「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」とは賃金・労働条件に則して観れば「1階部分と2階部分」を意味するのではないかと解釈してみたが,
そもそも雇用形態に関する厳密な整理ではなかった,その「2つの雇用だ」といわれた分類については,いまごろになってようやく,専門研究家によるいくらか理解しやすい解説が登場した
「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という名称を発明した識者(元国家官僚)の発想は,思いつき程度でそれを世間に流布させえたが,この野放図な非学問的・雑理論的な流布を,その後において放置してきた学究側の責任が,そろそろまともに意識されだした
要点・1 いまの日本における労働経済においては,ジョブ型雇用もメンバーシップ型雇用もない,コロナ禍においてこの2つの雇用形態の異同を強説したところで,たとえば人員整理のなにを説明できるのか?
要点・2 以下にネット上から任意にだが,関連する2つの事例を挙げておくが,この現象(事態・次元)に入った企業経営の現場における問題(事態)としては「ジョブ型雇用」も「メンバーシップ型雇用」もない
⇒ ANAは「2022年度までにグループ全体の社員を3500人程度削減する方針を固めた」2020年10月25日。
⇒ 東日本にある客室数500を超える大型ホテルで,2020年4月から新卒正社員として働いていた22歳の男性は,同じ年の10月末でこのホテルを退社したが,この「希望退職」というかたちではあるものの,コロナで経営不振に陥った会社から「入社1年目から3年目の社員」は,「組織スリム化」のためのリストラの標的にされたのだ。「希望退職」は名ばかりで,実質,選択肢のない失業だった。
註記)横山耕太郎「入社6カ月で “希望退職” 迫られたホテル勤務22歳が激白,コロナ失業の現実とは」『BUSINESS INSIDER』Nov. 16, 2020, 06:30 AM,https://www.businessinsider.jp/post-224102
要点・3 要は「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」とは現象面でフラフラとふわついた議論向きの用語であって,概念とか理論とはひとまず別物であった
① 太田 肇・同志社大学教授「〈経済教室〉ジョブ型雇用と日本社会(上) 企業が主体的に選択を」『日本経済新聞』2020年12月3日朝刊27面「経済教室」
※人物紹介※ 「おおた・はじめ」は1954年生まれ,神戸大院経営学研究科修了。京都大博士(経済学),専門は組織論。著作は,末尾のアマゾン広告で補足。------------------------------
1) この太田稿を引用する前に
太田 肇は経営学者である。「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」に関する討議としては初めて,まともに分かりやすい文章を書いて議論をしてくれた。なにせ,学問の思考水準とはとうてい,いえなかったような,この「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という「対・概念」が世間に広まってきたために,関連してなされてきた雇用形態に関した議論は,ある意味でというまでもなく,尋常ではない経路をたどってきた。
労働経済学者や人事・労務管理論の研究者が,なにゆえ,この程度(思いつきの範囲で日本企業における賃金形態を現象的に,つまり,表層的のみ発想したもの)でしかありえないできたのか,この「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」を,いままでそのまま放置してきたのか,本ブログ筆者は強く疑問に感じていた。
しかし,この太田 肇の説明を読んだとき,一定限度には納得のいく議論がなされていると感じた。だが,太田によるこの議論も「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という用語(もともと概念ではなかったし,厳密な理論規定も欠くもの)を使用してなされるとなれば,いろいろとノドごしの悪い〈なにか〉を残している。この点の指摘はさておき,ともかく太田の議論を紹介する。
