『朝日新聞』2009年5月6日朝刊「天皇対談特集記事」から読みとれた天皇・天皇制の問題

             (2009年5月6日,更新 2021年1月4日)

 朝日新聞天皇対談特集記事,有名作家と大学教授の対話を介して汲みとる天皇

 

 【要  点】 天皇天皇制を考えるための議論-批判的視角の射程,その方向と限界-

 

 今日〔2009年〕5月6日〕『朝日新聞』朝刊に作家の林真理子と,明治学院大学国際学部(当時)で「日本政治論・政治思想史」を講じ,近現代天皇制や戦後社会論を専門分野とする原 武史とが,「オピニオン 対談 皇室と女性」で対話している。

 連休中でたまたま家に寄っていた娘がいわく「あの記事少し変ね」と。本ブログの筆者であるその父いわく「最近アサヒは少し右へ移動しているんだよ」。この対談記事のなかでも,とくに気になった専門家原 武史の発言のみとりあげ,簡単に評言しておく。

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 ★-1  最初に「海外の賓客も,皇居に招待されると非常に感動するというような優れた機能がある」という発言についてとなれば,そのような効用を皇室に期待することは,日本国憲法第3条から第7条に以下のように規定されている内容から外れるものではないかという疑問を,原 武史がしらないことはない(むしろよく承知しているはずだ)と指摘しておく。

 第3条 天皇の国事に関するすべての行為には,内閣の助言と承認を必要とし,内閣が,その責任を負ふ。

 

 第4条 天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。
   2 天皇は,法律の定めるところにより,その国事に関する行為を委任することができる。

 

 第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは,摂政は,天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には,前条第一項の規定を準用する。

 

 第6条 天皇は,国会の指名に基いて,内閣総理大臣を任命する。
   2 天皇は,内閣の指名に基いて,最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
 
 第7条 天皇は,内閣の助言と承認により,国民のために,左の国事に関する行為を行ふ。

  1. 憲法改正,法律,政令及び条約を公布すること。
  2. 国会を召集すること。
  3. 衆議院を解散すること。
  4. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5. 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

  6. 大赦,特赦,減刑刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  7. 栄典を授与すること。
  8. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  9. 外国の大使及び公使を接受すること。
  10.儀式を行ふこと。

 以上のうち,第7条の 5.9.にかかわっては,原のいう〈効能=優れた機能〉が発揮されうる可能性が大である。しかし,第3条,第4条の憲法の精神を尊重するならば,現実問題としてこの国事行為がどのようにおこなわれているかなお問題があるうえに,このような「優れた機能」を「世間にアピール」するような意見は,《違憲》の虞れが強い。

 ★-2 さらに原は,皇室の祭礼行事について「一般の感覚からは,恐ろしいほどのギャップがある。だから,シャーマン的な体質であることが大事じゃないかと思います」と述べ,「今でも祈りは欠かせないし,神をありありと感じることができるかも重要」とも述べる。

 しかし,皇室神道にかかわる宮中祭祀をそのように理解するのであれば,なおさらのこと,そのような宗教的機能を皇室に対して期待するのは,日本国憲法の基本精神に反する,逆行する,認識である。

 ★-3 原はくわえて,昭和天皇が1927年から始めた「田植え」行事〔当然,秋には稲刈りもあるが〕に関して,今年4月8日に平成天皇が記者会見の席で,「新嘗祭のような古くからの伝統の一方で」「昭和に始まった〔この田植えの〕行事もあると発言したのに驚きました」と述べるが,こういう「驚きました」という原の発言に,本ブログの筆者は逆に驚いた(ある種の表現方法であったとしても)。

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 「天皇たちの田植え(  ↑  )」「小学生たちの田植え(  ↓  )」であるが,いったい,どちらの姿・光景が本当は “昔風の田植え” に近いか? この問いは「国・民統合の象徴」という意味関連で提示される必要はない。

 

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 昭和天皇が始め平成天皇,令和天皇も受けついでおこなってきている「田植え」に関しては,原 武史『昭和天皇岩波書店,2008年1月は,15頁に出した座標2図(上図)のなかでそれぞれ,第1象限である「お濠の内側 × 非政治的主体」に〈田植え〉を記入している。

 だが,この「田植え」行事は,1927年に昭和天皇が「皇位を継承し,天皇になってから思いつき,始めた,つまり新しく創った皇室行事である」。しかし,この事実についていえば,原『昭和天皇』のどの頁をみても関連する記述はない。

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 実は,原が天皇天皇制を論じる姿勢には,研究者として「批判すべきは批判する」という確固としたものがある。ところが,今日の林真理子との対談記事ではその姿勢が,あえてあいまい化されている。

 そもそも,朝日新聞がこの種の対談記事〔「オピニオン」や「私の視点」〕に載せる内容については,「社の方針」というものがあり,だいぶやかましく介入してくるらしい。そのせいで,岩波新書における原の筆致からみると,かなり調子を落としたというか抑え気味の〈発言〉になっている。

