菅 義偉による学術会議新会員6名拒否は,さきに安倍晋三がその模範を示してきたが,科学も学問も理論も実践もなにも判らぬ政治屋たちが「学術研究の世界をぶち壊す」「いまや後進国日本」の哀れな姿(5),「デタラメとウソ」でいえばその極地を飛翔する下村博文,甘利 明なども明示する自民党政治の幼稚な前近代性,これが「戦後レジームからの脱却」ならば,なおさら御免被る

 2016年に首相が安倍晋三であったとき,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいし,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が官邸側から拒否されていた

 2020年にその「第25期の新会員6人」が任命されなかったとき,首相は菅 義偉に代わったばかりであった

 この2人の政治屋は,第2次安倍政権のとき「悪代官と悪庄屋」のゾンビ・コンビであった。菅 義偉が首相になったいま,いよいよ「両悪の散華」がはじまりつつある

 学術(科学研究)の大切さなどろくに理解できていない,この2代の首相のために,日本の学問展開はさらに落ちこんでいく

 今年もいま前後して,ノーベル各賞が発表されている時期だが,日本から受賞者は出るのか?


  要点・1 本当の事実(真実)を研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国にとってみれば最大の有害人物

  要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたのか

  要点・3 というよりは「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の前政権から菅 義偉の現政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧を願う気持など,頭の片隅にさえない

  要点・4 専制的・独裁主義志向の為政を,民主主義の根本理念を充てて合理的に説明できる理屈などありえない。これは古今東西の普遍的な真理

  要点・5 無教養人が政治を司ると一国の為政がどうなってしまうか,好例・見本的にその無残さをみごとに体現させつつある現首相:菅 義偉

  要点・6 下村博文とか甘利 明とか,自民党ネトユヨ政治の幹部たちが,学術会議の問題に関連させて放つ「デタラメとウソ」ときたら,その発言じたいが粗悪品,聞くに耐えない幼稚さ

【本日も話題の人の                                       風刺絵】    

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 「大バカ者が総理大臣に成り上がると,こうなる」『日々雑感』, 2020年10月09年,https://okita2212.blogspot.com/2020/10/blog-post_10.html

 科学者の代表機関「日本学術会議」の会員候補として推薦された6人の学者を,菅 義偉首相が任命しなかった問題をめぐって,国会質疑が紛糾している。

 推薦された者を任命拒否することが「ありうる」という法解釈を示す文書が存在するのか問われた内閣府法制局の幹部が「みあたりません」と回答した。

 なお,政府は2018年作成の内部文書で「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまではいえないと考えられる」と結論づけていた。

 1) 中曽根内閣の政府答弁と矛盾

 問題となっているのは,中曽根政権当時の政府答弁との矛盾だ。1983年11月24日の参院文教委員会で丹羽兵助総理府総務長官は「かたちだけの推薦制であって,学会のほうから推薦をしていただいた者は拒否はしない,そのとおりのかたちだけの任命をしていく」と答弁していた。

 菅首相の任命拒否が,1983年当時の国会答弁と矛盾しないかについて,10月8日の参院内閣委員会で,日本共産党の田村智子議員が追及した。内閣府の大塚幸寛官房長「必らず推薦のとおりに任命しなくてはならないとは,言及はされてない」と答弁したが,田村議員は「違います」と否定した。

 つづいて,田村議員は「推薦された者を任命拒否することはありうる」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるのか問いただしたところ,内閣法制局の木村陽一第1部長「明瞭に記載したものというのは,私がしるかぎりみあたりません」と答弁した。

 2) 該当部分の質疑応答

 「形式的任命だから推薦されたものは拒否しない」。これが政府の答弁です。今回の任命拒否は,1983年当時の答弁を覆す行為ではありませんか?

  --大塚官房長:繰り返しで恐縮ですが,いまご紹介いただきました昭和58〔1983〕年当時の答弁も,平成30〔2018〕年の文書もいずれも憲法15条を前提としていること。これは(法律の)改正当時からも前提になっていたことでございます。「形式的な発令行為」という発言がなされてることは十分承知ですが,必らず推薦のとおりに任命しなくてはならないとは,言及はされてないところであります。

  違います。1983年の会議録は「推薦に基づき総理大臣が任命する。それは形式的任命,形式的発令行為であり,推薦された全員を任命する。拒否はしない」。一貫した政府答弁です。国会会議録は国会と国民に示された条文解釈そのものです。法制局に聞きます。逆に「推薦された者を任命拒否することはありうる」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるんですか?

