2020年5月25日,新型コロナウイルス感染症に日本は勝利できたなどと,それも日本モデルで成就しえたなどと,狂神的な戯れ言を放った安倍晋三前首相,そして菅 義偉現首相という2代続いた自民党の首相は,日本における最大の国辱的「大恥菌」

 かつて,日本は「神の国」だとのたもうたこの国の首相がいた。「サメの脳みそ」をもち「ノミの心臓」を備えているといわれていたこの人,いまでは〔延期になっているが〕2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長という肩書きをもって,なおも活躍中

 

 【要 点】 森 喜朗が日本国総理大臣であった時期,その子分役の1人の人物が安倍晋三であった,いわば森は,安倍の「師匠」筋(?)に当たる政治屋であった。こうした人物史の脈絡をしっているわれわれの立場は,どうしても,ひどく暗い気分に追いこまれるほかない。

 
 🌑 前    言  🌑

 森 喜朗が首相になって1ヵ月と少しの時間が過ぎていた2000年5月15日,彼は「日本は天皇を中心とした神の国」と発言した。このいわば「皇国史観」的に倒錯する「森の発想=価値観」は,世間に大きな波紋を起こした。

 もっとも,森 善朗の前代首相であった小渕恵三が急な病に倒れてからというもの,はっきりした意識などなかったはずであったのに,この小渕から「首相になるように指名を受けた」などと,しかも確たる証拠もないまま,かつまたそのようにして,自民党内の権力闘争を密室・談合的に仕上げるかたちをもって首相になっていたのが,この森 喜朗であった。

 その出来事は,うさん臭いことこのうえない自民党の「古き・悪しき伝統」が生かされた実例であった。

 ところで,森 喜朗に関してはおまけの話題がある。瞬時でもよかったのだが,ともかく森は,国民に対してそれなりに知性の輝きや理性の沈着さなどを披露できたことなど,一度もなかった。いうなれば「日本国において愚相たる悪例見本」でしかありえなかった。

 それでいて,日本は「神の国」などと宣言したとなれば,日本に存在すると一般に信じられている『八百万の神々』たちのほうからは,「オイ,よしろう! オマエ,しったふりしてモノをいうな」と激怒していたと観察してよい。

 補注)森 喜朗の「神の国」発言に対して民主党(当時)は,「日本は神の国? いいえ,民の国です」と批判するCMを打っていたけれども,この国には「神」のほうに近い位置づけをされている特定の人間がいる。それゆえ,森の発言をゆるやかにだが,当然視する精神的な基盤がある。

 総理大臣になった森 喜朗ではあったけれども,「無党派層は寝ていてくれればいい」とか,イギリスのブレア首相との会談のなかで「北朝鮮による日本人拉致被害者を第三国で行方不明者として発見する案の暴露」とかいった発言などのために,「首相としての資質に欠ける」との批判が各層から噴出してた。

 要するに,安倍晋三麻生太郎にも通底する1点であったが,自民党歴代のなかに多数登場してきた「お▼カ総理大臣たち」のせいで,この日本国の世界的な評判は,いつも地底をはうような目に遭わされてきた。国民たちの側で受けた迷惑といったら,これはもうたまらないほど恥ずかしい。

 しかし,そのような首相たちが現実に日本の治世をになってきたのだから,この国における平均的な「民度」ときたら(この前,麻生太郎が日本はこれが高いのだみたいな発言をしてしまい,世界中から不評をかっていたが),いまもまだ低空飛行状態のままにさせられていた。

 ところで,2020東京オリンピックの開催が延期になったからの,「2020年における新型コロナウイルス感染症」の拡大現象についての話題となる。その第1波が落ち着いたとみられた時期,つまり5月も下旬にもなったころだったが,日本が世界に誇れる「世襲3代目のお▼カ政治屋」の「安倍晋三首相」が,後段のごとき発言を,みずから託宣してくれたことがあった。

 それは,世間の常識人の感覚ですれば単なる笑い話であったにせよ,とてもではないが,すなおに聞き入れるわけにいかない内容(発想?)になっていた。いいかえれば,安倍晋三の話法的に一流であったつもりらしいそれであっても,本当のところは,他者が解釈する段となれば〈狂気の発露(漏洩!)〉になっていた。

