民間神社参拝と靖国神社参拝の対比

            (2014年4月6日,2020年10月26日 追補・更新)

 新年,庶民がある神社に参詣:初詣にいったからといって,必らずしもその神社の信者ではない,この摩訶不思議というか,神道のおおようさ・緩さ

 

  要点・1 しかし,戦争のためにこそ,存在してきた靖国神社の暗闇,その反・非宗教の政治的理念

  要点・2 靖国神社境内の遊就館は「戦争神社:官軍神社:勝利神社」である事実を,みずから好んで強調したがっている


 日本経済新聞』に出ていた「初詣用の広告・宣伝」

 1) 神社・仏閣の商売繁昌-初詣は獲き入れ時-

 本日〔2012年12月28日〕の『日本経済新聞』朝刊の30面には,関東地域の主な神社・仏閣によって,2013年正月「初詣」の〈来客〉を期待し,呼びこむための広告・宣伝が出されていた。これ以外にも,関東地方には有名な寺社が数多くあることは,誰もがしっている。ともかく,数日後にいよいよ新年(2013年の)を迎える。

 あいかわらず不景気な世の中ではあるけれども,このときこそである,大いに神社・仏閣には初詣に来てもらい,より多いお賽銭の投入と縁起物の売上協力を期待するというわけである。なにせ,新年に願いをかける機会であって,縁起にも深くかかわる初詣である。寺社は手ぐすね引いて参拝客が千客万来になることを願っている。

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 さて,この寺社の初詣用「広告・宣伝」を観てすぐに気づく〈奇異な宣伝文句〉は,なんといっても靖国神社のものである。明治以来「帝室の護国のために創建された」靖国神社が,21世紀のいまにあっては「国家安泰・家内安全・厄除祈願等」 に変化している。

 1945年の秋あたりまで,この神社のご利益はもっぱら「国家安泰」にのみ向けられ,あとの「家内安全」とか「厄除け」などは, 戦後になって国営神社〔陸海軍の管理するそれ〕から一宗教法人になりかわったのを契機に,そのほかの一般の神社とまったく同じような祭事を真似てとりいれたものである。

 靖国神社は敗戦後とくに,7月中旬〔13~16日〕に執りおこなう《みたままつり》を行事に立てて,「神社としての生き残り」を図ってきたという経緯がある。

 ほかの一般神社で観るに,たとえば,前掲した画像資料にも登場していた「笠間稲荷神社」(茨城県笠間市)は「家内安全・商売繁昌・交通安全・合格祈願・心願成就・厄除け他」などを,ご利益をかかげている。そのほかの神社・仏閣も,ほぼ同類の範疇のご利益に収まりうるものをかかげている。

 より一般的にはどうなっているかと,『四季の旅』という〈観光旅行〉系のホームページをのぞいてみると,「ご利益から縁結び・開運・金運など」https://www.shikiclub.co.jp/shikitabi/special_powerspot/goriyaku.html  という題名の文章は,つぎのご利益を挙げていた。

  ご利益:金 運
  ご利益:商売繁盛
  ご利益:恋愛運(縁結び)
  ご利益:学 問(合格祈願)
  ご利益:健 康(病気平癒)
  ご利益:子 宝(安産)
  ご利益:厄除け
  ご利益:夫婦円満(家内安全)
  ご利益:心願成就
  ご利益:勝負運(必勝・出世))

 その意味・関係でいっても,靖国神社の 「国家安泰」は,きわめて異様なご利益である。2013〔平成25〕 年の正月,初詣に靖国に出向く人たちが,はたして「国家安泰」のために九段に参詣していくとみなしてよいのか?

【関連する解説】

 

 明治天皇は明治2〔1869〕年6月,国家のために一命を捧げた人びとの名を後世に伝え,その御霊を慰めるために,東京九段のこの地に「招魂社」を創建した。この招魂社が今日の靖國神社の前身であり,明治12〔1879〕年6月4日には,社号が「靖國神社」とあらためられ,別格官幣社に列した。

 

 明治天皇命名した「靖國」という社号は,「国を靖(安)んずる」という意味で,靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いがこめられていた。

 註記)https://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html 参照。

 補注)もっとも,以上のような靖国神社創建の狙いはその後,大日本帝国を名乗るようになった日本が,東アジア諸国に向けて侵略戦争をするたびに発生していた戦死者(戦没者・犠牲者)の霊魂を慰霊し,なおかつ,まだ生ける者たちをその侵略戦争に「喜んで動員させる」ための「国家神道方式になる洗脳装置」である働きにあった。

