西尾幹二が『朝日新聞』のインタビュー記事に登場して,天皇問題のなにを語ったか?

              (2017年12月14日,更新 2020年1月5日)

 『朝日新聞』のインタビュー記事に登場した西尾幹二が,天皇問題のなにを語ったかといえば,「現代を生きる鎖国論者の精神的な支柱・基盤は「日本神州論」であったかのように聞こえた独自の見解

 

  【要  点】 西尾幹二外国人労働者導入反対論であったが,いまとなってみれば現実離れの空理空論にほかならなかったが,この識者が語る天皇天皇制「論」もまた,独特の味わいがあった


  本日:『朝日新聞2017年12月14日朝刊の注目したい記事3件

   1)「伊方原発,運転差し止め 阿蘇大噴火時,影響重視   来〔2017〕年9月末まで〔広島〕高裁が初判断」(1面,38面の「社会」にも関連記事あり)。

   2)「〈平成と天皇〉 政治との距離を聞く:上   ご発言,政治性含めば危険   西尾幹二氏」(4面「総合」)
 
   3)「米軍ヘリ窓落下,児童近く  普天間飛行場隣,授業中の校庭」(1面)
    「〈社説〉米軍ヘリ事故 警告されていた危険」
    「児童から13メートル,衝撃音『バン』校庭で体育,悲鳴 米ヘリ窓落下」(39面「社会」)

 とくに  1)と  3)のニュースは重大な記事になっていた。だが,本日は  2)に西尾幹二が登場した点に若干こだわってこれをとりあげ,議論したい。

 西尾幹二は多くの論著をものにしている。本ブログ筆者もけっこうな冊数を蔵書していたが,西尾のものは先日,そのほとんどを処分していた。前世紀から西尾は,外国人労働者の国内導入に絶対反対の立場から発言してきた。しかし,この文学者の提示していたその見地は,いまとなっては完全に “的外れの錯誤” でしかなくなっている。
 補注)ただし,西尾幹二『「労働鎖国」のすすめ』光文社,1989年のみまだ残してあった(正確にいうと処分しそこなっていた)。その理由については,この記述全体を通して説明する。

 現状の日本ではたとえば,つぎのような現実がある。技能実習生という名目での外国人の受け入れ(在留資格)は,体のいい奴隷的労働者の移入になっていて,彼らのなかから多くの逃亡者を出させ,そのまま日本国内の他所に紛れこませている。かつての「西尾幹二流の労働鎖国論」では,まったく対処しえなかった顛末が否応なしに,現実に進展している。

 というのは,技能実習生に典型的に表現されている歴史的に実証されてきた経過でもあったが,彼らの存在なしに,日本における各種産業経営(とくに中小零細企業)の現場すみずみの日常的な作業は廻らなくなっていたからである。この事実についていえば,四半世紀前からその影響が発生してきた。    
    
  西尾幹二

 西尾幹二にしお・かんじ,1935〔昭和10〕年7月,東京府(当時)生まれ)は,ドイツ文学者で,思想家・評論家も兼ねる。

 東京都立小石川高等学校を経て,1958年東京大学文学部独文科卒業,1961年同大学院修士課程を修了,同年年静岡大学人文学部講師,1964年電気通信大学助教授,1975年教授。1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士を授与された。1994年「正論大賞」受賞。1999年電通大学を定年退官,名誉教授。

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 西尾幹二の「皇室に関する発言」は,偏執的な国粋主義,根拠の明確ではない民族主義,日本史の裏づけの不詳な皇室観などをごたまぜにした内容になっている。が,ともかくここでは,ウィキペディアに書いてある該当箇所から,参照に値する段落だけを以下に引用しておく。

 --皇室の現状を憂慮してか,皇太子徳仁に対して月刊誌『WiLL』2008年5月号から,「皇太子さまにあえて御忠言申し上げます」と題して,連続的に執筆をおこなっていた。これらの論考は実質的に,皇太子徳仁親王妃雅子についての問題を扱っていた。

 「雅子妃は健康であり,公務を欠席しているのは仮病である」と『WiLL』 (「皇太子さまにあえて御忠言申し上げます」)で主張したうえで,この雅子妃の問題はさらに,皇室の日本的伝統のなかに安易に「欧米的価値観を侵入させる」ことの是非の問題だと論じてもいた。

