満洲国,なかにし礼,日本国憲法,安倍晋三など(続・2)

               (2015年2月13日,2020年9月2日)

 なかにし礼日本国憲法論をめぐる考察(続・2)-反戦思想を語る中西禮三の人生観,日本人であって日本人ではないアジア人の思想史的な批判-

 敗戦後「日本」における天皇天皇制の立場,満洲引き揚げ者としての日本帝国臣民「なかにし礼」の気持

 

  要点:1 すべて天皇の御名のもとに進行させられてきた

  要点:2 反戦意識は確固としてあっても,天皇尊崇観念を抹消できない日本国知識人の特性


  関連する本(旧)ブログの記述案内

 本(旧)ブログはすでに,「2015-02-05」「なかにし礼日本国憲法論をめぐる考察(続)-反戦思想を語る中西禮三の人生観,日本人であって日本人ではないアジア人の思想史的な批判-」,および,「2015-02-04」「なかにし礼日本国憲法論をめぐる考察-日本人であって日本人ではないアジア人のような中西禮三の人生観-」を記述していた。

 その2編は,作家・作詞家の「なかにし・礼」(中西禮三)が最近,安倍晋三政権に対する抵抗意識を披露する「自身の回顧録」を執筆していた内容をとりあげ,議論していた。なかにし礼(76歳,⇒ 1938年9月2日生まれ,ちょうど今日が誕生日で,81歳)は,安倍晋三が現在まで執政してきた実績をみてガマンならぬといった感情と姿勢を正直に露出・表明している。

 以上の2編は本ブログ内では,つぎの記述として復活させていた。

 また本ブログにおける別の1編,「2015-02-08」「NHKは安倍晋三のために存在する公共的・即・私的な準国営放送局-宝田 明が怒るNHKの茶坊主的性格-」は,自分はノンポリだと意識していた俳優の宝田 明(80歳,1934年4月生まれで2020年には86歳)がNHKの番組に出演し,戦争の時代に関する記憶を語ろうとしたさい,ある種の・一定の妨害を受けた体験に対して特定の抗議を明示した姿勢に関して議論している。

 補注)宝田 明に関する記述はつづけて近日中に復活させるつもりである。

 以上の3編の記述があるが,本日の記述は,なかにし礼が現在〔2015年2月中〕『朝日新聞』夕刊に連載中である対談での発言をさらにとりあげつつ,現状における日本の政治・外交問題を,それも若干は歴史的な回想も混ぜこんだ議論をしてみたい。 

 

  「〈連載:人生の贈りもの〉作家・作詞家,なかにし礼:8 絶望の時代,抵抗のために書く」朝日新聞』2015年2月12日夕刊掲載のインタビュー記事から

 以下では◆は記者の問い,◇はなかにしの話である。
 
 ◆ 戦後70年を前に,昨〔2014〕年12月に開いた新宿のライブでは憲法への思いも語りました。

  ◇ いままで日本に戦争が起きなかった最大の理由はね,憲法第9条ですよ。戦後の民主主義がたとえ米国から与えられたものにせよ,どこかの国が必らずやこういう憲法をつくって世界の平和に貢献しなければならない。

  人間の進化の歴史からいえば,当然現われるであろう理想の憲法なわけですね。これを堅持しているかぎりは,いろんな理屈をこねて官僚がなにをいおうと,政治家は身を張ってね,日本を戦争に巻きこまないというアクションはできるはずなんですよ。
 
 ※ 本ブログ筆者の議論(以下にこの青文字の段落など)。--たしかに,なかにしのいうとおりの「日本における敗戦後史の経過・事情」があった。

 だが,この日本国は第2次世界大戦に敗北し,その結果として日本の国土にはあちこちに米軍基地が置かれている。この在日米軍基地が戦後においても,かずかず発生してきた〈地球上の各戦争〉に対して,きわめて重要な戦略地点として盛んに活用されてきた。この事実をまさか,なかにしがしらないわけではあるまい。

 なかでもアメリカがかかわった主なその戦争を挙げれば,1950年6月に北朝鮮が韓国に侵略して始まった「朝鮮戦争(韓国動乱)」,1964年8月からアメリカが介入しだしたベトナム戦争,2003年3月にアメリカがイラクにしかけたイラク戦争などのさい,在日米軍基地はアメリカ合衆国〔内〕の軍事基地と同じにように,非常に重要で不可欠の役割を果たしていた。

