菅 義偉による学術会議新会員6名拒否は,さきに安倍晋三がその模範を示してきたが,科学も学問も理論も実践もなにも判らぬ政治屋たちが「学術研究の世界をぶち壊す」「いまや後進国日本」の哀れな姿(1)

       (2009年6月2日初出,2016年3月6日更新)を(2020年10月7日増補)

 2016年に首相が安倍晋三であったとき,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいし,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が官邸側から拒否されていた

 2020年にその「第25期の新会員6人」が任命されなかったとき,首相は菅 義偉に代わったばかりであった

 この2人の政治屋は,第2次安倍政権のとき「悪代官と悪庄屋」のゾンビ・コンビであった。菅 義偉が首相になったいま,いよいよ「両悪の散華」がはじまりつつある

 学術(科学研究)の大切さなどろくに理解できていない,この2代の首相のために,日本の学問展開はさらに落ちこんでいく

 今年もいま前後して,ノーベル各賞が発表されている時期だが,日本から受賞者は出るのか?


  要点・1 本当の事実(真実)を研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国にとってみれば最大の有害人物

  要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたのか

  要点・3 というよりは「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の前政権から菅 義偉の現政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧を願う気持など,頭の片隅にさえない

  要点・4 専制的・独裁主義志向の為政を,民主主義の根本理念を充てて合理的に説明できる理屈などありえない。これは古今東西の普遍的な真理 

 

 🌑 前   論  🌑

 本日の記述は,今月〔2020年10月〕になって急に世間を騒がす問題を提供した菅 義偉政権の「これだけはやってはいけない愚かな為政」をめぐってとなるが,それに深く関連していた「本(旧・々の)ブログにおける以前の記述」が未公表の状態になっていたままであったので,最初に,これを復活させることにした(※)。

 そのつぎに,今月になって降って湧いてきたその問題「学術会議新会員6人を拒否した」,菅 義偉政権の「21世紀的に愚昧なアナクロぶり」に対しては,「教養のレベルが露見」(福岡県知事川勝平太)とまで裁断されている点をめぐり,批判的に吟味してみたい。

 本日の記述は,前段(※)に関した展開となる「(1)」を構成している。


  論争したがらない日本の大学研究者-まともに論争もしないうちに安倍晋三流,そして菅 義偉流のファシズムが到来しているのか?-

 この ① の記述は,冒頭でメモ的に断わってあったが,初めは2009年6月2日(旧・々ブログ)に公表されていた。さらにそれを,2016年3月6日(旧ブログ)に更新していたが,ブログ・サイトを移動したさいに未公表に状態になっていた。そこで,本日〔2020年10月8日〕にあらためて復活させ,公表させることになった。本日に加筆する分も相当量になるので,複数回にかけての記述となる。

 ところで,2016年3月6日(旧ブログ)が「副題の文句」としてかかげていたのは,つぎの3条であった。

 ※-1 経営学方法論争はドイツやアメリカだけのものか

 ※-2 日本経営学の論争回避の基本性格「和をもって尊しとなす」が謙譲の美徳?

 ※-3 再び,安倍晋三によって国家全体主義の時代がやってきて,社会科学者がまともにモノをいえなくなる状況が生まれるかもしれない

 安倍晋三による日本の学問研究体制に対する不当な攻撃は,菅 義偉が首相になってもそのまま継承されている。2020年にはこういう経過が露呈していた。

 --2020年10月になったところで,急に社会の話題に登ってきたのが,菅 義偉の新政権が「官邸,安倍政権時の16年にも学術会議人事介入 差し替え求め,事実上拒否」『毎日新聞』2020年10月22日 22時34分,最終更新 10月3日 12時01分,https://mainichi.jp/articles/20201002/k00/00m/010/335000c  と報道されたごとき問題を,強引に継続させてきた事実であった。菅の政権も政治行動としては,森羅万象的に粗暴で野卑でしかありえない為政に突進しはじめた。上の記事を引用する。

 科学者の代表機関「日本学術会議」が推薦した新会員6人を菅 義偉首相が任命しなかった問題に関連し,2016年の第23期の補充人事のさいにも「学術会議が候補として挙げ,複数人が首相官邸側から事実上拒否された」と,同会議の複数の元幹部が毎日新聞の取材に明らかにした。官邸側の「人事介入」が第2次安倍晋三政権のさいにもあったことになる。

 

 取材に応じた複数の幹部のうち,同会議元会長,広渡清吾・東京大名誉教授が実名で証言。自身が会長退任後の第23期後半,複数の会員が定年70歳を迎えたため補充が必要になり,学術会議が官邸側に新会員候補を伝えた。しかし,官邸側がこのうち複数人を認めず,候補者を差し替えるよう求めてきたという。学術会議側はこれに応じず,一部が欠員のままになった。

 

 広渡氏は当時,この「人事介入」をしり,強い危機感を覚えたと振り返る。広渡氏は,25期の新会員6人が任命されなかった点について「あってはならないことが起きた。23期にも前兆はあり,当時,いつかもっと劇的なかたちでことが起きるのではないかと思っていた」と語った。