  --木村第1部長:はい,お答えいたします。私どもとしては平成30年の説明資料について,当局に意見を求められましたさいに,ご指摘の国会議事録のほか,昭和58年の日学法改正時の法律案審議録のなかに,総理府作成の想定問答集があります。それについては確認は致しております。

 そういう意味でいいますと,いま,委員がご指摘されましたような「義務的な任命であるのかどうか」という点について,明瞭に記載したものというのは,私がしるかぎりみあたりません。ただし,さきほども言及ございましたような,高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして,昭和58年の法改正以来,一貫した考え方としてなりたっているものと理解しています。(以上『HUFFPOST』より引用)


 またまた,「日本学術会議委員」任命拒否に関してブログを書かなければならない。なぜなら,安倍自公政権下の7年8ヶ月間に日本は酷く破壊されて来たからだ。その破壊の一端を官房長官としてになっていた菅氏が総理大臣となって,日本破壊の総仕上げに着手したとしか思えないからだ。

 引用記事にあるとおり,「政府は2018年作成の内部文書で『推薦のとおりに任命すべき義務があるとまではいえないと考えられる』と結論づけていた。」というが,その解釈変更の内閣で番頭を勤めていたのは菅氏だ。だから解釈変更をしたのも菅氏で,それを実行したのが菅氏ということになる。

 3) 安倍自公政権はそれ以前の歴代内閣がおこなってきた法律や憲法解釈の数々を変更した。憲法閣議による「解釈改憲」は最たるものだが,「日本学術会議委員」の任命に関してまでも,秘かに解釈・改正していた。そして菅氏に総理大臣を交替して実行に移した。

 だが,正当性も明確な法的根拠もない,形式としての任命を「内閣総理大臣の権利」として実施してしまった。「形式としての権力」はほかにもゴマンとある。たとえば叙勲に関してもそうだ。地方自治体から上がって来る数々の叙勲を政府が一々「叙勲に値する業績」と判断しているわけではない。形式として決定しているに過ぎない。

 そうした形式としての「内閣総理大臣の権利」を実行権として発揮しだすと,日本国内は内閣の統制下に置かれてしまう。それは行政権を逸脱して,立法権司法権まで侵害しかねない

 だから「アテ職」のような形式的な「内閣総理大臣の権能」が形式として存在しているとの解釈が定着している。まさしく「日本学術会議委員」の任命がそれに当てはまる。だから,任命権が形式でなく実効性を伴うものだと解釈変更するなら,任命に関する法律を改正して,総理大臣の任命権を明文化する必要がある。

 今回の騒動に関しては内閣法制局の答弁が結論をいい表わしている。「義務的な任命であるのかどうか」という点について,明瞭に記載したものというのは,私がしるかぎりみあたりません。ただし,さきほども言及ございましたような,高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして,昭和58年の法改正以来,一貫した考え方としてなりたっているものと理解しています」と答弁したとおりだろう。

 4) 安倍自公政権下で仕出かした「法解釈変更」など,昭和58年の法改正以来の一貫した考えを覆す愚行でしかない。

 それを菅氏は「前例主義を打破する」などと息巻いているが,権力の座に座った者の思い上がり以外の何物でもない。菅氏は歴代総理大臣よりも秀でた学識と叡智を備えている,とみずから宣言したに等しい。なぜなら「前例を打破する」とは前例が誤っていたと批判することでしかないからだ。

 なんと大それた大バカ者が総理大臣になりあがったものだろうか。(引用終わり)

 以上の記述に付け足すものは,とりあえずなにもない。安倍晋三もそうであったが,適菜 収が『日刊ゲンダイ』の連載記事の題目に,共通の文句として『それでもバカとは戦え』をかかげているのは,正当かつ適宜であった。安倍晋三も相当の「世襲3代目のお▼カ政治屋」であって,その自覚症状が全然なかったわけではなく,その点に多少は気づいていた節があった。

