小池百合子,都知事として関東大震災時「朝鮮人虐殺」事件を認めたくない歴史観,アジア人蔑視を心底に湛えた差別・偏見

              (2018年8月31日,2020年9月1日)

 関東大震災直後の朝鮮人社会主義者(日本人)に対する虐殺行為を,どうしても認めたくない小池百合子ネトウヨ排外主義,正直ではない「歴史の否定と無視」

 「歴史の事実」に関する確認(認定そのもの)よりも,「自身の主観」にもとづく「歴史の否定」に熱心な,小池百合子都知事の,

 それも,在日アジア系の住民に対する「根っこからの反動・差別・排外的な歴史認識(?)」は,石破 茂流にいえば「正直で公平な観方」の完全なる欠落を明証する

 本日;2020年9月1日朝刊(購読2紙,『朝日新聞』と『日本経済新聞』)をみたかぎり,関東大震災が起きた今日:9月1日の事実について,その紙面に関東大震災の活字はなかった

 

  要点:1 いまどき,関東大震災直後に発生していた事件,朝鮮人などに対する虐殺行為を直視しない都知事の立場は,いったいどういう根拠(神経)で支えられているのか?

  要点:2 国政の破壊者が安倍晋三であったが,都政をこれからもドンドン破壊していく小池百合子知事の力量(!)は,行政のための創造的に利用された試しがなかった

 


  本ブログ2018年8月25日の記述など

 

 a) 本ブログでは2020年7月25日に再掲・復活されていた,「旧ブログ」2018年8月25日の記述があった。その主題と副題の文句だけを以下に出しておくが,これだけでも,本日の記述につながる論点:「小池百合子という現・東京都知事の本性」は,おおよそ指摘できる,その見当がつくと思いたい。「本日の記述」は,それにつづいて「関東大震災直後における朝鮮人などの虐殺行為」に関する小考となる。 

 主題:「おフランスは大好きだが韓国(朝鮮:アジア)は大嫌い(?),小池百合子都知事にまともな国際感覚は備わっているのか,欧米コンプレックスとアジア差別的な潜在意識」

 

  副題1「関東大震災で虐殺された朝鮮人・中国人も,この大地震で死んだ日本人も『同じ犠牲者だ』だったのだから,その死については『なんら質的な差異はない』などと,大真面目にのたまえる『不思議な都知事小池百合子』流の『奇怪な理屈』,その意識下に隠されている極右的なアジア人差別の感情」

 

  副題2「カイロ大学を卒業しているから,通訳ができる実力があると公称していたはずのアラビア語運用力が,実は流暢に駆使できていなかった事実が暴露されていた『小池百合子という都知事』がいる,これはアラビア語を専門とする識者の指摘である」

 

  副題3「エジプト人の知識人は『日本で6カ月やった程度のレベル』であり,小池氏のアラビア語は『ハチャメチャ』であると喝破していた。一事が万事」

 要は,小池百合子都知事は,関東大震災直後に起きた大事件である朝鮮人虐殺行為を,どうにしてでも認めたくない感性を,それも正直にだが,結局はきわめてあいまいな態度で表現しつづけてきた。

 あえてほかに例えていえば,こう語り方も許される。大東亜戦争中に「ガンで病死した人間」(日本国内の日本人)も,旧日本軍731部隊によって「病原菌を人工的に移されてなどして死んだ:殺された人間」(主に「満洲国」にいた中国人)も,おたがいに同じ「死」としては気の毒であった事象であった。

 だからこの場合,とくに後者の「歴史の問題」(日中戦争中の非人道的な残虐行為)に関してあっても,その人数の理解をめぐる論点には異論もある(?)のだから,前者(病死)からわざわざ引き離すかたちでとりあげ,問題にしておく余地などないのだ,というのに等しい。

 小池百合子都知事の理屈は問題の本質,その歴史の事実としてのあり方などについては,いっさい目をつむった状態で,ともかく関東大震災直後における朝鮮人「虐殺」行為を認めたくない立場・主義・イデオロギーを提示しているに過ぎない。

