「学問無縁,教養以前」,安倍晋三から菅 義偉へとつづく日本国政府・内閣の政治的「知」の欠落は「衆愚の為政」と裏腹になり,この国を溶融させつつある

 学問・思想・言論などの自由など「まったく尊重せずただ排撃する」だけの,21世紀における自民党公明党の「野合政権」,この単なる極右・反動的な菅政権は「美しい国」日本における政治的な寛容,その精神的な特性を破壊してきた

 ましてや,彼らはもともと,民衆(庶民)を指導する力量からしてわずかも備えていなかった,単なる「自民党極右・反動」の『政治屋集団』が「烏合の衆(モッブ)」となったかのようにして,ひたすら自国の民主主義を損壊してきた,それが,2010年代の安倍晋三政権の一大特徴であった,この史実は忘れられない記憶である

 コロナ禍にまともに対応できていない現状のなかで,東京オリンピックを開催することが「日本モデルによって新型コロナウイルスに打ち勝つ証し」になるなどと,たいそう幼稚なヘリクツが繰り出されていたが,これは,ダダをこねる子どもが放ったごときいいぶん

 人間は地球上に存在するウイルスと共存はできても,それに打ち勝つことなど,そう簡単にできるわけがない,狂信オカルト教信者集団が勝手にオダを挙げて抱くような「大きな勘違い」はいただけない

 

  要点・1 学問・思想の真価値などなにも理解できていない自民党政権の野暮ったさ加減に限っては「永遠に不滅」なのか

  要点・2 たとえ,東京五輪がいかなる形式をもって開催されたところで,人類・人間がウイルスに打ち勝つ(勝利する)ことなど,ありうるわけがない,お▲カな発言はいい加減にしないと……

 

  前 論 と し て

 本ブログの前身(旧ブログ)は2018年5月19日に

 主題:「安倍晋三風に3流の日本政治は『忖度させる権力の発動』体であり,ナチスヒトラーに寄せて『話題にできる』ものの,要は世襲政治の弊害である」

  副題1:「日本の政治を「戦後レジームからの脱却」的に,深刻な程度にまで崩壊・溶融させえた安倍晋三政治のくだらなさ:極悪さ」

  副題2:「安倍晋三が背負う『甲羅の大きさ(小ささ)』に合わせるだけになってしまった『日本の政治』の現実,その惨憺たる窮状,その腐朽・淪落ぶりたるや最悪である」

と題して記述,議論していた。そのさいとりあげていたのが,『朝日新聞』2018年5月19日朝刊13面「オピニオン」に寄稿された,豊永郁子(早稲田大学教授・政治学)「〈政治季評〉忖度を生むリーダー  辞めぬ限り混乱は続く」であった。当時であれば,その辞めぬ相手の人物とは,むろん安倍晋三のことであった。

 さて,本日,2020年11月19日の『朝日新聞』朝刊のそのオピニオン欄には再度,豊永郁子の寄稿がなされていた。高野 孟の近著『安倍政権時代-空虚な7年8カ月』花伝社,2020年10月の,まさに書名どおりであった「安倍晋三の極道的な為政」がようやく終わったと思ったら,こんどは安倍に勝るとも劣らぬ菅 義偉の極悪政治が,そのあとを継いでいる。

 菅 義偉は,安倍晋三政権であった長期間においてすでに,官房長官としてスガーリン的な悪評紛々たる采配ぶりを披露してきた。この事実は,そのうち現代日本政治史を題した文章に表現される対象となるさいには,「最悪の官房長官から宰相へ」でしかありえなかった “政治屋の登壇” として描かれるに違いない。その点は間違いなく,確実な予想たりうる。

 以上,安倍晋三や菅 義偉への賛辞ならぬ〈罵倒的にならざるをえなかった評言〉はさておき,豊永郁子の寄稿が本日,再び,『朝日新聞』14面のオピニオン欄になされていた。この14面のなかには,スガーリンこと菅 義偉が水戸黄門になぞらえられている風刺絵が出ていた。もっとも,あの黄門にこの義偉が比較の対象に本当になりうるかといえば,基本的にこの疑問はひとまず至当だとみなせる。

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 補注)「菅〔義偉〕は……暗くて,裏から手を回してライバルを葬るというようなことが平気でできる。なんというか,冷血性が顔に出てしまうのが致命的な欠点だ」。

