髙谷朝子『宮中賢所物語』ビジネス社,2006年の語り口に診る皇室史に関した非科学的に架空の主張,非歴史的で根拠なしの決めつけ

              (2009年5月10日,更新 2020年1月3日)

 皇室神道宮中祭祀の歴史は明治謹製として発足し,そして現在では皇族の私的な宗教行事として維持されてもいるものだが,それでも,古式ゆかしい秘儀であるかのように巫女の立場から騙ってみた女性の「日本神道史全般に関する無知蒙昧」

 

  【要  点】 髙谷朝子『宮中賢所物語』ビジネス社,2006年の語り口に診る「非科学的でしかない断定話」と「非歴史的に恣意的な決めつけ法」

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            出所)髙谷朝子『宮中賢所物語』口絵。

 

  民主主義と天皇天皇制との根本矛盾

 昨日〔2009年の〕5月9日の新聞朝刊に雑誌『世界』〔2009年〕6月号の宣伝が出ており,「特集 岐路に立つ象徴天皇制」という題名のもと,6編からなる内容が組まれている。そのなかに,原 武史(明治学院大学)と桐野夏生(作家)の「〈対談〉象徴天皇制の『オモテ』と『オク』-深層に潜む『死の世界』の力-」があった。

 本(この旧・々)ブログは2009年5月6日,主題「朝日新聞天皇対談特集記事」,副題「有名作家と大学教授の対話にみる天皇観」で,『天皇天皇制を考えるための議論』を記述していた。その記事「〈対談〉皇室と女性」をおこなっていたのは,作家の林真理子と,明治学院大学国際学部(当時)で「日本政治論・政治思想史」を講じる原 武史であった。

 補注)この「旧・々ブログは2009年5月6日」は,この記述につづいて別途,紹介する予定である。

 その「2009. 5. 6」がとりあげた対談ものの記事のなかでは,原 武史の口調がどうもすっきりしなかった。とくに,岩波新書昭和天皇岩波書店,2008年1月において原が,「祭祀は『創られた伝統』なのだから,減らしても宮中の伝統そのものを否定することにはならない」こと(224頁)を,堂々と(!?)提示するときの論調とは異質なものを,本ブログの筆者は感じていた。

 学者・研究者として原は,宮中祭祀など皇室神道の行事やその他の関連諸事を一生懸命に執りおこっている「現・平成天皇夫婦」(2009年当時)に対して,〈率直な疑問・批判〉を投じている。「日本国憲法」と「日本の民主主義」とのありかたにおいて,どうしたら天皇天皇制という存在が矛盾なく維持できるのか,ここには非常に困難な問題が表面化している。

 

  皇室神道宮中祭祀の不可解と不思議

 以下しばらくは,雑誌『世界』〔2009年〕6月号に掲載されていた原 武史と桐野夏世の「〈対談〉象徴天皇制の『オモテ』と『オク』-深層に潜む『死の世界』の力-」に直接聞きながら議論する。

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 1) 神話の世界に本気で生きているつもりの皇族一家

 原 武史は,髙谷朝子『宮中賢所物語』ビジネス社,2006年の内容に触れて,こういう。日本の皇室において宮中祭祀を担当する掌典職(しょうてんしょく)のなかには,とくに女性が就任する「内掌典」がある。その元は,「宮内省官制」(明治40年皇室令第3号),「掌典職官制」(昭和14年皇室令第4号)などにさかのぼる「宮内省の国家公務員職」であった。

 敗戦後,1947年(昭和22年)5月3日施行の日本国憲法にともない宮内省は廃止され,掌典職も廃止された。しかし,天皇家は「皇室費のうちの内廷費」を原資に充てて,この掌典職を維持・運営するための人件費を確保してきた。「掌典長以下,掌典次長掌典内掌典掌典補」という組織が構成され,宮内省掌典職時代と同じ職名の職員を配置している。

 現在において掌典職は,天皇家における私的使用人としての性格を有し,『内廷の職員』として処遇されている。とはいえ,掌典職の給与が国家の財源を原資とする点にかわりはないのだから,宮内庁職員(国家公務員)ではないという位置づけは,非常に奇妙な理屈である。

