真理探究のための学術研究を潰してでも自国の科学体制を破壊したい菅 義偉政権は,学問・研究の本義などいっさい理解しようともしないまま,「亡国の首相」の本領を発揮する立場からこの国を倒壊しつつある(その1)

 民主主義の大前提となる基本的な考え方は,つぎのように説明されている。

 18世紀,フランスの哲学者ヴォルテール(姓は Voltaireだが,本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie  Arouet,1694-1778年)は,「私はあなたの意見には反対である。だが,あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と確言していた。

 その主張は,この民主主義社会において,もっとも重要で基本的な原理である『言論の自由』が脅かされる危機感を,直接に語っていた。人びとの政治的思想や政策がどのように異なっていようが,つまり,いかなる主義や立場を抱いて主張をおこなおうが,すべての人びとは言論の場を等しく確保される,という意味である。

 これは,王制や帝政といった封建社会や戦争の惨禍を経てこそ,営々たる先人たちの血と知の葛藤のすえにようやくたどり着けた “人類共通の到達点” である。

 ところが,21世紀も20年が経ったいまもこの国では,19世紀の遺物である「旧大日本帝国時代の未熟民主主義政治」にくらべてもまだ決定的に劣る「非・民主主義,反・国民主義の為政」が,安倍晋三の第2次政権を継承するという菅 義偉の政権のもとで,いっさいの内省も羞恥もなく,しかもあからさまに,粗暴かつ野卑な方向を維持して,すでに展開されはじめている。

 前段,ヴォレテールの哲学者としての活動は,啓蒙家として封建社会や宗教的不寛容などに対する合理的精神による批判を展開していた。その舌鋒が災いするほかなかったヴォレテールは,投獄される目になんども遭いながらも,絶対的理性への信奉を貫いて行動をしてきた。

 ※-1「素粒子朝日新聞』2020年10月2日夕刊,いわく。

 

 菅内閣の本性が現われた。政府を批判した学者らの日本学術会議会員への任命拒否だ。

 なぜこの6人を? 説明はない。決定の理由や検討の経緯は文書に残してあるのか。

 選挙で選ばれた議員がすべてを決める。批判者は人事で脅して黙らせればいい……。

 異論にも耳を傾ける度量も寛容もない。権力の過信と傲慢が,憲法の保障する「学問の自由」を揺さぶっている。

 

       f:id:socialsciencereview:20201004204953j:plain

 

 ※-2「【学術会議】名簿は6人が外された状態で決裁された」『田中龍作ジャーナル』2020年10月2日 15:37,https://tanakaryusaku.jp/2020/10/00023744 いわく。

 

 権力の掣肘を受けないはずの学術の人事にまで,官邸は介入してくるようになった。「パンケーキおじさん」などとマスコミがもてはやしていた裏で,時代は一気に戦前に逆戻りしていたのである。



 🌑 前   論  🌑

 

 「前論・その1」

 アメリカの政情を語っているが,実は,日本のそれを心配する『日本経済新聞』2020年10月2日朝刊のコラム記事「〈大機小機〉綻ぶ民主主義の統治機構」が掲載されていた。

 このコラム記事を引用する。「基本ができていない」日本の政治を,というよりは,首相たち:安倍晋三や菅 義偉をきびしく批判している。ほんのおさわり程度であっても,実は「説明責任=ゼロ政府」への批判ならびに非難になっている。

     ★ 綻ぶ民主主義の統治機構
  =『日本経済新聞』2020年10月2日朝刊 =

 欧米の先進資本主義諸国で社会の「分断」が大きな問題として浮上し,民主主義の危機が叫ばれている。ではどうすればよいのか。これまでのところ「民主主義には大いに問題がある。ただ他のどんな制度よりましだ」という,先人たちの名言以上の回答はえられていない。

 

 問題は民主主義それじたいにあるのではなく,民主主義の統治・運営システムにあるのではないか。迫ってきた米国大統領選挙関連の報道からそう考えざるをえない。

 