 註記)高野 孟『安倍政権時代-空疎な7年8カ月-』花伝社,2020年10月,287頁。

 

  豊永郁子「〈政治季評〉侵された法の支配と学問の自由 真理を軽視,菅氏に不信感」朝日新聞』2020年11月19日朝刊14面「オピニオン」

 a) 先月,菅義偉首相は,初の外遊先ベトナムでのスピーチで,おそらくは中国の行動を指して「法の支配と開放性に逆行する動きが南シナ海で起きている」と述べた。そっくり同じ文句が日本でのみずからの行動についていわれうることには考えが及ばないのだろうか。

 日本学術会議が会員候補に選んだ学者のうち,首相が6人の任命を拒否したことが問題になっている。一見,小さな話だが,法の支配と学問の自由がかかわっており,これらを約束するリベラル・デモクラシーに日本が踏みとどまれるかどうかがかかっている。

 b) まず,首相の任命拒否は日本学術会議法に照らして適法でない。このことには通常の違法行為とは次元の異なる深刻さがある。法律の執行者である首相が法律を適切に執行していないことを意味するからだ。国民にとってこれほど怖いことはない。

 同法は,会員は学術会議の推薦にもとづいて首相が任命すると定めるが,これは首相が推薦どおりに任命をおこなうことを意味する。1983年にこの任命制が創設されたさい,中曽根康弘首相の国会答弁などで確認され,確定していた解釈だ。実際,そのように了解され運用されてきた。ところが今回,政府は首相の裁量的な任命権を主張し,6人の任命拒否をおこなった。

 c) 法令や規則などで,正式な任命と実際の選定とが切り離され,別々の主体に属することはよくある。官民を問わずさまざまな組織でみられることだ。日本学術会議法は「優れた研究又は業績」を会員候補の要件とし,首相は学問的評価については判断しえないことから,その任命行為も形式的なものと解されてきた。

 同法が定める会議は「独立して」職務をおこなうこと,1949年の会議設立時に吉田 茂首相が説いた「高度の自主性」からも,首相による人事は排される。学術会議の科学者たちは,科学に関する問題を審議し,政府や社会に提言をおこなう。政府に忖度する科学者の意見に価値はないだろう。

 d) 他方,政府は,首相に「推薦通りに任命すべき義務があるとまではいえない」という内閣法制局の言明を繰り返す。この言明じたいは誤りではない。たとえば会員候補の犯罪や研究不正,選定過程での重大な不正が発覚した場合,任命しないということもありうるからだ。だが,それは社会通念上,さらに首相が日本学術会議法を厳正に執行する責任上,そうなのであって,首相が人事を自由に裁量できることを意味しない。

 政府はまた,公務員の選定は国民固有の権利であるとする憲法15条1項を引き,学術会議の会員は公務員だから,国民に責任を負う首相が当然に人事をおこなえると主張する。だが,当の国民が会員の選定について特別に法律で定めているのだ。首相の責任はこの法律を忠実に執行することにある。さらに首相は会議の「総合的・俯瞰的活動」や「多様性」を確保する観点から任命拒否を判断したと述べるが,もとより首相には会議の人的構成を決める権限はない。

 e) 「統治者が法に従わない」,これはティラニー専制政治)の定義だ。菅首相はその一線を越えるのか。

 f) さて,首相は今回の問題は学問の自由とは関係ないと主張する。だが,万国共通の学問の自由の意味は,政治家や役人などから検閲や制裁,報復を受けずに(受ける恐れなく)研究をおこない,その成果を発表できることにある。任命拒否は不利益を与える行為であり,6人は政府から制裁を受けた格好にある。彼らは過去に政府の法案を批判したことでしられ,政府には制裁の動機もあった。

 政府は彼らの学問の自由を侵したのだ(そうではない,すなわち任命拒否は政府への批判とは関係ないと主張することは,先述のような犯罪や不正の存在を示唆することであり,6人への名誉毀損〈きそん〉に当たろう)。さらに政府の意に沿わない研究活動が制裁,報復される恐れが現実化したことで,すべての者の学問の自由が侵されたともいえる。

 g) 今日,学問の自由は,民意をうけた政府であっても侵しえない市民の基本権とされる。誰もが人間としてもつ人権だからだ。もっとも,真理の探究にかかわるこの権利は,人権思想より古い。中世ヨーロッパで,まさに真理をえようと各地から集まった学生たち,教師たちが自治組織として作った大学で確立され,啓蒙主義の時代に社会全体の利益を生むという考えに結びつき,近代以降,人権思想のもとで保障されるようになった。