 結局,戦後改革においてGHQが手を付けなかったのが,天皇家が私的空間において執りおこなわれるとみなされた「宮中祭祀という宗教行事」であった。皇室神道が「私的な宗教行事」だと位置づけられたがゆえに,敗戦後も天皇家宮中祭祀は,戦前・戦中と同じに執りおこなわれている。しかも。そのために必要な人事予算も国家が「間接的にだが直接支給する」という「国家」と「皇室」の相互関係は,政教分離」の原始的癒着関係の厳在を明証している

 皇室神道の行事「宮中祭祀」を執りおこなう仕事に就いてきたたとえば,その「宮中に57年間暮らして」きた髙谷朝子の描く『宮中賢所物語』〔つぎの ③ で触れるが〕の実態に関して,原はさらにこう指摘している。

 「穢れを避けるためのしきたりは,我々の日常とは全くかけ離れています。イザナキとイザナミは,一緒に目合をして国産みをして,いろいろな神を産んだというところだけを見れば対等のようですが,実はそうではない。女にだけ穢れがある。これは近代以降に限っても厳然とそうなのです」(『世界』2009年6月号,318-139頁)。

 「女性皇族の場合,出産と死が穢れで,妊娠すると出産後まではずっと宮中祭祀には出られない。それにはたぶん血が絡んでいるからだ」。「その習慣がいまも続いている。『女神記』は一見,『古事記』の世界とつながっていて,現在とは関係ないように見えるけれども,実は象徴天皇制を考える上で絶対避けて通れない問題,にもかかわらず,これまで触れられてこなかった問題を鋭く衝いている」(139頁)。

 補注1)本ブログ筆者は別の記述のなかで,女性皇族たちが妊娠している期間,とくにお腹が多きくなった姿をみせないでいるのではないか,という疑問を明記したことがある。

 ただし,元皇族だった女性が「平民:一般人」と婚姻している状況の場合,いいかえれば,皇女や王女が皇族・王族以外の男性に嫁ぎ,いわゆる「皇族女子の内親王・女王が非皇族(臣下)に嫁ぐ」降嫁(こうか)をした身分にある場合は,そのかぎりではなく,お腹が大きくなった姿でなにかの行事に参加している姿をみせていないわけではなかった。

 補注2)以上の補注1のなかで「降嫁」ということばが出ていたが,現在の皇室典範のなかには,さすがにそれに相当する用語・概念は表記も使用もされていない。しかし,実質的な思考方式としては,旧・皇室典範の観念を継承していないとはみなせない。

 昭和天皇の配偶者香淳皇后は,長男の皇太子明仁親王(当時,のちの平成天皇)と民間出身である正田美智子(当時)との婚約が決定したとき,秩父宮妃勢津子(この女性は,旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女ゆえ「賊軍」の末裔になるわけだが)の母親で,貞明皇后の御用係として長年宮中に仕えた松平信子らとともに(皇太子妃となるこの正田美智子を)「平民からとはけしからん」などと強い不快感を示していた。

 この場合は「降嫁」ならぬ,「平民」からの「昇嫁(?)」とでも理解・観念されたかどうかはさておき,江戸時代の大名家(有力藩などの)が明治時代になって華族に変身させられてから敗戦以後も,その特権階級意識の残滓を払拭できていない事実がありありと感じられる。

〔記事に戻る→〕 前段で「『女神記』は」「これまで触れられてこなかった問題を鋭く衝いている」というのは,推理作家である桐野の『女神記』角川書店,2008年11月における内容に関した指摘である。

 2) GHQ占領政策の過誤

 原はさらに,こう発言している。皇室「宮中とオカルトというのはかなり親和的なのです」。「その隔絶された環境自体に,GHQも全く手をつけなかった。つまり,敗戦の前と後でも,『お濠の内側』は全く変わっていないのです」。

 「結局,皇室神道宮中祭祀を,天皇家の私的な宗教や行事として認めようということです。政教分離の原則にしたがって国家神道は解体するが,信教の自由があるから,皇室神道宮中祭祀までは解体できなかったわけです」(144頁)。

 補注)結局,国家の経費=国税で経済的に支持されていながら「私的な宮中祭祀」を執りおこなう皇室一家には,はたして,逆説的な意味合いにおいて〈信教の自由〉がありうるのか。