 米国の大統領選は,各州でおこなわれる有権者の投票で選ばれた選挙人の数で決まる間接選挙だが,各州はそれぞれのルールで選挙をおこない,選挙管理の方法もそれぞれだ。票の数え間違いは珍しくないし,不正の入りこむ余地もあるといわれる。

 

 報道によれば,トランプ大統領は選挙結果がたとえ自分に不利でも,大差でなければ,選挙に不正があったとして敗北を認めない作戦に出る可能性があるという。これでは大統領選挙を繰り返しながら,争いの絶えない新興民主国家のアフリカの一部の国々と変わらないではないか。旧態依然の選挙制度に欠陥があるといわざるをえない。

 

 米国が世界の超大国となった現在,米国の大統領が世界最大の権限と影響力をもっていることを疑う者はいない。今回の選挙の帰趨に日本の国民としても大きな関心を払わざるをえない。

 

 民主主義の機能不全を象徴するもうひとつの典型例は,国連の安全保障理事会だ。周知のように常任理事国は米国など前大戦の戦勝国5カ国に限定され,それら5カ国のみが拒否権を付与されている。

 

 茂木敏充外相が,国連創設75年を記念する会合で,日本の従来の主張に沿って安保理の改革と日本の常任理事国入りを訴えた。日本がフランスや英国より多くの分担金を負担している以上,当然のことだ。

 

 国内では,前安倍晋三最長政権のもとで公文書改ざんが表面化した。記録保全,情報公開,説明責任は民主主義が健全に機能するための必須条件だが,その基本ができていなかったのだ。

 

 民主主義を疑うのではなく民主主義を機能させる統治の仕組みに監視の目を光らせよう。

 この日本自身について語った最後の部分では,安倍晋三前政権の「デタラメとウソ」の三昧というか,そのてんこ盛りだった為政が指摘・批判されている。要は,21世紀になっても日本はまだ「民主主義」の「その基本ができていなかった」と結論されている。

 安倍晋三や菅 義偉は,民主主義などなんとも思っていない。というのは,自分たちの有利に,都合のいいように使える民主主義は利用するけれども,そうではない民主主義は徹底的に排斥してきた。

 そもそも,彼らは「民主主義」という根本理念とは無縁である “それぞれ政治屋” であった。民主主義は「批判の交流」によってこそ,よりよく成立しうる議論のための舞台が作られるという摂理など,おそらく,小学生よりも理解していないのが,安倍晋三前政権であったし,また菅 義偉現政権でもある。

 安倍晋三政権の幼児性は,菅 義偉政権の精神硬直的に継承されているゆえ,蛻変(ぜいへん)など期待できない。いよいよこの日本は『3流国家体制』である特徴を,本格的に定着させた。自分たち(安倍晋三や菅 義偉)に向けられる反対意見にはいっさい耳を貸すつもりが,そもそも初めから完全にない。

 この種の政治家は,民主主義の国家体制を担当する資格などない。政治屋と呼ぶのもためらうほどである。どうみても首相の地位に就いたことじたい,大きな間違いであった。

 

 「前論・その2」

 赤田康和・稿「〈取材考記〉批判かわし放送局には『圧力』… 継承やめて  菅政権,メディアと健全な緊張感を」『朝日新聞』2020年10月2日夕刊が,こう語っていた。

 菅 義偉首相は,官房長官時代の記者会見で「ご指摘は当たらない」などと批判に対して対話を拒む姿勢が目立った。安倍政権では権力とメディアの力関係が変質したと思う。政権はメディアへの影響力を強めようとし,圧力ととられかねない動きを繰り返した。

 補注)実際に菅 義偉がやってきた政治手法は「圧力そのものの行使」であった。遠慮がちに,このように表現しなければならない立場も理解できなくはないが,弱腰の発言である。とくに,菅 義偉の官房長官時代における無礼千万な態度:答え方は,子どもたちに民主主義を教える材料にはとうていなりえない。反面教師的な材料だとしても,不適であり使用できない。

