コロナ禍に苦しむ現状日本のなかで「自助」を最優先せよという無為・無策の日本国首相菅 義偉,その横暴きわまりない為政は,国民たちをドン底の困窮世界に誘導中

 「新型コロナウイルス感染拡大」が猛威を振るい出している情勢のなかで,「Go To 使うかは『皆さんの判断だ』といってのけた,西村康稔経済再生大臣の,完全に無責任な対・コロナ禍対策の基本姿勢」

  註記)asahi.com 2020年11月13日 22時00分,                             https://digital.asahi.com/articles/ASNCF74X0NCFUTFK01X.html?iref=comtop_7_04

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 つまり,Go To〔Hell〕するも・しないも,それは国の責任においてはなく,それを利用するかしないかを選択する国民たちの側における責任だと放言する「日本国:菅 義偉内閣のデタラメさ」は無限大志向

 

 第3波のコロナ禍感染が拡大しても,「オレたち政府はしらないよ」,もっぱら国民たち側で「自助的に行動しなよ」というリクツ

 

 この国家を運営している・行政しているという点について,その責任のありかなどひとつも感じさせない野放図な政治体制の恣意と不埒,これでは,日本はますます完全沈没を方向に向かいまっしぐら

 

  要点・1 日本がすでに3流国家になりさがった事実,新型コロナウイルス感染拡大問題にまともに対応できないまま,その第3波の襲来を迎える,このままでは年末・年始(冬の期間)には下手をすると大流行してしまい,Go To トラベルなどまったくできなくなる可能性がある

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  要点・2 Go To トラベルはすでにコロナ禍の拡大に対して「トラブル」の源泉を提供しつつあるが,このままいくとしたら,「トラブル」から「テリブル」である社会情勢のほうに,この国土全体が  go to  してしまうかもしれない

【参考記事】


 「『菅総理』最大の弱点は『しゃべり下手』 語彙力不足,すでに失言も」『YAHOO!JAPAN ニュース』2020/10/2 (金) 5:56 配信,https://news.yahoo.co.jp/articles/9c7cd93c68ef5d23cccb20908b3a3b0cb1d50658(「デイリー新潮」。元記事,『週刊新潮』2020年10月1日号 掲載)

 菅 義偉が9月16日,日本国内閣総理大臣になってほぼ2週間後には,このような記事(分析?)を書かれていた。さらにその後におけるこの人の首相ぶりを観ていると,「スガーリン」とのあだ名を献呈されたのは,ごく自然な推移であった。もっとも,そのかなりミニサイズのスターリン版だと観るほかないけれども,ともかく,こちらの菅君なりに醸し出せている「亡国の首相」の容貌ぶりだけは,安倍晋三君にかぎって比較の対象に挙げてみるに,勝るとも劣らない風格(?)をもちあわせている。

 「安倍晋三⇒菅 義偉」という日本政治の迷宮的な進路は,まさしく「地獄へ下るのはたやすい」といった,あまり聞いたことがない「諺」どおりの為政をおこなってきている。よく聞かれる「諺」でそれに似たものがあったが,「地獄への道は善意で舗装されている」という一句であった。

 ところが,いまの日本の政治はまるで「悪意をむき出しにして」,国民たちを「地獄への道」へ誘導しつつあるとしか解釈できない。ここまで能書きをいわせてもらったところで,① の記事をつぎに引用する。


  ボキャブラリー〔語彙:表現〕の貧しさが目立つ菅 義偉首相 ◆

 「駅に行くのは,Aの道とBの道がありますよね。Bの方がこれこれこういう理由でいいと思いますが,なぜAを選んだのですか」,

 「Aがいいからです」。

 a)〔上の問答は〕文字にしてみれば,まるで小学生のような回答だが,乱暴にいえば,菅 義偉・新総理の論法は,これを多少,複雑に述べているに過ぎない。これまでは官房長官として「守り」の立場に終始していたから,それはむしろ長所となることもあったが,これからはそうは問屋が卸さない。

 突如の辞任を受けたにしては,異様な高支持率でスタートした新内閣。読売新聞〔注)ゴミウリ新聞のこと〕の調査では74%と,小泉内閣鳩山内閣に続く数字をたたき出した。総裁選を通じてアピールした「地方出身のたたき上げ」イメージがこれに貢献したことは間違いなく,たとえばBBCは,「派手さを避ける新首相の性質は,貧しい家の出身ということから来ている」と報じている。

