朝鮮学校が「教育の無償化(補助金)」を日本政府に期待し要求する立場は,「北朝鮮との縁切り」ができないのであれば,無理難題でありつづける

 はたして,高校などの無償化問題に関する朝鮮学校の立場や理屈に,わずかでもまともな道理や傾聴に値する合理的とみなせる内実があったかと問えば,いまだになお皆無

                  (2011年2月18日)

                  (2020年8月10日)

 

  要点:1 朝鮮学校の変化」とはなにか?   なにかが変わった点があったというのか? 相手に譲歩は要求しても,自分たちは絶対にそれをしない政治体質の疾病性

  要点:2 一般論・抽象論でのみ理想的・規範的・空想的に語らず,歴史的・現実的に比較しつつ,具体的・実際的に論ぜよ


 🌑 前   論  🌑
 
 最初に,直近における在留外国人統計からつぎのような国籍別人口を紹介しておきたい。とくに韓国籍朝鮮籍も含む)はこうである。ここでは,法務省の報道発表資料,令和2〔2020〕年3月27日を参照した。

 註記)http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00003.html

 出入国在留管理庁『令和元年末現在における在留外国人数について』は,令和元〔2019〕年末の在留外国人数を,293万3137人で,前年末に比べ20万2044人( 7. 4%)増加となり,過去最高を記録したと報告している。ベトナムインドネシアなどの人口が急増しているのは,つぎの事情が影響していた。

 技能実習生は,発展途上国に対する国際協力で始まりました。もともと中国人が多かったのですが,現在ではベトナムやフィリピン,カンボジアミャンマーなどが増えています。

 註記・出所)「技能実習生人数の推移とは?  実習生の就業しているエリアから出身国まで徹底解説!」『dnus 外国人採用支援の総合ポータルサイト dnus(ディヌス)』2020-04-01,更新 2020-05-15,https://dnus.jp/articles/224

 

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 a) 在留外国人統計から韓国籍を示すと,こうなっている。

     2012年 48万9431人
     2013年 48万1249人
     2014年 46万5477人
     2015年 45万7772人
     2016年 45万3096人
     2017年 45万0663人
     2018年 44万9634人
     2019年 44万6364人(全外国籍人のうち 15.2%,前年比 -0.7%減)

 b) 在留外国人統計において上位10か国・地域のうち,増加が顕著な国籍・地域は,ベトナムが41万1968人(対前年末比8万1133人(24.5%)増),インドネシアが6万6860人(同1万514人(18.7%)増である。

   (1) 中  国   81万3675人(構成比 27.7%,+ 6.4%)
   (2) 韓  国   44万6364人(構成比 15.2%,- 0.7%)
   (3) ベトナム   41万1968人(構成比 14.0%,+24.5%)
   (4) フィリピン  28万2798人(構成比 9.6%,+ 4.2%)
   (5) ブラジル   21万1677人(構成比 7.2%,+ 4.9%)
   (7) インドネシア 6万6860人(構成比 2.3%,+18.7%)

 技能修習生として入国してきた東アジア諸国の人びとが,日本国内では技能実習生の名のもとに奴隷に近いと形容してもいい労働に従事させられている実態がある。その事実を報告した文献はいくらでもある。

 前記の統計で,2019年における「韓国 44万6364人」の内訳としては,こういう分類ができる。

 現状において北朝鮮(日本では朝鮮総連)側「所属」を表示すると判断してよい「朝鮮」籍の保有者は3万人を割りこんでいる(2019年6月現在で2万8975人)。しかも,この人数はさらに漸減していく。ちなみに,同時点での韓国籍は45万1543人である。いずれのなかにも「特別永住という在留資格」をもつ者が多く含まれている(韓国籍 28万5753人,朝鮮籍 2万8393人)。

 韓国籍〔に変更してこ〕のなかに潜りこんでいる朝鮮総連の支持者がかなりの数,隠れていると推理して間違いにはならない。だが,それにしても,朝鮮籍としてしかも朝鮮総連(すなわち北朝鮮)を支持する在日朝鮮人は,いまではごく少数派になっている。

 ここまでで ① 以下の「前論」を終え,旧ブログを再掲する段落にすすみたい。


  朴 龍浩「朝鮮学校の変化にも目を-無償化の凍結-」(2011年2月17日)

 昨日〔2011年2月17日のことだが〕,『朝日新聞』朝刊「私の視点」欄に,東京朝鮮中高級学校学校主任朴 龍浩(박   용호:パッ・ヨンホ)が投稿していた。題名は「朝鮮学校の変化にも目を-無償化の凍結-」である。本日はこの文書を紹介しつつ議論する。途中で「/」の箇所は,原文で改行が入っている。また「--以下」は,本ブログ筆者の『寸評的な批判を与えた「論」』である。さらに,便宜上,各段落の冒頭には,符号〔a) b) c)・・・〕も付けてある。

  a) 私は朝鮮学校で「朝鮮現代史」を教え,今春卒業する高校3年生190人の学年主任を担当しています。/教え子たちは勉強がクラブ活動に励み,学校の主人公として責任を果たし,笑い,時には叱られ,悔しさに涙しながら,かけがえのない友情を深めてきました。進学や就職という人生の岐路に立って大いに悩み,進むべき道を模索してきました。生徒たちにとって,朝鮮学校は日本の高校となんら変わらない「普通の学校」なのです。

