日本の皇室の高貴さとその摩訶不思議,マスコミ・メディアが創る「21世紀の天皇・天皇制」

                (2009年9月15日,2020年10月17日)
 「皇室を宣伝するテレビ番組」は,民主主義国「日本」における天皇天皇制の位置を,ひたすら高揚させるための放送・報道をすることが,本来の目的とこころえているのか

 

  皇室の様子を報道するテレビ番組

 先日〔2009年9月13日:日曜日〕に『皇室日記』という,日本テレビが朝早く,午前5時45分から15分間で放映する番組をみる機会があった。その荘重さ・慎重さ・厳粛さ・清廉さ・誠実さ・清潔さ・高貴さ・高潔さ・丁寧さ,要するに「貴族階級」として皇室一族を特別あつかいする程度は,ずばぬけており,超一級である。

 ※-1『皇室日記』……日本テレビ・ほかで,1996年4月7日より放送されている皇室を中心とするテレビ番組である。

 ※-2『皇室ご一家』……フジテレビで,1979年4月2日から放送している皇室を中心とする情報番組である。

 ※-3皇室アルバム』……毎日放送MBS)で,1959年10月5日より放送されている皇室を中心とする情報番組である。製作は毎日放送(東京支社)と毎日映画社。番組内容としては,フジテレビの皇室番組『皇室ご一家』とほぼ同じ。また,字幕放送は実施されていない。

 註記)http://r25.jp/b/wp/a/wp/n/・・・ 参照。

 ところで,日本の皇室がそれでは,古代からそのような品格と骨柄を,当たりまえに備えていたかと問われれば,多少なりでも日本の歴史(古代史・中世史など)に関する知識がある人であれば〈否〉と答える。

 

  天皇・皇室に関する若干の歴史

 ここで,古代皇族史にさかのぼって論じたりすると記述面で収拾がつかなくなるので,ひとまず禁欲しておき,近代に飛びこえての話とする。

 たとえば,明治天皇は正妻以外に多くの女官を側室に抱えていて,大いに彼女らとの営みをおこない,多くの子どもを産ませたが,うまく成育したのは大正天皇だけであった。なお,正妻とはなぜか夫婦関係がなかった。昭和天皇に対しても,まだ男子が産まれないころには,女官に手を出すようにしむける宮中の動きもあった。

 明治天皇の女好きとともにワイン好きも有名であり,しばしば深酒のあげく酩酊し,その出先から乗馬して帰る行程を護るお付きの者たちは,ひどく酔っぱらっている彼が落馬しないようにと,たいそう気を遣わねばならなかったという。

【参考記事・画像】(2020年10月17日補足)  

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 ★ 英雄色に迷う / 英雄酒を好む ★

 「英雄色を好む」の類語には「英雄色に迷う」と「英雄酒を好む」がある。 「英雄色に迷う」は,普段決断力も統率力もある英雄が女色のことになると迷うことがあるという意味である。 さらに「英雄酒を好む」は、英雄はお酒を飲むことも豪快だという意味になる。 昔の強い人たちは、みんな酒豪で戦いの前夜もお酒を飲んでいたとう。 しかしながら,命をかけて戦う前ゆえ,飲まないとやってられなかったのか。(下記を参照)

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   ◆「一ノ関忠人;よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」◆

   =『一首鑑賞 日々のクオリア』2014/09/06,https://sunagoya.com/tanka/?p=12584

 

  明治天皇明治天皇御集 昭憲皇太后御集』(1929年)※

 

 1904(明治37)年に明治天皇が詠んだこの歌が話題になっているのは,平山周吉『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書2014年)においてである。この明治天皇の歌が,太平洋戦争開戦の決め手のように使われたと平山の著書は読み解いた。

 

 以前にも紹介したが,明治天皇は生涯に10万首を超す歌をつくっている。日露戦争が始まったこの年は,日々40首,年間に1万首。そのうちの1首である。そして,この1首は,とりわけよくしられた歌であった。英訳されて,セオドア・ルーズベルト米大統領をも感動させたという逸話もあり,明治天皇の「平和愛好の御精神」が強調された歌である。

 