 本誌(『週刊新潮』)でもすでに明かしたが,新総理の実家は秋田で手広く商売を広げていたイチゴ農家。父は町会議員も務めるなどけっして「貧しい」わけではない。このあたり,出自を積極的に語り,「庶民派」としてのイメージを強める戦略が功を奏したが,こちらはどうか。戦略で糊塗できず,白日のもとにさらされているのは,そのボキャブラリーの貧しさである。

 「総理のトーク力を危ぶむ声は,いまや自民党の共通認識となっていますね」とは,さる政治部デスク。

 「7年8カ月,官房長官として,マシーンみたいに政府の答弁を外さないように用意された紙を読み上げてきたわけです。いざ総理となってみると,どこまで自分で話していいか,ということがわからないんじゃないかと。国会が始まり,予算委員会党首討論になれば,どうなるのか」。

 実際,就任会見でも〈安倍政権が進めてきた取り組みをしっかり継承して,前に進めていくことが私に課された使命である〉〈アベノミクスを継承して,一層の改革を進めていく〉と,前任者の名前を連呼したのは記憶に新しい。数えてみると,30分間に10回と,3分に1度は触れていた計算に。これではいったい誰の内閣か分からないのである。

 「とにかく,形容詞や修飾語に乏しいですよね」とは政治アナリストの伊藤惇夫氏。「『~を検討します』『~との指摘は当たらない』など,玉虫色の発言が多い。味もそっけもない発言ばかりです」。それだけなら,逆に「朴訥さ」をアピールする戦略に合致するかもしれないが,意図的なのか,質問に対して「はぐらかし」も目立つ。

 b) たとえば,9月8日のTBS「NEWS 23」では,憲法改正について,「自衛隊の存在を明記するだけで,膨大な政治エネルギーを使っていいのか。自衛隊の地位向上など,法律でもっと見直せることがあるのではないか」との問いに,「位置付けを盛りこむことは大事です」という趣旨の話だけを長々回答。

 あるいは,「アベノミクスが格差を拡大していないか」との問いには,「大事なのは雇用が回復していること」の一点張り。訊かれたことに答えず,原則論ないし自分の主張を述べる冒頭の論法を駆使したのである。

 「テレ朝の『報ステ』に出ていた時は,思わず笑ってしまいました」と述べるのは,さる政治ジャーナリスト。

 「『自助,共助,公助,絆』とのキャッチフレーズについて, “最初が自助とは厳し過ぎるんじゃないんですか?” と問われて,延々1分間反論。その後,男性アナウンサーに “それぞれのキーワードがバラバラではないということですね” とあっさりまとめられ, “はい” という場面が」。

 その後,「コロナ対策」について突っこまれたさいも,延々説明したあげく,同じアナに「だから改正がすべてじゃないということですね」とまとめてもらうシーンがあった。

 c) 前出のジャーナリストによれば,「もともと滑舌が悪い。差しで話していても,なにをいっているのかわからないことがあるんです。国会で厳しい質問が来ても,年金問題を追及されたさい, “人生いろいろ。会社もいろいろ” とかわした小泉元総理のような芸当はむずかしいでしょうね」。

 付言すれば,これだけ守備の発言に徹していた割には,消費税増税やむなしと言及し,波紋が広がると翌日,「10年は上げない」と慌てて修正したり,「自衛隊憲法で否定されている」と事実誤認の発言をしたりと,失言めいたことも。ますます先が危ぶまれるのである。

 「菅さんは,たたき上げとのイメージから,田中角栄元総理と比較されることもありますよね」というのは,政治評論家の小林吉弥氏。ただ,決定的に違うのは,角栄さんは自分の生い立ちの苦労をアピールしなかったこと。

 また,角栄さんは,みずからの政策を語る言葉に自信がほとばしっていましたが,菅さんの発言には,携帯電話の値下げにしろ,デジタル庁にしろ,それが感じられないことです。逃げと原則論ばかりの答弁なら,国会は止まり,国民に見透かされ,支持率はあっという間に落ちてしまう」。

