原発なしでも電力生産が可能になっている日本,原発を支持するだけの大手関連労働組合の難点,いまだに原発比率「22~20%」にこだわる経営学者橘川武郎の立場が不可解である理由など

 原発廃絶問題と「原子力村構成員的な大手企業労働組合」の原発維持的な立場の不可思議,労働者の立場よりも大企業従業員である利害を最優先させる鵺的労働組合は世の中に必要か

 それがメンバーシップ型雇用(日本型経営:人事労務管理方式)のもたらす労働組合のありかたの必然的な選択だとすれば,単なる財界原発推進派の腰巾着的な存在意義しかない

 経営学橘川武郎の見解には煮えきらない原発「観」が控えており,原発問題を短期的な関心でのみ評価するのではなく,長期的な視野でも議論すべきところを,そうではなくて,経営学者が大手電力会社の経営者になり変わったかのような議論しかしてこなかったのでは,どっちつかずの疑似的な「公正・中立の学問的立場」を意味する

 

  要点:1 2011年「3・11」以後の体験によって,原発ゼロを実体験してきた日本のエネルギー問題のあり方を生かせない経営学橘川武郎

  要点:2 大企業のとくに企業内労働組合は,自社の原発関連事業が業績に与える貢献を,経営者側と同じ会社「観」で引きつけてだけ評価しており,原発維持・推進に賛成するという時代錯誤の労組思想に拘泥している


 「〈社説〉野党の合流『元のさや』超える姿を」朝日新聞』2020年8月21日朝刊から

 安倍政権に不満はあるが,さりとて野党は力不足で心もとない。そんな国民の心を引き寄せることができるか,真価が問われるのはこれからである。

 立憲民主党(89人)と国民民主党(62人)による昨年来の合流協議がようやく決着した。両党を解党し,新党を結成する。玉木雄一郎代表ら国民の一部は参加を見送るが,無所属議員を含め衆参で150人規模の野党が生まれることになる。

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 ただ,前回衆院選でバラバラになった旧民進党勢力が,3年を経て「元のさや」に収まった印象は否めない。民進党の前身である民主党は,国民の高い支持で政権交代を実現しながら,政治主導の空回りや内紛で自壊した。信頼を取り戻すのは容易ではないと覚悟すべきだ。

 新党の綱領案は,基本理念の冒頭に「立憲主義と熟議を重んずる民主政治」をかかげた。政策の基本方針としては,ジェンダー平等や原発ゼロ社会,格差の解消,健全な日米同盟と「開かれた国益」の追求,公文書管理と情報公開の徹底などを盛りこんだ。自公政権との対立軸に十分なりうるものだが,課題は,こうした理念や方針を,いかに具体的な政策に落としこみ,実現するかである。

 綱領案は両党の幹事長,政調会長が2週間でまとめた。国民内では,電力総連など産業別労働組合出身議員の間で「原発ゼロ」への反発が根強い。合流を急いだ結果,足並みの乱れが露呈するようでは本末転倒だ。(後略)(引用終わり)

 この社説に言及されている「野党の合流」話そのものについて,ここで直接語ることはしないが,原発の問題に関してみると,現在の立憲民主党と国民民主党では,そのエネルギー観「理解」に基本的な違いがあった。「電力総連など産業別労働組合出身議員のあいだで〔は〕「原発ゼロ」への反発が根強い」とはいうものの,基本的にその主な加盟単位である各大手電力会社の労組・組合員たちの立場だとしたら,なんということはない。自分たちの会社のためになる「原発廃絶反対」に固執しているに過ぎない。

 電力会社各労働組合が集まって組織している上部の「産業別労働組合」だといっても,しょせん,電力産業を構成する有力な電力会社の,いわば産業社会のなかでのエリート社員たちが,まるで全員経営者「論」の企業イデオロギーを大事に抱いているかのように,それも反「脱原発の利害関係」にひどくこだわったかっこうで,「支持政党におけるエネルギー政策の立場」を支持してきた。

 彼ら=エリート社員たちは「従業員:労働者としての立場」から,あるいはそれを超えて「市民生活者としての立場」から,原発問題をどのように考えているのかという肝心な論点は,ただ「ウチの会社が原発事業を積極的に促進できないで業績が悪化したら」「自分たちの賃金・労働条件も低下する」から困る・嫌だ,それゆえ原発廃絶に反対だという理屈であり,つまりは目先の利害に執心している。たしかに誰であっても彼らの立場であったならば,そのように考えるはずである。