 彼女はただし,朝鮮人および中国人,これにくわえて日本人の社会主義者が殺された事実じたいを認めないのではない。ただ,大地震そのものを原因にして犠牲者となった多くの日本人たちと,その直後に拡散させられた流言蜚語に乗せられてしまい,朝鮮人が暴動を起こしているなどと勘違いしたあげく,「朝鮮人を何千人もの単位」にまで「殺しまくった日本帝国臣民や軍隊が存在した」というごとき「歴史に関する事実」にかぎっては,これをなんとかしてでも雲散霧消させたいと,心中では必死になって考えている。

 同じ殺されたにしても,一方では「地震という自然災害の犠牲者」(主に日本人たち)と,他方では「朝鮮人が暴動を起こしている」といった完璧なデマ=偽情報(フェイク・ネタ)を本気で信じてこんでしまい,それも非常な恐怖にとらわれたあげく,朝鮮人たちなどをまるで虫けら同然に殺しまくっていた大勢の庶民たちとが,それぞれにいた。

 軍隊も途中からくわわり,東京市葛飾地区・四ツ木橋そばの堤防内では何百何十人であったかすら不詳であるが,朝鮮人たちを集めてきては,これに機銃掃射を浴びせては大量に殺戮してもいた。しかも,そののちになると,現場にいったん埋めておいた死体を掘り起こしては,どこかへ移動させ始末しておいたという史実まで記録(証言)されている。

 小池百合子都知事はともかく,そうした「歴史の事実」を認めたくない政治家である。朝鮮人の犠牲者たちを別個に慰霊する行為にかかわっては,歴代の都知事からの追悼文が送られていた。ところが,2016年には同じに倣っていたこの都知事が,2017年になるとその追悼文を送らないと明言した。

 ただし,その理由について彼女がいままで説明してきた範囲内では,まだまともな説明になっていない。というよりは,いかにも無理を隠している様子もありありであって,あえて道理を引っこめる仕儀にもあいなっている。どうみても,追悼文を送らないという理由づけをするための説明そのものが,うまく成立させえていない。

 彼女の立場からすれば,「歴史の事実」よりも自分自身の下しうる「歴史に対する “独自(?)の判断” 」のほうが,より重要であるらしい。それゆえ「私が認められないものは認めたくない」といったふうに,個人の次元における「独特の歴史観」は保持しているつもりである。

 b) 吉川 慧「小池知事,関東大震災朝鮮人犠牲者めぐり持論『虐殺の事実から目を背けるもの』と批判の声」『HUFFPOST』2017年08月26日 18時25分 JST,更新 2017年08月26日 22時44分 JSThttps://www.huffingtonpost.jp/2017/08/26/yuriko-koike-great-kanto-earthquake-of-1923_a_23186257/  から。

 昨年〔2017〕年から,小池百合子が「都知事の立場」でもっていい出していた「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に対する基本姿勢は,歴代の都知事とはいわば “百八十度近く” 転回していると解釈されていい,異常な「冷酷さ」を披露していた。この b) に挙げた吉川 慧の議論(記述)のすべては引用できないので,つぎの段落のみ紹介しておく。

 吉川の文章のなかに付せられた見出しの文句は,つぎの3項〔 イ) ロ) ハ) 〕になっていた。「⇒以下」には簡単な議論を添えておく記述としたい。

 イ)「小池知事『民族差別の観点というより,災害の被害で亡くなられた方々の慰霊を』」

  ⇒この「民族差別の観点」は棚上げ状態にしておきたい小池百合子の考え方は,「地震の犠牲者の全体」のなかに「逆殺された朝鮮人など」も含めておく観念の操作によって,その民族差別の観点を,大地震という自然災害の犠牲者全体のなかにつつみこむこと,つまり,両者を無色透明的に共通させることで,ひとくくりにできるといったごとき,いわば非常にみえすいた「やりくり算段の主張」がなされている。