 最初に学問の自由を説いたのは,哲学の祖ソクラテスともいわれる。古代の民主政アテネで,政治家たちに疎まれ,民衆裁判で死刑となった彼は,自分が述べた真理は死後も多くの若者に支持され,政治家たちを苛(さいな)むだろうといい残した。ガリレオは天動説を奉じるローマ教会に裁判にかけられ,地動説を撤回した。「それでも地球は回っている」と呟(つぶや)いたという話はあまりにも有名だ。

 これらの逸話から,私たちは学問の自由の大切さを学ばされる。その軽視は真理,社会全体の利益,人権,これらすべてに背を向けることを意味する。菅氏への不信感,日本の将来への不安感が高じるのも当然だろう。(引用終わり)

 

  戦争の時代:国家全体主義の時代,学問の自由などなかった「戦時体制期」,日本の場合はどうであったか,社会科学の1分野である経営学では,のちにつぎように自省するほかなかった。

 日本の経営学界において,戦争責任の問題を学会〔学界〕の次元から発するかたちで初めて明確に言及したのは,日本経営学会理事長海道 進(当時,神戸大学教授)であった。

 1987年9月に公刊された日本経営学会編,日本経営学会六十周年記念特集『情報化の進展と企業経営〔経営学論集第57巻〕』千倉書房,昭和62年の「編集後記」において海道理事長は,戦時期日本の経営学をこう回顧していた。

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 1930年代には東西よりなしくずしに戦争の段階に入り,経営学者の中からも多くの戦争協力者を出したことは周知の事実であります。戦後もその反省もあり,弾圧されていた批判的経営学が開花・発展したことは,理由のないことではありません。

 

 いま六十年の歴史を回顧いたしますと,一つの歴史的教訓が与えられます。それは,若い世代の人々が,戦時中の多くの経営学者が犯した戦争協力への誤りを再び犯さないことであります。

 

 経営学は,六十年の歴史の間に侵略戦争と搾取への協力,狭隘な国家主義と凶暴なファシズムへの協力,経営共同体のドイツナチズムへの傾斜など,恥ずべき道程を辿りました。

 

 経営学は,再びこの過った道を繰り返すべきではありません。先人の愚行の轍を踏むべきではありません(344頁,344-345頁)。

 海道 進理事長は,2年後に公刊された日本経営学会編『産業構造の転換と企業経営〔経営学論集第59巻〕』千倉書房,昭和64年の「編集後記」でも,重ねてこのように回顧していた。

 15年戦争中,日本が敗北することを公にすれば,非国民として差別され国賊の悪名をうけることは必定でした。ところが国賊の方が真理を洞察し,逆に戦争協力者の方が愛国者の顔をして実際には国を誤らせた非国民でありました。経営学者の99%がこの誤った道を歩いたという苦い歴史的経験があります。

 

 弾圧された学者の方が真理を把握しており,時流に迎合した学者の方が誤りを犯し,現象の本質を把握しえず,似而非学者あったわけでした。現在の経営学者に対して,この過去の経験は貴重な教訓を与えています(317-318頁)。 

 戦時体制期〔昭和12年7月~20年8月〕において,全体主義的兵営国家に成長した大日本帝国が強引にすすめてきた「東亜新秩序→東亜共栄圏」への侵略戦争を,日本の経営学者たちも社会科学の立場からすすんで支持する国家思想を昂揚させ,そのための経営理論を銘々が具体的に開陳していた。

 確かに,戦時体制期(1937年12月から敗戦まで)における経営学者たちは,戦後もだいぶ時が経ったころの発言になっていたけれども,海道 進が前段のように指摘・批判した事実のとおりに「存在」してきた。すなわち,ファシズムの時代において「経営学者たちの99%」が,換言すれば,彼らにあってはほとんどが例外なく,「学問・思想・言論の自由」を放擲させられていた。

 なにゆえ,当時における経営学者たちはそのように服従的あるいは屈従的であった学問への従事を(それは多分,仕方なく強いられていた対応だと思われるが),ともかくも否応なしに継続してきたのか? 日本における経営学理論史の軌跡をたどっていけば,そのあたりに関する経緯・足跡(の事例)はいくらでも観察できる。

