夫婦別姓は絶対にダメだという高市早苗議員の,明治後期的に硬直した発想の救いがたい論理破綻のリクツ,歴史的にもなんら実証性のない単細胞的な思いこみ

 論理性も歴史性もなにも備えていない高市早苗流の日本的家族観は,支離滅裂の「家族の絆」信奉「感」であるが,昨今における日本の家や家族のあり方の問題は,そのような空虚な信念で議論しうる対象ではない

 

  要点・1 夫婦同姓「観」を絶対観念的に最上・至善と思いこみ,別姓への批判として「議論にならない議論」を繰り出す高市早苗議員の薄識ぶり

  要点・2 先進国としての位置づけすら最近はあやしいこの日本国であるが,家・家族観において,みずから意味不明の後進的な定位置に執着する,日本会議風:高市早苗的な脳細胞不活性的な民法「観」

【参考画像】高市早苗,22年前(1998年)のお写真-

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  別姓だけでなく複合姓も認めたくない日本のきわめつけの「世界における,とてもローカルかつイナカ的な特殊性」

 なお,以下にあれこれ引用・紹介する前に断わっておく点がある。とくに自民党系の極右・反動議員たちは,先進国のなかでは実に奇怪な「家族の絆」観をもっている。すなわち,夫婦間で使う姓を同姓にするか,それとも別姓にするかという問題に対してとなると,日本会議風に「日本(人?)の夫婦のことだから,別姓は絶対にダメで,同姓にすべきだ」という主張が問答無用的になされている。 

 最初に以下で引用する「〈世界どこでも住めば都,国連職員ニョコボク日記〉名字を変えました  国連の職場から女性の結婚後の姓について考えた」『The Asahi Shimbun GLOBE』2020.01.27,https://globe.asahi.com/article/13052154  という一文のなかに,つぎの段落があった。

 --先進国で夫婦同姓が義務なのは日本だけと聞きますが,国際結婚やLGBT婚などパートナーシップも生き方も仕事も多様化していくなかで,日本もユーザーと各家族側の都合と意志で選択できるといいなと思います。

 ポルトガル人の友人に日本は結婚すると,どっちかが名字を変えないといけないんだという話をしたら,「ポルトガルなんて70%離婚するんだよ? 名前そのたび変えてたら超大変なんだけど」といわれましたが,女性も男性と同じように仕事をする社会になってきていますから,結婚しても名前を変える必要がないというのはとても現実的なオプションだと思います。

 もちろん,結婚して家族みんなで同じ名字がいいね(!)というもありですが,日本で別姓選択の話が出るときに出てくる「名字が一緒の方が家族の一体感が高まる」ということもないのではないか,と私は思っています。事実,名前が変わったから家族の意識が高まったということもないですしね。

 「野副パーソンズ,響きがかっこいい!」といわれましたが,使ってないのでまだ気恥ずかしさしかないです。結婚して名前を変えた人はみな通る道なんでしょうか。余談ですが,昔学生時代に「ジル」さんという名字のイギリス人とデートしたことがありますが「私はこの人と結婚するとジル・みおになるのか… 嫌だな… 」と思ったのが懐かしいです(1回で終わってしまいましたのでまったくの杞憂でした)。


 「国際結婚:名前の話1 -複合姓 (15) 」『Memorandum』Jan 16, 2005,https://plaza.rakuten.co.jp/happylife2/diary/200501160000/

 このブログはいまから15年も前の文章になっているが,「別姓は絶対ダメ,同姓でなければ,ケシカラヌ」という発想の “奇妙奇天烈さ” を,適切に話題にしている。国際結婚をした日本人女性が語っている。

 親戚はみんなファーストネームもミドルネームもくつっけて呼んでくれる。そして,わたしも~。スペイン語と日本語の姓をもっている。複合姓というもの。言葉のとおり,姓が2つあるということ。

 しかし,これは〔日本での事情のことについてだが〕よっぽどの理由がないかぎり,そう簡単には認められないことはすでにしっていたので,結婚した当初わたしはダーリンの姓だけを名乗る予定であった。