 補注)ここだけに聞いたところでも,唖然とするほかない西尾幹二の「日本の皇室観」が暴露されている。明治維新以来の皇室一家・天皇一族が,いったいどれほどにまでその欧米的価値感を,西尾が嫌っていうように「浸入させた」のではなく,実際にはむしろすすんで「導入してきた」かについては,つぎの一例をあげておき批判する。

 たとえば「喪服の黒色」は,単に欧米の真似であったが,西尾はしっていたか? 天皇関連の問題領域になると突如,「2千6百年以上もの皇統連綿」の「一貫した変わらぬ歴史」があるかのように,それはもう想像もたくましくみごとに幻想できる見解が披露される。

〔記事に戻る→〕 これら一連の論考以外に「朝まで生テレビ!」(2008年8月30日),「たかじんのそこまで言って委員会」(2008年8月17日)などの,テレビメディアでも繰り返し同様の主張を展開した。西尾のこの雅子妃への批判的な主張に対しては,『WiLL』(久保紘之など)や『正論』に批判的な論考掲載され,またこれが遠因となって(教科書運動・憲法論議で共同活動した)日本会議日本青年協議会らの国民運動団体とも袂を分かつことになった。

 なお,女系天皇の是非の問題に関して西尾は,男系天皇論を一貫して強力に主張している。皇室論では,天皇明仁の同級生橋本 明とも対談している。皇室論をタブー視していた言論界で,西尾があえてそれに踏み切った意志の背景には,かつて西尾が私淑していた三島由紀夫が,皇室論のタブーに少しも怯まなかったことへの深い敬意が影響している。それは三島の提唱していたある意味,天皇にとってもっとも過酷で徹底していた皇室論のことを指している。

 三島は,天皇が近代的な快適で便利な生活(電話やテレビを部屋に設置すること)をするのも好ましくないと主張し,一般のセレブのように扱われる皇室(三島いわく “週刊誌天皇制” )を否定していた。三島はまたこう述べていた。

 天皇はあらゆる近代化,あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として,そこにいなけりゃならない。天皇というのは,国家のエゴイズム,国民のエゴイズムというものの,一番反極のところにあるべきだ。天皇尊いんだから,天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは,とにかく “お祭” だ,ということです。

 「天皇がなすべきことは,お祭,お祭,お祭,お祭,それだけだ」と述べ,天皇にとってもっとも重要なのは,新嘗祭などの古来からの宗教性や神聖であり,日本の「西欧化の宿命」「世俗化の宿命」と闘う最後の悲劇意志の象徴としての皇室(最後のトリデ)というものを理想にしていた皇室論で,明治維新二・二六事件の時のような革命の象徴にもなりえる天皇というものを想定していたものである。

 なお『WiLL』2008年8月号で「これが最後の皇太子さまへの御忠言」にて,会田雄次が1968年に語った「いまの皇太子(今上天皇〔平成天皇のこと〕)は,あんな不自由な寒くてしょうがないところはいやだといって,都ホテルへ泊まられるのですよ。この点は,訓練の相違もあるんでしょう。これは大きな問題だと思うのです」を引用していた。

 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/西尾幹二

 以上のごとき西尾幹二流の天皇天皇制「観」は,天皇問題を本格的にそれも学術的に解明してきた歴史家たちにいわせれば,笑止千万の「古代(誇大妄想)的な天皇」問題の解釈論でしかない。新嘗祭のお祭りは古来からの農業中心に意識するほかない祭祀であるが,いまどき第三次産業に一番の比率的・絶対的な重みがある経済構造になっているにもかかわらず,「古来からの宗教性や神聖」に,それも異様なまでこだわる「現代の知識人としての感性」じたいが,すでに理解の域を超えている。

 人間の感情・意識・思想は,その人相にもにじみ出てくるものであるが,西尾幹二のそれもたしかに表情によく表出されている。ただし,天皇天皇制の問題に対する西尾の理解・認識・概念化は,今世紀において妥当しうるものがあるかと問われれば,もう古すぎてお話にならないとしか応えようがない。要言するとしたら「御用済み」ということである。