 前段の記述に似た例えになるが,戦争中に国内で交通事故で死んだ庶民の事例も,中国戦線に動員された父や夫,オジさん,兄・弟などが戦場で戦士した事例も,死そのものとしては「同じ死だ」という論法(ヘリクツ)を運用したがるのが,小池百合子都知事流の認識方法であった。この立場は『死という普遍的な概念』のなかに,このひとまず「同じ〈死〉」であれば,なんでもかんでも,いいかえれば,交通事故死も戦場での戦死も病院での病死も,そして単なる老衰死も「みな同じに受けとめていい」というトンデモな理屈になる。

 小池百合子流にいいつづけ,こだわりたいのであれば,戦争に駆り出されて死んだ父や夫,オジさん,兄・弟たちが靖国神社に祭神として合祀されるべき理由は,結局のところなにもなくなる。小池百合子都知事の考えは,こちらの靖国の「話題:事例」に関してはそういったわけにはいかず,戦士:軍人の死亡(戦没者)者は特別であって,靖国神社にその御霊が祀られる必要がある。と,そのように,多分,いいはるはずである。

 だが,今回における問題,関東大震災時における朝鮮人虐殺の件についてだけは,なぜか,これもまた「同じ死」なのだから特別視する必要はなく,ましてや追悼文を都知事が送る必要などないという理屈になっていた。

 以上のような議論は,いかにも不毛でありかつ無意味な要素を含有している。だが,小池百合子都知事:風味になる「理屈の展開」に接していると,彼女のその間違いを指摘するためには,とりあえずこちら側でもそれに併せた議論をせざるをえず,この点にかぎっては「奇妙な論理の展開」をさせつつ「反論・批判する」ことにならざるをえない。

 ロ)「追悼文の取りやめ,背景は自民都議の都議会質問か」

  ⇒たしかに,自民都議が関東大震災直後における朝鮮人虐殺に関する人数を問題する質問をした点が,小池百合子都知事として2017年9月1日の慰霊行為のさいからは,追悼文を送らない背景事情になっていた。だが,この小池の態度は,自分の願っている方向性をうまい具合に指示してくれたともいえる,その都議の「都議会における質疑」をテコに使う要領でもって,「関東大震災直後において虐殺された朝鮮人犠牲者」を別枠で追悼する儀礼(追悼文の送付)を拒否する理由に転用(悪用)していたと解釈できる。

 ハ)「主催者側『虐殺の事実から目を背けるもの』と抗議  識者からは批判の声」

  ⇒要するに,小池百合子都知事の立脚点(政治的なイデオロギー)は明解である。「私が嫌なこと,認めたくないもの」である「関東大震災直後の日本人たちによる朝鮮人の虐殺行為」は,歴史の事実から抹消したいのである。だから,自然災害であった関東大震災の犠牲者全体のなかに,同じ被害者として「日本臣民たちに殺された朝鮮人たちもいっしょに封入しておけばいい」みたいな,コジツケともヘリクツともつかいない “無理筋の論法” を駆使しようとしている。

 彼女が「関東大震災直後に発生した朝鮮人などの虐殺行為」に対して堅持している,それもイジマシイほどの「全面否定をしたい心情としての価値観」は,「歴史の事実」そのものを歪曲しようとする立場を明示している。それだけではなく,当該問題に関していいえば「その本質にかかわる核心の論点」からは,できるだけ逃避していたい志向性(気分)も丸出しにしていた。

 

 「小池氏,虐殺にあいまい発言 朝鮮人犠牲者への追悼文見送り」朝日新聞』2018年8月31日朝刊32面「社会」

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 1923年の関東大震災から95年となる9月1日,東京都墨田区朝鮮人犠牲者の追悼式典が開かれる。小池百合子東京都知事は,歴代知事が寄せてきた式典への追悼文送付を昨〔2017〕年中止し,今〔2018〕年も再開しないと通告した。これに対し,朝鮮人虐殺についてあらためて学ぶ動きも出ている。

 追悼文の送付が始まったのは1974年のことだ。

 関東大震災50年の1973年に向けて,「暴動を起こした」というデマで殺された朝鮮人犠牲者らの記録を残そうとの機運が高まり,証言集めや追悼碑の建立が進められた。とり組みの協力者には,当時の美濃部亮吉知事や都議会全会派が名を連ね,碑は1973年9月,墨田区横網町公園に建立された。