 

 別の元幹部も「官邸側に候補者を伝えたさい,複数の人物について否定的な反応があった」と証言した。

 

 学術会議が推薦した105人中6人が任命されなかったことを受け,政府は〔2020年10月〕1日,「推薦者を首相が任命しなかったのは,現行制度になった2004年度以降では初めて」などと説明していた。

 

 官邸幹部は「学術会議の会員は特別公務員。追認ではいけないとの問題意識があり,数年前からやり取りを重ねていた。推薦は(105人より)多めに出すよう求めていたが,人数通りだったので,そのなかでやった。突然やったわけではない」としている。

 本ブログ筆者は過日,10月3日の記述中である有名な文句を紹介した。これは,ナチスヒトラーの時代において「ドイツの知識人たちが記録してきた態度」を,敗戦後になってからだが,深甚の思いをこめて反省した表現であった。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき,私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき,私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき,私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

 そして,彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は,誰1人残っていなかった。
 補注)「学術会議,ナチス時代の牧師の言葉が現実に 森   達也さん」asahi.com,2020年10月6日 20時38分 も,日本学術会議をめぐる菅 義偉の問題に関連させて,前段の文言を引照していた。

 今回,安倍晋三と菅 義偉がともに犯してきていながら,彼ら自身はなんとも感じていない日本側における最近の出来事は,以上のごときドイツにおける過去の事例と突きあわせながら,「学問の世界」において「共通する問題の現象」だとみなし,受けとめておく必要があった。

 だから,昨日〔10月7日〕夜になって『朝日新聞』が報じた記事のなかには,

    ★-1「任命除外は『重大な事態』日本教育学会が緊急声明」asahi.com 2020年10月7日 18時19分

と警告するものや,とくに静岡県知事で学者出身の政治家である川勝平太

   ★-2『教養のレベルが露見』任命問題,学者知事が強く反発」asahi.com 2020年10月7日 18時24分

などと,菅 義偉という首相の無教養ぶりを,完膚なきまで強烈に批判していた。

 要は,まともに日本の近現代史を勉強してきた者であれば,「この道がいつか来た道」である事実は明々白々である。それにしても,安倍晋三も菅 義偉も,政治家の立場としてなりに身に着けていると思いたい基本的な素養・知識をまったく欠落させた言動しか記録してこなかった。「こんな人たち」が国家最高指導者であったのかとなれば,国民たち・庶民たちの立場にとって,これ以上の不運・不幸はない。

 補注)日本の学校における教育,とくに日本史の勉強のさせ方が,あたかも近現代史から逃避したかのような実情になっていた点は,いったい,なにを意味していたのか。あらためて考えなおすいい機会である。


  学術活動の歴史的・社会的責任の問題

 本日は(もとは2009年6月2日に開始していた話題だが)最初に,日本の経営学界内にみられる「学問的な組織体質」の一端をしるうえで,参考になる問題点を指摘してみたい。過去,日本の経営学史〔=経営学の歴史的な展開〕は,この学問全体および理論部門を発展・成長させるうえで,大いに資するはずと思いたい「論争としての学的な相互交流」を,満足に実現しえていたかと問うのである。

 たとえば,ドイツの経営学史を回顧すると戦前および戦後にかけて,第1次方法論争→第2次方法論争→第3次方法論争→第4次方法論争というふうに,学界全体を挙げるかたちで,経営学〔ドイツでは,Betriebswirtschaftslehre : 経営経済学〕という学問の基本的観点=本質・方法・対象などの諸点をめぐって,それこそ侃々諤々の議論がゆきかった。それによって,ドイツの経営理論の新展開が打開されていく契機も提供されていた。

 なかでも,その間の1933年から1945年は,ナチスがドイツを支配する時代であった。当時,いかにもえげつないファシズム的経営理論が構築・展開されていた。だが,ドイツ経営学界はその足かけ13年の歴史に関して敗戦後,真正面から回顧し,反省し,批判して克服するための努力を避けてきた。戦争責任問題に論及したドイツ経営学の文献は,ごくかぎられている。たとえば,つぎの2冊がある程度である。

  -1 Peter Gmähle, Betriebswirtschaftslehre und Nationalsozialismus, 1968.           -2 Sönke Hundt, Zur Theoriegeschichte der Betriebswirtschaftslehre, 1977.

