満洲国,なかにし礼,日本国憲法,安倍晋三など

 なかにし礼日本国憲法論をめぐる考察

 日本人であって日本人ではないアジア人のような中西禮三の人生観

                   (2015年2月4日)

 

  要点:1 「21世紀のネトユヨ」的に軽薄な日本社会を「20世紀前半の満州体験」からとりあげ,語った作家・作詞家「なかにし礼」の「日本人(?)として」の苦悩

  要点:2 なかにし礼の議論から,なにを感じとり,なにを考えるべきか?

  要点:3 軽佻浮薄にさえも達していない,いまの日本の鴻毛的な超(チョウ)軽さ-一億総白痴化という既往症の再発現象-

  要点:4 テロリストには「『これから日本人に指一本触れさせない』」と〔この国の〕首相が決意表明」したとか(http://digital.asahi.com/articles/ASH236WJHH23UTFK01B.htm  2015年2月3日 22時41分),そして「(テロリストたちに)罪を償わせる」とかなどと,たいそう力んで叫んだ安倍晋三君がいた。だが,戦前・戦中の記憶を忘れたか? 現在,海外に居る日本人すべてに,そこまで完璧に保障できるのか? 演技(みせかけのパフォーマンス)はたいがいにたらよい


  なかにし礼(中西禮三)の人物紹介

 小説家・作詞家である「なかにし礼」の本名は,中西禮三〔なかにし・れいぞう〕である。1938年9月2日に旧満洲国生まれた。以下はまず,ウィキペディアを借用して人物紹介をする。筆者の寸評は青字で入れておく(行間に追加して書く 補注 のこと)

 --なかにし礼は,旧満州国牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生まれる。もと北海道小樽市に在住していた両親は,渡満して酒造業で成功を収めていた。敗戦後,満州からの引き揚げでは,家族とともになんども命の危険に遭遇し,この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。

 補注)同じ体験をした漫画家の赤塚不二夫(とこの一家)については,本ブログの,2014年03月26日「大日本帝国満洲帝国の思い出-赤塚不二夫の場合-」「【帝国の欲望のなれのはて】」で書いていた。

 なかにしは8歳の時に小樽に戻るが,兄の事業の失敗などで小学校は東京と青森で育ち,中学から東京品川区大井町に落ち着く。 

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 出所)写真は,http://takoyaki348.xsrv.jp/wp-content/uploads/2012/09/91e196b2.jpg

 東京都立九段高等学校卒業後,一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。中退と再入学と転科を経て,1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。

 その後,東京に在住。実兄は立大から学徒出陣として陸軍に入隊し,特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。

 補注)この兄が礼の人生においてひどい重荷になっていた事実(後述)は,なかにしの他著のなかでも詳細に描かれている。

 大学在学中,1963年に最初の妻と結婚する。一女を儲けたが,1966年に別居,1968年には離婚が成立している。

 元タカラジェンヌで,シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていたころ,妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇をえる。

 石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで,日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ,約1年後に作詞作曲した作品(のちの『涙と雨にぬれて』)をみずから石原プロにもちこんだ。

 それから数ヶ月後,石原プロがプロデュースした『涙と雨にぬれて』がヒットする。 1969年には,作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出,映画出演,歌,作曲,翻訳,小説・随筆の執筆や文化放送『セイ!  ヤング』パーソナリティ,NHK『N響アワー』レギュラーなども務める。

 心臓疾患,離婚,特攻隊の生き残りで戦後,鰊漁に投資した兄の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむなどの困難を抱えたこともある。1998年に『兄弟』で第119回直木賞候補となり,2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した。

 NHK連続テレビ小説てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』を始め,『赤い月』『夜盗』『さくら伝説』『戦場のニーナ』『世界は俺が回してる』などを執筆する。

 2006年2月,なかにしの全音楽作品における自身が保有する権利の約2分の1を株式会社日音に譲渡した。

 テレビ朝日系列で放送されているワイドショー『ワイド!   スクランブル』のコメンテーターを務めていたが,2012年3月5日の放送で,食道がんであることを報告。治療のため休業することを明らかにした。

 医師たちから抗がん剤放射線治療,手術という治療法の説明を受けるが,自身の心臓は長い手術や放射線治療には耐えられないと考え,インターネットを活用して陽子線療法の存在をみつける。2012年2月から6月にかけての闘病の様子は著書『生きる力 心でがんに克つ』に詳しい。闘病の結果がんを克服,同年10月に復帰。執筆,コメンテーター等の仕事も再開した。

 

