東電がゾンビ企業たるゆえん,安倍晋三による世紀の大ウソ「アンダーコントロール」は永遠に不滅,原発事故で溶融して溜まったデブリの取り出しも未来永劫に不可能(2)

 コロナ禍に襲来される以前からもそうであった事情だが,安倍晋三によるウソまみれ政治のせいで,いまや後進的な国家体制に引き戻されていしまった「この国の体たらく」は,再生可能エネルギー利用態勢に不承不承である自民党政権のあり方にも如実に反映されている

 安倍晋三第2次政権の7年と8カ月における「ウソだらけの政治」が蓄積されてきたけれども,その不正・不義,為政の虚偽が問題に政治家の犯罪としてまともに問題にされない不思議,小沢一郎のときと比較すればその法律的に甘々な手心のくわえ方は,あまりにも不公正,不公平で不正義そのもの

 東電福島第1原発事故の後始末は,廃炉工程にまでなかなか進めない現状にあって,溶融した核燃料などの残骸:塊は10万年さきまで取りだせない「みこみ:予定」

 

  要点・1 安倍晋三:第2次政権の “負の成果” は「万死に値する」

  要点・2 アンダーコントロールの大ウソ(2013年9月)で,2020東京オリンピック招致をした安倍晋三の罪業も重い

  要点・3 東電福島第1原発事故の後始末は,いったいいつになったら,その見通しがつくのかさえ皆目見当がつかない現状

 

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  東電福島第1原発事故,直後の航空写真にモザイクをかける東電の小細工のばからしさ(こざかしさ)

 
 「事故直後〔2011年3月20日〕の福島第1原発 上空からの写真700枚余 新たに公開」NHK,2020年12月23日,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012778981000.html という記事があった。これを紹介した「投稿者」魑魅魍魎男の記述,2020年12月23日 14:35:05,http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/227.html は,こう述べていた。

 東京電力は事故直後の福島第1原子力発電所の原子炉建屋などを上空から撮影した写真700枚余りを新たに公開しました。公開されたのは,福島第1原発の事故の直後の3月20日と24日に東京電力から委託を受けた新潟県の会社がドローンを使って上空から撮影した734枚です。

 

 1号機から4号機の原子炉建屋などを角度を変えて撮影していて,水素爆発で建屋上部が大きく壊れ,周囲にがれきが散乱している様子や3号機の原子炉建屋からは白く水蒸気とみられるものが立ちのぼっている様子などが確認できます。

 

 また,原子炉を冷却するためくみ上げた海水を何台も消防車をホースでつないで建屋に送っている様子など,事故の収束に向けた活動も写っています。事故当時の写真について,原子力規制委員会は,報告して公開するように求めていますが,東京電力は今回の写真について,事故直後の混乱のなかでうずもれていて,規制委員会へ報告がされていなかったとしています。

 

 写真は東京電力のホームページでみることができます。(NHKからの引用はここまで)

 

 以上の画像ファイルは,「福島第1原子力発電所事故の状況に係る写真」(TEPCO,2020/12/22)からダウンロードできます。(ZIP圧縮ファイルで解凍が必要です)

 註記)https://photo.tepco.co.jp/date/2020/202012-j/201222_01j.html

 

 全画像をざっとみましたが,肝心なところはモザイクがかかっていてよくみえません。アダルト・ビデオじゃあるまいし,国民をバカにするのもいい加減にしろといいたい。モザイクをかけた場所は東電がみられたくないところであり,興味深いことに


 6号機や共用プールもぼかしがはいっています。これらの施設でもなにかしられたくないことがあった証拠でしょう。

 

 「梵天」氏が2011年4月にアップした,つぎの高精細画像のほうがよくわかります。「国で公開されている福島第1原子力発電所の高精細画像」(非常に鮮明です)『阿修羅』「梵天」2011/4/3,http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/430.html これだけ精細な画像が公表されているのですから,東電は隠しごとはやめて,潔くモザイクなしの画像を公表すべきでしょう。