 だが,「3・11」以後,日本の原発が完全に停止した,いいかえると稼働する原発が1基もない期間が2年ほどあった。この期間,もちろん,各電力会社はその分,きびしい経営状態を余儀なくされていた。だが,潰れた会社はなかった。それ以前までは,地域独占・総括原価方式・送配電施設の独占などが完全に保証されてきた「大手電力会社の経営環境」にとっては,そうした〈試練〉が遭わされていたからといって,会社の存続が危ぶまれる決定的な瀬戸際まで追いこまれたのではなかった。

 ここでは,原発の利用によって地球環境問題の改善に寄与できるのだといいたがる,いわば,大いにかつオオゲサに主張されてきた “特定の偽善的な問題” を考えてみたい。

 

 原発が全停止した日本,しかし炭素排出量は増加せず:米政府の調査結果」『WIRED』2016.09.14 WED 12:50,https://wired.jp/2016/09/14/japans-lurch-away/

 日本は〔2011年3月11日の〕福島原発事故以後,2年近くにわたってすべての原発を稼働停止させていた時期があったけれども,節電などの効果により炭素排出量は増加しなかった,という調査結果を米国エネルギー省が発表した。

 --〔東京電力〕福島第1原子力発電所でのメルトダウン発生後,日本ではすべての原発の稼働が順次停止された。ほかの原発を検査し,より厳格な安全基準を設定するためだ。2015年8月から一部の原発が稼働を再開したが,日本はそれまで,2013年9月以来,2年近くにわたってすべての原発を稼働停止させていた。

 日本が事故前までその電気の4の1以上を原子力に依存してきたことを考えれば,原発をすべて停止したことで炭素放出量は劇的に増加したと予想されるだろう。しかし,そうはならなかった。

 補注)本ブログ2020年8月19日の記述は,「原発は脱炭素の有力手段であり,自給率にも貢献する」などと〈大見得〉を切っていたものの,いまどきとなれば,すでに常識といっていい「原発不要の潮流にもめげず,必死になって原子力利用を説く」「東京工業大学特命教授柏木孝夫」の見解を,「理不尽な見当違い」をおこないつつも「意図的な不徹底」な議論をするものだと,批判・排斥していた。

 ところが,本日のここに引用している議論は,柏木孝夫のその見解が根拠のない空論であった事実を,しかも日本の場合として指摘したとなれば,柏木はかなり恥ずかしい議論を堂々とぶち上げていたことになる。

〔記事に戻る→〕 米国エネルギー省エネルギー部(EIA)がこのほど発表した調査結果によると,日本では石炭の使用量は増加したものの,その増加率は10パーセントを超えていない。徹底した節電により,日本の電気の総使用量は,それまでの水準を下回った。

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 上のグラフをみると,福島原発で事故が発生する前から,原子力は日本の電源構成において減少傾向にあり,一部が天然ガスや石油で置き換えられつつあったことが分かる。グラフによると,その傾向はその後も続いている。

 原発事故後の節電努力により,日本の電気使用量はペタワット(1千兆ワット)時を下回った。さらなる努力によって,電気使用量の減少傾向は現在も続いている。(引用終わり)

 ところが,日本の経済産業省資源エネルギー庁の「平成30年度(2018年度)エネルギー需給実績の取りまとめ」(速報)は,つぎのように報告しており,以上のアメリカ政府の調査結果とは真逆の認識を示していた。

 いったい,アメリカと日本の関係当局のうち,どちらが事実に反したウソを語っているのかといえば,答えは簡単に理解できる。まだ ② の記述中であるが,途中にこちらの資源エネルギー庁の報告を入れて紹介しておく。批判的に読むしかないが。

 1.エネルギー需給実績(速報)のポイント

 

 (1)  需要動向

 最終エネルギー消費は前年度比 2.9%減。うち石油は同 4.1%減,電力と石炭は同 2.0%減,都市ガスは同 1.7%減,熱は同 1.1%減であった。

 家庭部門は,暖冬の影響から,厳冬であった2017年度に比べて大幅に減少。企業・事業所他部門は,経済活動が緩やかに拡大したが,鉄鋼やエチレンの生産量の減少や省エネの進展等により減少。

 

  ☆ 最終消費を部門別にみると,企業・事業所他が同 2.3%減(うち製造業は同 2.4%減),運輸が 1.2%減,家庭が同 7.8%減と,主要全部門で減少。

 