 とはいえ,つまり,安倍晋三という存在じたいが〈子ども宰相〉以外ではありえなかったといったふうな,とことんモノ悲しかった「事実そのもの」に照らしていえば,ごく〈自然な仕草〉ではあった「前段のごとき安倍による各種の言動」は,ちまたに暮らすわれわれ一般人の感覚で受けとめるとなれば,とてもではないが正気のものには感じられなかった。

 もっとも,先日〔2020年8月28日〕になって,ようやく長いトンネルを抜けたかのようにして安倍晋三が総理大臣の座から降りてくれた。けれども,この人自身はもともと「首相としての資質」に欠けていた。その長かった執権期間(2012年12月26日から7年と8ヵ月半)のうちに,この日本国はみるみるうちに,なんともみるも無残にも弱体化・縮小化させられてきた。

 換言するとしたら,「第2の敗戦国」(2011年3月11日の「東日本大震災」と「東電福島第1発電所の大爆発事故」を原因とする)に対する総仕上げの作業を,安倍晋三はとてもしっかりとテイネイにおこなってきた。この実績(手腕?)に鑑みても,彼の政治屋としての本当の実力がよく理解できるではないか。

 菅 義偉が首相となってからまだ間もないが,安倍晋三の実績をさらに負的:不適な方途に向けて総仕上げする意向だとなれば,これは「第3の敗戦」(もしくは「第2のその『第3の敗戦』)を呼びこむための首相が登壇したといえなくはない。


  狂気の確信と根拠のない妄信-安倍晋三新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」首相官邸』令和2〔2020〕年5月25日にみられる無知蒙昧さの跋扈跳梁-

 この記者会見から冒頭の段落のみ引用する。

安倍総理  冒頭段落  発言】

 

 まず冒頭,これを機に改めて,今回の感染症によってお亡くなりになられた方,お一人お一人の御冥福をお祈りします。感染された全ての皆様にお見舞いを申し上げます。

 

 本日,緊急事態宣言を全国において解除いたします。

 

 足元では,全国で新規の感染者は50人を下回り,一時は1万人近くおられた入院患者も2000人を切りました。先般,世界的にも極めて厳しいレベルで定めた解除基準を,全国的にこの基準をクリアしたと判断いたしました。諮問委員会で御了承いただき,この後の政府対策本部において決定いたします。

 

 3月以降,欧米では,爆発的な感染拡大が発生しました。世界では,今なお,日々10万人を超える新規の感染者が確認され,2か月以上にわたり,ロックダウンなど,強制措置が講じられている国もあります。

 

 我が国では,緊急事態を宣言しても,罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも,そうした日本ならではのやり方で,わずか1か月半で,今回の流行をほぼ収束させることができました。正に,日本モデルの力を示したと思います。

 

 全ての国民の皆様の御協力,ここまで根気よく辛抱してくださった皆様に,心より感謝申し上げます。

 

 感染リスクと背中合わせの過酷な環境の下で,強い使命感を持って全力を尽くしてくださった医師,看護師,看護助手の皆さん,臨床工学技士の皆さん,そして保健所や臨床検査技師の皆さん,全ての医療従事者の皆様に,心からの敬意を表します。

 

 日本の感染症への対応は,世界において卓越した模範である。先週金曜日,グテーレス国連事務総長は,我が国の取組について,こう評価してくださいました。

 

 我が国では,人口当たりの感染者数や死亡者数を,G7主要先進国の中でも,圧倒的に少なく抑え込むことができています。これまでの私たちの取組は確実に成果を挙げており,世界の期待と注目を集めています。

 

 そして本日,ここから緊急事態宣言全面解除後の次なるステージへ,国民の皆様とともに力強い一歩を踏み出します。目指すは,新たな日常をつくり上げることです。ここから先は発想を変えていきましょう。