 皇室神道はかつて,国家次元において日本帝国を宗教的に代表する神社神道であった。だからそれは,そのほかすべての教派神道に対する上下関係でいえば,超越的にも絶対的にも「最頂点に立つべき地位」を誇示していた。

 ところが,GHQ当局による占領政策での理解不足もあったせいで,敗戦後において,皇室神道を本格的にみなおしたり解体したりするための厳格な取組作業をなしえなかった。あまつさえ,東京裁判免訴あつかいされた天皇個人の「戦争責任」も問われなった経緯も幸いし,あたかも天皇家皇室神道という〈別世界の宗教空間〉を維持しつづけることができた。

 原の発言をさらに聞いておく。--桐野が皇室の宗教的行事について,「あたかも昔からやっているかに見えているけれども,実は明治以来のものだそうですね」というのを受けて,「そのとおりです。新嘗祭を除くとほとんどの宮中祭祀は,明治以降につくられています」「江戸時代には神武天皇祭とか春季皇霊祭などというものはなかった。仮りにそれらをなくしたところで,皇室がなくなるわけではない。明治以前に戻るだけともいえます」と応えている(145頁)。

 補注)国家主義的立場の右派の人びとにいわせると,だからもっと古い時代までさかのぼって皇室の伝統を再生し,固定させておく必要があるのだ,ということになりそうである。だが,こうした歴史学的に根拠の定かでない迷説は,たとえば,最近公刊された本郷和人天皇はなぜ生き残ったか』新潮社,2009年4月によって一蹴される。

 本郷の同書は,その種の迷説をこう批判して退けている。

 天皇を歴史的に解説する本,「天皇のすべて」の如き本に多いのは,まず古代を語り,中世と江戸時代を通り過ぎ,明治とそれ以降に言及するという構えである。天皇が輝いていた(と思われる)古代を重視するかかる方法は,他ならぬ明治政府とそれに連なる学者たちが創出したものである。

 

 それを疑問もなく,あるいは承知の上で,継承する論者は,当然の事実ながら天皇制にむやみに高い評価を与えることになる。それは方法でありながらすでにして結論であるから,客観的な試みにはなりえない(同書「権力のない天皇の権威とは-問題提起として」4-5頁)。

 本郷いわく「天皇天皇制についての議論をよく耳にする。どのような主張を展開するのも自由であるのだが,結論先にありき,の言説が多いのには閉口する。そうした論者に共通するのが,知識のつまみ食いと言葉の遊びである」(同上,1頁)。

 

  髙谷『宮中賢所物語』の「根拠のない」定言(勝手な決めつけ,恣意的な独断)

 1) 神々に序列を付ける暴挙

 髙谷は「皇居の特別なお場所」である「宮中三殿」,すなわち,

   イ)「賢 所」--皇室皇祖である天照大神の霊代:神鏡を祭る
   ロ)「皇霊殿--歴代天皇・皇后,皇族の霊を祭る
   ハ)「神 殿」--皇室守護の神様として八百万神を祭る

を,それこそ,これ以上はないほど馬鹿丁寧な記述で,いわば飛びきり「最上級の敬語遣い」でもって説明する。

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 前段の  イ)賢所 ロ)皇霊殿ハ) 「神殿」 の関係は,つぎのように自明なのである。

 まず,ロ)  の歴代天皇一族の霊は天照大神からの系譜に位置づけられるから,イ)  →  ロ)   の順に,尊く,エライ。

 つぎに,ハ)  八百万の神々は皇室を守護するための存在する神々であり,ロ)  に対して下属してこそ意味がある。だから,イ)  →  ロ)  →  ハ)  の順にエライ。

 ハ)  の八百万の神々を祭る「日本全国のもろもろの神社」に,国民というか庶民というか日本の住民たち(旧「平民たち」)は,時節のたびに御利益を求めてだが,よく参拝にいく。これらの人びとをいま  ニ)  としておけば,ここにおいて,イ) →  ロ)  →  ハ)  →  ニ)  の上下関係が構築される〔というか,明治期にそのように措定されていた〕。

 皇室神道はこのように「自家の私的な神道」〔である「はず」のそれ〕を日本神道の全体を代表する最高・至上の神的存在と位置づけている。少なくとも,「内掌典」を昭和18〔1943〕年から57年間勤めてきた女性の説明にすなおにしたがえば,そうなるわけである。

