせていることに,警戒しなければならない。(なかじま・たけし=東京工業大教授)

 以上の中島岳志の文章は,2017年9月時点に公表されていた。小池百合子の立場・思想が,ナチス国家社会主義・独裁全体主義に通じている点は,言及するまでもなく明白な特徴であった。

 高須克弥にしても小池百合子にしても,自分の政治思想を “明晰には文章化できない” まま,単に素朴に信条的にそうだという意味だけでもって,自身のイデオロギー的な観念を,ひたらす心情的に全面に押し出して〔つぶやいて〕いるに過ぎない。そこには,彼・彼女らの言論表現にみてとれる,ただいやしくて,とても悲しいだけの「発言の仕方」(論理の絶対的な供給不足)が控えている。

 なぜ,そういうのか・考えているのか? みずからは,他者に向けて具体的にはいっこうにまともに説明できていなかった。この点こそはかくべつに,彼ら・彼女らに共通していた「政治精神面での発育不全」の所在であった。ものごとにまつわる普遍性と個別性に関した識別の問題やその関連の問題は,もとよりまともに問うことすらできていない。

 それでいながらも,ともかく共通する要因にだけすべてを引きずりこみ,平均化的に論点を薄める偽操作を施したのち,これを楯に悪用したかっこうで,それぞれに特殊に存在している「歴史の問題」をなるべく隠すための意向だけが,前面に押し出されている。自分たちの気に入らない事実については,ともかく希薄化させてしまい,あいまいな領野に追いこんでおくことばかり考えている。

 こうたとえていえる。殺人者たちを捕まえて「彼はあるいは彼女は力もち」だった共通の点は褒めるべきだといいながら,「殺人という犯罪」を犯した彼と彼女に関する社会犯罪的な意味あいを,できるかぎり無意味にしておきたいかのような話法は,詭弁以外のなにものでもありえない。

 他者に殺されて亡くなったのか,地震の被害者として亡くなったのか,その違いすらみたくない小池百合子の示した理屈は,ある意味でいえば,殺人のほうを許容できる「非理の世界の入り口」に立っている。あるいは,相手がアジアの朝鮮人だからかもしれない。白人系の何々人が同じ惨事に遭遇していたら,もしかすると小池は進んで特別に彼らの魂を慰霊する行事に参加までするかもしれない。

 本ブログ筆者は昨日〔2020年7月27日〕の記述で,小池百合子都知事のことを「権力志向マシン」の政治屋だと形容してみた。政治の権力という視点から戦前までを回顧してみれば,彼女のその政治価値感の粗暴性は,けっして21世紀のいまに始まった性質ではない連続性=歴史性が感知できる。


 「〈社説〉虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」朝日新聞』2020年7月25日朝刊

 こうしたおかしなおこないが自由な社会を窒息させ,都政に対する不信を膨らませると,小池百合子知事は気づくべきだ。関東大震災後の混乱のなかで虐殺された朝鮮人や中国人の追悼式典を開いてきた団体が,会場の公園を管理する都から「誓約書」の提出を求められている。

 内容は,▽ 参加者に管理の支障となるような行為をさせない,▽ 順守されなければ都の式典中止指示に従う,▽ 次年度以降,公園利用が許可されなくなっても異存はない,というものだ。

 なぜ問題か。虐殺の事実を否定する団体が3年前から式典と同じ時間帯に「犠牲者慰霊祭」と称して集まり,大音量で「虐殺はでっち上げだ」などと演説をおこなっているためだ。昨〔2019〕年はこれに抗議する人たちとの間で衝突もあった。

 同様のことが起きれば来年から式典を開けなくなる恐れがある。否定派の団体の関係者はブログで「目標は両方の慰霊祭が許可されないこと」だと公言している。その思惑に手を貸し,歴史の改ざんにつながる「誓約書」になりかねない。

 そもそも地方自治法は「正当な理由がないかぎり,住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と定め,安易な規制は許されないとする最高裁判例もある。都の対応は集会や表現の自由への理解を欠き,いきすぎといわざるをえない。

 知事の姿勢が影響していることはないだろうか。小池氏は歴代知事が式典宛てに出してきた追悼文をとりやめ,虐殺について「さまざまな見方がある」などとあいまいな発言を繰り返す。