 いちいちこまかい反論は不要である。関連する図表をひとつだけ挙げておけばいいわけであるが,安倍晋三のこの大見得を切った発言は,これからもなんどか重ねて必要になるというわけか? (次図は,クリックで拡大・可  ↓  )

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 この統計図表は,日本テレビの作成になる「新型コロナウイルス『COVID-19』の感染発生・拡大などの状況」を表わしている。となると,これによって「5月25日」以降の経過を観てみると,安倍晋三が前段で断言していたごとき「日本モデル」が「コロナ禍」に「打ち勝った,勝利した」といい切ってみた発言が,実は,今後においてもさらに繰り返して要求される,つまりだいぶ怪しい雲行きになっている。

 ともかく,7月からぶり返している新型コロナウイルス感染者数「増大」(この第2波とみなせるもの)が収まったと判定していい時期が,いったい,10月に入って来るのかどうか,これについてはなんとも判断しかねる。だが,安倍晋三が5月25日に高らかに「今回の流行をほぼ収束させることができ」「正に,日本モデルの力を示したと思います」と自慢した発言は,客観的に観て,完全にやぶ蛇であった。

 もしかすると,第2波のコロナ禍がひとまず収まったとしても,そのつぎにさらに第3波が襲来してこないという保障はない(「波」として捕捉できるかはさておき,その流行が完全に収束するとは思われない)。となれば,その第2波,そして第3波のときも安倍晋三は「今回の流行をほぼ収束させることができ」「正に,日本モデルの力を示したと思います」と,つづけて自慢できるのか?

 以上の指摘(批判だが)が当たっているとしたら,安倍晋三の5月25日「新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見」は笑い話のネタであるか,あるいは嘲笑されるだけの材料を提供しただけである。

 以上,いまは首相ではない安倍晋三君にいくらか絡んだ議論になっていたが,この人の後継者になった菅 義偉首相が,延期とされた2020東京オリンピックの開催に関して,安倍晋三と同工異曲の大胆な発言をしていたとなれば,これは「お笑い」どころか,他者にとっては「背筋が寒く」なるような「政治屋としての〈精神の貧困〉ぶり」を発露させている。

 

 「『疫病に勝った証し』菅〔義偉〕首相,国連で五輪開催の決意」asahi.com 202099月26日 18時20分,https://digital.asahi.com/articles/ASN9V36V8N9TUTFK01W.html

 菅 義偉首相は米東部時間の〔9月〕25日夜(日本時間26日午前),事前収録した動画メッセージを流す形式で国連総会の一般討論演説をおこなった。約11分間の日本語の演説の大半を新型コロナウイルス対策に割き,各国が連携を深める必要性を強調した。

 22日にニューヨークの国連本部で始まった一般討論演説は今〔2020〕年,コロナ禍を受けて事前録画形式を採用している。首相は19日に首相官邸で収録。新型コロナの感染拡大を「人間の安全保障に対する危機だ」と指摘。「誰の健康も取り残さないという目標をかかげることが重要だ」と述べ,各国の保健・医療体制の強化を支援し,安全な人の移動を実現するためにワクチンや治療薬の普及に取り組む考えを示した。

 「困難に直面した時こそイノベーションが生まれる」とし,みずから意欲を示す行政のデジタル化について「喫緊の課題として取り組んでいく」と話した。

 補注)この記事を読んで大きな疑問が生じて当然である。安倍晋三が「5月25日」の時点で,「今回の流行をほぼ収束させることができました。正に,日本モデルの力を示したと思います」と断言していたにもかかわらず,前掲した図表のようにその後,コロナ禍はより高い水準となって再発していた。安倍のその発言はだから「完全に間違えていた」ことにしかなりえない。それだけのことであった。

 来〔2021〕年夏〔予定〕の東京五輪パラリンピックについては「人類が疫病に打ち勝った証し」として開催する決意を表明した。北朝鮮による拉致問題では,安倍政権と同じく「条件をつけずに金 正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党)委員長と会う用意がある。あらゆるチャンスを逃すことなく,全力で行動する」と述べた。

