姜 尚中教授の履歴に,アイマイにしか紹介されない時期があるのはなぜか,という素朴な疑問(続)-タレント教授か,教授タレントか?

 人気教授になった姜 尚中であるが,履歴の紹介に関して不明瞭な時期(前後関係)が,意図的であるかのようにして残されているのはなぜか? 別に隠す履歴などなにもないはずの有名な先生に関して,素朴な疑問を投じて議論する

                  (2014年6月25日)

 

  要点:1 姜 尚中:花開いた在日インテリのバカ受け

  要点:2  「大学の恩師」とは,いったい誰のことか? 

 

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 【本記述の「前編」】に当たるのが,以下(  ↓  )なので,できれば先に読んでほしい。

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 朝日新聞』2012年8月13日朝刊の 「まなあさ(まなぶ@朝日新聞)「さあ知の世界へ-『 LIVE 』白熱」という記事

 1)「大学の恩師」は大塚久雄

 この『朝日新聞』2012年8月13日朝刊の記事に,いままで日本のマスコミにはあらゆる方面に出ずっぱり,八面六臂の人気活躍学者:姜 尚中の顔が出ていた。本日の記述は,この記事を読んでの感想である。本ブログの筆者にとっては「なんらかの疑問を抱かざるをえない」彼(姜)の発言が,そこには含まれていると感じた。

 さて,「大学の恩師で,経済史が専門の大塚久雄さんからも,私は貴重な教えをいただきました。それは『無駄なことを学ばなければ,何が大切かは分からない』ということです」。姜 尚中はこのように「大塚久雄」は「大学の恩師」だと語っていた。

 本ブログの筆者はこれをみて「?」という印象をもった。姜 尚中カン・サンジュン: 강  상중  62〔2014年の誕生日で64〕 歳,国籍は大韓民国は,1950年8月12日に熊本県熊本市に生まれ,現在,東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授,同現代韓国研究センター長,聖学院大学学長〔は2014年4月に就任したが,理事者とのもめごとが生じ,1年だけ務めて退任していた〕を経て,現在は,東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。

 専門は政治学で,とくに政治思想やナショナリズム論を研究している。大学は,早稲田大学政治経済学部から同大学院政治学研究科博士課程を修了しているので,こちらが出身校としての母校である。指導教授は藤原保信。

 2)「大学の恩師」は藤原保信ではないのか?〔もっとも,恩師は何人いてもかまわぬが・・・〕

 姜 尚中(Kang Sang-jung)のホームページにかかげられている,彼の「プロフィール」のうち経歴(略歴)は前項に記したので,ここでは,当該のホームページ(住所,http://www.kangsangjung.com/profile )のみ挙げておく。

 3)「大学の恩師」をは誰を指すのか?

 『 Archive for the 書評 Category 』というブログ(出版社「新評論のブログ」)が,2010年8月11日に,こういう記述をおこなっていた。「姜 尚中さん,故藤原保信氏の思い出を語る! 『学問への情熱と弟子への心遣い』」。

 読売新聞〔2010年〕8月11日(水)朝刊「私の先生」欄で「姜 尚中さんが恩師・藤原保信氏について語っています!」は,姜 尚中をこう描いている。

 「苦学されたのにその片鱗をみせない柔和な人柄」「正義,自由,公平を真剣に考える理想主義者」「さきを見通す眼力の持ち主」「学生への愛情」などなど,藤原さんの人柄と政治学に対する姿勢を述べたあと,「恩師が示してくれた愚直なほどの学問への情熱と弟子への温かい心遣い。いまもときどき思い起こします」と懐かしそうにしめくくられています。

 

 姜さんが付録月報にエッセーを寄せてくださった藤原保信著作集(全10巻・完結),好評発売中です! (姜さんのエッセーは,第3巻『西洋政治理論史(下)』の付録で読めます!) 姜 尚中が恩師と尊敬する藤原保信。その政治哲学の真髄をぜひ著作集で! 