 「保守派の大重鎮・西尾幹二氏『鬼気迫る安倍批判』の真意」『NEWS ポストセブン』2017.08.28 16:00

 ここでは,この記事(長い文章ゆえ)からは適宜に取捨選択して構成する記述としてみたい。なお,この『NEWS ポストセブン』とは,小学館が発行元である『週刊ポスト』『女性セブン』『SAPIO』『マネーポスト』の4誌を統合したニュースサイトである。

 a) ついに始まった保守論客による安倍晋三批判は,まさにそれだ。安倍政権を信じて支え,挙げ句に裏切られたことのショックは,これまでにない強烈な批判に転じて,首相に襲いかかろうとしている。保身,臆病風,及び腰,裏切り……激しい言葉が並んだ痛烈な安倍批判を書いたのは,保守論客として知られる西尾幹二で,掲載されたのは『産経新聞』(2017年8月18日付)であった。
 補注)その寄稿(記事)は「【正論・戦後72年に思う】民族の生存懸けた政治議論を 保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ評論家・西尾幹二氏」(『産経ニュース』2017.8.18 10:00更新,http://www.sankei.com/column/news/170818/clm1708180004-n1.html)である。

 「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長を務めた保守派の大重鎮である西尾は,かつて安倍首相に大きな期待を寄せ,5年前の第2次政権発足後には月刊誌『WiLL』に「安倍内閣の世界史的使命」という大型論文でエールを送った人物である。その西尾氏が,「民族の生存懸けた政治議論を」と題した痛烈な安倍批判を,保守系メディアの本流である産経新聞に掲載した。西尾の筆致は箴言の域を越え,「見限った」と断じるレベルにある。

 補注)この「世界史的使命」とは,戦争中の事情をしる人間であれば,もう目をおおいたくなるほどにみたくない文字(漢字)であった。そもそも,安倍晋三という政治家に「世界史的な『なにか』」に関与できるほどの資質が備わっているかといえば,ただちに大合唱で「否」という答え(こだま)が返ってくる。どだい冗談にもならない期待を “安倍晋三にかけた” ところからして,大きな錯誤(ドツボ?)にはまりこんでいた。

補注の 補注)本日の記述はコロナ禍に関する話題をとりあげる予定であったが,そのために用意していた関連する画像資料をかかげていおく。これをみたら,そもそも西尾幹二も西尾であったが,もともとは安倍晋三もアベであった。

 

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 さらに西尾はこの〔2017年〕9月,『保守の真贋-保守の立場から安倍信仰を否定する-』(徳間書店,2017年)を上梓し,さらに過激な安倍政権批判が展開している。冒頭から,北朝鮮拉致問題に対する安倍首相の姿勢をこう斬って捨てる。

 拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。 (中略)  主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり,巧言令色,美辞麗句を並べ,俺がやってみせるといい,いいとこどりをして自己宣伝し,拉致に政権維持の役割の一端を担わせ,しかし実際にはやらないし,やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ,やる気をなくさせ,運動をつぶしてしまった一例である。

 西尾の安倍批判はその後も,憲法改正・皇室問題・国土防衛などへ論点を移し,拡げながら続く。その表現は鬼気せまるものがある。「ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は,臆病なこの人の体質からきている。いつもいいとこどりをし,ウロウロ横見ばかりして最適の選択肢を逃げる」。そしてこう断言する。「安倍氏,ないし自民党は『保守』とはまったくいえない勢力だ」。

 補注)そのとおりであって,安倍晋三とこれに付和雷同しつつへちゃりついて,日本の政治・社会を跳梁跋扈してきた連中は,単にネトウヨ的極右であって,まともな右翼としての保守思想などなにももちあわせていなかった。

 西尾幹二はいまごろ(この記述は2017年12月に初筆であったから,いまから3年前)になって,この安倍晋三の本性(世襲3代目の政治家として本質的になっていない人間的な素性・資質)を把持できてから,ようやく批判する気になれたということか?