 2013年,安倍首相はNHK経営委員に,首相の支持者や元家庭教師を任命。経営委が新会長に選んだ籾井勝人氏は政府の立場に寄りそうような発言をした。当時,NHKの取材をしていた私は耳を疑った。受信料で運営されるNHKは国家権力からも独立した「公正・中立」が求められるからだ。

 権力にメディアが押しこめられていく。そんな不安を抱いたが,いま思えば,序章に過ぎなかった。

 2014年,自民党は筆頭副幹事長らの名で衆院選報道の公平中立を求める文書を民放キー局に送った。2016年には高市早苗総務相が国会で,政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に,電波停止を命じる可能性があると述べた。

 放送法には放送局に「政治的公平」を求める規定があるが,「何人からも干渉され,規律されることがない」との規定もある。停波は表現の自由を保障する憲法に違反する恐れがあるし,高市氏らの言動は「公平」に名を借りた圧力になりかねないものだった。

 補注)こちらの問題も同前であった。高市早苗は当時,総務大臣として「政権=自民党の利害からする圧力」ををマスコミ・メディアにかけていた。執権党が口にする「政治的公平」性となれば,相場は決まっている。いまとなって,この話題がどういう結果をもたらしてきたか贅論する必要はない。

 各メディアと政権との距離感の違いもあらわになった。安倍氏は2017年,読売新聞の単独インタビューに応じ,憲法改正の考え方を表明。国会でも長妻 昭・衆院議員の質問に対して「読売新聞に書いてあるから,それを熟読していただいて」と述べた。

 長妻氏は「かつて優れた政治家は批判に耳を傾け,みずからを成長させた。だが安倍氏は批判的なメディアや野党との議論から逃げ,みずからに親和的な勢力との関係に閉じこもった」とみる。

 補注)『読売新聞』は読売新聞社が発行する自民党翼賛新聞紙であるが,この事実は,文科省次官であった前川喜平に対するデッチ上げ記事の「偽造・捏造・安倍晋三」的な報道によって,再度確認されていた。

 『読売新聞』という新聞は「社会の木鐸」からはもっとも遠いというか,完全に無縁な場所にこもっている。それも,時の政権に協力する都合があってのことであった。2014年夏以降,世間を騒がせた朝日新聞社従軍慰安婦誤報」問題が惹起させられたさい,

 読売新聞社産経新聞社といっしょになって,まるで大はしゃいでいるかのように「朝日叩き」のために熱心に扇動していた。だが,そのはしたなさのために,新聞紙業界全体がかえって購読者を失うという顛末を呼びこんでいた。その出来事は,皮肉にもならない〈馬鹿さ加減〉を意味していた。

 元共同通信記者で専修大教授の澤 康臣氏は「安倍政権下でメディアは分断されてしまった。権力が強大な時ほど連携し監視する必要がある」と話す。「安倍政権の継承」をかかげる菅氏だが,メディアとは健全な緊張関係を築き,批判を受けとめ,説明を尽くしてほしい。われわれ記者も力ある者になびかぬ強さをもちつづけたい。(東京社会部)

 

 「前論・その3」

 以上の記者の感想=所見が披露されてから2日後の今日:2020年10月4日の『朝日新聞』朝刊3面には,「菅首相が懇談会,朝日記者は欠席 内閣記者会と食事」という記事が掲載されていた。

 菅 義偉首相は〔10月〕3日午前,東京都渋谷区のレストランで,内閣記者会に所属する記者と食事をともにする懇談会を開いた。

 

 朝日新聞の記者はこの懇談会を欠席しました。首相は日本学術会議の新会員に6人を任命しなかった問題をめぐり「法にもとづいて適切に対応した結果です」と記者団に答えるにとどめています。

 

 朝日新聞は,首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。

  さて,つぎに引用する記述は,安倍晋三前政権が最後までおこなってきた “首相と記者たちの親しい交流ぶり” を指摘している。この記述の見出しは「マスコミが首相に抱き込まれている」であった。