 国際結婚の場合,面白いことに夫婦別姓が可能である。相手の姓を名乗りたくない場合,氏の変更をしなければ,自分の姓のままで戸籍が作られる。

 補注)「国際結婚の場合,面白いことに夫婦別姓が可能である」という受けとり方は過剰(過敏)な反応での表現である。というのは,国際結婚したら別姓になるという法的なあつかいは,世界中でいくらでもあるからである。

 国際結婚した日本人が子どもを儲けている場合,子どもたちは「2つの姓」を生まれたときからすでにもっている。将来,彼らは20歳から22歳になる間に,片方の親の日本国籍を選んだとしても,もう片方の親の国籍がなくならず,そのままもちつづける場合はいくらでもある(これは事実の問題)。

〔記事に戻る→〕 よく,結婚するとき入籍するいう表現がある。これは,相手の戸籍に自分が入るからなのであるが,国際結婚の場合,この言葉は適用されない。日本人は日本人だけで単独の戸籍ができあがり,結婚した事実は記載されるのだが,世帯主は自分になるのである。なので,こどもができたときはこどもは自分の戸籍に入る。外国人は戸籍に入れないのだ。

 補注)「戸籍」というものをいまだに正式に使用しているのは日本くらいである。隣国の韓国では使用しなくなった。専門家の説明は以下のようになっている。昔,日本の戸籍をお手本にして(旧日帝の植民地だったので,実際は半強制的に受容させられてきたが),戸籍の制度を置いてきた韓国であったが,この戸籍の問題を「問題あり」とみなすほかなくなり,改正していた。

    ◆ 韓国の戸籍制度廃止と家族関係登録簿について ◆
 =『はな司法書士事務所ブログ』2014年4月17日,https://office-hana.org/blog/2014/04/韓国の戸籍制度廃止と家族関係登録簿について/ =

 

 韓国でも以前は日本と同じような戸籍制度が存在し,戸籍謄本が作られていました。内容は日本の戸籍とほとんど同じものでした。しかし,2008年1月1日に戸籍制度は廃止され,それまでの戸主を中心とした家族中心の制度から個人を中心とした制度に改められました。

 

 そして,それまでの戸籍謄本にかわり個人別に家族関係登録簿が作成され,家族関係登録簿に沿った個人別の証明書が発行されることとなりました。それに伴い本籍地という概念もなくなり,本籍地に相当するものとして登録基準地というのが設けられました。登録基準地は変更申請していないかぎり,従前の本籍地と同じです。

 

 家族関係登録簿の証明書は5通に分かれていて,従来の戸籍のように1通ですべての身分事項が分かるようにはなっていなく,記載事項別に基本証明書,家族関係証明書,婚姻関係証明書,入養関係証明書,親養子入養関係証明書に分かれています。

〔 ② の記事に戻る  ↓  〕

 ちなみに住民票も自分とこどもだけである。住民票にはわたしが世帯主になってるので,一見するとまるで母子家庭のようにみえる。実際何万人というなかから調査対象に選ばれたことがある。母子家庭なんたらかんたらという調査の封筒が役所から役所から来たときは,爆笑してしまった。(^^;)

 ダーリンの国コロンビアでは,自分の名前に父方のファミリーネーム,母方のファミリーネームがあるため,婚姻届を提出するとき,当然ながら,両方のファミリーネームが彼の書類には記載されていたので,それをそのまま記載したら,なんとその2つの名前がわたしのファミリーネームになるといわれて驚いてしまった。

 このダブルネーム,多分ラテン系の国は,けっこうみんなそうなのではないかなって思う。女性の場合結婚するとパートナーの父の姓,自分の父の姓となる。

 ここで前後するが,現在における韓国の家族関係登録については,つぎのごとき指摘もある。それにしても,日本の戸籍制度が昔(いつごろを指すかは後段で触れるが)からほとんど変わっていないという「半封建的な後進性」がめだつ。

 韓国における問題はそうした父母「姓」併記を選択しても,合法的なものでなく,戸籍上は

 