 髙谷朝子の説明,それも皇室神道の歴史に関するそれはとても興味深い。けれども,すでに本郷和人が完膚無きまでに論破していたように,総体的には飛沫的な謬説に過ぎない。また,その道の専門家でも研究者でもない彼女に対して,皇室=天皇家のより真実に近い歴史の一端をしれ(あらためて勉強しておきなさい!)といっても,これはいまさら無理難題であった。

 しかし,だからといって,彼女のいうような「歴史に関する知識以前の,しかも事実とは縁遠い,おまけに途方もなく無謀な〈知識〉」を,日本社会のなかに放置しておくのは問題である。

 2) 歴史的に根拠のない決めつけ

 髙谷が『宮中賢所物語』のなかで呪文のようになんども繰りかえしていう,こういう文句がある。

 「平安の昔から変わらないしきたりの中で,今日まで途切れることなく続けられてきました御祭の数々が,いまも昔のままの姿でおこなわれてございます」(同上,2頁)。

 この記述の直前には,皇室の行事である歳旦祭神嘗祭新嘗祭など年間20数回の祭りがあり,毎月1日・11日・21日にはさらに旬祭もあると説明されている。だが,本郷の先述どおりであって,それらの行事を「平安の昔から」「昔のままの姿でおこなわれて」いるなどというのは,いくら18歳になるときから宮内省(当時)に勤めはじめた「乙女の〈その後〉における記述」とはいえ,その荒唐無稽さ・無知蒙昧さについては,ホトホト呆れるほかない。

 髙谷は「遠い昔」「古のしきたり」(同上,3頁)というたぐいの修辞を,くどいほどなんども文中に出して使っている。あまりにも度の過ぎた「昔・古代・古い」という形容は,彼女のように古代史の勉強とは無縁の皇室関係者(一介の巫女体験者)にその修正を求めても,それこそないモノねだりでしかない。

 髙谷も女性の立場において,皇室神道がその宗教行事においてとりざたされる「穢れ」の問題をくわしく記述している。この皇室における「穢れ」の問題は,部落差別と棟続きというか,裏表の関係にある。

 3) 皇室と部落差別の通奏低音

 冒頭に触れた本ブログ「2009年5月6日」の記述(別途,つづいて再公開する予定)は,被差別部落解放の指導者松本治一郎が「貴族あれば賤族あり」と喝破した点に触れ,憲法上において象徴となった天皇制といえども,これが世襲であるかぎり社会的差別意識を再生産しつづける批判した横田耕一の言説を引用した(『憲法天皇制』岩波書店,1990年,234頁)。

 部落差別の問題の核心は,この範疇に分類した人びとを,「穢れ」という符牒をもって差別することを当然視するところにみいだせる。実のところ「聖の皇族」に対してとなれば,「穢れのある賤民」の存在が不可欠であった。この歴史的起源を忘れてはならない。昔の話をすれば,律令体制が形成される過程において,この社会体制のなかには「良人」「良民」と呼ばれた上層概念が創出され,さらにその上に超越的に存在するのが天皇であった。そして,その下層に排除されていたのが賤民だった。

 要は,21世紀のいまになって,それでは部落差別の問題が完全に解消されているかといえば,けっしてそうではない。いまなお,松本治一郎のいうとおりであって「聖あれば賤あり」である日本社会の基底構造が,完全に解消されているとはいえない。

 髙谷は女性の生理に関係する「穢れ」の問題にも詳細に言及していた。神道宗教の聖と穢れの思想がいかなる性質のものかという問題はさておき,彼女はこの「穢れ」をまた当然視し,わずかの疑問も抱かずに,受容する立場であった。その意味でこの立場は,『宮中賢所物語』から引用するなら「千年もの昔からの変わることなく」「受け継がれてきた」(251頁)差別意識である。

 実際の学問とは縁のない髙谷のような女性に対して,以上のようなきびしい批判を与えることは酷かもしれない。しかし,学問的でも学究的でもない彼女の立場から,皇室神道に関するデタラメ三昧ともいうべき妄説を,著作にして世に現わすという所業はとうてい許容できない「世をまどわす〈迷負の言論行為〉」であった。

 髙谷のいう「古代の神々様の御賑わい」(338頁)は,けっして皇室神道のためにあるのではない。日本の国民・庶民・住民が〈それぞれ多種多様なかたち〉において信じる諸「神社の神々」が,大いに賑わえばよいことである。そこを,なにを勘違いしたのか,明治以来いきなり登場する皇室神道がしゃしゃり出てきて,日本では「俺様の私家の神道」の神様が一番エライのだといいだした。ここから,日本帝国がその後に逢着する蹉跌,大失敗も生まれたのではなかったか?