 戦前においてまず最初は,「経営学たちの主張」が戦時体制期にさしかかるころから変節しだしていた。もちろん,ファシズムの政治思想に唱和する経営学側の主張・理論が徐々に増大していった。ところが,敗戦を契機としてまたさらに,彼らの立場・思想は大転回が記録していた。こんどは(いうまでもないが)「戦後における企業経営の民主化〔および〕合理化のための経営学」へと,雪崩を打っての方向転換になっていた。

 ところが,日本の経営学理論史におけるそうした学問上の出来事は,とくに注目されることもなく,そして誰といってとくに問題にする様子もないまま,昭和20年代以降の時間は経過していった。

 しかし,21世紀のいまとなった段階で,菅 義偉という学問・思想も教養・常識もなにもあったものではない政治屋スガーリン君が,このたびだが,あらためて前世紀の当時を彷彿させるごときに,日本学術会議に対する嫌がらせ以上にひどくスガーリン的な介入・干渉を始めていた。

 なぜ,菅 義偉は学術会議に対する直接の介入を試みはじめたのか? 答えは簡単である。自分の聞きたくない政治に関する意見,自分を批判することになる学問を嫌い,これらを闇雲に排除しておきたいからである。問題の鍵は,その菅個人の願望,首相としての権勢欲の発露・強行が,はたして,この国のためになりうるか否かにある。

 ちまたには,菅 義偉の学術会議に対する介入・干渉を歓迎するかのようなネトウヨチックな異見も散見される。だが,庶民次元でのそうした反応(脊髄的応答)は,いつかはきっと,学者の世界だけでなく自分たちの生活圏にまで,それも来るときは一気に闖入してくる事態を予想しえていない。

 戦争の時代において,庶民の生活の側では “銃後の護り” を担うのだとされた「帝国臣民」たちの立場が,いったいどのような日常生活を強いられ,窮屈一点張りの政治環境に追いこまれていたかという記憶は,「戦争をしらない世代」ばかりになった現時点だからといっても,けっして縁遠いものになったわけではない。

 現に,菅 義偉は先祖還りに熱心であって,ファシズム国家体制の構築に専念したがっている。菅のうしろには警察官僚出身の官房副長官や補佐官たちが支援しており,彼のファシズム的な政治行動を駆動させるための材料(燃料)を提供している。

 要は,民主主義の国家体制,その基本理念なんぞ「▲ソ,食らえ!」の人びとが首相官邸内には蝟集して蠢動している。その一群をブレーンとして使いながらいま,菅は日本の政治を破壊する作業に熱心に従事している。

 とりわけ菅 義偉は,豊永郁子が指摘・批判したとおり,「学問の自由の大切さを学ばされる」立場や思想はもちあわせる機会をもいない(理解すらできない)まま,学問の「その軽視は真理,社会全体の利益,人権,これらすべてに背を向けることを意味する」ことを,完全に無視することに気づことがない。

 また豊永に,「菅氏への不信感,日本の将来への不安感が高じるのも当然だ」といわれたところで,蛙の面になんとかの次元でしか,感じていない。その程度の政治屋がいまもなお,安倍晋三につづいて首相の座を占めている。日本は実質,亡国への進路を確実に進軍中である。

 

  菅 義偉に日本学術会議の新会員になることを妨害された6人

 以下は「『日本学術会議』 任命されなかった6人の学者はどんな人? 任命除外される異例の事態。『政府に反対した学者』が含まれており波紋が広がっている。」『HUFFPOST』2020年10月02日 16時05分 JST,更新 2020年10月02日 16時20分 JSThttps://www.huffingtonpost.jp/entry/news_jp_5f76974cc5b66377b27fcefe  を引用する。

 --日本学術会議は,科学に関する重要事項を審議したり,研究の連絡をすることを目的にした科学者の組織だ。政府に対して提言をするのが役割のひとつ。210人の会員は非常勤特別職の国家公務員。この210人の半数の105人が3年ごとに入れ替わる。

 会議は,内閣総理大臣が管轄するが,政府から独立して職務をおこなう「特別の機関」だ。国費で運営される。原子力三原則など国の大型プロジェクトの元になる「マスタープラン」を策定したり,素粒子実験施設の誘致についてや地球温暖化,生殖医療などについて提言や声明を発表したりする。人文・社会科学,生命科学,理学・工学の全分野の約87万人の科学者を代表し「科学者の国会」ともいわれる。