 

 そうした靖国神社国家神道的な役目をとらえて,いったいどのようなご利益があると受けとめたらいいのかと問われてたら,とまどうほかない。戦前・戦時中であれば,息子を兵隊に取られて戦場に送られている母親は,近所の神社に深夜に出向き,お百度参りをしていたという実例はいくらでもある。もちろん,「お国のために命を捧げよ」と息子を激励した母親もいないわけではない。だが,彼女らの本当の気持は「うちの息子だけは生きて還ってきてほしい」というのが,ふつうであり自然な感情であった。

 

 もっとも,神仏に祈願する目的で,神社(や仏閣)に百度参拝することで,兵隊になった自分の息子の生還を願う母親の真情は,実は,靖国神社の「ご利益」(ただしこれは国家にとってもつ意味のそれである)に対してとなれば,真っ向から対立するほかない。ということであれば,こちら靖国神社の「ご利益」とそのほか一般の神社の「ご利益」とは,たとえば,次段に説明するような戦争の時代がもっていた特別な背景・事情に直接関係を有していた。

 

 1941〔昭和16〕年1月8日,陸軍大臣東條英機が示達した訓令(陸訓1一号)が,「軍人のとるべき行動規範」を示した文書『戦陣訓』のなかで,兵士たちに向かい「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節を強説していた。これが,戦場において旧日本軍将兵に玉砕や自決などの行為を余儀なくさせ,軍人のみならず民間人も巻き添えにした無駄死にや犬死にをも惹起させる結果になっていた。

 

 そして “つまり” といったらいいが,そうして理不尽に戦場・戦地で命を落とした数多くの兵士たちが(戦死したその理由のうち餓死が6割だったという研究書もあるほどである),靖国神社の境内・神殿のなかに「霊魂」としてのみ,その「死」の意味を吸いとられ,合祀されている「21世紀のいまもなにひとつ変わらぬ」,この『国家神道戦争神社』の歴史的な意味は,一般の神社のごとき「ご利益」を尺度にしては計れないような「魔性」を抱えているとみなさざるをえない。

 

 なにせ「死を喜べ,歓迎せよ」,それも「国家のため・天皇のため」にと明治維新以前であればなかった神道精神を創造していたのだから,通常の神社が「ご利益」として求められ,期待される信心とは,まったく異次元の「ご利益」が靖国神社では,新しく〈構想されていた〉わけである。

 

 ところが,敗戦した旧大日本帝国のもとでは国営神社(陸海軍管轄)であった靖国神社が,民間の宗教法人となってからは,1947〔昭和22〕年の7月から「みたままつり」と自称する新盆の期間に縁日(これは仏教風の表現だが)を設けて,しかも,いかにも一般の神社と変わりないかのように,宗教法人としての営業をおこないはじめていた。靖国神社の由来に照らして判断するとしたら,この事実に違和感を抱かないほうが不自然である。

 

 もっとも,一般庶民の感覚では初詣に出向いて参拝にいく対象として靖国神社を選ぶさい,以上に指摘したごときこの神社に特有である「明治以来の戦争神社:官軍神社:勝利神社」としての基本性格など,いっさい関係ないと観察したほうが妥当だといえる。

 

 ものすごい数である「246万余柱」もの祭神(戦争のために死んだからいまでは靖国の英霊)は,そもそもの話,いったい誰のために靖国神社に合祀されているのか? ここまで,すでに理解できるのは,それは明治天皇にまず深く関係していた。

 

 ところで,1978年10月17日に靖国神社側は東條英機など「A級戦犯」として,東京裁判極東国際軍事裁判)によって処刑されていた者たちを,自社に合祀していた。それ以来,昭和天皇はこの神社にはいっさい親拝(参拝のこと)にいけなくなった。

 

 靖国神社の基本的な使命,つまり一般的にいうところの「ご利益」は,絶対に一般庶民向けとはいえず,天皇天皇家のためのそのご利益であった。それゆえ,さらにいえば「戦争神社:官軍神社:勝利神社」であらねばならないこの神社の性格は,その本来の目的を「旧・大日本帝国」じたいの繁栄・隆盛を「国家のためのご利益」としていただいていた。

 