 補注)朝鮮学校は間違いなくたしかに「普通の学校」の範疇に属してもいる。これは事実である。だが,敗戦直後の日本社会のなかに誕生したこの朝鮮学校が,これまでどのような歴史をたどって生成・発展・衰亡してきたのか,もっと具体的に追跡しておく余地もある。

 ただしこの問題関心は,朴がほとんど触れたがらない〈事実史の領域〉である。ともかくこの段落での記述は,朝鮮学校が日本の学校とかわらぬ「学校としての性格」を有することを,一生懸命に強調している。かといっても,朴が教える「朝鮮現代史」の教科内容も具体的にしりたい。

 朴 龍浩自身による授業風景はたとえば,朝鮮総聯の機関紙『朝鮮新報』(朝鮮語:ハングル:韓国版)2008年10月24日に掲載された記事「〈教室で〉東京中高高級部 現代史 朴 龍浩先生-朝鮮現代史をわかりやすく,家族史を通して身近に-」に解説されている。

 この記述じたいはその意味で,世界中のどの国にもある「外国人学校」の諸問題に共通しうる中身である。しかし,朝鮮学校のばあい,きわめて特殊歴史的な背景事情ももっている。それは,敗戦後における日本の混乱期に開設・経営されてきた朝鮮学校の〈時代的な変遷〉をしることによって,初めて理解できるようなその〈きわめて特殊な事情〉なのである。

 なお,代表的な文献として比較的最近作,金 徳龍『朝鮮学校の戦後史-1945 ‐ 1972(増補改訂版)』社会評論社,2004年がある。

 朴 龍浩はこのように,「最初の記述」部分で,朝鮮学校教育機関として有する〈普遍的な共通性格〉を意図的に強調している。ところが,その反面に控えている「現実」=「朝鮮学校の歴史的な由来および性格」に関した〈特殊な個別の事情〉は,なるべく具体的に触れないようにする(意図的に逃げまわる)筆致を基調にしている。

  b) そんな教え子たちをとり巻くこの1年の状況は,朝鮮学校が高校無償化の適用対象となるか否かをめぐり,例年の3年生たち以上に激しい嵐に見舞われました。昨〔2010』年3月の衆院文部科学委員による来校に始まり,文化祭や運動会,学校公開時などに多くの方の訪問を受けました。

 補注)半世紀以上も歴史をもつ朝鮮学校は,従来「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)」の「公民」を育てるための〈外国人学校〉であった。朝鮮学校はかつて,北朝鮮からの資金援助でもって学校経営がなりたっていた。いまでは,北朝鮮から支援に落ちこみ非常にかぼそくなっているものの,共和国との関係を断ち切ることのできない朝鮮学校であるかぎり,その「公民教育との関連がない」とはいえない。

 それゆえ,在日朝鮮人北朝鮮という国家の「公民」だととらえられるとき,「海外(日本)の住民である要因」をどのように踏まえて教育をしているのか,朝鮮学校は答えねばならない。外国人学校がその所属する「国家体制の特徴である政治理念」を反映させる教育制度を敷いてきた。

 すでに在日朝鮮人4世の時代になってもいるが,そのような方向性を採る事由を明示しなければならない。他方で,東京韓国学校が東京都新宿区にあるが,この学校は韓国からの新来者の子弟・子女が多い。この学校のイメージで朝鮮学校をとらえたら,大きなズレ(誤解)が生まれる。

 海外にある日本人学校を考えてみればよい。日の丸をかかげ,君が代を歌い,天皇を尊崇させる教育を,日本国籍人の子どもたちに対してしむけていないといったら,ウソになる。日本国家の基本利害が日本人用の海外学校では貫かれている。

 そうでないといったら間違った認識になる。それと同じに考えればよい。朝鮮民主主義人民共和国の「公民」とのどのようなつながりであれ,朝鮮学校において在日3世から4世にもなっても,その北朝鮮の国家的理念を意識した教育をほどこさねばならない理由は,なになのか。

 朴はそれでもなお,日本・日本人の学校との違いはなにもないと強調している。はたしてそこまでいいきっていいのか。日本の学校と普遍的に違いがないのであれば,日本の学校に生徒は通えばよい。なにが同じでなにが異なるのか,いちいちこまかく確認してからの話であったはずのものが,突如,普遍的に共通する話の次元を前面に押し出すばかりで,朝鮮学校に特有・個別である問題から目を背けさせようと,必死の努力(ごまかし)をしている。それも嫌らしいほどにその努力を傾注していた。