 ここで,原『昭和天皇』から数カ所,引用する。

 「退位の道を断たれた天皇は,生涯をかけて平和を祈り続けるという決意を固め,『祖宗』に誓ったのかもしれない。しかし,天皇が発した謝罪の言葉を,『万姓』が直接耳にすることは永久になかった」(186頁)。

 

 「高松宮は」「靖国神社A級戦犯が合祀されてからも参拝し続けた」。「高松宮は,天皇A級戦犯に戦争責任をすべて押し付け,自らはそこから免れているように見えたのだろうか。そうだとすれば,一見右派的な行動のなかに,天皇に対する最も鋭い批判が含まれていたことになる。松平永芳は,高齢の高松宮に配慮し,本殿正面の急勾配の階段を上らなくでもよいようにした」(214頁)。

 

 「現天皇は,『お濠の外側』では護憲を公然と唱えながら,『お濠の内側』では現皇后とともに,宮中祭祀に非常に熱心である」。「日本国憲法の理念でもある平和を『神』に祈るというのは明らかに矛盾を含んでいる」。「祭祀は『創られた伝統』なのだから,減らしても宮中の伝統そのものを否定することにはならないという見方は微塵もない」(224頁)。   

 『高松宮日記 全8巻』(中央公論新社,1995~1997年〔各巻〕,1998年〔一括全巻〕)は,高松宮(1905-1987年)没後の1991年,宮内庁職員が宮邸倉庫から発見した日記(大正10年~昭和22年)を,妃配偶者喜久子の強い希望によって,中央公論社から一部編集を経て出版したものである。この日記は,戦争遂行および戦後責任の問題で昭和天皇とは鋭く対立した高松宮の心情・葛藤などに関連する歴史的資料でもある。

 ★-4 「林と原の新聞紙上での対談」を読んで感じることは,現行憲法における皇室の存在がいかにしても矛盾そのものでしかない,という1点である。

 第1条「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」というこの条項の後半を,昭和22年5月3日施行される以前においても,また以後においても,日本国民が自身の「総意で同意したこと」など,まったくなかった。もっとも,いまさら同意したところで,どうにかなる問題でもない。それでは,どうする? 明治憲法に戻るわけにもいかない。

 平成天皇の生きざまをみていると,皇室を時代の流れのなかでいかに適応・維持・発展させていくか涙ぐましいまでの努力を重ねている。しかしながら,民主主義に対して,天皇天皇制が根源的に矛盾する疑似政治的な家的組織である点は,否定しようもない事実である。

 いまから20年近くもまえにやはり,岩波新書として発行された横田耕一『憲法天皇制』(1990年)は,末尾の記述をこう書いていた。

 被差別部落解放のために一生を捧げた松本治一郎は,かつて,「貴族あれば賤族あり」と喝破したが,この言葉のごとく,仮に象徴天皇制憲法的に純化され,より憲法適合的になり,よりスマートになったとしても,それが世襲であるかぎり,その制度は社会的差別意識を再生産しつづける大きな源になるように思われてならない(234頁)。

 

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 以上の引用中で末尾の「・・・ように思われてならない」は不要である。平成天皇宮中祭祀に熱心であろうとする姿勢は,民主主義と天皇制の根本矛盾を,かえって結果的にますます深めるほかない。

 ここで,松本治一郎に関するいくつかの話題を引用する(→コメントは筆者)。

   a)    昭和「64年内閣の第1回生存者叙勲にあたり勲一等を授与するとされたものの拒否した」(→勲章はもともと軍人用,天皇によって「手柄の位」が付けられる)。

   b)松本治一郎の信条を浮き彫りにし,平等の基本である『人の上に人を作らず 人の下に人を作らず』」(→これは早くから福沢諭吉が紹介していた文句)。

   c) 19「48年第2国会開会式の際,〈カニの横ばい〉といわれる天皇への拝謁を拒否して天皇制のもとでの永年の慣習を廃止させた」〔「カニの横ばい事件」〕(→いまでも皇室一族に対しては最上級の敬語が使用されている)。

   d) 「また皇室経済会議の委員として,皇室の特権を制限するなど主権在民の実現に努力。1949年吉田内閣によって公職から追放される」(→吉田 茂は親英米の反動政治家。天皇に対して自分を〈臣〉と称した。これではまるで封建時代の君臣関係である。松本治一郎とは好〔悪?〕対照。茂の孫に麻生太郎がいて,このタローがわれわれに向かい「下々の皆さん」と発声していた)。

 最後に。そういえば,林真理子と原 武史の対談記事に付けられた見出しを紹介するのを忘れていた。末尾になるが記しておく。なお,ここで「皇后」とは平成天皇の配偶者美智子を指す。

 原: 増える無関心層   お濠の内   担うのは   シャーマンの体質

 林: 祭祀できわだつ   皇后のカリスマ性   やわじゃない強さ

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