  (1)「父の姓」を正規の「姓」としているか,

  (2)上述の2008年の法改正に伴って婚姻届提出の際に夫婦間の同意を条件に例外的に         「母の姓」を正規の「姓」としているか,

 

のいずれかだ。つまり日本でいうところの運用上での「通称使用」または「旧姓使用」に近い。

 

 ゆえに子供が生まれた場合は,子供の姓には戸籍上の父親か母親のいずれかの「姓」を付けることになる。中華圏では結婚を機に林鄭月娥氏のように,夫と父親の姓同士を合成させるのに対して,韓国では趙韓惠浄氏のように結婚いかんとは無関係に,自身の父母の姓を合成させるという傾向がみてとれる。

 

 ちなみに,韓国でその例外を認めた2008年の法改正は,大統領選挙と関係がある。2002年の大統領選挙で「戸主制の廃止」を公約とした左派・進歩系のノ・ムヒョン(盧 武鉉)候補が当選した。以降,法改正に拍車がかかり,日本の半島統治時代から戸籍制度に欠かせなかった「戸主制」は2008年に廃止されたのだ。

 註記)「〈W解説〉韓国人が『夫婦別姓』議論の日本に優越感を感じているのは『男女平等』の証なのか?」『YAHOO!JAPAN ニュース』2020/11/18 (水) 16:13配信,https://news.yahoo.co.jp/articles/1f2e7e99384624a3d3d5eb42a46e4947c4b52961(元記事『WoW Korea』)

 いずれにせよ,戸籍の廃止=合理的な方向に向けた近代化という点では,日本は韓国に完全に遅れをとっている。おまけに,日本は逆方向(反動的に明治「後期」回帰思考)の観念に囚われたままである。

 以上の記述を踏まえてから,つぎの ③ の記事を引照すると,日本の場合と比較の対象にもちだした韓国の現状との対照性にびっくりしてもいいはずである。日本側にあっては,まさに旧態依然,時代錯誤的に化石的な想念に凝り固まったままの「国会議員」がいる。

 

 夫婦別姓,自民内で紛糾 反対派『日本は日本』/ 賛成派『後退させぬ』  結論は再延期」朝日新聞』2020年12月9日朝刊4面「総合4」

【参考統計】

 参考にまで事前に,『2019年版  グローバルジェンダーギャップ指数・順位』を紹介しておく。( )は昨年順位。


              得点     国  名 
    1位( 1位)  0.877  アイスランド
    2位( 2位)  0.842  ノルウェー
    3位( 4位)  0.832  フィンランド
    4位( 3位)  0.820  スウェーデン
    5位( 5位)  0.804  ニカラグア
    121位(110位) 0.652  日 本 (153カ国中 121位)

 第5次男女共同参画基本計画案に盛りこまれている選択的夫婦別姓制度に関する記述をめぐり,自民党内での議論が紛糾している。〔12月〕4日の会議で自民側に示された原案に対して出席者から異論が続出。修正がくわえられた案が8日に示されたもののまとまらず,15日に予定されていた閣議決定はずれこむことになった。

 8日午前11時から始まった会議は,予定の1時間を大幅に超え,約2時間半にわたっておこなわれた。

 選択的夫婦別姓に反対する高市早苗総務相は「国際社会において,夫婦で同じ氏を法律で義務付けている国は,日本以外に見当たらない」とする記述について,「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」と主張し,削除を要求した。
 補注)この「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」というリクツそのものが奇想天外であった。その「日本は日本」である事由・根拠を確実に有意に説明したうえで,「堂々と日本として守っていけばいい」必然的な事情を,相手側に提示し,説得すればいいはずだが,けっしてそういった論理の運びにはなっていなかった。

 なにしろ「日本は日本」というものいいからして “同義反復” さえになりえていない。つまりリクツ以前の単なるゴリ押しでしかなく,自分の意見をひたすら強制する態度ばかりが前面にせり出されていた。高市早苗の頭のなかには,どうやらリクツではまともに説明する余地もないらしい,それも「一風独自な確信に裏づけられた主張」が充満している。