  なかにし礼が語る自分の人生,その一幕

 昨日〔2015年2月3日〕『朝日新聞』夕刊の「〈連載:人生の贈りもの〉」に,「なかにし礼:2 引き揚げ列車の中,歌の力知った」が出ていた。以下にこのインタービュー記事を引照する。

 ◆ 1938年,満州の造り酒屋に生まれました。

  北海道から満州に渡った両親が,牡丹江で造り酒屋を始めて成功させました。関東軍の庇護もえて。うちは芸事の好きな家でね,長唄や歌舞伎の音楽がしょっちゅう流れてました。

  弁慶の出てくる勧進帳とかね。兄貴はタンゴを弾いたり洋楽を教えてくれたり,お袋は三味線を弾くし,おやじは謡(うたい)なんかをやって浪花節が大好きで。姉は日舞をやっててね。使用人に肩車されて中国の映画も見に行った。

 

 ◆ 満州での歌の原体験は。

  僕はある意味,日本人じゃないでしょ,日本人なんだけど。日本で育ってないから,大陸にいて歌謡曲や軍歌の実感なんてなにもないんですよ。兄貴が昭和19(1944)年に学徒出陣する前後からね,にわかに軍歌などが聞こえだしてきて。日本から来た杜氏(とうじ)たちが「誰か故郷を想(おも)わざる」などを歌って泣いてるのをみて,あなた方にとって日本とはそんなに素晴らしいのかと思ったものです。

 

 ◆ 歌謡曲にも違和感が。

  満州で聴く日本の歌謡曲は子どもにとっては単なるイリュージョン(幻想)なんですよ。現実の生活のなかに歌謡曲が生まれる素地がないんだから。僕の乳母は朝鮮人で,お付きは中国人で,朝飯はギョーザだったり麺だったり。

  家庭の味は基本的にはチャイニーズですよ。日本の料理はたまに出るけど,日本の料理だからうまいっていう意識はないじゃないですか。子どもだから。それで育ってないから思い入れもない。ふるさとの味といえば水ギョーザですよ。

  僕はここ(満州)が生まれた場所と思ってましたから,日本に憧れもなにもない。物心つくまでそうやって育った。すると突然,枕けられて「起きろー」と言われたのが〔ソ連が参戦した1945年〕8月9日ですよ。

 補注)敗戦時まで旧満洲国地域においては,日本人が170万人近い人口(軍隊も含む)を構成して暮らしていた。当時の日本の人口7千数百万人のうちそれだけの人口が〔一般の日本人は敗戦時で,約100万人が居住していた〕,中国東北に移住し生活していた。この人たちは敗戦によって日本に「引き揚げて」くる。とはいっても全員が日本に「戻れた」のではない。

 

 ◆ 1945年8月9日のソ連の対日参戦ですね。ソ連軍が満州に進攻してきました。

  7歳になる前でね。牡丹江からハルビンに脱出する軍用列車には,落ちのびていく軍人やその家族らが乗りこんでました。

  ソ連の戦闘機が,うなりを上げて急降下してくる。機銃掃射とか,この辺に落ちてくるんですよ。ババババババーって。その恐怖たるや,縮み上がるどころか,いっそ失神してしまおうかと思うぐらい。目の前で人が死んでいくわけだから。強く抱きしめすぎて,我が子を乳房で窒息死させてぼうぜんとしている母親もいました。

  そして,すし詰めの引き揚げ列車のなかで「人生の並木路」を日本人がみんなで歌い,むせび泣き,嗚咽(おえつ)するのを聞いた。歌ってこんなに力があるのかと。

 

 ◆ 古賀政男が作曲し,歌はディック・ミネ。「泣くな妹よ 妹よ泣くな/泣けば幼い 二人して/故郷を捨てた かいがない……」。親を失った兄と妹が生き抜こうとする歌です。

  歌に対する神秘感というのをもったのが,この「人生の並木路」でしたね。僕の歌謡曲の,いうなれば初体験というのかな。あれは別格の体験でした。(聞き手・副島英樹)

 補注)『人生の並木路』(作詞:佐藤惣之助,作曲:古賀政男,歌唱:ディック・ミネ)の歌詞は,以下である。

 