 髙谷の立場にとってみれば,その手の議論は畑違いの話題であって,とうてい理解されうる中身ではない。皇室や皇族の諸問題に関しては基本から無知であった彼女の頭脳のなかは,ある種の洗脳が完成していた。この女性に対して,宮中三殿賢所」の「明治創設的な伝説ウンヌン」を解いたところで,初めから理解の域外に存する問題であった。

 いずれにせよ,古代史における神話的次元の神道宗教を手をかえ品をかえて厚化粧させ,近現代の政治のなかにもちこんで利用したのが,明治時代に創作された国家神道神社神道であった。
 
  無知の上塗り-似非知識人の皇室万歳劇-

 髙谷『宮中賢所物語』の末尾に明石伸子「インタビューを終えて」という,あとがき的な一文が収められている。髙谷の話を聞いた明石は,皇室の「伝統」に関してこうまとめている。

 「日本の皇室の歴史は古く,天皇は日本国の象徴であるだけでなく,神武天皇から伝わる祭事をいまも執りおこなっている神職でもあり」,「賢所はその神髄であり,内掌典はそれを司る住職で」ある。「しかし残念なことにそうした事実が私ども日本人にはほとんど知らされておりません」(「インタビューを終えて」340頁)。

 

 「髙谷様は,口伝により脈々と伝えられたしきたりの多くを身につけた最後の内掌典と言っても過言ではないでしょう」。「本書を通じて,髙谷朝子様という方と,賢所に伝わる日本の伝統の一端をみなさまに紹介できることは,誇りある活動であると思っております」(同上,341頁)。

 核心の確かではない《昔話》を,ここまで逞しく想像して粉飾的に語れるのであれば,これはもはや,子どもに聞かせるおとぎ話の世界に飛翔していた。

 架空の人物である “神武天皇が祭事を執りおこなった” などと,推量させうる史実があるわけがない。賢所の祭事が現在のように執りおこなわれるようになったのは「いつからかと問われて」,明石伸子はもちろんのこと,髙谷さえ答えられない。

 そもそも「神武天皇以来の祭事」などといったら,古代史をまともに研究している学者に鼻で笑われるどころか,相手にされても幼児の寝言・戯言ぐらいにしか受けとってもらえない。

 皇室にかかわる歴史を「ほとんどなにもしらない」髙谷や明石のような人が,いかにも皇室の歴史が長く尊くあるかのように,それもあたかも「夢でもみるかのように」語ったところで,歴史の真実の一片すら明らかになるわけではない。

 なかんずく,いまなお,専門の研究者が解明しつつある古代史研究にもとづく天皇天皇制史の解明とは,なんら関係のない「絵空事のような《皇室万歳》劇」を脚本・演出することの意味は,いったいどこにあるのか?

 髙谷『宮中賢所物語』は,太平洋戦争の半ばから戦後を経て半世紀以上もの長期間,内掌典を勤めあげてきた「彼女個人の職務内容」をとおして,皇室の実態の一側面をしることができる。その意味では,皇室の内幕に関する非常に貴重な「内部からの報告」である。この点は大いに評価すべきである。

 

  多神教である日本神道の基本精神を破壊した皇室神道

 1) 明治以降の神話創作物語-皇室を頂点に置く1神教の虚構-

 井上宏生『日本神話の神々』祥伝社,2007年は,明治時代に造形されてきた〈天皇家の宗教精神〉を,こう記述している。

 1889〔明治22〕年に発布された大日本帝国憲法では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とされ,アマテラスは正式に天皇の先祖として認知されている。もはやアマテラスは日の神ではなく,皇祖神,さらには国家の神に昇格したのである(212頁)。

 

