21世紀に化石的に維持されている「北朝鮮というエセ社会主義国」,民主主義と人民が共和できるわけがない「金王朝封建世襲独裁国家体制」の現代的悲劇

 朝鮮非民主主義反人民偽共和国「論」の試み

 北朝鮮という救いようのない全体主義独裁国家
                   (2011年2月21日)

 

  要点:1 知的芸能人:姜 尚中 の北朝鮮

  要点:2 三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』高木書房,2010年12月

 

  ある種の知的芸能人と評された「姜 尚中 東大教授(当時)」

 1)『統一日報』の三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』2010年12月 書評

 3日まえの「2011. 2. 18」「■無償化問題に関する朝鮮学校の立場や理屈■」註記)を記述するために参照した在日韓国人系の新聞紙『統一日報』のなかには,こういう書評が掲載されていた。それは「冷静かつ丁寧に展開される人権活動家の主張」との見出しが付けられた書評,三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』高木書房,2010年12月であった。あとの議論のためにも備えて,その全文を引用しておく。

 註記)この記述は未公開状態にあるので,後日,再掲することにしたい。⇒ 2020年8月10日に復活させた。住所はこちら →  https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/08/10/102947

 本書〔同書〕の著者は,「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の代表を務める三浦小太郎。本紙でもいくどとなく活動内容を報じてきたが,活動範囲は脱北者への支援だけにとどまらず,金 正日政権打倒などのために活動する保守派の評論家だ。そのような著者の顔しかしらなかったせいか,本書の導入部分で映画「ハリケーン」が生まれた時代背景について論じているのには若干面食らった。

 

 しかし米国の黒人差別と戦った登場人物への評論を読みすすめていくと,著者の人権活動家としてのスタンスが伝わってくる。著者が作家シェルビー・スティールの言葉を紹介した部分を引用する。「人種差別と闘うために,また,黒人の生活を向上させるためにもっとも必要なことは,(中略) 個人として,人生における責任を自分で引き受けること,そのうえで誠実な抗議者として差別や社会の矛盾と闘うことだ」。

 

 著者のこの主張は,本書のメーンテーマの一つである,次章の「姜 尚中批判」につながる。批判内容は,みずらの「党派性」に囚われ,信条と相容れない体制への批判を避けているという点だ。著者はさらに,姜氏への批判から,「偽善的平和主義」への批判を展開する。その筆致は冷静かつ丁寧。一つひとつ発言をとりあげ,理解できる部分には理解を示しつつ,批判をくわえる。それをもって一点から全体に批判を広げるまでの流れは,本書で見せた著者の真骨頂といえよう。

 

 テーマはその後,著者が専門とする韓半島とそこからの難民に移り,保守派の福田恆存アナーキスト勝田吉太郎,そしてサルトル関連の著書でしられるベルナール=アンリ・レヴィといった人物の評論に続く。一見テーマはまとまっていないようにみえるが,著者の主張はいたるところに散りばめられている。それは,党派や思想的属性にとらわれず,個人として思うことを実践せよという点だ。協力者がけっして多くないなかで脱北者の支援などにとり組む著者であるだけに,評論の底流にリアリティーを感じる一冊だ。(秋一紅)

 注記)『統一日報』2010年2月16日,http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=59324&thread=01r05 

 もっとも,この書評が『統一日報』という在日韓国人系の新聞紙に掲載されたからといって,大型書店の書評コーナーみたいな書棚に,この本:現物が陳列されるわけではない。

 2) いまマスコミなどで大活躍中在日韓国人系の大学教授 姜 尚中

 『統一日報』紙において「秋一紅」なる筆名でもって,姜 尚中を批評している「三浦小太郎の著作」を,前段の書評でとりあげた人物は,この東京大学教授が「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)」をどのような視座で議論しているのか注目する。