  (一)  泣くな妹よ 妹よ泣くな
      泣けば幼い 二人して
      故郷を棄てた かいがない

  (二)  遠いさびしい 日暮れの路を
      泣いて叱った 兄さんの
      涙の声を 忘れたか

  (三)  雪も降れ降れ 夜路のはても
      やがてかがやく あけぼのに
      わが世の春は きっと来る

  (四)  生きて行こうよ 希望に燃えて
      愛の口笛 高らかに
      この人生の 並木路 


  なかにし礼天皇日本国憲法毎日新聞社,2014年3月

 本ブログ筆者は,この「なかにしの本」が発行されてから,すぐに購入して読んでいた。つぎに紹介するアマゾンの書評のなかには,本書の「編集がよくない」という指摘があった。これには同感であり,中身に編成されている内容に一貫性がないという印象をもった。それはともかく,アマゾンの書評からつぎの2件を引用しておき,参考にしておきたい。

 a)ファシズムの死の病に冒された日本。理性よ,いまこそ目覚めよ」2014/8/5,Utah

 著者の講演聴講を契機に読了。表題の話は一部で,読後は,歌舞伎 / 能 / 狂言と巨人軍が印象に残ってしまいました。編集がよくないのが残念です。満州で敗戦をみた記憶がある最後の世代。国は人間を捨てる,との歴史にもとづいた証言は貴重だと思います。

 追加・補注)いま:今日は2020年8月23日であるが,コロナ禍の第2波の最中だと目されている。これまで,今年の初めから,安倍政権がこの新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対応してきた基本姿勢は,国民の命:健康を最優先させて絶対に守るという気概も根性も感じさせていない。東京都知事小池百合子も同断であり,いささかならず相当にイカサマ的な政治家である素性が,コロナ禍によってあらためて暴露されている。

 --小生の印象に残った点は以下です。

 ・宮崎 駿「風立ちぬ」は,ポール・ヴァレリーの詩から「日本はすでに死の病に冒されているゆえに,理性よいまこそ目覚めよ」と叫んでいる映画。ヴァレリーの「理性はめざめているとわれわれは思っているが,実はむしろ眠っている女神です」(美学についての演説)が根拠。

  補注)2015年2月現在のわれわれも,同じような精神状態:「すでに死の病に冒されている」にあるのではないか?

 ・オペラ歌手の佐藤しのぶさんは核兵器否定の歌:「リメンバー」を著者に作詞を頼んで,歌った。3・11で発売延期したが,原発事故は収拾せず,高濃度放射性汚染水を海に流しつづけている。それで2013年秋に発売した。

 ・押し付け憲法というが,1946年11月3日に天皇が捺印している。

  補注)大東亜戦争「肯定史観」・東京裁判「史観否定」を高唱する人びとに不思議な態度は,この天皇裕仁の書名・捺印(いわゆる「御名御璽」)という事実には,ほとんどといっていいくらい触れないで,ゴマカシ続けていることである。

  「押しつけ憲法」だと非難するさい,その〈押しつけ〉性を批判したいのであれば,昭和天皇の署名・捺印(もちろん大日本帝国の最高責任者のそれ)という論点を槍玉に挙げなければおかしいのであるが,音沙汰なしに等しい状態のままで,今日までも来ている。

 ・政府 / 官僚が憲法改定というのは憲法99条に違反している。

 ・秘密保護法制定は,基本的人権を無視したクーデター。数学も科学も歴史もすべてが危険思想にされてしまうだろう。

 ・能と狂言は明治時代に政府が分けたもの。それまでは両方とも,(中国 / 韓国から伝わった)猿楽という名だった。河原乞食 / アウトサイダーである自由な賤民のもの。狂言は理性の喜劇だ。

 2012年に食道がんが発見され,複数の医師の切除勧告を振り切って,陽子線治療を採り,完治した著者。死を目の前にして,戦争を経験した第一世代として大事なことを声に出していく勇気/覚悟がおできになったのだと思います。

 b)「現政権への激しい怒りを芳醇な思想で表わし,行動を呼びかける」2014/4/10,オイラー

 この本は,著者なかにし礼の,戦時に子供時代を送った文化人として多くの体験にもとづいた警世の書である。全5章,54項目の記事からなる。話題が,いずれも著者の仕事等直接かかわってきたことにもとづいているので,そこから引き出される見解については,シャープに焦点の合った心地よさを感じながら読んだ。

 もちろん,話題となっている多くのエピソードそのものも興味深く読むことができる。とりわけ,なんど度か出てくる「化外(けがい)」という言葉が心に引っかかるのだが,「国」の統治の及ばない,あるいは「世間」からはずれた者たちへのまなざしを感じて心温まる思いがする。全体を通して印象深く残るのは,著者の切羽詰まった,現政権に対する強い危機感である。