 菅首相は〔2020年〕10月1日,会議が推薦した会員候補105人のうち6人を除外して任命した。推薦された人を任命しなかったのは,会議が推薦する方式になった2004年度以来初めてのことだ。この除外された6人はどんな学者なのか。

 補注)この6人を特定して判断・排除させるための基本情報を作成し,とりまとめたのが,もっぱら杉田和博官房副長官である(次掲した画像の人物)。警察官僚出身の御年79歳のおじいさんであるが,老害の典型見本がこの国を傾ける作業に従事する菅 義偉を支えている。

 次段の記述のなかには関連する事情が記述されている。加藤陽子が以下で指摘していた点,つまり,菅は「1カ月もの間,(学術会議会員の人事を)たなざらし」にしておき,その間,杉田に調査・報告させて,この6人をあぶり出したわけである。

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〔記事に戻る→〕 安全保障法制や「共謀罪」法に反対を表明した学者らが含まれている。#日本学術会議への人事介入に抗議するというハッシュタグができるなど波紋を呼んでる。除外された6人に含まれる加藤陽子教授は,10月1日付の毎日新聞にコメントを寄せた。

 「なぜ,この1カ月もの間,(学術会議会員の人事を)たなざらしにしたのか。その理由がしりたい。そのうえで,官邸が従来どおに,推薦された会員をそのまま承認しようとしていたにもかかわらず,もし仮に,最終盤の確認段階で止めた政治的な主体がいるのだとすれば,それは『任命』に関しての裁量権の範囲を超えた対応である。念のため,付言しておく」としている。

 補注)このように加藤陽子が指摘するとおりであった。加藤はもともと伊藤 隆という保守・右翼のゴリゴリであった東大教授の後釜となっていた人物である。だが,伊藤の立場・思想からはだいぶ離れた学問の立ち位置にいる。

 加藤教授は公文書管理について政権に意見を届けてきた。公文書管理について,小泉純一郎政権で政府の有識者懇談会に参加し,2010年設置の「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員を務めている。

【任命されなかった6人】共同通信による)

  ※-1 芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)…… 「安全保障関連法に反対する学者の会」や,安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

 

  ※-2 宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)……  憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

 

  ※-3 岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)…… 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼びかけ人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題をめぐって2018年,政府対応に抗議する声明を発表。

 

  ※-4 小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)…… 「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について,2015年7月,衆院特別委員会の中央公聴会で,野党推薦の公述人として出席,廃案を求めた。

 

  ※-5 加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)…… 「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。改憲特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

 

  ※-6 松宮孝明立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)…… 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について,2017年6月,参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。 

 要は,菅 義偉がこれらの大学人を学術会議の新会員になることを拒んだ理由は,2015年~2016年に成立し,施行された「米日安保関連法」に対して,反対の意思を表明し,具体的に発言し行動もした「これら6人」を排斥した。

 民主主義にとって「政権に反対する意見」を表明する人びとを,それが学者であれ庶民であれ誰であっても,ともかく闇雲に(オレは気に入らないから)排除するというのであれば,この民主主義はなりたたない。

 民主主義の基本理念としてよく指摘されるのは,こういう説明であった。

 「私はあなたの意見には反対である」,

 「だが,あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。

 安倍晋三が首相の時期もそうであったが,菅 義偉が首相になってももまったく同じに,18世紀においてフランスの哲学者ヴォルテールが吐いたその文句が,いまの21世紀の日本における政治状況のなかで,想起されねばならなくなっている。

 菅 義偉は,民主主義社会においてならば当然,もっとも重要で基本的な原理である『言論の自由』を,とりわけ熱心に破損している。彼は,この事態が示唆しうる日本という国家が体質面で腐朽・堕落していかざるをえないといった「危機感」とは,まったく縁遠い政治屋であった。

 菅 義偉という無教養を誇れるこの首相はすでに,日本語の読み書き能力や政治家としての弁舌能力ともに落第点である事実を,みずから露呈させてきた。実は,彼こそがこの国の政治面の最低限は必要であった洗練さをぶち壊しているだけでなく,専制的独裁主義志向の政治色しか特色として打ち出せないからには,これからの日本は確実に3・4流国家へと転落の一途あるのみになっている。