 本ブログ筆者は,ついでがあったので早速,東京駅丸の内北口側近くにある丸善に寄って本書,三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』2010年12月を購入,帰宅するまでに読了した。三浦はあまり読みやすい文章を書かない。とくに入れ子的な構成になりがちな文章を記述するので,読んでいく段階で嫌気をもよおしたが,それでも我慢して読み終えた。さて,本書の「あとがき」に出てきたのが,姜 尚中を「ある諸の知的芸能人」(220頁)との批評であった。

 姜 尚中は最近,マスコミの諸舞台では八面六臂の活躍ぶりをみせている。ただし,この「東大教授」の〈真の顔〉は,その「知的芸能人」の側面からはまったくうかがえない。しかし,本ブログの筆者は,その彼の「〈真の顔〉のある部分」については,ある程度はしっている。だが,ここでの議論の対象は「北朝鮮問題に対する姜 尚中の研究者としての姿勢」である。三浦はこの論点に関して「本書中,私が強く批判した言論人は姜 尚中のみである」と断わりつつ,「私は姜1人を批判したのではなく,彼をもち上げ賞賛する,戦後民主主義の偽善の平和主義を撃とうとしたつもりだ」(219頁)と,自身の意向を説明していた。

 補注)本ブログ内ではすでに姜 尚中に関する討究をしていた。末尾にその住所(リンク)をかかげておくので,興味ある人はさらに読んでもらいたく希望する。

 

  三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』2010年12月における 姜 尚中「批判」論

 1) 三浦小太郎の論調

 三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』(2010年12月)の詳細は,こう解説されている。つづけて目次も紹介しておく。

 現代日本の「人権」思想は国家を崩壊させ,「保守」は人権や自由の価値を忘れつつある-サルトルから福田恆存まで現代の我々が失った知の山脈をたどり,新たな人権思想と平和主義のあり方を提言する。

 

  魔法の丘を守るために  ハリケーンの精神の旅
  姜尚中批判       偽善的平和主義を批判する
  収容所体制と難民流出  日韓保守連携の思想的原点
  福田恆存を読み直す   勝田吉太郎-神とアナーキズムを愛したリベラリスト
  渡辺京二『日本近世の起源』(洋泉社)を読む  物語としての皇室
  今こそ,希望を     サルトルが指し示す未来

 

 三浦小太郎ミウラ・コタロウ]は1960年東京に生まれ,獨協学園高校卒業。1990年代から北朝鮮の人権問題や脱北者の支援活動などに参加する。現在(2010年)市民団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表。『諸君!』『月刊日本』『正論』などに執筆。

 三浦が『諸君!』『月刊日本』『正論』などに執筆する人物であるからといって,日本の思想界において右翼だとか保守だとか国粋だとかという範疇には単純に納まらない。上掲の月刊雑誌の〈ウザイ論調〉を嫌う人は,ましてや購入することもないゆえ,この点はとくに強調しておく。

 2)「姜 尚中批判」の論旨紹介

 本ブログの筆者がここで紹介する章は「姜 尚中批判」(61-88頁)および「偽善的平和主義を批判する」(89-119頁)である。三浦は,昔に記憶をもどせば日本帝国の東アジア諸国に対する悪行の数々,そしていまの日本に目を向ければ「戦争責任・戦後補償」に対する逃げの姿勢などを,免罪する考えをもっていない。三浦は,姜 尚中という大学教授としての在日韓国人系知識人を,とりわけ「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)」という全体主義国家に関する「認識」にしぼり,批判をくわえている。

 姜 尚中『日朝関係の克服-最後の冷戦地帯と六者協議-増補版』(集英社,2007年5月,初版 2003年5月)が,三浦の批判を受ける著作として俎上に上る。

 a)北朝鮮認識」

 イ) 「1930年代,多くの左翼・進歩派知識人は,『社会主義の祖国』ソ連に幻想を抱き,スターリン主義の残虐な粛清や,収容所国家の現実をみようとしなかった」。

 ロ)  第2次大戦後「連合軍側は,ナチス以上に悪辣な全体主義体制だったスターリン体制と『平和共存』する道を長いあいだ選んだ」。

 イ)  たちの「の目を曇らせたのは左翼幻想であり,思想的党派性である」。そして,ロ)  の西側諸国家「の偽善を正当化させたのは,戦争中の『敵の敵は味方』というあまりにも古典的なマキャベリズムであり,戦後は『平和共存』という美名である」(62頁)。