 本ブログ筆者も,この「梵天氏」の紹介したという東電福島第1原発事故現場「2011年3月20日撮影」の画像については,いままで,なんどもみてきた。だが,東電側が公表したこの諸画像にモザイクをかけているというのは,初耳であった。

 筆者がよく紹介するのに使用したことがある画像は,つぎのものであった。この画像は,手前の南(下)側に位置する4号機から1号機へと北(上)側に向けて,東電福島第1原発4基の全機が写っており,各機の破壊された状態がよく比較して観察できるものである。

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 とくに,MOX燃料を使用していた3号機(この画像では手前から2基目)の破壊された状態がとくにはげしい点に注目したい。

 このMOXとは混合酸化物燃料の略称であるが,原子炉の使用済み核燃料中に1%程度含まれるプルトニウムを再処理により取り出し,二酸化プルトニウム(PuO2)と二酸化ウラン(UO2)とを混ぜてプルトニウム濃度を4~9%に高めた核燃料である。

 MOXは,主として高速増殖炉の燃料に用いられるが,既存の軽水炉用燃料ペレットと同一の形状に加工し,適切な核設計をおこなったうえで適切な位置に配置することにより,軽水炉のウラン燃料の代替として用いている。これをプルサーマル利用と呼んでいる。

 そして「3・11」の原発事故においては,このMOXを燃料に利用していた3号機が,2011年3月14日11時1分ごろに爆発事故を起こしたさい,核爆発(ごく小規模)を起こしたと専門家は指摘していた。もちろん,東電や原子力村側ではその点をいっさい認めようとはしておらず,「3号機原子炉建屋で爆発発生」といいかえ,ゴマかしている。

【参考資料・画像】

 

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 補注)この号外は「東電『格納容器は健全』」と報じているが,いまとなっては「大ウソ」であった事実はいうまでもない。圧力容器内では溶融が発生しており爆発していたのに,「それはないだろう」というべき,まったくにデタラメな指摘(当時なりの虚偽報道)。つぎは,東電福島第1原発に使用されていた沸騰水型原発の一般的な解説・模型図。

 

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 ゾンビ企業」化は回避できていない東電の運命-「ゾンビ企業にするな」と日本経済新聞編集委員松尾博文が語るけれども,この主張は迷走・混沌の議論

 『日本経済新聞』2020年12月24日朝刊7面「オピニオン2」における論説として,松尾博文が執筆したこの文章「〈Deep Insight〉東電をゾンビにするな」があった。もっとも,「3・11」の東電福島第1原発の過酷事故以来,すでに完全にといっていいほどゾンビ化してしまった東電をとらえて,あえてゾンビ化を回避させようと提唱してところで,結局は空しい議論に終始するほかない。

 ともかく,この松尾博文の主張を聞きたい。途中に本ブログ筆者なりの批評を挿入している。

 a) 東京電力福島第1原子力発電所を訪れるたびに前進の手応えがある。あの日,原発を襲った津波の爪痕はほとんど残っていない。敷地の96%で簡易マスクだけで作業ができるようになった。

 震災後に建てられた事務棟は外光が差しこみ,ロビーでは飲み物を手に社員らがくつろぐ。全身を防護服で覆う作業員が声をかけあい,千羽鶴や寄せ書きで埋まる回廊を通って現場に向かった震災後間もないころの悲壮感はない。

 補注)この最初,出だしの文章はなにかの関連する企業小説を読んでいる気分にさせるが,東電福島第1原発事故現場の様子を不必要に美しく描いていないとはかぎらない。

 2011年3月11日の東日本大震災からもうすぐ10年。未曽有の事故を起こした福島第1原発も「戦時体制」を脱しつつあるということだろう。小野明最高廃炉責任者(CDO)は「毎日予期せぬトラブルに追われた数年前と比べステージが変わった」と語る。

 だが東電社員がつく安堵の一息と対照的に,被災地の人々の目には停滞感が色濃く映る。要因は原子炉の冷却に使ったあとの処理水をためるタンクだ。1000基を超えて敷地を埋め尽くし,12月完工の9基で建設計画は上限に達した。2022年にはこれも満杯になる。