 ドイツ経営学界の戦責問題に対する姿勢は,ドイツという国〔西ドイツから統一ドイツへ〕がナチス「によって」残虐な行為をした歴史的事実を認め,ユダヤ民族などをはじめ,周辺諸国にも謝罪をしてきた事実そのものに比較してみるといい。この論点に関してはむろん,いろいろ議論の余地もあるが,ここでは詳しくは触れない。

 だが,ドイツ経営学に関連する戦責問題の謝罪行為に関していえば,ナチ経営理論の残してきた負の業績は,ほとんどといっていいくらい放置されてきた。いうなれば〈沈黙の対象〉であった。ドイツ経営学においては〈謝罪=反省・克己〉という学問的営為は,まったくなされていない。だが,その点は日本の経営学も同じであって,実のところ,そのと闇の部分はもっと深い。

 1) クルト・ヨーゼフ・ワァルトハイム(Kurt Josef Waldheim,1918-2007年)

 ワァルトハイムは, 1972-1981年に第4代国連事務総長を務め,1986-1992年にオーストリア大統領を務めた人物である。第2次世界大戦前,国家社会主義学生同盟を経てナチス突撃隊の将校となっていた事実や,大戦中の1943年にユーゴスラビアで残虐行為を働いた部隊において通訳を務めていた事実が,戦後もだいぶ経過してから判明している。

 2) ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan, 1908-1989年)

 カラヤンオーストリア出身の有名な楽団の指揮者である。ナチス・ドイツの時代,1939年にベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位をえている。アドルフ・ヒトラー総統主催の第9演奏会の指揮を務めたさい,ヒトラーから「君は神の道具だ」と絶賛されたという。

 3) マルティン・ハイデッガーMartin Heidegger, 1889-1976年)

ハイデガー存在と時間表紙 ハイデッガーは,存在論的哲学を樹立した哲学者であり,日本でも多大な学問的関心を向けられてきている人物である。1927年,伝統的な形而上学の解体を試図した主著『存在と時間』をもって「存在論的解釈学」を構築した。

 1933年にドイツに第三帝国が成立したのち,『国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiナチス)』に入党する。フライブルク大学総長に就任したとき,『ドイツ大学の自己主張』(Die Selbstbehauptung der deutschen Universität)という演説をおこなっていた。

 ただし,ハイデッガーナチス左派:突撃隊に共感を抱いていたため,ヒトラーによって突撃隊を束ねていたエルンスト・レームなどが粛清されてからは,ナチスに幻滅したといわれている。戦後,ナチスへの協力をきびしく問われ教職を離れざるをえなかったが,その後,カール・ヤスパースなどの助力によって大学に復帰できた。

 4)フルトヴェングラー( Wilhelm Furtwängler, 1886-1954年)

 ヒトラーがドイツ首相となった1933年,世界でもっとも有名なオーケストラのひとつであったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は,経営的に厳しい状況に当面していた。当時,この楽団の指揮者フルトヴェングラーは,宣伝大臣ゲッベルスに援助を求めた。

 これを機にベルリン・フィルは「帝国オーケストラ」となり,ナチス・ドイツプロパガンダの道具と化していった。ナチ党への協力と対立,ユダヤ人団員問題,「帝国オーケストラ」としての演奏旅行。そして,音楽の理想と戦争の影の葛藤のなかでドイツは敗戦を迎える。

 ところで,ドイツ経営学史にくわしい経営学者田中照純(立命館大学名誉教授)は,ナチス期における理論史は「とくにドイツ本国においては,ドイツ経営学の全体的な発展史(ドイツ経営学史)から排除されている」と指摘している(『経営学史学会第2回大会発表資料』1994年5月,於;滋賀大学)。  

 以上 ① でドイツに関連する参考文献。

 

  ☆-1 望田幸男『ナチス追及』講談社,1990年。

  ☆-2 ロバート・E・ハーズスタイン,佐藤信行・大塚寿一訳
        『ワルトハイム 消えたファイル』共同通信社,1989年。

  ☆-3 ロベルト・C・バッハマン,横田みどり訳
        『カラヤン 栄光の裏側に』音楽之友社,1985年。

  ☆-4 トム・ロックモア,奥谷浩一・小野滋男・鈴木恒夫・横田栄一訳
        『ハイデガー 哲学とナチズム』北海道大学図書刊行会,1999年。

  ☆-5 ミーシャ・アスター松永美穂・佐藤 英訳
        『第三帝国のオーケストラ-ベルリン・フィルとナチスの影』早川書房,2009年。

  付記)以上の文献は末尾のアマゾン広告に出してあるので,そちらを観てもらえれば,ごく簡略な内容は理解できるはずである。

  

  対岸の火事ではない戦争責任「問題史」

 日本の経営学界も同じ経緯をたどってきた。戦争責任の問題を学会〔学界〕の次元から発するかたちで初めて明確に言及したのは,日本経営学会理事長海道 進(当時,神戸大学教授)であった。

 1987年9月に公刊された日本経営学会編,日本経営学会六十周年記念特集『情報化の進展と企業経営〔経営学論集第57巻〕』(千倉書房,昭和62年)の「編集後記」において海道理事長は,戦時期日本の経営学をこう回顧していた。

 1930年代には東西よりなしくずしに戦争の段階に入り,経営学者の中からも多くの戦争協力者を出したことは周知の事実であります。戦後もその反省もあり,弾圧されていた批判的経営学が開花・発展したことは,理由のないことではありません。

 