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 翌〔1974〕年から始まった追悼式典に,美濃部知事は「51年前のむごい行為は,いまなお私たちの良心を鋭く刺します」と追悼のメッセージを寄せた。以来,歴代知事は毎年追悼の文章やメッセージを寄せてきた。小池知事も就任1年目は追悼文を送った。しかし,昨年8月,「すべての方々への法要をおこないたいという意味から,特別なかたちでの追悼文は控える」と中止した。

 政府の中央防災会議の報告書では,朝鮮人殺害について「虐殺という表現が妥当する例が多かった」としているが,小池知事は虐殺の有無について,「さまざまな見方がある」とあいまいな発言を繰り返す。今年8月の会見でも「事実から目をそらすとの指摘もある」との質問に対し,「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」と回答を避けている。

 補注)小池百合子都知事の「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に対する態度は,この大地震で犠牲者になった人びとを「区別しないで慰霊する気持」がより大事だという方向を向いている。だが,「歴史の事実」に対する立場に関して,あえて「区別しない」点を強調したい小池の意向は,根本的な間違いをそれも意図的にもちこんでいた。

 なんども繰り返していうが,関東大震災直後に虐殺された朝鮮人数千名(一番多い統計は6661名)もの人びとが,どう分類していったらこの大地震そのものによる犠牲者全体といっしょにされ,ひとくくりにできるのか不思議である。「区別しない」ことにしてはいけない対象に向かい,あえて「区別なし」にあつかったうえで,同一集団のなかに押しこんでいる。

 小池百合子都知事の理屈でいえば,そうしておけば「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」は,この大震災の犠牲者全般のなかに紛れませることができ,虐殺されたという《大事》も希薄化できて,こちらへの関心を寄せなくともよい寸法にもできる。

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  ※ 歴史,あらためて学ぶ動き ※

 あらためて歴史を伝える動きもある。東京都新宿区のNPO法人「高麗博物館」は,画家や小学生が描いた虐殺場面とみられる絵の企画展を開いている。童画家の河目悌二(かわめ・ていじ)が描いたとされる「関東大震災朝鮮人虐殺スケッチ」(前掲の画像)には,河川敷で殴られる人,血を流して横たわる人,軍人や警察官らしい人が多数描かれる。日本画家・萱原白洞(かやはら・はくどう)の絵巻「東都大震災過眼録」は,後ろ手にしばられた男女に棒で暴行を加える群衆を描く。

 いずれも,新井勝紘館長(74歳)が国立歴史民俗博物館歴博,千葉県佐倉市)に勤めていた時に入手した。新井さんは遺族らに確認し,作者2人が地震後,震災の絵を描いていたという証言もえた。ただ,歴博で展示されたことはなく,高麗博物館が今回,複製を展示することにした。

 新井さんは,小池知事の追悼文中止について「虐殺の歴史に目をつぶることになりかねない」と思ったという。そんなとき,「収蔵館が公開しない作品を,小さなNPOの博物館が展示する意味はある」という。

 企画展では当時小学4年生が描いた絵も展示した。芋畑に逃げこむ人を,大勢の人びとがとりかこんで暴行をくわえている。新井さんは「どの絵も,記録しなければと突き動かされるように描いたものだと思う。過去にふたをせず歴史と向きあいたい」と語る。(引用終わり)

 本(旧)ブログは2018年8月25日の記述をもって,小池百合子都知事流になる「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を「否定し,抹消したい」論旨を批判していた。そこには,最近作である西崎雅夫の編著2冊を紹介してみた。この本以外にも,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を,専門的に歴史研究書としてとりまとめ公刊されていた諸著作がある。

 西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』筑摩書房ちくま文庫),2018年8月。

 西崎雅夫編著『関東大震災朝鮮人虐殺の記録-東京地区別1100の証言-』現代書館,2016年9月。

 だが,この西崎の2著は「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に関する証言を1100名分も集めて記録している。

 当時,日本人たちが朝鮮人・中国人,そして同じ日本人でも主義者である人びとを,平気の平左で殺しまくっていた「歴史の事実」を目前にみせられてもなお,小池百合子都知事のように「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」などと平然といえるのか?