 だが「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げこんだ」といった虚偽の話が広がり,市民や軍,警察によって各地で虐殺がおこなわれたのは厳然たる事実だ。多くの公的記録や証言があり,内閣府中央防災会議の報告書にも明記されている。にもかかわらず,否定派の団体は差別的表現を使いながら,暴動やテロがあったといいつのる。

 補注)この「否定派」の人びとに一定の根拠を与えている人物が,本ブログの昨日〔2020年7月28日〕の記述でとくに集中的にとりあげ批判した工藤美代子であった。この工藤の著作は,ノンフィクション作家による作品というにはあまりにもノン・リアルな筆致で一貫していた。

 彼女の筆法は,歴史に関する分析・解明としてはデタラメの極地から,無知な庶民に対して錯誤した歴史知識を与えるだけでなく,彼らを扇動する役目を果たしていた。つまり,関東大震災時の朝鮮人大量虐殺を全面的に否定するという,「トンデモ以上の激越な大間違い」を,確信犯的に展開していた。

〔記事に戻る→〕 小池氏は先の知事選で,ヘイトスピーチ対策を盛りこんだ都条例の制定を1期目の成果に挙げた。そうであるなら,事実にもとづかぬ差別的な言説を放置せず,適切に対応するのが知事の務めではないか。みずからも歴史に誠実に向き合い,都民の代表として追悼文を出すべきだ。

 災害時のデマは過去の問題ではない。東日本大震災では外国人窃盗団が暗躍しているとの流言が広がり,現下のコロナ禍でも外国人の排斥や感染者へのいわれない攻撃が起きている。社会不安が広がるとどんなことが起き,そうさせないために日頃からどうすべきか。97年前の惨劇から学ぶことは多い。(引用終わり)

 小池百合子は政治家・都知事として,自分に都合の悪い,議論(論争)をしたら分のない立場に関しては,いっさい発言せず逃げまわってきた。発言もしないで,自身が気に入らない相手の立場を全面的に否定し圧殺する姿勢・態度を採る。それが得意技である。

 簡単にいえば,民主主義的な議論の展開として相互間で討究すること,つまり,その相互間において意見(異見)の交換をすること,だから,異論をもつ人びとと徹底的に対話することは,大の苦手であった。だからあとは,その範疇の相手は黙殺し,無視することしか,小池百合子にはできない。要は身勝手なのであり,頑迷のきわみなのであり,まともな対話ができないだけの仕儀であったに過ぎない。

 もしかしたらなどというまでもなく,彼女は民主主義を基本とする政治体制には向かない政治感覚の持主であった。ただ,政治屋的に独善的な専制感覚しかもちあわせない人物であった。もしかしたら,中国共産党にでも雇ってもらったら,自分を生かせる政治空間がもっとみいだせるかもしれないと想像しておく。

 

 「朝日社説『虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな』に敬意」『澤藤統一郎の憲法日記』2020年7月25日,http://article9.jp/wordpress/?p=15305

 本日〔7月25日〕の2本の朝日社説。ひとつは,「朝鮮人犠牲者追悼式」に対する小池知事の姿勢を批判するもの。そうして,もうひとつが「検察刷新会議」の議論の在り方についてのもの。いずれも,分かりやすく説得力があり余計な忖度のない,優れた内容である。

 そのうち,「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」と表題する小池知事の姿勢についての社説をとりあげて紹介したい。

 「虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな」という表題が立場を明確にしている。「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は「揺るぎない史実」なのだ。小池都政は,「その史実の改ざんに手を貸してはならない」と警告している。

 冒頭の一文が,つぎのとおりである。「こうしたおかしなおこないが自由な社会を窒息させ,都政に対する不信を膨らませると,小池百合子知事は気づくべきだ」。

 「史実の改ざんに積極的に手を貸す,こうしたおかしなおこない」は,「自由な社会を窒息させ」る罪の深い醜行である。にもかかわらず,小池百合子は自分の生来の歴史修正主義思想や差別意識から,あるいは支持勢力への慮りから,あえて「こうしたおかしなおこない」をしようとしているが,そのことは,結局のところ,都民の小池都政に対する不信を膨らませることになるのだから,「結局あなたの得にはならないことに気づくべきだ」と,説得を試みているのだ。