 三浦がとくに問題にするのは,「全体主義国家が対外的に勢力を伸張させ,公然と侵略をおこなうこと」以上に,「国内において人権弾圧を繰り広げ」ているのにもかかわらず,「国際環境が安定し平和でいるのならば,国家主権の名の下にそれは黙認せざるをえないという論理である」。

 「ヒトラーチェコを侵略しようと,それで平和が保たれるならば英仏は妥協」した。これと「まったく同じものが,ハンガリー決起を軍事的に侵略してい弾圧し,チェコ民主化を戦車で押しつぶすソ連の行為も,国のチベット侵略も文化大革命の惨劇も,ポルポトの虐殺も黙認させることになる」(62-63頁)。

 戦後の朝鮮半島,冷戦構造の集約である南北分断国家をめぐっては,以上のような「党派性」に囚われたさまざまな悲喜劇を,目の当たりにしてきた。いまもなお朝鮮半島問題については「平和主義」という「党派性」が,北朝鮮民衆の人権弾圧の惨状を看過するという自覚なしにまかりとおっている。

 その典型が姜『日朝関係の克服』〔集英社,増補版,2007年〕である。この本は,金 正日の全体主義体制を結果的に容認するばかりでなく,党派性に囚われた知識人の悪しき政策提言の典型例として,姜自身の基本的な思想家としての姿勢(スタンス)を裏切っている(63頁)。

 要するに「現在の姜 尚中は,あらゆる党派性から自由でいるつもりでいながら,北東アジアの平和を求め,平和をあまりにも大きな価値として崇拝することによって,北朝鮮全体主義体制の事実上の同伴者になりかねない危険な場所にいる」(65頁)。

 というのは「ナショナリズム国家主義の弊害を説き,人権や市民の自立を説いていたはずの姜氏は」「ひたすら国家秩序の維持にこだわっている」。「日朝交渉の実現と平和的な関係の構築が,いずれ北朝鮮に改革解放をもたらし,体制の民主化に繋がるものと考えている」。

 だが「これは北朝鮮の税体主義体制に対しての認識があまりにも楽天的なものであり,私〔三浦〕とはまったく認識が異なる」。姜において「それ以上に疑問なのは,いま現在の北朝鮮の人権抑圧に対しての抗議の姿勢がまったくみられないことである」(67頁)。

 三浦いわく,姜の「一般論の見本のような文章で」「一般的な『国家悪』の論理で日韓朝を語る精神は私には信じがたい」。「むしろ,同じ民族同胞である北朝鮮全体主義体制についての認識が不足していたことを自己批判し,最悪の『国家悪』の象徴として人権改善を求めることが,氏のとるべき道ではないか」。

 「北朝鮮の現状への認識の甘さ,そして現実の民衆の姿をみつめようとする姿勢の希薄さ」は,『日朝関係の克服』「の記述のほぼすべてにわたって共通する弱点である」(69-70頁)。

 b)「論究のありかた」

 朝鮮戦争については三浦はこういう。朝鮮戦争の原因などに触れたのち「これ以降の歴史の経過をみれば,金 日成による統一よりもはるかに韓国による統一のほうが望ましかったこと,それを妨害したのは中国軍の参戦であったこと,などなどについてはまったく触れられていない」(72頁)。

 朝鮮戦争の時期,日本国内では反戦運動在日朝鮮人日本共産党を中心にはげしくおこなわれ,しかもこの反戦運動北朝鮮侵略戦争であった実態をみぬけず,一方的にアメリカ・韓国,そして国連の行動を非とした誤っていたことや,同時に,在日本大韓民国居留民団が義勇軍を派遣し,彼らの多くが韓国を守るために戦って犠牲になったことには,いっさい触れていない(74頁)。