 だが,菅 義偉になると,その自覚症状を問題にする以前のあり方であったが,安倍政権において自分が乱用・誤用・悪用してきたトンデモな官邸独裁的な政治手法が,民主主義国家体制のなかでも強引に押し通せると自信をもつようになっていた様子がうかがえる。

 ただし,今回の学術会議新会員候補の拒否問題は,相手が純粋に学究集団,それも日本で最高水準の集まりである「彼ら」を相手にして,暴走を始めた。しかしながら,この暴走をそのまま認め,受け入れるようなこの相手ではなかった。ここに菅 義偉の誤算:みこみ違いが残されていた。ここではつぎの事例を紹介しておく。

       ★「日本ジャーナリスト会議も総理の政治介入に抗議」★
   =『EconomicNews』2020年10月11日 07:11,http://economic.jp/?p=90585

 

 日本ジャーナリスト会議は〔10月〕9日までに,菅 義偉総理に日本学術会議会員への6人任命を拒否した理由と根拠,くわえて,拒否の撤回を求める声明を出した。日本ジャーナリスト会議日本学術会議が6人を任命するよう総理に求めていることを支持するとしたうえで「菅政権に『任命拒否を撤回し,6人をただちに任命すること』『拒否の理由と根拠を,国民の前で速やかに説明すること』を求めている。

 

 日本ジャーナリスト会議は「学者の国会ともいわれる日本学術会議が1949年,独立機関として設立されたのは,滝川事件や天皇機関説事件など,戦前の『権力による学術研究や論説への侵害,統制の反省』によっている。それゆえに日本学術会議法で独立性が保証されている」と独立性の意義と保障されるべき根拠を述べている。

 

 そのうえで,同会議は「首相による任命は,天皇の首相任命と同様の『形式的任命行為』にほかならない。そのことは当時の国会議事録でも『法解釈上も政府側が,拒否,干渉しない仕組み』と明言され,与野党合同で提出した付帯決議も可決されている」と会議の主張の根拠を示したうえで「今回,加藤官房長官は『法律上,推薦のなかから選ぶことになっている』『義務的に任命しなければならないというわけではない』とすり替えた」と非難した。

 

 同会議は「今回の任命拒否は『人事問題ではなく,政治と学術の関係に対する菅政権の政治的介入』にほかならない。菅首相には責任ある説明が求められる。菅政権による日本学術会議への介入は明らかに不当であり『違法』だ」とし「日本ジャーナリスト会議日本学術会議への人事介入に抗議する多くの人たちとともに,菅政権の暴挙に抗議する」と強く抗議の姿勢を示した。(編集担当:森高龍二

 また,森友学園問題や加計学園問題のときのように相手を,最初から権力という名の暴力行使をもって圧倒的に押し倒し,実質的に沈黙せざるをえないように追いこめた場合とも,まったく事情が異なっている。今回の出来事に関しては,菅 義偉政権側の人びと(エセ政治家=政治屋たち)が,いちいち攪乱を目的にして,きわめていい加減な『デタラメとウソ』を吐くたびに,これらはただちに逆にそれぞれ反論・批判されており,そのつどその非を暴かれている。

〔記事に戻る→〕  推薦リスト「見てない」のに総合的・俯瞰的判断で6人を拒否した菅は超能力者か?(笑)(引用終わり)

 5) だが,問題の本質は「笑って済まされるような性質」のものではなかった。菅 義偉がいうところの「総合的・俯瞰的判断で6人を拒否した」ことに関していうとなれば,「菅は超能力者」である以前に本当は,意図的にしらべてその6人を学術会議の新会員になる手続を拒否していた。だから,もちろん,事態は「笑って済まされるような性質」のものではなくて,学問・思想・言論の自由に「手を突っこんできた」点に関していえば,菅がファシズム政治の実践範囲を拡大したとみるべきである。

 

 「菅さまの神技判断には恐れ入りました(笑)」『まるこ姫の独り言』2020.10.10,http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2020/10/post-dba4cc.html