 補注)北朝鮮の金君と「条件をつけずに」「会う用意がある」といったところで,具体的に外務省筋を使い根回しをしていなければいけない現状すら,ろくに展開できていなかった “安倍晋三流の対・NK外交” の単なる継承では,手も足も出まい。金君のほうがその意味では何枚も上手……。安倍や菅は,現状では,金君のまともな相手にはなりえない。

 就任後,首相が国際会議の表舞台で外交への見解を示すのは初めて。演説では「積極的平和主義」など,安倍晋三前首相が使ったフレーズも用い,安倍政権の継承をアピールした。

 補注)「安倍政権の継承をアピールした」? それ,なにをいいたいの,という感じ……。

 一方で,昨年9月の安倍氏の演説と比べると,カラーの違いもみられた。安倍氏は「私はこのさい」「私の国,日本が」など,「私」を20回使ったが,菅首相の演説は4回だけ。海外のマラソンランナーや各国首脳など8人の名前を演説で取り上げ,個人的なエピソードをちりばめた安倍氏とは対照的に,首相が挙げたのは金委員長1人だった。(引用終わり)

 菅 義偉「首相が挙げたのは金委員長1人だった」というくだりには,特別の意味をこめていたつもりかしらぬが,このような演説内容のひとつで「北朝鮮との外交」を動かせるとは思えない。氷山の一角にもなりえない昼行灯的な演説。

 

  安倍晋三がまだ首相であったころ,小沢一郎が放った批判-「新型コロナ「日本モデルの力」安倍首相に異論・反論」働き方改革関連法ノート』2020-05-27 11:12:05,https://blog.goo.ne.jp/roudousoudan/e/18aa8aed115d1aade6d5ddab400735e3

 小沢一郎議員は,2020年5月25日の安倍晋三首相の新型コロナ緊急事態宣言解除にさいして「日本モデルの力」と発言したことに関連し,「日本モデルの力(?)なにを寝ぼけているか」,「曖昧な自粛だけ要請し,ろくに補償もせず,原因不明だが偶然感染者が少ないだけなのに,さもなにかしたかのように自画自賛空前絶後の規模,世界最大,世界で最も手厚い...。いっていて恥ずかしくないのだろうか。危機における無策は世界の模範にはならない」と,会見の翌日(5月26日)にツイート。

 確かに安倍首相ほど自分に都合のいいように,ものごとを利用する人物はいないだろう。

 魚住 昭さんの『なぜ岸 信介は「A級戦犯」として起訴されなかったのか』によると,安倍晋三首相の祖父・岸 信介を東京裁判で尋問したサカナリ中尉らは「岸はおそらく(一貫した原理原則のない)機会主義者で,自分に都合のいいようにものごとを利用する人物だ」と調書のなかで指摘していた。この人物評は孫の安倍晋三首相にも共通する。

 「日本モデルの力」というより「安倍モデルの力」か? 「朕は国家なり」のルイ14世を継ぐルイ16世なのだから, 安倍晋三首相は「日本モデルの力」というより「安倍モデルの力」といいたかったんだろう。 繰り返しになるが,安倍晋三首相ほど,自分に都合のいいようにものごとを利用する人物はいない。

 しかし,不思議なことに日本では,それに気づかない人が多いようだ。多分,日本人が気づかない理由は,日本のメディアが安倍晋三首相に都合の良いことのみ大きく取り上げて報じつづけているからだろう。しかし,海外のメディアは安倍晋三首相に忖度した報道はしない。(引用終わり)

 この安倍晋三君,本当はまともな政治理念や確固たる自己信条など,もともと(いまとなっては生まれつき〔?〕だったというべきか)もちあわせていなかった。したがって,それら「理念・信条」などカラッポの,いわば彼に特有だったその精神構造の空間(空洞)があるからこそ,ここにはなんでも収納可能であった。もちろん,本当も嘘も森羅万象的に包括させえての,そうした神経細胞の動きとなっていた。