 田中角栄の挨拶】  大蔵官僚たちが「タダものではない」(  ↓  )と表情を変えたワケとは。

 d) こと国会論戦に関してなら,野党は,今回総裁選に出た3人のなかで一番戦いやすいと思っているのでは……というのである。その菅総理。就任後も「ぶら下がり」取材を受けつけない姿勢をみせるなど,ご本人も弱点を自覚しているようにみえるが,

 「巧言令色鮮(すくな)し仁,ともいいますからね。答弁が立て板に水というのが必ずしもいいとは思いませんが」とは,論戦をともにした,石破 茂元幹事長である。

 「ただ,菅さんも前々から総裁選に出ると用意していたわけでもなかったでしょうし,いろいろな想定問答が頭に入るだけの余裕がなかったんじゃないでしょうか。つぎの国会では,つまらないことを聞いて,総理のおしゃべり下手をクローズアップしようとしたら野党に批判が集中する。逆に彼らが日本をどうするのか,というものをちゃんと提示できた場合,それに答えられなかったら,どうしようもない,ということにはなると思いますよ」。

 政治は言葉。ましてその頂点に立つ総理はなおさらだ。「守りの内閣」の最大の穴は,実は総理自身にあったという皮肉……。身体検査はまずどなたに必要であったのか。(引用終わり)

 今日は11月の14日土曜日であるが,その間,国会でかいまみることできた菅 義偉の首相ぶりは,議論とか討論とかにはなっていない答弁であった。いわゆる「木で鼻をくくった」と形容する,そのまた以前の,いいかえれば,質問にはまともには答えようとはしない(=答えられない)国会・委員会での「討議力の不在ぶり」であった。その点にかぎっていえば,彼はもののみごとに披露してくれた。

 例の迷文句であった “「説明できること」と「説明できないこと」とがあるのだ” という菅 義偉流の仕分け(説明?・区分)は,実は「説明したくないこと」あるいは「説明する気などないこと」を踏まえての対応の仕方であった。それゆえ,国会内で討議をする場がまともに生まれないどころか,それを消極的に阻害する,ないしは積極的に妨害する首相ならば居る,という状況にあいなっていた。

 議論する,批判しあうという対話の作法は「民主主義」にとってみれば,もっとも基本的な手順・規則であって,これを無視したら「即・独裁の政治世界」が意味されるほかない。菅 義偉は進んでこの独裁:ファシズムの道を選んでいるつもりである。異見はいっさい許さない,批判する者などはその存在じたいを認めない。だから,これらの人びとに対しては徹底的に排除し,弾圧する。

【参考記事】

 菅 義偉の政治手法はそれだけしかない。つまり,民主主義からは一番遠いところに政治屋である。「私はあなたの意見には反対だ,だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という民主主義の基本理念に関する文句は,よくしられているが,

 これが菅の本心では,「私はあなたの意見には反対だ,だから,あなたがそれを主張する権利は,私が権力を最大限に利用して,潰す」という政治路線,つまり独裁になる。しかも,その人が国会では圧倒的多数の占める「自民党公明党の野合政権」の代表となれば,ナチス・ドイツの国家全体主義に似たものになっていく。この経路は理の必然である。そこで,つぎの ② の記事を紹介する。


 「【独自】学術会議人事,2年前にも東大の宇野教授を任命拒否 官邸,理由示さず難色」東京新聞』2020年11月14日 05時50分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/68282

 日本学術会議の会員候補が任命拒否された問題で,6人のうちの1人,東京大の宇野重規教授(53歳)が2018年10月の会員補充人事でも,官邸側に任命を拒否されていたことが,学術会議関係者の話で分かった。官邸側が特定の候補者を指定し,会議側に繰り返し難色を示していた実態が判明,政治による恣意的な人事介入だとの批判があらためて強まる可能性がある。

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 1) 宇野氏1位で推薦も官邸は…

 複数の会議関係者によると,同会議の政治学委員会は,2108年10月を前に,70歳の学術会議の定年を迎える日本比較政治学会元会長の河田潤一・大阪大名誉教授の後任として,政治思想史の分野で優れた研究や業績を残す宇野氏を推薦することを決めた。

 これに対し,杉田和博官房副長官ら官邸側は候補者を複数示し,順位を付けるよう要望。会議側は1位を宇野氏にして複数候補者を提示したが,官邸側が難色を示したという。このため,会議側は選考委員会内で対応を話しあったが,「理由なく2位の候補には代えられない」として応じなかった。