 日露戦争の開戦にあたって,明治天皇には危惧があった。世界はすべてが兄弟姉妹である平和な時代であると思っているのだが,どうして波風が立つような動乱の兆しがみえるのだろうか。このような内容になる。一読,戦争忌避,平和愛好を感じて不思議ないだろう。

 

 それから少し時間がたった。1941(昭和16)年9月6日――この日,日米開戦の是非を問う御前会議が開かれた。出席者は近衛文麿首相以下15名。会議の最後に昭和天皇は異例の行動に出る。明治天皇のこの一首の歌を読みあげたのである。

 

 平山周吉のこの本に引用された「石井秋穂大佐回顧録」に記された御前会議の最後の様子をみよう。石井は当時陸軍軍務科高級課員,つまり事務方として参加。冷静な観察が期待できる。

 (中略) 

 

 「よもの海」の歌は,明治天皇が日露開戦当初に詠んだ和歌で,「そして畏多いことながら,今上陛下の大東亞戦に臨ませられる大御心も明治天皇といさゝかもお変りあそばされぬのである」(朝日新聞記事)と。

 

 昭和天皇は,おそらくこうした戦争を促進する解釈が存在することを思いもしなかったのではないか。この歌を出せば,戦争への逡巡が生まれるはずだと考えていたのではないか。ところがところがであった。切り札のように使った「ことだま」が,すり替えて読まれて逆に利用されることになるとは想像だにしなかったに違いない。太平洋戦争開戦の一秘話といったところだろうか。

 

 のちに昭和天皇が,文学のあやというような発言をしたことがある。その「あや」は,こうした問題と繋がっていたのではないか。昭和天皇は終生短歌を愛し,作りつづけていたが,終戦の決定の折には,そのような曖昧な和歌を持ち出すこともなく決然と敗戦を認められた。

 

 天皇と政治,短歌と政治,むずかしい,しかし本質にかかわり,さらに昭和史の暗部にかかわる議論である。そのきっかけとして平山の著書を読んでみるのも良いだろう。ぜひお読みいただきたい。(引用終わり)

 補注)以上の話題は,明治維新以降,大日本帝国を称するようになってから敗戦するまで,この「近現代日本天皇史」そのものを美化しかねない論旨である。敗戦するまでの日本はまさしく,総括的には「侵略戦争史」を天皇の名のもとに推進してきた。

 

 明治天皇だとか昭和天皇は制度的な存在であると同時に神格的な実在だともされてきたそれまでの歴史の展開において,なかでも昭和天皇の意思が戦争推進ではなかったという事後的な弁護論は,失当の解釈である。

 

 天皇個人の「意思(主観)」と国家(大日本帝国)の「行為(結果)」を,ごたまぜにするほかない,以上の種類の議論や主張は, 歴史学的な見地としては片落ちの問題意識を前面に押し出し過ぎている。

 さてここで,つぎの写真2葉(上・下の2点)をみてもらう。

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 「上の写真」は「下の右側(集合)写真の中央部部分」である。

 これは,慶応1〔1865〕年に長崎で撮影された〔とされる〕「お雇い外国人:グイド・フルベッキ(オランダの法学者・神学者,宣教師)」を中心とする集合写真の一部(中央部分の切り抜き)である。

 「下の写真」で左側は明治天皇,その右隣(全体では左寄りに中央)が大室寅之祐明治天皇)である。もちろん,同一人とみなされるべきものである。 

 「上の写真」では,「30. フルベッキ」の右側:子どものまえに「40. 大室寅之祐〔=「孝明天皇」の本当の子である「元の睦仁天皇」ではなく(この2人とも暗殺されている),その代わりに入れ替わって,のちの「本物の明治天皇」になったといわれる人物〕が,実はこの集合写真全体の真ん中に座っていた点に,なんらかの歴史的意味をみてとることが可能である。

 要は,「明治天皇の顔写真」と真ん中の写真に写っている「大室寅之祐の顔」とをよく比較してほしい。以上の論点はすでに「本(旧・々)ブログの 2009.7.25」として,よりくわしく記述していたが,現在は未公表状態になっている。近日中に復活させ公開したい。