 たとえば,はじめの1章「天皇日本国憲法」中最後の項目「粉砕された民主主義」の最後尾にある文章が鋭く突き刺さってくる。「私たち日本人は2013年12月6日,同じ日本人によって「侵攻」されたのである。・・・なのになぜもっと憤怒に燃えた目を国民はみせないのか」。それは,特定秘密保護法が成立したことへの著者の見解と怒りの言葉である。この強い言葉には心揺さぶられ,穏やかではいられなくなる。

 付記になるが,冒頭に挙げた著者の「国民」に向けられた苛立ちについては,たまたま今日(2014年4月10日)付け,雁屋 哲氏のブログ『雁屋哲の今日もまた』で紹介されている伊丹万作の1946年に書かれた文章註記)における考察とも重なる。雁屋氏の3月3日付ブログとともに,関連する参考文献として挙げておきたい。

 補注の註記)伊丹万作「戦争責任者の問題」『映画春秋』創刊号;昭和21年8月。『新装版 伊丹万作全集1』筑摩書房,1961年7月所収。

 1969年にヒットした,ザ・ゴールデンカップスの「もう一度人生を」という曲がある。とあるしりあいの高校生が当時,そのレコードを繰り返し聴いていたため,聞こえてくる私の耳にも,いつの間にかとりついていたのだが,その曲の歌詞がなかにし礼氏によるものだということを45年経たいまになって,たまたましるに至った。

 なかにし氏の歌詞によるヒット曲は,いうまでもなく数多くあるが,「もう一度人生を」は,メロディーとともに歌詞もまた私にはとりわけ印象深いものと思え,この本でしることとなったなかにし氏の想いから振り返り聴いてみても,改めて感慨深く聴くことができる。(2014.7.11)

 --以上のふたつの記述(感想文)を通して分かるのは,なかにし礼の発言や思想は,戦前・戦中から敗戦後にかけて彼が体験させられてきた波瀾万丈の人生行路,いいかえれば,否応なしに自分が歩まされてきた苦悩と絶望を克服していく過程のなかから紡ぎだされている。

 そして,なかにしは,大江健三郎の表現を借りてこう述べてもいた。「現になお天皇制が実在しているところの,この国家で,民主主義的なるものの根本的逆転が,思いがけない方向からやすやすと達成される可能性は大きいだろう」(『天皇日本国憲法』57頁)。そのとおりであるといわざるをえない。

 2015年2月〔の今日〕の時点まで,安倍晋三政権は2年を越えて権力の座を維持しつつ,この日本国を戦前・戦中よりももっと悪い国家体制に変質させつつある。その戦前・戦中よりすでに時はもう70年も重ねてきているのだから,当時と似たような国家体制を作るのであれば,現在的な地点・視点から評価していうに,過去のものよりも「もっとひどく悪いものになった」というほかない。そうに決まっている。

 補注)その後さらに「安倍1強〔凶・狂〕」の政治態勢が5年間も継続してきた。コロナ禍に襲撃されているこの日本国は,安倍晋三の失政「亡国志向の国辱為政の結果」のせいで,根元まで腐食させられてしまった。安倍は明日の2020年8月24日になれば,第2次政権を2012年12月26日に発足してからの連続在任日数が2799日に達し,伯父の佐藤栄作のそれを抜いて歴代第1位になる。

 だが,この歴任期間中において彼が確かになしとげたとみなせる業績はなにもなく,むしろ日本の政治を堕落・腐敗させ,経済を衰退・弱体化させただけであった。日本の憲政史上「最悪の総理大臣」だという不名誉な悪評は,自分の退陣をもって最終的に確定するはずである。              
             

  在満日本人と在日外国人

 1)旧満洲国出身の著名人

 なかしに礼はもともと,在日「日本人」ではない。「在外」〔出身の〕日本人である。前述に出ていた「化外」といいうなかにし流の修辞は,その意味でいわれている。

 日本人だと定義される「狭い範疇・分類」を当てはめてみれば,いわば「在日」的な存在としての日本人の1人が「なかにし礼」なのである。さきに赤塚不二夫も同類の在日「日本人」の根源(ルーツ)を有する事実に言及してあった。

 在日に対してヘイト・スピーチをしかける者たちは,日本人のなかに大勢いる,非日本人的な社会集団である「在日」日本人をも攻撃していなければ,少しも筋が通った運動をしていないことになる。ところが,〈彼ら〉にはそれらを識別できるほどの知識・情報は,もともともちあわせていない。要は,無知・無学の徒党集団であるに過ぎない。

 本(旧)ブログは,2014-01-22「在日韓国人 在日日本人,どっちがどっち?」という問いかけをする記述をおこなっていた。本ブログへの転載では,つぎの題名に代えていた。