 2) 当時も理由の説明なし

 山極寿一・前会長はなんども宇野氏を拒否した理由の開示を求め,杉田副長官との会談を申しこんだが,官邸側からはいっさい,回答がなかったという。

 6人の任命拒否が明らかになった2020年10月の会員の半数改選でも,学術会議は再び会員に宇野氏を推薦した。しかし,山極前会長の任期が終わる直前の9月28日,菅 義偉首相は理由を示さないまま,宇野氏だけでなく6人の任命を見送った。

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 宇野氏は,19世紀フランスの思想家トクビルの研究でしられ,日本を代表する政治思想史の学者の1人。著書に『保守主義とは何か』『民主主義のつくり方』など多数。サントリー学芸賞などを受賞している。

 「特定秘密保護法案に反対する学者の会」(当時)に参加し,2013年に廃案を求める声明を出し,2015年発足の「安全保障関連法に反対する学者の会」では呼びかけ人になった。宇野氏は2018年10月の補充人事について本紙の取材に「とくに私として申し上げることはない」と回答した。

 政府側はこれまで「政府方針への反対を理由として任命の判断をおこなったものではない」などと答弁している。(引用終わり)

 以前,「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の呼びかけ人となっていた宇野重規を,菅 義偉が学術会議の新会員になる手続から排斥した理由は,以上の記事:説明のなかに赤裸々に語られている。すなわち,菅 義偉は官房長官時代に宇野重規を蛇蝎のように嫌い,徹底的に学術会議の会員にくわわることを妨害してきた。

 以上は菅 義偉自身からは絶対に「説明できないこと」であったが,われわれ第3者的な立場・地点に居る者たちからすれば,みえすいたヘリクツである。菅の考えにとってみれば「説明したくないこと」ゆえ,これをただ「説明できないこと」だと強弁しているに過ぎない。

 日本の最高権力者である菅 義偉首相が,学術会議の新会員候補を拒絶した事項を「説明しない」という場合,当然で正当な理由があるはずなのだから,これを説明しておくべきは当然の前提条件であって,いわば「民主主義の初歩的な手順」に属する事項である。だから,その説明をしようとはしない菅が首相になっているとなれば,ただちに「スガーリン」という,どう聞いても非常に悪印象しかもてないあだ名をちょうだいしていた点は,むげなる経緯であった。

 菅 義偉は安倍晋三につづいて首相の立場から,日本の民主主義などぶち壊すことをなんとも思っていない。民主主義を破壊するのが,その意味では民主主義の選挙によって登場してきた彼らなのだとすれば,現状における日本の政治は危殆に瀕している。

 それにしても,国民・有権者たちは,どうしてここまでおとなしいのか?

 冒頭で触れた西村康稔経済再生大臣の「Go To トラベル」関連でのコロナ禍対策に関した発言も,そのふざけているとしか受けとりようのない方向性で,つまり,基本的には「Go To 使うかは皆さんの判断だ」といっていた。これは,政府の閣僚の立場からの発言なのだから,完全にといってくらい無責任な「対・コロナ禍対策の基本姿勢」を明示している。したがって,マスコミ・メディア側からも,真っ向から批判されてしかるべき,まさしくデタラメ三昧の政府がわの応答であった。

 政府(政治)側の担当者が,コロナ禍という重大問題に対してそのように他人ごとで語れるというのは,驚異的かつ度外れに非常識になる遁辞を意味する。いつからこの国は,その程度にまで “子どもっぽい閣僚たちを内閣のひな壇に並べられる国柄” に落ちこんでいたのか?