さきに,この太田 肇の寄稿「ポイント3点」を挙げておく。いきなり断わっておくが,この3点じたいが「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という用語の組みあわせをもちだした発想(議論の方途)そのものが,もともと不適切にならざるをえないた事情を教えている。
○-1 労働市場の未発達や企業別労組が障壁に
○-2 多数の中小企業にはジョブ型はなじまず
○-3 厳密な職務分類は変化への柔軟性を欠く
「障壁 ⇔ なじまず ⇔ 柔軟性」という3つのことば:表現は,当初から「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」といった「対・概念」(?)が,日本労働経済における雇用形態や賃金体系をめぐる問題の総体:全容を,うまくすくいとれる思考を提供しえていなかった歴史事情=事実を明示している。
2) 以下に,太田 肇の説明を紹介する
a) 新型コロナウイルス感染症への対策として,わが国でもテレワークが急速な広がりをみせている。ところが,テレワークは日本の雇用システムと相性がよくない。そこでさかんに唱えられるようになったのが,伝統的な「メンバーシップ型」雇用から,欧米で一般的な「ジョブ型」雇用への転換である。
背景にはつぎのような事情がある。
まず,メンバーシップ型が集団的な執務体制を基本にしているため,社員同士が物理的に離れていると仕事に支障が生じるうえ,勤怠管理や人事評価もむずかしい。その点,ジョブ型なら成果をチェックすればよいので仕事を個々人に任せられるし,離れていても評価がおこないやすい。
もうひとつの事情として,コロナ禍で仕事量が減り,これまでどおりの雇用を維持するのが困難になったことがあげられる。社員を囲いこむメンバーシップ型からドライなジョブ型へ切り替えようとする動きの背景には,かつての成果主義導入時と同様の意図がみえ隠れする。しかし,いざわが国でジョブ型雇用を導入するとなると,そこにはいくつもの壁が存在することをしっておく必要がある。
第1に,雇用制度の壁がある。 欧米では契約にもとづいて,1人ひとりの職務内容や報酬を細かく記載した職務記述書(ジョブディスクリプション)が雇用主と従業員の間で交わされる。したがって,かりにその職務が要らなくなれば最終的には職を失うことになる。
ジョブ型への切り替えを表明している一部大企業のように関連会社をたくさん有する場合,グループ内の異動によって職務を継続させることもできようが,比較的規模が小さい大多数の企業ではそれができない。しかし,わが国では外部労働市場が十分に発達していないうえ,判例などで正社員の雇用が厚く保障されているため,職務が不要になったからといってすぐに解雇するわけにはいかない。
また,年齢・勤続年数に応じて給料や職位が上がるメンバーシップ型と違って,ジョブ型のもとでは職務のレベルが上がらないかぎり昇給も昇進もできないことになる。はたしてそれを社員が,そして日本社会が受け入れるだろうか。
第2に,労使関係の壁がある。 欧米では職業別や産業別の労働組合が力をもつのに対し,わが国で主力を担うのは企業別労働組合である。企業別組合は社内の一体感を重視するため,職務によって雇用条件や給料に差がつくジョブ型を容認するか疑問である。
第3にあげられるのが法律の壁である。 ジョブ型は時間ではなく仕事の成果を重視するが,労働基準法は一部の職種を除き原則として労働時間で管理することを前提にしている。したがって企業として社員の労働時間管理から自由になることはむずかしいし,社員の成果責任を問うにも限界がある。
b) これらはいずれも日本社会に特有の壁だが,さらにジョブ型には国や文化の違いを超えた,より本質的な問題もある。
まず中小企業は,業務量も人員も限られている。そのため,1人ひとりに細分化された職務を担当させるより,複数の業務を受けもたせるか,まとまった仕事を任せるほうが効率的である場合が多い。そう考えると大企業はともかく,中小企業にジョブ型はなじみにくいといえよう。
補注)ここでは,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という組みあわせをもって,日本の企業(大企業も中小企業も含めての話)の雇用問題や賃金管理の問題を,直接に論じようとする「企図そのものの不適合性」が指摘されている。