 いま六十年の歴史を回顧いたしますと,一つの歴史的教訓が与えられます。それは,若い世代の人々が,戦時中の多くの経営学者が犯した戦争協力への誤りを再び犯さないことであります。

 

 経営学は,六十年の歴史の間に侵略戦争と搾取への協力,狭隘な国家主義と凶暴なファシズムへの協力,経営共同体のドイツナチズムへの傾斜など,恥ずべき道程を辿りました。

 

 経営学は,再びこの過った道を繰り返すべきではありません。先人の愚行の轍を踏むべきではありません(344頁,344-345頁)。

 海道 進理事長は,2年後に公刊された日本経営学会編『産業構造の転換と企業経営〔経営学論集第59巻〕』(千倉書房,昭和64年)の「編集後記」でも,重ねてこのように回顧していた。

 15年戦争中,日本が敗北することを公にすれば,非国民として差別され国賊の悪名をうけることは必定でした。ところが国賊の方が真理を洞察し,逆に戦争協力者の方が愛国者の顔をして実際には国を誤らせた非国民でありました。経営学者の99%がこの誤った道を歩いたという苦い歴史的経験があります。

 

 弾圧された学者の方が真理を把握しており,時流に迎合した学者の方が誤りを犯し,現象の本質を把握しえず,似而非学者あったわけでした。現在の経営学者に対して,この過去の経験は貴重な教訓を与えています(317-318頁)。 

 戦時体制期〔昭和12年7月~20年8月〕において,全体主義的兵営国家に成長した大日本帝国が強引にすすめてきた「東亜新秩序→東亜共栄圏」への侵略戦争を,日本の経営学者たちも社会科学の立場からすすんで支持する国家思想を昂揚させ,そのための経営理論を銘々が具体的に開陳していた。

 敗戦後,日本におけるマルクス主義経営学陣営の泰斗の1人と尊敬され,また所属する大学・学部において多くのマルキスト経営学者を育成したある経営学者がいる。しかし彼は,戦時体制期においてたしかに,国家の侵略路線に対して水先案内人の役目を果たす研究経歴を記録していた。戦争の時代にあっては彼もまた,戦争協力者の「その99%」のほうに収まる学究であった。その氏名は明治大学佐々木吉郎

  1980年ころより,日本の経営学者たちのそうした「戦争中の論説=事実」を追及・解明・批判してきたある〔前段の佐々木吉郎の世代からみると〕「次世代の経営学者」がいる。彼は2000年に,前段に指摘した「このマルクス主義経営学者」の「戦争協力の事実」に論及のある著作を公表していた。ところが,この著作は初版が売り切れると,当人に対してなんの断わりもなく,出版社が勝手に絶版していた。

 補注)この絶版の件は,その出版社が佐々木吉郎が所属していた明治大学関係者に対する “忖度でもした” からか,とでも勘ぐってみる余地もありそうである。

 出版界の常識では,たとえば品切れになった本が出たときは,売行きなどを勘案してこれを重刷するかそれとも絶版にするかは,著者への連絡・了承がある。にもかかわらず,この手順は無視されていた。そこには,第3者からなにか「お節介=圧力のようなもの」が介在していたと推測されても,あながち想像のしすぎとはいえない。

 

  論争とは縁のうすい日本の経営学

 日本の経営学界でも論争そのものがなかったわけではない。高名な教授たちのあいだで,それぞれ自説理論に立脚しながら白熱した議論を,批判的な交流の形式をとって起こしたことも,ないわけではない。しかし,その論争の経過をよく観察していると,当事者が事後において自説理論をより発展させえたとか,いわゆる弁証法的に相互の理解が高まったとかという成果が生まれることは,あまりみかけなかった。

 日本の経営学者間における論争の場合,どちらかといえば双方が「ケンカ別れ」してしまい,「たがいに悪感情を残す」だけの結末に終わりやすい。かつて,ヨーロッパの男どもが血気盛んなあまりおこなった「決闘」は,下手をするとどちらかが生命を落とすときもあったけれども,これに比べれば,日本の経営学者における「学問論争」など,きわめて温和に映る仕事であった。

 ところが,日本の学者先生・研究者にあってはだいたい,論争するとすぐにその相手とは仲違いする末路が待ちうけていた。もっとも,たとえば,奥村 宏「法人資本主義論」と西山忠範「企業支配構造論」とが奥村 宏画像交わしてきた〈相互の論争〉をみると,さんざんにおこなわれてきた両者間の徹底的な批判的対話をとおして,そのたびごと両者は研究者としていっそう仲良くなっていく関係を構築できたという。しかし,これは例外的な事例かもしれなかった。

 本ブログの筆者は,西山教授にしか面識がなかったが,やはり必要とあらば論争を回避しない,この筆者を気にかけてくれた。いまから何十年もまえのことであったが,早稲田大学で開催された日本経営学会の懇親会席上で,当時武蔵大学経済学部で西山教授の同僚だった岩田龍子教授(男性)から,「西山先生があなたを呼んでいるから話をしてきなさい」といわれたことを,いまでも鮮明に憶えている。