 「関東大震災後の混乱の中で虐殺された朝鮮人や中国人の追悼式典を開いてきた団体が,会場の公園を管理する都から「誓約書」の提出を求められている。

 (提出を求められている誓約書の)内容は,

   ▽ 参加者に管理の支障となるような行為をさせない
   ▽ 順守されなければ都の式典中止指示に従う
   ▽ 次年度以降,公園利用が許可されなくなっても異存はない,

というものだ。」

 この「誓約書」提出の要求が,「自由な社会を窒息させるおかしなおこない」であり,都政に対する都民の不信を膨らませる」問題の行為なのだ。

 なぜ問題か。虐殺の事実を否定する団体が3年前から式典と同じ時間帯に「犠牲者慰霊祭」と称して集まり,大音量で「虐殺はでっち上げだ」などと演説をおこなっているためだ。昨〔2019〕年はこれに抗議する人たちとの間で衝突もあった。

 同様のことが起きれば来〔2021〕年から式典を開けなくなる恐れがある。否定派の団体の関係者はブログで「目標は両方の慰霊祭が許可されないこと」だと公言している。その思惑に手を貸し,歴史の改ざんにつながる「誓約書」になりかねない。

 「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は,検証された史実である。しかし,この史実を認めたくない人びとがいる。

  「つねに清く正しい日本人がそのような悪逆非道のおこないをするはずはない」

  「存在しない虐殺をあたかも存在したように吹聴するのは,悪意の陰謀である」

  「仮に,朝鮮人殺りくがあったとしても,それは悪行に対する懲罰に過ぎず,朝鮮人の自業自得で日本人に責任はない」

といいたいのだ。

 史実を直視しようとしない,歴史修正主義派の一群。その典型である「そよ風」というグループが,小池百合子の知事就任直後から,追悼式典にぶつけるかたちで集会をもち,大音量で「虐殺はでっち上げだ」と演説を始めたのだ。

 そもそも地方自治法は「正当な理由がない限り,住民が公の施設を利用することを拒んではならない」と定め,安易な規制は許されないとする最高裁判例もある。都の対応は集会や表現の自由への理解を欠き,いきすぎといわざるを得ない。

 この問題に関する東京弁護士会の「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明」(本年6月22)の次の一節を引用しておきたい。

 いうまでもなく,集会の自由(日本国憲法第21条第1項)は,民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものである。これを受けて公共施設の利用について,地方自治法第244条第2項は,「普通地方公共団体は,正当な理由がない限り,住民が公の施設を利用することを拒んではならない」としているところ,判例上も,特段の事情がない限り,妨害者の存在を理由として,被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである(最判平成8年3月15日・民集第50巻第3号549頁)。

 知事の姿勢が影響していることはないだろうか。小池氏は歴代知事が式典宛てに出してきた追悼文をとりやめ,虐殺について「さまざまな見方がある」などとあいまいな発言を繰り返す。

 補注)だが小池百合子都知事は,自分もその「さまざまな見方がある」うちの特定の立場,つまり関東大震災時における朝鮮人虐殺を認めたくない意向を強く抱いている。この立場からこそ彼女は「都知事の権限」を職権乱用的に振るっている最中なのである。

 「知事の姿勢が影響していることはないだろうか」は,反語表現である。明らかに影響しているのだ。小池の姿勢が,歴史修正主義派,ヘイトスピーチ派の跳梁を誘発している。しかし,かろうじて,小池自身にあからさまにホンネを語らせないだけの世論状況にはある,ということなのだ。

 だが「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げこんだ」といった虚偽の話が広がり,市民や軍,警察によって各地で虐殺がおこなわれたのは厳然たる事実だ。多くの公的記録や証言があり,内閣府中央防災会議の報告書にも明記されている。にもかかわらず,否定派の団体は差別的表現を使いながら,暴動やテロがあったといいつのる。

 歴史の修正は一種の信仰である。「神聖なる陛下ご親政の御代の日本人が,理由もなく他国の民を虐殺することなどありえない」「伝えられる自警団の朝鮮人への懲罰は,あったとしてもやむをえない正当防衛に過ぎない」。明治維新後権力者によって意図的に作られたこのような信仰が,いま息を吹き返しつつあるのだ。恐るべきことではないか。

 小池氏は先の知事選で,ヘイトスピーチ対策を盛りこんだ都条例の制定を1期目の成果に挙げた。そうであるなら,事実にもとづかぬ差別的な言説を放置せず,適切に対応するのが知事の務めではないか。みずからも歴史に誠実に向き合い,都民の代表として追悼文を出すべきだ。

