天皇・天皇制の枠組のなかで生きている皇族たちの基本問題,とくに婚姻に関連する論点は,どのように理解すればよいのか
旧と新の皇室典範の制度,そして,明治憲法(大日本帝国憲法)と新憲法(日本国憲法)との不整合
要点・1 秋篠宮の長女眞子・結婚問題は,なぜ,日本社会の関心を呼ぶのか
要点・2 王室(皇室)をもつ国に特有の人権問題まで示唆する「皇族・女性」の存在
「本稿(その1)」「本稿(その2)」〔2020年12月1日・2日を書いてきたが,本日〔12月3日〕の新聞朝刊には,以下のような週刊誌の広告が出ていた。参考にておくべき資料として紹介する。(クリックで拡大・可)
④ 井戸まさえ「眞子さまはなぜ自由に結婚できないのか? 『非戸籍の日本人』の苦悩 これは国民全体の責任かもしれない」『現代ビジネス』2018年2月8日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54396
眞子さまと小室 圭さんの「結婚延期」が発表された。実はそこには,週刊誌報道とは無関係の,ある事実が深くかかわっていた。天皇と皇族には戸籍がない,これはなにを意味するのか? 無戸籍者の問題を追いつづけてきた井戸まさえさんが,皇族と戸籍について考察する。
------------------------------
1)「眞子内親王に戸籍があったら… ここにも戸籍がなくて,苦悩する若者がいる」
宮内庁は〔2018年2月〕6日,内定していた法律事務所社員の小室 圭さんとの結婚が延期されると発表し,眞子内親王のコメントを公表した。「それが叶わなかったのは私たちの未熟さゆえ」。この言葉のなかにはさまざまな事情が垣間みえる。
もし,眞子内親王に戸籍があったら,憲法24条により親の同意も関係者の理解もいらず,ふたりの意志だけで婚姻する選択肢はあったはずである。周囲の反対があっても,ともに働き経済的独立を果たし,たがいを支えあい家庭を作る。
だが,非戸籍者である皇族は戸籍をもつ者の他力を借りなければ,戸籍を作ることも,意志があったとしても婚姻することもできないのである。
2)「皇族に『入る・出る』ということ 天皇と皇族には戸籍がない」
天皇ならびに皇族に関する身分事項は,皇室典範および皇統譜令に定められた「皇統譜」に記される。「皇統譜」は
その他の皇族に関する事項を扱う「皇族譜」
の二種があり,皇室の身分関係(家族関係),皇統を公証する。
婚姻により皇室に入る民間人は,それまでの「戸籍」を失うことになる。逆に結婚して皇室を出る女性皇族は,自分の戸籍をもたないまま夫を筆頭者とする戸籍を作り,そこに登録される。
戦後に改正された皇統譜令(1947年政令第一号)においても,従前の皇統譜を継承するものとされた。皇族の身分を離脱した者は,皇統譜から除籍,新たに戸籍を編纂。非皇族=「臣民」の戸籍に入ることを「降下する」という。
3)「離婚や離縁があっても元皇族は復籍することはない」
皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)というが,新憲法下では皇室離脱となり,明治以降約40例の記録が残る。最近では紀宮清子内親王,高円宮典子女王の例がある。
1947年には「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律」が制定され,死別,離縁等の事情があるときには女子のみ皇族の身分を離れることができると規定された。
4)「『納采の儀=結納』の大きな意味」
【憲法第二十四条】
「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」
「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」
婚姻は,上記憲法第24条のもと制定されている戸籍法第74条に従って届け出ることによって効力が生じる。その手続は簡単で,民法第739条第2項により届出は当事者双方及び成年の証人2人以上から,書面または口頭でおこななう。
ただ,実はいつ結婚が成立したかに関しては国家法と「届出」と社会習俗の「結納・挙式」の間で乖離があることが,明治以降に問題となってきた。まさに今回の眞子内親王の婚姻延期の発表が,一般の「結納」にあたる「納采の儀」の前におこなわれたというのは,ひとつのポイントである。