  ☆ 電力消費は,家庭は同 4.6%減,企業・事業所他は同 1.0%減。

 補注)この速報にはいろいろと図表も提示されているが,より具体的にこまかくはじかに参照してもらうことに,ここではつぎの表を挙げておく。

 

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 (2)  供給動向

 一次エネルギー国内供給は,前年度比 1.9%減。化石燃料は5年連続で減少する一方,再エネ及び原子力などの非化石燃料は6年連続で増加。

 補注)この「再エネ及び原子力など非化石燃料」という不当な混ぜ方になる並置は問題である。原子力の燃料棒は「準国産品」だといいぬけたうえでの,この勝手な解釈であった。

 また,「再エネ」といっしょに「原子力」を肩を並べさせるかのような関係づけも,大間違いの分類であった。物理・化学的に性質のまったく異なるこの2つの電源を,このように同じ範疇のなかに属させるのは,誤導を当初から意図しているしか受けとりようがない。

 

   一次供給のシェアは,発電で再エネ普及と原発再稼働が進み,再エネ(未活用エネ含む)と原子力は各前年度比 0.6%p増,1.4%p増。一方,石油は最終消費,天然ガスは発電用を中心に減少し,各同1.4%p減,同0.6%p減。石炭は,量は減少もシェアは横ばい。発電電力量は前年度比 1.3%減(1兆471億kWh)。非化石電源の割合は23.1%(前年度比 4.0%ポイント増)。


   発電電力量の構成は,再エネが16.9%(前年度比 0.9%p増),原子力が 6.2%(同 3.1%p増),火力が76.9%(同 4.0%p減)。エネルギー自給率は,前年度比 2.3%p増の11.8%(IEAベース)。

 補注)ここで「p」とはポイントのことか? 次段ではポイントとも表現しているゆえ,わざわざ不可解な不統一の表記をしているのか。

  

 (3)  CO2 排出動向

 エネルギー起源CO2 排出量は,前年度比 4.5%減と5年連続減少し10.6億トンで,2013年度比14.2%減。電力のCO2 原単位は,前年度比 4.8%改善し,0.49kg - CO2/kWh。

 

   CO2 は東日本大震災後の原発稼働停止等の影響で2013年度まで4年連続で増加したが,その後の需要減,再エネ普及や原発再稼働による電力低炭素化等により,減少傾向。
 補注)ここでいう「原発再稼働による電力低炭素化」は,アメリカ政府のさきの報告にしたがえば,「原発再稼働」⇒「電力低炭素化」ではなく,その根拠にはなっていなかった。

 

   部門別では,企業・事業所他が前年度比 4.2%減,家庭が同11.1%減,運輸が同 1.4%減。

 (注) 本資料においてエネルギー量は,エネルギー単位(ジュール)を使用。原油換算klに換算する場合は,本資料に掲載されているpj(ペタジュール:10の15乗ジュール)の数字に0.0258 を乗じると原油換算百万kl。(原油換算:原油1リットル= 9,250kcal= 38.7MJ。1MJ = 0.0258リットル。)

〔② の記事に戻る→〕 石油使用量は増加しているが,予想されたほどではない。石炭の使用量の増加は8%,液化天然ガスは9%だ。これらによって,原発事故前に始まっていた「石油使用量の拡大」は減速された(なお,EIAの資料は,2011~14年の間に液化天然ガスの価格は37パーセント,石炭の価格は19パーセント下がったにもかかわらず,日本の電気料金は2パーセントしか下がっていないとも指摘している)。

 補注)当時,石油の価格が高くなっており,電力会社側は火力発電の燃料費調達にはコスト的にたいそう苦労していると,プロパガンダ的に喧伝されていた事実が忘れられない。

 水力発電を除いた再生可能エネルギーによる発電は,事故時と比べて2倍以上に増えている。水力発電所と合わせると,その発電量は石油を超えている。これらすべてが最終的に示すのは,炭素排出量にそれほどの変化はなく,日本の排出量が最大となった2007年を超えてはいないということだ。

 今後,各原発が稼働を再開したら,日本の排出量は大幅に減少しはじめると考えられるため(原発と排出量の関係には異論もある),再生可能エネルギーの拡大と全体的な節電が今後も続けば,日本の排出量の減少は加速するに違いない。

 補注)ここでも「原発と排出量の関係には異論もある」と断わられている。原発炭酸ガスの排出を増やさない・減らすのだという立論は,どこまでも「石油の第2次製品である原発」の技術的な本質を完全に除外しえた話題であった。原発が稼働中にあっては,炭酸ガスを全然出さないというのは,単なる想定話であった。