 差別主義者の典型的知識人であった石原慎太郎も,都知事のときは,9月1日の慰霊のさいには追悼文を事務的にであれ送っていた。

 結局,「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」というのは,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を認めたくない人間が吐いた迷セリフ:遁辞そのものであった。

 

  小池百合子の本性みたり-1〔3〕年前に指摘されていたこの女のトンデモな本質-

 「小池百合子の正体が垣間見えた関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ」『まるこ姫の独り言』2017年8月24日,http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2017/08/6000-0ab3.html  は,小池百合子のこと,つまり政治家として隠しもっている「暗い本質」面をこう描写していた。1〔3〕年前の文章である。 

 最近,小池百合子の正体というか,立ち位置が少しずつ白日のもとに晒されてきた。関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付のとりやめの方針を決定したといわれている。

   関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ 小池知事 ◆
         =〔2017〕/8/24 12:45配信 =

 

 東京都の小池百合子知事が,〔2017年〕9月1日に市民団体の日朝協会などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に,都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが分かった。都知事は例年,追悼文を出してきたが,小池氏は今春,見直しを示唆していた。

 

 極右の石原慎太郎でさえ引き受けたものを,小池百合子は拒否した。少しずつ小池百合子の正体がバレて来たということだろう。小池百合子の名で都民ファーストは都議選に大勝利したが,都民ファーストの議員の面々がよほど信じられないのか,ブログやツイッターなど,個々が発信できる情報を制限したり,個々の判断で報道機関などの取材に応じることを禁じたりする内容の通達を出していたことなど,小池百合子の本質は極右で,全体主義というのがよく分かる。

 

 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付の取りやめも,「6000人,虐殺の文言が正しいのか,正しくないのか特定できない」からとの理由だそうだが,流言飛語で犠牲者が出たのは事実なのだから,6000人という数字を用いなくても哀悼の意を表明することくらいできるだろうに……。まったく小池百合子歴史修正主義者と同じ思考をしている。

 

 広島・長崎の平和記念式典でもわかるように,日本国の不幸な出来事や過ちを2度と起さないよう,毎年新たな決意を示す意味ある式典で,それを数字にかこつけて断わる真意が嫌らしい。

 

 小池氏も昨〔2016〕年,「多くの在日朝鮮人の方々が,いわれのない被害を受け,犠牲になられたという事件は,わが国の歴史のなかでもまれにみる,誠に痛ましい出来事」などとする文を主催者に送っている。

 

 去〔2016〕年と今〔2017〕年の顔がまったく違う。去年までは,犠牲にあった方々へ寄り添うような分を送付しているのに,今年は一転拒否。今年は自分が率いて来た都民ファーストが都議選大勝利したことで,わざわざ良い人ぶる必要がないと学習したのだろうか。

 

 都知事選,熱狂的に小池百合子を応援した都民は,小池百合子の別の顔をしっているのだろうか。人のよさそうなおばさま方がピーマンとかの緑の野菜や,緑の小物を持ち寄って応援していた姿を思い出す。

 

 民進党の前原〔誠司〕は,民進党を離党した細野〔豪士〕や小池の子分である若狭〔勝〕とも連携を組みたくて仕方がないように見受けられるが,小池百合子と前原が繋がった日には,小池百合子と前原,与野党とも極右が大勢を占め,右へ右へと草木もなびきという事にならなければ良いが……。

 事後,小池百合子築地市場豊洲への移転問題では,いったいなにをやりたかったのか分からない,と批判されていい顛末を呼びこんでいた。また,2020東京五輪のために都知事をやっている感もなきにしもあらずで,政治家として都知事に赴任してからというもの,まさしくその竜頭蛇尾ぶりをきわだたせている。