 そのような岸 信介の外孫で,「世襲3代目のお▼カ政治屋」の典型的なサンプル提供者であった安倍晋三にとってみれば,「戦後レジームからの脱却」だとか,いいかえれば,森 喜朗が「神の国」に帰りたいかのようにつぶやいていた発想のたぐいは,明治以来の「神武創業」としての偉大なる大日本帝国史のなかでデッチ上げられてきた誇大妄想・夜郎自大に依っていたものだが,寝ぼけマナコの状態で膨らませられた “ハナブク提灯” そのものであった。爪楊枝で突くまでもなく,すぐにパチンとはじけるそれであった。


 皇国史観」とはナンゾヤ:その1しんぶん赤旗2008年3月19日の説明,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-19/ftp20080319faq12_01_0.html

 〈問い〉 貴紙〔2008年〕2月10,11日「神国の誕生―再考・建国の記念日」でのべていた皇国史観はいつごろだれが体系化したイデオロギーなのですか?(福島・一読者)

 〈答え〉 「皇国史観」はその概念を,いつの時代にまでさかのぼって定義するかによって成立時期が異なります。源泉が古事記日本書紀にあるのは確かですが,「史観」としていつ確立されたかについては,さまざまな見方があります。また「誰が」という点では,特定の個人が1人で生み出したものではないため「誰が」と確定するのは不可能です。

 政府から民間人まで,さまざまな思惑が絡み合いながら育成され,結果的に太平洋戦争の時期にピークを迎えた「史観」としかいいようのない面があります。そして,「体系化」についてはそもそも「皇国史観」が体系的なものでなく,戦後この言葉がよく使われるようになってからも,かなりあいまいなレッテルとして機能してきたことが,最近の研究で指摘されるようになっているほどに,もともと「体系」的とはいいがたい概念です。

 こうした,あいまいさじたいが特徴ともいえるのが「皇国史観」ですが,見解が分かれていることを前提にしつつも,大づかみ歴史をたどると,以下のようになります。

 a)皇国史観」は,江戸時代以前から複数の源流をもちながら存在していた思想を下敷きに,明治政府の指導者たちが天皇を中心とした中央集権的国家づくりをめざすなかでその基礎が形成されました。大日本帝国憲法教育勅語によって天皇の神格化が制度化されるなかで教育面でもその普及が強化され,国定教科書でもとりあげられて幼少期から「皇国史観」が植え付けられました。

 b) 皇国史観」の強化時期としては,国家神道にもとづく国民教化運動の中心を担うため教部省が設置された1872年なども重要な節目とみることができますが,1930年代なかばに「国体」をはっきりさせようとする「国体明徴運動」が起こったように,「国体」の概念じたいがあいまいであるという認識や矛盾が右翼勢力のなかにも長らく存在していました。

 c) しかし,戦時体制が強化されていくなかで,日本の領土拡張政策を正当化する論拠として機能した「皇国史観」は,時を追うごとに帝国日本の精神的支柱としての役割が強まり,1937年の『国体の本義』の発行や「国民精神総動員運動」などを経て,「国民的」なものになっていきました。その理論化には歴史学者平泉澄が大きな役割を果たしました。(引用終わり)

 つぎには,『国体の本義』昭和12〔1937〕年を批判的に解説した,辻田真佐憲稿「ゼロからわかる日本スゴイ論の元祖『国体の本義』の支離滅裂っぷり,『教育勅語』の次はコレか?」『現代ビジネス』2017年5月1日から,最後の4頁目を引用しておく。

 日本特殊論の失敗例として『国体の本義』は,……さまざまな事例をもち出して日本の優位性を怒濤のごとく説明していく。今風にいえば,「日本スゴイ」をかき集めて,きわめて精密に体系化したようなものだ。それゆえ,中途半端に手を出すと,その説明に引きずりこまれてしまう恐れがある。

 

 もちろん,落ち着いて読めば,『国体の本義』派さまざまなつまみ食いの集積だとわかる。皇位の絶対性・不動性を証明する「天壌無窮の神勅」(天皇家が日本を永遠に統治すべきだとする天照大神のメッセージ)にしても,『日本書紀』に由来する神話に過ぎない。

 