 教育勅語は,「皇祖」とは天皇の祖先,アマテラスであり,「皇宗」とは歴代の天皇を意味した。つまり,日本は皇祖神,アマテラスと歴代の天皇によって国のかたち,いわゆる「国体」を構成し,教育の源もその国体にもとづくというわけであった(213頁)。

 

 教育勅語は「天皇の臣民は忠孝を尽くし,心をひとつにして」といい,天皇が日本という家族の家父長だということを示し,家族の一員たる国民すべてが,よく家父長に尽くせ,と指示した。これは,朱子学で幕府の将軍が家父長だったのと共通している。天皇と将軍が入れ替わっただけである。

 

 アマテラスはたしかに新しい時代のヒロインであった。しかし,ヒロインであるための論理は借り物であった。というのも,アマテラスは「儒教の国教化」に「ヨーロッパ的な合理主義」を注入した『妥協策である〈教育勅語〉』から誕生させられていたからである。

 

 逆にいえば,教育勅語

  「イ)  神話の世界」からアマテラスを表舞台に引き出し,

    孔子に発する「ロ)  朱子学の発想」をとり入れ,

  「ハ)  欧米流の合理主義」も

視野に入っている。目的のためには利用できるものは利用し,それらを巧みに縫いあわせ,勅語を生み出したのである。

 

 器用といえば器用,無節操といえばこれほど無節操な話はない。それは戦前の現人神の世界から一転し,民主化を錦の御旗にした日本と日本人を連想させる(214頁)。

 井上宏生のこうした考察にしたがえば,さらにつぎの敷衍ができるはずである。

 明治の時代に創作されていった皇室神道国家神道とも呼ばれるこの宗派「日本帝国の官営神道」は,靖国神社伊勢神宮明治神宮などを国家の中心に配置し,ほかの神々の神社をその周囲に組織的に下属させる関係を強制した。

 そうした手口の結果,「天皇家神道」だけは「八百万の神々」の宗教の仲間ではありえなくなった。すなわち,天皇天皇制における「現人神」を「その頂点」に登場させ,日本の神道にはそれまで存在すらしていなかった『1神教』の世界を捏造した。

 2) 八百万の神々を従えさせたつもりの国家神道の過ち-現人神という虚説-

 しかし,そうした日本神道皇室神道(化)=国家神道(路線)がたどった道筋は,八百万の神々を信仰するこの国の「民のその信仰心」を破壊する方向に突きすすみ,敗戦という失敗:悲惨ももたらした。いまもなお,皇室内で平成天皇(2021年現在は令和天皇)が「自家の宗教」として信仰する〈神〉は,天照大神と歴代の天皇たちだと規定され,しかもその下位に八百万の神々を位置づける秩序をもって,いわば日本の神道界「全体を序列化」しようとした。

 そのなかで八百万の神々は1945年8月まで,国営の神道が圧倒的な存在力を発揮する状況において,否応なしに主従の関係を強いられた。そのため,これら八百万の神々が古い昔より有してきた『〈神々〉としての本来的な由来』は圧殺され,滅失する結果となっていた。敗戦後における皇室神道の宗教世界は,以上のごとき日本の神道界における〈歴史的な虚説〉の捏造を清算するどころか,これを寸毫も反省する機会をえていない。

 わずか百年あまりしかない「皇室神道の宗教構成史」を,髙谷『宮中賢所物語』は無知ゆえに1人勝手に決めつけ,自由奔放に語ることができた。なんの根拠もなしに「ともかく昔からある」とか「口伝である」とか「特定すると平安のころから」とかというが,これは古代史や宗教史の研究成果を全面的に拒む立場でなければ,とうてい口にしうるものではない。

 ちなみに,いわゆる「天皇陵といわれる古墳群」の学術調査を宮内庁がほとんど拒否している理由も明快である。歴史的な真実が明るみに出てしまい,現在の天皇天皇制のイデオロギー史的な形成基盤を瓦解させる解明がなされては困るのである。

 3)    神道本来の神々を押しのけて多神教を1神教に歪曲した皇室神道

 関 裕二『この1冊で日本の神々がわかる!』三笠書房,2009年4月は,日本のような「八十万(やそよろず)八百万(やおよろず)の神々」という考えを「多神教」といい,キリスト教のような1人しか神がいない考えを「1神教」と比べたのち,日本人にとって「神」とは「大自然」そのものである。これは簡単なことである。これが神道の根っこであると解説する(「はじめに」3頁・5頁)。 