 しかしながら,結局,その確信はことばとなって他者に向かい具体的には説明されていない。もともと,他者に対してその説明じたいをしようとする意志がない。要するに問答無用の,いわば「リクツにはならないヘリクツ」のような,それもその実体が他者にはとうてい理解・把持できない難物であった。この点はつぎに引用する記事の段落からも分かる。

〔記事に戻る→〕 会議後,高市氏は「具体的な制度のあり方について,国会において速やかに議論が進められることを強く期待する」との箇所についても「政府からいわれる筋合いはない」と批判した。

 一方,賛成派の議員らがこだわったのは,旧姓を使用することができる具体的な制度のあり方について「必要な対応をおこなう」という文言。削除されれば,選択的夫婦別姓を導入する法改正などができなくなる可能性もあるとして,参加した議員の1人は「ここが後退してはいけないと思った」と語る。

 原案についての議論は〔12月〕4日にもおこなわれたが,「世論を誘導するような書き方だ」などと反対意見が相次いだ。このため修正案では反対派に配慮し,「夫婦の氏に関する問題については,子への影響や家族の一体感(きずな)に与える影響等も含めて,国民各層の意見を踏まえる必要がある」などとする記述がくわえられた。

 補注)ここで例の「家族の絆」(一体化・論)が出てきたが,この点については,先日〔2020年12月3日〕における本ブログの記述中で,つぎのような漫画で借りて,「同姓が家族の絆にとっては必須」という(?)奇怪な観念を批判してみたので,これをもう一度もちだしておく。

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 日本〔国籍〕人の女性たちが結婚したら,もとの自分家族たち(父母,兄弟姉妹,父方の親戚全員)とは「別姓になる」が,家族の〈絆〉に問題などに「ないワ!」というそれであった。この反論(指摘)は,いままで皆が気づかなかった論点を指摘してくれた。

〔記事に戻る→〕 それでも結論は出ず,さらに修正をくわえて後日協議することになった。選択的夫婦別姓制度をめぐっては,政権からも発言が相次いでいる。

 小泉進次郎環境相が〔12月〕4日の記者会見で「反対する理由はなにもない」と明言。河野太郎行政改革相は,法案が出て採決される場合,政党が所属議員の賛否を縛るのではなく,議員個人の判断で投票する形式も選択肢との考えを示した。

 こうした動きに対し,佐藤勉総務会長は8日の会見で「そんなに慌てずにしっかりと議論をするという過程を踏んでいただければありがたい」と語った。(野平悠一)

 さて,他方で菅 義偉首相は,この問題については逃げ腰に映る態度を採っているらしく,『朝日新聞』2020年12月12日朝刊4面の記事,「首相,夫婦別姓『時間かけて』 携帯料金は『たぶん半分以下に』」は,こう伝えていた。

 選択的夫婦別姓制度の導入について「時間をかけて対応する」と述べた。今〔12〕月中旬に閣議決定をめざす政府の第5次男女共同参画基本計画での書きぶりをめぐり,自民党内で議論が紛糾。首相は「なかなかむずかしい。党内で大激論のため,まず国民のさまざまな意見に耳を傾けながら対応する」と述べた。

 高市早苗の脳細胞はその現実的・具体的な理由・証拠もなしに,単に「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」といいつのっていた。彼女は,世界における家・家族「観」に関する趨勢の変化などにはいっさい目をつむったまま,いうなれば,自分自身だけは「日本特殊論」の絶対的な観念を堅持できているつもりになって,特異な発言をしていた。

 「日本は日本」という観念・発想については,2020年2月からコロナ禍に襲われている日本政府(安倍晋三と菅 義偉の政権)の対応ぶりが「インパール作戦」にひどく似ている,と非難されている点を想起させる。「日本は日本」だから,外国や隣国で参考になるような家・家族「観」に関した民法の基本的な改正がなされていても,そのような動向はいっさい「見ざる・聞かざる・言わざる」でよいという態度である。