  主題明治天皇は偽物か替え玉か」

    副題1「万世一系のまがまがしさ」

    副題2「【写真にみる,明治:睦仁天皇】」

 じっくりよく比較してみるといいのだが,どうしてここまでよく似ているかと感心する。「他人の空似」とは思えないほど,似ていると観察できる。

 なお当時,宣教師はいまふうにいえば,ヨーロッパ各国の軍部諜報部員の役目も兼ねていたことに注目したい。江戸幕末における日本の政治にあれこれ口出し,大きな影響を与えた国としてはフランスとイギリス,そしてアメリカがあった。ただし,フルベッキの場合は特殊な立ち位置にいて,実は無国籍であった。

 なお,明治天皇伊藤博文の生存中,この伊藤に対していっさい逆らうことがなかった。そもそも,孝明天皇を暗殺した下手人は伊藤だといわれている。さらに,その子=「元の睦仁」も,伊藤がからんで始末された可能性が大きい。だから,「偽者であった明治天皇大室寅之祐(ただし南朝の系譜である)」は,伊藤に反抗することができなかったのである。

 明治42(1909)年10月,伊藤が暗殺されてからはじめてこの明治天皇は,北朝の系譜であるはずの明治の朝廷に対して〈南朝説〉が正しい=正統であると主張し,奇妙な発言となったが,周囲には無視された。

 また,大室寅之祐の弟「庄吉」の娘:大室よねを女中に使用していた,当時サッポロビール常務橋本卯太郎(1869-1938年)が,このよねに手を出して産ませた子が橋本龍伍1906-1962年)であり,その息子が龍太郎(1937-2006年)である。

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   出所)橋本龍太郎関係の系譜図,http://kingendaikeizu.net/hasimotoryuutarou.htm

 裕仁以下の兄弟のうち,秩父宮〔1902:明治35年生まれ〕・高松宮〔1905:明治38年生まれ〕は,大正天皇の子ではなく明治天皇の子であるという噂もあり,また三笠宮〔1915:大正4年生まれ〕も,大正天皇の子ではないという憶測もある。

 現在の天皇(平成)の息子の1人は某国に愛人を構えており,ときおりお忍びで逢いにいっている〔いた〕ともいわれる。

 また,いまの皇太子(徳仁⇒令和天皇)の配偶者が第2子を妊娠したと報道されたあと,侍医(堤 治東大教授:当時)がエコーで検査したところ,彼女の子宮にはなにも映っていなかったという。この事実を発表した堤は事後,所属する大学において起きた小さな問題を理由に,雅子の侍医の立場を退いた。

 雅子のその出来事=事件に関連しては,南朝の系譜に連なる政治家:橋本龍太郎が絡んでいたという。つまり,自分の孫=「長男:岳(がく)の次男」を〈玉〉として皇室に送りこもうとした橋本龍太郎の謀略が図られたが,失敗したと指摘されている。

 要するに,正真正銘,「オレは明治天皇(実際の)の弟の曾孫」だという橋本龍太郎の自負の問題,いいかえれば,皇室(南朝!)の連綿たる〈一系〉(ただし女系譜)の問題が,そこには抜きがたく介在していた。

 皇室の,北朝ならぬ南朝の血を絶やすな! こんどは「オレ〔龍太郎〕の孫」を皇族のなかにまぎれこませて,皇統〔皇室の血統〕を継承させてやるぞ,と考えた橋本龍太郎の気持は,理解できなくもない。

 21世紀のいまも,日本の皇室の伝統であるとされる〈万世一系〉の系図は,実はウソ八百。これでもって,現在の天皇日本民族の祖先神であるアマテラス1人までいきつける〔収斂・集約されていく〕ならば,ほかの日本人1人ひとりもすべてが,神話的にもアマテラスにつながっていることになりかねない。

 そうだとしてたら,日本民族は全員が天皇〔男はもちろんで,女はそれこそ女帝〕になれてしまうかも。しかし,これはマズイ! いずれにせよ,権力支配層に位置する人間たちの裏工作が,いわば陰湿な画策としてあれこれうごめいていた事実は,否定できない。

 以上の話題は,インターネット上にもあれこれと,非常に盛んにゆきかっているゆえ,興味のある人は自分で探索されることを勧めたい。

 

  日本国憲法における天皇天皇制の問題

 民主主義の国家体制にある日本国の憲法は,その第1条から第8条までを充てて「天皇の制度・地位・役割」などを規定している。「民主主義と天皇天皇制」が基本的に矛盾なく成立しうるもの同士なのか,日本国民が考えたことがないわけではない。

 とはいえ,このようなへんてこな憲法体制のままに,日本国はどこまで漂流していくつもりか? ここでは,以下のように説明してみたい。

 --現状における当面のみとおしとして,在日米軍基地を完全に撤去させえないのと同じように,日本国が天皇天皇制を,いつまでも抱っこにおんぶのかたちで維持していかねばならない事由は,なにか?