〔記事に戻る→〕 もうひとつは,そもそもジョブ型が現在,そして将来の経営環境にマッチするかという問題である。欧米で職務主義が普及したのは産業革命後の工業社会全盛期である。とりわけ少品種大量生産型システムのもとでは,会社全体の業務をブレークダウンして1人ひとりの職務を定義し,担当させるのが効率的だった。
ところが,工業社会からポスト工業社会へ移行し,情報化,ソフト化,グローバル化が進むにつれ,経営環境の変化は激しくなり,企業の業態も業務内容も急速に変わる。そうなると社員も環境変化への柔軟な適応が求められる。
補注)日本の産業社会のほうではいまごろにもなって(も),「職務給・職務評価」の問題がそれも,もともとは横断的賃金市場が労働経済のなかでは主流として存在して(主流として制度化されて)いなかった「歴史的な事情」を,このたびの機会になって再び議論する以前(最中?)にすでに,時代の流れはこのように情報社会(IT)化していた。しかし,そのなかでなお,従来型になる雇用形態・賃金体系のしがらみが重くのしかっている実情を前提にしてしか議論のしようがなかった。
〔記事に戻る→〕 その点,職務内容を細かく定めて契約する職務主義は,柔軟性に欠けるといわなければならない。実際に欧米企業でも,近年は細かすぎる職務ランクの見直しがおこなわれている。
c) このようにジョブ型普及の前にはいくえもの壁が立ちはだかっている。それを踏まえると,ジョブ型雇用をめぐる今後の展開としてAとB,2つのシナリオが描ける。
『シナリオA』は,ジョブ型の看板は残しながら,微修正もしくは換骨奪胎されたかたちで広がる可能性である。参考になるのが,かつて「職能資格制度」や「成果主義」がたどった道である。
1970年代に広く浸透した職能資格制度は本来,年功ではなく職務遂行能力にもとづいて処遇するという趣旨の制度だった。しかし多くの職種では「能力」の客観的な指標が存在しないため,経験とともに能力が向上すると仮定せざるをえなかった。その結果,皮肉なことにむしろ年功制にお墨付きを与えるかたちで日本企業に定着した。
補注)1970年代からといわれているこの職能資格制度は,まだ高度経済成長時代であれば「年功制にかぶせるお面」として,そのままに有効であった。敗戦後から占領軍の指導もあって,日本の企業が一時において盛んに,それもなんども導入を試みた「職務給・職務評価」制度は,そのたびに換骨奪胎されてきた。
いってみれば,当時における「日本的経営」の土壌にその「職務給・職務評価」制度を植えてみたところで,しばらくすると枯れていくほかなかった企業環境が,日本の経済構造としては所与であった。
すなわち,雇用形態や賃金体系の改変を試みようにも,日本の大企業が「三種の神器」(年功序列制・終身雇用制・企業内組合)をもつとされた状況特性のもとでは,欧米型の横断的賃金市場が背景にない労働経済事情を踏まえて考えれば,個々の会社ごとの雇用形態や賃金体系に抜本的な変革を期待することは不可能であった。
〔記事に戻る→〕 2000年前後に流行した成果主義も,個人の成果にもとづいて処遇するというのが建前だった。ところが,日本的な組織や人事システムのもとでは,成果をあげるための条件を社員に公平かつ納得できるかたちで提供することができない。そのため短期間のうちに大幅な見直しや事実上の撤回を余儀なくされる企業が相次ぎ,結局のところ従来の枠組を残しながら「成果」的な要素の比重を高める程度で落ち着いた。
補注)以上の経過については,なかでも高橋伸夫『虚妄の成果主義』日経BP社,2004年や城 繁幸『内側から見た富士通』光文社,2004年,溝上憲文『偽りの成果主義』光文社,2004年などが公刊され,あげくは,斎藤貴男ほか・東京管理職ユニオン編著『成果主義神話の崩壊』旬報社,2005年,などとまで結論されていた。
さらに中村圭介『成果主義の真実』東洋経済新報社,2006年になると,「成果主義の運用実態を深く調べることなく批判する者もいれば,成果主義が万能薬であるかのように説く者もいる。その首相は正反対だが,スローガンが1人歩きしている点では同じだ」とまで論断されていた。