 安倍晋三が首相を辞めてから急に靖国神社に参拝して得意げな表情をみせているのは,以上のごときこの神社本来がかかげてきた「国家的な目的」,もともと国家全体主義天皇制に深く関連するその「ご利益」を祈願するからであった。だが,マスコミ・メディアの報道を聞くかぎり,そのような報道にくわえて,突っこんだ解説をするものは少ない。

 

 ここまで説明しただけでも,靖国神社がそのほかの神社,とくに明治維新以前から日本全国どの地方にも存在してきた一般の神社とは,基本からして異質である事実はただちに理解しうるはずである。

 補注)戦前の話題。ふつう,一銭五厘召集令状で戦場に駆り出された兵士たちは,陸軍であれば武器としてもたされる小銃(三八式歩兵銃)よりもはるかに軽い,いわゆる鴻毛(「けいもう」と読み,非常に軽いという意味)程度にしか命の価値はないと,それも軍人精神として叩きこまれていた。だから,その小銃に付けられている菊の紋章(天皇天皇家の象徴)に傷でも着けたとなれば,罰として「死ぬほどに暴力を受ける目に遭わされた」。

 

 一般的に新兵じたいが内務班(軍隊生活)で古年兵たちから受ける日常的な暴力行為,つまり陰惨なイジメ行為は,帝国陸軍の兵卒となった男性たちであれば,一様にその残酷さを体験させられてきた。いまでも多くの本のなかにその実際は描かれている。

 

 ところが,兵士が戦場にいって死んだりすると一転・一躍,靖国神社に魂だけは吸いとられて「英霊」にまで昇天させられ,こんどは,神殿の祭壇において拝礼(崇敬・尊崇)を受ける側の《霊的な存在》となりあがって,そのすばらしい待遇を受ける。断わっておくが,以上は,兵士があくまで死んでからの話であって,生きている人間たちに関する話ではない。

  以上長々と「靖国神社本質論」の説明をしてきた。もちろん,こうした史実を十分に意識して,新年の初詣に参拝にいく人たちもいないのではない。

 しかし,大部分の靖国参詣者は,もしかすると「国家安泰」を神社のご利益だとする〈本当の意味〉,いいかえれば,その国家神道的なリクツがからんでいるこの神社の歴史的な本質は,意外の事実として理解されていない。

 ともかく,靖国がすごく立派にみえる神社なのだから,とくに東京に住んでいてこの神社が近くにあるという人たちは,初詣の神社(寺院も含めて)にここを選ぶという場合も多いと考えて飯。

【2012年12月29日追記】 「東京・首都圏経済-初詣 明治神宮 また行きたい 首都圏で情報サイト調査」(『日本経済新聞』2012年12月29日朝刊)

 

 首都圏のタウン情報サイト「レッツエンジョイ東京」が1都3県の20歳以上の男女1465人に首都圏の「とくに行って良かったと思う初詣スポット」を尋ねたところ,1位は明治神宮(211人)で,2位は鶴岡八幡宮(135人),3位は浅草寺(123人)であった。以下は川崎大師(112人),成田山新勝寺 (109人)がつづいた。

 

 調査は11月にインターネットで実施した。番外編では,「恋愛運をお願いするなら『東京大神宮』」(20代女性)や「『芝大神宮』はそろえてあるお守りがどれもかわいらしい」(30代女性)などの回答があった。「とくに屋台・露店が充実していると思った初詣スポット」は1位が川崎大師だった。次いで浅草寺成田山新勝寺明治神宮大宮氷川神社の順位であった。

 --レッツエンジョイ東京は飲食情報サイトのぐるなび東京メトロが共同で運営している。

 皇室神道は皇室(天皇家)のためにある。教派神道は民衆のためにあり,民俗神道も庶民のためなどに存在する神道各派がある。これに対して,靖国神社は「戦争神社:殺人を正当化するための由来・素性を歴史的に抱えている神社」=「war shrine」であって,明治天皇以来,天皇家にとって非常に大切な国営神社でもあった。

 それが,敗戦を境にいきなり,その「国家安泰」という中身〔黄身というか餡子か?〕を,一般神社であればどこでもかかげているご利益〔白身というか皮!〕でもって,覆いつつみ,隠すかのようにしてきた。

