秋篠宮の長女・眞子の結婚問題,戦後の「新憲法と民法」と「皇室典範」のはざまで議論されてきた皇族女性が置かれた立場(その2)

 天皇天皇制の枠組のなかで生きている皇族たちの基本問題,とくに婚姻に関連する論点は,どのように理解すればよいのか

 旧と新の皇室典範の制度,そして,明治憲法大日本帝国憲法)と新憲法日本国憲法)との不整合

 

  要点・1 秋篠宮の長女眞子・結婚問題は,なぜ,日本社会の関心を呼ぶのか

  要点・2 王室(皇室)をもつ国に特有の人権問題まで示唆する「皇族・女性」の存在

【「本稿(その1)」はこちら(  ↓  )

 

 秋篠宮さま 結婚認め,課題も指摘 『喜ばれる状況でない』 コロナ,困難な人に心寄せ」日本経済新聞』2020年11月30日朝刊42面「社会」

 1)この記事を参照する前に

 最初に明確に断わっておくべきは,眞子の結婚問題に関しては父親の秋篠宮がこのように(自身の誕生日になされた記者会見の場を借りていたが)「日本社会の目を非常に気にする」発言をしていた,という事実についてである。

 さて,日本国憲法第24条が規定する〈両性の合意〉は,日本社会における「婚姻の原則」であると語っている。

 けれども,皇室・皇族の結婚問題については,旧皇室典範」の『本体そのもの』を引きずっている,現・皇室典範とのからみが絶対的に回避できな事柄になっている。さらには,いまの日本では,社会そのものが皇室・皇族の出来事に対して向けている視線を無視できない状況を踏まえてとなれば,眞子の父親がこの記事での発言のように,慎重を期した話法を披露するしだいになっていた。

 ウィキペディアの解説は,関連する事情をつぎのように記述していた。時代がかった内容である点は,やむをえないものの,時代錯誤性を感じないではいられない。

 降嫁(こうか)とは,皇女や王女が皇族・王族以外の男性に嫁ぐことをいう。日本では皇族女子の内親王・女王が非皇族(臣下)に嫁ぐ場合を指す。

 ところで,(※)皇室典範が施行されている時代においては,皇室女性が「降嫁」する事例は存在しなかった。その後,現行の〔皇室〕典範下において,孝宮和子(1929年生まれ)が鷹司平通(1923年生まれ)と婚姻することで,89年ぶりに “降嫁に相当する婚姻” が発生した。

 補注)こういう出来事があった。鷹司平通が1966年1月26日,銀座のバー “いさり火” ママの自宅で,ガス中毒死としたとして処理された事件が起きた。いささか不本意な死に方を鷹司はした。なお,平通の父親は公爵・鷹司信輔である。

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 鷹司平通が孝宮和子と結婚した件に関した報道は,「降嫁(に相当する婚姻)」という表現を使っていた。結婚相手が元華族(貴族)であっても,社会に対してはそのように報道されていた。

 なお,現・皇室典範はこう定めている。関連する事項を,めんどうでも全項,引用しておく。

 第二章 皇族

 

  第五条 皇后,太皇太后,皇太后親王親王妃内親王,王,王妃及び女王を皇族とする。

  第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は,男を親王,女を内親王とし,三世以下の嫡男系嫡出の子孫は,男を王,女を女王とする。

 

  第七条 王が皇位を継承したときは,その兄弟姉妹たる王及び女王は,特にこれを親王及び内親王とする。

  第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは,皇嗣たる皇孫を皇太孫という。

 

  第九条 天皇及び皇族は,養子をすることができない。

  第十条 立后及び皇族男子の婚姻は,皇室会議の議を経ることを要する。

 

  第十一条 年齢十五年以上の内親王,王及び女王は,その意思に基き,皇室会議の議により,皇族の身分を離れる。

   ② 親王(皇太子及び皇太孫を除く。),内親王,王及び女王は,前項の場合の外,やむを得ない特別の事由があるときは,皇室会議の議により,皇族の身分を離れる。

 

  第十二条 皇族女子は,天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは,皇族の身分を離れる。

  第十三条 皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は,他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き,同時に皇族の身分を離れる。但し,直系卑属及びその妃については,皇室会議の議により,皇族の身分を離れないものとすることができる。

 

  第十四条 皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が,その夫を失つたときは,その意思により,皇族の身分を離れることができる。

   ② 前項の者が,その夫を失つたときは,同項による場合の外,やむを得ない特別の事由があるときは,皇室会議の議により,皇族の身分を離れる。
   ③ 第一項の者は,離婚したときは,皇族の身分を離れる。
   ④ 第一項及び前項の規定は,前条の他の皇族と婚姻した女子に,これを準用する。