 まったく,そのとおりだと思う。ここで提言されているのは以下の2点である。

    (1)  事実にもとづかぬ差別的な言説を放置せず,知事の務めとして適切に対応すべきこと
    (2)  みずからも歴史に誠実に向き合う証しとして,都民の代表として追悼文を出すべきこと

 (2)  は,都知事独断でできることだ。追悼式実行委員会への「誓約書」要求は撤回して,あらためて都民の代表として追悼文を提出するべきであろう。できることなら,ご自分で起案をされて,心情のあふれるものとしていただきたい。

 (1)  については,3年後に迫った100周年の記念史を編纂してはどうだろうか。史実に基づく生々しい過去の記録に留めず,この史実を踏まえて「共生の東京」の未来図を描くものとして。

 朝日の社説は,ここで終わらない。関東大震災時に振りまかれいまに至る「災害時のデマ」に筆を進めて締めくくっている。この締めくくり方には,やや不満が残る。〔というのは〕災害時のデマは過去の問題ではない。

 東日本大震災では外国人窃盗団が暗躍しているとの流言が広がり,現下のコロナ禍でも外国人の排斥や感染者へのいわれない攻撃が起きている。社会不安が広がるとどんなことが起き,そうさせないために日頃からどうすべきか。97年前の惨劇から学ぶことは多い。

 97年前の軍・警・民間が一体になっての朝鮮人虐殺は,けっして「災害時のデマ」一般の問題に矮小化してはならない。帝国日本の朝鮮侵略に伴って作られた差別意識反抗への恐れの感情を基本に据えて読み解かれるべきであろう。とはいうものの,この朝日社説の見識に敬意を表わしたい。


  この東京都知事もいて,この日本国首相がいた

 「官邸がまた改ざん!  主権者の国民より安倍内閣が上?  ネット炎上」『阿修羅』日時 2020年7月27日 21:20:05,http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/518.html 投稿者赤かぶ。原記事は『半歩前へ』2020年07月27日,https://kot8asb9070.at.webry.info/202007/article_357.html  から引用する

 --私たちの国は「主権在民」と「三権分立」だと小学校で習った。ところが安倍晋三内閣は,「主権在民」ではなく,「主権内閣」とでもいいたげに,三権分立の説明図を勝手に書きかえた。とんでもないことをやった。民主主義の基本原則を根底から改ざんした。

 首相官邸がホームページに掲載した三権分立の説明図を1998年以来,22年ぶりに修正した(下図)。主権者である国民より内閣の方が上位にあるような部分に関し,会員制交流サイト(SNS)上で「内閣主権」「内閣が国民を縛っているようだ」と批判が殺到し「炎上」。野党からも追及され「監視の意図はない」として7月中旬に差し替えた。

 

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 出所)https://mainichi.jp/articles/20200726/k00/00m/010/129000c

 誰がこんな畏れ多いことを命じたのか? 「陰の総理」の別名を持つ首相補佐官の今井尚哉なのか? それにしてもこの記事はお粗末な書き方だ。せっかくのネタがこれでは台なしだ。

 冒頭でインパクトのある問題点を指摘すべきだ。1998年以来云々というのはあとで書けば十分。ネットが炎上したというのだから,「批判も相次いだ」ではなく「批判が相次いだ」ではないか? 調理人の腕がイマイチなので,せっかく鮮度のいい魚もこれでは台なしだ。 

 註記) 「官邸HP,三権分立図を修正 『内閣上位』にネット炎上『国民縛っているようだ』」『毎日新聞』2020年7月26日 20時10分,最終更新 7月27日 10時59分,https://mainichi.jp/articles/20200726/k00/00m/010/129000c

 上掲した説明図は,国民を中心に置き,その周りに配した国会(立法),内閣(行政),最高裁判所(司法)の三権が互いにチェックする仕組を示している。

 修正前の図では,国民から国会に向けて「選挙」最高裁に向けては「国民審査」という矢印が書かれ,国民主導の関係性が強調された。しかし内閣だけは矢印の方向が逆で,内閣から国民に向かって「行政」と書かれていた。