 『国体の本義』の編纂当時すら,津田左右吉によって批判的に検証されていたぐらいだ。国体の根拠がこんなものでは,あまりに心もとない。また,君民一体にしても,歴史を少し振り返れば,日本人が天皇を冷遇・軽視した例は数え切れないほどみつかる。これで「天皇に対する絶対随順は,止みがたき自然の心の現われ」といわれても無理があろう。

 

 そもそも『国体の本義』は,深い思索の結果生まれたものではなく,共産主義に対抗する必要から編まれたものである。そのため,ていねいに読んでいくと,無数の粗が際立ってしまう。戦時下には,国体イデオロギーの指導書として尊重された面もあったが,敗戦後には一挙にその影響力を失った。GHQの禁止などなくてもそうなっただろう。

 

 その意味では『国体の本義』は,いまや歴史的な資料のひとつにすぎない。ただし,現在は「八紘一宇」や「天壌無窮の神勅」などが政治家の口から飛び出す時代である。『国体の本義』も,なにかのきっかけで評価されないとはいい切れない。

 補注)その政治家の1人が森 喜朗であったが,ほかにも何人でも同類の政治屋たちは,いる(し,いた)。なお,この『国体の本義』を教師たちが教育現場において生徒たちにどのように教えるかという技術面については,これが非常な難題であった。それはそうであったはずである。無理無体な「歴史の観念」を教える立場にあった教師たちは,さぞや苦労が絶えなかったと思われる。

 まして今日の日本では,経済的な衰退から,思想問題がもち上がりつつある。かつて政治的・社会的な問題は,経済的なバラマキである程度解決できたが,いまやそれができなくなり,左右のイデオロギー対立がむき出しになっているのである。愛国教育,国旗国歌問題,道徳の教科化,家族主義,文教族の台頭などは,こうした変化の兆しでもある。

 そのなかで,体系的な『国体の本義』は魅力的にみえるかもしれない。だからこそ,いまのうちにその芽をつんでおく必要がある。『国体の本義』は,いまでは珍妙な骨董品にすぎないのだと。しかも,それは土台の部分が揺らいだ欠陥品なのだと。

 『国体の本義』は,日本特殊論の失敗例としてのみ今後参照されるべきだろう。「思想強国」路線は他山の石としなければならない。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51610?page=4

 安倍晋三の自著(?)『美しい国(へ)』という国家観念は,この「国体の本義」風に落ちこぼれ的な「それ,ダメ!」である政治思想の泥沼にみごとに足をとられている,いわば21世紀にはまったく通用するわけもない不良品・粗悪品であった。百害あって一利なし。ただし,「その一利」とはいっても,安倍晋三〔とこの徒党集団・一族郎党〕のためであれば,ありえそうな「その一利」でしかなかった。

 ただ,それだけのことなのだが,「それ:国体の本義〈観念〉」を本気で支持できるうつけ者たちがいまごろにもなってまだワンサといる国が,この「にっぽん」。だから,その人数分だけは “ニッポン,チャチャチャ!!!” などと,叫んでいられるのかもしれない。だが,その叫び声はしょせんは愚か者たちのうわ(たわ)ごと。

 つぎは,皇国史観を説明した新書版に関する宣伝文句に聞いてみたい。要は,「神の国」とは,「お上(支配者・為政者)が自分たちの利害にとって都合よく想定しておきたい国家像」であった。なかんずく,それはもうたいそう調子のよい,歴史観の問題など関係ないとばかり,吹っ飛ばしておいた「神的な観念」であった

 皇国史観」とはナンゾヤ:その2「近代日本の枠組みを考える-『皇国史観』とは何か」文藝春秋 Books』 2020.04.30,https://books.bunshun.jp/articles/-/5418

 以下の文章は,片山杜秀皇国史観文藝春秋(新書),2020年4月を出版元が宣伝用に片山自身に作成させた文章である。著者自身の要旨説明であるゆえ,要領よくまとめられているはずである。