【案  内】

 

 日本社会におけるネトウヨ的な,それもおよそ,品性とは無縁のただ下劣な放言が連発されるばかりである『サイバー空間における〈ばかの壁〉』のなかにあっては,この内部に閉塞しながらも自己満足している「在日攻撃:その種の《訴え》」は,悪いものもも・善いものも,これらのすべてが「在日」〔のせい,それが原因,それが根源〕だと断定しつづけている。それらは,みごとなまで,「迷盲のへりくつ」を露呈させている。

 なかにし礼のような「非日本人的な生まれ」の背景事情をもっている場合,敗戦後の日本社会になかに流入してきた〔とくに旧満洲国から来た〕「人びと=日本人」は,実は,常識的に「日本人だとされる概念規定」による人間理解からは,実質,遠くに隔てられた「日本人の別種としての実在」を意味していた。

 筆者の経験では,高校段階で音楽の教員が満洲国生まれ・育ちの人であったし,大学段階ではゼミの指導教授がやはり満洲国生まれ・育ちであった。前者は壮年期に入るまで満洲国で暮らしていた在外(在満)日本人。後者は年齢の関係で中学生になるころ,日本の敗戦によって日本国に移動してきた在外(在満)日本人。

 なかにし礼も含めて「彼ら」は,満洲国で日本帝国臣民としての初等教育などを受けたきたが,なにせ風土も歴史も異なった中国大陸の一部地方において生育してきた経歴(ルーツ)は,彼らの精神構造に打ち消しがたい刻印を与えていた。なかにしもみずからそのあたりの「歴史的な背景事情」を,つぎのように説明していた。

 私は旧満洲(現在の中国東北部)で生まれ,そこで8歳まで暮らし,戦後に引き揚げてきた,つまりれっきとしたよそ者である。そのよそ者意識は日本での生活のなかで日々一層強められ,それが私をも鍛えてくれた。思えば,73年間生きてきたが,私の人生は,私のこのよそ者意識がどんな表現をなしうるかという格闘の連続であった。

 

 シャンソンの訳詞から歌謡曲にいたるまで,私の書いた歌はすべてよそ者の嘆き節である。歌うという言葉は「訴ったふ」にその源があるに違いないと真剣に私は考えるものだが,私の書いた歌や小説のなかに,よそ者としてのこの世にあることの不条理を訴える思いが,通奏低音としてながれていることを,耳の良い人ならとっくに聞き分けてくれているだろう。

 

 私は「よそ者の堅義」で,現実世界を脱出し,インターネットの世界に亡命したのである。仲間意識を尊重する人にはとうていできないことであっただろう(『天皇日本国憲法』93頁)。

 すなわち,なかにしは,自分が満洲に出生し,幼児期から少年期を過ごしてきた現地の生活環境のなかに,自分自身の精神的な出自があったことを当然のこととして認めている。

 補注)戦中に公刊された関連の書物として,嶋田道彌『満洲教育史』文教社,1935年。復刻版;青史社,1982年がある。本書は在満日本人の子どもたちの教育について,こういう悩みを,結論部で告白していた。

 我々は飽くまでも児童を日本人として,大和民族として教育をしなければならない,然し満洲の土地は民族的情操国民的精神を陶冶するには余りに伝統から離れ風物を異にし過ぎている。この故に満洲を郷土教育上の郷土とする場合に於ては,常に毎に満洲の伝統,風物と内地のそれとを比較対照することによって恵まれることの少ない祖国に対する認識を深くする必要がある(914頁)。

 敗戦後になって植民地を失った日本国は,いつのまにか「純粋単一民族」国家であるかのように,とりつくろい,主張してもきた。だが,この主張は小熊英二が諸著作の究明をもっても明らかにしたように,虚偽であった。この点は,なかにし礼という実例が,日本人自身の立場からして反証する材料を提供している。

 敗戦後,日本に引き揚げたりまたは移動(移住)してきた日本人が,日本社会のなかでどのような関与をすることになったか〔より明確にいえば活躍してきたか〕は,満洲国出身の人物を枚挙してみれば判明するはずである。
 
 『満洲国生まれの著名人』をウィキペディアに聞けば,こう列挙している。「建国から消滅ま(なお,参考文献も付記されているが,ここでは割愛した)。

 赤木春恵(俳優) 赤塚不二夫(漫画家)  穐吉敏子(音楽家

 浅丘ルリ子(俳優)  あまんきみこ童話作家)  池田満寿夫(画家)

 石子 順(漫画家)  稲川 誠(野球選手)  岩見隆夫(政治評論家)