 タレントのラサール石井さんは「矢印が逆」とツイッターに投稿。「『私が立法府の長ですから』といい放ってしまう首相ですから」「世論をいかすのが正常な社会だ」などの批判も相次いだ。

 国民民主党日吉雄太衆院議員は5月の財務金融委員会で「世論をないがしろにする政権の体質だ」と指摘。政府側は「指摘のような意図はない」と釈明し,あとに衆院のホームページと同様,国民から内閣に矢印を向けて「世論」と付記するかたちにあらためた。

 内閣広報室は「三権分立図に公式見解はなく,作成当時の意図は分からないが,一般的な図を載せた方が理解しやすい」と説明している。(以上,共同通信』2020/7/26 15:50, 7/26 15:59 (JST) ,https://this.kiji.is/660011115426546785?c=39546741839462401 も参照。(引用終わり)

 なんといっても,アベ政権のホンネ(本性)がそこには馬鹿正直に変更して書かれていたに過ぎないのだが,実際にアベがいままでやってきた為政も,まったきにこのとおりであった。「主権在民」どころが「主権者はアベただ1人」とでもいいたいかのように,私物化政治そのものを,すなわち「民主主義」を死物(死に体)化させるための「内政と外交」を,しかもまことに下手くそであったにもかかわらず,いままでトコトンやりぬいてきた。

 アベノミクスは現在,どうなっているのか? そのような経済政策の実体(効果)は,いまさらいうまでもなくなにもなかった。アベノポリティックスのほうとなれば,無残にも敗北の外交しかなしえていなかった。内政も外交は安倍晋三君の実力ではとなどと詮議する以前に,なにもその成果は残していなかった。つまり通信簿をつけたら,私物化(死物化)政治そのものは5点満点(赤点の?)でありうるが,あとは総なめ的に1点ばかり(本当は零点?)。

 落第か,留年か,それとも追放か? どのみち安倍晋三によるこれまでの「為政7年と7ヵ月」は『拙速と失敗の連続体』としてならば,「連綿たる伝統」をアベ・レガシーとして構築できている。もっとも,そうなると彼を一貫して観察してきたほうが,ひどく恥ずかしくなる。このような記述をしている立場の人間のほうが,それこそ穴があったら入りたいくらい,恥ずかしいのである。

 それにしても最近の安倍晋三君,顔色が悪い,むくんでいるだけでなく,とくに左目の上まぶたがどす黒く映っている。かなり腫れているようにみえる。

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 いずれにせよ,現状における日本は,国政で安倍晋三が国家をもてあそび,都政で小池百合子が東京をなぶりまわしている。これでは,間もなく「日本沈没」が予告されているも同然である。

 

 「気でも狂ったか? またアベノマスクを8千万枚を配布。壮大なる無駄使い」『かっちの言い分』2020年7月27日,https://31634308.at.webry.info/202007/article_18.html?1595850997

 本当にこの国はもうお終いだ。安倍首相のもっとも愚策が「アベノマスク」であったはずである。わが家にも2枚のマスクが来たが,袋さえ開けずに,いまはどこにあるかもわからない。こんなちんちくりんのマスクをする人はいない。

 補注)ごくたまにだが,この「アホノマスク」を使用している,すごく思いやりのある日本国民たちがいないわけではない。だから「する人はいない」とまで断言するのは極論であって,正確な現状理解ではない(次段につづく引用にもその点の言及がある)。洗濯して何回も使ってみたが “どうだこうだという報告” もあった。ともかく,日本国中に配られた「アホノマスク」である。その「阿呆の性(さが)」なりにまた,別の話題を提供していた。もっとも税金の無駄遣いである点に変わりなく,愚政である典型的な一事例。

〔記事に戻る→〕 私のまわりでアベノマスクを付けているのをみたのは1名だけである。もう2か月以上のすれ違った人のなかに。日本中の国民がこの試作を良かったと思っているのは,安倍首相とこれを発案した秘書官ぐらいだろう。自民党議員,公明党の議員ですらアベノマスクなんて付けていない。もう愚策中の愚策と評価が下っている。

 それが,さらに8000万枚を新たに発注したというのだ。これを聞いてもう呆れてものがいえなくなっただけでなく,怒りで手が震えた。その提供先は,介護施設保育所という。もう国民の税金は自分のもので,愚策中の愚策のマスクをもう意地で配布している。