 途中になるが,ここで「大阪・橋下府知事が朝鮮学校を視察」(2010年3月12日 18:46 配信)というニュースを聞こう。

 「大阪・橋下府知事は2010年3月12日,高校授業料無償化法案で,無償化の対象に朝鮮高級学校(通称,朝鮮学校)を含めるかどうかを判断するため,大阪・東大阪市大阪朝鮮高級学校を視察した。橋下知事は,授業内容などに北朝鮮とのつながりがあれば無償化の対象外とすることや,府からの年間約2億円の補助金を打ち切ることを示唆している」。

 「この学校の生徒は在日朝鮮人在日韓国人の子供らで,授業はすべてハングルでおこなわれ,教室の壁には北朝鮮・金 正日総書記の肖像画がかかっている。橋下知事は『北朝鮮の国家体制と学校の関係に疑念をもたれるところがある。肖像画も降ろしていただきたい』と学校側に要請した。これに対し,学校側は『1世がかかげたことを,2世,3世が外すということは,儒教の社会だからなかなかのプレッシャー』と話した。

 補注)「この学校の生徒は在日朝鮮人在日韓国人の子供らで」という理解はおかしくないのか? 在日する韓国人では民団(韓国系)側の人たちが朝鮮学校に子どもを通わせるということは,とうてい考えられないし,韓国からきた新来者(ニューカマー)たちが子どもをわざわざ朝鮮学校に入れる理由はなにもない。

 橋下知事は視察後,「北朝鮮の国家体制と一線を引くということで,肖像画は外していただく。このあたりがクリアにならないと,公金を使うのはむずかしい。大人同士の話をして,いい方向で解決したい」と話した。

 注記)http://news24.jp/articles/2010/03/12/07155228.html

 補注)さすがの橋下 徹も甘い判断を示していた。北朝鮮という国家に向かい「大人の話」がまともにできると,本気で考えているのかという疑問が,もともとあったのだが,そこまで橋下の理解が進んでいなかった。

 また,在日朝鮮人朝鮮学校側で「1世が〔金 正日(および金 日成?)の肖像画〕かかげたことを,2世,3世が外すということは,儒教の社会だからなかなかのプレッシャー」だというような奇妙な弁解は,説得力のない,いわば「ド」をつけていい屁理屈である。

 このいいぶんは,まさにいい逃れ的であり,批判になっている〈的〉を隠そうとする遁辞である。いわば,相当にトボケタ〔寝ぼけた?〕「問題回避(はぐらかし)的な態度」が,かなり露骨に表現されている。

 すなわち,「現在」において問題になっていて,まさしく「いま」答えねばならない問題があるのに,これをなぜか〈過去のせい〉にしておき回答を忌避している。当面の問題ではあっても,朝鮮学校に関して「問題になっている問題」は,過去からの連綿とした継続性のなかで発生してきているだから,逃げ口上をもちだすのは卑怯である。

 なんでも「1世」のせいにして済ませられ放置しておけるのだとしたら,どのような問題が残っていても「2世・3世」以下の世代は,残された問題あるいは発生した問題に対してなにも解決ができない,いうなれば,当事者能力のない「禁治産者のような存在である」ことになる。まずもって,奇想天外な,許しがたい:トンデモないいつくろい:詭弁がぬけぬけと披露されている。

 北朝鮮は「21世紀における」「儒教の社会〔→社会主義国家体制!?〕だから」という「答え」は,現在もなおこの独裁国家をとりしきる〈特定の人間集団の実在〉を「無条件に認めよ」というに等しい,これまたトンデモなくも「はなはだしい〈ド屁理屈〉」であった。日本社会からの北朝鮮へのきびしい批判を,このような「遁辞にもなりえないような,すり替え的ないいわけ」を申したてて回避できると思っているとすれば,まことに幼稚な感性をみずから暴露している。

 結局,「説得力ゼロの論法」=「〈呆れた〉話法」=みじめな「駄弁」だけが,われわれの記憶に残された。

 また,朝鮮学校には「在日朝鮮人」だけでなく「在日韓国人の子供ら」も通っているという指摘は,前段でも言及したように大いに誤導(ウソそのもの)的である。北朝鮮支持の在日朝鮮人〔韓国人ではなく〕であっても,最近ではその相当数(大部分)が生活の便宜上「韓国籍」を保有している。韓国籍をもっているからといって,その特定集団が事実として「韓国(という国)を支持する立場」にはない。

 いまなお「北朝鮮」を支持する政治信条を堅持している者も多く,いわゆる〈偽装韓国籍〉が多数派なのである。この点を意識して観察しなければ,問題の的確な議論からすぐに脱線し,破綻する。

 あとにも出てくるが,朝鮮学校に通う生徒のうち韓国籍が半数〔以上〕を占めるといっても,そのほとんどが形式面だけの変更であって,その実質を問わない「単なる数字の表明」(朝鮮学校には韓国籍の生徒も大勢通っている)というだけでは,朝鮮半島韓半島〕をめぐる複雑な政治情勢に疎い人を誤解させ,「韓国を支持する家庭の子どもたちも朝鮮学校に通っている」かのような認識を,間違えて与える。

 朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の次元では,朝鮮総連在日本朝鮮人総聯合会〕から民団〔在日本大韓民国民団〕に鞍替えした在日朝鮮人(韓国人?)が,民団に加盟したあと「除名される実例」も生じている。この事実はなにを物語るが説明しなくとも即座に理解できる。在日韓国人系の新聞紙『統一日報』 2011年2月16日は最近,在日本大韓民国民団内にもぐりこんでいる朝鮮総聯の人びとが企み実行する策動を,つぎのように批難している。

 「民団は規約を改正して『韓半島にゆかりのある者』であれば,国籍を問わず,団員となる資格を開放した」。「組織改革の隠れた問題が朝鮮籍者,総連活動家出身者,朝鮮籍から韓国籍への「便宜的な国籍切り替え者」に対する対策だ」。「開かれた民族団体・生活者団体として民団はいかなる人にも開放されている。しかし」「総連勢力の浸透には監察が強力なチェックが必要だ。韓国籍に切り替えてもなお朝鮮総連の役員に名をとどめ,総連で活動している人など」もいる。

 注記)「民団の課題『便宜上の韓国籍者』対策を」『統一日報』2011年2月16日,http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=59301&thread=04

 民団の支持する故国:韓国では,2012年春の国会議員選挙から 240万人にも及ぶ在外投票が実施される予定である。この予定を念頭に統一日報紙は,「北(北韓北朝鮮)と〔在日本の〕朝鮮総連の〔組織的な〕介入」=「不正工作,動員投票」が「防げるか」と懸念している(『同紙』同上記事,2011年2月16日)。

 総聯側のいまだに熱心な活動分子をはじめ,〈北側の組織〉に属する意識を潜在的に捨てきれない人たちは,国家の枠組〔国籍〕を偽装するかたちで,そして実質では「在日本朝鮮人総聯合会」でありながらも同時に民団に加入しておき,「韓国:本国」にまで影響を及ぼすためのそうした策動に加担する。彼らはもとよりこういう政治行動を心底からなんとも思っていない。この事実を日本国ならびに日本人側はよくしっておかねばならない。

 要は,在日で韓国籍の人びとは現在,韓国の国政選挙に投票できる。ただし,選挙人登録が投票するさいには必要である。この韓国籍のなかには,朝鮮総連北朝鮮)を支持する人びとも隠れて混在している。北朝鮮の独裁政治であれば絶対にありえない政治現象が,在日韓国〔籍〕人〔ではない朝鮮(籍)人〕側に向けて許されている「事実」は,北朝鮮(総聯)側の非常に “かたくな政治イデオロギーの固陋性・閉鎖性” を,反面的にも端的に物語っている。

 c) 文部科学省の専門家による会議は適用をめぐる議論を外交問題ではなく,教育問題として考えるべきだとの見解を示し,「日本の高校に類する教育をしており,区別することなく助成すべきだ」と指摘。いったんは適用に向けて動き出したかにみえましたが,昨〔2010〕年に起きた南北の軍事衝突の影響で手続が凍結されました。

 補注)教育問題に外交問題がなじまないという主張は,ひとまず説得的である。けれども,さきに大阪府の知事が,朝鮮学校には「教室の壁には北朝鮮・金 正日総書記の肖像画がかかっている」が,これでは「北朝鮮の国家体制と学校の関係に疑念をもたれるところがある」から「肖像画も降ろしていただきたい」と学校側に要請した。

 この橋下 徹知事の発言は,教育現場において関連する政治・外交問題そのものに口出ししていた。しかし,この知事の要請は,朝鮮学校が一国の〔通常の政治的な理解でいえば〕「独裁者の写真」をかかげている現実,しかも,日本の政治・社会のなかで非常な反発や根強い批判を受けているこの実情にも鑑みて,高校無償化問題の円満な解決のために朝鮮学校側が善処してくれという知事の発言である。このことは,しごく自然な要請として納得がいく。

 ところが,朝鮮学校は他国から批判の絶えない「自国独裁者の肖像」を教室にかかげることを当然とする。もちろん,本国からの指示があっての措置である。かといって,在日本の朝鮮学校におけるそのような肖像掲示が「批判の目でみられる現実」を,北朝鮮当局に朝鮮学校がきちんと伝えているのかといえば,そのような動静は伝わってこない。ただひたすら核心の問題から逃げている。日本にある朝鮮学校も,北朝鮮の独裁者にひれ伏し,ただ恭順の姿勢しかとれないでいる。

  d) 本校など各地の朝鮮学校は,高木義明文科相に異議を申し立てましたが,残念ながら今月上旬に届いた回答書で凍結解除は表明されませんでした。3年生が卒業する3月までに,制度にもとづく助成金支給が間に合わない可能性が高まっています。無償化凍結を解除し,日本人の生徒たちと分け隔てのない支援のありかたを望みます。