 註記)2015年1月4日,http://kanumanodamu.lolipop.jp/Sonota/mediaDinner.html

 時は,2015年1月4日。題目は「〔安倍晋三〕首相とメディア幹部が会食をしまくっている」。2014年12月20日付け東京新聞こちら特報部』によると,「衆院選直後の〔12月〕16日夜,安倍晋三首相が全国紙やテレビキー局の解説委員らと会食した。首相は2年前の就任以来,大手メディア幹部と「夜会合」を重ねる。」と伝えている。

 この『東京新聞』の記事を引用しよう。

 東京・西新橋の「しまだ鮨」は,表通りから一本奥まった路地に立つ数寄屋造りの一軒家である。大きな柳の木と黒塀が渋い。16日夜,安倍首相はこの老舗で,時事通信,朝日,毎日,読売,日経,NHK,日本テレビの解説・編集委員らと会食した。やり取りは一切秘密の「完全オフレコ」である。

  (中略)

 夜会合に出席した時事通信田崎史郎解説委員によると,首相と親交がある記者の集まりで,2008年ごろから年2回ほど開催しているという。今〔2015〕年5月にもしまだ鮨に集まった。田崎氏は「会合の日程は衆院解散が決まる1カ月以上前から決まっていた。総理からお金はもらえないし世間の目もあるので,総理の食事代はわれわれが払った」と説明する。

  (中略)

 安倍首相の夜会合は,歴代首相と比べても盛んだ。2013年1月の渡辺恒雄・読売グループ会長を皮切りに,朝日,毎日,日経,産経の全国紙や,フジテレビ,日本テレビなどのテレビキー局,共同,時事通信の社長や解説委員らとつぎつぎと会食した。さらに中日(東京),中国,西日本などの地方紙の社長とも意見交換。首相のメディアとの夜会合は,この2年間で40回以上に上った。

  ※「首相と会食したメディア関係者は7人」※

 カレイドスコープというサイトの「安倍のグルメ接待で『事実を報道しない』卑しい編集委員たち」というページ,および2014年12月30日付け赤旗によると,首相と会食したメディア関係者は,つぎの7人である。

 日本テレビ・粕谷賢之「報道局長」
 読売新聞・小田 尚「論説委員長」
 朝日新聞・曽我 豪「編集委員
 NHK・島田敏男「解説委員」
 毎日新聞山田孝男「政治部専門委員」
 時事通信田崎史郎「解説委員」
 日本経済新聞石川一郎「常務」

 なかでも田崎史郎は「スシロー」のあだ名(?)で一番の有名人であるが,前段のごとき解説をして弁解するところからして,異常だとか異様だかという次元をはるかに突き抜けた珍答(「総理からお金はもらえないし……」というズレた話法)を繰り出してた。

 他方で,菅 義偉首相は自分の補佐官に,共同通信記者の柿崎明二・元論説副委員長を就けていた。テレビのコメンテーターだった柿崎氏は,「桜を見る会」問題などで,安倍前首相を厳しく批判しており,安倍応援団は不信感をもちはじめている。


 「前論・その4」

 田崎スシローたちの行為は,はたしてどのように批判(軽蔑)されてよいか,つぎの記事に聞きたい。少し長くなるが,重要な意見ゆえ,全文を引用する。

    ◆ 総理大臣と記者との会食が引き起こしている問題の深刻さに気付かないメディア ◆
 = 立岩陽一郎『インファクト』編集長,『YAHOO!JAPAN ニュース』2020/1/13(月) 9:09,https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20200113-00158674/

 a) 年明け早々,メディアのあり方に少なからぬ人が怒りを覚えたことを,メディアはしらないようだ。それは,首相の動静をチェックしてツイッターで発信している「総理!   今夜もごちそう様!」に書かれた内容だ。

 総理と記者の会食を伝えるツイート。⇒「(店名)にて,いつもの腐れメンバー(朝日:曽我,毎日:山田,読売:小田,NHK:島田,日テレ:粕谷,日経:石川,田崎しゃぶ郎)と総理はご会食なされました」

 そのツイートを〔2020年〕1月12日に私がリツイートしたところ,たちまち2000を超えるリツイートで拡散した。常日ごろの私のツイートに対する反応の実に100倍だった。

