真理探究のための学術研究を潰してでも自国の科学体制を破壊したい菅 義偉政権は,学問・研究の本義などいっさい理解しようともしないまま,「亡国の首相」の本領を発揮する立場からこの国を倒壊しつつある(その3)

 ◆ 民主主義の大前提となる基本的な考え方は,つぎのように説明されている ◆

 18世紀,フランスの哲学者ヴォルテール(姓は Voltaireだが,本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet,1694-1778年)は,「私はあなたの意見には反対である。だが,あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と確言していた。

 その主張は,この民主主義社会において,もっとも重要で基本的な原理である『言論の自由』が脅かされる危機感を,直接に語っていた。人びとの政治的思想や政策がどのように異なっていようが,つまり,いかなる主義や立場を抱いて主張をおこなおうが,すべての人びとは言論の場を等しく確保される,という意味である。

 これは,王制や帝政といった封建社会や戦争の惨禍を経てこそ,営々たる先人たちの血と知の葛藤のすえにようやくたどり着けた “人類共通の到達点” である。

 ◆ ところが,21世紀も20年が経ったいまもこの国では,19世紀の遺物である「旧大日本帝国時代の未熟民主主義政治」にくらべてもまだ決定的に劣る「非・民主主義,反・国民主義の為政」が,安倍晋三の第2次政権を継承するという菅 義偉の政権のもとで,いっさいの内省も羞恥もなく,しかもあからさまに,粗暴かつ野卑な方向を維持して,すでに展開されはじめている ◆

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 前段,ヴォレテールの哲学者としての活動は,啓蒙家として封建社会や宗教的不寛容などに対する合理的精神による批判を展開していた。その舌鋒が災いするほかなかったヴォレテールは,投獄される目になんども遭いながらも,絶対的理性への信奉を貫いて行動をしてきた。

 1昨日〔2020年10月4日〕の記述は「前論」として書いていた。昨日〔10月5日〕はその続編としての本論である。本日:10月6日の記述は菅 義偉の学問「観」がもともと欠落している前提問題,前近代的時代感覚で自国の為政をやっている自覚のないこの首相の政治家失格を考えてみたい。

 

  21世紀のいまにオーウェル流『1984』の日本国に,この国を埋没させたい菅 義偉の愚かさ

 1)「デジタル庁,恒久組織に 平井デジタル相,関連法案の検討急ぐ」『日本経済新聞』2020年10月2日朝刊4面「政治」

 平井卓也デジタル改革相は〔9月〕30日,日本経済新聞などのインタビューに答えた。新設するデジタル庁について時限を設けず恒久的な組織にする考えを示した。菅義偉首相の直轄組織にすることも視野に関連法案の検討を急ぐ。各省庁のシステム調達や予算の一元管理などで行政の効率化を狙う。

 平井氏はデジタル庁の組織のあり方に関し,24日のテレビ番組で「首相のもとにあるのが一番いい」と語っていた。30日のインタビューで首相直轄組織である復興庁との違いを問われ「時限を設ける気はいまのところない」と強調した。復興庁は2011年度から10年間の時限的な組織と法的に定められて発足し,2021年度からさらに10年間の延長が決まっている。

 デジタル庁の権限について「どこまで強くするかはこれから議論する」と述べた。デジタル庁のトップ人事では「民間で求めるのは当然だが,業務を十分に理解してくれている人でないといけない」と説明した。「われわれが抱える問題点と問題意識を共有してもらうにはある程度,一緒に働く期間が必要だ」とも言及した。

 政府は来〔2021〕年1月に召集する通常国会にデジタル庁に関する設置法案や政府のIT(情報技術)政策全体の基本方針を示すIT基本法の改正案などを提出する。平井氏はマイナンバー関連などを含め,関連法案を7~8本提出するみこみだと語った。

 新型コロナウイルス対応で時限的に解禁したオンライン診療の恒久化にも取り組む。河野太郎行政改革・規制改革相とともに,所管する田村憲久厚生労働相萩生田光一文部科学相と協議する。(引用終わり)