最近では「結納」をする人は減ってきている。しかし,なおも婚姻はその予約ともいう「結納」,その後に挙式披露宴をし,婚姻届出を提出して結婚生活が始まる,というのが「順序」とされている。どこで婚姻が成立するかといえば,いわずもがな民法第739条第1項により「婚姻は,戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって,その効力を生じる」である。
明治民法第775条第1項も同趣旨であったが,結婚の社会的承認である結納,挙式,また披露といった儀式,また実質の婚姻生活の始まりと,法律上の届出との間に乖離があることが,明治時代から大きな問題となっていた。
実質の婚姻生活が存在しても,当時の女性たちは届出をしたくとも戸主が反対したり,「跡取りを生むまでは届出を認めない」というものもあったりで,届け出を出すに至らない場合が多かったのである。
5)「こうしたなかで『結納』は大きな意味をもった」
結納をし,婚約をすれば,当事者同士に婚姻への意志があり,内縁として夫婦に近い身分関係を認め,縁夫,縁女と言われ,服忌の義務も生じるとされた。縁女が密通すれば,姦通罪にも問われたのである。
こうしたことは現在での「婚約不履行」等にもつながってくるところでもあるが,当事者が結婚の意志を示すだけでなく,儀式として社会的承認をえる「結納」をおこなう前か後かでは,2人の権利義務関係は相当に違ってくる,ということなのだ。
つまり「結納」前ならば引き返せる,ということでもある。宮内庁が「婚約」でななく「婚約内定」解消も視野に入れているかどうかはわからない。しかし「婚約」ではなく,いまの状態は「婚約内定」。ことほど左様に,女性皇族の皇室離脱は用意周到に準備されていくともいえる。
補注)この事実,「女性皇族の皇室離脱は用意周到に準備されてい」る手順というものは,なぜ「そのように」措置されているのか? 男系天皇しか認めていない旧・皇室典範から現・皇室典範に連続する,いいかえれば,明治以来に作られた「それなりに新しい伝統としての手続」のことである。なにかしら特定の意図があったと判定されて当然である。
戦前における女性の地位が,男性に比較して半人前だった事実を想起してみればいいのである。選挙権はなし,家督はもちろん男性だけの話(権利)。夫婦でいっしょでも,男が先を歩き,女は後を付いて歩く。
だいぶ昔の話になる。本ブログ筆者が彼女(いまの妻)と手をつないで東大構内を散策していたら,守衛が近寄って来て「ここから出ていけ!」と怒られた。この守衛のオッサン,当時の年齢からみて,こいつらとんでもない2人だと思い,わざわざ叱りに寄ってきたものと感じた。
それから半世紀が経っても,自民党極右・反動形成の石頭連中(多分,国会議員たち)は,戦前の家のありよう・家族の姿が,その「家族の絆」を強めるために有用だと勘違いしている。だが,いまや「結婚届け3組あると,離婚届け1組ある」時代である。なんのその「絆」(が大事)だというのか?
はて「家族の絆」とはなんぞや? 別姓になったら,その絆が弱まるといわれるが,なにをわけの分からぬ駄言を吐いているのか? 中国や韓国など別姓の夫婦間では「その絆」に相当しそうな実体は,なにもありえない。問題にすらなりえない。
皇族用の皇室典範となると,その別姓の問題の次元などからは超越していて,さらに「姓そのもの」の「ある・なし」でもって,皇室に所属する人間たちと普通の(戸籍を有する)人間たちとの間に,「社会階層の違い」として「絶対的な線引き」をしている。別の意味ではその線を挟んで「人間じたいに対するなんらかの差別(区分と呼ぶべきものではないそれ)」が置かれている。
6)「『国民の象徴』であり『非戸籍の日本人』」〔という奇妙な,超絶技法的な皇族たちの位置づけ〕
かつて三笠宮崇仁親王は,皇族は「奴隷的な拘束」といういい方をして,その縛られた生活を表現した。
