靖国神社みたままつりの真義

             (2009年7月11日,更新・補筆 2020年10月24日)
 「靖国神社みたままつりの真義」を考えてみるに,これは「靖国の本義をかくした祭祀のありよう」

 

  要点・1 一般庶民の参拝者を靖国「英霊」崇敬者とみなす虚構,その国家神道的な宗教意識による確信犯的な『だましの構造(からくり)』

  要点・2 靖国神社の「主な祭事」は,春季例大祭(4月21日~23日)と秋季例大祭(10月17~20日)が重要とされている。そして7月13~16日にかけては,日本古来の盆行事にちなんだとされる「みたままつり」が, “敗戦後の1947年から” 開始されている。

  要点・3 ところが,8月15日「敗戦の日」には,きわめて不思議なことなのだが,特別な祭事はおこなわれない。もっとも,この点についての説明は不要である。

 

  靖国神社「みたま祭り」案内〔2009年7月11日にみた靖国神社のHP〕

 靖国神社ホームページの「祭事のご案内」に,今年も催行される「みたままつり 7月13日~16日」が掲示されている。この全文を紹介する。

 日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は,今日,東京の夏の風物詩として親しまれ,毎年30万人の参拝者で賑わいます。

 

 期間中,境内には大小3万を超える提灯や,各界名士の揮毫による懸雪洞(ぼんぼり)が掲げられて九段の夜空を美しく彩り,本殿では毎夜,英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。

 

 また,みこし振りや青森ねぶた,特別献華展,各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか,光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや,軒を連ねる夜店の光景は,昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。

 

 祭儀日程

   前夜祭    7月13日 午後 6時
   第一夜祭   7月14日 午後 6時
   第二夜祭   7月15日 午後 6時
   第三夜祭   7月16日 午後 6時
   昇殿参拝   7月13日~16日 午前9時~午後8時
   (みたままつり期間中の社頭参拝は,午前6時から午後10時までとなります)

 

 献灯のご案内

  みたままつりの献灯は,英霊への感謝と平和な世の実現を願って掲げられるもので,どなたでも申し込むことができます。

 大型献灯(1灯) 10,000円
  ※ 大型献灯の永代献灯初穂料は 200,000円(1灯)となります。

 小型献灯(1灯)  2,000円
  ※ 小型献灯の永代献灯初穂料は  50,000円(1灯)となります。

 

 お問い合わせ

  靖国神社社務所(TEL:03-3261-8326)

 出所)画像もともに,http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html より。なお,この住所は現在は削除されており,靖国神社のホームページをのぞくと,「みたままつり7月13日〜16日」https://www.yasukuni.or.jp/schedule/saiji.html  に同上の案内(  ↓  )が掲出されている。

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  補注)まだ意味が不詳であるかのような「靖國神社へ行こう!」の呼びかけ。次掲の2冊はアマゾンの宣伝を兼ねているが,靖國の暗黒面を語る文献。

 

  

 

  敗戦後において靖国神社が経てきた苦しい時代背景・事情など

 この ② は,この靖国神社が7月に開催している祭事「みたままつり」に関する説明と感想,そして批判である。

 a) さて,この靖国神社は本来,『戦争神社:官軍神社:勝利神社』である「歴史的な本質」とはまた別次元でする「自社の理解:自画像」を外部に向けて発信している。いいかえれば,表面的にみたかぎりでは,その本性(本当の意味)とはかけ離れた神社としての管理・運営がなされている。

 それではその種の「理解のズレ」が,いったいどこからどのように発生させられていたのかといえば,「大日本帝国の崩壊=敗戦」という節目を介してであった。靖国神社は,旧日帝侵略戦争・拡大路線を継続できていた時期であればその役目をよく果たしうるといったふうな,つまり,国営神社として “歴史的に必然性を発揮しうる因果関係” を,ほぼ所与のものとして順調に確保できていた。