さらにいえば,本日の記述で問題にしている「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」も,おそらく同様に歩んできている。すなわち,「スローガンが1人歩きしている点では同じだ」といえそうであり,ジョブ(job)主義だと強調されたところで,成果主義の場合と同じに日本の産業社会のなかで,あれこれととりあげられ言及されてはいるものの,その割には聴くべき価値のある中身の議論,あるいはみるべき実体をともなう主張はなかった。
その内実はとみれば,「21世紀の現実における日本の会社」が当面してきた雇用形態・賃金体系からは浮き上がった,いいかえれば現象ベッタリズムに先走った「ジョブ型雇用」だ,いや「メンバーシップ型雇用」だというたぐいの議論ばかりであった。本日とりあげている『日本経済新聞』「経済教室」に登壇した専門学者の説明をもって,初めてまともな議論を聴けた気分になっている。
〔記事に戻る→〕 そして今回,ちまたでは早くも「日本式ジョブ型」といった言葉がささやかれるなど,多くの企業がメンバーシップ型とジョブ型の折衷を図るあたりに,落としどころを探っている様子がうかがえる。
一方,『シナリオB』は,限定された範囲で比較的純粋なジョブ型が導入されていく可能性である。〔ここで〕筆者〔の太田 肇〕は,個人の分担を明確にする方法として,ここでいう
ジョブ型に対応する「職務型」のほか,
個人の専門性で分ける「専門職型」,
1人でまとまった仕事を受けもつ「自営型」
の3つを提示している。
ただ,すべての社員がいずれかのタイプに置きかえられると考えるのは現実的ではない。従来のメンバーシップ型も一定の範囲で存続するであろう。また正社員以外に,いわゆる非正規や業務委託などの形態がとられる場合もある。
補注)ここでは太田 肇が「従来型のメンバーシップ型(雇用)」という用語を,まさかであるが,学術的な定義が定まっていたかように使用している。そう聞こえるが,それでいいのかという疑念が残る。
日本的経営が成立していた日本の大企業における雇用形態に関する議論となる。そこでの「メンバーシップ型雇用」は,日本的経営の「三種の神器」性を包摂・包括した概念として想定するのか,という疑問が生まれる。このあたりに関する厳密な議論はなされていない。ただなんとなく漠然と,日本的経営=「リーダーシップ型雇用」と規定されている。
日本的経営を深く解明した論者の1人,間 宏の著書『長期安定雇用』文眞堂,1998年は,「長期雇用そのものは存続するが,その範囲の縮小と,内容の希薄化により慣行としては意味は薄れる」と予測していた。この予測はほぼ的中していた。ところが,問題は,間のこの指摘にあった “日本的経営の21世紀的な現状” が,もっぱら「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」として想像(把持)されたところに,残されていた。
間 宏も「長期雇用……の縮小と,内容の希薄化」という予測を提示したさいに念頭に置いたと思われる文献,新・日本的経営等研究プロジェクト『新時代の「日本的経営」-挑戦すべき方向とその具体策-』日本経営者団体連盟,1995年が無視できない。しかも,本書にかけた日経連のもくろみは注意して受けとめられねばならなかった。
要は,「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」といったような,用語(概念?)じたいとしては,一見したところ,たいそううまく整理(キレイに整備)されたかのように映るかもしれないが,どちらかといえば,その〈対比〉を強調した〈想念的な類型〉」をもってしては,「21世紀における日本経営の合理化方向」として現に現象している,より具体的にいえば「非正規雇用・労働者群」の発生,この歴史的な本質は把握しきれない。
ここでは,あえてしごく単純化した話題として,こう述べておく。
ジョブ型雇用 ⇔ 非正規雇用
メンバーシップ型雇用 ⇔ 正規雇用
この左右に出ている用語は,そもそも,もとより比較するために(も)準備されていたにせよ,本来より異同があったはずである。同じ対象を指差しているだけのつもりならば,用語としては交替させればいいのであるが,そうはされていないとなれば,そこには単なる混淆ではない錯綜が発生していた。