 2回目の秘密裡グループインタビューとやらで,学術会議の推薦リストは見ていないといい出した。だったら,6人の任命拒否に対してどうして,総合的・俯瞰的な判断ができるのか。もうカルトの教祖様か,天の声のレベルに到達してしまった菅の支離滅裂。

  ◆「菅首相,推薦リスト『見てない』 会員任命で信条考慮せず 学術会議会長と面会も」◆              =『時事通信』2020/10/9 (金)  17:55 配信 =

 

 日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった問題で,会議側が作成した105人の推薦リストは「見ていない」と表明。「広い視野に立ってバランスの取れた行動をおこない,国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した」と説明した。

 補注)菅 義偉はこのように主張しているが,実際のところは,自民党極右・反動政権の「広い(というよりは狭いというべき)視野に立ってバランスの取れた行動をおこない,国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきこと」を強調しだしていた。その「国の予算を投じる機関」という点も,非常に誇張したかたちで,国民に訴求していた。必要以上に最大限にオオゲサに扇動的に語ろうとしている。

 

 推薦リストを見ていないのに,6人だけ任命拒否。任命拒否当初,この判断は「総合的・俯瞰的」な判断からの見地だといっていた。自分がどれだけ矛盾した,支離滅裂な発言をしているか分かっているのか。

 補注)安倍晋三のときもそうであったが,とりわけ菅 義偉の場合は,前政権で番頭をやっていたときから,「自分がどれだけ矛盾した,支離滅裂な発言をしているか分かっているのか」と問われても,この種の問題は「安倍1強〔凶・狂〕」の枠内に居た事情ゆえ,それが「問題だと指摘される点などとは,まったく関係がない,その批判は当たらない」と強弁しつづけてきた。

 

 つまり,菅の論法にはまともな筋道だとか多少なりとでもリクツだとかは,いっさい不要であった。すべてを権柄づくで始末・措置してきたゆえ,こんど首相になった自分の立場なれば,官房長官の時期よりももっと露骨に正々堂々と,その路線でいくほかない態度を,より鮮明に披露している。

 

 自分の頭で考えずに,官僚の書いた原稿を棒読みだからできる所業だろうが,「総合的・俯瞰的」といっていたのだから,誰かの意思だったということはよく判る。誰の意思で,この6人の任命拒否に至ったのだろう。それがしりたい。

 

 せっかく,少人数だから自分の対話能力がバレないだろうとグループインタビューを考えたのだろうが,もう早速つまづいてしまった。自分が考えた発言ではなく,官僚の書いた原稿棒読みでは,実際になにを語ったのか覚えていないし,分かっていないのだろう。

 補注)この「グループインタビュー」とは,菅 義偉首相側から作られた「異常なメディア対応」の方法であった。記者陣からの質問への「菅首相の回答」は,「信号無視話法分析」だと形容されている。要は,菅 義偉はまだ,記者たちの質問に対してとなると,自分なりに当意即妙になにかを答えられる「頭脳も材料も」なにも,皆目もちあわせていない。応えられることといったら,その信号無視,それも1人でどこまでも勝手に犯すほかない「その無視の話法」によってであった。

 註記)「『グループインタビュー』という異常なメディア対応で繰り広げられた菅首相の回答を信号無視話法分析」『HARBOR BUSINESS Online』2020.10.09,https://hbol.jp/230026

 要は,「具体的な理由は説明なく…菅総理 “任命拒否” 」(テレビ朝日系(ANN)〔放送〕2020/10/5 (月)  23:30 配信)なのであって,このインタビューのなかで,記者から「(学術会議は)独立の機関であって『学問の自由の侵害』ではとの指摘もありますが?」と問われた菅は,「学問の自由とはまったく関係ないということです」〔と答えていた〕。

 〔だが〕それはどう考えても,そうじゃないでしょうか。どういう根拠で学問の自由とは関係ないといっているのか。それはどう考えてもそう。はあ? 勝手な屁理屈を国民に押しつける菅。。それとかあれとか,菅の勝手な解釈はよく分からん。。。。