 以上の内容は,いかにももっともらしくデジタル化の必要性を伝えている。いままで,政府側の国家運営体制全般に関するIT化は不徹底であった。とりわけマイナンバー制度の普及がそうであった。半世紀以上も前から「国民総背番号制」として,国家権力者がいかにして国民たちの情報全般を掌中のものにしつつ,管理・統制するかという願望は,どの国(先進国であれ後進国であれ)基本的に共通する欲求であった。

 コロナ禍対策に対面させられ日本は,IT化体制が遅れていた事情もからんで,その治療体制に目立った不備や遅延を,数多く発生させていた。コロナ禍に関しては,為政者の立場からする「対策の措置」や「具体策の実行」が後手後手であった。というか,ゴタゴタばかりを進行させていた事実が問題になっていた。

 ところが,肝心の安倍晋三前首相は,脳天気もはなはだしく,2020年5月25日の時点でコロナ禍の収束を宣言し,日本モデル(これはいかなる実体を指していたか意味不明であった)がこの「新型コロナウイルス感染症」の勝利したとまでいってのけ,自信のほどを披瀝してみせた。しかし,6月に入ってからはまたもやコロナ禍に襲われ,感染者数が増加しだした事実経過は,周知のことがらである。

 現時点〔2020年10月上旬〕では,フランスやスペインにおいては,コロナ禍の第2波あるいは第3波かどうか判定しかねるけれども,再び新型コロナウイルス感染症が流行りだしていると心配されている。前段でのようにしか,コロナ禍に関する愚かな情勢分析ができなかったアベ首相がいて,そしてこのの片腕として官房長官を務めていた菅 義偉は,こんど自分が首相になってからというもの,日本という国家体制全体のデジタル化的な支配網構築をもくろんでいる。その手始めとなる作業が,この 1)として前段に引用した記事であった。

 つぎの 2)の記事は中国における関連の報道であるが,菅 義偉が首相として先日,学術会議会員の交代時期を狙って以前,安倍晋三政権の時期において国会で審議された法案の中身に反対の意思を表明していた学究を狙い撃ちにし,彼らが新しくその会員になることを拒否した。

 この事実は,この首相が「学問の自由」に関していえば,日本国憲法基本理念・思想をまったく理解できていなかった点を,いいかえれば,中世・近世的な感覚でもってのみ(その自覚はないのだが),自分の好き勝手でもって,「学問の世界」に対しても「忖度問題」を直接もちこませようとする “陰謀的な企図” を実行しだした点を,如実に教えている。

 なかんずく,この首相は民主主義のイロハを理解できていない。それどころか,安倍晋三政権時代の成功体験に気をよくしてきた気分のまま,このたびは,学問の世界に向けても「専制的独裁主義志向の内政」を反映させる「国家支配体制を構築したい」という自身の欲望を露骨に出しはじめた。

 2)「『習思想』 名門大で必修化 中国,知識層狙い統制強化 『毛沢東並み』権力基盤固め」『日本経済新聞』2020年10月3日朝刊9面「国際」

【北京 = 羽田野主】 中国の習 近平(シー・ジンピン)指導部が国内の有力大学で思想教育を加速している。習指導部の強権的ともされる手法に反発する声が,知識層らの間で上がっているためだ。優秀な若者や名門大学の関係者への統制を強める狙いがある。

 9月1日に発行した中国共産党の理論誌「求是」によると,2020年秋学期に全国37の大学に付属するマルクス主義学院で「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想概論」と題した授業が始まる。

  ※-1 清華大や北京大

 習国家主席の母校である清華大学北京大学天津市の南開大学といった名門校が対象になる。これらの大学に在籍する学生は原則,マルクス主義学院で「習 近平思想」を学ぶのが必修になるとみられる。

 マルクス主義学院は共産党理論を学ぶ場として全国の大学に付属する。共産党が運営に関与する。これまでは建国の父,毛 沢東氏の思想やマルクス主義など4科目が必修だったが,これに「習 近平思想」がくわわる。共産党が21年7月に党創立100周年を迎えるのに向けた布石との見方もある。