 註記)http://www.shinhyoron.co.jp/blog/category/営業部ニュース書評

 この記述には,藤原保信の著書も紹介されているので,それを以下に列記しておく。

『近代政治哲学の形成-ホッブズの政治哲学-』早稲田大学出版部, 1974年。
『正義・自由・民主主義-政治理論の復権のために-』御茶の水書房, 1976年。
『西欧政治理論史-その構造と展開(上)-』御茶の水書房, 1976年。

『政治哲学の復権-新しい規範理論を求めて-』新評論, 1979年,増補版 1988年。
ヘーゲル政治哲学講義-人倫の再興-』御茶の水書房, 1982年,新装版 1989年。
『西洋政治理論史』早稲田大学出版部,1985年。新装版 1998年。

『政治理論のパラダイム転換-世界観と政治-』岩波書店, 1985年。
『大学の責任と政治学の責任と』行人社, 1987年。
『大山郁夫と大正デモクラシー-思想史的考察-』みすず書房, 1989年。
『20世紀の政治理論』岩波書店, 1991年。

『自然観の構造と環境倫理学御茶の水書房, 1991年。
自由主義の再検討』岩波書店, 1993年。
自由主義の政治理論』早稲田大学出版部, 1997年。

  さらに,http://bookweb.kinokuniya.co.jp/  で藤原保信を検索すると,『藤原保信著作集 全10巻』(新評論,2005~2008年)も刊行されていることが分かる。

 藤原保信の公刊した専門書の研究業績と姜 尚中の公表した各種の書物とは,比較するまでもなく,恩師のほうが圧倒的に学術性が重い。姜 尚中のほうは大衆受けする〈お手軽な読み物的書物〉も数多く公刊してきた。

 4)  姜 尚中が最近まで公表してきた書物は,一般向けの啓蒙書も多く含まれている。姜 尚中は端的にいえば,マスコミ,それもテレビによく出演するような,たとえば齋藤 孝(教育学者,明治大学文学部教授)と似た面相をもつ,「タレント教授」ならぬ「教授タレント」だとも形容できる。

  姜 尚中の「大学の恩師」である藤原保信が一貫して学術研究書を制作・公刊してきたのに比べ,姜は,2000年の初めの10年期も半ばを越えるころになると,マルチタレント化したせいもあってか,それ以前から出ていた方向性でもあったが,本格的に重みにある学術研究書(の比重)は減ってきた。これでは「恩師を超える」ことはほとんどできない。もしかするとこのままでは「不肖の弟子」になってしまう危険性がないとはいえない。姜 尚中は現在(2014年6月)63歳である(1950年生まれなので2020年中には満70歳)。

 本日のこの論及は「姜 尚中」の「大学の恩師は誰?」と問うているが,これに関する議論:答えはひそまず先送りさせておき,その前ににほかの議論をはさみこんでいきたい。

 

  姜 尚中の世評-とてもよい(?),彼の評判-

 1)「群馬県のある女性」(2010年8月13日)

 この女性,自分のブログ『こころのままに  貴方への手紙世阿弥風姿花伝 まことのはな より」』において,つぎのような記述をしていた。本(旧)ブログで,筆者がとりあげていた朝日新聞(2010年8月13日朝刊)の記事について,つぎのように語っている。

ああ 姜 尚中  様 

    巻き物仕立ての手紙です

 

  朝日新聞9面 さあ知の世界へ より
  紙面から 貴方のやさしい声がたちのぼってきます

  御自身を 僕とよぶ そのゆったりとした話かた・・
  そこに 安らぎが生まれます

  決して急がない 間あいを 人は しばし待ち続けます
  耳が心とつながって 受け入れてしまわざるをえない ・・・これぞ宗教ですね

  哲学者ではなく 政治学者という本能が 貴方の体躯を 創り出しているのかもしれません
  気負いのない カルマ・・

  御盆は ぼんやり過ごします

  註記)「ああ 姜 尚中様」『おしなべて  恋文』2012-08-13 15:31:19,http://blog.goo.ne.jp/hyogushi-yajima/e/0d7108363548878c1addee071eaef28b

  これはあたかも「姜 尚中〈教:信者〉」のような語り口である。読んでいるほうが「頭がボーッ,としてくるような文章」である。姜 尚中「独特のソフトな語り口は女性ファンを魅了してやまず,辛 淑玉女史にいわせると『神父さんが懺悔しなさいといっているようだ』ということになる。

 註記)http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etcgenkou3/syohyou158.html

 さて,これ以上は直接には論評しないことにし,つぎに進もう。その前につぎの補注を挿入しておく。

 補注1)【2012年8月24日:追補】 この日の『日本経済新聞』「朝刊」に,姜 尚中『悩む力』(集英社〔新書〕,初版 2008年5月)の売行きが「めでたく」「100万部突破!」と謳う広告が出ていた。 第3面の下部3分の1の紙面を充てた,この本1冊のための広告である。

 新書判で定価¥714(税込)であっても,百万部売れたとなれば,東大の先生のご本がたいへんな販売数に到達したことになる。それも姜の専門書ではなく,専攻する学問とはほとんど関係のない中身を話した〈大衆受け〉する新書判である。