 このグループインタビューのなかで,政府から10億円もの予算が出ているといっていたが,政府の機関ならどこの機関でも予算が付くのは当然のことだ。政府が予算を出しているからモノがいえないといっているも同然の菅の原稿棒読み。安倍もそうだったが,菅も自分達のお友達には税金を湯水のように使い,政府に少しでも耳に痛いことをいう組織には排除する姿勢は,どうにかならないか。

  ※ 秘密主義で冷徹冷酷な菅総理

 こんなことでは国はより良い発展は期待できない。どうしてもっとオープンな考えにならないのか。。。それが真の意味の「国民のために働く内閣」ということだと思うが。。。


 以上,① と ② に印象した記述は,ちまたではけっこうしられているブログの記述であった。いずれも,菅 義偉への批判としては的確に記述していた。

 ここではさらに,つぎの ③ においては田中 均という外交官の意見を聞くことにする。

 田中は,外務省の勤務経歴のうち退官時に近い時期における経歴をみると,「外務省経済局局長⇒外務省アジア大洋州局局長⇒外務審議官(政務担当)」などを歴任しており,とくに外務審議官を務めていた時期,つまり小泉純一郎政権の時代,日朝関係の前進のために尽力してきた。

 この田中 均が,今回の学術会議新会員拒否に向けて披露した議論を聞いてみたい。田中はまた,外務省の論客としてもしられた存在である。

 補注)北朝鮮問題に関する関連事項として,ウィキペディアは田中 均を,こう記述している。

 時の総理大臣・小泉純一郎のもと,2001年にアジア大洋州局長に就任すると,同年末から30回以上に及ぶ北朝鮮代表者「ミスターX」との水面下の交渉を担当。官邸・外務省の限られた幹部しか交渉の詳細をしらないという極秘のかたちで進められたが,総理とはこの間80回に渡って面談して官邸主導のスタイルで北朝鮮側との信頼関係を築き,2002年9月の歴史的な首脳会談実現の立役者となった。

 国家官僚としては,ほぼ最高の地位にまで昇りつめ,しかもその後においては新展開はみられていないものの,日朝関係の打開のために多大な貢献をしたこの田中 均は,今回における学術会議新会員候補を菅 義偉が拒否した出来事を,どのように分析しているか。少し長いが,全文を紹介する。

 そのまえに一言,こう断わっておきたい。菅 義偉ご一統たちの,いささかとち狂ったかのごとき議論の水準に合わせて批判を対抗的に繰り出すこと,つまり,過剰反応することは控えたほうがいい。もちろん,核心を突いた批判であれば,大いに強調して,彼らに対して突きつける必要がある。相手が相手だけに,つまり「安倍晋三と菅 義偉」的なという意味では,とても幼児的な政治集団である特性に対応した批判が必要である。

 

 「日本はどこに行くのだろうか~人事権の行使で異論を排除する危うさ」論座』2020年10月07日,https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020100500006.html

※人物紹介※ 田中 均は現在,株式会社日本総合研究所国際戦略研究所理事長,公益財団法人日本国際交流センターシニア・フェロー。

 私は9月16日の論座で『新政権に望む~「権力維持の罠」にかかった政治から脱却を!』と題するコラムを書いた。わずか1か月もたたないうちに再び,懸念を表明するのは私の本意ではないが,ことがあまりに重要なのであえて書かざるをえないと思うに至った。

 1) 菅内閣への期待は大きいが

 菅政権の滑り出しは上々で期待は高い。私は先のコラムで,国民の歓心を買うための短期的行動から脱却して日本再興のための中・長期的な措置を地道に追及してほしいと訴えた。

 菅内閣は人気が高いうちに解散総選挙に打って出るというようなことではなく,まず実績を作ることに注力するという構えだと思う。また規制改革やデジタル化といったもう猶予できない事柄に断固取り組むという構えも好ましい。

 しかし,統治のあり方についての最大の懸念であった「権力を背景に異論を排除する」という行動が再びとられている疑念を,目の当たりにして驚き,失望した。

 とくに学術と政権の関係は,思想・言論の自由と深くかかわり,どこの国でもどの歴史の道程においても,もっとも微妙な配慮を有する問題であるにもかかわらず,これまでの考え方に反し,日本学術会議が推薦した新会員のうち6名を排除し,その理由も説明しないという。