 敗戦した大日本帝国は崩壊していた。しかし,天皇天皇制は,明治憲法を改定するとき天皇自身が御名御璽した日本国憲法のなかに生き延びることになった。天皇条項(第1条から第8条)は戦争放棄の条項(第9条)と抱き合わせにされており,しかも冒頭に置かれていた。

 いいかえればつまり,敗戦以前は,天皇が統帥していた大日本帝国の軍隊編制はもう存在しなくなったけれども,この天皇をなおも戴く日本国は,国家として必要不可欠である軍隊組織を,戦勝国である連合国の在日米軍でもって代替することを認めていた。

 日本国憲法が「アメリカの,GHQの,マッカーサーが押しつけた憲法」だと非難する頑迷右翼的な者たちは,東京裁判史観を否定・峻拒するにもかかわらず,A級戦犯断罪という代償のおかげてサバイバルできていた天皇裕仁の延命という事実を配慮に入れ,直視できる議論をしたことがない。

 そうした経緯・事情(「天皇は救われた」!)は,アメリカの日本占領・支配・統治のための都合として生まれていた。敗戦後において,天皇裕仁大元帥という地位は消えてはいたものの,日本の政治世界のなかで昭和天皇は横滑り的に生存しえていたのである。

 昭和天皇自身が自分の帝国(日本)の敗北を進んで認め,自身の地位が象徴になってでもいい,安泰にさえあればよかったという事実と引き替えに,かつての大日本帝国陸海軍の不在・欠落を埋める軍隊として,アメリカの陸海空軍が日本各地に配置され,米軍基地に陣どることになった。

 これは「歴史の事実」そのものであったのであり,また「敗戦後史のなりゆき」そのものであったのである。すなわち,大日本帝国天皇裕仁は,敗戦後においては自分の地位(天皇)をなんとか維持できた代わりに,かつて自分が統帥していた帝国陸海軍が担っていた「軍事・防衛の機能」は,在日米軍に全面的に任せることになっていた。

 敗戦後の日本国は,進駐軍という名でも呼ばれた占領軍(主に米軍)に占領・支配・統治されていた。1947年9月20日の日付で記録の残されている,いまでは,戦後日本政治史の分野にあっては常識的な知見である『天皇・沖縄メッセージ』は,すでに象徴天皇になっていたはずの天皇裕仁自身が当時,裏・闇の経路を使い,アメリカに対して「自分:個人の希望」を伝えていた。

 それは,どういうことであったのか? 沖縄県公文書館が米国国立公文書館から収集した “天皇メッセージ” を公開したのは,2008〔平成20〕年3月25日)であった。同館はこの内容をこう解説している。

 「同文書は,1947年9月,米国による沖縄の軍事占領に関して,宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです」。「天皇メッセージ」の「内容は概ね以下の通りです」。

 

 (1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

 (2)上記(1)の占領は,日本の主権を残したままで長期租借によるべき。

 (3)上記(1)の手続は,米国と日本の二国間条約によるべき。

 

 メモによると,天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し,共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。

 

 1979年にこの文書が発見されると,象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。

 

天皇メッセージをめぐっては,日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や,長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり,その意図や政治 的・外交的影響についてはなお論争があります。

 この最後の文句である「なお論争がある」とは,留保・注意を入れてはいるものの,端的にいってしまえば,沖縄県民にとってこうした「歴史の事実(文書)」は,「昭和天皇が人身御供」のように,沖縄県琉球諸島)をアメリカの軍事支配に委ねる旨を申し出ていた事情を証拠づけている。

 戦後70年も経つというのに沖縄県はまるで占領地の概観にあり,アメリカ合衆国の小さな1州であるかのように,それも治外法権地帯である外国軍の軍事基地をかかえているままである。

 実は,昭和天皇にあっては,以上に指摘した “天皇メッセージ” にくわえて,もう1度,アメリカに対して軍事面の援助を要請したことがあった。それは,偶然にも朝鮮戦争北朝鮮の侵略によって始まる数日前の「日米間の密通事」であった。

 この歴史の事実もいまでは,日本政治史において基本的な学識のひとつになっている。くわしくはたとえば,青木冨貴子『昭和天皇をワシントンと結んだ男』(新潮社,2011年)が説明している。

 昭和天皇は,日本側の宮内府式部官長松平康昌を介在させて,個人的な〈自身の意思〉を,当時のジョン・フォスター・ダレス(当時,韓国を視察していた国務長官顧問で大統領特使)を通して,アメリ国務省に伝達していたのである。