 --本書では,「皇国史観」をキーワードに,講義形式で明治から現代まで,近代日本の歴史観,政治思想をみていきたいと思います。大変な大風呂敷で,うまく畳めますかどうか分かりませんが,お付き合いのほど,よろしくお願いいたします。

 a) そもそも「皇国史観」とはなんでしょうか? 私どもを含む戦後の教育を受けた世代にとっては,「非理性的でファナティックな歴史観」であり,「戦争の時代に国民を動員するための強引な仕かけ」といった印象が強いのではないでしょうか。平凡なやり方で恐縮ですが,辞書的な定義から確認しておきましょう。「広辞苑」を引いてみます。

 国家神道に基づき,日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国の歴史として描く歴史観。近世の国学などを基礎にして,十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め,国民の統合・動員に大きな役割を演じた。

 確かにこの定義は大切なのですが,「近世の国学などを基礎にして,十五年戦争期に正統的歴史観として」というところは,ずいぶん派手に飛んでいると思いませんか。江戸時代から昭和に飛躍している。

 まさか昭和になって,いきなり江戸時代の国学が思い出されたのではないでしょう。儒学国学があって,明治維新があり,そこで作られた国家の枠組に「皇国史観」的なものがあって,昭和の戦争期に前にぐんと出てくる。そういうことでしょう。

 b) それなので本書では,視界を「十五年戦争期」からもっと広げて,前提が整えられてゆく江戸期のことも確認しながら,明治以来,近代日本の大きな枠組みを作り上げているものとして「皇国史観」を考えてみたいと思います。

 ここで念を押しておきたいのは,この「皇国史観」にせよ,そのベースとなっているとされている「国家神道」にせよ,とくに江戸時代にルーツが求められるとはいえ,あくまで近代の産物だということです。

 明治以降,近代西洋的価値観が覇権を握る世界で日本なりの近代を創出し生き残りを図ろうとしていくなかで,この国が選んだ国家の枠組がまさに「天皇を中心とした国家」でした。それを思想として理論づける役割を担ったのが,本書で取り上げる「皇国史観」だと考えます。

 なお,本書で取り上げる対象のなかには,広辞苑的な意味での「皇国史観」に批判的・否定的な立場を取るものも含まれます。「天皇を中心とした国家像」を料簡広く捉えようとすると,戦前・戦中の文部省の歴史教育など,話は狭義の「皇国史観」に,やはり収まりますまい。

 c) 天皇をどのように日本という国家のなかに位置付けるのかという問題は,まさに現在形でもあるのですから。「皇国史観」だけを論ずるのではなく,「皇国史観」のあとさきが見渡されなくては,あらためてこういうお話を取り上げる意味が出てまいりますまい。前史と後史まで,批判しているつもりの人たちまでを,大きな土俵に上げて,ひとつの筋を付けてみたいということです。

 たとえば,平成から令和に代替わりするさいの「天皇の退位」は,皇室典範による明治以来の規定を大胆に乗り越えた決断でしたでしょう。最後の講義では,この退位問題にまで言及したいと考えています。(引用終わり)

 はたして,森 喜朗がここまで考えて「神の国」発言をしていたか,あるいは安倍晋三がどこまで考えてから「美しい国〔へ戻りたいと欲望するために〕」表現していたか,などという要点は絶対に見逃してはいけない重要事項であった。

 もっとも,安倍晋三が自著『美しい国へ』2006年初版の中身全部を自身で書いていたかどうか,疑いをもたれている。なぜか? もちろん,彼がそこまで作文はできないからであった。ゴーストライター(代筆者)がいるとみて,当たりまえに十二分に自然である。

 その意味でとらえていえば,安倍晋三の,実はもともとはなにもなくカラッポであった政治理念・信条は,二重の意味をもってもとより空虚な実体でしかありえなかった点を推認させる。

 安倍晋三の為政は確かに,この日本を「とても醜い国」に変身させてきた。いってみればその間において,安倍晋三という政治屋の実像そのものが,しっかりとテイネイに反映させられた「3流国家が再生させられてきた」。

 この事実は,若干の喜劇風になる「できそこない脚本」に裏づけられていたとはいえ,より本当のところでは,もっぱら悲劇そのものとなった舞台を演出しつづけてきた。菅 義偉が安倍晋三のそうした路線を継承するというのだから,……,……,……。

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