〔すなわち〕皇族は良心の自由・信教の自由・表現の自由・子育ての自由・選挙等政治活動の自由・その他の自由・権利行使が限定的となり,その「枠」は自己決定するわけにはいかず,男子皇族には「脱出する選択」がみずからには与えられていないという不条理を抱えていることを率直に表現した。くわえていえば,婚姻の自由も制限される。国民主権,基本的人権,男女平等も……。
天皇と皇族は「国民の象徴」であり,「日本国憲法」を尊重しつつ,それとは違う価値をも継承することを,「非戸籍の日本人」としての「機能」として求められる,という矛盾を咀嚼しなければならない。
権利保障体系に基づいて,窮極の「人権」が語られるべきだと思う。ある制度(生活環境,身分など)のために,本来普通の人間すべてに保障されているはずの権利・自由が構造的に奪われている場合は,なん人ともその制度の枠組みから逃れ,ふつうの人になる「脱出の権利」(right to exit)があるべきである。
「脱出の権利」によって達成されるのは「ふつうの人間」になることであり,「ふつうの人間」になることによって権利保障体系をみんなとおなじように享受することができる。その意味で「脱出の権利」は人道無視の重大な侵害を受けている者に認められる切り札であり,窮極の「人権」である。( … 中略 … )
ただ,天皇・皇族が違って考えられるのは,特別範疇の人たちが特権的地位や居心地の良さを放棄し,その階層から脱出さえすればこの人たちも「ふつうの人間」になり,そうすることのよって “人権” が回復されるはずだ,という理屈の裏打ちがあるからである」。
註記)奥平康弘『「萬世一系」の研究』岩波書店,2005年,380-381頁。
7)「日本人」の公式な証明となる「戸籍」にけっして記載されることのない天皇および皇族を,日本国籍をもつ「国民」とみなすべきなのか否かについては,いまなお確立した定説がない。
皇族自身が「無国籍者」意識さえ醸造してきた「戸籍秩序」に関しては,今回の眞子内親王の結婚延期発表からも新たな考察が必要であろう。
「眞子」の名前は秋篠宮夫妻で決め,「まじりけがなく自然のまま」という意味の「眞」の字に,「天性のものを失わず,自然に,飾ることなく,ありのままに人生を歩む」願いをこめて命名されたという。
相手〔小室 圭〕の状況など,報道されるような事情が含まれているか否かはわからない。また,この論考ではそこにはフォーカスしない。
ただただ,こうした誕生時に受けた素朴な親の願いが,婚姻という人生の大きな選択でも叶えられる環境が保障される状況が作られていないというのは,日本国民全体の責任であるとも思う。(引用終わり)
以上の参照では “余分な敬語・敬称” ははぶいておいたが,井戸まさえによるこうした議論(批判?)が,はたしてどこまで有効に射程距離が及ぶのか,おぼつかない点がある。というのは,法律学・政治学(行政学)・社会学の視点のみならず,歴史学・宗教学・文化史学などの視点からも検討・批判が要求される「天皇・天皇制」が問題になっていたからである。井戸の立ち位置に関していえば,言及のあり方でまだ遠慮がありそうだと感じられ,掘り下げ不足があった。
すなわち,当該の問題に関して「日本国民全体の責任である」といえても,天皇・天皇制に「賛成か反対か」などという見地とは,おそらく無縁の詮議になっていた。
【参考記事資料】
⑤ 橋爪大三郎(社会学者)稿「眞子さまの『ご結婚問題』がここまで長引いている『意外すぎるワケ もしいま区役所に婚姻届を提出したら… 』」『現代ビジネス』2019年8月16日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66514
1)「皇族の結婚はなぜ難しい?」
眞子さまのご結婚問題が長引いている。2018年2月に,2020年まで婚約・結婚の儀式を延期すると発表された。令和になっても,見通しがはっきりしない。皇族の結婚は,なぜむずかしいのだろう。それは,皇室典範があるからではないか。
補注)なお,本ブログ筆者のこの記述は2020年11月時点のものである。
憲法と皇室典範の関係を,考えてみよう。皇室典範には,かつての帝国憲法時代の旧皇室典範と,新憲法下での現行皇室典範と,二種類がある。どちらも皇室についての定めだが,憲法との関係が異なる。