 再度断わっておくが,いまも昔も敗戦後における天皇の形式上の地位は依然,《象徴》である。この象徴である天皇が,なぜ,そのような憲法違反の政治的な行為を犯していたのかといえば,要は天皇家の興廃がひどく懸念されていたからである。この論点は,昭和20年代における世界の政治情勢を配慮しつつ,アメリカを直の相手に政治交渉をしていた天皇裕仁の存在を教えている。

 この「歴史の事実」は日本の知識人であればおそらく,いまではしらない者は少数派だと思う。だが,一般庶民の立場ではまだしらない歴史の出来事である。いま(前代)の天皇=平成天皇が「憲法を守ります」と,2013年秋以降は機会をとらえては,それも妻や長男(現在の天皇徳仁)も動員させ盛んに宣言している姿は,明らかに父=昭和天皇裕仁)の政治路線を忠実に継承している。というよりは,この路線が現在の天皇系にとっては最適といっていい,『皇室のサバイバルのための戦略』の一環たりうるからである。

 天皇天皇制の問題になると,突如「思考停止の状態」になる知識人や,ともかく無条件に・無批判的にその制度的な存在を認証する一般庶民も多い。だが,しょせん天皇家の人びとも「血統や系譜」いかんはさておき,同じ人間であり,考えることは他者と大きく変わらない。要は「自家の繁栄」である。

 そのとき,いまの安倍晋三がもくろんでいるような憲法改正(≒改悪)の方途,つまり,集団的自衛権行使容認という閣議決定をし,国家安全保障会議を置き,特定秘密保護法を施行させ,武器輸出3原則を緩和するような日本国家体制の基本に関する変質は,敗戦後に構築されてきた日米安保条約体制のもとにある皇室にとってみれば,「ある種の危機感」をもって対面させられるほかない「観過できない〈事情の変化〉」であった。

 問題の本質は,どこにあるのか? 日本国にはすでに,自衛隊3軍が存在するにもかかわらず,これを軍事戦略的には完全に上から牛耳って〔指揮して〕いる米軍が,この日本国内に実在する。そして,日本国内にこの米軍がいまだに,世界軍事戦略用に重宝している重要な基地をたくさん配置・専有していながら,依然として,撤退する様子などみじんもみせていない。

 日本国と在日米軍基地の相互軍事同盟関係は,譬えていえばシャムの双生児である。しかも,その一方は小さく,もう一方は大きいその力関係にある。大日本帝国は敗戦したとはいえ,戦後70年が経ってもいまだに,このような米日間における軍事的な上下・従属関係が堅固に持続させられている。

 そうした日米安保条約体制のなかで,安倍晋三のように『敗「戦後レジーム」』の否定・破壊を唱える政治家は,もとよりその頭脳細胞の基本組成が根っこから疑われて当然である。彼は,いまの段階では絶対の不可能事を,あたかも「可能であるかかのごとくに夢想」だけはしている。しかも,その戻るのだという状況・位置は,戦前・戦中の国家全体主義もどきの態様・場所に求められているのだから,これはもうほとんど〈狂信の発想〉でしかないと断罪されていい。

 少なくとも,在日米軍基地の実在を視野の外に追いやったまま,安倍晋三の「美しい国」(へ)などといった標語は,誇大妄想以外のなにものでもない。それは,空想の世界に遊ぶ童話の物語にしかなりえない。前・平成天皇は,この現在における日本国首相:3代目世襲の政治家に対しては,百何十何代か続いてきたとされる天皇家の末裔の立場としても,冷汗三斗の思いをさせられつづけている。

 --この補注の文章が長くなったが,なかにし礼のインタビュー記事に戻る。 

 ◆ 昨〔2014〕年,「天皇日本国憲法」という本を出しました。

  ◇ 自民党憲法改正といっているけど,国会議員が率先して守らなければならない憲法をね,彼らが声高に改正というのはおこがましい。国民の象徴である天皇陛下が,よろこびをもって御名御璽(ぎょじ)を記されたということの重さをね,どう考えているのかと。現在でも天皇陛下平和憲法の価値を機会あるごとに語られている。天皇陛下を無視する天皇制だったらね,天皇制そのものも存在しえない。