 国家目的を宗教神事的に合理化し,高揚するこの靖国神社の「明治軍事史的な本性」を和らげておき,できるならば,参拝者たちには,そうした歴史的な真実を少しも意識させないように工夫してもいる。

 靖国神社に本当の,それも「現世的・世俗的なご利益」があるならば,第2世界大戦〔「満洲事変」から日中戦争,大東亜:太平洋戦争〕の全過程まで〕で,自国の犠牲者だけでも310万名もの〈英霊〉たちを出すことは,けっしてなかったはずである。

 昭和天皇靖国神社を親拝する目的は〔実は彼が本来,神主みたいな神社であるから(親祭という用語を使うのもそれゆえだが)〕,本当は,戦前・戦中の日本帝国の「国家安泰」にあった。敗戦後における「日本国」の「国家安泰」のそれであったとはいいにくい。だが,敗戦後になっても,1945年以前の過去を郷愁し志向しようとする元国営神社が,この靖国神社なのである。

 敗戦という事態は「戦争神社:官軍神社:勝利神社」であった靖国神社の立場・イデオロギーにとってみれば,想定外であったゆえ,21世紀のいまもなお,九段下にこの神社が存続している事実に疑問が抱かれないほうがおかしい。

 戦争神社としての「靖国の眞の有意義」は,「戦争での勝利」以外にみいだすことはできなかったはずである。それゆえ,敗北にまみれた旧日本帝国のために「尊い命を捧げさせられた」,いいかえればまったくの「犬死に」「無駄な死」の目に遭わされてきた帝国臣民たち〔しかも日本人だけではなかった〕が,靖国神社に《英霊》となって 「合祀されている」。

 とはいっても,しょせん,靖国神社に合祀されている「英霊」とは,いうなれば百把一絡げにされており,つまりは「246万余柱として一緒くたに合祀」されている。なかんずく,兵士たちの霊魂がこの神社に合祀されているとはいっても,口先だけでもって, いかにも大事にされ祭られているかのように潤色・装飾しているに過ぎない。

 なんといおうと,「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」とはよくいったものである。あとは「靖国信仰の狙い」を信じるか・信じないか,あるいはしっているかしらないかののことであった。ここまで触れると話はほとんど「イワシの頭もなんとか」の部類である。

 2) 靖国神社の祭神は2座-庶民用と皇族用に差別されている事実-

 靖国神社の祭神についてとくに気をつけねばならないのは,皇族の戦没者だけはその246万余柱とはべつにされるかたちで,祭られている事実である。本殿での祭神の神座は当初は1座,つまり帝国主義路線を推進していく過程でどんどん増やしいった《英霊》を,一括して放りこんでおくその1座があった。

 そのところに,1959〔昭和34〕年,靖国神社の創建90年を記念して,旧植民地にあった台湾神宮および台南神社に祀られていた「北白川宮能久親王」と,蒙彊神社 (張家口)に祀られていた「北白川宮永久王」とを遷座合祀するかたちで,新たに1座をくわえていた。したがって,現在の神座は,『英霊を祀る1座』と『能久親王と永久王を祀る1座』の「2座がある」というわけである。

 補注) 北白川宮能久の生死年は1847-1895年,北白川永久王のそれは1910-1940年。

 靖国神社に初詣に出向く人たちは,かつての帝国臣民「無数」と皇族「2名」 とをそれぞれ別置させて合祀し,1座ずつにまとめて祭神として並べられる神経を有した神社,いうなれば「これほどまで同じ人間を霊魂の世界においてまでも差別する」神社でありつづけていることを,事前にしかと承知しているわけではない。

 皇室神道の延長線上ではそうであっても当然とみなしているにせよ,外部の人びとにはそう簡単には納得のいかない『〈チンプンカンプンの屁理屈:人間差別〉=〈皇族と平民〉に関する区別』が,いまも当然にまかり通らせられている。これが靖国神社のひとつの内幕なのである。

 すなわち,明治時代に創建された靖国神社に合祀されてきた祭神は,大正時代に創建された明治神宮であれば「明治天皇昭憲皇太后」が祭神〔なぜか夫婦であるはずなのに,子と母という表記が正しいとされる不思議な祭神がいる神社〕であるからまだ分かりやすいのに比べて,いまもなお,合祀されて英霊になる資格をもつとみなされた死者たちが,集団となってあつかわれ,その1座〔もちろん平民のほう〕のなかに,これからも追加され,合祀されていく仕組になっている。