 ということは,これまではずいぶんうかつというか,かなりの程度にまで不当にも「安倍晋三を同志と見誤り,買いかぶっていた」としかいえない。

 b) みんな愛想を尽かしている。西尾幹二いわく「安倍氏については,第1次安倍内閣のころから,おしゃべりはうまいが,口が軽い,人間が軽いと思っていました。ただ,第2次政権発足時はメディアの  “安倍叩き”  が凄まじかったので,彼を守ろうとする意識で抑制していたし,期待もしていたんです」。「ところが,彼はそうした保守派の過度な応援に甘え,憲法にしても拉致にしても皇室の皇統問題にしても,保守であればしっかりとり組むべき課題をなにもやろうとしなかった」。

 と,このように,西尾幹二安倍晋三に対する辛辣な批難は止まらない。当初はそれなりに期待するところがあっただけに,裏切られたとなったいまでは,それこそ「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」かのような,たいそうな悪口雑言に聞こえるアベ・叩きになっている。シンゾウが「おしゃべりはうまい」? 初耳である。アベが保守の政治家? そのような位置づけはそもそもの誤りであった。

 西尾はさらにこういっていた。「5月3日の憲法改正案の発表には決定的に失望しました。戦力の保持を認めない9条2項をそのままにして3項で自衛隊を再定義する。これは明らかに矛盾しています。しかもその改憲すら,やれない状況になりつつある」。「こんな事態を招いた安倍首相は万死に値する」。

 c) 西尾の矛先は,安倍批判を封じてきた保守派にも向かう。保守系のメディアはまったく,安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか,評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった。しかし,本来なら保守の立場こそ,偽りの保守を名乗る安倍政権を批判しなければいけない

 私の論文はもう保守系雑誌には載らないが,なにも恐れてなどいない。覚悟を決めて声を上げるべきである。ただ,徐々にではあるが変化の兆しは生まれている。産経新聞はこの原稿を掲載したし,保守派の人たちが産経に載った論考を読んで  “よくぞいってくれた”  と私に率直な感想を伝えてくる。本物の保守はみな,安倍氏に愛想を尽かしている。

 補注)それではなぜ,2017年10月22日の衆議院解散総選挙でまた自民党〔プラス,コバンザメ政党〕が,3分の2もの議員数を獲得しえたのか,ここの文章に読みとれる範囲内では解釈しきれない点が残る。選挙制度小選挙区比例代表並立制)の問題も関連するとはいえ,保守系政党を支持する人びとにも問題があるという解釈が,西尾幹二流の理解なのだということになるのか。

 ところでその後,安倍晋三が菅 義偉に首相の地位を手渡したのは,2020年9月16日のことあった。2020年における日本社会の推移状況を回顧するに,年間を通して重大な問題でありつづけた「コロナ禍対策」に関しては,菅 義偉も後手後手の措置しか講じられていなかった。首相になった菅 義偉の政治家としての力量のなさは,ほとほと感心するというほかないくらいに低劣である。

 d) 人間性に呆れている。「森友・加計問題で逆風が吹き荒れるなか,それでも安倍政権の支持率は30~40%台に踏みとどまっていた。安倍首相は支持率を下支えしているのが,コアな保守層だと信じている。だからこそ,保守系のメディアや評論家,ネット上で安倍支持を訴える人たちの評価を一番気にしているし,保守派からの批判を一番気にしている」。

 その恐れている事態が現実となりつつある。安倍政権に期待が強かった分,裏切られたと感じた人たちは強力な反安倍に回る。支持基盤である保守層が離反していけば,文字通り政権の  “底が抜ける”  ことになってしまう。西尾は「単純に安倍首相の人間性に呆れ,失望しただけ」だといってのける。安倍首相はもはや,下関に帰ったところで再起はできないのかもしれない。

 註記1)『週刊ポスト』2017年9月8日号。以上の引照は,つぎの註記2)から。
 註記2)https://www.news-postseven.com/archives/20170828_607610.html〔~ l?PAGE=4〕

 補注)その後,2017年において実施されてきた安倍晋三内閣支持率に関する各種世論調査の結果は,いちいち言及しないが,調査機関によっては50%に達してもいた(たとえば,https://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/?utm_int=detail_contents_special_003のだから,西尾幹二の血圧は上がりっぱなしであると推察する。

 ここで現政権(2017年12月はまだアベ政権の時期だったが)の実情に関する話題になる。この『NEWS ポストセブン』の記事はとくに,保守層・極右陣の支持基盤が動揺・弱化しているというけれども,より現実に即した議論ができているかといえば,必らずしもそうとはいえなかった。この週刊誌なりに独自の主張を混入していなかったとはいえず,希望的な観測:恣意的な推論もまぜた記事造りになっていたといえなくない。