 率直にいって,その原生植物的ともみなせる「日本は日本」といって,万事(安倍晋三風にいえば森羅万象)の他説を拒否しようとする立場は,異様な光景であるという地平を超え出ていて,狂信的ななにかの介在まで感得させる。

 

 夫婦別姓 再び憲法判断へ 最高裁大法廷,2015年は『合憲』」日本経済新聞』2020年12月10日朝刊42面「社会1」

 日本の裁判所はまだ,このような時代後れの審理をしていた。もともと別姓であった国々,そして複合姓が自然に使われている国々の人びとにとってみれば,この国はいったいなんのためのそうした裁判をやっているのかと感じるに違いあるまい。次段にこの記事を引用する。

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 --事実婚の夫婦が別姓の婚姻届を受理するよう自治体側に求めた3件の家事審判の特別抗告審で,最高裁第2小法廷(岡村和美裁判長)と第3小法廷(林道晴裁判長)は〔12月〕9日,それぞれ審理を大法廷に回付することを決めた。

 夫婦は同じ姓を名乗るとする民法750条をめぐっては,2015年の大法廷判決で「合憲」と結論づけた。関連する戸籍法の規定と合わせ,再び憲法に適合するか判断するとみられる。

 当事者は東京都内の事実婚の夫婦3組。夫婦別姓を希望する婚姻届を役所に提出したが,受理されなかった。家事審判で家裁は民法などの規定を合憲と判断し夫婦らの申し立てを却下した。この審判を不服とした即時抗告についても,高裁が棄却し,夫婦側が特別抗告を申し立てていた。

 民法は「夫婦は婚姻の際に夫または妻の氏を称する」と規定する。最高裁大法廷の15年の判決は,民法の規定に男女の不平等はなく,夫婦が同じ姓を名乗る制度は日本社会に定着しているとして,合憲との初判断を示した。制度のあり方は国会で議論されるべきだとも指摘した。

 女性の社会進出を背景に,過去にも選択的夫婦別姓の導入を求める機運はあった。1996年2月には法制審議会(法相の諮問機関)が制度を導入する民法改正案要綱を答申。しかし「時期尚早」などとする反対論や慎重意見が相次ぎ,法案提出に至らなかった。

 補注)1996年の時点で「時期尚早」であったが,いまだにこの認識を引きずっている(2020年の時点でも「時期尚早」?)のが,日本の関連法制だということになりそうである。

 2011年に東京などに在住する男女が民法の規定は違憲として国家賠償を求めて提訴するなど,訴訟提起の動きが相次いだ。合憲判決後の2018年1月にはサイボウズの青野慶久社長らが結婚時に夫婦別姓を選べない戸籍法は憲法違反だとして国に損害賠償を求めて提訴。一審,二審ともに退けられた。

 内閣府が2017年に実施した世論調査では,選択的夫婦別姓の導入について容認派が42.5%に上り,反対派を13.2ポイント上回った。若い世代を中心に容認派が多かった。夫婦別姓を求める声は根強く,今月,自民党の特別委員会で制度について意見交換が始まるなど議論が活発化している。(引用終わり)

 それでも高市早苗は「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」といいはれるのか,いかにも,どうみても不思議なる感性である。そのこだわり方がだから “異様だ” と形容している。つぎの ⑤ の議論に聴くことができるのは,高市みたいな固執ぶりを支えている異様な精神構造に関した説明である。

 

  望月優大「〈にじいろの議〉『日本人』以外を排除する言葉 『ない』というトリック」朝日新聞』2020年12月9日夕刊2面「特集」
 

※人物紹介※ 「もちづき・ひろき」はライター,ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』編集長。1985年,埼玉県生まれ,慶応義塾大学と東京大学大学院に学ぶ。経済産業省,グーグル,スマートニュースなどを経て独立。著書に『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』。

 a) 日本社会には「ない」ことにされているものがたくさんある。

 私がとくに関心のある移民や外国人のテーマに限っても,「移民政策では『ない』」とか,「2千年にわたって一つの民族が続いている国はここしか『ない』」とか,安倍晋三前総理や麻生太郎副総理など,政府のトップ自らが現実とは乖離(かいり)した発言を繰り返してきた。