 ここは個々の参加者というより,参加の形態に注目したい。いずれも日本を代表するメディアから1人が参加している。これが会食の肝であり,同時にそれが問題点であることは後述したい。

 この安倍総理と「くされメンバー」との会食はたびたび批判されてきた。それは,森友,加計問題から桜を見る会の問題にいたるまで,国民の多くが抱いている疑問に総理とその政権が応えていないなかで,メディアが取りこまれているという印象が強くもたれているからだ。

 とくに,桜を見る会については安倍総理はもちろん,夫人の関与も明らかになっている。こうしたなかで「いつもの」のメンバーが総理と会食したという事実は,ジャーナリストの見識のなさを物語って余りある。

 b) ひとついえることがある。これは少なくとも私がしるアメリカのジャーナリズムの世界では記者の倫理違反になる。私はNHKKに在職していた2010年から2011年まで,アメリカのジャーナリズム・スクールに在籍した。また,NHKを退職した2017年にも再び,フェローとして在籍した。

 そこで教えられることは,コンピューターやFOIA(情報公開法)を駆使した取材法などだが,実は,もっとも重視されているのが,ジャーナリストの倫理だ。これは基本中の基本として教えられるし,つねに議論をしている。担当していたリン・ペリー教授は,つぎのように語った。

 補注)FOIAとは,Freedom of Information Act  のこと。

 「たとえば,取材先と食事をしたり,取材先に過度な贈り物をしたりするのは,取材者としての倫理に違反することになります」。ペリー教授はアメリカの全国紙であるUSAツデーで記者,デスクを経験したベテラン・ジャーナリストだ。私はつぎのように問うた。

 「日本では,取材者は取材先の懐に入りこむことが重視されます。そのさいに,食事をしたり酒を飲んだりといったことが奨励されているが,それはアメリカでは違うのでしょうか?」

 ペリー教授の答えは明快だった。私自身は30年近い記者生活で,取材先から食事に誘われたことはなんどもありますが,そうしたものに応じたことはありません」。つまりアメリカでも,取材される側がジャーナリストを食事に誘うことはあるということだ。では,ペリー記者はなぜ断わったのか?

 「それは単なる癒着だからです。たとえば,取材先と親しくなってえた情報で記事を書いても,それは評価されません。それは単に,相手に利用されているだけとみなされる危険も有ります。そうなったらジャーナリストとしては終わりです」。

 そのとき,なるほどと思わされたのは,日米のジャーナリズムの質の違いだ。それを説明する前に,補足しておきたい。

 c) 情報は権力をもった人間に集まる。それは日本でもアメリカでも同じだ。その情報は,あらゆる人に対して甘い蜜を発する。だからアリが蜜に吸い寄せられるように日本のジャーナリストは権力に群がろうとする。

 その権力とは,総理大臣を頂点に,有力政治家,高級官僚,捜査機関のトップ,自治体の長,財界トップ,有力企業のトップなどだ。しかし,そうしてえられる情報は,権力の側に都合の良いものであるケースがほとんどだ。

 結果,日本のメディアには権力側の広報機関のような報道が蔓延することになる。カルロス・ゴーン氏が検察,日産への批判と同時に,日本のメディアへの批判を展開したのはそれを指しているし,これまでもそうした批判はあった。

 ところが,アメリカのジャーナリストにとってその蜜は,実はあまり甘くないということだ。元日本経済新聞編集委員コロンビア大学ジャーナリズム・スクールを卒業している牧野 洋氏も,その点を指摘する。

 「たとえば,日米でジャーナリストに与えられる賞があります。アメリカではピューリッツアー賞,日本は新聞協会賞。日経は大型企業の合併をスクープしたとしてなんどか受賞しています。ところが,世界的な企業の合併をなんどもスクープしているウォールストリート・ジャーナルはそれらでは受賞していない」。

 d) そこに日米のジャーナリズムの違いが有ると牧野氏は指摘する。

 「合併の記事はいずれは発表されるものです。それを先に書いただけのことで,それはアメリカでは評価されない」。

 当然の話だが,企業の合併話とは,ジャーナリストががんばって書かなくてもいずれ発表される内容だ。発表を待って書いたところで,社会にとってなんの不都合もない。合併記事に限らず日本のいわゆる「スクープ」にはそうしたものが多い。否,正直いうと,ほとんどがそうしたものだ。そして,それが評価される。