 これは必須事項でもある。日本はその炭素排出量を,最近のピークである2013年のレヴェルから,2030年までに大幅に(26パーセント)減らすことを約束しているからだ。(引用終わり)

 この「2030年までに大幅に(26パーセント)減らすことを約束している」という点は,鳩山由紀夫民主党首相が2009年,「2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減する」と国際公約した事実を指している。これを理由に当時,日本政府は,原子力発電の比率を50%以上にまで高めていくエネルギー基本計画を立てていた。ところが,東電福島第1原発事故が発生したあとは,「2030年代までに原発の比率は22~20%に設定する」という方針を打ち出していた。

 最初の話題に戻る。原発の廃絶問題,これに対面させられている「原子力村」の副(サブ)構成員的な大手企業の労働組合は,「原発維持的な立場」を採っているわけである。だが,この立場は不可思議な方向を向いていると形容されるほかない「労働者(階級・集団:生活側)の立場」であった。というよりは,「大企業従業員である利害」を最優先させるエセ労働組合の立場なのか,などと書いてみたほうがよい論点が示唆されている。

 一言でいってしまえば,大企業体制のなかでの労働者階級(階層としての社会集団)は,しょせんエリート社員である立場の利害状況をめぐっていえば,「原発問題」に立ち向かう基本姿勢は,ともかく自社のそれに埋没的に同一化していた。

 それこそ,労働組合の基本的なあり方(形態と機能)に関して,よりまともに考えたい立場から観たら,会社組合(カンパニー・ユニオン)にしか映らないのが日本の企業内組合である。いくら産業別労働組合の次元にまたがって組織化されたかたちでもって,各会社の労働運動はおこなわれているといったところで,その個別の会社内・志向的な基本姿勢はいかんともしがたい。

 つまり,「本来の労働組合」という理解・概念からは外れる日本的労働組合のありようが,そこにはあますところなく露呈されている。

 

  橘川武郎原発維持「観」

 『日本経済新聞』の記事,編集委員の滝 順一「〈科学記者の目〉原子力を忘れていないか,石炭火力削減方針の陰で」nikkei.com 2020年7月14日 2:00,https://r.nikkei.com/article/DGXMZO61276640Y0A700C2000000?s=5 が,こう解説していた。

 --総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会が〔2020年〕7月1日,およそ10カ月ぶりに開かれた。エネルギー基本計画の改定作業を来年に控え「大きな視座から議論をする」と分科会長の白石 隆・熊本県立大学理事長は話した。新型コロナウイルス感染症に伴うエネルギー情勢の変化が大テーマだが,委員からは原子力発電の行きづまり打開を求める声が相次いだ。

 補注)白石 隆は原発関連の問題を研究する専門家ではない。

 傍聴して印象的だったのは,原子力に関する資源エネルギー庁の事務局と委員のあいだの「熱量」の差だ。事務局説明では原子力について「2030年度で電源構成の20~22%を占める」とした現行基本計画の目標などにさらりと触れるにとどまったが,委員からは再稼働やリプレース(建て替え)を求める声がつぎつぎに出た。それはあたかも「原子力を忘れるな」といっているかのようだった。

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 補注)この記事がかかげていた図表2点を上に引用しておくが,経産省資源エネルギー庁はいまでは「原発不利(技術経済的な本質に関する基本認識)」を覚悟しているがゆえに,このようにしか応答できなくなっている。

 世界のなかで現有する原発の発電能力を2年間もゼロに「しえた時期を体験した(原発保有)国は日本だけであった」。関連する問題・論点が目白押しに押し寄せてくるにせよ,原発不要論の必然性は,表だっては大きな声ではいえないものの,結局,資源エネルギー庁原発の絶対的な維持にこだわる立場を,実質的には撤回している。

 その事実を踏まえて考えるに,そうした資源エネルギー庁の「2030年度で電源構成の20~22%を占める」と固執してきたはずの立場は,いまや「風前の灯火」化しているのである。世界中の国々のなかでは専制的な独裁国,とくに中国やロシア,そのほかの発展途上国原発を導入したいという希望・期待を置けば,先進国で原発をこれからも大いに新増設(代替も含めて)するという計画・展望を明示しているところはない。

〔記事に戻る→〕 口火を切ったのは橘川武郎国際大学教授。「20~22%は達成不可能だ。原発のリプレースが出てくるようちゃんと議論をしなくてはならない」と述べた。

 補注)橘川武郎は老朽化し,これから順次廃炉を迎えていく原発に関して,その電源構成比率全体に占めるべき「20~22%」を維持するためには,その「リプレース」が必要だと主張している。これは橘川の持論であった。