 おもしろいのが,本書に推薦の辞を送っている3名である。そのうち2名は女性,俳優の吉永小百合と前東大教授の上野千鶴子東京大学名誉教授,立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授〕である。

 とくに上野は『カンさま,わたしも学びたい」などと,いくら宣伝料をもらったかしらぬが「歯の浮くような」お世辞を贈呈していた。筆者のしるイメージで厳密にいう(!?)。これは,上野先生〔の採っている学問様式の独特な志向性〕に照らしても,彼女らしくない語り口に「感じる」。

 補注2)【2020年8月1日:追補】 つぎの記事も参考にしておきたい。

 f:id:socialsciencereview:20200801091327j:plain

 2)「韓中日新冷戦:日本の親韓派議員も『韓国たたき』」(韓国紙『朝鮮日報(日本語版)』(2010年8月20日

 韓国バッシングには,日本国内の代表的親韓派議員たちもくわわっている。代表的な親韓派議員とされる前原誠司民主党政調会長は8月19日,テレビ番組に出演し「(李 明博大統領による天皇謝罪要求発言は),失礼きわまりない。大統領の任期の間,日韓関係を好転させるのはむずしいのではないか」と語った。

 前原氏は,民主党議員連盟である「戦略的な日韓関係を築く議員の会」の代表として韓国を頻繁に訪問し,次期首相の有力候補といわれている。前原氏は韓日通貨スワップ協定に関連し「(李大統領の発言と)まったく別だと切りはなすべきではない」と述べ,通貨スワップ協定の見直しもありうることを示唆した。前原氏は,中国を牽制するため韓国と日本が戦略的同盟を結ばなければならない,として両国友好関係の構築に力を注いできた。

 在日韓国人2世の姜 尚中東京大学大学院情報学環教授(当時)は8月18日,ソウル市内でおこなわれた金 大中元大統領の逝去3周忌記念講演で「とくに日王(天皇)に対する(李大統領による謝罪要求)発言がもっとも大きかった。独島(日本名:竹島)問題だけでは事態はこれほど大きくならなかっただろう」と述べた。さらに「李大統領の独島訪問と日王に対する謝罪要求は,韓国に友好的だった日本国内の左派勢力の反発まで 招いている」と語った。

 註記)http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/08/20/2012082000602.html 東京= 車 学峰(チャ・ハクポン)特派員

 3) 巷の,姜 尚中「評」(2004年3月6日の記述)

 「在日韓国人である学者・姜 尚中さんは,日本人は愛国心をもってはいけないと日頃から主張しています。でも朝まで生テレビの常連である彼をみると,姜さん自身が自筋金入りのナショナリスト(韓国人として)であると確信します」。

【その理由】

  ☆-1 反米デモなど韓国での民族主義の暴走を批判した金 泳三が話題にあがると,姜さんは最悪の大統領と批判した。

  ☆-2 北東アジアの平和のためとか,日本はアジアで孤立するとか理由をつけて,朝鮮の都合がいいように日本を誘導しようとする。

  ☆-3 韓国を批判する発言に対し,顔を赤くして興奮し憤る。(姜さんがナショナリズムを克服していたら,そんなに感情的ならないはず)。

  ☆-4 拉致被害者を約束通り北朝鮮に返せとの主張をかえていない。

 「韓国では自国のナショナリズムは良くて,日本のナショナリズムは悪いとされています。姜さんも,そんな韓国の風潮にしたがっているだけなのではないのでしょうか?」

 註記)「姜 尚中さん,ナショナリスト疑惑」http://mimizun.com/log/2ch/korea/1078584800/ 04/03/06 23:53 id:a6UoKmds

  この〈巷〉からの声のなかには興味ある指摘があった。それは姜 尚中が「顔を赤くして興奮し憤る」と指摘されていた点である。テレビに登場する姜 尚中の語り口に関しては,さきほど言及した群馬県の女性が,こういっていた。

 つまり,「そのゆったりとした話かた」からは「そこに安らぎが生まれ」,「決して急がない間あいを」「人はしばし待ち続け」るがゆえに,「耳が心とつながって受け入れてしまわざるをえない」「これぞ宗教です」と,まるで宗教的な感性の次元で返す激賞=惚れこみぶりであった。  

 この女性は,姜 尚中が「顔を赤くして興奮し憤る」場面を,きっと一度も観劇したことがないに違いない。

 本ブログの筆者がしるかぎりでいえば,姜 尚中がまだ若い時期,なにか自分の考えや意見に合わない発言が相手側にあると,一気に態度を急変させ「顔を赤くして興奮し憤る」(怒鳴る)場面に遭遇したことがあったという。これは,実際にこの種の場面を体験した人たちから聞いた話である。それだけではない,実は私の娘も,またほかの人から「同じように彼が感情を表出する場面に遭遇した」ことを聞かされている。