 敗戦までは,旧日帝の支配権に入っていた国々(地域)には,現地の神社がそれぞれ盛んに創設されていた。だが,第2次世界大戦の結末は,それら旧植民地などに実在した神社群は,いってみれば一晩でコケ(雲散霧消し)てしまい,無主物の廃墟と化していた。さらには,この靖国神社「本来の機能」であった「戦争勝利:官軍性」を,不可避の出来事として,これまた一晩で破壊させられ滅失させられた。

 b) 靖国神社の「みたままつり」に関しては,つぎのように把握しておく必要があった。つまり,国営神社でなくなった敗戦後の事情を踏まえての話となる。

 この靖国神社がどのようにして庶民たちの素朴な神道「心」をも引きつけ,なおかつその本心では彼らが「英霊」の崇敬者であるかのように,しかもこの神社側が勝手にそのように解釈しておける:「国家主義的な神道路線」を密かに抱懐しつづけてきた。そして,実際にもそのような宗教思想を一貫して堅持してきたという,靖国側の「敗戦後史的な経緯」が無視できない。

 靖国神社のそうした敗戦後史をしらずして,ちまたにはほかにもいくらでも存在するナントカ神社と同じ受けとめ方でもって,この「みたままつり」を観ていたらとんでもない誤解となる。ただし,靖国側はこの種の誤解は “誤解そのものとして尊重する” かのように,あえて放置している。

 いうなれば,靖国神社に参拝に訪れる人たちは,単に・主に「みたままつり」に行楽・遊楽に来た人びとであったとしても,この人びとを自社への信仰(神道的な意味あいしかないものだが)の持主たちであるという具合に,都合よく換骨奪胎的に「解釈」している。

 c) はっきりいえば,敗戦後の靖国神社は,明治期以降において国営神社(旧陸海軍の管轄)であったときとは,完全に異なった宗教組織となっていた。つまり,いまは民間の一宗教法人でしかないわけで,この事実に即してまたいえば,敗戦後的に採った “自社のサバイバル戦略” が「みたままつり」の創設であった。

 この世俗的なまつりとしての行事「みたままつり」は,仏教に由来する「盆」関係の祭事を,元国家神道の神社であった靖国が密輸入的にとりいれた,いってみれば苦しまぎれの「自社・存続確保策」であった。この事実に関していえば,庶民たちの立場においては,結局,なにもしりえないできた。

 庶民たちは,縁日の神社にいく程度の気分で,その対象になるひとつの神社とみなして,靖国という名の神社にも「参拝」に出向いている。しかも,皇居の北側に位置して,あれだけ立派な神社(神殿)をかまえている。だが,靖国側は,参拝に出向いているくる彼ら善男善女もすべて当社の信者であるかのようにみなしている。それこそ自由気ままな理解がなされている。

 d) 折口信夫おりぐち・しのぶ,1887-1953年)という民俗学者がいた。1945年,旧日帝が敗戦を迎える前月に,この折口がこう発言していた。

 昭和20年7月,戦意高揚の会合で折口は軍人に食ってかかる。「伊勢の外宮が炎上し … 御所にまで爆弾が落ちた。… 国体が破壊されたのと同じだと思います。… 宸襟(しんきん)イカセムといいながら,宸襟を逆にないがしろにする」のが軍人ではないのか。大変な剣幕だ。そして敗戦。「につぽんのくに  たゝかひまけて  ほろびむとす  すめらみこと,そらにむかひて,のりたまふ  ことのかなしさ。」

 

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 戦後の折口は「神道の宗教化」を目指した。日本の伝統は本来,双方の戦死者を祭る。だが靖国神社は「西南の役の薩摩の死者も,明治維新のときの会津の死者も祭らなかった」。国家神道は間違っていた。だから負けた。今こそ正しい神道を再生させよう。

 註記)書評「橋爪大三郎折口信夫伝』(筑摩書房)」『ALLREVIEWS』2020/07/25,https://allreviews.jp/review/4767?fbclid=IwAR2jWIc_zK72Ss18z-6Ygn22vgA993N_8Y0A5LSHdkWCPAP9r3LWXVjN0fg

 だが,この「今こそ正しい神道を再生させ」ることを,靖国神社が成就させえてきたとはとてもいえない。実際の中身は明治時代のままでありながら,いうなれば「衣の下の衣」の扮装でもって,21世紀の現在になってもまだ「完敗したはずである〈旧日帝時代精神〉」を墨守しているどころか,いままでも執拗に再生させようとしてきた。A級戦犯の合祀(1978年10月17日)がその動かぬ証拠であった。

 これは,東京裁判「史観」は認めぬぞという決意の具体的な表現であった。ただし,昭和天皇が「ポツダム宣言」を受け入れている事実は棚上げしたままで,靖国神社側はそのA級戦犯の合祀をしていたのだから,昭和天皇側が激怒したのは当然であった。