 これをもう少し説明すると,あまりに評判が悪いので,意地でもそれを払拭するために,一般の家庭には配布しなく,少しでもありがたく思ってくれそうなところに配布している。保育園の幼児なら大きさ的に一番ぴったりするとでも思っている。

 もう安倍は頭がおかしくなっている。まさに国民の感覚とずれずれで,裸の王様状態になってしまった。もう早く替えるしかない。(引用終わり)

 だいたい安倍晋三は,もともと「頭がおかしい」「世襲3代目のお▼カ政治屋」であったゆえ,そのように形容する以前から「ごく平凡にふつうにおかしかった」ボンボンのボクちん首相でしかなかった。安倍に対する「怒り」がやたら高じてしまい,自分の健康を害しないようにするほうが,いまでは肝心だと感じる。

 一方,小池百合子都知事のほうは,まだ「頭がおかしくなっている」ようにはみえないけれども,都政の舞台においてやっていることじたいは,けっして褒められる内容はない。「コロナたぬきの東京イナカ風の演技」に長けているに過ぎない。この2人がまだ首相や首長をやっている間に,もしも本当に,「南海トラフ」系の大地震・大津波の『第1波』が来たら,間違いなく日本は沈没……。

 

  日本沈没の前にオリンピックやっておきたい? 安倍晋三が指示しなければこういう現象は起こっていない

  児玉龍彦教授 「われわれがPCR検査をおこなおうとすると,ありとあらゆる妨害を受けた」

 註記1)『阿修羅』2020年7月28日 05:02:14,http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/284.html,投稿者 魑魅魍魎男。

 註記2)「新型コロナウイルス」(33) 児玉龍彦東京大学先端科学技術研究センター
がん・代謝プロジェクト プロジェクト リーダー/村上世彰一般財団法人村上財団創設者 2020.7.3」,https://www.youtube.com/watch?v=8qW7rkFsvvM&feature=youtu.be#t=42m20s

 a) なんで東大が閉まっているのが問題かというとですね,結局,さっきPCR〔検査〕が増えないという話がありましたが,これは日本の科学技術者が,コロナの災いが起こった時に,文科省の指示によって東京大学を始めとして全部閉じてしまった。

 それで,われわれ,これを続けようとしたら,もう,,,,あらゆるなんていうんですかね,妨害の渦です。

  閉じているんだから,人を来させてはいけない。
  倫理委員会はできないから,やってはいけない。
  外部の検体を入れてはいけない。

 要するに日本の科学技術というのが,これだけ衰退しているのを見たのは,私,空前絶後であります。

 b) それで,本来は科学者というのは,こういう危機のとき,いままではわからないときに真っ先に立ち上がってこの道筋を考える。ですから勇気をもった存在のはずが,まったく逆に最初に閉じこもって,そしてなにも事故がなければよかったというふうになってしまっている。

 それでPCR検査,たとえば先端研だけでもフルにやれば1日数千件は簡単にできます。数万件までいくかもしれない。山中さんの再生研,CiRA(京都大学 iPS 細胞研究所)だったら数万件簡単にできるはずですし,東大,東京大学だったらもう全体を合わせれば十万件ぐらいは簡単にできます。技術者もいます。生物学的安全施設もあります。

 だけど病院以外は全部閉じてしまっている。(⑥ 内での引用文はここまで)

 c) 政府は本当の感染者数,死亡者数をしられたくないので,ありとあらゆる手を使ってPCR検査を妨害していることを児玉龍彦教授がはっきりと証言しています。

 検査スンナ派〔PCR検査をするなという特定集団,多分,安倍晋三厚生労働省感染症研究所の路線のこと〕は,すべて御用医学者,工作員とみてよいでしょう。

 なんとか感染者を少なくみせかけて,来年,東京五輪を開催しようと必死ですが,
無駄な悪あがきに終わるでしょう。(⑥ じたいの引用,ここで終わり)

 東アジア諸国のなかで日本は,フィリピンをのぞき,新型コロナウイルス感染による死亡者率が一番多かった。安倍晋三のように「日本モデル」の勝利だとなどと,なにを勘違いしていたのか,のぼせて宣言できるような段階ではない。事実,その後もコロナの感染はいっこうに収まっていない。

 本日,『日本経済新聞』2020年7月29日朝刊39面「社会2」は,見出しを「国内新規感染  最多967人  大阪155人, 愛知110人」として,つぎのように伝えている。