 補注)朝鮮学校側が「日本人の生徒たちと分け隔てない支援のありかた」を受けたいというとき,その〈教育機関である立場〉からは,日本政府や自治体に対してどのように働きかければよいのか? 朝鮮学校側は,要求することについては一生懸命に精力を注いでいる。

 けれども,その要求を実現しようとするさい,日本政府なり地方自治体なりに対して朝鮮学校における〈政治理念やその教育面での関連性〉を,どのように説明してきたのか。北朝鮮当局の背景が関連してくる事実も率直に説明してきたのか? そうではなかった。

 とはいえ,そうした手数は過去,特定の政党や組織・団体,左翼人士に向けてだけはおこなってきても,日本社会の全体に向けて幅広くおこなうことはなかった。くわえていえば,「在日」〔朝鮮人〕の存在じたいを問答無用的に毛嫌いする日本の「反朝鮮」勢力とも真正面から議論を交わし,少しでも相手の理解をえるための,あるいは説得させたりするための努力を十分に傾注してこなかった。

 e) 朝鮮学校の「朝鮮」という言葉に,国家としての「北朝鮮」という言葉に,国家としての北朝鮮を連想する人が多いと思いますが,教職員や生徒の多くは民族としての朝鮮チョソンととらえています。「北+南=一つの朝鮮民族」なのです。生徒の攻勢は,世代交代や国際結婚により多様化しています。本校のばあい,朝鮮籍が47%,韓国籍が51%,日本国籍が2%です。また,朝鮮籍といっても「北朝鮮籍」というわけではありません。

 補注1)より正確にいえば「朝鮮」籍という〈仮称の国籍〉は,敗戦後における日本史の事情と関連して発生していた。戦前・戦中より日本につづいて在住してきた植民地出身の朝鮮人に対して,便宜的に「外国籍」の名称として付していたものである。それゆえ本来は,いまの日本という国家の枠組のなかでは事実上ありえない・存在しえない「国籍の名称」である。

 朴 龍浩がいう「朝鮮」籍の呼称でもって指すと思われる「北朝鮮」〔朝鮮民主主義人民共和国〕と日本国とのあいだには,国交が正式に樹立されていない。だから,国交のない相手国を具体的に表示する国籍名称もありうるわけがなく,「両国」のあいだに国交が回復された時点で初めて「北朝鮮」国籍ならぬ「朝鮮」籍が正式に登場する可能性が予想されるだけである。

 朴 龍浩は「北+南=一つの朝鮮民族」ととらえているのが「朝鮮チョソン」であると主張する。しかし,大韓民国の「韓国」籍を有する在日韓国人は逆に,「韓国」を「南+北=ひとつの韓民族」ととらえている。こちらも当然の論理となる。

 日本で教えられている,たとえば「韓国語でのハングルの発音」のほとんどは韓国式であって,朝鮮式ではない。日本社会に浸透している韓国〔朝鮮〕関係の情報・知識は,その大部分が大韓民国〔=韓国〕に関するのものであって,北朝鮮系のものはごくわずかに限られている。

 だから,朝鮮半島韓半島〕に存在する朝鮮・韓国のことがらを指すばあい,韓国という語を充てて表現するほうが圧倒的に妥当性があり,基本的にも正解である。すなわち「朝鮮」関係のそれは絶対的に少数の立場であって,歴史〔朝鮮史〕研究に関する分野・領域をのぞき,日本社会ではごく一部分しか占めていない。

 そうした実情は,21世紀の韓流ブームの効果も大きく影響しているとはいえ,最近では,経済・社会・歴史・文化・伝統すべての領域にわたる韓国ブーム到来の現実を踏まえれば,朝鮮〔朝鮮民主主義人民共和国〕のほうは,かぎりなく最小化かつ極小化された存在でしかない。

 その意味でも,朴 龍浩「朝鮮学校の変化にも目を-無償化の凍結-」(2011年2月17日)は,朝日新聞が「私の視点」でとりあげてくれたにせよ,この新聞社の思想的な傾向・信条的な趣向も考慮するに,いわゆる「教育の視点」を借りた「政治的な宣伝プロパガンダの一種」であた。

 「朝鮮学校の〈まったき非政治的な性格〉」という「絶対にありうるはずもない虚像」註記)が,高校無償化を獲得するために必死になって訴える「朝鮮学校の学年主任」の口を介して,空中楼閣のように提示されていた。

 補注本の学校でも教育の理念に「日本国・性」というべき,非常に濃い政治的な性格が前面に打ち出されている。この要素・色合いがゼロであるなどといった事実はない。これと同様に朝鮮学校のありようも,類推しておく理解の仕方もある。

 また形式論に徹するのであれば,朝鮮学校の生徒のうち半数以上が韓国籍だというのに,「朝鮮(チョソン)」を「北+南=一つの朝鮮民族」ととらえているのは,まさしく詭弁的な歪曲であり,独断的なニセの解説である。

 おまけに,足して2で割って(「朝鮮+韓国」=「?民族」),どう呼称するかどうかといった問題以前に,いまでは「一つの朝鮮民族」といってのけられる時代ではなくなっている。現在の韓国における移民受け入れ問題の実情をしらないのか?