 とはいえ,靖国神社側のそうしたもくろみを完全に復活させる試図は,だいぶ以前からとうてい不可能な時代状況に移行していた。そのなかで,外部に向けてせいぜい継続できる祭事の開催となれば,この神社にとってみれば,まことに俗っぽい「みたままつり」を7月新盆の期間に開催することであった。しかも,そこに蝟集する参拝客たちは, “自社への信仰の持主” であるかのように,それもきわめて身勝手に解釈しておく便法(立場)を採りつづけてきた。

 e) 要は,靖国神社はその大本の目的として狙っていなければならなかった「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である「旧時代・前世紀に創設されていた軍事目的」は,21世紀の現段階となっては,まともにかなえられるはずがない時代状況に対峙させられている。ということで,せめてはその試図(目的)に向けて舳先だけは揃えて並べらさせられる “祭事のひとつ” として,敗戦直後に創設した,それも「一般の神社」の行事となんら性格を異ならせない「みたままつり」を開催することにしていた。

 靖国神社の祭神は「英霊 260万余柱」だという異常値(その多さ)は,日本のほかのすべての神社に比較するまでもなく,まさに異常だなどという以前・以外の宗教的に特殊な性質をかかえていた。それも,戦争に負けてしまった「旧・日帝のための神社」が,いまも「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である基本性格を変えるつもりもないまま,依然と存在していることじたいが, “摩訶不思議だ” と指摘されて当然である。

 --以上のごとき靖国神社の由来・歴史,その後における経過・変質,とくに敗戦後における「みたまつり」の創設,そしてA級戦犯の合祀などを総合的に勘案し吟味するとなれば,一般の神社と同じにこの神社を理解することは,けっして勘違いではなどではなく,根本的に錯綜した神道観に陥るほかない。

 すなわち,日本の神社史のなかでは異端も異端,もっと分かりやすくいえば “トンデモ性に富んだ” この靖国神社の存在を,敗戦後に創設された「みたままつり」という祭事を開催する神社だといった理解だけで接していたら,その本質が理解できないだけでなく,この神社をめぐっては誤解だらけの迷路に誘導されるのがオチである。

 こうして「靖国神社」の解説をしたのちに,その「みたままつり」に関する具体的な説明(実質は感想)の一例を,つぎに紹介しておきたい。

 靖国神社で開催されるみたままつりは,先祖に感謝を捧げる東京の盛大なお盆祭りの一つです。 輝く 3 万の提灯が本殿へ続く歩道に並び,柔らかくも印象に残る光が足元を照らします。 祭りの 4 日間にわたり,神輿が通りを練り歩き,一団の人たちが伝統的な歌と踊りを披露しながら通りを進みます。慰霊祭であることから,期間限定でおばけ屋敷が登場することも。

 

 「みたままつり」参拝後は遊就館

 昭和22〔1947〕年に始まった「みたままつり」は境内に数多くの献灯をかかげ,戦歿者のみたまを慰める夏祭り。境内の能楽堂では奉納芸能として日本舞踊,ダンス,詩吟,古武道,雅楽,コンサートなどなどが奉納され, 拝殿前ではみこし振りなどもあります。屋台も多く出店しており大変賑わっていました。 夕刻になると献灯・ぼんぼり・小型献灯などが点灯し靖国神社の中はとても美しく彩られます。今年 2019は,7/13~16まで開催。

 

 「みたままつり」期間中のみ「遊就館」は開館時間を延長し午後9時まで

 「みたままつり」に来たのなら必らず参拝し そして「遊就館」へ立ち寄る事をお勧めします。今年2019は,7/13から16まで開催。「みたままつり」期間中のみ「遊就館」は開館時間を延長し午後9時まで。「みたままつり」に来たのなら必らず参拝し……。

 

 靖國神社で毎年7月に開催されるお祭りです。戦死した身内がいるので,毎年提灯をあげに行ってます。盆踊りや歌謡祭等もやっています。毎年7月に行われる,死者の鎮魂のためのお祭りです。多くの献灯は圧巻の一言で,鎮魂の思いが胸にこみ上げてきました。

 註記)https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g1066443-d8820300-Reviews-Mitama_Matsuri-Chiyoda_Tokyo_Tokyo_Prefecture_Kanto.html