 西山教授が筆者にいった〔勝手ながら自分に都合のよいこと,褒めてくれたことだけ記憶に残っているのだが〕ことは,「あなたは日本の経営理論・経営問題をとりあげている点がよろしい」(日本の経営理論に関する研究に従事していた経営学者が当時はまだ少なかった)ということであった。その後,西山教授からは著作を何冊か献本を受けている。

 筆者に関した話はさておき,「奥村 ⇔ 西山との論客的に親しくなれた関係」は,日本経営学における事例として,ごくまれな部類であった。ふつうは論争などしかけると,このしかけたほうがけっこう悪者扱いされるのが相場である。

 前段に氏名の出た岩田龍子教授〔名を〈りゅうし〉と読む「男性」〕は,かつて神戸大学経営学部の占部都美教授を領袖とする研究者集団と,しばらく「日本的経営」の問題で論争をしていた間柄であった。だが,あるとき突然「先方」から,岩田龍子を相手としない,今後はいっさい議論=論争に応じないと宣言されたそうである。

 この話は,岩田龍子教授〔1934年愛知県生まれ,2浪して東京大学経済学部に入学,1959年卒業,武蔵大学国際大学九州大学を経て,日本福祉大学教授など歴任〕から直接聞けた話である。いまからずいぶん昔の出来事であるが,議論・批判のやりとりをどこまでも継続するつもりであった岩田教授に対して,論争に嫌気を差した神戸側の研究集団〔のセコンド〕がまさかタオルを投げたわけでもあるまいに,徹底すべき学問の相互交流を打ち切っていた。

 というしだいで,日本の経営学界に限定しての話であるけれども,論争を契機に相互の経営理論の立場を高め,それによる現実認識も深めるための可能性を,わざわざ狭めたり矯めたりしている向きが,しばしばみられてきた。

 なお,占部都美『日本的経営の進化』(中央経済社,昭和59年)は,論争相手である岩田龍子の論調を「主観的観念論」と切り捨てていた(15頁以下参照)。

 補注)そういえば思いだしたが,本ブログ筆者に対しても「主観論ウンヌン」と,一言だけでもって断罪的に裁こうとしていた元国家官僚の御仁がいたが,あまりにもその程度の低い発言の仕方,いいかえれば説明などいっさいなしに相手をけなす話法には,ただ大人げなさを感得するだけであった。

 ところでその御仁は,最近たいそう流行っているけれども,概念設定の方法については基本的な誤りを犯していた「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という日本企業における雇用の分類を提案した人物である。本ブログ内では別稿において,この2つの概念を批判的に考察していた。

 

  筆者の体験

 最近における筆者の体験を話そう。経営財務論を専攻する高齢のある経営学者が,西田幾多郎流の行為的主体存在論的哲学「論」を武器に使い,これを自説の基礎理論に導入する方法を唱えて専門書を書いた。

 補注)ここで「最近」といってはいるが,2006年時点にさかのぼる話題であったので,一言断わっておく。

 筆者はその著作に対して「西田哲学の不勉強」,いいかえれば,彼自身が学部時代および大学院時代に師事した2人の恩師の経営学説を媒介に,「西田哲学もどき」の経営行為的主体存在論を,自著に創造的にとりこんだとする「企画の不徹底・不全ぶり」を詳細に分析し,さらに基本から批判もくわえてみた。

 それからもうだいぶ時が経過しているが,彼からなにも返事をもらえぬままである。論文の「抜刷」=批判をもらったと,これだけでもいいから,ハガキでも書いてやり返事くらい出すのが最低限の礼儀だと思いたい。だが,その後,ウントモ・スントモなく,なんら応答はない。もっとも,返事を出す出さないは,まったく当人の自由であり,こちらが要求する性質のものではない。

 要は,西田哲学じたいに関する彼の研究は,その「イロハ」に相当する〈とっかかりの序論的な勉強〉さえ,ろくになされていなかった。それでいて,行為的主体存在論にもとづく「経営財務本質論」が仰々しく展示されていた。あえてはっきりいわせてもらうと,自身がろくに勉強していない論点は,文字(活字)にして公表してはいけない。

 西田哲学に関する研究そのものは,以前より非常に盛んになされており,そして,その研究成果も数多く公表されている。ただし,日本哲学史・思想史・精神史における研究の展開としてのそれである。それにしても,こちらの事実をまさかよくしらないで,経営財務論の基礎理論に西田哲学を導入する企図を抱いたわけではあるまい。それとも,これから西田哲学を勉強しますとでもいうのか?