 要は,一部の限られた言論空間においてのみ,きわめて「個性の強い,それもその理解者」がいるのだと説明してみたところで,これはいわばあくまで「特定の集団」のみを予定していて,いうなれば,自分たちの話題なり主張なりを,留保も文句もなしによく聞いてくれる人びとだけを前提にした記事の制作になっている。その種の疑いが抱かれていいのである。

 つぎにとりあげる題材は,一昔も前の出来事に関する話題であるが,本日に言及している西尾幹二が舞台の中心に登場していた。

 

 「【資料】『つくる会』の内部抗争の歴史と今回の内紛」2006. 3. 14 改訂
   
-俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)(2006. 3. 8 改訂)-

 この解説記事も長いので,なるべく簡単に紹介するかたちにして,引用する。

 新しい歴史教科書をつくる会(「つくる会」)は,これまで何回も内部抗争を繰り返してきた。そのことは,西尾幹二前名誉会長も「『つくる会』は過去にも内紛を繰り返してきました」と自分のHPのプログで認めていた。その内部抗争の代表的なものを紹介する。

 1997年1月  「つくる会」結成。

 1998年2月  初代事務局長の草野隆光氏を解任,大月隆寛氏が事務局長に。

 1999年7月  藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任。藤岡氏は理事に,
        濤川氏は理事も退任。高橋史朗氏が副会長に。藤岡氏は
        2001年9月の総会で副会長に復帰。

 1999年9月  2代目事務局長の大月隆寛氏を解任。高森明勅氏が事務局長に。
        高森氏は2001年9月で事務局長退任して理事に。2001年10
        月から宮崎正治氏が事務局長に。

 2002年    小林よしのり氏・西部 邁氏が西尾・藤岡・八木氏らと対立
        して退会。

 2006年1月  西尾幹二名誉会長が辞任・退会。遠藤浩一・工藤美代子・福
        田 逸副会長が辞任し理事に。

 2006年2月  八木秀次会長,藤岡信勝副会長,宮崎正治事務局長を解任。
        宮崎氏は退職(解雇)。

 

 1)草野隆光氏の解任 (本文の引用は割愛)

 2)藤岡信勝・濤川栄太両副会長の解任  (同上,割愛)

 3)大月隆寛氏の解任 (同上,割愛)

 4)小林よしのり氏・西部邁氏の退会

 2002年2月に「つくる会」が開催したシンポジウムで基調講演した小林が,アメリカのアフガン侵略について,アメリカのアフガン戦争を基本的に支持しながら,アフガンで「無辜の民が死んでいる」とアメリカを批判したことに対して,八木・田久保・西尾などが,「思想と政治は別。思想は反米だとしても,現実の政治では反米は選択したりえない」(『史』2002年3月号)などと小林氏を批判し,会場からも小林への野次が激しく〔飛びかい〕,

 これをきっかけにして,小林・西部と西尾・八木・藤岡など理事が対立して,小林・西部(当時理事)が「つくる会」を退会した。これで,反米右派対親米右派との対立で,反米右派が「つくる会」と決別した。小林は理事待遇を退任し,歴史教科書の執筆も降り,西部は理事を退任して公民教科書の代表著者を辞めた。

 5)西尾幹二氏と3副会長の辞任,八木秀次・藤岡信勝・宮崎正治氏の解任

 前述のごとき内部抗争は「分裂・解体の危機」に陥りかねないほど深刻であった。2006年1月16日の理事会後に西尾幹二が名誉会長を辞任・退会した。同時に藤岡信勝を除く3名の副会長(遠藤浩一・工藤美代子・福田 逸)も辞任し,理事になっていた。さらに,2月27日の理事会で,八木秀次会長,藤岡副会長,宮崎正治事務局長が解任され,種子島経理事(元副会長)が新会長になった。

 補注)工藤美代子は「関東大震災時における朝鮮人虐殺の事実」を,当時の新聞記事(事実無根の誤謬記事)をもとに否定したエセ知識人。

 八木は「事実上の解任で(藤岡に)わたしが追放された」(『埼玉新聞』2006年3月12日)といっていた。八木,藤岡は理事として留まったが,宮崎は退職させられ(事実上の解雇),副会長と事務局長が不在という異常事態になり,まさに,解体・分裂の「危機」を迎えた。 (中略)