 前段のように,日本の地平のほうから〈朝鮮〉と〈韓国〉との関係をみれば,韓国のほうの比重が量的にも質的にも圧倒的であって,朝鮮はそのごく一部,些少な領域であるに過ぎない。とすれば,しごく単純に受けとめて,「朝鮮学校韓国学校といってもいい」のではないか〔前述のとおり別に,東京韓国学校という在日韓国系の学校にあるので,あらためて誤解のないように・・・〕。

 ことばや表現をたくみに加工して使いまわす操作によって,現実の様相そのものには目をおおいながら,そのうえで意図的に潤色・創作した表現・修辞を駆使してみたところで,現実そのものにおいてなにか特別の変化が起こるわけではない。

 韓国籍をもっている朝鮮学校の生徒は,「朝鮮チョソン」は「北+南=一つの朝鮮民族」であると,本気で思っているのか? 「韓国(ハングッ)」は「北(朝鮮)+南(韓国)=ひとつの韓民族」であると思っても,いっこうにかまわないし,これを否定できる特別の理由はなにもない。

 そもそも,どっちがより妥当な「韓国および朝鮮観」であるか判断するさい,それも日本社会のなかで質的・量的の両面で総合的に判断するならば,「韓国(ハングッ)」:「北(朝鮮)+南(韓国)=ひとつの韓民族」に決まっている。

 それゆえ,「朝鮮チョソン」を「北+南=一つの朝鮮民族」と表記するさい,「北と南」とだけ書いていた。ここには「朝鮮」は出すが「韓国」は出さないという小賢しい〈修辞の詐術〉がしこまれていた。これには「いかにも,いかにもなやりかたがみえ隠れする」。そのようなたぐいの底意がよく伝わってくる。

 韓国・朝鮮関係について専門的な研究をする人間であれば,あるいは在日韓国人の立場とすれば,いともたやすく気づく〈珍妙かつ薄汚い作為〉が,上手に隠されることもなく露呈している。。

 いまの日本社会で「韓国」と「朝鮮」のどちらが,より一般的によく通用・流通している国名であるのか。いうまでもないことがらである。「朝鮮!」「朝鮮!」とこだわって高唱するのもいいが,現実の社会認識から遊離した観念をアドバルーン的に打ち上げ,「自己の朝鮮認識」ばかりを独善的に強調するのは,たいがいにしたほうがよい。

  f) 在日の我々は民族内に国家の対立を抱え,さらに日本で生まれ育ったがゆえに南北のはざま,民族と国家のはざまで振り回される微妙な立場,心情があるのです。……だからこそ,教え子たちには民族の尊厳感情をしっかりもち,多文化が共生する日本社会を日本の若者と手を携えて担ってほしいと願います。

 私が受けもつ朝鮮近現代史の授業も,北朝鮮との関係のみならず,韓国や日本との関係を念頭に,分断を乗り超えるために学ぶことが大切だと考えます。……懸命に学ぶ若者たちの学習環境は,政治や外交とは別の問題であるべきです。ありのままの朝鮮学校と生徒たちの姿を,菅 直人首相や高木文科相〔当時は民主党政権時〕にぜひみていただきたいと思います。来校を心から歓迎します。

 補注1)北朝鮮朝鮮総連)側のとなえる「朝鮮半島の統一」とは,北朝鮮が韓国を軍事侵略してでも支配下にとりこむという戦略でありつづけており,いまもその基本はなにも変わっていない。したがって,ここでいわれている「分断を乗り超える」という抽象面の表現は,「侵略をしてこそ統一できる」という具体的な理解となる。なお,北朝鮮が建国されたのは1948年9月9日であった。これは,韓国が同年8月15日にさきだって大韓民国政府樹立を宣言したのを受けて,あわてて追応した措置であった。

 補注2)こういう理屈をチャンチャラおかしいというのではないか。ここでは「北朝鮮」という国名に括弧も付けず使用した朴 龍浩自身が,筆の運びかたにおいて,ずいぶん〈不思議な姿勢〉を披露している。

 第2次大戦後,北朝鮮の第1代めの最高指導者金 日成は,北〔朝鮮〕側による韓国の政治的な統一をめざし,1950年6月25日,南〔韓国〕に武力侵攻した。この戦争の「歴史を回顧すれば」ただちに分かるように,北朝鮮が実際に韓国に侵略して起こした「朝鮮戦争」(韓国でいう「韓国動乱」)を反省する気持など,いまも朝鮮側にはさらさらない。