 さらにいわせてもらうと,あの偉大なるマックス・ウェーバーの社会科学論に匹敵する経営学論を構想・展開した日本の経営学者がいると〔それも〈恩師〉の学説理論のことを讃頌して〕,高唱した経営学者も登場している。

 本ブログの筆者は,その買いかぶりブリには,ホトホト呆れはてた。だが,ひとまず批判論文を執筆して,当人に送ってある。その後,半年以上(ここでは旧・々ブログ〔2006年中〕の時間関係でそのまま書いている)が経ったが,こちらもなんの音沙汰なしである。

 本ブログ筆者の放った批判の内容が全面的に的外れだというならば,無視は当然である。しかし,自説の主唱が真っ向から否定されてもこれを黙視するのであれば,これは黙認に等しい応答である。いわば,無応答の応答とでもいえる。

 

  ナチス御用達のゴットル経済学を21世紀にもちだした迂闊

 明治大学で経営哲学を講じるある教授(2017年3月定年・退職)は,2004年に公表した主著のなかで,ナチス時代のドイツ経済学界を風靡したゴットル理論にすっかり魅入られたのか,ゴットル流「生活経済学」の理想と目標が,今日における経済社会を考察するための経営哲学「論」として,大いに有用・有益であると〔勘違いであればいいのだが〕真剣に提唱した。

 本ブログの筆者は,ゴットル理論を「今日的に読みこんだ」とはとうてい思えないその教授の提唱に,本当にビックリ仰天した。いくらなんでもそれはひどく浅薄な,ゴットル経済学の「借用的な解釈」であった。この先生に対しても批判論文を書いて差しあげ,謹呈した。さらに前後して,筆者以外にも何名かの同学からは,その教授の著書に対して「根幹の思考方法に触れる批評」が寄せられていた。

 この先生,筆者が繰りだした数度の批判に対しては,これに反論する論稿をある学会の研究雑誌に寄稿した。ありがたいことであった。だが,ただし,残念ながら〈論争の体〉をなすまでには至らなかった。筆者からの再批判「論文」も間を置かず,つづけて,同誌次号に掲載してもらっている。

 いずれにしても,両者の議論は噛み合うことにならなかった。なぜか,それは「論争次元において議論する」ことを可能にする基礎研究を,いずれかが「怠ってきた」からである。恐らく彼は,つぎに記述するごとき「ゴットル理解」をしらない。

 安井琢磨『経済学とその周辺』(木鐸社,1979年)は,戦争中にゴットル経済学にすり寄り,心酔したかのようにこの学説理論をとり入れ,打ち上げ,議論していた社会科学者たちの様子を,こう描写している。これはものすごい,「批判とはいえない,それ以前の非難(罵倒)」である。

 ゴットルの吐いた嘔吐をついばむ鴉〔からす〕どもが続出して虚痴〔こけ〕の一つ覚えのように構成体という言葉をくり返し,かつてマルクスの1ページも読んだはずのものですら「欲求と調達の持続的調和」などということを勿体らしく空念仏のように唱えた1時期がわが国にあったということは,思い出してもあまり感心できない事実であった(172頁。〔 〕内補足は筆者)。

 明治大学で経営哲学の講義を担当してきたその先生,この程度の経済学・経営学などに関連する予備知識すらもちあわせていなかった。ゴットル経済学について本(旧・々)ブログは,すでになんども記述してきた。その先生は,ゴットルを自説の基盤=核心に摂取するに当たり,先行する関連研究業績の精査・摂取をまっとうにおこなったとは思えない。

 それだけでない。ドイツ語の原書講読はドイツ語が読めなければもちろん無理であり,またゴットルの浩瀚な著作を一読するのは,ドイツ語を読める経営学者でも一苦労であるので,せめて,日本語訳のあるゴットルの著作および日本人学者によるゴットルの研究書は,できうるかぎり当たって,すべて通読しておくべきだった。ところが,これさえもなされていなかった。この点は,彼の主著巻末の参考文献に挙げた著作一覧を観ての事実指摘である。

 となれば,大学の教授の肩書をぶら下げながら,いったいなにを勉強していたのかと,苦情の一言くらい口に出してみたくもなる。この小言がさらに,学問的な次元において拡声されて発信されるとなれば,当然のこと,彼の主著の理論構成に起因するほかない〈基本的な脆弱姓〉にまで届くゆえ,これを批判の俎上に載せるほかなくなる。

 もっとも,ドイツの経済学界でも勉強不足の社会科学者がいる。筆者が以前,神戸大学から借りて読んだ Ulrich Chiwitt,Wirtschaft und Leben : eine philosophische Analyse der Wirtschaftslehre Friedrich von Gottl-Ottlilienfelds,Essen : Blaue Eule, 2000〔日本語に訳すと,題名は『経済と生活-フリードリッヒ・フォン・ゴットル ‐ オットリリエンフェルト経済学の哲学的分析-』〕には,ウンザリさせられた。

 この著作の内容は,ゴットル(Gottl-Ottlilienfeld という姓を “ゴットル” と略称)の,単なる「現代・今日的な祖述」である。ナチスとの深い思想史的連関を有するゴットル理論の基本問題など,どこかに棄ててきたか,あるいは初めから目を背けた本である。

 

  歴史は繰りかえされるのか? -賢明なのか,愚昧なのか-

 1)あの暗黒の時代,戦時体制期〔1937年7月~1945年8月〕が復活するのか?