  前段の補注で説明したつもりであるが,ここでなかにしが触れている「天皇天皇制に対する理解」が日本国憲法「絶対視」の視圏内に留まっていた点は,なお問題含みであった。そう警告しておいた。またとくに,天皇天皇家側の敗戦後事情にもとづく利害状況を,歴史的に回顧しつつ認識する問題意識が,まだなかにしにはない。さらには,天皇天皇制を絶対視するような政治的価値観を,ひたすら前面に出しているかのように聞こえる意見を吐いている。

 天皇制度に依拠しなければ日本国の平和憲法が堅持できないかのように,敗戦後史を理解するなかにしの「戦後認識」は,天皇天皇制の問題,それも天皇家の次元に閉塞していくほかない。そこで足踏みしている。天皇を絶対視する観点なのであれば,民主主義の憲法だとされる日本国憲法の根本矛盾にまで視点が届くはずがない。

 「押しつけられた〔という平和の〕憲法」を,さらに積極的・前向きに乗り超えるためのその後における「改憲の動向」が,この日本国には存在しなかった。「これか・あれか」ではなく,「これとあれのあいだ」を考える余地さえ排斥してきた。だから,憲法第9条がなし崩し的に変質させられてきた。あげくのはてが,幼児的宰相の安倍晋三による集団的自衛権行使容認である。おまけに支離滅裂である「積極的平和主義」の主張がなされていた。

 集団的自衛権に対して第9条をどのように解釈したら折りあえるというのか? この難題はお釈迦様でも解決できまい。安倍晋三日本国憲法をぶちこわした。だが,そのあとがいけない,そのあとを埋めるものが,なにもない。「戦後レジーム」を破壊したいのだが,「美しい国」(へ)と名づけた自分流の国家概念の具象化が,からっきしできていない。いまのところで,できたものがなにかあるとすれば,アメリカへの軍事的な従属国であるこの日本国の基本性格を,よりいっそう堅牢化できたことであった。

 しかし,そのような路線では「戦後レジーム」の破壊など達成できるわけがない。それどころか,アメリカの軍事的服属国であるこの国の基本路線をさらに整備・深化させうるに過ぎない。

 ◆ 戦後70年をいまの状況で迎えることをどう思いますか。

  ◇ 安倍政権になってね,日本はブレーキのとれた暴走列車のように猛烈な勢いで下り坂を突っこんでいる。誰も止められない。マスコミも止められない。核兵器反対や反原発や9条を守れということがね,あと一歩で70年という時になって,いざ実を結ぶべき時になって,すべてが崩壊していく。相手はどんどんやるんだから。憲法違反もOK。最高裁も機能していない。

 ◆ 戦争をしらない世代が増えています。

  ◇ 安倍さんも戦争をしらない。祖父の怨念を引きずって行動している。それにみんなが付いていく。「この道しかない」とは本当に怖い言葉で,なんでもOKになってしまう。かつて「満蒙は日本の生命線なり」とか「アジア解放」とかいいながら真珠湾攻撃に至ったように。僕は日本が丸腰であるべきだと思うぐらい,日本のこの前の戦争は罪深かったと思っています。その罪深さを忘れるわけじゃないですか。歴史を修正して。

 補注)安倍晋三においては「過去の忘れたい歴史」に関する理解・認識などは,もともと収納されていない。あるのは「無視したい現在の歴史」があるだけである。この「幼稚と傲慢」の首相に向かい,歴史観の有無など問わないほうが,懸命かつ得策である。もっとも,歴史観さえもてない政治家に一国の宰相が務まるはずもないが……。

 補注中の 補注)安倍晋三は2020年8月28日,ようやく首相の座を降りることを表明した。時すでに遅く,この国のあらゆる方面・領域がめちゃくちゃに破壊されつくしたのちの辞任である。いまさら,なにを,という印象であった。

  僕は戦争経験者だから,国家はどんな残酷なことも,どんな非道なこともするんだということをしっているから。絶望のなかでなおなにかをする論理がね,いま組み立てられないんですよ。

 ◆ さきは真っ暗だと。

  ◇ 僕は絶望しているんですよ。こんな時代がね,生きてるあいだに来るとは本当に思わなかった。もしこの記事を締めくくるとすれば,「絶望のなかにあってどういう抵抗の方法があるのか,目下思案中である」かな。

 ◆ その方法はありますか。

  ◇ 一時でも長く戦争のない時間を延ばすことが最低限の知性であり,抵抗であろうと思うんですよ。正直にものを書くしかない。自分の書斎で書きためていく。それが死後発見されるかもしれないけど,それでもいい。(記事の紹介終わり)