「非正規雇用と正規雇用」のなかからなにか都合のよい要素に着目し,これを抽出したつもりになって,「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」の対・概念が提示されていた。繰りかえすが,同じ対象をコトバだけを変えて表現したかったのであれば,一方の組みあわせ(あとに出てきたそれ)は要らなかった。
「非正規雇用と正規雇用」⇔「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という対(つい)的な「概念(観念)の対照化・手順」でもって,非正規雇用にまつわる諸問題(低賃銀と悪労働条件)が,なぜか後景に追いやられ,不必要にもあいまい化させられてきた。その創案者である濱口桂一郎は,この種の意図せぬ結果を,いかに受けとめているのか。
〔記事に戻る→〕 〔前掲の〕図表は,それぞれのタイプに適合しやすい職種・仕事などを例示したものであり,社内に複数のタイプが併存することになる。なお簡略化のため「専門職型」は省略している。
どちらのシナリオが実現するかは個別企業の選択にくわえ,法制度の改革も含めた政策に依存するところも大きい。いずれにせよ,企業は流行に踊らされず,自社の業務になにが最適であるのかを詳細にみきわめ,柔軟に使い分けをする判断力が求められよう。(引用終わり)
「非正規雇用と正規雇用」と「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」との対照でいえば,前者は学術用語として定着している対概念であるが,後者はそうではなく通用語としていつの間にか産業界に住みついたそれであった。
しかし,その2組の対・概念が適当に(いい加減にという意味で)使用されつづけるとなれば,「非正規雇用と正規雇用」⇔「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という「対的な概念(観念)の対照化」によって,「前者の労働経済的に深刻な問題性」が「後者のはやりコトバ的な消費の問題性」のなかに埋没・解消される危険性が,現実に進行中である。
つぎの ② では,最新の議論と主張となっている記述を紹介したい。
②「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」という思考にとらわれない方向
① のごとき詮議をしてみたあとに,つぎの記述をみつけたので,少し長めだがこれを引用しておく。
★ 日本企業が「ジョブ型」雇用に飛びつくべきではない,これだけの理由 ★
= 中村天江[リクルートワークス研究所 主任研究員]『BUSINESS INSIDER』Sep. 14, 2020, 07:00,https://www.businessinsider.jp/post-219982 =
※人物紹介※ 「なかむら・あきえ」はリクルートワークス主任研究員,博士(商学),専門は人的資源管理論。「労働市場の高度化」をテーマに調査・研究・提言をおこなう。 「2025年予測」 「Work Model 2030」 「マルチリレーション社会」 など,未来の働き方を提案するプロジェクトの責任者や,政府の委員を歴任。著書に『採用のストラテジー』(単著),『30代の働く地図』(共著)などがある。
新型コロナウイルスの流行以降,ジョブ型雇用への注目が高まっている。アフターコロナで在宅勤務が増えるなか,ジョブ型雇用が注目されている。しかしそこには,見逃されている点が。飛びつくのは早いかもしれない。
もともと日本企業は,経営のグローバル化やDX(デジタルトランスフォーメーション)により,年功序列,終身雇用といった伝統的な雇用のあり方に限界を感じていた。それにくわえ,テレワークの浸透にともない,従業員の姿がみえないなかで成果をあげる人材マネジメントが必要になってきたことがある。
テレワークの問題は中小企業も直面しているため,いまやジョブ型雇用への関心は企業規模によらず拡がっているが,3つの重要な観点が放置されている。
補注)ここで「ジョブ型雇用」とは「仕事そのもの」「職務じたい」による「雇用」とでも,日本語では表現したほうが適切である。このジョブ型雇用という用語が通俗的に使用されているかぎり,① で詮議してきた具体的な問題性はかき消されてしまう危険性がある。この点を承知のうえで,以下につづく記述に進みたい。
1. ジョブ型雇用には2つのタイプがある