 補注)「1950年6月25日,北韓が引き起こした韓国動乱のさいには,祖国防衛のためにみずから志願した642人の在日学生,青年による「在日学徒義勇軍」が編成されました。祖国を救うために命まで捧げる愛国の精神は,後世にまで高く評価されるでしょう。

 註記)http://www.mindan.org/shokai/ayumi.html この住所は現在は削除されている。

〔三浦に戻る→〕 1952年に「血のメーデー」事件があった。この時期,日本の共産主義革命・反米反戦運動北朝鮮支持という3点において,在日朝鮮人組織は日本共産党と共闘していた。朝鮮戦争に送られるアメリカ軍物資の輸送を阻もうとうする実力闘争によって「客観的には,金 日成の侵略を後方支援する行動」にも走った。

 そして,ここで三浦はさらにこう述べる。そうした歴史の展開が実は「私見では,この〔北朝鮮〕帰還事業こそ日朝関係を解く鍵であり,同時に,なぜ北朝鮮が今日まで延命してこられたかというもっとも大きな要素のひとつなのだ」。「姜氏は」「あまりに党派的に」「日本側の問題は指摘していながら,在日朝鮮人側の,とくに朝鮮総連の問題点,また日本共産党や進歩的知識人の責任は,いまさらいう必要もないとばかりにほとんど触れようとしない」(76頁)。

 c)日本共産党北朝鮮帰還運動」

 「北朝鮮帰還事業」に関して三浦は,くわえてこうも述べる。自民党から共産党まで,朝日新聞から産経新聞まで,この在日朝鮮人の帰国運動を「居住地選択の自由という人権」「人道の問題」だとしてほとんどが支持した。唯一組織的な反対運動を展開したのは在日本大韓民国居留民団だけであった。

 この運動を展開し,ある時点からはまるでノルマがあるかのように北朝鮮に美辞麗句を重ねて在日朝鮮人を帰国にいざなったのは,明らかに朝鮮総連であるから,その罪はけっして免れるものではない(77頁)。

 補注)在日本大韓民国〔居留〕民団の敗戦後における概略史は,http://www.mindan.org/shokai/ayumi.html  に出ていたが,前記のとおり現在は削除されているゆえ,とりあえず,その代わりであるらしい  https://www.mindan.org/ayumi.php を参照されたい。題名は「民団の歴史」となっている。

  1955年に発足した朝鮮総連は,活動方針として「在日朝鮮人北朝鮮公民であること」を確認し,また「今後は日本の内政干渉は止めること」にした。「日本共産党は,1953年のスターリン徳田球一の死去,朝鮮戦争終結とともに,武装蜂起路線を極左冒険主義として退け,在日朝鮮人党員を認めない方針に移る」。

 すると「かつて武装闘争路線に走った在日朝鮮人を,もはや用済みになったために北朝鮮に送りこむこと,また総連議長韓 徳銖が自分よりはるかに活動経験のあるおのれのライバルを排除するために北朝鮮に帰国させるなどが,組織的におこなわれたのではないか」(78-79頁)。

 補注)ここで三浦が指摘する点,すなわち「日本共産党在日朝鮮人を用済みとみなした」1950年半ばにおける日本国内の政情,とくに日本共産党の「在日朝鮮人に対して示した使い捨て」の政治姿勢は,注目に値する。

 本ブログの「2009. 7. 21」「■愛される共産党といった野坂參三■」註記)で触れていたことであるが,敗戦の年の10月10日にもなって,ようやく府中刑務所から解放されたことになった「日本共産党」関係者は,徳田球一や志賀義雄,黒木重徳だけでなく,朝鮮人の金 天海もいた。そして,その解放のとき刑務所まで出迎えにいった大衆・人民の「その主力は数百名の在日朝鮮人」であった。