 ここからは,あらためて「本ブログ筆者の評言」となる。なかにし礼がそこまでいうのであれば,まず国民の立場からできることは,次回の2016年7月〔当時〕に予定される参議院普通選挙で自民・公明内閣側を大敗させることしかあるまい。ここまで民主主義を穴だらけの状態にし,日本の民主制国家体制をひどく弱体化させてきた「安倍晋三の独裁的政治」に異議を申したて,根幹からその政治観念に変更を迫るにはその手しかあるまい。

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 付記)国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月15日),1960年6月18日にも国会をとり囲むデモ隊の姿があった。当時,安倍晋三の母方の父岸 信介が首相であった。このまもなくあとに,岸は辞任する。つぎの画像は2015年8月30日の国会正門前の光景であった。

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 それとも,国民に広範に声をかけて百万人単位でのデモ行進を都内で組織・実行して,安倍晋三反対への意思表示をしたらよいのではないか。安倍晋三内閣を支持する率を各新聞社の世論調査がおこない,最近(2015年)では読売新聞〔安倍晋三とはとても仲がいい〕のそれは約6割もの支持率があると報じていた。けれども,安倍晋三の為政はおかしいと疑問を抱き,このように大々的に,自分たちの意思を示威してこなかったのではない。

 安倍晋三は,つぎの衆議院解散総選挙(2018年12月)までは自分の地位は安泰のつもりである(その途中で解散する可能性がないとは断定できないが〔⇒2020年8月下旬に安倍は辞意を表明した〕)。日本国の政治も経済も,安倍晋三政権になってから顕著によくなったと認められる領域は,ごく一部にしかみいだせない。ひとつだけはっきり現象してきた傾向がある。それは「富める者がますます富み,貧しい者がさらに貧しくなる」ばかりになってきたことである。新自由主義的にただ野放図な,現代版「世界独占資本主義体制」ばかりが伸長し,跋扈跳梁する時代である。

 

  ヨーロッパからの安倍晋三批判の声

 2014年5月29日時点において,つぎのごとき記述があった。こういう日本に関する心配が表明されていた。

 日本の安倍晋三を危険な政治家とみる論評が,世界中に広がってきた。唯一,日本のマスメディアを除いて。ここに紹介するのは,ベルリンの反原発団体の記事であるが,特徴的なのは,反原発団体から,原発以外のつぎのような視点が出てきたことだ。

 「安倍首相(自民党)の政治政策は,日本の民主主義と日本国民の自由を危険にさらそうとしている。安倍首相(自民党)の政治政策は,東アジア地域を不安定にし,危険にさらし,地球上の人類と自然を危険にさらし,破壊しようとしている」。

 出所)『日刊ゲンダイ』2014年5月28日。

 

 ヒットラーのように外部にユダヤ民族という敵(安倍の場合は中国民族)を作り,政権浮揚を図るのは,非常に危険な火遊びである。途中から本人にも収拾がつかなくなるからだ。安倍晋三は,いまや世界にとって危険な政治家になってきたが,このような異様な政治家をトップに担いだのは,先進国では日本だけである。

 

 このことを,わたしたちは猛省しなければならない。しかし,他方で,戦後一貫して,映画とスポーツとセックスで,日本民族の劣化政策を推進してきた米国にも,安倍の登場には責任がある。

 註記)http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/8c991b9ea988c7f9c2030a12c26d4a59 前掲の新聞記事の画像もここから。

 最後の段落はあまりにも世俗的というかミーハー的であり,学問的には実証に耐ええない,それも古きに過ぎた一言であるが,その前の各段落は,ほぼまっとうな安倍晋三批判である。この首相,国際政治の舞台では全然指導力を発揮できていなかった。「子どもの宰相」にまともな外交を期待したところで,彼には当初より荷が重すぎたのだから,高がしれていた。

 くわえて,この首相が「日本国じたいの立場」に害悪をもたらすような采配しかできていなかった事実は,彼本来の政治屋的な限界に照らして指摘するまでもなく,ごく必然的ななりゆきであった。実に情けない御方であった。しかし,この首相を選んだのは,国民・有権者である(選挙制度:「小選挙区比例代表並立制」じたいに問題ありといえども)。

 世襲3代目のこの首相,世襲だからいけないとはいちがいにいえない。けれども,ここまで祖父の代から政治家としての資質を確実に劣化させてきたとなれば,どうしても世襲の政治家は好ましくないという一般論も,必然的に出てこざるをえまい。

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