 もちろん,それは安倍晋三政権以来において必然化していた出来事(政治現象)の一環であった。そういうしだいであって,菅 義偉政権になってからというもの,まだ1ヵ月ほどの時間しか経っていない地点にありながら,彼らはそれぞれなりに子どもの知的水準に留まっている。

 その大人としての自堕落さの程度だけは「ヨウチエン程度にまで舞い降りていた安倍晋三君」の時に比べて,「菅 義偉君のそれ」はなんとか小学校低学年の程度まで成長したといえなくはない。ただし,その成長した進捗度は「民主主義を破壊する悪質さ」だけは,その分に応じて昂進度させえている。


 「加速する異論排除政権の横暴 この国は『分断』がそのまま」日刊ゲンダイ』2020/11/12 17:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/281215

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 1)「落ち着けドナルド」……。米大統領選の敗北を受け入れないトランプ大統領に対し,スウェーデンの環境活動家,グレタさん(17歳)がこうツイートして話題となったが,「落ち着いている場合じゃない」のが日本の菅首相だろう。

 日本学術会議の新会員候補6人の任命拒否問題をめぐる国会質疑では「お答えを差し控える」を80回も連発。なにひとつとしてマトモな説明ができなかったからだ。

 〔11月〕5日の参院予算委で,菅は「以前は学術会議が正式の推薦名簿を提出する前に,内閣府との間で一定の調整がおこなわれていた」などと答弁。これを受け,翌6日の予算委で日本共産党の小池議員は「政府が選考や推薦に実質的にかかわるなど,学術会議法に照らして断じて認められない」「まさに会議の独立を脅かす政治介入そのものだ」と批判した。ところが,菅は「考え方の擦りあわせをおこない,それを踏まえて推薦名簿ができた」などと噛み合わない答弁を繰り返すばかり。まったく議論にならなかった。

 与野党は今〔11〕月下旬にも,衆参両院の予算委で集中審議を開く方向で調整に入ったが,この調子だと,結局,集中審議でも菅は支離滅裂な答弁を続け,なにも説明せずにやり過ごすつもりに違いない。

 補注)安倍晋三も支離滅裂以前のハチャメチャな国会答弁や,ヒドク品位に欠くやじを飛ばすのを得意技にする総理大臣であったが,菅 義偉はそれに輪をかけて,とくに答弁能力のヒドイ破綻ぶりを,開催してきた国会のなかで嫌というほどみせつけてきた。まともな答弁内容はなにもなく,ただ「なにをしようがやろうが,オレの勝手だ」という傲慢きわまりない態度をムキ出しにできていただけであった。

 2) 悪しき前例を踏襲する菅政権

 「丁寧に説明しながら,ご理解いただくよう努めていきたい」。菅は国会が始まる前,自民党の役員会で学術会議問題について,こう語っていたが,まったくの大ウソ。おそらく,国民に理解してほしいなんて考えはこれっぽっちもない。むしろ,理解してほしくない,分からないように隠したいと考え,意図的に核心部分を避けながらデタラメな答弁を繰り返しているから二転三転するのだ。

 このウンザリする不毛なやりとりをどこかでみたと思ったら,「森友・加計」「桜を見る会」をめぐる安倍前首相の答弁とそっくり。歴代内閣が積み上げてきた議論や解釈を国会で議論することなく勝手に変え,いうことを聞かない相手は人事やカネをチラつかせて脅す手口も同じだ。

 「個別の人事についてはコメントを差し控える」。〔そして〕菅が繰り返したこのセリフも,黒川弘務・元東京高検検事長の定年延長問題の国会質疑でなんども出てきた。要するに,政府が政治的な意図をもって恣意的に人事介入し,それがバレそうになったときに使うゴマカシの常套句。ハナから答える気などないのは明らかだ。

 菅は「前例踏襲の打破」とかいっていたが,いやいや,安倍前政権の「悪しき前例」をしっかり踏襲し,さらにエスカレートさせているのではないか。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)がこういう。

 「野党の後ろには国民がいるのです。国会議員として国民に説明をしないのは言語道断であり,役割の責任放棄です。政府・与党ともに,しばらくゴマカしつづけていればどうにかなると思っている。まさに政治の劣化のきわみ。議会制民主主義を壊しているのはもちろん,日本の政治体制が世界中の笑いものになります」。

 3) 日本もパワハラ独裁政治の落とし前をつけさせるべき

 「私どもは選挙で選ばれているから,なにをやるという方向を決定したのに反対するのであれば,異動してもらう」。総裁選の最中,出演したテレビ番組でこう明言していた菅。「選挙で勝てばなんでも思いどおり」といわんばかりの暴言で,思い上がりもはなはだしい。

 おそらく,このトチ狂った考えで新会員候補の任命を拒否したのだろうが,選挙で勝ったからといって,国民はすべての政策について「白紙委任」したわけでも,独裁政治を認めたわけでもない