 以上をいいかえれば,小池百合子は,東京という大都市の首長として「八面六臂」の活躍をしているというにはほど遠い,しごく平凡(以下?)である都政の担当者となっている。ある意味からいえば,いままでその本性をさんざん暴露してきた彼女は,「いるよりも・いないほうが数段好ましい」と観察されてもよい「有害無益の政治家」にまで転げ落ちた。

 

 【参考記事:その1】

 「黒澤 明も証言,関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ! 小池百合子ネトウヨの歴史修正に騙されるな!」『リテラ』2017.09.01,http://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html

 

 【参考記事:その2】

 「小池都知事に追悼文を要請…悼式典実行委員会が個人署名8596筆」『民団新聞』2018-08-16 09:12:00,http://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=4&page=1&number=24681&keyfield=&keyfield1=&key=

 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(宮川泰彦実行委員長)は〔8月〕8日,都庁を訪れ,小池百合子都知事に追悼文を寄せることを求める署名を提出した。応対に出た秘書課事務担当課の徳田哲吉課長は「知事に伝える」とだけ答えた。

 寄せられた署名は7日現在で個人8596筆と142団体。事務局では「5月24日から2カ月余り。短期間にしては全国からよく集まったと思う。とくに在日から多く寄せられた」と振り返った。

 同実行委員会は毎年9月1日,東京・墨田区横網町公園内に建つ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で朝鮮人犠牲者追悼式典を執りおこなっている。この間,歴代の都知事から追悼の辞が寄せられてきたが,小池知事になっての昨〔2017〕年,「都慰霊協会が主催する関東大震災の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表している」として「個別の形での追悼文の送付」には応じなかった。

 記者クラブで会見した宮川実行委員長は,「自然災害の犠牲者と人間の手によって殺された命を一緒くたにすることに怒りがある。知事は歴史的事実から逃げまわっているかのようだ」と指摘した。

 

 【参考記事:その3】

 西崎雅夫「政府によって徹底的に隠蔽された『関東大震災朝鮮人虐殺事件』の真相1100の証言がいま伝えてくれること」『現代ビジネス』2016年9月18日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733〔~〕

 a) 東京だけでも6万人以上の死者を出したといわれるこの震災に乗じるように,「朝鮮人が火つけをしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言蜚語が流れた。この噂を真に受けて警戒した住民たちは自警団を結成,これに軍隊もくわわり,多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。

 その数は数千人ともいわれているが,実際に何人の方が犠牲になったのか,実は震災から93年〔2016年時点〕がたった現在でも詳細は分かっていない。その要因のひとつとして,当時の政府の徹底した事実の隠蔽があげられる。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733

 b) 冒頭でも書いたが,関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の全体像はいまだに分からないことが多い。それは当時の政府が事件を隠蔽してしまったからであり,その後の政府が真相究明のための調査をおこなってこなかったからである。したがって,事件の公的資料はきわめて少ない。

 そうした状況でしられざる虐殺の実態に迫る一つの方法として,証言を集めるという結論にたどり着いた。「追悼する会」に参加したことで,墨田区北部での朝鮮人虐殺事件については多くの証言に触れる機会をえて,ある程度実態をしることができた。では,自分が生まれ育った東京全体ではどうだったのだろう? そんな疑問がふと湧き上がってきた。

 事件から90年近く経ってしまった現在,事件を語れる人はほとんど生存していない。しかし,刊行された本(自伝・日記等)のなかから事件の体験・目撃証言を探し出すことなら素人の私にもできるのではないか。そう考えた私は,主に東京23区内の図書館をめぐってひたすらに関連する証言を集めつづけた。

 図書館で書棚を猟渉するうちに,朝鮮人が住んでいた地域では必らずといっていいほど虐待・虐殺事件が起こっていたことにあらためて気づいた。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733?page=3

 c) 気がつけば,有名無名,老若男女にかかわらず,集めた証言は1100を超えていた。これら一つひとつの証言には,体験した本人にしか語れない “具体性” があった。こうした証言からのみ,朝鮮人虐殺の実態が皮膚感覚として伝わってくるように思う。