 誰でもみな,戦争責任みたいにドロドロした嫌な論点には近づきたくない。みたくもない。それだけのこと・・・。しかし,それではたして,学問・理論のこれからの発展・成長が望めるのか? 過去の失敗に学ばないで済ませられたとしても,なにか大事な学問の任務を忘れていないか? 当面は「失敗は成功のもと」といいわけしておくのもいいではないか。

 過去にきちんと学べたのであれば,ナチスの賛頌を意味する理論を使いまわし,それも日本の経営学者がよりによってだが,「経営理論」として発想することはありえないはずだ,と思いたかった。たとえ使うにしても,徹底的に研究しつくし,完全に別物になるまで換骨奪胎したとみなせる状態まで,独自に処理・加工・精練したうえで,21世紀用の経営学の理論内容として利用すべきであった。

 補注)前段で言及した明治大学で経営哲学という科目を講義していた先生は,本ブログ筆者が真っ向から批判をくわえた「ゴットル的な素材を応用したつもりの部分」を,あるシンポジウムで研究発表したとき,いっさい口にすることさえなかった。

 彼は,本ブログ筆者からそのゴットル的な素性を徹底的に批判されていたために,せっかくの研究発表の舞台であったが,自著(新著)の内容構成にあって「必要不可欠に有機的に関連していたはずのそのゴットル的な素材」に,触れえない講話にならざるをえなかった。

 思えば気の毒であったが,学問研究のありようとしてその問題点について回顧してみるに,残念ながら,いまだになにも決着はついていなかった。もしも,彼のほうで本ブログ筆者の批判を受け入れるほかなかったとしたら,当該の自著は絶版処分にする必要があったかもしれない。だが,もちろんそのような次元の問題にはなっていなかった。

 最近の日本が露悪しつつある政治情勢を直視すればよい。前首相だった安倍晋三は「〈戦後レジーム〉を否定し,脱却する」のだといいつのっていたものの,実は,その「戦後レジーム」のなかにどっぷり漬かっていながらの「脱・反民主主義的な政治信条の持主」であった。

 いままで得意になって日本の政治をぶち壊してきた安倍晋三は,2020年9月16日に首相を辞めた。彼は「歴代首相として最長の任期」をまっとうできたけれども,同時にまた「最悪の首相」であったとの定評も残した。問題は引き続きそのまま,現首相の菅 義偉に継続され,日本の政治はますます悪化の症状を深めている。すなわち,国民たちの立場・利害にとってみれば「一難去ってまた一難」。

 前段の論及において,経営学者の海道 進が1980年代後半に指摘した「戦争と学問の間柄」の問題が,いまではまたもや,現在の時代のほうへ噴流しだしている。このようあ時代状況のなかでは,経営学という学問も,先祖還りしないという絶対の保証が担保されていない。

 補注)すでに断わりを入れてあったが,前後する文章は「2016年3月2日の旧ブログでの記述」であった。時間の前後関係について,あえて注意を喚起してほしく,この一言を挿入しておく。

 前段に登場させた海道 進の指摘によれば,戦争中は「99%の経営学者」が戦争協力の立場を採った,そうでなかった経営学者は1%であった。といわれたからには,いまの経営学者はあらかじめ,その「1%の率」を少しでも引き上げるための「心の準備」だけは,最低限しておくべきか?

 自分が99%の経営学者になりそうかどうかについては,戦前における日本経営学史の諸様相・諸局面をひととおり観察すれば,その判断をするための手がかりがみつかるかもしれない。なにせ「99%対1%という話題」である。いざとなって,この多数の99%に〈転ぶ〉人間は,昔はやった標語でいえば,まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」の部類に属する。

 戦前風のものであっても,できるかぎり「民主主義の立場を尊重し,大切に護ろうとする経営学者の立場」が,時代の流れになかで生起している状況の変化に即して,いつの間にかおかしな方途にずれていく事例は,戦前から戦中の経営学「発達」史を回顧すれば分かるように,いくらでも存在した。

 2)ヒトラーには比較すべくもないが,安倍晋三と菅 義偉のファシズム志向に偽りはなし

 当時(かつて戦争の時代)における学史的な展開の模様を直視したくなかった経営学者,というよりは,その歴史のなかに残された軌跡を振り返りたくない彼らが大勢いた。しかし,彼らが戦時下の国家体制に理論翼賛を進んではたしてきた事実は,実際に彼らが数多く公刊してきた書物に書きこまれている。いまさら,隠し立てできないりっぱな「過去の業績」として「学問史として蓄積されてきた」。国会図書館を初めに,全国のとくに各大学付属図書館には,彼らの著作がたくさん所蔵されている。