 

  本ブログでの言及,そして本日の結論

 1)「姜 尚中 & 鄭 大均」

 鄭 大均『姜 尚中を批判する-「在日」の犠牲者性を売り物にする進歩的文化人の功罪-』(飛鳥新社,2011年11月)と題した本があった。

 姜 尚中が鄭 大均(父は 韓国人,母が日本人)の批判を受けるさい,批判を繰りだす鄭 大均の側においてこそ,実は,この鄭「自身の生まれ・育ってきた」環境・歴史が無縁とはいえないところに,本ブログの筆者は「悲哀」を感得したつもりになった。

 確かに姜 尚中の実像は,彼自身が日本社会のなかですでに創りあげてきた虚像にすっかり覆 われてしまい,よく見透せないくらい霧がかかったように曖昧化されてもいる。

 「ああ,ぺー・ヨンジュン様」ではないが,「ああ,カン・サンジュン先生」に 「大変身させられていた」のが,姜 尚中の虚像的な実像であった。鄭 大均の苛立ちは,鄭自身の出自や成長の過程も率直に反映されているがゆえに,なおさら過激な論調を鬱積させた構えをともない,前面にさらけだすほかなかった。

 話を最初に戻そう。『朝日新聞』2012年8月13日朝刊「まなあさ(まなぶ@朝日新聞)「さあ知の世界へ-『 LIVE 』白熱」という記事になかで,姜 尚中が口にした,こういう文句があった。繰りかえす。「大学の恩師で,経済史が専門の大塚久雄さんからも,私は貴重な教えをいただきました。それは『無駄なことを学ばなければ,何が大切かは分からない』」といっていた点についてであった。

 だが,厳密な意味で解釈しておく。大塚久雄が姜 尚中の『大学の恩師』そのものであったことはない。これは,姜が学部で大塚ゼミに所属していた事実はないし,大学院時代も大塚は指導教員ではない。姜は早稲田大学大学院で学んできた。

 すなわち「学部・大学院(早大)に姜が在学していたとき」についていうと,大塚が姜のゼミの先生だったとか大学院の指導教授であったとかはありえない。あるいはさらに,そのほかのなんらかの研究指導上の関係が,つまり,大塚の立場が姜の上司に当たる研究環境があったとでもいえる,換言すれば,この2人が直接に「師弟の(ような)関係」であったといえる時期は,みつからない。

 本当に「大塚久雄が姜 尚中の『大学の恩師』でありえたか否かについては,依然 “不鮮明な自己紹介” しか与えられていない以上,本ブログ筆者が着目し,指摘しているごとき「関連の疑問点」は,いつまで経っても解消しにくい。

 なかんずく,本ブログの筆者は寡聞にして「大塚久雄が姜 尚中の《恩師》だ」とみなせるような,あるいはそれに類似する立場にあったという話はしらない。この理解が間違いであるというのであれば,誰でもよいので,ぜひとも教えてほしい。一番さきに教えてほしいのは,もちろん姜 尚中自身である。

 2)「カン・サンジュン & 本ブログの筆者」

 本ブログ筆者の個人的な経歴に,ここで若干触れておく。大学院時代の「恩師」は,T・N(1907年3月生まれ)という教員であった。戦前,このT・Nがまだ若いとき東京大学経済学部の学生時代,そして同学部の副手・助手になっていた時期,本位田祥男ほんいでん・よしお:1892年3月生れ)という珍しい姓の指導教授の研究室(ゼミ)で,大塚久雄(1907年5月生まれ)とともに学んでいた。

 筆者は,T・Nから姜 尚中の話については,間接的にでも〔大塚久雄⇒T・Nを介してという経路となるが〕一度も聞いたことがない(まだ姜が無名のころであったせいか? というよりは,早稲田大学の学生・院生であったのが,当時の彼であったから,そのようにしかなりえない)。姜 尚中は,早稲田大学政治経済学部大学院博士課程で藤原保信を指導教授としていた。この関連でいえば,いったいどのような意味で「大塚久雄」が自分の「大学の恩師」といっているのか,もうひとつ解しかねる。

 学問の世界では,非常に広い意味では「そのような・いいかた」(どこそこ大学の誰々先生には「学恩がある」とかなんとか)も,口にしていけないことばではなく,自分の指導教授ではない先生に向かって,そうした表現がなされることもときどきはある。その先生の本を読んでたいそう勉強になった〔させてもらった〕 という関係でも,実は「学恩」という表現は使用されもする。