 関のいうとおりだとすれば,明治以降になって大日本帝国が創作した天皇天皇制は,まさに「1神教」の宗教理念のもとづく「現人神」であった。この「神ならざる神」を帝国臣民たちに提供し,押しつけていた。つまり,明治以降において制作された「国家神道としての皇室神道神社神道」は,日本に伝統・固有の神道宗教を政治的に悪用し,観念的に歪曲した。いわば,帝国主義路線を推進させるために,昔からの日本にあったアニミズム的な神道を換骨奪胎したあげく,その「大昔からのとても古い伝統」を圧殺しようと試みたのである。

 「アニミズム信仰の対象」「シャーマン神話的世界の物語」に登場する架空の天照大神が自分たち一族の祖先神だと真剣に信じてきた明治以来における日本の天皇〔とくに昭和天皇〕は,古代から信じられてきたそれら神々の世界における秩序を,自分たちの都合のいいように改変た,つまりでっち上げた。これが,明治以降における日本の国家神道皇室神道の脊柱・本性であった。

 1945年8月までの一時期,宮城〔皇居〕や靖国神社明治神宮のまえを通過する電車の乗客は,そちらの方向〔昭和天皇のいるところ〕に敬礼するよう命じられた。そのとき「敬礼される目標」側にくわわっていた1人が,内掌典を勤める立場での髙野朝子であった。参考にまでいえば,イスラム教徒の「礼拝の作法」は「メッカのカァバ神殿の方向(ギブラ)に向いておこなう」という。

 惜しむらくは,この国に住む人たちが,そうした明治以来の国家神道神社神道=「1神教」と,ふだん自分たちのまわりにたくさんある「八百万の神々」を祭る教派神道とを,あえては識別しないで暮らしていることである。しかし,日本の宗教である神道信仰は「そのような識別じたい」を,わざわざきびしく問わない精神的な特性をもっている。だから,国家神道教派神道の境目があいまいにされる〈危険性〉と,いつも隣り合わせでこの国の人びとは,原始宗教的に生きている。

 

   付  論-髙谷朝子『宮中賢所物語』ビジネス社,2006年の増刷-

 この ⑥ は本(旧・々)ブログの2009年5月14日に記述された一文である。⑤ までの関連があり,この末尾に連結させて再公開するのが適当と判断し,以下に転載することにした。 

   朝日新聞の対談記事が髙谷朝子『宮中賢所物語』を宣伝してくれた ★

 a) 出版元のうれしい悲鳴が聞こえてくるような感じ

 本(旧・々)ブログ「2009. 5. 10」(⇒ 本日  2021/01/03 に更新)の記述「皇室神道宮中祭祀の歴史」は,雑誌『世界』6月号の「特集 岐路に立つ象徴天皇制」において,原 武史(明治学院大学)と桐野夏生(作家)との〈対談〉「象徴天皇制の『オモテ』と『オク』-深層に潜む『死の世界』の力-」がなされており,さらに,「2009. 5. 6」の「朝日新聞天皇対談特集記事」(※)が,作家の林真理子と,明治学院大学国際学部で「日本政治論・政治思想史」を講じる原 武史との「〈対談〉皇室と女性」を掲載していたことに触れながら,くわしく議論した。

 補注)この(※)については,別途 近日中に復活させて再公開する予定であると前段で断わっていた。

 とくに「2009. 5. 6」における朝日新聞のその対談記事をきっかけに,髙谷朝子『宮中賢所物語』の増刷が決まったと,出版元のビジネス社がホームページで,つぎのように広告していた。2箇所からその文句を引用しておく。

 宮中賢所物語,髙谷朝子 朝日新聞オピニオン対談「皇室と女性」(5月6日),林真理子さんと原 武史さんの対談で注目されました。宮中祭祀の知られざる真実がここに! 大反響! 増刷決定!!

 

 『宮中賢所物語』増刷決定しました! 5 / 6  朝日新聞紙上で作家の林真理子氏と原 武史明治学院大学教授の対談「皇室と女性」で本書が注目され大反響 !! 注文&問い合わせが殺到 !!