 知識人や学究たちにかぎらず,人びとがどのように自分自身の「政治的な主義・主張=価値観」を抱いているせよ,これらすべての人に対して言論の場を等しく確保するのが,民主主義政治体制のイロハであり,大原則である。この点,過去における王制や帝政といった封建社会や戦争の惨禍を経て,営々たる先人たちの血と知の葛藤のすえたどり着けた「人類共通の到達点」に,あえて背を向けて走り出した極右・反動の首相菅 義偉は,この日本国を明治以前に戻したいかのように国家を運営しているつもりである。

 要するに菅 義偉は,この国がいままで努力して到達してきた民主主義の足場を破壊しつつある。ただし,この首相の立場・信条や思想・理念がいかようにあるのか,まったくもって不詳(多分,不在)である点にこそ,日本の政治全体にとって最大の不幸が意味されていた。

 安倍晋三もそうであったが,一国の指導者にはふさわしくない政治屋として,菅 義偉も内閣「総理」大臣になっていた。この菅 義偉は政治屋として総論(理念・思想)のない各論人士だと批判されてきたが,実際に首相をやらせてみても,その程度にしか言動できていなかった。

 ところで,本日『朝日新聞』朝刊のオピニオン欄は,つぎのインタビュー記事を掲載していた。内容はここまで記述してきた議論をさらに深めている。少し長くなるが,つぎの ⑥ として全文を紹介しておく。

 

 「〈インタビュー〉任命拒否,歴史家の危惧 歴史学者古川隆久さん」朝日新聞』2020年11月19日朝刊15面「オピニオン」 

  ◆「異論を許さず,隠蔽と忖度がはびこる社会になったら,

          明るい未来はありません」◆

 

※人物紹介※ 「ふるかわ・たかひさ」は1962年生まれ,日本大学教授,日本近現代史専攻。著書に『大正天皇』『昭和天皇』『建国神話の社会史』『昭和史』など。

 菅 義偉首相による日本学術会議会員の任命拒否問題に対し,撤回を求めるネット署名を中心となって呼びかけたのは,日本近現代史を研究する歴史家だった。戦前に学問や表現の自由を弾圧し,戦争に突き進んで破滅した国家の歴史を研究してきた立場から,みえてくるものはなにか。日本大学教授の古川隆久さん(58歳)に聞いた。
 付記)以下では記者が◆,古川が◇ 「   」。連番の付いた見出しは引用者。

 1)日本の学問の危機を作る菅 義偉という首相

 ◆ 菅首相に学術会議の会員候補6人の任命拒否撤回を求める署名は,10日間で14万3691筆が集まり,内閣府に提出されました。署名活動に取り組んだきっかけは,なんだったのですか。

  ◇「拒否された6人に大学,大学院のゼミで2年上の加藤陽子東京大学教授が含まれていたことがきっかけです。敬愛する加藤さんは実証的な歴史家で,福田康夫政権で公文書管理に関する有識者会議のメンバーも務めました。『そんな人がなぜ』と驚き,すぐになんかしなければと思いました。私と同期で,加藤さんの同僚の鈴木淳・東大教授とともに抗議の声を上げたのです」

 ◆ 古川さんは,日米安保体制について「冷戦下,自由な社会を維持するには,あの選択しかなかった」と評価するなど,政治的には現実主義の立場ですね。これまで,世の中にモノ申す行動にかかわったことはありましたか。

  ◇「かつて勤めた大学で,改組に反対し声明に名を連ねたり,2年前に日大アメフト部のタックル問題が起きたとき,教職員組合の抗議の署名活動に参加したりした程度です。私は学術会議の会員でも連携会員でもなく,つい最近,会議主催のシンポジウムに聴衆として参加したぐらいです。しかし,今回の問題は学術会議にとどまらず,学問に対する政治の露骨な介入であり,黙っているわけにはいかないと思いました」

 ◆ なぜ,そこまで危機感を抱いているのでしょうか。

  ◇「日本近現代史を研究していることと関係します。戦前の体制は,国家の方針について国民が幅広く議論し,決めていくという仕組づくりが不十分でした。明治の元勲,伊藤博文山県有朋らは,自分たちの仲間だけで日本を導くことができると過信していました。自由民権運動は『富国強兵路線を妨げる』とみなし,自由な議論や民意が反映されにくい国家の仕組をつくった。それは結局,日中戦争や太平洋戦争で国民に多くの犠牲を強い,敗戦により国家の破滅をもたらしました」