 

  第十五条 皇族以外の者及びその子孫は,女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては,皇族となることがない。

〔前段(※)を受ける解説のつづき  ↓  〕

 以降も内親王は基本的に旧華族の当主または継嗣との婚姻をおこなったが,このうち清宮貴子内親王においては華族出身ではあったが継嗣ではない(佐土原藩主家の次男である)島津久永と婚姻,狭義の「平民」に相当する人物と内親王との初の婚姻事例となる。

 その後,三笠宮家出身の容子内親王が初めて,皇族・華族の血を直接引かない広義の平民出身者である千 宗室と婚姻,紀宮清子内親王が同様に天皇の皇女としては初めて平民出身者である黒田慶樹と婚姻している。

 補注)この「平民出身者である千 宗室……黒田慶樹」という説明が “出てきてしまう” ところは,なんともいいようがなくなる。だが,ここで論じていう「皇室・皇族問題の本質」(時代錯誤性)は,直截に物語られていると受けとめていい。

 なにせ,皇室典範のなかには「王,王,王,……」という文字(漢字)がたくさん登場していた。またそれ以上に,高格(上格)の意味をもたせた「皇」という文字(漢字)も,冒頭から登場していた。「皇」という字は本当は「白」プラス「王」である。

 古代の日本で白は神聖な最高の服色とされた。養老律令の衣服令は朝廷における皇太子以下皇族臣下の服の色を細かく定める規定だが,そこでは白を最高の服色としながら,白い衣を着ることを許される身分がない。明記されないのは律令天皇を規律しないためで,朝廷では天皇だけが白衣を着ることができた。

 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/白  から。

 もっとも,御名御璽のハンコに刻まれている文字「皇」は「白と王」ではなく,なぜか「自」と「王」になっている。つぎの画像資料をみたい。

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  出所)左側画像は天木直人の著書から。

 「朝廷では天皇だけが白衣を着ることができ」るわけだが,これは「自分だけが王だ」という “字々の組みあわせ” だとも解釈できる。手元にある漢和辞典で調べてみたが,王と自の項目には,上下に「自と王」と配置させ組みあわせる漢字は出ていない。この事実については,さらにたとえば,https://ja.wikipedia.org/wiki/御名御璽 は,触れる点がない(当然か?)。

 

 2)  の記事,秋篠宮さま 結婚認め,課題も指摘 『喜ばれる状況でない』 コロナ,困難な人に心寄せ」日本経済新聞』2020年11月30日の引照をする

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 55歳になった秋篠宮さまが,長女の眞子さま(29歳)と婚約内定者の小室 圭さん(29歳)の結婚を容認された。婚約延期から3年近くを経て,親としての思いを明確にされた。一方で「多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」とも指摘,引きつづき対応を促す意向を示された。新型コロナウイルスの問題では,困難な状況の人たちに心を寄せることが皇室の役割だと語られた。

 眞子さまは今〔11〕月13日に「結婚は生きていくために必要な選択」とのお気持の文書を公表。宮内庁は「(秋篠宮ご夫妻が)お二人のお気持ちを尊重された」と説明していた。

 秋篠宮さまは記者会見で「それは結婚することを認めるということです」と明言された。婚姻は両性の合意のみに基づくという憲法24条に触れ「両性の合意のみに基づくということがある以上,そうでないというふうには私はやはりできない」との認識を示された。

 補注)敗戦以前であれば,明治憲法大日本帝国憲法)と同じ時期に用意された旧・皇室典範が,実は,旧・憲法とは別立てになって制度化されてもいて,「皇室・皇族」の婚姻のあり方(原則)を規定していた。それゆえ,現・憲法に規定のある「両性の合意」ウンヌンは「想定外」であったどころか,完全に無関係の事項であった。

 ところで,明治天皇は正式に何人になる妻(および側室?)をかかえていたか。https://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇  は,彼の配偶者(?)たちを,儲けた子どもたちの説明と併せて,つぎのように記述している。

 ※-1 皇 后 一条美子(昭憲皇太后) … 子女なし

 

 ※-2 典侍 葉室光子(緋桃権典侍) …子女は以下
  第一皇男子 / 第一子:稚瑞照彦尊わかみずてるひこの みこと,1873)死産

 

 ※-3 典侍 橋本夏子(小桜権典侍) …子女は以下
  第一皇女子 / 第二子:稚高依姫尊わかたかよりひめの みこと,1873)死産

 