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 全国で〔7月〕28日に確認された新型コロナウイルスの新規感染者が午後11時45分現在で967人となり,1日あたりの過去最多を更新した。これまでは23日の966人だった。

 28日は東京都で266人,大阪府で155人,愛知県で110人,埼玉県で55人,福岡県で54人,神奈川県と兵庫県で33人などとなり,大阪と愛知は1日あたりの最多を更新した。岐阜県京都府沖縄県でも最多を更新するなど各地で感染が広がっている。死者数は3人増えて累計は1001人となり,千人を突破した。(中略)

 愛知県の新規感染者が3桁になったのは初めてで,名古屋市が最も多い65人だった。大村秀章知事は28日の記者会見で「第2波の大変厳しい山がやってきている。衝撃的な数値と受け止めざるをえない」と語った。県民に対し感染防止対策や不要不急の行動の自粛を呼びかけたほか,繁華街での感染拡大を抑えるため大人数の宴会も控えるよう求めた。(引用終わり)

 そもそも2020年になり,新型コロナウイルス感染拡大が「第1波」として襲来したとき,それを迎えて対策する治療体制を,安倍晋三政権はまともに構築しようとしなかった。2020東京オリンピックを自分の名誉獲得のために開催させよとする私的欲望を最優先させた結果,3月まで,新型コロナウイルスの問題は実質的にはその襲来を放置させる醜態を記録していた。習 近平の訪日を企画してもいたので,この関係を配慮してか,中国からの観光客に対する「呼びこみ」も止めていなかった。

 ところが,すでに新型コロナウイルス感染の拡大現象にさんざん苦しめられてきた「いまごろに時期」になっていても,そして,また「第2波の襲来」をしらせるごとき「感染数数の増大」が明確に現象していても,安倍晋三は首相の立場にありながら,最近,先週の4連休(7月23・24・25・26日)中はほとんど自宅に居て,だらだらとかつのんびり過ごしてきた。

7月23日・25日・26日は,「終日,東京・富ケ谷の自宅で過ごす」。

その間の,7月24日

     【午前】「東京・富ケ谷の自宅で過ごす」のだが,そのあとは,
     【午後】 4時53分 官邸。5時,菅義偉官房長官,・・・。
            15分 加藤勝信厚生労働相,菅官房長官西村康稔経済再生相,・・・

            41分 菅,西村康稔,・・・
            48分 加藤,鈴木両氏出る。
            55分 北村国家安全保障局長。
          6時   報道各社のインタビュー。
            15分 自宅。

 この首相,最近は,お得意だった「やってる感」すら放棄し,罷業に励んでいる。「日本モデル」が新型コロナウイルスに打ち勝った? ほとんど寝言……。

【参考記事】

 「ア  ノンキだね」 (添田唖然坊;Soeda Azenbou,1872-1944年)という 「のんき節」から一句を紹介。ここで「1圓(円)」とは「1万円」に読み替えておくと,ほぼ現在価値に近くなる。なお,昔の国会は日比谷に位置していた。

 ギインへんなもの 二千圓もらふて
  晝は日比谷で たゞガヤガヤと
 わけのわからぬ 寢言をならべ
  夜はコソコソ 烏森
 ア ノンキだね

 

  2ヵ月も前に地方紙が安倍晋三を批判していた論説の「中身」に対して,いまになってもろくに答えることができていないこの首相は,一国の最高指導者としては完全に不適

 『高知新聞2020年6月7日「社説」がつぎのように「政府を批判していた」。だが,今日現在(7月29日)にあっても,まだこのまま,安倍晋三が説教されるべき文章である。

 註記)以下は,https://www.kochinews.co.jp/sp/article/372738/  から。 

   ◆【日本モデル】政府は自賛より検証急げ ◆

 

 新型コロナウイルス特別措置法にもとづく緊急事態宣言が全面解除された。それから10日余りが過ぎたが,安倍晋三首相の「日本モデルの力を示した」という自賛姿勢への困惑が拭えない。

 

 日本は法律上,諸外国のような強制力を伴う外出規制ではなく,行政が罰則を伴わない外出自粛や休業を「要請」する手法になった。 それでも感染拡大を一定抑えこめている要因には,医療現場の献身的な対応や,専門家主導で感染経路をたどって封じ込めるクラスター(感染者集団)対策がある。