 さらに,その息子:金 正日がいまもなおつづいて独裁する国家:北朝鮮の「公民」であることを自他ともに認めて止まない,それも日本に存立する「朝鮮学校」の「教諭」が,そのような理屈をこねくりまわすのは聞き苦しい。「懸命に学ぶ若者たちの学習環境は,政治や外交とは別の問題であるべき」などというのも,現実にはありえない空想の教育観である。朴主任は「朝鮮学校の歴史」をなにもしらないのか? それをいちばんよくしっているはずの人間が,しらないとシラをきって,ものをいっている。

 朝鮮籍の人びとは,日本の敗戦以降において祖国とみなした「北朝鮮」を熱烈に支持してきたのではないか? その祖国が政治経済的に連続して失敗・過誤ばかり犯す歴史を反省も悔悟もすることもなく,いきなり「北朝鮮との関係のみならず,韓国や日本との関係を念頭に,分断を乗り超えるために学ぶことが大切だと考えます」というのは,まことに奇妙,単に相当にお手軽な「便法的な提唱」である。

 以上に引用した朝鮮学校の朴 龍浩学年主任の主張・訴えは,議論の展開に浮かんできた「論旨の表層そのもの」における理屈そのものは,けっして間違いじたいは含まれていないとも解釈できる。だからといって,その論旨が日本社会あるいは朝鮮〔韓〕半島の政治情勢のなかで,いったいどこまで正当性や妥当性をもちうるかと問われる段になると,きわめてもろい。

 朴 龍浩は「日本の学校教育法にもとづき」という風にも言及していた。そうであるならば,なによりも朝鮮学校も一日も早く「1条校の認定」が受けられるように努力すればよいのである。在日韓国系の〈民族学校〉であっても,すでに「1条校」の認定をえているところが何校かある。

 朴の意見を聞いているかぎり,朝鮮学校における民族教育は「1条校」になったとしても,十分可能であるかのように思える。故国の独裁者を無条件で賛美する教育理念の発揚に気をとられるようでは,日本の教育制度のなかでは1条校になれない。

 日弁連の調査報告書(1997年)は,朝鮮学校を「1条校と同等の処遇をすべきだ」と日本政府に勧告したというが,それならば朝鮮学校はただちに,各種学校ではなく「1条校」に少しでも近づくための努力をしたうえで,その存続を図るべきである。

 もっとも現時点:2020年度になって朝鮮学校の生徒・学生数はだいぶ減少している。朝鮮総連側はその数字・統計を絶対に外部向けには公開しない。きっと,内部的にはなにかとてもまずい事情が,それも盛りだくさんにあるものと推察される。

 朝鮮大学校の在校生が激減 … 最盛期の4割の600人  北の兵器開発を学校ぐるみで支援」『産経ニュース』2016.4.11  05:30 更新,https://www.sankei.com/politics/news/160410/plt1604100008-n1.html は,4年4ヵ月前の報道であったが,こう述べていた。

 関係者によると,昭和31〔1956〕年に開校した朝鮮大学校は民族教育の最高学府と位置づけられ,朝鮮総連幹部職員や朝鮮学校教員を養成。当初,60人余りでスタートした在校生は平成〔1989年〕に入ると1500人台まで増えた。

 

 ところが,核・ミサイルによる軍事的挑発を繰り返す北朝鮮への盲従を強いたり,総連の弱体化で傘下組織への就職が困難になったりしたことから受験生が激減。平成27〔2015〕年度の定員は1220人だったが,実際は約600人しか集まらなかった。

 

 教職員数も減少の一途をたどり,財政難が影響して平均月給は約10万円にまで減っている。同大と朝鮮総連産経新聞の取材に対し「内部事情は話せない」などとしている。

 

 ※ 解  説 ※ 朝鮮大学校は昭和31〔1956〕年に創設され,同34〔1959〕年に現在の東京都小平市に移転。政治経済,文学歴史,理工など8学部や研究所を備える。文部科学省所管の大学ではなく,東京都が認可する各種学校。張 炳泰(チャン・ビョンテ)学長は,北朝鮮の国会議員にあたる最高人民会議代議員も兼ねる。前段の説明のように現在は,深刻な先細りの状況に追いこまれている。

 

  朴 龍浩の発言:「民族学校にも受験資格を!」(2003年3月17日)

 朴 龍浩は,2003年3月17日に開催されたある集会〔「民族学校にも受験資格を!」日朝学生有志による院内集会,場所:衆議院第二議員会館〕で発言していた。その要旨が紹介されているので,これをこの ② に紹介しておく。

 注記)http://www.jca.apc.org/~itagaki/niccho/index.html  参照(現在は削除状態にあり,参照不可)。この代わりに,http://60.43.217.162/j-2003/j05/0305j0619-00001.htm が,同じ立場からの意見をとりあげ報じていた。その元記事は『朝鮮新報』の2003年6月19日。

 いまも在日朝鮮人にとってきびしい時代だが,いまよりもっときびしい時代に民族教育を支えてきた人たちがいたからいま,私がここで発言できるということを忘れたくない。教育目的・生徒たちの近況・経済状況の3点について述べたい。