 「習 近平思想」は2017年の共産党大会で習氏が提唱した政治思想だ。

 2035年までに経済力や科学技術力を大幅に向上させ,建国100年となる2049年に「社会主義現代化強国」を作り上げるとしている。「21世紀半ばまでに世界一流の軍隊を建設する」として,人民解放軍の実力を米軍と並ぶ水準まで引き上げる目標をかかげている。

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 思想教育の狙いは,習指導部の強権的ともされる手法に反発する知識人らと深い関係がありそうだ。改革派学者としてしられる清華大の許 章潤教授(当時)は新型コロナウイルスの感染が拡大した責任は「習指導部の対応にある」と批判した。

 党幹部を養成する中央党校の教授だった蔡 霞氏は「(中国が)危機的な状況から脱する最善の方法は指導者を代えることだ」と習氏の退任を主張した。著名な企業家である任志強氏も,習指導部の行き過ぎた言論封殺が新型コロナの感染拡大につながったと非難した。

 蔡氏,任氏ともに党籍を剥奪された。蔡氏は海外に移住し,任氏は横領罪などに問われて懲役18年の実刑判決が下った。名門大学への思想教育で国内の統制を強める狙いがうかがえる。

  ※-2 少数民族にも

 少数民族への思想教育も進める。9月25~26日に開いた新疆ウイグル自治区に関する重要会議で,習氏は「中華民族共同体の意識を心の奥底に根づかせよ」と指示した。内モンゴル自治区の小中学校では9月から中国語教育を強化した。

 習氏は毛氏を意識し,みずからの権威づけを進める。党最高指導者の名前を冠した科目が必修になるのは異例だ。これまでも党内で別格の指導者を意味する「核心」の称号を手にしたり,国家主席の任期を撤廃したりと毛氏の長期政権を意識した動きを進めてきた。

 統制は国内のみならず,外交にも及んでいる。習指導部は7月20日に中国外務省内に「習 近平外交思想研究センター」を設立し,外交当局への指導を強める。国営新華社通信は「中国の特色ある大国外交理論づくりや体制・仕組みづくりに貢献する」と伝えた。王 毅(ワン・イー)外相は演説で「中国外交は習近平外交思想を導きとし,困難を乗り越え,新たな局面を開いた」と主張した。(引用終わり)

 この中国ほどにひどくはないが,日本も安倍晋三政権はこれに似た為政を「忖度政治」のかたちをまとって実行してきた。国家官僚に対する官邸の人事権を掌握したうえで無条件に服従させる行政の方法は,安倍政権が後半になってより鮮明に犯してきた「もり・カケ両学園問題」「桜を見る会」「公文書改ざん問題」「国家統計・偽計修正問題」などを基盤に,より明確に現象していた。

 中国と日本では民主主義の性格づけや理解の仕方が根本的に異なるとはいえ,為政者・支配者のやることの根底に流れる恣意性は似ている。中国はさておき,日本の場合だと,いちおう民主主義の基本理念は日本国憲法のもとで浸透してきたものと思いたかったが,安倍晋三の為政によってその過半は破壊されつくした。そこへ,菅 義偉はその路線を継いでさらにこの日本国を徹底的に破綻させはじめた。

 菅 義偉には政治家としての思想・イデオロギーがどのようなものであれ,確たる中身がないことが,判りやすく判明している。菅にできることといえば,中世・近世の時代におけるような絶対封建的・強権執行的な国家支配体制を求めることしかない。

 菅 義偉は,安倍晋三の意図も汲んだかたちと推測されるのだが,学術会議のありように対して,権力側が直接口出しし,否応なしに「忖度〔を強制〕させる学術会議」に変質させたい意向を抱いている。

 だが,学術会議という組織は,そうは問屋が卸さない性質の学究たちによって構成される組織体である点について,本当のところ,菅はまったく理解できていない。それゆえに,余計な干渉をはじめていたが,世論の評判がひどく悪いのもそのせいであった。