 ※-4 典 侍 柳原愛子(早蕨典侍,はじめ権典侍) …子女は以下
  第二皇女子 / 第三子:梅宮薫子内親王うめのみや しげこ,1875-1876)夭折
  第二皇男子 / 第四子:建宮敬仁親王たけのみや ゆきひと,1877-1878)夭折
  第三皇男子 / 第五子:明宮嘉仁親王はるのみや よしひと,1879-1926)⇒【大正天皇(第123代天皇)】

 

 ※-5 典侍 千種任子(花松権典侍) …子女は以下
  第三皇女子 / 第六子:滋宮韶子内親王しげのみや あきこ,1881-1883)夭折
  第四皇女子 / 第七子:増宮章子内親王ますのみや ふみこ,1883)夭折

 

 ※-6 典侍 園   祥子(小菊権典侍) …子女は以下
  第五皇女子 / 第八子:久宮静子内親王ひさのみや しずこ,1886-1887)夭折
  第四皇男子 / 第九子:昭宮猷仁親王あきのみや みちひと,1887-1888)夭折
  第六皇女子 / 第十子:常宮昌子内親王つねのみや まさこ,1888-1940)⇒竹田宮恒久王
  第七皇女子 / 第十一子:周宮房子内親王かねのみや ふさこ,1890-1974)⇒北白川宮成久王
  第八皇女子 / 第十二子:富美宮允子内親王ふみのみや のぶこ,1891-1933)⇒朝香宮鳩彦王
  第五皇男子 / 第十三子:満宮輝仁親王みつのみや てるひと,1893-1894)夭折
  第九皇女子 / 第十四子:泰宮聡子内親王やすのみや としこ,1896-1978)⇒東久邇宮稔彦王
  第十皇女子 / 第十五子:貞宮多喜子内親王さだのみや たきこ,1897-1899)夭折

 〔記事に戻る→〕 2年前の会見では「金銭トラブル」などの報道が相次いだことを念頭に,正式な婚約には「多くの人が納得し喜んでくれる状況」が必要との考えを表明。今回も「私の主観になりますけれども,感じとしてはけっして多くの人が納得し喜んでくれている状況ではない」として,課題は残っているとの見方を示された。

 補注)「疑問」がある。それは,小室 圭と眞子との婚姻の場合にあっては,この段落の指摘でも判るように,「両性の合意」という問題に関して「世間一般の〈納得性〉までも配慮した対応」というものが,それも父親の秋篠宮の口から直接,社会に向けて語られている点であった。

 すなわち,この種の「皇室・皇族の存在」と「これをかこむ社会状況のあり方」が,いうなれば,異様だと形容されても仕方のない「皇室側と日本の社会側との相対(あいたい)的な関係性」を顕在させている。

 とはいえ,前段のごとき「現・皇室典範」が男女差別そのものである “明治憲法的な本質” を全面的に否定できていないかぎり,今回のごとき皇族関係にまつわる諸問題が解消されるとは思えない。

 秋篠宮さまとしては,引きつづき状況の説明などを求めたい考えとみられる。結婚する段階では「いままでの経緯も含めてきちんと話すということは大事」と強調された。会見の最後には「結婚と婚約は違いますから」と述べられたが,この発言についての詳細な説明はなかった。

 令和の代替わりについては,秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)になったことを示す「立皇嗣の礼」で一連の関連行事が終了したことを「安堵しております」と述べられた。「以前と変わらず一つ一つのことを大切に務めていきたい」とも語られた。

 新型コロナウイルスの感染拡大では「医療関係者には頭の下がる思い」「さまざまな業種・職種で大変な思いをしている人たちがたくさんいるということも私にとっては心配です」と,医療や経済,教育など幅広い分野への影響を案じられた。

 補注)この発言は「55歳の誕生日を迎えた秋篠宮」からの内容になっていた。いわゆる「国民に寄り添う」「仕事」をもっている〔と思われている〕皇族たちの1人の立場から,彼も,この種の発言をしていた。いささか定型的で面白みを欠く内容の発言になっていたが,彼〔ら〕が置かれている立場に照らしていえば,その程度にしか抽象的にモノをいえないでいた。

 コロナ禍での皇室の役割を問われると「非常に困難な状況にある人,そしてその人たちを支援している人たち,そのことをできるかぎり理解することに努め,そして心を寄せていくことではないか」と応じられた。

 補注)ここでの発言も興味深い。われわれ1人ひとりにでも間違いなくできそうな「そのたぐいの役割」に思えるのだが,もっとも「われわれの側」でそのように,もしも意気ごんでなにかを想念したところで,秋篠宮たちができるようには有効性を発揮できないのかもしれない(?)