 国家全体主義に脳細胞が凝りかたまった安倍晋三と菅 義偉のような政治家の立場は,2015年5月ころすでに文部科学省が告白していたごとき「文系の学部・学科不要論」にも明白に反映されている。この不要論は,その後大学側から強い反発・批判を受けたため,ひとまず撤回を余儀なくされていた。社会科学や人文科学は要らない,理系の学問だけあればいいという単純・明快であるが,これは,きわめて愚劣・蒙昧な非科学的かつ反学問的な発想である。

 補注)本日のこの記述ではすでに言及したが,2020年10月に突如,浮上した問題,つまり学術会議に対する不当な干渉,その新会員の任命拒否の問題は,この「2015年5月」にははじまっていた「文系の学部・学科不要論」にその兆候が出はじめていた。

 ファシズム信奉者は,体制・支配者側に刃向かうような批判者・反対者を輩出させる可能性の高い学問諸領域は,初めからいっさい要らないものと考えている。この思考方式こそがまさしくファシストに固有なものである。

 ナチスヒトラーが政権をとってから,ドイツの大学ではユダヤ人教授の追放が本格的にはじめられていた。いまの日本では,文系不要論を唱えられる以前から,大学の学問研究に対する軽視の姿勢(尊敬の欠如)が顕著になっていた。現政権の反知性主義・非学問主義に対しては,経営学を専攻する社会科学者たちも警戒心を怠ってはいけない。

 戦時体制期〔昭和12年7月~20年8月〕にあっては,たとえば,村本福松『経営経済の道理-翼賛経営体制の確立-』(文雅堂書店, 昭和17年7月) と題した経営学研究書も公表されていた。読んで字のごとくであるが,いかにものそのとおりの題名である。

 補注)本(旧)ブログ内における関連の記述があった。2014年03月30日「経営学者村本福松の戦前・戦中・戦後史-その一貫性と断続性-」,副題「戦後における皇国史観の残滓」。ただし,本ブログ内ではまだ未公表の状態であったので,なるべく早めに復活させたい。

 戦時体制期においては,つぎのような著作も公表されていた。日本学術振興会編『公益性と営利性』(日本評論社, 昭和16年9月)という題名の本である。安倍晋三や菅 義偉がめざす改憲は,この「公益性」をてこに使い,国家全体主義に方向づけられている。これは,民主主義・自由主義個人主義の否定・破壊を意味し,独裁主義・強権主義・全体主義にしたがう暴力的な政治を基本とする。同書は,経済活動・企業行動に関して,こう記述していた。

 基本的には個人が国家の1分子であると云ふ関係は変りない。それと同時に私益は公益に奉仕する限りに於て許されるべきものであることも基本的には変るべきではない。併しどの程度に私益が公認されるかは,その客観的情勢の変化によって変って差し支へないのである(29頁)。

 補注)菅 義偉は首相になるさい「自助・共助・公助」などと,自分の標語をかかげていた。だが,国家の政策そのものが国民にとってみれば全般的に「公助」でしかありえないにもかかわらず,自助だ共助だという文句をもちだしては,その「公助」じたいが本来,担当・負担すべき領域を,意図的に狭めようとしている。

 もしも,安倍晋三と菅 義偉の野望が全面的に実現していくとき,これに呼応する「お調子者の」経営学者が出現しないとは限らない。多分きっと雲霞のごとく,その範疇の経営学者が登場するものと予想しておく。過去の体験に照らせばそう判断することにならざるをえない。

 補注)いうまでもなく,安倍晋三⇒菅 義偉であるわけであり,菅は安倍の政治路線を継承とする宣言していた。

 いったいなんのために「社会科学としての経営学」の研究に従事していたのかと,後世において「問われる」かしれないような,とても恥ずかしい学問の営為を,性懲りもなく再びひけらかす連中が,しかも大手を振って斯学界の表通りを闊歩する状況が「再現される」かもしれない。

 ここで,最近になって自民党が示した改憲草案から,つぎの2条に注意しておきたい。公益が実質的に金科玉条になっている。国家全体主義の立場における基本思想,つまり「公益優先の全体精神」が「私益=個人の自由・権利」を徹底的に制限し,生き埋めにしている。

 第12条(国民の責務) この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,保持しなければならない。国民は,これを濫用してはならないのであって,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ,常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し,権利を行使する責務を負う。

 第13条(個人の尊重等) すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公益及び公の秩序に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。

 以上2条は,「国家=全体=独裁」が「国民=個人=自由」を頭から抑えつけたいという願望を,きわめて正直かつ明解に表現している。日本国憲法とは真逆の精神を説いている。

 数日前の記述中において,ナチス・ドイツにおけるある標語を紹介しておいた。もう一度,ここでも出しておく。それは「公益は私益に優先する」(Gemeinnutz vor Eigennutz)という文句であった。これを菅 義偉流にいいかえれば,「自助は共助と公助に優先する」,「共助も公助に優先する」となる。

 要は,公助は国民に対して背を向けている。安倍晋三や菅 義偉の「国家と市民の関係性」はすべてが逆立ち:倒錯している。彼らの政治感覚は,民主主義の根本理念とは完全に無縁であって,極論すれば底抜けに腐乱している。

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