 菅首相安倍内閣において官房長官として政界人事や官僚人事の中核を担ってきたことから,前政権と同じように,権力を背景とした人事権の行使により異論を排除しているのではないか,という疑念をもってしまう。

 これまでの慣例に反して日本学術会議推薦の学者の一部を除くという以上,なぜなのか,従来の国会答弁にかかわらず,もはや形式的任命権ではないということなのか,実質的な任命権を行使するならば,日本学術会議の新会員とするのを否定する理由を説明するべきだというのは,もっともな意見のように聞こえる。

 とくに新会員推薦基準が優秀な研究または業績を有する科学者とされている以上,拒否の明確な理由が必要だろう。説明がなければ,「政府の予算によって賄われている機関である以上,政府の政策に反した意見を述べた学者を入れる必要がない」という理由で拒否されたと推定されてもいたし方ないのだろう。

 2) 権力と学術の関係に慎重な配慮を

 この議論は,権力と知識人の関係の本質にかかわることなのでうやむやに済まされるべきことではない。「政府の機関である以上,政府の考えを支持する学者が会員であるのが好ましい」といいうるのか。学者やその他の知識人にとって政権であれ,学会の権威的意見であれ,批判的に考えるのは当然のことなのである

 補注)本ブログ筆者の若いときの思い出がある。学界内のエライ先生の学説・理論を勉強したうえで論文を書いたことあったが,そのなかで批判をする段落を設けていたところ,「エライ先生の批判をすることじたい」がけしからぬ行為だと叱られた体験をもつ。

 筆者自身は,その「声」は実は裏の経路で教えられた事実であったが,実際に聞かされたときは,笑ってしまった。あのガリレオ・ガリレイの名前をもち出すまでもなく,筆者にとってはコッケイな話にしか受けとれなかったからである。

 引用している田中 均の議論は,なぜ,そのように “嗤うべきか” についても,つぎに語っている。

〔記事に戻る→〕 学者や知識人の役割は批判的に物事を考えることであり,そうすることにより学術的な進歩がえられる。批判を排除し,政府の意見どおりの日本学術会議であってほしいと少しでも考えているとしたら,これは近代民主主義国家のあるべき姿ではない。そのような日本学術会議のもつ意味を深刻に問わねばならなくなる。

 私たちは,中国やロシアがますます強権体制を強め国内の引き締めのために知識人の意見を封殺しているのに対し,強い反発を覚える。私が親しく交流してきた中国の学者たちはもう自分の意見はいわない。政府の公式論のみを口にする。これではもう意味ある知的交流はなりたたない。

 私は,1997年外務省北米局で沖縄問題の担当者であったとき,米軍基地の継続的使用を担保するため駐留軍特措法の改正をお願いし,圧倒的多数で可決された。その時法改正にかかわる特別委員長であった野中広務議員が,一定の批判票が重要と考えたのか,「大政翼賛会とはならぬようお願いしたい」と発言したのを昨日のことのように思い出す。

 この背景には,政府の強権を確保することなのだから一定の批判票があって当然だ,米国や沖縄に対しても国会が一色であるのは好ましくないという認識があったのではなかろうか。

 3)政府広報と「Public Diplomacy」

 対外関係に目を向けても,政府の対外広報について近年,同じような傾向を垣間みる。

 政府は近年,歴史や領土問題についての中国や韓国の一方的な宣伝に対抗するうえで,予算を拡大し政府広報に力を入れている。これは当然のことだし,政府が在外公館の広報活動を強化するとともに,たとえば内閣が国内だけではなく,会見などを外国人記者に幅広く広げて対外的に権威ある説明をすることは急務だ。

 そのような対外広報活動の活発化にくわえて,近年政府は「Public Diplomacy」という概念で,相手国の国民に直接語りかけるという手法を強化してきている。政府が直接というより相手国の大学への資金的援助や日本の学者,有識者を,セミナー等に参加させることにより日本理解を深めようとする。