 ただし,2020年の「みたままつり」2020年7月13日(月)~ 2020年7月16日(木)は,コロナ禍のため開催中止となった。前段のごとき靖国神社の「解説」は,この神社の歴史的な由来や本質的な役割からだいぶズレているが,こうした上っ面だけの把握は,「みたままつり」の現象的な理解としてはただちに間違いとはいいきれない。

 21世紀になってのことだが,「みたままつり」の開催期間中に境内に多くみられた出店(飲み食いなどのそれ)が,一時期中断されたことがあったが,その後復活していた。この事実は,靖国神社のありようを再考するための手がかりを示唆していた。

 なせに,この「みたままつり」で想定されている祭神は「260万余柱」の英霊である。この祭事の期間における境内は,若者たちのナンパが横行する舞台になってもいたのだから,英霊もなにもあったものではない。

 そもそもでいえば,「みたままつり」という祭事の開催は,とくに戦時期(敗戦)であればありえなかった「一般の神社の縁日的な風景」を,靖国神社にもちこませていた。この祀りはお盆の期間に開催される点からしても,国家神道の最有力な宗教施設のひとつとしては,きわめて異質・異様な祭事の開催である。

 また「お盆」というと,お盆休みを思い浮かべる人も多い。お盆休みがいつごろなのかというと,8月13日~16日(旧盆)が一般的である。しかし,7月13日~7月16日(新盆)でもおこなう行事になっている。本来のお盆は,先祖の精霊を迎えて供養する期間のことを指している。

 ところが,この個人の家・家族次元における「先祖」観の問題と,対する靖国神社の国家的な次元における「英霊」という問題とは,根本から政治的な性格が異なっている。後者の問題はもっぱら,「国家主義=戦前のファシズム体制」の土台に載せられた,つまり「国家神道の問題」としての「歴史的に過去の事実」にその根っこを生やしていた。この靖国神社の性格はなにひとつ変えるつもりなどない基本姿勢を構えていながら,その「お盆」(新盆)の期間のなかに引きずりこんで開催する「みたままつり」と称した,本来は「非・靖国」的な祭事の,真の国家神道的な狙いがどこにあたかは,一目瞭然である。

 お盆については,こういう説明がある。「お盆の時期には先祖が浄土から地上に戻ってくると考えられています。ご先祖様を1年に1回,家にお迎えしともにひと時を過ごして,ご冥福をお祈りし,先祖の霊を供養する」。しかし,この仏教的な先祖観が「みたままつり」には密輸入されている。さきに換骨奪胎という表現をもちだしたのは,この神道側による仏教的祭事のいいとこどり,それも無節操な靖国側による摂取があからさまであったからである。

 

  靖国の今日の意味

 1) 靖国の,神社としての畸型的異常性

 山口昌男は,以上に記述したごとき靖国を,こう形容した。

 九段にはなにか,死,祝祭,縁日,商空間,絵画,知といったその後の時代にバラバラになってしまった諸項目を秘かに繋ぐ気配のようなものがあるかもしれない

 註記)『敗者の精神史』。ここでは,坪内祐三靖国』新潮社,平成13年,2頁より孫引き。

 靖国神社護国神社以外の,全国11万にも近くもある諸神社に,大東戦争史の「戦死」者そのものを,祭神にする神社があるとは思えない。無病息災・商売繁盛・合格祈願・恋愛成就などが主な願かけの対象になるのが,通常・一般に存在する古来型の日本の神社である。

 とすれば唯一,明治以来,帝国日本の立場であった富国強兵のための武運長久を願いながらも,そのために死んだ「将兵の霊」を強制的に収容して祀ってきたのが,靖国神社護国神社である。護国神社は現在も,防衛省自衛隊の死者を受け入れているから,戦前・戦中とまったく同じに存在し,機能している。

 靖国神社に露骨に表現される「死」礼賛の神道(?)精神は,日本帝国主義がアジア侵略路線を推進していく過程で必然的に吐き出してきた「雑多な,歴史的なエントロピー」を架空的・虚偽的に収拾できると観念させるための,それも,古来神道の宗教精神とは無縁のからくりをしこんでいた。

 旧日帝の時代における「靖国そのもの」とは同じでありえなくなった〈現在の靖国神社〉は,『みたま(御霊)まつり』と称して,一般の神社と同じような祭り催行を装わざるをえないでいる。