 

 日本人の強い同調圧力で事実上の強制力が働いたという見方はあるにせよ,国民が懸命に取り組んだ行動変容も大きいだろう。

 

 一方,「日本モデル」の要請の結果,全国で倒産や廃業,閉店に追いこまれる事業者が続出している現実もある。影響を受ける人々のセーフティーネットの視点が特措法にはないという課題が浮上している。

 

 全国知事会は,休業やイベント自粛の要請に応じた事業者らに損失補償をするよう求めてきた。しかし,政府は「特措法に規定がない」として拒否してきた。このため自治体は,みずから協力金を支払って休業要請をおこなってきた。国が支出する臨時交付金の協力金への活用も,自治体側の要求を受けて政府はようやく認めている。

 

 感染の再拡大でまた休業要請が本格化すれば,事業者の苦しみはなお増すだろう。政府は要請に対する責任の所在や,それを具体化する補償措置について,法整備を含めて明確にしておく必要がある。

 

 ほかにも,政府対応は多くが「後手」批判を浴びてきた。

 

 PCR検査は体制整備が遅れ,本来,検査を受けるべき人が受けられないケースが相次いだ。これまでの実施件数は多くても1日約1万件。首相は「目詰まり」を認めている。ならば,その具体的な問題点の解消を急がなければならない。

 

 国民,事業者への支援もスピード感を欠く。導入時に迷走した1人10万円の特別定額給付金は,いまだに手元に届いていない国民も多い。雇用調整助成金など事業者への支援も時間がかかっている。

 

 「日本モデル」が成果を上げたとすれば,政府の支援が遅く,乏しいなかで自粛や休業に取り組んだ国民,事業者の努力や忍耐に負うところが大きいのではないか。


 安倍首相は「感染者数や死亡者数を先進主要国のなかでも,圧倒的に少なく抑えこむことができている」とも強調した。

 

 日本の死者数は人口100万人当たり7人だ。確かに数百人規模に上る欧米各国よりは大幅に少ない。しかし東・東南アジア諸国は総じて死者数が少なく,そのなかでは日本はトップレベルの多さだ。こうした要因は冷静に解明を進める必要がある。

 

 政府は自賛に陥ることなく,これまでの対応を検証し,反省を「つぎの波」に生かさなければならない。

 歴史の舞台において事態のコマはどんどん進行してきたにもかかわらず,安倍晋三政権はなにも学ぶ気持がなく,またそうした自分という存在を自覚すらできていなかった。いままで,全国旅行業協会会長を務める自民党二階俊博幹事長が大きな顔をして振るまっている。利権だなんだという問題もからんでいるが,この時期において自国の現状がなにを必要としているかを考えるよりも,「自分たちの利害ばかり優先させる此奴等」は,もともとトンデモな政治家でしかなかった。

 二階俊博とは政治的に親しいオトモダチ関係にある東京都知事小池百合子でさえ,例の「Go To キャンペーン」を称して,「アクセルとブレーキの両方をかける」とはいわずに,「冷房と暖房の両方をかける対策だ」という表現をしていたくらい,実に愚かなコロナウイルス対応策を展開している。

 いまの日本においてだが,2020東京オリンピックが予定どおり開催されていたとしたら,国中が「例の感動詐欺の狂気」に憑かれている最中になっていたはずだが,ともかく今日までのところ,関東地方は梅雨明けがまだであり,なお「冷夏が続行中」であるなかで,この国の正体(核心部分)が確実に溶融しつつある。

 今日の朝刊に広告が出ていた『週刊現代』2020年8月1日号の目次のなかに,活字じたいは小さめのものだが,こういう文句がみつかる。該当するこの広告の部分(画像)も切り出し,いっしょに紹介しておく。

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 「『昭恵が作ってくれない』  安倍総理が官邸で毎晩ひとり飯,『豪華弁当』の値段」「安倍晋三首相,ホテルニューオータニ,日本料理店『なだ万』」

 連休中(7月23日から26日)は安倍晋三君,ほとんど自宅で過ごしていた時間帯は,このような指摘は当たらないと思われるが,そうであるならば,官邸には毎日「晩飯を食い」にでも来ていればよかったのでは? きっと,庶民がうらやむような豪華弁当……。

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