 

 上田トシコ(漫画家) 梅宮辰夫(俳優) 大田満男(元大蔵官僚)

 大塚勇三(翻訳家・児童文学者) 小澤征爾(音楽家) 加藤登紀子(音楽家

 川谷拓三(俳優) 北見けんいち(漫画家) 草野 仁(アナウンサー)

 

 沢村 忠(キックボクサー) ジェームス三木(脚本家) 鈴木瑞穂(俳優・声優)

 高井研一郎(漫画家) 田勢康弘(ジャーナリスト) ちばあきお(漫画家)

 ちばてつや(漫画家) 富山 敬(俳優・声優) 中真千子(俳優)

 

 なかにし礼(小説家) 七三太朗(漫画家) 根岸英一(化学者)

 橋 達也(芸人) 板東英二(野球選手・タレント) 広岡球志(漫画家)

 藤野義昭(弁護士・政治活動家) 藤原正彦(数学者)

 

 冬柴鐵三(政治家) 古谷三敏(漫画家) 松岡満寿男(政治家)

 松島トモ子(俳優) 水野忠夫(文学者) 宮尾すすむ(俳優)

 森田拳次(漫画家) 矢ノ浦国満(野球選手)

 

 矢追純一疑似科学作家・UFOディレクター) 山内ジョージ(漫画家)

 山崎 拓(政治家) 山下典子(エッセイスト) 横内 正(俳優)

 横山孝雄(漫画家) 渡辺有一(絵本作家)

  2)在日外国人の存在-なかにし礼の苦労に比較する-

 こうした姓名の一覧をみてどう感じるかは,人によりさまざまでありうる。これらの人びとにくわえて,敗戦後の日本には一定の事情があって,そのまま居残っていた一群人びとがいた。それは,人口として60万近くもの「在日朝鮮人」〔現在的にいえば在日韓国人〕,すなわち,旧大日本帝国臣民として「内地」において,いわば「遺産相続された人的資源」を意味する「彼ら」であった。

 ここまで来ると,21世紀にもなってからというもの,在日「外国人」としての「隠れ在日」韓国人捜しに精を出し,ムキになる一部の「在日日本人」がいる事実に触れざるをえない。

 いまの日本国内において在留する諸外国人のうち,戦前・戦中から続けて日本〔本土地域〕に住みつづけてきた「在日」たちは,ある意味においてなどというまでもなく,「日本生まれ・育ちの外国人」としては,「旧満洲国生まれ・育ちの日本人」よりもはるかに「日本人的たる資質・資格」を根本からして,しかも優位にもっていた。この指摘は自明であって反論できる者はいない。

 そこでであるが,いまの日本社会においてネトウヨ的に捜索しつつ,その発見に向けて必死に努力しているつもりなのが,とくに芸能人やスポーツ界のアスリートなど著名人のなかから「在日出身者を嗅ぎ出して」は,これを暴露(!)しては喜んでいる(?)かのような,実に奇妙に映る社会現象が,いつまでも繰りひろげられている。

 テレビに毎日登場する芸能人のなかに,いかほど在日が存在〔潜在?〕するのか? 同じ黄色人種のせいか,なかなか発見(発掘)しにくい。そうであるからこそなのか,その在日の探索に大いに興味を感じる者が多くいる。しかし,和田アキ子〔など大勢いる芸能人などが〕の出自が在日だからといって,いまどきなんの意味があるのかが理解しにくい。 

 しかし,そのたぐいの安っぽい探偵ごっこを堪能しているつもりの在日日本人は,なかにし礼が,さらにこう述べている歴史の事実をしらない。これは,満洲から引き揚げてきた日本人同士での話題である。

 日本へ帰ってきてからの,筆舌につくしがたい苦難と努力,幸運にも大会社のトップに上りつめるまでの艱難辛苦をみな理解しあっている。

 

 中華料理を食しつつ談笑しているが,自分たちの背後には,満洲大陸の土となって死んでいった同胞やその子どもたち,また日本に帰れぬまま亡くなった,いまいまなお帰りたくとも帰れないでいる何十万という数の中国残留孤児たちがいることを忘れているものではない。

 

 なかにしはまた,日本国に対する満洲国出身者として,自分自身をこう断定する。「私たち満洲で敗戦と迎えたものは3度にわたり,国家によって見捨てられた。つまりは棄民されたのである」(『天皇日本国憲法』97頁,113頁)。

 主に,歌謡曲の作詞家としてなかにし礼をしっている者は,こうしたなかにしの発言を聞いて,どのように受けとめるか? (→作家としての,なかにしからは,少し異なった容貌がみえてくるが)

 ここで注意しなければならなのは,このように,なかにしが表現した「満洲国と日本帝国」の関係は,在日外国人(いわゆる特権をもっているのだなどと大誤解されている現在の「在日」の立場)の場合に適用して翻訳するとしたら,「昔の日本帝国」と「いまの日本国」の関係に類推できる。

 3)日本の戦後政治,法務省内には「人肉文化」があった(?)