 だが,橘川の原発問題に対する基本的な姿勢は,東電福島第1原発事故の後始末問題や,これ以上にさらに,全原発廃炉工程にまつわってすでに発生している諸困難を,経営学者の立場から,つまり「経済計算をする採算問題」に即して徹底的に議論していない。また,原発事故によって日本の国土のみならず地球全体に与えている被害も考慮に入れた議論は,正面からおこなっていない。

 宇沢弘文うざわ・ひろぶみ,1928-2014年,鳥取県生まれ,経済学者。東京大学理学部数学科卒,シカゴ大学東京大学などで教鞭をとった)というノーベル賞をもらうべき資格が十二分にもっていたと,そのように非常に高く評価される経済学者がいた。アメリカでの教員生活を止めて日本に帰国して活躍したあとも,この経済学者は,半世紀も前に自動車の問題を深刻な経済社会現象としてとりあげ,分析していた。

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 付記)『追悼孤高の大経済学者・宇沢弘文週刊東洋経済eビジネス新書No.87,オンデマンド (ペーパーバック),2018年5月1日。

 1960年代の日本ではすでに,自動車の普及とともに交通事故が激増していた。年間事故死者数が頂点になったの1970年であったが,その数1万6000人(2019年では3215人まで減少)を超えるに至っており,「交通戦争」として社会問題になった。

 宇沢が1974年に刊行した『自動車の社会的費用』岩波新書は,交通事故による人的損失や公害,道路の建設維持コストなどを多角的に分析した名著で,いまなお版を重ねている。

 国内外に数多い教え子の1人,経済学者のジョセフ・スティグリッツは,「ヒロ(宇沢氏)の話は30年後ぐらいにわかる」と評していたそうだが,自然環境への負荷にくわえてドライバーの高齢化やインフラの老朽化が社会問題となる昨今,それだけ射程の長いテーマと向き合っていたことを物語っている。

 註記)以上,「経済思想の巨人,未来へのラスト・メッセージ。『人間の経済』宇沢弘文著 792円(税込) 発売日:2017/04/17」『新潮社』https://www.shinchosha.co.jp/book/610713/  参照。

 原発の問題は,質的には自動車の公害問題とは異なる技術的な性質を有するにせよ,同時にまた,社会問題としては政治経済学的に重大かつ深刻な結果を現にもたらしてきた。原発という発電装置・機械は,これを完全に廃絶しないかぎり,これからも大事故を起こす可能性を完全に予防することは不可能である。

 この装置・機械の本来的な性格,つまり放射性物質の悪魔的な害悪性を防遏するための対策そのものは,万全だというにはとてもおぼつかない現状にある。この事態:特徴に鑑みても,原発という《悪魔の火》を「蒸気機関の燃料として電力生産に応用するという技術特性」は,人類の技術発展史上,もとより愚かな方法の選択にもとづくエネルギー獲得になっていた。

 宇沢弘文は2014年に死去したが,その3年前の3月11日に東日本大震災福島原発事故が発生していた。しかし,宇沢はその10日後に病に倒れ,長期の療養生活に入っていたので,東電福島第1原発事故に対する本格的な発言はなされていない。当時,まだ宇沢が元気だったとしたらと思うのは,本ブログ筆者だけではあるまい。

 それはともかく,橘川武郎がこだわる原発維持の見地は,宇沢弘文がもっとも大事にしつつ強調していた「社会的共通資本」や「人間の経済」という概念・理論枠組を欠落させていた。橘川は経営学者であるが,企業の社会的責任問題(CSR:corporate social responsibility)から逃げきれないという論点に関していえば,経済学者も経営学者も区別はない。同じ経済科学者の一員同士である。

 橘川武郎は,原発事故の危険性そのものに関する議論に関していえば,現実に発生してきた「スリーマイル島原発事故(1979年3月28日)⇒チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)⇒東電原発事故(2011年3月11日)」に対する詮議・討議を遠ざけたままである。問題の性質上,経営学者の立場をめぐってこの基本姿勢には重大な疑念が抱かれる。

〔ここで ③ の記事に戻る→〕 続いて豊田正和・日本エネルギー経済研究所理事長も「原子力再稼働の加速化をぜひ」と強調。再稼働のペースを事実上決めている原子力安全規制に対し「過剰な規制だ。(現状の規制は)飛ばない飛行機をつくるようなもの。安全だが用を足さない」と批判した。