旧憲法(帝国憲法)と旧皇室典範は対等(同格)で,いわばどちらも〈憲法〉だった〔つまり憲法そのものと憲法もどきとの2点があったが,後者のほうが優勢?〕。帝国憲法は,天皇は主権をもつ,と定める。皇室典範は,皇室について定める。議会は,皇室典範に口を出すことができない。
補注)そうであるならば,旧・皇室典範は旧大日本帝国憲法より上格・優位であったと解釈されていい。つぎの第62条があっても,である。
《第六十二條 將来此ノ典範ノ條項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ當テハ皇族會議及樞密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ》。
さらに帝国憲法には,
《第七十四條 皇室典範ノ改正ハ帝国議會ノ議ヲ經ルヲ要セス》,
とあるとおりだ。
さて,旧皇室典範のもとで,皇族は自由に結婚できなかった。
《第三十九條 皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認可セラレタル華族ニ限ル》,
《第四十條 皇族ノ婚嫁ハ勅許ニ由ル》,
とあるとおりだ。皇族の結婚は,天皇が許可するものだった。
結婚だけでなく,そのほかの自由も制限された。
《第三十五條 皇族ハ天皇之ヲ監督ス》,
とあるとおりだ。
もっとも,皇族だけに自由がなかったわけではない。旧民法のもとでは,一般国民(帝国憲法にいう,臣民)も,家長である戸主の同意なしに,結婚できなかった。皇族は皇統譜に記載され,天皇に従い,一般国民は戸籍に記載され,戸主に従った。
〔すなわち〕憲法と皇室典範は,どちらも似たような規定だったわけである。
「憲法 ⇔ 皇室典範」あるいは「憲法 ≦(≧?) 皇室典範」
として置いたつもりであった。
この点は,伊藤博文(いとう・ひろぶみ,1841-1909年)や井上 毅(いのうえ・こわし,1844-1895年),伊東巳代治(いとう・みよじ,1857-1934年),金子堅太郎(かねこ・けんたろう,1853-1942年)などに訊いてみるとよいが,いずれもいまは故人である。
あとは,日本政治思想史に関する専門書にあたって調べるのがよいが,なにせ「神国日本」といったふうに,前近代的にだが,古代史的な妄想を膨らませて構想した明治憲法の基本・中身であったゆえ,さらに皇室典範となればなおさらのこと,欧米流の民主主義政治理念を摂取させるわけにはいかなかった。
旧・大日本国憲法のなかには,「国家神道」の具現として,誇大なる「惟神(惟神)の観念」が漬けこまれていた。その結果としてなのだが,前段のごときに「皇族も臣民も〈家長である戸主の同意なしに,結婚できなかった〉」といった仕儀にあいなっていた。明治憲法は婚姻の問題をめぐっては,まさしく「民主主義的な社会発展」を全面的に阻害する “反動の役割” を果たしてきた。
このたびにおける眞子と小室 圭の結婚問題も,前段に言及したごとき「日本近代政治思想史」における出来事としてみれば,まったく旧態依然的に神国思想まみれである皇室・皇族〈観〉」の桎梏を原因に,「天皇家の人びと」側に固有であった「人間としての不自由さ」を,ありのままに再び露呈させた。敗戦という契機を通過してきた「皇室典範」は,必然的に捻転状態を余儀なくさせられていた。
それに対して,新憲法(日本国憲法)は,主権を日本国民がもつ,と定める。日本国民の基本的な権利もかかげている。そして皇室典範は戦後,立法機関である国会が定めた,数ある法律のひとつに過ぎなくなった。
このように,日本国憲法が上で,皇室典範が下。それなら皇室典範は,日本国憲法と整合していなければならない。憲法は国民の権利を保証する。結婚についてはこうある。成人男女が結婚すると決めれば,第三者はだれも,親であっても,妨げることはできないのである。
《第24条 婚姻は,両性の合意のみに基いて成立》する。
では皇室典範には,どう書いてあるか。
補注)以下は「本稿(その2)」でもすでに紹介してあった条項となる。
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は,皇室会議の議を経ることを要する。
第十一条 年齢十五年以上の内親王,王及び女王は,その意思に基き,皇室会議の議により,皇族の身分を離れる。