 

 日本学術会議,どんな存在か 教育学者・佐藤学さん,科学史家・隠岐さや香さん」朝日新聞社2020年10月6日朝刊24面「文化・文芸」

 日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった問題は,研究者から厳しい批判が起きている。学術会議とはどのような存在で,今回の問題点は何なのか。会員を長年務めた教育学者の佐藤学さんと,欧米の研究者組織に詳しい科学史家の隠岐さや香さんに聞いた。

 1)政治的には偏れない仕組み,学問的根拠が頼り-教育学者・佐藤   学さん

 菅 義偉首相は,新会員を任命しなかった理由を明らかにすべきで,明らかにできないならば任命見送りは撤回すべきです。日本学術会議法の第3条には「独立して(中略)職務を行う」とあり,これは「政府から独立して」という意味です。たとえ内閣府が所管する機関であっても,1949年の設立から組織の独立性は一貫して担保されてきました。

※人物紹介※ 「さとう・まなぶ」は1951年生まれ,学習院大学特任教授。2003~14年に日本学術会議会員で,第1部(人文・社会科学)の部長も務めた。著書に『学校改革の哲学』など。

 補注)菅 義偉の為政が,徹頭徹尾して問題にならざるをえないのは,説明責任をなんら果たそうとするわずかなそぶりさえみせないこと,それも政権側のやり方が批判を受け反対される場合,必らずといっていいほどそのように,完全に無視しようとする反応を起こすことであった。

 批判や反対があるからこそ,だから説明が必要であり,相手側の理解と納得をえなければいけない問題についてとなればなるほど,この菅という首相は「悪名高き官房長官の時期」とまったく同じ手法でもって,とにかく応えない(最低限の説明すらしない)態度に終始してきた。

 それではまともな政治,民主主義の基本理念をできるかぎり反映させる政治の運営はできるはずがない。けれども,菅 義偉はそうした政治のやり方でかまわないのだという基本的な姿勢である。官房長官の時期における手法がそのまま通用すると勘違いしている。

〔記事に戻る→〕 ただ,2004年の法改正で,学術会議の性格はそれまでと大きく変わりました。(小泉政権下の)当時は省庁再編の議論が盛んで,保守的な政治家から政治的な団体だと色眼鏡でみられ存続の危機でした。そのため,科学者の総意を結集する「学者の国会」から,省庁とも連携しそれぞれの立場から政策提言を行う役割と約87万人の科学者コミュニティーの代表性を兼ね備えた「国立アカデミー」に姿を変えました。会員の選出方法も,各学会が選挙などを経て推薦するかたちから,会員が研究者の業績と実績を調べて選考するかたちになりました。

 学術的検証を経た政策提言は,国にとって大きなメリットがあります。科学者の立場からの提言ですから政府の政策とはそぐわないこともありますが,かつては原発推進など国の政策を推し進める提言もあり,近年は東日本大震災の復興計画策定や研究不正問題を受けた科学者の倫理規定づくりなど国への貢献も多数あります。提言のうちいくつかは国の政策に採用されますが,無視されることも多い。政府の判断で取捨選択されており,提言されたから政府が困るということはないと思います。

 そもそも現在の学術会議の仕組み上,政治的に偏った提言を出すことはありえません。三つの部のもとにテーマ別の分科会があり,議論の過程では政治的バランスを確保するためのチェックが入ります。私も研究者個人として政治的な発言をすることはありますが,学術会議はそういう場所ではありません。議論が紛糾することも少なくないのですが,会員が学問的根拠にもとづいて意見をもちより,時間をかけて一致点を探ります。

 今回任命されなかった6人は政治的な偏向がある人ではないと思います。ただ,どなたも安倍政権下で安保法制や「共謀罪」などに批判的だったのは事実です。だから除外されたと受けとるのが自然でしょう。しかし,政権への批判を意図したのではなく,それぞれの学問的根拠によるものでした。