ジョブ型雇用への転換企業としてしばしば名前があがる日立製作所は,実は2011年に人事制度の大改革に乗り出している。つまり,コロナ禍にともなう施策ではなく,企業経営を支える人材戦略として,長い時間をかけて雇用システムを進化させているのだ。
ここに注目すべき点がいくつか潜んでいる。
まず,日本企業はこれまで,アルバイトなどのいわゆる非正規雇用でジョブ型雇用をおこなってきたが,これは業務の効率化や人件費の削減といった「守り」のジョブ型であり,新たな競争優位を生み出すための「攻め」のジョブ型ではなかったということだ。しかし,グローバル化やDXで求められているのは,攻めのジョブ型雇用である。
同じジョブ型雇用でも,めざすゴールが異なれば,人材マネジメントの要は異なる。ジョブ型雇用の導入検討においては,なぜ雇用制度を変える必要があるのか,企業内で認識をそろえることがまずもって必要である。
2. 成果主義や解雇はジョブ型雇用ではない
コロナ禍により関心が急速に広がったために,「ジョブ型雇用にすれば解雇しやすくなる」 「成果主義のジョブ型雇用」 といった解雇のしやすさや成果主義を,ジョブ型雇用と混同した言説が散見されるようになっている。しかし,ジョブ型雇用だからといって解雇しやすいわけでも,メンバーシップ型雇用だから成果主義を導入できないわけでもない。
補注)ここの記述だけでも,うっかりに「成果主義経営≒ジョブ型雇用」と理解してはいけない点が明述されている。つまり,ジョブ型雇用そのものが,かなり先走りしてきた〈疑似理論的な概念・内容〉であった事由も,同時に示されている。
〔記事に戻る→〕 職務の内容を明確にし,職務ごとに給与が決まるジョブ型雇用は,アメリカやヨーロッパで広く普及している。たしかに,アメリカは “Employment at will” により従業員の解雇が容易だが,欧州には解雇規制のきびしい国もあり,フランスやドイツの平均勤続年数は日本とそう変わらない(労働政策研究・研修機構 「データブック国際労働比較2019」 )。
ジョブ型雇用だから解雇しやすいのではなく,アメリカという職務起点で解雇可能な人事制度が普及している国があるに過ぎない。ジョブ型雇用の導入議論を突きつめると,「そのジョブがなくなったときに従業員の雇用をどうするのか」という点が出てくる(リクルートワークス研究所「正規・非正規二元論を越えて-雇用問題の残された課題から-」など)。
なので,ジョブ型雇用といっても,実は雇用保障のあり方については手をつけず,各人に任せる職務の内容を明確にしたジョブ型「人材マネジメント」をイメージしている企業は少なくない。くわえて,成果主義にいたっては,ジョブ型雇用か否かにかかわらず,すでにかなりの企業が導入済みである。大企業の導入率は5割を超えている(厚生労働省 「平成29年就労条件総合調査」 )。
補注)この段落でも「ジョブ型雇用」という用語の,いままでにおける締まりのない使用方法が指摘されている。それゆえにか,日本の企業内では,なににでも「ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用」の枠組を適用できそうに考えてきた嫌いがあった。この枠組に依った用法は,以下においてもふつうに出ているので,留意をしながら読むことにしたい。
組織の成果や業績を高めたり,柔軟な人材活用をめざしたりするだけであれば,必らずしもジョブ型雇用に変える必要はない。なぜなら,つぎのポイントで述べるように,真正のジョブ型雇用を導入し,運用するのは,大変だからだ。
補注)ここでは「真正のジョブ型雇用」という形容まで登場した。この点に照らしてみただけでも,ジョブ型雇用という用語が融通無碍に使いまわされてきた「実績」が分かるというものである。
3. 職務記述書を整備し,人材を評価するのは大変
ジョブ型雇用は,人材マネジメントの作業量の増加につながる。欧米企業の人事経験者に話を聞くと,こんな声が上がる。
「ジョブ型雇用って大変ですよ。膨大な仕事を分解して,それぞれの職務記述書をつくって,さらに毎年更新していかなければなりません。そのうえで,従業員を適切に評価し,本人にフィードバックし,納得させなければならない。人材マネジメントにパワーと時間が非常にかかります」。