 政治家として誤った考えなのはいうまでもないが,いまの政府・与党では,こういうパワハラ思想の持ち主は菅だけじゃない。学術会議のあり方を検討する自民党プロジェクトチーム(PT)で議論を主導している下村政調会長も,毎日新聞の取材に対し,学術会議が2017年に軍事研究に懸念を示す声明を出したことに触れつつ,こう言い放ったという。

 「軍事研究否定なら,行政機関から外れるべき」。

 まさに政府に歯向かうやつは絶対に許さない,という戦前の言論弾圧政治の姿そのもの。この先,安保法制を強行採決した安倍前政権と同様,菅政権も教育,歴史認識原子力,環境,土木,ダム……など,国民の反対や不信が根強いあらゆる政策に関して御用学者で固め,自分たちのやりたい放題にしたいのだろう。

 自分たちに邪魔な知性を排除する野蛮な反知性政治が大手を振って闊歩する〔国〕なんて冗談ではない。

 4) 危うい国家主義思想は排外主義に向かう

 政府・与党の役割は本来,少数野党の意見にも真摯に耳を傾け,国民生活にとって,政策をより良い方向に練り上げることだ。ところが,安倍・菅の悪辣政権はそろって聞く耳をいっさいもたず,議論するどころか憎悪を煽る。学術会議問題でも,「悪いのは学術会議の組織体制で,政府の対応は適切」という世論操作に必死になっているからなにをかいわんやだ。

 ワケが分からないのは,そんな菅政権がいまだに高い支持率を維持していることだ。毎日新聞と社会調査研究センターの世論調査によると,内閣の支持率は57%というから唖然呆然。学術会議問題についても「問題だとは思わない」(44%)との回答が,「問題だ」(37%)を上回ったというから摩訶不思議だ。

 世論には「いつまで学術会議問題をやるのか」といった意見もあるようだが,モリカケ・桜も学術会議も,問題を引き起こしたのは安倍・菅政権。批判するのであれば政府・与党に対して「きちんと説明責任を果たし,いつまでもやらせるな」というべきではないのか。

 安倍や菅が息を吐くようにウソをつくのは見慣れたとはいえ,その姿勢を「問題ない」と捉える国民が多いことに驚愕してしまう。揚げ句,異論を「中国の手先」などと見当違いな非難を浴びせて留飲を下げている状況は異様,異常というよりほかない。

 5) 為政者にとって最も望ましい国家とは「右向け右」に盲目的に従う国民が多数を占めることだ。そのさい,往々にして利用されるのは愛国心。まさにトランプ政権がかかげた「米国第一主義」で,愛国心に支えられた国家主義的な危うい思想は排外主義につながることも,歴史が証明している。

 中国の経済的な台頭により,米国も日本も優位性を脅かされ,ともに自信を失いつつあった国民が飛びついたのが「米国第1主義」であり「日本を取り戻す」といった勇ましいスローガンだった。米国は大統領選で辛うじて民主主義を取り戻すために舵を切ったが,この国の「分断」は相変わらず。絶望的状況だ。

 立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)はこういう。

 「米国,日本ともに貧富の差が拡大し,安定した政治を支えてきた中間層がいなくなった。世界各国をみても分かるとおり,貧困化した国民は強権的な政治にすがるようになる。俺たちをなんとかしてほしいと。これが国民を分断する政治的背景でしょう。

 学術会議の問題では,自分たちの生活と直接的には関係ないと考え,『いつまでやっているのか』となるわけです。政府・与党はそういう世論を分かっているから強気に出ているのです」。

 米国は「分断」を煽りまくったトランプに引導を渡した。日本も安倍・菅による「パワハラ独裁政治」の落としまえをつけさせるべきだ。(引用終わり)

 a) 日本の民主主義の担い手はなにも国会に送りこまれている政治家だけではなく,彼らを選んだ国民たち・有権者側にこそ,もっと重くあるというほかない。ところが,いまの日本の政治状況には,まだまだ「お上意識」が残っているだけでなく,新手のネトユヨ的な立場が露骨に提示してもいるように,無条件に権力側を支持したがるような「民度の低い」,単なるミーハー的な人びとも多くいる。