 廃炉への道はむしろこれから険しくなる。2021年に予定していた原子炉の中に溶け落ちた燃料デブリの取り出しはずれこむ見通しだ。未踏の作業をやりきれる保証はない。小野CDOも「デブリ取り出しに集中できるのか,つぎの10年は重要な期間になる」という。

 補注)この「デブリ取り出しに集中できるのか」という文句じたいに注意が必要である。これまでの10年間は,溶融したデブリにまでなんとか接近できるかどうかという事故現場の作業工程であった。そして,その「デブリ取り出し」そのものに「集中できる」という具合に表現される時期が,いつ来るのかといえば,現段階ではなお皆目不詳である。その予定もなにも,いまだになにもその見通しさえ,まともに立っていないというのが現実である。

 つまり「デブリ取り出しに集中できるのか」ということが,「デブリ取り出しが可能な段階になるのか」ということまで,そう簡単にはつながっておらず,関連する作業の進展度合はとみれば,つねに遅延ばかりを強いられてきた。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)のその後における推移をみるまでもなく,東電福島第1原発事故における後始末,つまりデブリ取り出し作業にまでたどり着く目標じたいが,実は,至難を意味してきた。その理由はこれまでの実績が説明している。

 本格的にデブリそのものを取り出す段階に至れる時期がいつになったら来るのか,本当のところ,誰にも分かっていない。だから,小野CDOも「デブリ取り出しに集中できるのか,つぎの10年は重要な期間になる」と,その意味を汲みとろうにも首をひねるほかない表現をしていた。

 その「つぎの10年は重要な期間になる」という見通しは,おそらくこれからも何回でも重ねていわれていくべき表現である。いってみれば,いつになったらその表現を終わりにできるのかについては,誰にもなんとも確答できない《現実の問題》があった。

 松尾博文が東電のありように関して,いまさらにように “ゾンビになったらダメだと語る事情” は,そうした東電福島第1原発事故の後始末が,非常に・高度に・極度に困難である実情を考えれば,当然の条件を意味している。

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 b) それでも,つかの間の充足感は福島第1原発だけでなく,東電の経営全体を覆う。

 国は2012年に1兆円を投じて東電株の過半を取得し,事実上国有化した。そのもとでつくられた「総合特別事業計画」は事故処理と東電再建の基本方針だ。最初の計画以来,2度作り直したが,2019年度末が期限の3度目の見直しはずれこみ,新しい計画が公表されぬまま年を越えようとしている。

 2017年5月の前回見直しで,国は事故処理にかかる費用の見積もりを11兆円から22兆円に引き上げた。審議会を開いて費用をみきわめ,分担の方法をひねり出した。

 22兆円のうち,16兆円は東電が負担し,毎年5000億円規模を収益から捻出する。賠償資金の不足は電力業界で分担する。除染に要する4兆円は国がもつ東電株を売って確保する。中間貯蔵の費用は特別会計を使って国が負担する。つまり,事故処理の費用を国民すべてが背負うことを明記した。

 補注)「安全・安価・安心」だと絶対的な保障を請けあっていたはずの原発による電力生産方式であったものが,「3・11」の大震災の発生とそれと同時に押し寄せてきた大津波のために一気に破壊されてしまい,21世紀の歴史のなかに特記される原発の過酷な重大事故を東電は起こした。

 ところで,『19兆円の請求書-止まらない核燃料サイクル-,日本における原子力発電の位置づけ』2004年04月02日,更新日 2005年12月04日,http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf という文書があった。いうまでもないが,核燃料サイクルの問題は当面はもちろん,これからも実現する展望は99%以上ない。

 この文書は,原発利用による電力発電がいかに割に合わず,また国民経済の見地から吟味・検討しても不利性(不経済性や非合理性)が高いかを示唆していた。だが,この文書を密かに作成し公表した国家官僚は,所属する官庁から辞去させられる顛末になっていた。

 以上はむろん,2011年「3・11」以前の話題であった。原発の問題そのものを,本格的に「国民(=本来の国家)の立場」から考えた官僚の居所は,原子力村が睨みを利かす当時のこの国になかに,ありなかったわけである。