日本的雇用のメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用のもっとも本質的な違いは,下図のように,人材がいることを前提に仕事を振りわけるのか,職務内容(ジョブ)を先に決めてその職務を遂行できる人材に任せるのかという,人材と仕事内容のマッチングの仕方にある。
メンバーシップ型雇用では担当する職務の境界があいまいなので,能力と意欲があれば,仕事を広げていくことができる。一方,ジョブ型雇用では職務の範囲が厳密なので,たとえば課長の職務であれば,部長のスキルや経験があったとしても,課長の仕事しかできない。
ジョブ型雇用では職務が高度であれば給与も連動して高くなるが,メンバーシップ型雇用では高度な仕事をしていても給与が安かったり,逆に給与は高いのに大した仕事をしていなかったりということが起こる。
補注)以前に触れたことがあるが,日本的経営では,たとえばサービス残業産業によって終身雇用採用の従業員に支払われる「時間当たりの給与水準」がひどく安くなる状況を防げない。もちろん,その残業時間に手当が正当に支給されれば,この種の問題は起きないが,「起きているほう」がふつうであり,多数派である。
このように,ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用には,人材と仕事のマッチングに関する根本的な違いがある。
「テレワークでも従業員が自律して働き,組織の成果をあげられるようにしたい」という理由だけで,すべての職務を言語化しなければならないジョブ型雇用をめざすのは,やりすぎではないだろうか。
日立製作所がジョブ型雇用に舵を切ったのは,世界中の組織を横断して,優秀な人材を獲得し活用したいとの考えがあったからだ。では,日本企業がめざすべき雇用のカタチはどんなものなのだろうか。
筆者はそれは「ロール型雇用(役割型雇用)」だと考えている。ロール型雇用とは,従業員1人ひとりが担う役割を明確にし,期待役割と役割成果に応じて給与を支払う雇用制度だ。
〔そこで〕ロール型雇用と,ジョブ型雇用やメンバーシップ型雇用との違いは下記である。以下〔 〕内補足は引用者。
職務を起点とするジョブ〔仕事・職務〕型雇用では,職務記述書の整備が前提になるが,ロール型雇用はあくまで組織の構成員それぞれの役割を明確にする雇用制度なので,職務記述書をメンテナンスする必要はない。
人材を起点とした雇用制度という点で,ロール型雇用とメンバーシップ型雇用は同じだが,メンバーシップ型雇用と違い,従業員同士の仕事の境界がはっきりしている 。
つまり,雇用継続を前提としつつ,従業員1人ひとりが担う役割をはっきりさせ,日々のマネジメントや仕事内容と評価・処遇と連動を強化するというのが,ロール型雇用の狙いである。これは伝統的な日本的雇用をベースに,ジョブ〔仕事・職務〕型雇用の利点を取り入れた,「日本的ジョブ〔仕事・職務〕型雇用」ともいえるだろう。
日本総研の山田 久氏は,雇用のあり方として,若い時は職能ベースで人材を育成し,経験を積んだ年代は職務ベースに移行する,職能 × 職務の「ハイブリッド型雇用」を提唱している(山田 久『失業なき労働移動』)。
一方,「ロール型雇用」は,年代によらず人材に任せる役割を明確にし,役割給の比重を高めるものである。両者は,日本企業がジョブ型雇用の利点を取り入れるといった点は共通するが,仕組が異なるものである。
補注)この主張は要するに「年功制の否定・排除」を意味する。
グローバル化やDX,テレワークは今後も広がっていく。だからといって,日々の働き方の基盤であり,経営活動の源泉である雇用制度を変えるのは容易ではない。ジョブ型雇用というマジックワードに安易に飛びつくのではなく,経営のめざす方向や人材戦略に応じて,雇用制度を検討していくべきだろう。(引用終わり)
ジョブ型雇用という用語がマジックワードだとまで形容される点は,この用語の融通無碍性を端的に指示している。ジョブ(job)は仕事・職務・業務という意味の英語である。この用語(片仮名語)をゴミ入れ箱のように使いまわしていること,「これがマジックだ」といえばマジックだといえなくはない。しかし,学術用語の説明にマジックは不要であった。
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【「本稿」の続編は( ↓ )】
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