 ところが,靖国神社は庶民,かつての帝国臣民を祭神として〈合祀〉〔このことばは分かりやすくいえば『まとめて放りこんで祀ってやる』という意味にもなる〕しているだけかと思っていたら,それだけではなかった。昔,植民地や支配地域にあって祭られていた皇族の英霊(?)も,その霊魂を移動させるかたちで,それも戦後になってだいぶ時間が経ってからだが,靖国神社は祭神として,しかも1座を用意するかたちで,こちらにとりこんでいたのである。

 靖国神社がご利益としてかかげる「国家安泰」とは,庶民の戦争犠牲者については,面倒だからといって,ひっくるめて1座に合祀してある。敗戦後においても,その数は増えていた。さらにそこでは,皇族の戦争犠牲者だけは,庶民たち側における戦争犠牲者の霊魂を合祀しているその1座に入れるわけにはいかないぞ,という理屈(旧臣民・現国民:庶民への差別)も意味されている。なんといっても,皇族2名のためだけにわざわざもう1座を特別に設けたうえで祭神にしていたのだから,である。

 まともに考えてみれば,靖国神社は「246万余柱の合祀者」を祭るところに「国家神道的な意義がある」と決められてきたはずである。ところが,敗戦後いつのまにか勝手に,それも一宗教法人になってからだったが,皇族2名の《英霊》だけは庶民とは区別してもう1座を新しく創っておき,まとめて靖国に祭るなどという宗教的な措置は,帝国臣民から英霊になった戦争犠牲者(故人)たち,そして戦後にこの神社にそうした経緯もしらずに参拝する人びとを,平然とだます詐術の手法である。

 3) 鎮霊社-その他,資格外の,英霊にはなれない戦争犠牲者の祠-

 また靖国神社には,拝殿・本殿の南側に「鎮霊社」という祠も設置してある。これは靖国神社のホームページに写真が出ているが,ほかから適当なものを選んで紹介しておく。

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 本ブログ筆者はこの(2014年)夏,実際にこの鎮霊社を初めて確認しに,靖国神社にいってみた。しかし,門には鍵がかけられ入れない状態になっており,参拝したいものは社務所に申し出てくれとの注意書きがあった。それにしても,この鎮霊社靖国神社の拝殿や本殿のきらびやかさに比較して,ふだんは誰も足を踏み入れていないのか,ホコリをかぶっているかのような風情であって,境内では冷遇されている施設にみえた。

 拝殿・本殿と比較してみた賃霊殿は,実にみすぼらしい祠であることは一目瞭然であって,本当のところは,申しわけ程度にオマケに設けた祠にしかみえない。

 注意したいのは,この鎮霊社はそもそも昭和40〔1965〕年に設置されており,靖国神社にいまでは246万余の《英霊》として合祀されない〔資格外という意味であるから,より正確にいえば合祀するわけにはいかない〕戦争犠牲者たちの《霊》を,まとめてここに祭ってやった(ぞ)という意図があることである。

 これも,敗戦後は一般神社の体裁をとりながら,それでも継続的に「英霊の名簿」を厚生省から受けとりながら合祀してきたこの靖国神社が,弥縫的に一般神社の物真似をしたつもりを裏づける物的証拠のひとつといえる。

 昔はやったお菓子,「おまけ付きのグリコ・キャラメル」ならまだ楽しみもあるかもしれないが,この鎮霊社は,一般の宗教法人になった靖国神社の全体的な体裁をとりつくろうために,申しわけ程度に置かれている。

 靖国神社が本当に「荒御霊」の真義を知悉しているならば,戦争犠牲者のなかから英霊を選抜するというような,根本から「神道という宗教の歴史的・伝統的な基本精神に反する」「国家的意志」の発揚は,絶対にできない行為である。

 靖国神社にとって,鎮霊社は本当のところ置いておかなくてもよい祠である。敗戦後,無理やり一般神社に転換させられた靖国が,戦争神社である本質的性格を少しでもカムフラージュするためだとしても,拝殿・本殿の南側(靖国通りに面した方位に),かなり探しにくい場所に「嫌々ながらもこの鎮霊社を置いた」と感じ取れる点からしても,靖国側のその本心がよく伝わってくる 配置といえる。