 朝鮮学校中高級部の教育目的は,「日本の学校教育法にもとづき,朝鮮人師弟に中級および高級の普通教育を施し,あわせて朝鮮人として必要な教養を涵養することを目的としている」と共通学則で定められている。これは,1条校と同等の処遇をすべきだと日本政府に勧告した1997年の日弁連の調査報告書でも明らかになっている。

 補注)繰りかえしになるが,ならば「1条校」に格上げするよう最善の努力をすればよい。

 つぎに近況だが,本校では今月の2日に第53回目の卒業式があった。288人が卒業したが,そのうち今年は立教,法政,上智,中央,東京農大,駒沢,東海,神田外大,明治学院大学などに合格している。過剰な北朝鮮報道が渦巻くなかで子どもたちが民族の誇りを守っていけるのか,みずからを卑下することなくおごることもなく胸を張って生きていけるのかどうか,日本社会は寛容に子どもたちを受けれてくれるのかなどの不安もあるが,卒業生たちが誇りを持って生きていってくれると確信している。

 補注)日本の大学はいま「冬の時代」になる。だいぶ以前であれば入学資格をうるさくいっていたが,もはやそのようなぜいたくはいっていられない時期である。いまとなってみれば,大学への進学実績は,とりたてて強説するほどの中身でもあるまい。

 しかし今回の文科省の方針が卒業間近に出て,不安を感じているのも事実だ。もともと目にみえないハンデが多いなかで,今回のような目にみえる制度的差別で子どもたちの心の痛みを助長するとは,なんなのか。去〔2002〕年の秋,日朝国交正常化を誓い,在日朝鮮人の地位改善問題をうたった平壌宣言に署名した現政権においてこのような決定が採択されるということはどのようなことなのか。

 補注)ここの記述は,小泉純一郎の訪朝に触れている。そのさい,金 正日が拉致問題に関する告白をしたせいで,日朝関係が一挙にさらに悪化した。この点にふれないで「日朝国交正常化を誓い」といわれた点だけを前面に出して強調するのは,歴史認識に関して甘さ:脇の甘さを残している。

 最後に経済状況だが,一般的に学校数1000人規模の高校だったら,年間の運営費は8億円ほどだといわれている。隣接した帝京高校も本校と同規模でその程度だというが,帝京には国からの私学助成が3億円出る。

 各種学校扱いの本校には,都からの外国人学校補助として900万円(学生1人当たり年間1万5000円)。平成11〔2003〕年度の都立高校学生1人当たりの運営経費は約106万円でそのうち公費による負担は約95万円。

 私立の1人当たりの運営経費は約95万円で公費負担が約36万円。繰り返すが本校の場合の公費負担分は1万5千円で,都立の64分の1( 1. 6%),私立の24分の1( 4. 2%)水準に過ぎない。

 補注)最近の関連する情報に触れておくと,文科省ホームページに掲載されている「高校生等への修学支援-高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧」,つまり,「高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則第1条第1項第4号イ及びロの規定に基づき、文部科学大臣が指定する各種学校及び団体をお知らせします。(平成30〔2018〕年3月6日現在)」には,朝鮮学校の「高級学校」は挙げられていない。

 日本の国民と同じように納税義務を履行しているにもかかわらず,朝鮮学校には還元されていない。これは差別だといえよう。現在,本校では保護者,卒業生の寄付で1億円を集め,改修工事をしている。保護者には多大な経済的負担,生徒たちには肉体的・精神的負担が多々ある。

 目にみえる制度的差別が目にみえない心の差別を助長している。朝鮮学校は異国の地で異国の地で生まれた2世,3世たちに民族の言語と歴史を学ばせ,民族性を育むところ。僕も去年子どもができた。4世だが,この子が大きくなったときのためにも朝鮮学校を守り,発展させていきたい。
 注記)http://www.jca.apc.org/~itagaki/niccho/pakyongho.htm

 北朝鮮は1950年代後半から朝鮮学校に対し,総額で約460億円(2010年2月現在まで)の資金提供(送金)をおこなってきた。2009年にも約2億円の「教育援助金」を送金しているが,いまでは,このわずかな「援助金(※)がすべての朝鮮学校に対して平等に分配されておらず,朝鮮学校関係者の間では不満が募っている」ともいわれる。

 注記)http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮学校

 前段の(※)にもう頼れなくなった朝鮮学校は,従来それほど重視しなくともよかった日本国内において,学校経営の財源を血眼になって探しもとめている。以前であれば,関心を向けることもなかった「日本国:公費」への期待が,そうした事情の変質にともない,非常に大きくなった。「背に腹は代えられぬ」。

 ちなみに,朝鮮総聯系の人士の立場で,朝鮮学校に資金面での支援を直接的に実行しうる商工関係の個人・組織は,21世紀の現段階を迎えるまえに壊滅状態になっていた。いずれにせよ,朴 龍浩が披露していたごとき終始一貫して「省みて他をいう」ような論法は,朝鮮総聯の関係機関の人士の発言においては,ひときわめだつ,それも厚かましくも恥ずかしい一大特徴であった。

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