○2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。),内親王,王及び女王は,前項の場合の外,やむを得ない特別の事由があるときは,皇室会議の議により,皇族の身分を離れる。第十二条 皇族女子は,天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは,皇族の身分を離れる。
男性皇族が結婚する場合は,皇室会議の承認が必要。一方,女性皇族が一般国民と結婚する場合,承認は必要ない。が,結婚によって自動的に,皇族でなくなる。〔だが〕これとは別に,皇族が自分の意思で皇族をやめる場合には,皇室会議の承認が必要である。
第二十八条 皇室会議は,議員十人でこれを組織する。
○2 議員は,皇族二人,衆議院及び参議院の議長及び副議長,内閣総理大臣,宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て,これに充てる。
○3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は,各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。
要するに,三権トップのおじさんたちの会議だ。皇室会議は,首相が議長をつとめるので,政府の力が強い。皇族も2名くわわるが,議決は多数決か3分の2なので,多勢に無勢である。
3)「『皇族』は『国民』なのか否か」
皇族会議は,《成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織シ内大臣樞密院議長宮内大臣司法大臣大審院長ヲ以テ參列セシム》とあって,皇族の合議機関。天皇が主導した。政府は,オブザーバーにすぎなかった。
皇室をめぐる重大事案は,《皇族會議及樞密顧問ニ諮詢》することになっていた。ともかく,皇族の意思が優先する。戦後の皇室典範の「皇室会議」が,政府主導なのと,正反対の組織だったことが分かる。
さて,こうして,日本国憲法と皇室典範を読みくらべると,疑問が浮かぶ。
※ 疑問の第1 ※ 皇族は,国民なのか,それとも,国民でないのか。皇族は,憲法がすべての国民に約束する,基本的人権を保証されるのか。
国民は,戸籍に身分が記載されている。結婚は届け出制である。書類が整っていれば,届け出によって戸籍に結婚の事実が記載され,効力をもつ。
皇族は,皇統譜に身分が記載されている。皇室典範の第十条にあるように,男性皇族の結婚は,皇室会議の承認が必要だ。皇室会議のおじさんたちがウンといわないと,結婚できない。
国民と皇族は別々(皇族は国民でない)なら,これでよいのかもしれない。
けれども,憲法は,皇室典範より上位の法規範である。憲法に,皇族は国民でない,とは書いてない。それどころか,《第98条 この憲法は,国の最高法規であつて,その条規に反する法律,命令,詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は,その効力を有しない。》とまで書いてある。
これに照らせば,皇族も国民と同様,と考えるべきだ。その皇族に対して,国民すべてに保証されている結婚の権利を制限すれば,問題だと考えられる。それに対して,皇族は特別な人びとで,特権もある。国民とまったく同等と考えなくてもいいのでは,という声もあろう。
そうかもしれない。そうだとしても,日本国憲法は,皇族に関しても尊重されるべきだろう。法律が,皇族の人権を損なってよいということにはならない。皇室会議は,皇族の人権を,最大限尊重する義務がある。
補注)前段で言及してみた論点であったが,敗戦後に登場させられた「憲法(新憲法:日本国憲法)」と「新・皇室典範」とは,いつまでも “捻転するだけの間柄” を余儀なくされた。今回における眞子と小室 圭との結婚問題は「その捻転」だと表現した「矛盾の現象」の「一例」となって留まりつづけるほかなかった。
そして,これまで膠着してきた「眞子と小室 圭との結婚問題」を,眞子の父親である秋篠宮が打開するための理由を語る機会が,2020年11月30日に55歳の誕生日を迎えた秋篠宮自身の記者会見の場に設けられた。秋篠宮は父の立場から,眞子が小室 圭と『結婚することを認める』という発言をした。