  「私は,自由な議論が許される社会を維持しなければ日本に良い未来はない,と著書に書いたことがあります。ここでなにもしなければ,言行不一致といわれかねません」

 2)戦前における類似の学問抑圧

 ◆ 今回の問題に関連し,1930年代,京都大学の滝川幸辰教授の学説が無政府主義的だ,などと問題視され,退官に追いこまれた「滝川事件」や,憲法学者貴族院議員だった美濃部達吉天皇機関説が不敬とされ,著作が発禁処分を受け,議員を辞職した事件との類似性が指摘されています。

  ◇「滝川事件は,滝川の講演を聞いた検事総長が,問題だと騒ぎ,ことを大きくしました。天皇機関説でも,右翼の激しい攻撃に政府が引きずられる格好でした。いきなり政府が弾圧したのではなく,扇動者がいたということです。ところが今回は,政府のほうから問題を起こし,理由も示さない。やり方が不公正だと考えざるをえません。1938年には『帝大騒動』も起きました。これもしっておくべきでしょう」

 ◆ 帝大騒動ですか。

  ◇「第1次近衛文麿内閣で,途中から文部大臣になった陸軍大将の荒木貞夫が,帝国大学の総長や教授の人事に介入した事件です。かつて陸軍大臣を務めた荒木は,日ころから精神教育の大切さを主張していました。日中戦争が始まり,軍国主義が高まる中,国民にも精神教育が必要だ,として起用されたのでしょう」

 ◆ 荒木はどんな主張で,大学人事に介入したのでしょうか。

  ◇「大日本帝国憲法には大権,つまり天皇の権限として文武官を任免することが規定されています。帝大教授も身分としては文官ですが,それまでは教授人事は学内で決められ,総長も選挙で選んでいました。天皇による任免は形式的だったわけですが,選挙には弊害がある,とする荒木は,『教授は官吏たることを自覚せよ』と主張し,天皇大権をもち出して政府による人事介入を正当化しました」

 ◆ 菅政権も,学術会議会員が特別職の国家公務員であることを強調しています。

  ◇「学術会議は自主的に会員を選び,それにもとづいて首相が形式的に任命してきました。ところが菅首相は,みずか自らの任命権を振りかざして介入してきた。帝大騒動とよく似ています。ただ,当時は,背景に東大内部のいささか醜悪な人事抗争があり,大学側に弱みがあった。しかし今回は,学術会議にはなんの落ち度もありません」

 3) 学問の使命,学術会議の役目

 ◆ 社会における学者の役割とはどういうものだと考えますか。

  ◇「私がいつも学生に教えるのは,『物事を疑ってかかれ』ということです。歴史学ならば,史料をうのみにしない。どういう背景で文書が書かれ,証言がなされたのか。そうした史料批判が,歴史学では大切です。当然,現実の政治や社会についても同じです。うのみにせず,多面的に考える。それこそ,学者がすべきことです」

 ◆ では学術会議の役割とは。

  ◇「政府が政策を決めるさい,専門家を集めた審議会をつくり,答申をうるというやり方がよくおこなわれています。委員は往々にして,政府の方針に強く反対しない人たちが選ばれ,異論はあまり出ません。しかし学術会議は,政府から独立して選ばれた,広範囲にわたる多様な専門家集団です」

  「まさに俯瞰(ふかん)的,総合的な観点から政府や社会に提言していく。政府お手盛りの審議会にはできない,セカンドオピニオンを示すのです。政府の意を忖度するようになってしまえば,存在意義がありません。その結果,政府が間違いを犯せば,損をするのはわれわれです」

 ◆ 加藤勝信官房長官は,任命拒否について「ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べました。「学術会議の会員になれなくても,研究は自由にできる」という意見もあります。

  ◇「まったく違います。学術会議の会員を選ぶ基準は,優れた研究と業績です。首相が任命を拒否したということは,これを否定したということになります。それが通れば,国立大学の人事や予算,税金で賄われる科学研究費(科研費)助成事業も,時の政権の意向に左右され,研究に必要な立場や資金が,学術的な基準以外で決められることになってしまう。まさに憲法23条が保障する,学問の自由の侵害です。今回の件を黙認することは,こうした事態への第一歩となりかねません」