 感染拡大後,秋篠宮家は公務にも積極的にオンラインを取り入れられた。専門家に話を聞いたり,コロナの影響で出席できなかった行事の関係者と交流されたりと,秋篠宮さまのオンライン活用は50件を超える。秋篠宮さまは会見で「顔がみえてそれでお互いにやりとりをすることができるというのは,非常に便利」と評価された。

 ※〈関連記事〉※

 前段まで引照した『日本経済新聞』2020年11月30日朝刊「社会」面には,つぎの記事も連続して報道されていた。

  ◇「結婚容認は常識的判断」◇

 秋篠宮さまの長女,眞子さまは「生きていくために必要な選択」という言葉で結婚への強い意思を示されている。婚姻は両性の合意のみで成立するとしている日本国憲法24条に従い,眞子さまのお気持ちを尊重するという秋篠宮さまの判断は常識的なものだ。法治国家でそれ以外の選択を強いることはできない。

 補注)ここで「法治国家でそれ以外の選択を強いることはできない」という指摘はもちろんのいいぶんでありうる。

 が,しかし,現・皇室典範の規定を強いられている「皇族の人びと」(ここではたとえば,とくに天皇徳仁やこの弟の秋篠宮)という存在に対しても,その皇室典範をコミにしての話題となるが,まったく同じに「法治国家でそれ以外の選択を強いることはできない」といい切っていいのか?

 以下につづくこの記事の文章を読みつづけていくと,新しいほうの現・皇室典範であっても,日本国憲法「第1条から第8条」までとの関連性においてとなるわけだが,ある種の名状しがたい(?)「より立ち入った・くわしい説明」が,さらに徹底してなされる必要がある。

〔記事に戻る→〕 皇族の結婚は多くの国民に祝福されるのが望ましいのは当然だ。秋篠宮さまは,そのような状況ではないとの「主観」も述べられたが,実際の賛否を確認することは不可能だ。国民の側も人それぞれの主観があり,「上皇后さまが結婚に反対している」といった事実と異なる報道をうのみにしている人もいる。

 補注1)この「上皇后さま(美智子)が結婚に反対している」という点についてとなれば,ちまたでは,その真偽に関して諸説紛々が流布している。ここでは,次掲の 補注2)をも,ひとまず参考にしてほしいと思う。

 かつて,「皇太子妃は皇族・華族出身」という慣例を破られた上皇ご夫妻の結婚に旧勢力といわれた人たちは激しく反発した。「日本はもう終わりだ」と嘆いた元皇族もいた。その人たちにとっては,美智子さまの人格,資質や皇太子妃,皇后となってからの献身と真心よりも,「古き慣例」が重要だった。

 補注2)ここでいわれる「古き慣例」とは,ほぼ明治維新後にあらためて,徐々に制作され蓄積されてきた「皇室関連のそれ」だと判断してよい。平成天皇が皇太子のとき自分で選んだ配偶者正田美智子を,嫁に迎えることになった香淳皇后昭和天皇の女房)は,「息子の嫁」としてこの「平民の女性」を迎える(皇室に入れる)ことは「けしからぬ」と,気色ばんで猛反発した。この事実は,1950年代も終わるころの出来事であった。

 そして,その後における彼女の嫁いびりも激しかったが……。被差別部落問題とは二重・三重にも裏返し的に通底していかざるをえない「日本社会全体」にかかわる事情・背景もあるなかで,この香淳皇后差別意識には非常に根深いものがあった。

〔記事に戻る→〕 歴史の鏡にこれら旧勢力の姿はどう映っているか。人の結婚が「ふさわしくない」と断言できる根拠などあるのだろうか。憲法には幸福を追求する権利(13条)もある。結婚はその最たるもので,本来,余人の主観が介入すべきではないはずだ。編集委員 井上 亮)(引用終わり)

 そのとおりである。「本来,余人の主観が介入すべき」眞子の婚姻の問題ではなかったはずである。だが,そうは問屋が卸させないできた「日本社会全体」的な様相は,眞子という皇室女性の存在をめぐる「これまでの諸記録」をもってしても,簡単に察知できる。

 その付近の問題をつづけて議論したいが,かなり分量が多くなりそうなので,本日はここでいったん終わりにしておき,明日にさらに継続して記述したい。

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「本稿(その3)」はこちら(  ↓  )】

秋篠宮の長女・眞子の結婚問題,戦後の「新憲法と民法」と「皇室典範」のはざまで議論されてきた皇族女性が置かれた立場(その3) - 社会科学者の批評

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