 だが都市部にかぎらず,アジア諸国などからの外国人労働者が急増していることは政府自身の統計データでも明らかだし,そもそも戦前の大日本帝国からして,その歴史はアジアおよび南洋での植民地化や占領に伴う「多民族化」と不可分だった。

 つまり,欧米の先進国と同様,日本には植民地主義の過去もあるし,グローバルな経済格差を利用しながら,安価で不安定な労働に耐えてくれる人びとを呼びこんできた移民政策の現在もある。「ない」ことにされてきたものは確かに存在する。この国でもずっと,多様な出自の人々が暮らしてきたのだ。

 補注)現時点では少数派になっているが,敗戦後史の日本における外国人といえば,まず韓国・朝鮮人たちを意味していた。だが,彼らの存在はその大部分が日本「姓」(通名)を日常的に使用する生活を余儀なくされていた。だから,彼らは間違いなく,ここで指摘されているごときに「『ない』ことにされてきたものは確かに存在する」という意味での社会集団=少数民族であった。

 しかし,ないことにされてきた彼らの存在を正当に,いいかえればありのままに認めるとしたら,高市早苗流の「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」は,そう簡単には通せるリクツたりえなくなる。たとえば,敗戦時における大阪市の人口のうち朝鮮人が1割(以上)に達していた。この実情は21世紀のいままで,大阪市各区や大阪府各市の人口構成上にめだった特性を残してきた。

 高市はともかく,始めから終わりまで,ただ「前段のそのように」しかいえないでいる。つまり,没論理の説法開陳なのであって,合理的な説明は,かぼそいどころか皆無であった。それでも必死になって, “ただそうだ” といいはるのみ……。

〔記事に戻る  ↓  〕

 b) つい最近では,サッカーに打ちこむ3人の女子学生を描いたナイキの広告動画に対して,「日本を差別国家のように描くのは日本ヘイトだ」とか,「日本に人種差別は『ない』」といった批判がSNS上で数多く投稿されるという出来事もあった。再び「ない」の登場である。

 難民支援協会とともに運営するウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」を通じて,私はこれまでさまざまな背景をもつ方々からお話をうかがってきた。1人ひとりの言葉が,「日本に差別はない」という態度が無視してきたいくつもの痛みを証言している。学校でのいじめもそう。仕事場での心ない言葉もそうだ。すべてが現実であり,作り話ではない。

 「移民政策ではない」とか「一つの民族しか存在しない」といった言葉に含まれるトリックには注意しよう。そこでは「~ほうがいい」という語尾がいい落とされているのだ。それらの言葉は「現実」を描写するようにみえて,むしろあるべき「規範」をこそ示している。だが,そうであることじたいを隠蔽することで,規範を現実かのようにみせかけているのだ。

 つまり,「移民政策ではない(ほうがいい)」であり,「一つの民族しか存在しない(ほうがいい)」と読む必要がある。それらが暗に示す規範は,「日本人」以外には無条件の権利も安全も認めず,多数者の安心と居心地を優先して当然とする。日本政府がコロナ禍において,明確な根拠も示さぬまま,永住者の在留資格保有者にすら再入国を制限したように。

 補注)このコロナ禍が発生していた日本が「永住者の在留資格保有者にすら再入国を制限した」事実は,日本政府の在日外国人「観」がいまだに明治時代(前半期あたり?)にあるかのように錯覚させた。もしも,日本人が海外の諸国で逆の処遇(あつかい)を受けたらどう感じるかというところまで,思いがいかないのか?

 c) 私自身に関して,「望月ははたして『日本人』なのか?」という趣旨の書きこみをみかけ,うんざりすることもある。あたかも内部に忍びこんだスパイを発見し,告発するかのような口ぶりだ。「われわれ」の防衛に強くつりつかれた意識は,異なる意見を「日本人ではない」他者の徴候と認識し,危険を告発し,排除しようとする。