 ◆ 菅首相は,個々の人事について理由を明かさないとしつつも「多様性が大事だということを念頭に判断した」といっています。

  ◇ 「首相の説明なるものが,後出しでコロコロ変わり,矛盾をさらけ出していますね。どうしても,はぐらかそうとしているように見えてしまいます」

 4) 学者の世界の話であって庶民の生活とは関係ない話でないとはいえない

 ◆ 一方,国民の間には,「どうせ学者の世界の話だ」「学術会議は税金の無駄遣いでは」という見方もあるようです。

  ◇「戦前も滝川事件や天皇機関説などについて,『しょせん学者の問題だ』と思った国民は少なくありませんでした。しかし,気づいたときには,異論がいえない社会になっていました。いま,ここで政権のやり方を許してしまえば,政治の介入を広げる大義名分を与えてしまいかねません」

  「映画監督や日本ペンクラブなど表現にかかわる人たちも,菅政権のやり方に反対の声を上げています。表現の自由への危機感からでしょう。すでに昨年のあいちトリエンナーレでは,文化庁補助金交付が一時,取り消されました。私は,いずれ,NHKや民間放送にも政府が強く介入してくるおそれがあると思います」

 ◆ とはいえ,戦前とは違い,いまは民主主義の世の中です。心配しすぎではないですか。

  ◇「安倍政権のころから,選挙で勝ったからなにをしてもいいといわんばかりに,少数派の意見や異論を無視する風潮が高まっているのを感じます。『税金を使うのだから政府のいうことを聞くのは当然だ』という意見はネット上に多く,一部の国会議員も扇動しています」

  「この点で戦前の弾圧と似ていると思えます。『国のために』ということと,『ときの政権のために』というのは同じことではありません。政権に批判的な意見が,長い目でみてて世の中を良くすることもあります。これが『国のために』という本来の意味です」

  「だからこそ,ネット署名を通じてことの重大性を国民に広く訴えようとしました。みんなが自由なことを言える社会,そして政府が問題を起こせば,それを批判し,やり直すことができる社会。本来,憲法が保障している,そうした仕組を維持するためにも,私たちは税金を払うべきなのです」(聞き手・桜井 泉)(引用終わり)

 菅 義偉に限らず安倍晋三もその代表格の仲間であったが,一方は世襲政治屋の悪例見本として,他方は「叩きあげの政治屋」のそれとして,その最悪の事例をいっしょに提供していた。この程度にまでひどく劣悪な品質の政治「家」しか排出させえていなかった一般庶民の側(有権者の立場)においてこそ,本当は,彼らを政治の舞台に出させない努力が必要である。けれども,その付近の理解の浸透がかなかむずかしい。

 日本の国民たちはかつて戦争の時代,男たちが兵隊になって戦地に動員され,さらに銃後においては,女たちも含めて多くの帝国臣民たちが並みたいていではない労苦を味わされてきた。「戦時体制=ドン底の時代」を体験してきた。敗戦の時期もさらに悲惨な状況にあったが……。

 ところがいまは,コロナ禍で生活苦に追いこまれる貧しい庶民層が急増しだしている。このような経済・社会状況のときに,菅 義偉が首相の立場を悪用して強権を発揮し,学術会議に向かい恣意を振るっている。いったいなんのために? また,東京オリンピックなど開催している経済・社会状況にはない。

 結局,庶民たちの生活の場にまで,その甚大なる悪影響は,必らずといっていいくらい付けまわしされ,襲ってくる。東大教授(だと加藤陽子)の立場・身分にかかわる話題のことだから,平々凡々なオレたち・ワタシたちにはなんの関係ないよなどと考えていたら,近いうちには,トンデモな「われわれの立場にも直接に影響が降りかかってくる日本政治社会の具体像」が,もうすぐ登場する。

 菅 義偉はデジタル庁を創設し,国民総背番号制マイナンバー制度)を利用して,ジョージ・オーウェル流『1984年』に似た国家体制の実現を計画し,しかも徐々に着手しようとしている。学術会議「新会員の選任」に対する菅の妨害行為は,そうした構想に反対する学究を先回りして排斥しておく意図も含まれている。つまりそれは,学術会議への機先を制しておくための「日本国首相としての行動」の一環を意味している。

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