秋篠宮自身が,このたびの「長女真子・結婚問題」にまとわりついていた困難は「日本国憲法と新・皇室典範」とのあいだに残されている問題性(その残滓としての積み残し的な矛盾点)である,と的確に認識できていた(と推察する)。彼は,この困難をなんとか解決して克服したい(させてほしい?)という希望を述べたものと解釈できる。
4)「眞子様が,区役所に婚姻届を提出した場合 … 」
※ 疑問の第2※ 女性皇族の結婚は,皇室会議の議を経ないのなら,どういう手続によるのだろうか。皇室典範には,その規定がない。結婚したらそのあと皇籍を離脱する,と定めているだけである。おそらく,まず区役所に婚姻届を出し,それが受け付けられてから,皇統譜から除くのであろう。
皇室には,婚約にあたる「納采の儀」など,伝統のしきたりがある。けれどもこれは,法律でない。これ抜きでも,結婚は成立する。それは,一般の国民がいざとなれば,周囲の反対などで結婚式を挙げなくても,駆け落ちしたりして,婚姻届を出すのと同じだ。
眞子さまと一般の男性が,区役所に婚姻届けを掲出したとする。書式が整っている。でも,区役所が保留にして,宮内庁に問い合わせたりするかもしれない。そうなれば,日本国憲法にとって,残念なことだ。
補注)橋爪大三郎が社会学者として,ここでのように「残念なことだ」と形容したものの,実際には「もしも,眞子がそうしたら」「区役所が保留にして,宮内庁に問い合わせたりする」ことは,99%以上,必定ではないか?(と予想できる)
婚姻届が確実に受理されるのは,眞子さまがまず皇籍を離脱し,一般の国民となってから婚姻届けを提出する場合である。けれども皇籍を離脱するには,皇室会議の承認が必要である。なおハードルが高いかもしれない。いずれにせよ,つぎのことを考えてみるべきだろう。
「当人と家族の問題」があった。
5)「女性皇族の結婚は,政府がかかわらない『私事』」
そもそもなぜ,男性皇族の結婚には,皇室会議の承認が必要なのに,女性皇族の結婚には,皇室会議の承認が必要ないのか。それは,男性皇族の配偶者が皇室にくわわり皇族となるのに対して,女性皇族の配偶者は皇族とならず,女性皇族自身も皇籍を離脱するからだろう。
結婚まで女性皇族はたしかに,「公」の立場にある。でもそれは,彼女の人生の一時期にすぎない。残りの人生を,人間として,幸福に生きていく権利がある。皇室典範はそのことも配慮している。よって,女性皇族の結婚は,政府がかかわらない「私事」なのである。
「私事」とは,どういうことか。
いまの皇室典範には,天皇が皇族を「監督」する規定もなければ,皇族会議の規定もない。皇室会議は,女性皇族の結婚に関与しない。つまりそれは,当人と家族の問題だ,ということである。
一般の国民の場合,結婚をめぐって,当人と周囲の意思が食い違った場合,当人の意思が優先する。日本国憲法は,そう定めている。皇族の場合も,私事であるのだから,日本国憲法の原則に従って,当人の意思のとおりにするのが,正しいであろう (引用終わり)
さて,橋爪大三郎の議論は「出発点」に立ち戻った感がある。
「皇族=私事」だからとはいっても,眞子と小室 圭の結婚問題は「皇族=公事」だという原点に控える前提問題に,結局,戻らざるをえない。どういうことか?
天皇の国事行為という条項があるが(憲法第7条),この国事行為は「公務」(?)という名称もまとうかたちで,皇后のみならず皇族たち全員にあっても,広範囲に役割分担させられている。このあたりに潜む現在における「天皇・天皇制」全般の,実質的な肥大現象が,実は,皇族女性たちの結婚問題にさいしても一定の影響を与えざるをえない。
平成天皇が皇太子であった若き時期,正田美智子を配偶者に選ぶに当たっては,周囲(皇族や旧華族)の目線は,一般国民(平民・旧臣民)からその候補が浮上することなど,初めから予定(完全に)外であった。しかし,いまの天皇(徳仁)も「令和の天皇」になる前に,小和田雅子を配偶者に選んでいた。
皇室典範が旧から新になっていたもの,その内実は旧態依然であり,いってみれば古証文的な質的性格をも有していた。この古代史的な感覚で編成された,それも,封建思想でもって濃い味付けをされていた旧・皇室典範が,敗戦直後に急遽,微調整されて,これも厚(薄?)化粧で明治神格天皇思想を隠そうとしたところで,その21世紀での不適格性はあまりにも無様に暴露されている。