 そう考えると,なぜ日本ではメディアが権力に吸い寄せられるのかが理解できる。それが「スクープ」を生み,自身のジャーナリストとしての評価を上げることになるからだ。その結果が,「いつもの腐れメンバー」による総理大臣との会食となる。

 たとえば,「日米貿易協定の締結へ」とか「安倍総理トランプ大統領と会談へ」,「ゴーン会長逮捕へ」などといった報道は,そうした日本ジャーナリズムの産物だ。

 しかし考えなければいけないのは,それはあくまで「   」付きのスクープでしかないという点だ。否,ここは明確に書いた方がよい。いずれ発表される内容を先駆けて書くのはスクープではない。本来,そこに日米の差はない。それをことさら高く評価するのは日本のメディアの悪しき慣習でしかない。

 前出の牧野氏は,企業合併の「スクープ」には顕著な点があると指摘する。

 「そうした企業合併のスクープで使われる言葉が,『業界再編が加速する』です。つまり,それは良いこと,それによって社会が良くなるという意味付けをする。まさに,リークする側はそれを求めているわけで,それを思ったように書いてくれる記者にリークするわけです」。

 e) つまり,あとに発表される情報を先駆けて「スクープ」するという作業そのものが,ジャーナリズムが権力のしもべになる過程になっているということだ。

 それについて分かりやすい事例は,「~へ」という記事が顕著なNHKの政治報道だ。それを「スクープ」と称して自画自賛している。もちろん,あらゆる報道機関にとって政治日程を事前に入手することは意味がないわけではない。

 事前に準備が進められるという内向きな側面以外にも,それを多くの人にしらせることに意味があることも間違いない。しかし,それを報じるためにのみジャーナリストが権力に吸い寄せられる現状は,そろそろ終わりにしないといけない。

 ここで今回のツイートに戻りたい。安倍総理との会食に参加したのは,主要メディアから各社1人だ。ここがまさに,安倍総理の狙いでもある。実は,日本の記者は他社との競争以上に,自社内での競争を意識している。これは間違いない。

 そうした心理をうまくついて,「あなたの会社で私が信頼しているのはあなただけです」と言葉を投げるわけだ。この「信頼」とは,裏を返せば,「あなたは私の信頼を裏切りませんね」ということになる。まさに,権力によるジャーナリストの懐柔以外の何物でもない。

 そう指摘すると,「私の筆は会食をしても鈍ることはない」と大みえを切る自称「大物記者」がいる。しかし,そうした記者が取材先を一刀両断にした記事を,私は読んだことがない。

 この会食についてメディア各社は,「それは記者の個人的な取材活動だ」としてコメントを避ける。しかし,私のリツイートに書かれたコメントを読んでいると,そういう状況ではなくなっていることが分かる。

 たとえば,コメントの中につぎのようなものがあった。

 「毎日(新聞)ががんばっているので購読を始めたが,毎日(新聞)も参加していることをしり解約した」。

 補注)「翼賛新聞やめればいいだけ   簡単政権交代」,つまり「新聞やめるか 変えるかを100マン人がすれば  読売新聞や産経新聞毎日新聞はアウトです   いま今でも   発行部数は改ざん   隠ぺい   膨らましです」『自民党的政治のパンツを剥ぐ』2020年10月04日,http://blog.livedoor.jp/pat11/archives/51988909.html

 容易に想像がつくのは,この書きこみをした人は意識の高い人だ。そういう人にとって,記者が定期的に総理大臣と会食するという行為は,不祥事と等しく感じられるようになっているということだ。きわめて健全な反応であり,その声を重くみたほうが良い。

 ジャーナリストとはどうあるべきか? メディアの役割とはなにか? もう一度,考えなおす時が来ている。(引用終わり)