 なお,事後「会長補佐」に就任した福地は,2005年理事になった元文部省教科書調査官(検定官)である。彼は「つくる会」教科書の検定を前の1998年に,高知大学教授を辞めて教科書調査官(社会科主任)になっていた。「つくる会」理事で,歴史教科書執筆者の伊藤 隆の弟子であり,「つくる会」教科書の検定対策で送りこまれたのは間違いなかった。

 補注)伊藤 隆は名うての極右学者。元東大文学部教授であった伊藤が,自分の後継者に選んだのが加藤陽子東京大学大学院人文社会系研究科教授)であった。昨年(2020年)に菅 義偉政権になってから騒がれた日本学術会議の「新会員」就任拒否問題のさいして,菅がその就任を拒否した6名の1人に加藤が含まれていたのは,なんとも皮肉な事態であった。

 ところが,その福地氏が検定中の小学校教科書の内容を雑誌で公開するという違法をおこない,私たち〔いま参照しているこの文章の書き手たちのこと〕は,それを理由に解任要求を文部大臣におこない,文部大臣は,1998年11月26日に福地を調査官から解任した。詳しくは,出版労連『教科書レポート 1999』を参照してほしい。 (中略)

 一連の同会における内紛は,2005年の教科書採択で10%以上は確実にとれるといっていたのに,歴史 0.39%,公民 0.19%と「惨敗」(八木)した責任のなすりあいが,一番の原因であった。……2005年10月から2006年1月にかけて,宮崎の解任をめぐって,日本会議派の理事(内田 智・勝岡寛次・新田 均・松浦光修氏)と西尾・藤岡グループの間で,泥仕合のような応酬がつづいていた。 (以下,中略)

 6)西尾によれば,日本会議派4理事のうち3人と宮崎氏は,「保守学生運動の古い仲間」だということであった。「保守学生運動」というのは,憲法を「改正」して大日本帝国憲法体制に原点回帰し,天皇を中心とした「神の国」をめざすことを方針として,青年教員や教育系学生に浸透を図ってきた日本青年協議会のことである。その仲間には,高橋史朗埼玉県教育委員(元「つくる会」副会長),椛島有三日本会議事務総長,伊藤哲夫日本政策研究センター所長,衛藤晟一衆院議員などがいる。

 「内紛の一番の原因」は採択結果であったが,これは「つくる会」内部の指導権をめぐる権力争いでもあった。前述のように,「つくる会」は,1998年2月に初代事務局長の草野光隆を解任(追放)し,1999年7月には藤岡氏と濤川栄太両副会長が指導権を争って泥仕合を演じて,2人とも副会長を解任されていた(濤川は理事も辞任)。

 次いで1999年9月には2代目事務局長の大月隆寛を「思想的に会にいないほうがいい人間」(西尾)といって,「うしろからいきなり斬りつけられた」(大月の弁)ように解任していた。2002年には,西部 邁理事と小林よしのり理事待遇が西尾・藤岡・八木などと,親米か反米かで対立したあげく,「反米派」の小林・西部が退会しました。

 補注)2018年1月21日,西部 邁(1939年生まれ)は「知人の介助をえて多摩川自死し」ており,これが事件となって社会に話題を提供した。

 7)このように「つくる会」は,たえず醜い内部抗争をつづけてきた政治組織であり,繰りかえされる内部抗争には,子どもや教育に対する視点や思いはまったくない。子どもの教科書をつくるにはふさわしくない非教育的組織である。藤岡は歴史教科書の代表著者,八木は公民教科書の代表著者で,現行版歴史教科書の代表著者である西尾は,自分の原稿が岡崎冬彦によって勝手に書きなおされたことを理由に,改訂版には責任をもたないといっていた。

 このような無責任な政治組織と人物がつくった教科書を採択した杉並区・大田原市・東京都・滋賀県愛媛県教育委員会の責任は重大であり,いまからでも採択を撤回すべきである。

 8)また,種子島は「原始福音・キリストの幕屋という国粋主義天皇主義のカルト宗教組織の関係者であり,「つくる会」会員の4分の1は「幕屋」のメンバー,宮崎氏が退職後の事務局員も,ほとんど「幕屋」のメンバーだという内部情報もある。産経新聞社は住田良能社長や渡辺教科書担当キャップが八木支持を表明したという情報もあり,産経新聞(2006年3月1日)は,この内紛を「西尾院政」「空洞化の恐れ」などと批判的に扱っていたす。扶桑社には,このさいに教科書発行をやめて撤退することをすすめたい。(引用終わり)