そう観察できるとしたら,眞子と小室 圭の結婚問題は,「古代史的な幻想」✕「前近代史的な妄想」✕「敗戦後:民主主義政治思想」などの混淆体が,若いこの2人〔とはいっても彼らはすでに29歳同士〕を,わざわざ不格好にしかも不必要に振りまわしているといえなくもない。
つぎの ⑤ 論説はいまからほぼ4年は以前の発言であるが,ここまでの話題はどのような視角からさらに透視されればいいのか,その理由を説明している。
⑥ 編集委員・松下秀雄「〈政治断簡〉日本は誰の国なのか」『朝日新聞』2017年1月29日朝刊
a) トランプ米大統領就任式。映像をみた第一印象は「白いな」だった。集まった支持者の多くが白人だったからだ。指名された閣僚も大半が白人男性だ。オバマ前大統領の退任演説とあわせて考えると,こんなふうに思えてきた。
トランプ氏の「米国を再び偉大にする」は,昔のような「白人の国」に戻そうってことかな? オバマ氏は,いや「みんなの国」だといいたいんだな? 黒人の大統領を生んだ米国で,こんな揺り戻しが起きるのか……。
オバマ氏は演説で,米国はすべての人を受け入れる国だ,民主主義には連帯感が必要だと強調した。問題は,肌の色などの違いを超えてどう連帯するか。米国社会を研究する立命館大の南川文里教授に尋ねると,演説のキモを教えてくれた。
オバマ氏は,米国は最初から完全だったわけではないとし,「建国の父」のほか,奴隷や移民・難民,女性,性的少数者らが権利をかちとっていった歴史をひもといた。そうして「ともに変革をなしとげたわれわれ」という感覚をつくるのがオバマ流だそうだ。
b) 私たちは,日本を誰の国と考えているだろう。「単一民族国家」という意識が根強いけれど,実際には多民族・多文化国家だ。この国には沖縄やアイヌの人々が暮らしている。肌の色や顔つきは違っても,日本国籍をもつ人も大勢いる。
補注)日本国内ではまた,以前から「肌の色や顔つきはほとんど違わないでも,元・外国〔籍〕人だったが,いま日本国籍をもつ人も大勢いる」(実はこちらが多数派である)。
でも,外見が違えば「ガイジン」とみなしていないだろうか? 「○○系日本人という発想が,定着しているとはいえません」と南川さん。
アイヌの人からも「100%の国民として受け入れられていない」という声を聞く。沖縄で米軍施設建設に抗議すると「土人」「シナ人」とののしられたりするけれど,沖縄は地上戦を経験し,いまも基地の集中のほか,所得の低さなどさまざまな不利を強いられている。差別と感じ,声をあげるのがおかしいか?
日本は,この社会に暮らす「みんなの国」ではなく,少数派が生きづらい「大和民族の国」になっていないか。
補注)その「少数派」を隠蔽したがるだけでなく,その存在じたいを否定してきたのが,このヤマト国である。少数派が少数派として「顕在している〈状態〉」を許さない国が,この日本。
c) この問題を考えると,天皇制にたどりつく。日本人のイメージの中心に天皇がいる。
明治期に「国民国家」を築くさい,よりどころにしたのが天皇制。民族は大きな家族,天皇家は総本家。そんな国家像を描き,出自の異なる人たちに同化を強いる一方,対等には扱わなかった。
戦後は,「日本国の象徴」「国民統合の象徴」と位置づけられた。いまの天皇〔平成天皇・明仁のこと〕はたびたび沖縄を訪れ,沖縄の言葉で「琉歌」を詠む。福祉施設や被災地を訪ね歩く。弱者に寄り添い,それぞれの文化を大切にすることを通じ,国民統合のかすがいになろうとしているようにみえる。
そうした活動や国事行為を続けるのがむずしくなった時,退位するか否か。天皇が提起した問題は,天皇制とともに国民統合のあり方も問う。これは,私たち自身の問題だ。この機会に考えてみませんか。日本は誰の国なのか。(引用終わり)
◎ 敗戦までは「日本は天皇のための国だった」〔とされてきた〕。
◎ それ以後は「日本は国民のための国となった」〔と変更された〕。
◎ だが,憲法には「第一章 天皇」からして,こう規定されている。
------------------------------