 要は,正月用の初詣のために新聞の広告・宣伝を出している神社・仏閣のうちでも,靖国神社は明治時代に創建されたかなり新しいもののうち1社に過ぎない。明治神宮も大正時代後期に創建されていて,もっと新しい。こちらはいちおう戦争神社ではない。しかし,明治天皇と戦争のつながりに関するイメージは強い。日本帝国主義侵略史の実績がものをいう。

 

  戦争神社:靖国の本質

 『靖国神社問題関連資料』というホームページがあり,そのなかに「靖国神社Q&A」という項目が編成されている。今日はこれを全文引用する。① で本ブログ筆者が指摘した論点に触れられていないのは残念であるが,一般論としては靖国問題を包括的にうまく説明している論述である。なお,文体は文意に支障がない留意のもとに変更してある。見出し・連番なども付し,多少の補註の記述も足した。なお,議論の中身は2000年代初めの時期においてのものである。

 註記)http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/index.html
    http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/QandA.html

 1) 靖国神社とはなにか

 1869〔明治2〕年に「明治天皇の深い思召によって」(靖国神社略誌)東京招魂社として建立され,靖国神社と改称されたのは,明治12〔1879〕年のことである。戦前の国家神道体制において靖国神社は陸・海軍省所管であって,天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設であった。

 現在は一宗教法人となっているが,国家護持をめざす法案が提出されるなど,戦前体制の復活をもくろむ動きもある。靖国神社の性格も基本的には戦前とかわっておらず,欧米ではその性格から「War shrine(戦争神社)」と呼称されている。

 2) 靖国神社はなにを目的としているのか

  ☆-1 軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱。

  ☆-2 「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」。

  ☆-3天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」をもつ。

  現在,靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多い。しかし,二義的にそのような目的も存在しうるが,本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を,国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっている。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であるといえ,それは,戦前も戦後も一貫してかわっていない。

 補註)そうすると,敗戦直後の日本国の空中にも「国家の英雄」たちの霊が充満していたことになるのか?

 この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持で戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」という小泉元首相の発言は,かなり的外れであった。むしろ,中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと,さもなくば誰が国に命をささげるか」なる発言が,よりまっとうにその本質を表わしている。今後も,国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが「靖国神社の存在意義」なのである。

 3) 誰が祀られているのか

 ☆-1 天皇と国家のために死んだ軍人・軍属。

 ☆-2靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は,すべて天皇陛下の大御心のように,永遠の平和を心から願いながら,日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです」(靖国神社ホームページより)。

 戦前,祭神〔の合祀〕は,軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが,『天皇の「裁可」』を経て決定されていた。戦後,靖国神社は一宗教法人となり,神社自身で合祀者を決定しているが(ただし名簿作成には政府・厚生省〔現厚生労働省〕などが協力・提供してきている),上にも示したようにいまだに「天皇」が重要なキーワードになっている。

 小泉純一郎元首相は参拝前,「(A級戦犯が合祀されているからといって参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べていた。しかし実態は,靖国神社こそが逆に「死者をきびしく選別しながら祭祀」してきた。

 祭神は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっている。したがって,西南戦争天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていない。もちろん,空襲や原爆などの犠牲になった一般国民も祀られていない。

 さらに軍人であっても,戦って死んだのではなく病気で死んだばあい,「特旨をもって合祀」となっていて,本来ならば病気で死んだのは犬死だから,靖国神社の神さまになる資格はない。だが,天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀られるのだとして 差別されている。さらに,被差別部落出身者への差別もある。

 戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという,さきに挙げた靖国神社の説明は,実体からはかけ離れている。このような詭弁によって人びとを無為の死に追いやり,「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが,戦後の日本人の努めである。

 4) ひめゆり学徒なども祀られているというが

 たしかに,靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく,女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と,誇らしげに書いている。

 沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」,魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているというのである。

 しかし,アジ アの犠牲者はもちろん,空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではなかった。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていない。

 ひめゆり学徒隊が祀られたのは,犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ,名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたのである。 しかし,靖国神社の説明とは異なり,生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれる。

 最近では,石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日),「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声が挙がった。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立ってしかたがない」と話していた。

 また,日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されているが,多くは遺族にもしらされず勝手に祀られたもので,合祀とり止めを求める訴訟が起こされている。勝手な基準で,遺族の意志さえも無視し,無断で合祀をおこなう靖国神社の行為は,死者をさらに傷つけるものといえる。