 引用中の記事の話題は,東電福島第1原発事故の後始末にかかわる経費「22兆円」であったのに対して,こちら『19兆円の請求書』2004年のほうは,原発体制全体にかかわる経費「19兆円」を問題にし,批判的に解説していた。原発とは「国民経済の見地」に即していえば,それこそトンデモナイくらいに「巨大な金食い虫」であるが,それが過酷事故など発生させた分には,今後に向けてとなればおそらく,もう一桁多い経費を要求するようになる。

〔記事に戻る→〕 関係者によれば,今回の見直しで費用の総額は据え置く方向だ。東電の経常利益も過去3年をみるかぎり,求められる水準をクリアしている。しかし,廃炉が終わる30年先まで,資金をまかない続けられるかとなると話は別だ。

 補注)この「廃炉が終わる30年先」という言辞はまったく,まともな理由・根拠のないものであるゆえ,前後する論旨にとっても重要な関連を有する。もちろん,ここでとりあげている論説全体の主旨そのものに,はたして有効性が期待できるか否かという点に不可避にかかわっていたそれである。

 いわれている〔いまから〕「30年先」といったら2050年になるが,東電福島第1原発事故の後始末・デブリの除去作業が,その時までに終えられるかどうかは,原子力工学の専門家であれば,それも原発賛成派でないその人びとであれば,ただちに「否」と応えるはずである。この答えは原発推進派の専門家であっても認める。

〔記事に戻る→〕 除染費用に充てる国保有の東電ホールディングス株の売却には1500円程度の株価が必要だ。足元の東電株は270円程度。震災直前と比べて日経平均株価は2.2倍に上昇する一方,東電の株価は87%下落した。この1年ではほぼ半値になった。株価の低迷は他の電力会社と比べてもきわだつ。

 三菱UFJモルガン・スタンレー証券の荻野零児シニアアナリストは「電力会社は小売りの全面自由化による競争や,都市ガスや海外など新規事業の成果が不十分などの理由で粗利益が縮小していると推定され,今後は脱炭素に向けた設備投資や研究開発費などの費用が先行する。東電も稼ぐ力を一層高めるビジネスモデルを示す必要がある」と指摘する。

 補注)本日,2020年12月27日『朝日新聞』朝刊1面には「〈東日本大震災10年へ 3・11の現在地〉再稼働へ東電・国,根回し着々 事故処理費用,柏崎刈羽カギ」との見出しになる記事が出ていた。2011年「3・11」以来,東電が保有する柏崎刈羽原発は,全7基が未稼働状態に追いこまれる経緯をたどってきた。

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 「福島の事故で経営が立ちゆかなくなって実質国有化された東電は,国とともにまとめた再建計画で柏崎刈羽の1~5号機も段階的な稼働を想定している。火力発電の燃料費が節約でき,1基で年1千億円ほどの収益改善を見込む。廃炉に動けば再建の前提が崩れかねない」

 註記)『朝日新聞』2019年9月2日朝刊「社説」。

〔記事に戻る→〕 2013年度に作った計画では,2016年度の経営実績を評価したうえで国は保有株の比率を5割未満に下げ,政府の役職員派遣を終えることや,2020年度をめどに配当を復活させるなどの出口戦略が詳細に書かれていた。しかし,現行計画では国の関与継続とだけ書かれ,今後の道筋についての記述は消えた。

 c) 電力小売り自由化後,東電は4分の1近い顧客を失った。原発事業で他電力やメーカーとの連携は進まない。中部電力と燃料・火力発電事業を統合したJERA(東京・中央)を再編のモデルと位置付けるが,国内の火力発電能力の半分や世界最大の液化天然ガス(LNG)取扱量をもつ強みは,脱炭素時代に重荷となりかねない。