 なかにしは,「昔における日本帝国の問題」が「いまにおける日本国の問題」であると論及したはずである。これと同じように,在日外国人〔=在日〕の問題は,昔の「日本帝国の問題」であるとともに,いまの「日本国の問題」でもありつづけている。

 なかにしは敗戦当時,旧満洲国居留民に対して日本政府が採った態度を,「非情を通り越してすでに殺人行為である」とまで批難していた(114頁)。なかにしがそこまで憤激に堪えないといった表現を繰り出したのには,それ相応の,歴史的な経緯や個人的な体験が背景に控えていたからである。

 さらにここで,付けくわえていわねばならないことがある。--敗戦後における日本政府の在日外国人(旧植民地出身者たち)に対する行政の姿勢は,前段において,なかにしが遭遇させられていたもの(ただしこちらで自国民に対するものであったが)と,同質のものであった。いいかえれば,それは「刑務所のなかに閉じこめられた」かのような,日常的な生活環境のなかに置かれていたものであった。

 法務省の役人が昔,在日韓国・朝鮮人に対して,こういう侮蔑的な発言をしていた。池上 努の自著『法的地位二〇〇の質問』(京文社,1965年,167頁)のなかでも文章に著わしていた文句であったが,池上のこの発言のほうがなされた時点ですでに,国会審議のなかでとりあげられ,問題になっていたのである。

 「日韓協定に基づく永住権をとれなかった者やとらなかった者の処遇は一体どうなるのか」。こういう質問に対して池上が担当する法務官僚の立場から「国際法上の原則からいうと『煮て食おうと焼いて食おうと自由』なのである」註記)と発言していた。

 註記)衆議院第61回国会「法務委員会」第25号〔議事録〕,昭和44年7月2日(水曜日)。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06107020080025a.html 参照。

 つまり,外国人は〔とはいってもアメリカ人やイギリス人のことなどではなく,もっぱら在日朝鮮人のことであったが〕は,「煮て食おうと焼いて食おうと自由なんですか。煮て食おうと焼いて食おうと自由だ,野蛮人みたいな考え方だ」という感想が当然出てくる発言を,国会の場で平然と吐いていたのである。

 4)自身が歴史に無知であるがゆえに,不幸な精神のなかに自分を埋没させる

 歴史をしらない。また学ぼうともしない。だから,また懲りずに歴史を過つ。いまの日本国で悲しいのは「ネトウヨレベルの政治感覚」「子どもレベルの歴史認識」しかもちわせない政治家が,最高責任者の立場に就いていることである。

 端的にいえばその政治家は「従軍慰安婦問題」をなかったことにしたい,そう観念しておきたいのである。しかし,この歴史認識はあまりにもバカからしくも愚かな発想を意味しており,まさしく歴史を直視しない者に特有の無知と無恥を表現していた。

 ここでは,金 一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房,1976年)を挙げておく。やはり,アマゾンの書評(ここに言及するのは以下の1件しか書評は投稿されていないが)は,つぎのように,ただ〈罵倒するだけの評価〉を表現に露出していた。だが,断わっておくべきは,この評者がムキになって否定しながらとりあげているくだりは,実際にあった事実であったことである。

 在日朝鮮人作家・金 一勉によって1976年に出版された。その内容といえば,日本を口汚くののしっており,読むに耐えない。日本の歴史を悪意をもって解釈し,すべてネガティブにいいかえたものになっている。

 補注)従軍慰安婦の問題はもとより,この歴史問題じたいがとことん,ネガティヴな歴史の一コマでしかない。ネガティヴな歴史をポジティヴに書くとすれば,いったいどうなるといいたいのか?

 本ブログの筆者には,いってみれば理解できないネガティヴな発想である。ポジティヴに従軍慰安婦問題を肯定できるというのか? そうではなく,結局,ポジティヴに(?)ただ否定したいだけではないのか。

 譬えていう。「戦争映画を観ること」=ポジティヴ,「実際に戦場にいって戦争を体験すること」=ネガティヴ。このように区分できるかのような批評であるが,「口汚くののしる」から,また「読むに耐えない」のだから,従軍慰安婦問題の歴史が存在しなかったわけではない。金 一勉がそのように書かざるをえないほどにネガティヴな歴史が,従軍慰安婦問題ではないのか?