 補注)とはいっても,安倍晋三や菅 義偉〔の政治屋としての基本的な認識力〕からすれば,「政権への批判を意図したのではなく」とも,そして「それぞれの学問的根拠によるもので」あっても,このような議論:認識の内容・中身などとはいっさい無関係に,ともかく,とても「イケナイ奴らがオレたちのことを批判した」としか受けとめることができていなかった。

 というよりも,学究が政府の方針や政策を「政権への批判と〔して〕意図した」としても,なんらまずいことでも,いけないことでもない。学術会議で5年ほどまえに,安保関連法に対して批判した学究たちの意見は「批判をする立場を意図した」からといって,その批判じたいを好ましくないかのように解釈できる「解説の仕方」はおかしい。

 その安保関連法の成立・施行(2105~2016年)によって,日本という国はアメリカへの服属国家体制を,さらに強めてきた。日米間の軍事同盟関係のあり方は,この軍事問題の基本的な性格に鑑みるまでもなく,どの国家にとっても最重要な問題点を意味する。学者の立場からはこの問題点をめぐり,賛成の立場から反対の立場からも議論が大いになされ,甲論乙駁となって盛んに湧き上がったのは当然である。

 ところで話題が多少ずれるが,安保関連法の問題議論にさいして,菅 義偉は官房長官の立場から,その法案に賛成する憲法学者も「いっぱい居る」旨を答えていた。ところが,この発言は完全に誤答になっていた。

 当時,官房長官であった菅 義偉が挙げえた大学研究者である賛成者の姓名は,百地(ももち)章,長尾一紘(かずひろ),西 修の3名だけであった。それでいながら菅は「私は数〔の問題〕じゃないと思いますよ」と強がりをいいはっていた。ちなみに,反対であった憲法学者は189名であった。

 

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 この御仁,自分が多数派にいるときは少数派の意見・主張は,力づくでもって完全に無視して押しつぶすだけであった。ところが,自身が少数派のほうにまわったときとなると,こちらの意見は「数の問題ではなく,とても〔質的に〕大事だ」といわんとしていた。そういう理屈のことを,通常はヘリクツ,あるいはきわめていえば「支離滅裂なるご都合主義の説明」であるという。

 以上のような問題の背景事情もあった事実に鑑みていうとしたら,前段のごときに佐藤 学が,学術会議は「政権への批判を意図したのではなく……」などという文句を口にするのは,この話法にはいかなる程度であれ,確実に「忖度論法」がもぐりこんでいる。

 要するに,菅 義偉は安保関連法の審議に関係して,参考人として意見を聴取された憲法学者がそれに反対意見を述べた「過去の出来事」を,非常に恨んでいた。その結果が,今回における学術会議「新会員の推薦」をするさい,その反対者に該当する学究を排除した行為につながっていたに過ぎない。「私怨」に等しい事後の対応であった。

 学究でなければ指摘・批判できない問題点を,国家為政者側は確かに多く抱えている。また,それをできるかぎり隠しているとかいった現象も,世の常としていくらでも存在する。それゆえ,関連する事情・事実(歴史の記録と理論の発想と政策の展開)を一番よくしっているはずの学究が「政権への批判」をまずおこなわないで,いったい,どこの誰にできる(誰がする!)というのか?

 以上の点にかかわっていえば,佐藤 学の意見表明はもの足りない。菅 義偉の真意がどこにあるかは,露骨なやり方を採っているだけに,かえってただちに理解できるはずのものばかりではないか。

〔記事に戻る→〕 この数年,科学研究費(科研費)の使い道を問題視する自民党の一部政治家やネット右翼が,政治学フェミニズム関係の研究者を批判する動きがありました。今回の任命拒否は,政治が学問への介入を強める流れの延長線上に位置づけられると思います。

 学問の自由を守るということは,知性と良識を守る社会をつくるということです。社会や文化,経済にとっても死活問題です。できるだけ多くの人に国民全体の問題として理解していただきたいと思います。 