 

   ☆ 増刷が決定いたしました ☆

『宮中賢所物語【五十七年間 皇居に暮らして】』
   著者 髙谷朝子 / 聞き手 ◎ 明石伸子  書き手 ◎ 太田さとし
    定価 1,890円 ISBN 978-4-8284-1246-7

 

  初めて公けにされた皇居の “特別なお場所” と,
  平安時代からのしきたり,祭祀・・・五十七年もの間
  宮中に勤めた著者が,いまその歳月を語る!

 朝刊だけで8百万部(公称,2009年当時)を発行している朝日新聞が,1面を使って対談記事を載せ,それも林真理子という有名作家を対談に迎えての内容であっただけに,出版元にはこの記事をみてこの本を購入しようと注文を出した人たちが,相当の数いたものと思われる。

 補注)なお,2020年7月度における全国紙4社(および準全国紙1社)の部数内訳は,つぎのとおりである。( )内は,前年同月比。

 

  朝日新聞:501万3399部(-43万6688部)
  毎日新聞:211万7818部(-22万7630部)
  読売新聞:749万8690部(-47万5480部)
  日経新聞:206万9670部(-22万9851部)
  産経新聞:128万4320部(-  8万  558部)

 

 全国の日刊紙の発行部数は,3137万部である。この1年の減部数は約214万部である。東京新聞社の分(約42万部を発行)が5社消えた規模の減部数である。

 前段に引用した「髙谷朝子『宮中賢所物語』の増刷」の話題,とくに「出版元のビジネス社」の宣伝文句が,はたして,学術的・専門学的にいかほど信憑性をもちうるかまったくおぼつかない。その点は,本(旧・々)ブログ「2009. 5.10」の記述(この記述の ① から ⑤ までとして復活)が詳細に検討していた。

 それはともかく,出版元であるビジネス社は,『朝日新聞』が自社の出版物を大々的にとりあげてくれたせいで,髙谷の本への注文が殺到し,「笑いがとまらない」というか「うれしい悲鳴をあげていた」。 

 b) 筆者の過去の経験

 本日のブログは,以上 a) だけを記述するつもりでいた。ところが,書いている途中でふと,筆者自身がいまからだいぶ以前に体験したことを思いだした。それは,筆者が19xx年3月に,某出版社から発行した専門書に関する思い出である。

 この出版社はほぼ定期的に,日本経済新聞朝刊の「第1面」に確保している記事下広告欄があり,新刊の広告を出している。筆者のその本(新刊本)の広告もそのとき,その定位置の広告欄を使い, “新刊された図書の宣伝” として出されていた(※)。もっとも,この話だけなら,とくべつとりあげて話題にするほどのものではなかった。

 ところが,その後しばらく経ってから(3カ月ほどあとだったが)ある日,同じ日本経済新聞朝刊に掲載された別の「全面広告」面に,びっくりする写真が載っていた。それは,「前段の新聞広告」(※)を載せた過日の,その「日本経済新聞」朝刊の実物を拡げて「読んでいる人」を写した写真を使い,さらにこれを当該広告の紙面のなかに “入れ子状に利用している” 別の広告であった。

 すなわち,その後日のほうの広告紙面を構成する写真のなかに写っていた「過日の〈日本経済新聞〉朝刊」の広告そのものは,実は,本ブログ筆者の新刊図書の広告が載っていたものであった。ということになっており,こちらの広告のなかに写っている過日の新聞「第1面・記事下広告」においては,その過日の広告として当該の出版社が出していた「筆者の新刊本の題名」が,大きめにはっきりと読みとれるほどに写ってもいた。

 どういうことかを再言すれば,あとの日付のほうでの日本経済新聞の全面広告のなかに利用される素材となって写しだされていたのが,さきの日付のほうでの「本ブログ筆者」の「著作の新刊広告」であった。それも,その本の題名が判明するほどに大きく写っていたから,これには思わず声を上げるほど驚いたのである。

 --以上,少々分かりにくい説明だったかもしれない。この話は当然,出版社の人たちもすぐ気づいていたから,おたがい大笑い=大喜びしたことも記憶している。ただし,売上にどのくらい好い影響があったかどうかは,いまだに不詳である。

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