 

 かなり感情的で学者のように客観的で冷静な事実の列挙とはいかなかった模様。しかしその分臨場感をもって迫るものがある。「特訓じゃ」といって将校が生娘に乱暴するあたりなど,まるで映画のワンシーンのよう。
 補注)このようなシーンは実は,ほかの関連文献にでもいくらでも登場する場面である。まるで映画の一幕ではなくて,昔(戦争中)はけっこう現実に起こっていたそれぞれのワンシーンなのであった。

 

 しかし,凄惨な描写があまりにも誇張されすぎているように思える。「性欲が獰猛で,駄鳥を捕まえて獣姦した」とか「日本兵は略奪した室内にクソをして去る」とか「結婚式場に立っている者を,さては夜中に寝込みを襲って縄でくくりつけてトラックに乗せる」とか。

 補注)こちらも同上である。戦争のときでなくとも,空き巣が仕事を働いたあと「クソをしていく」というのは,ときたま聞く。この点は大差ないのでは?

 

 朝鮮人業者が日本兵に媚びへつらい,軍の威光をかさに着て婦女子を人身売買していた様子を引用している。「朝鮮人が朝鮮娘をだまして操りながら戦場売春業者になって現れた」「朝鮮人をして朝鮮の婦女子をものにさせ,民族衰退へ導かせたのである」。彼らは朝鮮人同胞の裏切り者だ。

 補注)ところで,この裏切り者を生んだ大本は,もっぱら日本帝国主義の仕儀ではなかったか?

 もっとも,金 一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』については,適切な紹介もある。「『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』 金 一勉著の正しさ」(『かんごのブログ-本当の事-』2012/01/07  03:54,https://kkango.blog.fc2.com/blog-entry-195.html )という記述を参照してもらえばよい。

 さて,ここまで記述が進めば,最近話題になっている著作,朴 裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版,2014年1月)を挙げておくのが,論旨からみても適宜である。

 ちょうど,本日〔2015年2月4日〕『朝日新聞』朝刊には,「慰安婦,日韓のもつれ解くカギは『帝国の慰安婦』著者・朴 裕河さん」という紹介記事が掲載されていた。

 要するに,従軍慰安婦問題が歴史的に実在しなかったかのように思いこみたい人びとは,従軍慰安婦問題に関する基本文献にまともに接していない。それゆえ当然のこと,この問題に関連する近現代史の展開模様やこのなかでの具体的な基本知識を欠くとなれば,その本質が理解できるわけがない。

 そもそも,最初からなにも認めたくないのが従軍慰安婦問題であった。だから彼らがいつも,口汚くわめきたてて強調する理屈といえば,ひたすら否定だけするための決めつけ文句の羅列であった。なにをどういわれようとも,ともかく肯定はしたくないから,ただ相手側の議論を拒否する。それに終始する口吻(興奮)がめだっていた。

 いうなれば,とうてい「論」にはなりえないような「暴言・口撃」をもってする「錯綜の迷論」が,とくに『朝日新聞』の慰安婦誤報問題が前面に出てきた2014年後半からは,日本国内だけをわが物顔で闊歩・回遊していた。その代表格が読売新聞社産経新聞社。

 在特会が「在日特権を糾弾するという〈幻想〉」をかかげながら在日イジメに狂奔する姿は,まともな「ヤマト魂」を健全に授けられた日本人であるならば,これに追随する人などいないはずである。

 かつて,大宅壮一が「一億総白痴化」という流行語を生み出したことあったが(『週刊東京』1957年2月2日号),それから半世紀以上がたっぷり経過した現在でもなお,「白痴同然のネトウヨ的人間」が,日本社会にあっては数多く遊弋している。もちろん,その先頭には「あの人」がいた。

 いまから1年も経っていないが以前,トランプ大統領が65歳になった安倍晋三首相のことを39歳にみえると「褒めたとか,けなしたとか」とういう話題があった。この解釈のひとつとしては,つまり『日刊ゲンダイ』的な講釈と受けとってもらえばよいが,「39歳 ÷ 65歳 = IQ60」という説明がなされていた。

 コロナ禍に苦しむ現状(2020年夏)における日本国の惨状は,間違いなく,その多分「IQ60」のせいで散々な目に遭わされている。なかにし礼が根本の問題として,いったいなにに対して怒っていたかは,くわしい説明する必要もあるまい。

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