 2) 権力との一定距離,歴史の知恵科学史家・隠岐さや香さん

 今回の出来事はとても異常な事態で,とっさにフランスのブルボン王朝を思い浮かべました。王様が権力を振るうような前近代的な振るまいという印象です。(1666年にルイ14世が創立した)パリの王立科学アカデミーの場合,候補2人からどちらかを王が選ぶようなやり方で,会員選挙で選ばれた候補者を王が完全に拒んだ事例は意外と限られます。ただ,任命理由を説明しない点は今回と似ており,やり方が王政のようだと言えます。

※人物紹介※ 「おき・さやか」は1975年生まれ,名古屋大学大学院教授。専攻はフランス科学史,著書に『科学アカデミーと「有用な科学」』など。

 先進国には日本の学術会議に似たアカデミー的な組織があり,それぞれの歴史的経緯にもとづく運営が成されています。どの組織も国の科学政策への提言や学術振興が本来の役割で,研究のことを話しあう組織であることは共通しています。日本学術会議法では首相による「任命」という言葉が使われていますが,研究者間の評価と推薦にもとづく事後的な「承認」のほうが伝統的なアカデミーのあり方からするとしっくりきます。

 (2017年に)軍事研究に否定的な声明を学術会議が出した影響もあるのではないかと取りざたされていますが,なにが「国のため」になるかというのは,それこそきちんと研究をしないと分かりません。だから「学問の自由」は必須のものです。「日本人のために」ではなく「人類全体のために」と視野を広げた方が,学問の本質に近づくことができるはずです。

 歴史的にみると,国の命運を左右する核兵器開発など,学問と政権との距離が近づく場合はあります。政府の審議会に有識者を送る人材プールの機能は必要でしょう。ただ,ときの政権に近づきすぎると,長い目でみてかえって学術的な信用を失ってしまう危うさがつきものです。民主主義国家なら政権交代はいつか起きる。学問が権力側との間にワンクッションを置くのは,非常に大事な知恵です。(引用終わり)

 
 「まったく説明にもならない『菅 義偉の格別に横柄で目立って傲慢な態度』」

 本日〔2020年10月6日〕『朝日新聞』朝刊1面左上に配置された記事,菅 義偉「首相,主体的関与を示唆『推薦通り任命,よいのか』学術会議6人除外」と見出しのつけられたそれは,本ブログ筆者風の受けとめ方でいうと,こう表現できる。

 すなわち,この「菅 義偉」が官房長官の時期においてならば,すでに,世間に向けて嫌というほどみせつけてきたものであったが,そのうえにこんどは,自分が「首相となった」立場から,それも厚顔無恥まるだしに,かつ権柄尽くでもって,「反・民主主義」「非・国民主権」の態度を露骨にみせていた。

 つぎに引用する記事はその事実を伝えている。

 菅 義偉首相は〔10月〕5日,内閣記者会のインタビューに対し,日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を任命しなかった問題で,「推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」と述べた。みずからが主体的に任命除外にかかわったことを示唆した。ただ,6人を除外したそれぞれの理由については具体的に語らなかった。

 首相は学術会議について「政府の機関であり,年間約10億円の予算を使って活動している。任命される会員は公務員の立場になる」と強調。学術会議が推薦者を政府に示すいまの仕組みを「事実上,現在の会員が自分の後任を指名することも可能」との見方を示したうえで,「任命する責任は首相にある」と述べた。

 補注1)「年間約10億円の予算」というが,安倍晋三政権の時期,政府はいったいどのくらい無駄遣いを重ねてきたか? こちらの関心事と重ねて聞く「この種の金額をもちだした意見」には説得力がない。

 補注2)本日の『朝日新聞』朝刊の川柳欄にはつぎの句が選ばれていた。本日の記述に脈絡のある句のみ紹介しておく。

    ★『朝日川柳;西木空人選』2020年10月6日朝刊 ★
  (印は秀逸という評価らしい,⇒ 以下は「選者の評言」)

 