 以上,立岩陽一郎が,腐りきった “大手紙・主要放送局” の幹部記者たちが首相と会って “嬉々と会食をしている” 光景に関して,首相が安倍晋三から菅 義偉に代わった時期を区切りにして朝日新聞社は,「菅首相が懇談会,朝日記者は欠席 内閣記者会と食事」という見出しの記事を,『朝日新聞』2020年10月4日朝刊3面に報じていた。「首相動静」の上にかぶせるかっこうで,この紙面は配置されていた。

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 この記事は,最後の段落において,懇談会への出席を断わった理由を書いていた。。菅 義偉政権に対しては一線を画する覚悟が,朝日新聞社側にあるらしい。さらに,つぎの説明もしていた。

 朝日新聞は,首相側に懇談ではなく記者会見などできちんと説明してほしいと求めています。首相側の対応が十分ではないと判断しました。

 本来ならこれは,わざわざ褒めるような話ではなく,報道機関として当然の姿勢であった。しかし,菅首相については,朝日や毎日の政治部も歓迎ムードに包まれており,追及が甘くなるのではないかという見方も流れていた。そんななかで,朝日がこうした姿勢を示したことは積極的に評価すべきだろう。 

 国民が菅政権の民主主義破壊を厳しく批判する一方で,こうした筋を通したメディアに対して後押ししていけば,あとに続く動きを生み,政権の暴走を抑えこむことにつながるはずだ。

 註記)「日本学術会議問題で非難も菅首相とマスコミが『オフレコ懇談会』強行してパンケーキ! 幹事社から『オフ懇開催の隠蔽』メール」『リテラ』2020.10.03 08:54,https://lite-ra.com/2020/10/post-5660_2.html

 補注)つぎの関連する記事が出ていた。『『田中龍作ジャーナル』2020年10月4日 23:14,https://tanakaryusaku.jp/2020/10/00023772  である。

 

 「前論・その5」

 一般社団法人のひとつに日本新聞協会がある。この協会が『新聞倫理綱領』2000(平成12)年6月21日をかかげている。全文を引用しておくが,あまりにもすごいキレイゴトぶり(ぶりっ子ブリ)に,失笑(失禁?)などしない覚悟で,我慢して読むほかない。

 21世紀を迎え,日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し,豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い,新しい倫理綱領を定める。

 

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は,言論・表現の自由のもと,高い倫理意識を備え,あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。

 

 おびただしい量の情報が飛びかう社会では,なにが真実か,どれを選ぶべきか,的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は,正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ,公共的,文化的使命を果たすことである。

 

  編集,制作,広告,販売などすべての新聞人は,その責務をまっとうするため,また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため,言論・表現の自由を守り抜くと同時に,自らを厳しく律し,品格を重んじなければならない。

 

  自由と責任

 表現の自由は人間の基本的権利であり,新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し,公共の利益を害することのないよう,十分に配慮しなければならない。

  正確と公正

 新聞は歴史の記録者であり,記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず,記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず,所信を貫くべきである。

  独立と寛容

 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに,利用されないよう自戒しなければならない。他方,新聞は,自らと異なる意見であっても,正確・公正で責任ある言論には,すすんで紙面を提供する。

  人権の尊重

 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い,個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し,正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは,反論の機会を提供するなど,適切な措置を講じる。

  品格と節度

 公共的,文化的使命を果たすべき新聞は,いつでも,どこでも,だれもが,等しく読めるものでなければならない。記事,広告とも表現には品格を保つことが必要である。また,販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。

 

 〔この〕新聞倫理綱領は1946(昭和21)年7月23日,日本新聞協会の創立に当たって制定されたものです。社会・メディアをめぐる環境が激変するなか,旧綱領の基本精神を継承し,21世紀にふさわしい規範として,2000年に現在の新聞倫理綱領が制定されました。 

 ところで日本新聞協会は,以上の(前段のごとき)すばらしい綱領をめぐってとなるが,日本の各新聞社の実情を調査・分析・批判する任務はないのか? ごく素朴な疑問である。

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