 5) 平和を願って参拝するのに問題があるのか

 靖国神社参拝は,本人がいくら平和を願うつもりでも,「結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為」となる。戦争犠牲者を悼み,平和を誓うことに異論がある人はいない。しかし,靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり,平和を願う場所としてふさわしくないことは,2 )  の「なにを目的としているのか」でも述べたとおりである。

 靖国神社は現在でも,「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった,戦前と同様の歴史認識をもった人たちの拠り所となっている。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても,「東京裁判は勝利国側の報復であり,A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としている。

 このように靖国神社は「侵略戦争を当然視し,美化さえしている」。そこへ参拝しにいって,「第2次世界大戦を美化したり,正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」といった小泉純一郎(元)首相の発言は,あまりにも粗雑な理解である。

 補注)それゆえ,正月の初詣に靖国神社に参詣する人びとも,意図するとしないとにかかわらず,戦争神社というその基本性格を認めるかのように頭を垂れていることになる。

 靖国神社の主張や性格がどうあれ,小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか,という意見があるかもしれない。しかし,ただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば,無理に靖国参拝というかたちにこだわる必要はないはずである。それでもこだわりたいというのならば,「靖国神社がどういう性格をもつか」というかたちにもこだわるべきである。

 補注)歴代の首相たちが靖国神社を参拝したからといっても,この神社の歴史的性格をまともに理解していた人は,1人もいなかったといってよい。その程度の認識で 「歴史問題を惹起させ結果させる」ために靖国にいくのは,愚かどころか,自分自身の無知蒙昧を実証するようなものである。もっとも,ただ,選挙民の1票でもより多くがほしいがために,政治家は靖国に参拝しようとする。これはむしろ,庶民(有権者)側の問題でもあることを示唆している。

 6) 公式参拝憲法に違反するのか-司法の判断-

 首相・閣僚の靖国公式参拝に関する司法判断は,違憲(ないし違憲の疑い)を出している。そもそも憲法の重要な柱となっている政教分離原則は,戦前の国家神道体制への反省の意味がある。靖国神社国家神道体制のシンボル的存在であった。

 --公式参拝に対する司法判断の流れを以下に整理する。

 a)「1985 年の中曽根康弘首相(当時)の公式参拝」に関して福岡と大阪で訴訟が起こされ,1992年の高裁判決でいずれも確定した。1992年2月18日,福岡高裁は,首相が公式参拝を繰り返すならばそれは,靖国神社への「援助,助長,促進」となり違憲となることを指摘した。さらに1992年7月30日,大阪高裁は,中曽根のおこなった公式参拝は一般人に与える効果,影響,社会通念から考えると宗教的活動に該当し,違憲の疑いが強いと判示した。

 b) 参拝推進派が司法判断について正反対の結論を導き,そのデマまがいの情報を流布するケースがみられる。一例を挙げる。いわく「中曽根康弘元首相の靖国神社公式参拝(昭和60〔1985〕年8月)を審理した大阪地裁,福岡地裁などでも,公式参拝違憲とする原告側の訴えが退けられた」「(これらにより)『首相の靖国参拝』が合憲であるという法的な判断は定着している(『産経新聞』2001年8月1日「主張」より)。

 だが,不思議なことに上述した上級審(高裁での審理)には触れていない。ちなみに,この一審の判決は公式参拝を合憲としたものではなく,憲法判断には踏みこまないまま,原告が信教上不利益な取扱を受けたことによる損害賠償(慰謝料)の請求を退けたものである(損害賠償請求を退けたのは二審も同じ)。

 c)  中曽根公式参拝に関する直接の裁判ではないが,靖国神社に捧げる玉ぐし料の公費支出と,天皇や首相らに靖国神社への公式参拝を求めた県議会の決議の合憲性 を問うた「岩手靖国訴訟」があった。1987年3月の第1審(盛岡地裁)では合憲判決であった。

 しかし,1991年1月10日の仙台高裁の判決は「津地鎮祭訴訟」最高裁判決(1977年)が違憲性判断の物差しとして打ち出した「目的・効果基準」を踏まえながら,「天皇,首相の公式参拝は,目的が宗教的意義をもち,特定の宗教への関心を呼び起こす行為。憲法政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えるものと判断せざるをえない」と明確に違憲と断じた。県の上告を最高裁が却下しているので,この裁判は,この高裁の判決をもって確定した。したがってここで示された憲法判断は,現在も重要な意味をもっている。

 d) 「愛媛玉ぐし料訴訟」では,愛媛県知事靖国神社例大祭に玉ぐし料を県費から出したことが問われた。この裁判で最高裁は,愛媛県知事靖国神社への県費支出を違憲と判断した。15裁判官中,合憲としたのは2人だけで,これは政教分離裁判で最高裁の出した初の違憲判決であった。