  フェイクだと叫びたいけど咳(せき)が出る(京都府 高橋真理)
    ⇒〔もちろん,アメリカの〕「大統領」

 

   安倍麻生なんだか可愛く見えてきた(奈良県 伊谷剛)
    ⇒「学術会議,朝日  毎日  東京は大きく読売  日経  産経は小さく報道」
    →「本ブログ筆者の評言」「ゴミウリ新聞と日本財界新聞と惨軽新聞」は菅 義偉

     「忖度新聞紙」

 

   天皇も任命拒否ができるかも(東京都 奥津春美)
    ⇒「総理の,ふと」
    → この句のとおり「天皇がこの種の国事行為でなにかを拒否したら」,日本国憲法は,

        いったいどうなるか?

 

   思いたい「ペンはパンケーキより強し」(神奈川県 石井彰)
    ⇒「菅首相が内閣記者会と懇談会」
    → アメリカじゃ,記者たちが取材相手からはコーヒー一杯おごられるのが,せいぜい野限界だというのに,飲むだけでなく,パンケーキも食するとは? もっとも,前首相の安倍晋三とは,高級寿司店で,この首相といっしょにスシをつままねば,まともな各紙の幹部記者ではありえなかったというわけではあるまい。

  菅 義偉に首相に代わってからの,このパンケーキを餌とする懇談会の件については,菅のあとを群れてぞろぞろ着いていく「各社記者たちのうしろ姿」の画像を観た。それは,なんとも情けない風情を感じさせるほかない「彼らのその背中:それぞれ」であった。

 ただし,今回からは,朝日新聞東京新聞京都新聞の記者はこの会に不参加との由。

  一方,6人を任命しなかった理由は「個別の人事に関することについてコメントは控えたい」とした。6人には安倍前政権で成立した安全保障法制や「共謀罪」法に反対の立場をとってきた学者が含まれるが,首相は「まったく関係ない」と主張。「学問の自由に対する侵害」などと批判が出ていることにも「学問の自由とはまったく関係ない」と語った。

 補注)この菅 義偉の解答法「まったく関係ない」は,「まったく答えになっていない」。いまだに官房長官でいるつもりか? この人の頭脳内おいては「学問の自由」の問題など「まったく関係ない(判っていない)」ゆえ,このようにゆきかうことばを聞かされつづけるほうとしては,苦痛を感じるだけであった。

 会員任命をめぐる1983年の国会での「かたちだけの推薦制であり,学会から推薦された者は拒否しない」との政府答弁との整合性も問われているが,首相は「法律にもとづいて任命をおこなっている」と説明するにとどめた。

 補注)要するに,菅 義偉の応え方は「まったく説明になっていない」,つまり「答えにまったくなっていない」。彼は「まったく関係ない」答えを,一方的・専断的に繰り出しつづけてきた。それだけのことであった。

 インタビューは首相官邸に取材を申し込んだ各社でおこなわれ,この日は読売新聞,日経新聞北海道新聞の記者が質問。他の内閣記者会の記者は傍聴する形式でおこなわれた。朝日新聞も取材を申しこんでおり,インタビューは今後も開催が検討されている。

 

 「〈社説〉学術会議人事  説得力ない首相の説明」朝日新聞』2020年10月6日朝刊

 この『朝日新聞』の社説に,本ブログ筆者は賛同できる。菅 義偉には自分の論理が “まったく” ない。なにか自分の主張があっても,他者に説明しない。それが,国家の運営を決めているのに,である。彼は,一国の最高権力が採るべき態度を理解していない。ただし,その自分の立場のあり方に関してとなるが,もしも,それに「まったく無知」でないとなれば,もって完全に「確信犯的な作為」である。

 --前例踏襲を見直す。そういえばなんでも通用すると思っているのか。官房長官時代にみせた,説明を嫌い,結論は正当だとただ繰り返す姿勢は,首相になっても変わらないようだ。