 敗戦後,時代の流れはすでに半世紀以上(すでに75年)も経っている。戦前・戦中体制での靖国を懐旧したからといって,その靖国がそのまま戻ってくるはずがない。

 とりわけ,「英霊への感謝と平和な世の実現を願って」などと並べて平然といえる宗教精神が,どだい錯綜そのものであり,自覚をともなわない〔ともなった?〕矛盾である。旧日本帝国陸海軍の将兵たちは,祖国の平和を願って戦争にいかされたり,英霊になるために死んだりしたのでは,けっしてない。戦争のために駆りだされて死んだとたん,ただ英霊に祭りあげられ利用されてきたに過ぎない。

 それなのに,英霊(戦争の犠牲者!)への感謝と並べて平和な世を願う(?),などという文句を創るのは,とてもじゃないが,白々しくも,そらぞらしい。日本に限らず帝国主義国はみな,自国だけの平和=繁栄と幸せを実現するために,植民地や支配地域に対しては,それ以上に暗黒と悲惨と不幸を配給してきた。

 日本帝国も,そのために手先に遣わされた将兵が死ぬと〔必ずしも戦死と限らない〕,彼らを一躍「国の名誉のために死んでくれた英雄」=『英霊だ』とかつぎあげ,遺族から不満が出ないように〈フタ〉をしてきた。このフタの役目をしてきたのが靖国神社である。靖国はつぎのような “人間としてまともな想念” を完全に否定している。

  「死んで花実が咲くものか」

  「命あっての物種」

 2) ほかの神社の真似をして靖国でありうるか?

 国家の意思が含まれて一心同体の神道神社であってこそ,そしてそれ以外にはなにもその存在意義をみいだしえなかったのが,過去における九段の靖国である。靖国は旧体制への回帰をいまだに志向しながらも,しかもこれがとうてい果たせそうもない21世紀の現段階に存在している。この事実を熟知し,覚めた意識をもっている靖国神社の関係者も存在する。もちろん,戦前体制への復帰を懐古する時代遅れの神道関係者も多くいるが,この望みは実現するみこみはもてそうもない。

 それならばそれでということで,一般の神社と同じように,とくに東京都の中心に位置するこの靖国の立地を活かす方向で,日本の神社本来の,歴史的に判断して無難である形式と内容で「自社の祭り」を催行し,一般庶民を誘引するかたちで,そのなかに靖国神社の「死」をまぎれこませる「お祭り」が,この「みたままつり」である。

 いわば,レジャーや物見遊山(お花見場所),ひまつぶし,デートスポットに利用すべくみたままつりにいく人たちの両肩に,靖国神社は戦死者の英霊をそっと載せかけている。片や,靖国への参拝者はそんな靖国の,異端である神道の宗教観をあまり意識してはいないけれども,片や,神社側はすっかりそのつもりで,この「みたままつり」を,喧伝しながら開催している。

 --それを称してヤスクニの片思い。伊東ゆかりの歌ではないが,生ける人間が幽霊に小指を噛まれたとしても,痛くもかゆくもない(か?)。しかし,噛んだほうはそれはそれとして「しっかり噛んだつもり」。つまり,実はその歌の体裁にもなっていないのだから,どこまでも靖国がわの片思い・・・。

 伊東ゆかり「小指の思い出」歌詞:1番 ※

 

    あなたが噛んだ 小指が痛い きのうの夜の 
       小指が痛い そっとくちびる 押しあてて

    あなたのことを しのんでみるの 私をどうぞ
       ひとりにしてね きのうの夜の 小指が痛い

 ヤスクニ神社の現在における実相は,意外とそのような「祭神たちと人間たちとの」相互無関係性の次元においてみいだせるのかもしれない。

 藤井青銅『「日本の伝統」という幻想-伝統はビジネスだ!  伝統にマウンティングされないために-』柏書房,2018年は,「実は明治時代に創られた,日本古来っぽい伝統が多い」と指摘していたが,靖国神社の「みたままつり」となると,これは1947年から開始されていた。

 だから,この祭事に関していえば「実は昭和20年代に創られた」ものゆえ,「日本の古来っぽい伝統」ではまったくない,としかいいようがない。伝統のまねごとならば,確かにしているが……。伝統だといわれるものには,そのすべてに始まりがあった。それからの伝統。

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