 当初から「ネットベンチャー並みの飛躍的な企業価値向上が必要」とされたが,実際は下がるばかり。目標にほど遠い株価で国は株式を手放せない。国有会社であるかぎ東電はつぶれない。波風立てず,国の意向に従えばいい。牙を抜かれた東電は,将来の不安に目をつぶり,国有会社の心地よさに浸る皮肉な真空のなかにある。

 d) 責任は国も同列だ。増えつづけるにまかせた処理水は原発への信頼回復を遅らせた。原発を使いつづけるのか,やめるのか。10年の思考停止は脱炭素時代のエネルギー政策立案で,原発というカードを切る選択をむずかしくしている。

 震災直後,国は東電をつぶすのでなく,存続させて事故処理に当たらせる道を選んだ。それから10年,この絵を描いた政府関係者さえ「東電はこのままではゾンビ企業になる」と危惧を隠さない。廃炉と福島復興をやり抜くことが東電に課せられた使命である。その作業に国が責任を持って関与しつづけることは重要だ。

 補注)先回りしていうまでもない現実となっていたが,「福島復興をやり抜くこと」じたいは,東電の責務と深く関係してはいるものの,東電側の問題そのものとはいえない。ここでは,「廃炉」の問題(困難性)が,今後に向けてあらためて真剣に考えられるべき必要がある点のみを断わっておきたい。

 以上のごとき問題のゆきづまり状態は,東電側にとっても分かりきった現実である。もっとも,ゾンビ企業(すでに!)である自社の立ち位置をすなおに受け入れて納得してしまい,このまま,ぬるま湯的な状況に漬かりつづけていることもできないわけではない。

 なにせ「廃炉工程」についてはいえば,厳密にいえばまだ1歩も立ち入れていないゆえ,あと10年(2030年時点),そして20年(2040年時点)が経ったところでも,おそらく,たいした進捗は望めない。

 チェルノブイリ原発事故現場が石棺方式のふたをした状況になっているが,東電福島第1原発事故の後始末としては,地下流水が汚染される問題もくわわっており,石棺方式による問題処理ができないでいる。地域住民はもとより石棺方式には大反対であった。

〔記事に戻る→〕 一方,脱炭素のうねりとIT(情報技術)の進展はエネルギービジネスの姿を変える。ガスや石油などのエネルギー企業にくわえ,自動車や通信など異業種との競争と協調も加速するだろう。東電が企業活力を取り戻すには,エネルギービジネスでの国からの自立が欠かせない。(引用終わり)

 日経編集委員松尾博文はこのように「東電が企業活力を取り戻すには,エネルギービジネスでの国からの自立が欠かせない」と期待しているが,いまの時点でなくとも以前からいわれてきた1点としては,東電解体の問題もあった。だが,そこまで踏みこまなかった論旨となれば,以上のごときに議論するほかなくなった「東電に固有の経営問題」が残されている。

 「地域独占企業形態」「総括原価方式」を特権的に付与されていた各地域の大電力会社のうち,いまだに多数保有する原発を1基も稼働させえない東電であるが,これは実質,いまどき国有企業化したも同然のこの東電だからこその現状である。

 日本における原発の導入以後,東電が「3・11」東日本大震災にさいして起こしたその大事故は,電力生産のために原子力を燃料にするということの「基本からの間違い」を実証した。

 

 「福島第1原発デブリ取り出し,2022年以降に延期  英でロボ開発遅れ」日本経済新聞』2020年12月24日朝刊「社会1」

 東京電力ホールディングスは2021年に予定していた福島第1原子力発電所の溶融燃料(デブリ)の取り出し開始を延期する方針だ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で,英国でのロボット開発が遅れているためだ。感染の状況をみきわめながら,2022年に開始できないか検討する。

 〔12月〕24日に廃炉進捗を議論する月例の政府会議で東電が報告する。デブリ取り出しは廃炉作業でもっともむずかしく重要な作業とされる。2019年12月に政府が改定した廃炉の工程表では,2021年に2号機から始めるとしていた。事故直後の2011年12月に最初の工程表を打ち出してから,政府・東電は「10年以内の取り出し開始」を目標にかかげていたが,困難になった。