 どんな歴史的事実もしるすべがなければ分からないままで終わってしまう。それは同時に「なかったこと」にされてしまう危険性を孕む(とりわけ加害の歴史はその傾向が強い)。震災時の朝鮮人虐殺事件もその例に漏れない。だが体験者・目撃者たちの声に耳を傾ければ,私たちは事実に向きあわざるをえない。

 1100の証言が訴えかけるのは,なにか。それは,悲劇から90年後を生きる私たちが,事実をしり,みつめること,そして亡くなった方を悼む気持のたいせつさではないだろうか。こうした証言を集めた本がやっと完成した。『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』(現代書館)である。この本が多くの人の目に触れることを願っている。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733?page=4

 実際に西崎雅夫をこの本を読んでみると,このなかの証言に出てくる(=指摘・表現されている)虐殺された朝鮮人・中国人・社会主義者,そしてごくふつうの日本人らもついでに(朝鮮人だと誤認され)殺されているのだが,それらの合計人数を粗っぽくでも概算することが可能であると思える。

 そのような計慮に値する記述個所が数多くある。なかには同じ殺人の現場を観た複数の人たちの証言もあるので注意が必要だが,こうした問題意識をもって読みこめば,この本からだけでもある程度までは「虐殺された彼らの人数」を,「ひとつの推定数値」(しかも控えめのそれ)として推算できるかもしれない。

 本ブログ筆者のいまのところの感じとしては,数千名には文句なしに達するのではないかと推定する。1個所だけでも3百名ほど「殺した」という段落さえあるのだから,この関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為を,いまからでもいい,分かりうる範囲内でいいから徹底的に糾明していったら,場合(結果)によっては,1万の単位にまで近づかないとも限らない。

 当時の日本政府関係官庁は軍をはじめ,関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為(歴史上の大醜聞事件)を徹頭徹尾,隠蔽しており,「歴史の事実」として残さないように最大限の努力をしてきた。この事実が物語るのは,旧大日本帝国の人びとがみずからすすんでの『極悪:冷酷な殺人行為』を,それも相手が被植民地の人びとであるがゆえに,虫けらを踏み潰して喜ぶかのように,だから歓声を上げながらもおこなっていた。げに恐ろしい行為:光景であった。

 

  最新の関連記事「赤羽の出版社『朝鮮人虐殺 書店から伝えて』 関連本のフェア呼び掛け」東京新聞』2020年8月28日 07時14分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/51593

 関東大震災が発生した9月1日を前に,震災時の朝鮮人虐殺をしってほしいと,北区の出版社「ころから」が関連本のフェア開催を書店に呼びかけている。大震災ではデマにより多くの朝鮮人らが犠牲になっており,ころからの木瀬貴吉代表(53歳)は「書店から史実を伝えてほしい」と訴えている。 

 木瀬さんがフェアを提案した背景には,韓国人や中国人に対するデマや差別を助長するヘイトスピーチやヘイトデモなど,排外主義の風潮への危機感がある。「民族という属性だけで判断して,簡単に『殺す』と叫ぶ。恐ろしい軽さがある」と現状を憂慮する。

 1923年9月1日の関東大震災では,「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが広がり,自警団や軍隊,警察により多数の朝鮮人らが殺傷された。国の中央防災会議の報告書は,震災の死者・行方不明者約十万五千人の1~数%が虐殺の犠牲者だとしている。ここ数年,朝鮮人虐殺を否定する動きや本も出版されている。

 補注)「100500 ✕ 0.01」ならば100名になるが,この数字は既述の内容に照らしても過少である。10%ならば千名になるが,この数字でも少ないと受けとるほかない。関係の証言を足していけば,千名未満とはとうてい考えられない。

 ころからは,朝鮮人虐殺の事実を人々の手記や当時の刊行物から浮かび上がらせた『九月,東京の路上で』や『TRICK-トリック『朝鮮人虐殺』をなかったことにしたい人たち』などを出版してきた。