 ところが,ここでも「政府がお金を使う以上,政府の意見に忠実でなければならない」と,相手国の大学に枠をはめ,学者有識者を選択しようとする。しかし,先進国でのセミナーやシンポジウムなどでは個人の学問の自由,表現の自由は尊重される

 補注)つまり,ここでの田中 均の記述に忠実にしたがえば,日本は非「先進国」(後進国発展途上国)だったということに,あいなるほかない。

 政府の公式見解を開陳するのに終始するとすれば,それは中国やロシアなどの強権国家と変わらない。真に日本理解を深めるためには国内の意見,考え方などを含め問題点を語ることができる客観性をもつ有識者を出す方が好ましいと思うし,諸外国もそれを望んでいるわけだが,どうも日本の考え方はそうではないようだ。

 ここでも官邸主導の頑な考え方があり,官僚は政治権力を忖度しているようだ。

 4)政権の再考を願う

 日本学術会議の活動は政府の予算で支援されているが,その原資は国民の税金であり,国益に資する使い方がされねばならない。日本学術会議の独立性・自律性を担保することが国益であって,政府の意見に近い人を会員にすることが国益であろうはずがない。

 補注)そのとおりであるが,菅 義偉にとっては,自分の「政府の意見に近い人を会員にすることが国益」であるとしか,考えられない頭脳を有する政治屋であった。つまり,この場合の国益とは私益(菅 義偉のそれ)でしかありえないわけだが,田中 均が説くような肝心な要点を,菅のほうではまったく理解しようとしない。というか,そうはできもしないし,そう努力することも絶対にしない。

 日本に対する深い理解を増進することが「Public Diplomacy」の目的であり,政府の意見を広報するのが目的ではない。政府の意見を周知徹底するためには政府が直接おこなえばよい。

 さらに,政治権力が特定の民間人を批判し,あるいあいは日本学術会議のケースのように特定学者を排除するのはきわめて恣意的なレッテル貼りにつなががってしまい,そこから一斉に忖度が始まり,それが個人の不利益につながることをよく認識するべきだ。

 政治権力に批判され,排除された学者や知識人は政府関係の場だけではなく,メディアや民間会議のような場でも活躍する機会が減っていく。それが政治権力の狙いではないことを心から願わずにはいられない。

 補注)田中 均はあえてこのように婉曲に語り,要望もしているけれども,この狙いは実際に菅 義偉が抱いていて,すでに実際に実行しだしていた。

 菅内閣は物事に真正面から向き合う内閣だと思うし,国民の期待も高い。支持率も70%を軒並み超えている。だとすれば,ここは不毛な議論を繰り返していくより,日本学術会議の独立性を担保するため日本学術会議の推薦通り新委員を認めてほしいと思う。迅速に行動されれば,それは朝令暮改ではなく結果的には国民から評価されることになると思う。(引用終わり)

 菅 義偉は確かに「物事に真正面から向き合う内閣だ」といえなくはない。しかし,その姿勢は,モノゴトの本質や肝心な事項を直視も正視もしたくない政権である特性としてならば,非常によく表現されている。

 今回における学術会議新会員候補6人拒否の問題は,日本という国家全体にとっては,まさに完全に「不毛な対応」であったとしても,彼(ら)の立場・利害にとってみれば,いいかえれば「自分たちの専制的・独裁主義志向の国家体制」の采配としてみれば,まことに「生産的な対応」でありうると,強く確信している。

 いずれにせよ,菅 義偉の政権が “みずからの思い” を,粘着質に実現・達成させていけばいくほど,この日本は国家そのものをひたすら “サンセットの方角” へと向かわせるほかない。

 ところで,清沢 洌『暗黒日記-昭和17年12月9日 ‐ 20年5月5日-』評論社,昭和54〔1974〕年(初版は,1954年発行)という本があったので,これを少しとりあげてみたい。

 清沢 洌は,同書の1945年4月4日にこう記していた。ただし,以下の引用分では,「軍人」=「安倍晋三や菅 義偉たち」,「飛行機,軍艦,武器」など=「企業,技術」などとそれぞれ読みかえたらよい。