 註記)この記述も未公開状態なので,後日,再掲することにしたい。

 d)北朝鮮帰還運動」

 日本国関係者による在日朝鮮人北朝鮮帰国事業のことを,韓国側は「北送」と適切に表現した。この語感はすぐ理解できると思うが,北朝鮮帰還運動の本質をつかんだ表現であった,当時の日本では誰もが諸手を挙げて賛同した。本心ではやっかい払いも同然に,在日朝鮮人9万3千人を,しかも彼らの故郷ではない「北朝鮮に送還した」。

 日本政府にしてみれば,まさに「してやったり」の気分であった。その意味では,日本政府のさかのぼれば戦争責任の問題にまで深い関連性を有する「在日韓国・朝鮮人」に対する〈歴史的責任〉を,さらに加重させるほかない「歴史社会的な問題」を,その「北朝鮮帰還運動」の「かつての成功」からも汲みとらねばならない。

 --三浦の論及に戻って記述をつづける。いわく「この帰国事業の悲劇は,いまもなお在日社会を覆っている。日本人妻の悲劇もまた。食糧も衣服も医薬品もなにもかも不足するなかで,切々と苦境を訴える手紙をいまもなお日本にいる家族に届く。差別もなく,社会保障も完備した,豊かで発展した地上の楽園という宣伝文句は,飢餓の収容所共和国という現実にかわった。3年後には里帰り可能だという日本人妻への内々の約束は果たされず,一言でも北朝鮮に不満を漏らせば密告制度により逮捕され,強制収容所で殺されていった」(79頁)。

 だいぶ以前から,北朝鮮への「帰国者,日本人配偶者が北朝鮮を脱出し,NGOの協力のもとに,この日本に『再帰国』し始めている」。日本の市民団体である「北朝鮮難民救援寄金」は,この難民救済と日本を含む第3国への脱出に成果を挙げてきた。姜 尚中は知識人であって,この運動に直接参加する必要もない。しかし,これらの帰国者を救援しようとする人びとの存在を,まったく存在しないかのようにみなるのが残念である(80頁)。

 補注)いわゆる「脱北者」の数は,朝鮮(韓)半島が分断された1948年から昨年末まで,韓国に入国した北朝鮮人は3万3500人超に上るとされている。より正確な統計として,2018年は,こうなっていた。

  1.  韓国入国脱北者累計 3万2476名(実存脱北者は3万名程度とみられる)

  2.  2018年入国脱北者 1137名(2017年対比 + 10名)

  3.  女性比率 85%

 註記)「韓国脱北者数統計 2018. 1. 1~2018. 12. 31」『北朝鮮難民支援基金』2019/02/11,https://www.lfnkr.or.jp/2019/02/11/韓国脱北者統計2018-1-1-2018-12-31/  韓国の統一部(省)からは,以後も「4半期ごとに公表」されている統計である。

 こうして三浦は「北朝鮮全体主義体制を直視しない姜氏の混迷」を,「南にきびしく北に甘い『党派性』が顔をのぞかせる」態度(81頁)として批判する。とくに「テロ・全体主義国家としての北朝鮮の正体がみぬけていないため,正直〔19〕80年代の北朝鮮に対する評価は支離滅裂である」(83頁)。「テロ・全体主義国家へのきびしい視点がなければ,無意識のうちに北朝鮮の代弁者となる」(84頁)。

 要は,姜 尚中の立場は「偽善的平和主義」であると断罪されている。なぜなら,「ありのままの北朝鮮を認めることは」「200万人が餓死し,言論の自由が奪われ,恐怖政治が支配が民衆を麻痺させた労働党一党独裁全体主義体制を,北朝鮮の民衆は承認している,支持している,この体制の存続を心から願っていると,私〔三浦〕たちはみなさなければならない」からである。