     ☆ 愛媛玉ぐし料訴訟 ☆

  1989年3月 - 第1審(松山地裁違憲

  1992年5月 - 控訴審(高松高裁) 合憲

  1997年4月 - 上告審(最  高  裁) 違憲

 7) 目的効果基準に照らして合憲ではないのか

 目的効果基準(あるいは津地鎮祭訴訟最高裁判決)は,公式参拝合憲の根拠として公式参拝推進論者がよく引きあいに出している。本当にそれは根拠になっているのか。

 目的効果基準とはなにか。これは国(政治)と宗教のかかわりにおいて,その目的(宗教的か習俗的か)や効果(特定の宗教への助長あるいは圧迫にならないか)を判断して,社会通念上,政教分離の原則を逸脱しないと認められるものについては容認されるという法律論である。現在,政教分離をめぐる裁判の多くはこの考えかたにしたがっている。

 政教分離をめぐる裁判では「津地鎮祭訴訟」が現在でも重要な判例として引用されている。これは,地鎮祭に対して自治体が関与した(市体育館起工式への公金支出)ことの憲法上の是非を問われたものである。最終的に最高裁まで争われた。      

     ☆ 津地鎮祭訴訟 ☆

 1967年3月 - 第1審(津 地 裁)合憲
 1971年5月 - 控訴審名古屋高裁違憲
 1977年7月 - 上告審(最 高 裁)合憲

 この裁判で初めて「目的効果基準」という考えかたが導入され,地鎮祭は「宗教的儀式でなく一般的慣習」と判断されていた。 実際のところ,目的効果基準じたいがまだ明確に定まったものではなく,適用すべきかどうか,適用するならばどこに線引きをするのか判断が分かれている。

 とはいえ,いずれにせよ靖国神社の問題に対して厳密に考えるべきだというのが,司法でも学界でも主流となっている(1991年の仙台高裁判決では「目的効果基準」を踏まえながらも,公式参拝違憲の判断を下している)。

 なかでも,体育館建設の地鎮祭靖国神社参拝を同列にして,後者も合憲であるという参拝推進派の主張は,いかにも論理に飛躍がある。

 8) 私的参拝ならばどうか

 小泉純一郎首相(当時)は,2001年の参拝にあたり「総理として,個人として参拝する。総理大臣の肩書は消せない」として,みずからの参拝が公式か私的かには明言を避けていた。

 公式といえば問題になるのは分かっているし,かといって公式参拝を求める人たちにもいい顔をしたい,という計算があったのではないかと思われる。しかし,実際に参拝してますます批判の声が大きくなり,全国で訴訟が相次ぐなかで政府は「あれは私的参拝だった」といいわけを始めている。

 それはともかく,首相は24時間首相である,という部分には賛成できる。もちろん,首相にも信教の自由等,個人としての権利はある。しかし,首相や自治体 の首長などは公人としての立場が大きな比重を占めている。

 社会的影響の大きさを考えれば,公人として十分に慎重な行動をとる義務がある。首相の純粋な私的参拝というのはありえない。「天皇,首相の公式参拝は,憲法政教分離原則に照らし,相当とされる限度を超えている」(1991年,仙台高裁)との判断と考えあわせると,首相は参拝すべきではない。

 補注)民主党政権で菅 直人が首相のとき,8月に靖国神社には参拝はいかなかったけれども,正月には伊勢神宮に参拝にいったことがある。これは,伊勢神宮も皇室の「皇祖皇宗」の一隅を構成する最重要な神社のひとつであり,しかも靖国神社においては天皇の親祭を執りおこなってきたという「明治以降の伝統とのかかわり」に無頓着=無知な行為であった。昭和天皇は,A級戦犯が合祀されなければ死ぬまで靖国神社に「親拝」するつもりであった。

 なお,この記述では地方にある護国神社に関する議論はしていない。天皇家天皇自身)は,A級戦犯を合祀している護国神社には出向かないでいる。靖国神社と同じに対応をしている。

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