 しかしながら,「大塚久雄氏からの直接的な指導を」「正式に」「どこかの機関で〔大学院であるいは研究所で部下として〕受けていた」かのようにも聞こえるような,いいかえれば,いかようにでも他者に解釈されうる〈ものいい〉 が,姜 尚中の発言:「大塚久雄『大学の恩師』」には,やや舌足らずというか,奇妙というか奇怪でもあるかたちをとって,示唆されていた。だが,このやり方は,一言で決めつけていえば〈誤導的〉であった。

 3) 大塚久雄と姜 尚中の接点はありえたのか

 ただし,大塚久雄(1907年5月~1996年7月)の経歴をみると,なにがしか,関連して分かる要因もないわけではない。大塚久雄は,1930年に東京帝国大学経済学部入学,1933年卒業後,経済学部助手として同大学に残り,しばらく法政大学非常勤講師も兼任したあと,この大学で助教授として採用され ていた。

  1933年--法政大学非常勤講師
  1935年--法政大学助教
  1938年--法政大学教授
  1939年--平賀粛学のあおりで辞職した本位田の実質の後任というかたちで,
        東京帝大経済学部に助教授に就任。以降,多くの後進を育てる
  1968年--東京大学を退官,その後・1970年に国際基督教大学教授

   註記)以上についてさらにくわしくは『東京大学経済学部五十年史』1976年参照。

  姜 尚中の経歴は「1996年 ドイツ エアランゲン大学に留学〔1979年~1981年〕の後,国際基督教大学準教授などを経て」〔そのまえに明治学院大学講師(非常勤と思われるが)も勤めていたので,ひとまずこちらは,1981年度ないし1982年度あたりに任用されていたと解釈しておくが〕,さらにその後は「1998年 東京大学社会情報研究所助教授」という順序をたどっていく。また,姜 尚中は,大塚久雄『共同体の基礎理論』岩波現代文庫(2000年)の解説を執筆した事実もある。

 以上の事実にもとづく範囲内で判断をすると,こうなる。不詳の諸点がまだあり,いまの時点では調査が尽くせないまま,それでもいくつかの仮定(推測)を置いたうえで,以下のような「いちおうの結論」(推断)を示しておく。

 国際基督教大学大塚久雄が教員であった時期において(ただし大塚はこの大学に1970年度に赴任していた。対して,姜 尚中が国際基督教大学に教員として赴任した年度がいつなのか,いまのところ判然としていない。たとえば,大塚が65歳になる1973年度に姜 尚中が国際基督教大学に赴任することはありえない。当時はまだ早大の大学生であった。

 

 大塚久雄と姜 尚中の大学における同僚としての接点がありうるかに関して考えてみたい。大塚久雄国際基督教大学において定年〔1977年度であった〕以降も,非常勤講師(特任ないしは客員教授として)で出講していた時期があった。1982年度になったとき,大塚は満75歳である。1982年度は姜が明治学院大学にポスト(非常勤と理解している)をえたころである。

 要は,情報の制約があって前段のようにしか推論するための材料が集まっていない。だが,姜 尚中が「大塚久雄」は「大学の恩師」であるといった意味あいが,ともかく,まだよく理解できないでいる。どうやら,指導教授という意味ではないらしい。しかし,姜は,そうであるとも他者には受けとられる余地=余韻を残すような 《ものいい》をしていた。

 いうなれば,けっして明示はされていないゆえ,どうしても特定の曖昧さを漂わせる表現になるほかなかった点は,姜 尚中が「自分という存在」に関して「大塚久雄との〈特別の関係性〉」があると示唆していた事情であった。

 すなわち,「姜 尚中と大塚久雄」に関しては,姜側において特別に設えられた「自分史の舞台」の上では,両者の関係を『大学の恩師』(師弟関係?)と形容できるような「邂逅があった」,その種の「歴史の場面」が生まれていたのだ,そのように想像してほしいと訴えていた。

 その付近の話題(疑問!)をめぐって姜 尚中は,自分自身が日本の社会に向けて希望しておきかった「経歴関係についての “なんらかの自画像” に関する想定」を,他者にも感じてとってもらい,共有してほしかったと受けとめておく。しかし,その「想定されている〈なにもの〉か」は,結局,「奥歯にモノがはさまった」かのようにしか語られず,その事情に関した詳細は,いまなお少しも明らかになっていない。

 --さて,今日のこの話題を読んで,みなさんには,どう感じてもらえるか? けっして,「無駄なことを詮索してみた」ことにはなっていなかったと思う。

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