 憲法第9条戦争放棄」が第8条までに続く条項であることは,まさに順序どおりである。しかし,この第9条は実質骨抜きになっている。第1条から第8条までは第9条との組み〔=セット〕で,敗戦後にアメリカが用意し,日本がいただいたしくみ=憲法であった。したがって,双方の均衡をとらねばならないとするならば,第1条から第8条までの天皇関係条項,すなわち天皇および天皇制は不要であり,除去すべきものとなる。

 補注)2015年9月に成立し,2016年3月に施行された「日米安保関連法」は,集団的自衛権の行使を可能にし,敗戦後における日本の安全保障政策を大転換させた。しかし,第2次安倍政権は,それを「平和安全法制」と,まやかしの名称で呼んでいる。

 とりわけ,自衛隊の活動範囲が拡大されたことによって,すでに,南スーダンに派遣した陸上自衛隊の部隊に「駆け付け警護」などの任務が付与されたり,海上自衛隊による「米艦防護」や北朝鮮のミサイル警戒にあたるアメリカ軍のイージス艦に燃料を提供したりといった,従来にはなかった新しい任務を実行していた。

 最近になって日本政府は「敵基地攻撃能力」までいいだした。この軍事的な概念は,弾道ミサイルの発射基地など,敵の基地を直接破壊できる能力のことを意味するが,政府の見解によれば,ほかに手段がない場合,やむをえない必要最小限度の措置として,「法理的には自衛の範囲に含まれ可能」としている。

 現在におけるがごとき日米の防衛協力のもとでは,敵基地攻撃はアメリカが担うことになっていて,政府は「日米の役割分担を変更することは考えていない」と,その敵基地攻撃能力の保有を否定しているものの(2018年4月更新),いまや,対米服属路線のもとで,まさに傭兵的な位置づけをもってとなるわけだが,この国の自衛隊3軍は,大日本帝国時代の陸海軍と同じような軍隊になりつつある。

〔記事「本文」に戻る→〕 さらにいえば,敗戦後の日本は,第9条の歯止めを置くことを条件にされて,第1条から第8条まで〈対〉で置いて〔残して〕おいてもらったのである。それゆえ,その歯止めが実質崩壊している現在にあっては,第1条から第8条までを置いた当初の政策的意味,すなわち天皇天皇制は残してやるとした,「昔のGHQの占領政策アメリ国務省」の,戦後日本に対する処理方法の枠組も,根幹から変質しており,崩壊したとまで解釈されてよい。

 もっとも,第9条を実質的に崩壊させたのはアメリカでもあるから,以上の話はだいぶおかしな方向に迷いこむことにならざるをえない。まるで腸捻転をおこしているような,現在の日米軍事同盟関係が,問題をいっそう複雑にしている。新政権を担う民主党は,はたして,以上に記述した問題を,解決の方途に向けてとりくむことができるのか?

 補注)この段落の記述は2009年中のものであり,民主党政権の時期に関して議論していたので,「民主党,ウンヌン」の表現になっていた。

 2019年5月1日から平成天皇が生前に退位した事情にしたがい,皇太子であった徳仁が令和天皇になったが,現政権(首相は安倍晋三から菅 義偉に代わってきた)は,この新しい天皇を「籠の鳥」に閉じこめておきたい意向を露骨に作為している。

 それでも,この記述の冒頭で触れたごとき「皇室・皇族に関するマスコミ・メディア」の放送・報道そのものは,「王侯・貴族」として最大級に讃美し,最高度に昂揚する報道態勢に,なんら変化ない。 

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   文中で断わっていた関連する記述は,若干の補筆・修正がくわえられているが,2020年10月19日に復活・公表した(  ↓  )。

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