 日本学術会議が推薦した会員候補者6人の任命を拒否した問題をめぐり,菅首相は「そのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えた」「総合的,俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から判断した」と述べた。総合,俯瞰などもっともらしい言葉が並ぶが,6人の拒否がそれとどう結びつくのかまったく分からない。

 補注)この菅 義偉の態度は「まったく独裁者にふさわしい屁理屈」を並べていた。

 法律は会員について,「学術会議の推薦に基づいて首相が任命する」と明記している。この規定が設けられた当時の中曽根康弘首相は「政府がおこなうのは形式的任命にすぎない」と国会で説明し,所管大臣も「推薦された者をそのまま会員として任命する」と答弁していた。

 会員人事に政府が介入すれば会議の独立性・自主性が危うくなり,ひいては学問の自由が脅かされる。そんな懸念にこたえて,政府が国民の代表と交わした重い約束である。

 その約束が簡単にほごにされた。前例や慣行にはそれを生みだし,存続させてきた相応の理由がある。変更すべきだと考えるのなら,正面から提起し,広範な議論に付すのが,当然とるべき手続きではないか。

 しかもこの法律の理念を踏みにじる行為は,安倍政権のころにも事実上おこなわれていたことが分かってきた。沈黙していた学術会議側の対応も問われるが,なにより政府はここに至る経緯を明確に説明しなければならない。

 補注)菅 義偉も安倍晋三も大学は法学部で「学んだ」らしいが,後者はそこで学んだ知識が多少でも残っているという形跡はなかったが,前者の場合,その点は判然としないけれども,結果的には同じような類型に属するこの2人だったとみうける。

 逸脱はいつから,どんな理由で始まったのか。推薦された人を「必らず任命する義務はない」とする文書を内閣府が2018年に作成し,内閣法制局に示して了承をえたというが,なぜそうする必要があったのか。そのさい,過去の国会答弁についていかなる検討がなされたのか。

 補注)菅 義偉にいわせれば,そうした経過について説明する必要は「まったく認めない」ということか? 法学部でなにを学び,また学ばなかったのか,他者にはうかがいしれない事情もあるとは思う。けれども,その学部の卒業証書をみせてくれと,この人に対して頼んでみる気さえなくなる。その程度の勉学成果しかなかったように感じられてならない。まことに残念なことに……。

 f:id:socialsciencereview:20191210095549j:plain   これは安倍晋三君の場合

 6人の任命を拒否した理由もはっきりさせることが求められる。研究・業績に問題があると判断したのなら,専門家でない政府がどうやって評価したのか。それとも,6人が政府に批判的な言動をしたことをやはり問題視したのか。

 補注)なんどもいってくどくなるが,菅 義偉君に応えさせたら,問題視する必要など「まったくない」となる。

 首相は「個別の人事へのコメントは控える」というが,今回の対応について人事の秘密に逃げこむことは許されない。説明を裏づけ,判断過程を検証できる文書をあわせて提示する必要があるのはいうまでもない。

 補注)安倍政権のときから文書の隠蔽・廃棄はお手のものであったが,当時の官房長官は菅 義偉君。安倍前政権のなれのはての菅政権が,前政権から継承でもしてきたらしい「精華」が,いまや光輝になりつつある現政権。いずれにしても,中学生レベルでもしっかり判っているつもりである「民主主義の基本理解」ですら,理解不能とみうけるのが,この菅 義偉君と内閣の実情。「美しい国へ」には,「まったく向かっていない」現政権の哀れさだけは “本当に本物らしく栄える” となれば,皮肉にもならない。

 〔10月〕7,8両日には衆参両院の内閣委員会で閉会中審査がある。国会と政府の関係,憲法が保障する学問の自由にかかわる重大な問題だ。首相が出席して議員の質問に答えるべきだ。(社説・引用終わり)

 結論 菅 義偉君いわく「まったくその気はない」。まあ,この程度のお国であるのが,21世紀に至っている「日本の民主主義の状態」である。このままでは,日本はさらに沈下していくほかない。必定である。こちらばかりは「まったく……ではない」とはいえない。

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【参考記事】

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