 国民たち・有権者の日常的な生活空間から観て,「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の呼びかけ人となっていた宇野重規という東大教授の存在は,雲の上の人であるかもしれない。だから他人ごとだと思いこめるのかもしれない。

 だが,以前にも触れたことがあるように,つぎに引照するニーメラー警句を,いまに生きているわれわれ自身の問題として受けとめないことには,今後において,わわれれ一般庶民の頭上に圧政が降りかかってくる時に対して基本的な心構えが用意できなくなる。

 b) ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩があった。これは詩ではあっても《政治詩》である。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき,私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから,

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき,私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから,

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき,私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから,

 そして,彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は,誰1人残っていなかった。

 以上の文句,その基本的な内容は,国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei,ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく過程に恐怖を感じつつも,「自分には関係ない」とみてみぬふりをしていたら,おのれもいざ迫害対象になったときには,社会には声を上げる人は誰もいなくなっていたという警告であった。

 国民たち・有権者側も含めて日本に暮らすすべての人びとは,以上のごとき “ニーメラーの警句詩” を,21世紀に生きている「自分たちにはなにも関係ないよ」などと勝手に思いこんではいけない。

 c) いまの日本で生きて暮らしている人びとの「祖父母以上の世代の人びと」が,実際に戦争や戦場で本当に体験させられてきたのは,とわけ「戦時体制期」(日中戦争:1937年7月7日から敗戦まで)における「前段におけるような・そうした出来事そのもの」であった。その種の出来事がそのまま再現されようとする日本に近づきつつある。

     ★「あなたはマルティン・ニーメラーをご存じですか」★

 =『花と山を友として』2013年10月08日,https://blog.goo.ne.jp/kurikoma_333/e/36c49e4863d6cc581af796f2ee4da4a5

 

 このブログの記事は,以上のニーメラーの警句詩を敷衍させて,こういっていた。これに学術会議の問題を足して表現してみたら,どうなるか? 【  】内は引用者の補足となる。

 

 --マルティン・ニーメラー(1892年生まれ,1984年没)は,ドイツのルター派の牧師で,最初は保守派でナチスの支持者であったが,のちに教会のナチ化に反対して,1937年から1945年まで強制収容所に収容されて,かろうじて生還した。

 

 牧師になる前は,ドイツ海軍のUボートの艦長(第1次世界大戦時)という経歴をもっていた。1945年の終戦強制収容所から生還した彼は,1950年代から平和主義者・反戦運動家として活動し,半核運動でも活動した。

 

 この詩は,世界中で社会的無関心層に対する啓蒙としてよく引用されているという有名な詩だが,日本の現代社会でもつぎのような言葉に置きかえてみると,ドキリとするかもしれない。

 

  生活保護者が非難されたとき,私は声をあげなかった。
   なぜなら私は生活保護者ではなかったから

  原発の再開を決めたとき,私は声をあげなかった
   なぜなら私は汚染地域ではなかったから

  【学術会議新会員が拒否されたとき,私は声をあげなかった。
    なぜなら私は大学の教授ではなかったから】

  【△▽が拒否されたとき,私は声をあげなかった。
    なぜなら私は△▽ではなかったから】

 

といった文句は,これからの日本社会にあっても,いろいろな領域にあっても,どこまでもつづいていくのではないか。かといって,いつまでもこの文句をつづけて吐いていけるわけではなく,いつかはその終わりを迎える時期が来る。

 旧大日本帝国のその時代(1936年~1945年)や,旧ドイツのその時代(1933年~1945年)などとは,まったく異なったいまの時代における日本の政治問題だとはいえ,「戦後レジームからの脱却」などとピントのボケまくった提唱を熱心に叫んでいた安倍晋三前首相の為政,ならびに菅 義偉首相になってからのそれは,この国の民主主義を徹底的に破壊していく道に向けてしか進路をとっていなかった。

 d) いままさしく,われわれ一般庶民「自身の立場においてこそ対峙しなければならない政治の問題」が目前にある。「彼ら」がやっている粗暴・乱雑きわまりない民主主義破壊のための政治姿勢が,このままいつまでも許されていったら,この日本は近いうちには必らず,完全に「政治的に後進国」になる。そうなった時は,明治維新以前の時代にまで,実質的には舞い戻ることが請けあえそうである。

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