 補注)北朝鮮では1994年に飢餓が発生し,1996年,1997年,1998年の3年間で大量の餓死が発生し,1999年まで続いた。その総計は300万人に上るといわれる。餓死者が大量に出たことは脱北者の証言で明らかである。だが,北朝鮮は,この期間も人口が増加したと報告し,国連機関の人口数も北朝鮮の報告を微調整したものに過ぎない。
 註記)http://www.sukuukai.jp/report/item_1794.html この「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)が語る北朝鮮における当時の餓死者総数は,三浦小太郎が指摘する数値と100万人も差がある。どうして,この大量の差が出ているのかについては,説明しない。

 「これこそ,悪しきナショナリズム,国家主権万能論ではないのか」。「仮にあるがままの北朝鮮を認めてもたらされた平和とは,北朝鮮の人権が抑圧されつづけ,民衆が独裁者の思うがままにされるのを,ただみずからが平和でありさえすれば座視するという,『偽善的平和主義』である」(87頁)。

 3) ハナ・アレント全体主義の起原』1981年 日本語訳

 三浦『嘘の人権 偽の平和』(2010年12月)の「姜 尚中批判」については,以上のように議論を聞いてきた。つづく「収容所体制と難民流出」の項目にも聞いてみたいが,本日の記述がもっと長くなりそうなので,これはなるべく簡単に要点のみ紹介する。

 こちらの「収容所体制と難民流出」においては,ハナ・アレント全体主義の起原-〈1〉反ユダヤ主義〈2〉帝国主義〈3〉全体主義-』(みすず書房,1972年7月~1974年11月,1981年)が盛んに引き合いに出される。というのも「北朝鮮アレントのいう全体主義体制である」からである。「その分析はほぼすべて的確に北朝鮮の現体制に当てはまること,つまりあの体制は20世紀において終焉を観るべきであった典型的な全体主義体制そのものである」。これ「が,北朝鮮のさまざまな問題を論じるばあいの前提となる」(91頁)。

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 出所)写真は,http://seraphim-moon.blog.so-net.ne.jp/2007-12-24 より。ドイツ人の哲学者ハイデガーの愛人になったことでも有名。

 「ヒトラースターリンに対してと同様に,金 正日に対しても多少の政治的取引は可能でも,真の意味での対話,和解は不可能である,これは極論ではない。軍事独裁国家に対してならば,『国益』や『国際関係の安定』の面での交渉は可能だが,全体主義国家は本質的に,そのような近代国家的価値を否定したところで成立している体制なのだ」。「全体主義体制は必然的に国内外にテロルを引き起し,国際秩序を破壊する体制であって,民主主義体制とはけっして共存しえないものである」。この「ことが」「まず日本政府の根本認識となるべきである」(92頁)。

 「収容所体制と難民流出」における三浦の記述は(89-119頁),以上のような論旨を貫いている。以下に,つづく段落から何点か重要と思われる箇所を引用しておく。

   ★-1北朝鮮においても,完全な収容所国家体制が確立するのは,ソ連派,中国派などの対抗勢力がほぼ粛清によって存在しなくなった1960年代後半からである」。「全体主義体制が,永遠の『運動体』である以上必然的にそうならざるをえない」のは「『敵』を国内にみいだせないなったときこそ,『全国民』が,いつでも『敵=テロルの対象』とみなされる」(97頁)。

   ★-2「経済政策の失敗が体制を揺るがすということは,少なくとも全体主義体制においては簡単に当てはまらないことを認識しておく必要がある」(99頁)。

   ★-3全体主義体制から生まれる難民は,他の性格が異なり,経済難民か政治的亡命かという区分はほとんど意味がない」(107頁)。

   ★-4「難民の流出は,北朝鮮全体にとってどうしても必要な『内部の敵』『外部の敵からの陰謀』という存在を考え,国内では再び体制強化の口実としている」。「難民証言が生々しく伝える,北朝鮮の警察,保安部,安全部などの難民への虐待は,単に彼らの人間的低劣さの現われだけではない」。「新たな『敵』をみいだした全体主義体制の反撃である」。