 2号機のデブリ取り出しに使う専用のロボットは英国の企業に製造を委託している。2020年8月に予定していた英国での動作確認の試験が,新型コロナの感染拡大でできなくなっていた。東電は感染状況を確認しつつ,日本にロボットを運んで必要な試験ができないか検討している。

 2011年3月の東日本大震災に伴う津波の影響で福島第1原発の1~3号機は高温で核燃料が溶け落ちるメルトダウン炉心溶融)を起こし,廃炉作業が続いている。1~3号機の原子炉圧力容器やその外側の格納容器にデブリがたまっている。総量は900トン程度と推計されているが量や成分など詳細は分かっていない。(引用終わり)

 東電福島第1原発事故の後始末に関連した報道内容はいつも,この調子・内容に終始してきた。いいかえれば,この種の内容の繰り返し・反復ばかりであった。ベタ遅れでありつづけてきた事故現場の片付け作業が,どのようになされてきたはともかく,デブリの取り出し作業じたいの取り組み開始は,恒常的に遅延させられてきた。これでは「廃炉作業」がいったい,いつになったら開始できるのか,まったく見通しがついていない。

 本ブログ筆者は,以上の記事に書かれている「廃炉作業」という表現は,不適切な度合が過ぎており,より正確にいえば間違いだと断言する。原発事故によって建屋も破壊されていたが,肝心の原子炉(格納容器・圧力容器)が内部で溶融事故を起こしており,その下部(底面を突き抜けているかもしれない)に溜まっているデブリの形状さえ十分に把握できていない。廃炉作業そのものにとりかかれる段階に至っていないとしか理解できない。

 したがって,現段階における東電福島第1原発事故の現場について「廃炉作業」という用語を充てて論じるのは,拡大解釈が過ぎた表現である。大事故を起こして爆発まで起こしている原子炉もあったこの現場の後始末を一律に廃炉作業と表現するのは,不適切であるだけでなく,この過酷事故の本質理解を誤らせる。

 東電福島第1原発事故はいままで,事故現場の後始末作業をおこなってきたが,いまだに廃炉作業の段階にまでは進めていない。そもそも爆発事故まで起こした原発の廃墟,その底部の溜まっているデブリを取り出す作業を「廃炉」に類する「作業」だと形容する考え方そのものが,問題含みであった。

 すなわち,原発事故現場の後始末を「廃炉作業」というのは似つかわしくなく,その概念を無理に拡げすぎた表現である。あくまでも,「事故原発」周辺設備の事後処理としての後始末でしかありえない「それ」は,「それとしてのみ」理解しておくべきであって,廃炉作業には当たらない。

 いずれにせよ,原発という機械・装置が事故を起こしたとなると,人間社会の側に対して甚大な被害を発生させる。現にわれわれは,その事実を自国の問題を通して嫌というほど,これからも教えられていくのである。

 とくに,欧米諸国では数多く開始されている原発廃炉が,実際にその処理作業工程としてかかっていく年数は,最終段階に至るまでざっとみても,半世紀~1世紀「単位」の視野を踏まえている。ましてや,事故原発に関したその後の問題となれば,この覚悟の度合は何倍にも増えて当然である。

 だが,東電福島第1原発事故の後始末に関した報道は,その「覚悟の度合」が数十年単位の短期間で終了しうるかのように,関連する事態を伝えている。そうはいっても,《悪魔の火》にすでにかかわってしまった人類・人間たちは,その『魔の手』から簡単には逃れえない。今後に向けても継続していかざるをえないその種の労苦は,おそらく「半永久的だという意味で『永久のもの』にかぎりなく近い」といってもいい。

 日本に生きている人間の平均寿命(男女平均)は84歳ほどであるが,1基の原発が建設されはじめてから廃炉工程を完全に終えうるまでには,それ以上の時間がかかる。それも原子力という燃焼の特性のせいで,そういう技術特性をもつ。分けても,原発が実際に稼働しうる期間よりも「廃炉工程」のほうが長期間であるという点は,その特性のうちでもみのがせない問題であった。人間の稼働内容に関する話題ならば,まだしも……。

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