 補注)この主張は核燃料を炊いて電力をえようとする原発そのものが,発電方式としては初めから不適格な装置・機械であったという,一番初めの基本条件を忘れている。アメリカであっても日本であっても,原発の導入時においては,採算の問題に懸念が抱かれていた事実は既知に属することがらであった。そもそも「原子力の平和利用」(atoms for peace)といった原発にまつわる標語からして,うさん臭かったのである。

〔記事に戻る→〕 杉本達治・福井県知事も「二酸化炭素(CO2 )排出ゼロをめざす電源構成を考えるうえで,原子力を真正面から議論する」必要があると発言した。

 補注)この種の見解を示す人たちは,根本的に「原発=CO2 排出ゼロ」といった理解じたいが非科学的な知見である事実を,完全に無視している(というか,まったくしらないでいる)。廃炉になった原発を想定してみればよいのである。

 もう電力は生産しなくなった原発廃炉工程は,どうなっているか。それは,ひたすら解体するためのエネルギーをこちらなりに費消しながら,いいかえれば炭酸ガスを出すほかない工事を,それも「当該の原発が実際に稼働できて期間」を超えて半世紀以上も継続していかないと,その廃炉としての後始末は終わらない。

 いまではその廃炉工事のほうが,原発関連事業としては儲けの上がる商売になっているが,これは皮肉な現象である。おまけに高度に汚染されたままの廃棄物も大量に残すのが,原発という発電装置・機械であった。となれば,原発のいいところはと聞かれたら,稼働しているあいだにしかなかったと答えるほかない。その後始末はどうなるのだと聞かれたとなると,「トイレのないマンション」だと応えるほかない。

〔記事に戻る→〕 ほかにも,寺島実郎日本総合研究所会長が「原子力技術基盤の空洞化が問題。人材育成などが強く問われる」とするなど,多数の委員が原子力の位置づけを明確化し,原子力事業者に長期的な投資ができる事業環境をつくる必要性について言及した。

 補注)この寺島実郎の指摘は,前段のごとき廃炉事業にかぎってならば,文句なしに妥当する。それだけのことである。

 村上千里 日本消費生活アドバイザーコンサルタント・相談員協会環境委員長だけは「原子力の信頼回復と国民的な議論」が原発再稼働の前提とし,原子力依存を高めることに否定的な意見を述べた。

 補注1)この村上千里は以前,「持続可能な開発のための教育の10年」推進会議(ESD-J)事務局長という肩書きで仕事をしていた。「持続可能な社会をつくるために,学びのあり方を変えていくESD(Education for Sustainable Development)に対して,もっとも不適な電力生産方式が原発であるとすれば,このように「原子力依存を高めることに否定的な意見を述べた」ところで,

 「原子力の信頼回復と国民的な議論」が「原発再稼働のための前提」になりうるとする考え方だとしたら,この発言がなされた舞台の性格はさておいても,不可解な点を残す。「原子力の信頼回復」のための「国民的な議論」をするというが,その前にすでに国民たちの意見ははっきり出ていたのではなかったか?

 補注2)ギャラップの世論調査は,世界のほとんどの国において,震災後には原発に反対する意見が増えていることを伝えていた。そのなかで,もっとも劇的に反原発の割合が増えたのは,ほかならぬ日本であった。

〔記事に戻る→〕  〔これら〕委員〔たち〕費の発言を受け,エネ庁の村瀬佳史・電力・ガス事業部長は「真正面から取り組んでしっかり議論していく」と型どおりの答えをした。(後略)(引用終わり)

 要は,経産省資源エネルギー庁は,表面的にはともかく,内面(水面下)では原発維持政策はもはや不可能と覚悟を決めている,としか以外,みようがない。そして,橘川武郎ができれば構想(想定)したいらしい「原発22~20%」の維持は,今後における電力総需要の低下傾向,そして分散型エネルギーによる電力の生産とその消費形態,地産地消型の再生エネルギー生産と消費が増大していくという必然的な情勢のなかでは,その思いどおりに実現することはありえず,不可能である。 

【参考記事】 もっとも,橘川武郎はこういう発言もしている。しかしまた,問題は,橘川武郎の根幹に控えている原発「観」が,いまだに不透明である点に残されている。

 

 「〈聞き手・西尾邦明〉日本の原発の終わり  『原発脳』から脱却を 橘川武郎氏」asahi.com 2020年6月9日 13時05分,https://digital.asahi.com/articles/ASN6546JJN65PLFA005.html 

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