 換言すれば,「全体主義体制が民衆を抹殺する行為を私たちが座視するのは,かつてのアウシュビッツでのナチスの行為を座視していた世界の過ちを再び繰り返すことである。これだけの死者の数を歴史に刻みながら,人類はなぜ同じ過ちを繰り返しているのか」(108頁)。

   ★-5「『国家を超えた人権,自然権としての(人間が生まれながらにして有しているとする権利)人権』などは,現実の世界には存在しないのだということを,みずからの悲劇的な運命を通じて証明したのが」〔アレンの表現によれば〕「無国籍者だった」(109頁)。

 しかし,「北朝鮮難民」は「みずからの存在すら,体制の恣意的判断により『抹殺』され,国際機関からも難民として認定されない人びと」である。「これこそ全体主義体制の究極の犠牲者である」。つまり「『無国籍』以下の『存在すら否定された人びと』」である(110頁)。

 

   む  す  び

 三浦小太郎『嘘の人権 偽の平和』2010年12月は,結局「北朝鮮難民が(北朝鮮全体主義体制から脱却するまでは),まず多くが韓国という国家に帰属することを認められることが第1の解決である」(114頁)。三浦はこの措置に生じる諸困難を承知している。

 だが,日本という国家じたいが「北朝鮮の現問題」の解決のために,いかほど「戦後責任」を果たせるのかとも問うてみる余地もある。この問いは「三浦小太郎の個人的な次元」=「運動家としての思想:第3者的な発想方法」いかんに対しても,投じられうるものである。

 最後に三浦は「収容所体制と難民流出」の項目最後で,こう主張する。「全体主義を超える運動が,国家に根ざしつつ,国境を越えていく,あるべき人権運動の姿」を追求するのであれば,「北朝鮮難民を」「〔朝鮮〕国内の全体主義体制を座視することは,東アジア全体の不安定要因であるだけではなく,また,単に北朝鮮一国の人権問題というだけでもないことを,とくに9・11テロ事件以降,世界が気づき始めた」(118頁)。

 生命への感謝の念,人間の存在それじたいへの喜び,差異や多様性との和解。これらすべてを否定する全体主義政権によって,いま,北朝鮮難民は抹殺されようとしている。北朝鮮難民を救うことは,彼らだけのためのではない。私たちの人間性を,ニヒリズムから守るためでもある(119頁)。

 結局,三浦の北朝鮮「問題」と密接に関連させて導出される「人権・平和」論の主張は,具体的に,こういうものにたどり着いていた。この考えかたは,ちまたに溢れている素人的に無責任な「嫌・朝鮮論」「反・在日論」とはまったく無縁であった。

 2011年になってからチュニジア・エジプト・バーレーンリビアなど中東諸国に深刻な政変が発生している。だが,北朝鮮にはいまのところその余波が押し寄せる気配はない。中国ではその余波を食いとめようと,当局は必死の防戦に努めている。

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【本ブログ内の関連記述】

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【参考文献】

  玉城 素『朝鮮民主主義人民共和国の神話と現実』コリア評論社,1978年。
  金 元祚『凍土の共和国』亜紀書房1984年。
  鄭 箕海,鄭 益友訳『帰国船-楽園の夢破れて三十四年-』文藝春秋,1995年。
  張 明秀『謀略・日本赤十字 北朝鮮「帰国事業」の真相』五月書房,2003年。
  高崎宗司・朴 正鎮編著『帰国運動とは何だったのか-封印された日朝関係史-』平凡社,2005年。
  菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業-「壮大な拉致」か「追放」か-』中央公論新社,2009年。
  坂中英徳・菊池嘉晃,・韓 錫圭『北朝鮮帰国者問題の歴史と課題』 新幹社,2009年。

最近の関連文献】は以下のアマゾン広告に任せるが,以下にとくにかぎって挙げておく本は,あくまで任意に選択したものである。誤解なきようお願いしたい。

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