 「差別はない」「移民政策ではない」「一つの民族しかいない」,表向きは「多文化共生」の理想をうたっていても,この社会には「ない」という否認の言葉があまりに広く流通している。事実に反する「嘘(うそ)」であり,同時に「排除」の規範としても機能する,そうした言葉が遍在しているのだ。

 だからこそ,事実にもとづき「ある」という肯定の言葉を発しつづけなければならない。そして,「包摂」の規範を広めつづけることだ。多様な背景をもつ人びとは実在する。克服すべき差別や不平等も,いまここに実在するのだと。(引用終わり)

 安倍晋三の政権時もそうであったが,菅 義偉の現政権のもとでも「ウソ」がウンカのごとくに飛び交っている日本国内であるが,いってみれば,真実のひとつをもってすれば『それらのウソ』はことごとく雲散霧消するはずである。だから,安倍晋三にせよ菅 義偉にせよ,「国会をなるべく開かず,逃げまわる首相役」しかこなせていなかった。

 望月優大は前文の最後で,「事実にもとづき『ある』という肯定の言葉を発しつづけなければならない。そして,『包摂』の規範を広めつづけること」を強調していた。別姓の問題については,「内閣府が2017年に実施した世論調査では,選択的夫婦別姓の導入について容認派が42.5%に上り,反対派を13.2ポイント上回った。若い世代を中心に容認派が多かった」と説明されていた。

【参考記事】

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 けれども,高市早苗流の思考方式は,自分が戦後も16年が経った1961年の生まれ(59歳)であっても,旧態依然でありつづけている。なお話題が「明治史以降のそれであった」ゆえ,ここでは,つぎのように関連する事実史を記述しておくことが便宜である。

 ※-1 江戸時代(徳川時代)は一般に,農民・町民には苗字(姓)の使用は許されていなかった。

 ※-2 1870(明治3)年9月,太政官布告(明治時代初期に最高官庁として設置された太政官によって公布された法令の形式を意味する)によって,一般に「平民に姓の使用が許される」ようになった。

 

 ※-3 1875(明治8)年2月,太政官布告によって姓の使用が義務化されるが,これは、兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。ちなみに,1873(明治6)年1月,国民の義務として国民皆兵をめざす「徴兵令」が施行されている。

 ※-4 1876(明治9)年3月の太政官指令によって,妻の氏は「所生ノ氏」(実家の氏)を用いることとされた。つまり,妻は結婚しても姓は変わらなかった。明治政府は,妻の姓に関して実家の氏を名乗らせ,「夫婦別姓」を国民すべてに適用することとした。

 

 ※-5 122年前の1898(明治31)年6月,民法(旧法)が成立し,夫婦は「家」を同じくすることにより,同じ姓を称することとされた(夫婦同姓制)。

 旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の姓について現行の民法とは違い,直接規定を置くことはせず,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同姓になるという考え方を採用した。

 旧民法788条1項「婚姻ノ効力」は,「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と規定していた。

 当時におけるこの法的な規定から「家族の絆」という概念そのものをもちだすのは,いささかならず苦しい論理づけであった。それゆえ,その間(今と昔)を連絡づけるための “そのほかのリクツ” が,大きなオマケとしてどうしても必要になっていた。この種の事情・理由の介在は,それじたいとして理解できなくはない。ところが,その種のあとづけ的な補足説明がぜひともほしい大事なところじたいが,実はもともとからして「もぬけの殻(?)」状態であった。

 ところが,それから1世紀以上も経った現在の話題が,高市早苗流の思考方式にしたがい “夫婦が同姓を名乗る必要” についてとなれば,なんといおうが「日本は日本,外国は関係ない。堂々と日本として守っていけばいい」とのみ応えていた。

 しかし,それでは説明になっていない。単に,特定個人の素朴な想念の発露でしかない。夫婦が別姓を使用している国々に人びとに対してでも,よく理解してもらえ納得させうるような「同姓婚」に関した説明が与えられていない。

 要するに,高市早苗は終始一貫,思いを同じする同志だちとの間でのみ毛繕いが可能な,つまりは「井の中の蛙」的な語り方しかできていなかった。

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