 ちなみに一例にすぎないけれども,たとえば,日本で以前までパソコンを製造・販売していた会社(有名な一流企業のそれ)のうち,何社もが,現在においては外国系の企業支配のもとに流れていった事実を,日本の国民経済・産業経営の落日ぶりを正直に反映させる実例として,しかと記憶しておく必要がある。

 軍人の考え方は,相対的,機動的でないから,綜合的に物を推論することができぬ。日本本土では対手をやっつけることができると,まだ彼等は信じているのだが,そのときに日本の飛行機も,軍艦もなく,また敵の武器が一段の工夫を,こらして,絶対的に優勢だという事実を知らぬのである。日本人全体の頭が一体にそうであって,それを直すのには教育の一変以外にはない。

 註記)清沢 洌『暗黒日記』621頁。

 さらに追補して譬えるとすれば,21世紀の現段階になってもまだ残っていたその「日本人の頭」というもの(残滓)は,とくに安倍晋三や菅 義偉たちのそれ(頭部)じたいを意味していた。さらに,「教育一変」という表現が現在的に要求するのは,安倍流に「この国を美しい国へ」と導こうとした  “大きな過ち”  を,根本から訂正させる必要性を指している。

 要は,「戦後レジームからの脱却」をとなえたことが,どのくらい馬鹿らしい「戦前回帰(怪奇志向)」であったかを,まったく自覚できていない自民党の極右・反動政権は,いまさらにように,この「十分に美しいこの国」を,わざわざ破壊しつづけている。

 昭和16年1月に発行されていた著作,宇田 尚『国民道徳進講』酒井書房は,つぎのように謳っていたが,現在の自民党極右・反動政権も,基本的に類似の思考にひたっている。

 要するに,我が国がまづ大東亜共栄圏を確立することによって,世界の旧秩序が崩壊して新秩序が建設されることは必至の勢となったのである。即ち大東亜共栄圏の確立といふ八紘爲宇の具体的な大目標に向って皇運を扶翼し奉るところに,国民道徳を刷新して国家奉仕を第1義とすべきことが闡明されたのである。

 

 こゝに我々は旧世界観を払拭して新世界観を確立すると同時に,我が日本の自己形成がそのまゝ世界形成の歴史的過程だるといふ民族的信念に基づく根本的世界観を堅持し,以て皇運の扶翼に邁進しなければならない。皇運の扶翼は,実に我々に取って無上命法である。

 註記)宇田 尚『国民道徳進講』酒井書房,昭和16年,6-7頁。

 清沢 洌が戦争中において明確に否定していたのが,いまの自民党の極右・反動政権が志向する,それも「教育勅語」に依存しようとする,前段に引用したごとくの国家思想にもとづく軍国主義教育であった。自民党改憲案を参照してみるのもいい。その点がよく伝わってくるはずである

 学術会議新会員候補として菅 義偉が拒否した学究たちは,軍国主義を好む「安倍晋三から菅 義偉の自民党政権」を批判していた。だから,菅は彼らを学術会議の会員に就かせるための手続を拒否した。

 「学問の自由」「思想の自由」「言論の自由」? そんなものは,菅の頭部には寸毫も宿っていない。

 日本はいま,生産的にはなにもしていない。全力を戦争〔=自民党極右・反動政権の先祖返り〕のためにささげている。それが破壊される〔表現を分かりやすく変えると「この国を破壊している」ことになっている〕のだから,日本は恐ろしい勢いで国力を摩滅しているのだ。

 註記)清沢『暗黒日記』550頁。〔 〕補足は引用者。

 

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 しかし,敗戦前における大日本帝国は自国のために侵略戦争をしていたが,21世紀における日本ときたら,もっぱら「U. S. A. の世界軍事戦略を手助けする」ことを余儀なくされている。事実,強制されているのである。この「対米服属路線では子分役である」実体の『馬鹿らしさ』ときたら,トコトンまでフルパワー……。ほかにもいろいろな考え方があるはずであるが,これに対する批判さえ許そうとしないのが菅 義偉の頭部硬直性……。

 本稿(本記述)の同じ話題は,ここまで連続して「5回目」となった。だが,まだ終わらせようがないので,まだ数回は記述をおこなうことになりそうである。今日はひとまずここでおしまいとしたい。

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