 開催を促す「天災のち人災 関東大震災から学ぶブックフェア」では,他社が出版した大震災に関した本も紹介し,販売してもらう。参加するのは,台東区の書店「Readin'  Writin'(リーディン・ライティン)」,小金井市の「くまざわ書店武蔵小金井北口店」や群馬県内の書店。

 ころからではブックリストも作成。どんな本を置けばいいか分からない書店を側面から支援し,さらに数を増やしたい意向だ。木瀬さんは「朝鮮人虐殺は天災のあとに起こった人災。最大の防災は,災害時のデマの発生を許さないことで,負の歴史から学んでもらいたい」と訴える。

 歴史を伝えるには書店の役割も大きいと指摘し「書店は誰もが入れる準公共的な場であり,情報を伝えるメディアでもある。歴史を伝える場であることを示してほしい」と強調する。

 フェアなどの問い合わせはころから=電03(5939)7950=へ。

  ◆ 反差別活動の谷口さん「小池知事は追悼文を出すべき」

 関東大震災朝鮮人虐殺に関しては,日朝協会東京都連合会など実行委が毎年9月1日,都立横網町公園墨田区)で追悼式を営んでいる。

 歴代都知事が追悼文を送ってきたが,小池百合子知事は2017年から見送っており,今年も方針を変えていない。こうした姿勢に,今月22日には都庁前で追悼文を出すよう求めるデモがあり,約50人が参加した。

 反差別活動を続ける自営業の谷口岳さん(50歳)は,ツイッターで「#小池百合子は9月1日に追悼文を送れ」と,ハッシュタグ付きで投稿するよう呼びかけ,「都知事は『差別は間違っている』というメッセージを伝えるためにも追悼文を出すべきだ」と主張する。このほか,9月1日に犠牲者へのメッセージの投稿を促す「#私は追悼します」というハッシュタグも広がっている。

 補注)以上の説明に関してはその後に変化が起きた点は,本日〔2020年9月1日〕の記述中で触れてあった。

 要は,現在,都知事職にある小池百合子の「ミニ・ファシスト的な立場」,「その極右である立場の反動形成性」,「異民族の存在じたいを認めたくない個人的な観念」などに顕著であるその基本姿勢は,かつてのヒトラームッソリーニスターリンたちなどの姿を想起させる。

 小池百合子の采配ぶり,つまりコロナ禍に襲われた「東京都の首長」という立場をもってする対応の仕方は,まずなんといっても政府との協調性(具体的な協力態勢)がゼロであって,そのように協働しようとする気持がまったくない点を赤裸に表現していた。ともかくも,自分自身だけが目立つための演技に終始しただけであって,その間,新型コロナウイルス感染拡大を防止するために有効な手立ては,実際には講じられていなかった。

 小池百合子都知事としてさきに2020年3月1日,14回目の東京マラソン日本陸上競技連盟公認コースで開催させていた。だが,当時まですでに,クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス』におけるコロナ禍問題が深刻になっていた。この事実は,2月の初旬から分かっていた事情であった。ところが,小池都知事はそのような事態など完全に無視しておき,東京マラソンを開催していた。

 そして,3月下旬になると23日の会見で小池百合子は突如,新型コロナウイルス対策として「ロックダウン(都市封鎖)」の可能性に言及し,イベントの自粛などを要請した。この個人プレーに先走りしただけの都知事の対応は,その後における「日本全体の新型コロナウイルス対策」に混乱を招く結果を生んでいた。

 コロナ禍対策の点をめぐっては,自分だけが目立ちたいこの都知事の采配(?)のせいで,東京都は,日本全国の防疫態勢に関して政府との整合性を十分まともに採れないまま,いたずらに混乱を生起させつづけてきた。自分だけが目立つ以外になにも関心のない彼女の行動様式は,本当は政治家向きとはいえず,今回におけるコロナ禍の最中にも,国政と都政に大迷惑を来たしていた。

 それが彼女の得意技だから,それでも仕方がないとは,けっしていえない。トンデモ都知事の面目躍如を跋扈跳梁させてはいけない。食わせ者のエセ政治家である本質を,彼女は満載している。

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