 --結局,西尾幹二の立場をめぐっての話題であったが,疑似保守・右翼的なその特定の政治集団が以上のように形成・記録してきた「流れ:足跡」のなかで,西尾自身は,いったいなにを主張したかったのか。その点は部外者にとってみれば,いまだに不詳・不可解である部分が大きい。もっとも西尾は,安倍晋三政権を真っ向から,それも非常に毛嫌いした口調で批判を放っている。この点だけは明解に読みとれる。

 ただし,西尾が天皇天皇制を支持する立場・思想そのものは,実は絶妙的に奇怪であった。民主主義国家体制にあるこの国に対する理解じたいが,政治的な次元から見返してみると,その根本じたいがそもそもズレていた。「つくる会の教科書」は,いまどきにおける時代の流れ(反動性)を反映させて採用する学校も一部分においてないわけではないが,元来,問題がありすぎて主流にはなりえなかった。

 一般社団法人「新しい歴史教科書をつくる会」の公式見解,『これが「つくる会」の教科書です!』は,後段のように解説しているが,とくに『新しい公民教科書』のほうは,19世紀志向の観念志向しかもちあわせず,論外・法外・埒外というほかなく,要は時代錯誤の典型的な悪しき見本を恥じらいもなく公刊していた。

 平成27〔2015〕年に文部科学省の検定に合格し,平成28〔2016〕年から全国各地の中学校で使用されている『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』の特色を紹介しておく(『史』110号,平成27〔2015〕年5月号より)

 『新しい歴史教科書』の4大特長は,近代の戦争の真実に迫った教科書,日本国家の成り立ちを鮮明に描いた教科書,日本人の自画像を歴史の中に発見できる教科書,楽しく学び,学力がつく教科書。

 『新しい公民教科書』の4大特長は,初めて本格的な国家論を展開し,愛国心の意義を説いた教科書,家族解体の動きに歯止めをかける教科書,天皇が権威としての役割を担っている事を書いた教科書,最新の安全保障状況を正確に表した教科書。
 註記)http://www.tsukurukai.com/kokai/index.html

 結局,民主主義の理念と目的からは,みごとなまで「逆行しえた歴史と公民」の教科書が登場していた。要点的にのみ,こういう疑問を提示しておく。

   ※-1 夫婦はけっして離婚してはいけないのか?

         ⇒「家族を解体させたくない」?

         ⇒「家族の〈絆〉が離婚の歯止めになる」(笑,?!)

   ※-2 天皇をどうしても権威として認めないといけないのか?

        ⇒「王侯・貴族を存在させておかねばいけない」?

        ⇒「民主主義と天皇天皇制に矛盾はいっさいないのか」?

   ※-3 対米属国体制下にあるこの日本をそのまま認めないといけないのか?
        ⇒「憲法改定」をもくろむ安倍晋三自民党極右勢力)は,その方向に突進           してきた(アベの在任中は実現できなかったが,憲法を解釈でもってメチャ

       クチャにしてきた)。

 以上,本気ではとうてい口には出せないような項目もある。こういった教科書の基本思想を,いまの世の中に流通させ高揚させるための仕事をしてきた「つくる会」に,深く関与してきた人物の1人が西尾幹二であった。

 だが,この西尾はその後(の,いまごろにもなって!?),安倍晋三とこの政権を強烈に批判しだしていた。こちらの姿勢の変質は,「つくる会」に対する自身の関与と,どのように関連づけられ評価されさればよいのか? とくに,前段の記述に出ていたけれども,西尾幹二が当該教科書の「改訂版には責任をもたない」とは,どういう意味であったのか?

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 さてつぎの ⑤ は,本日『朝日新聞』朝刊のインタビュー記事に登場した西尾幹二の講話紹介である。以上 ④ までの記述を踏まえて(絡めて)読んだらよい記事になる。なお以下では,◆は記者,◇が西尾。

 

 「〈平成と天皇〉政治との距離を聞く:上 ご発言,政治性含めば危険 西尾幹二氏」朝日新聞』2017年12月14日朝刊4面「総合4」

 ◆ 保守派の中には退位への反対論もありました。

  ◇「人間は誰もが自己表現への欲求をもっているが,天皇陛下ほどそれを充足させる手段が奪われている方はいない。退位のご意向をにじませた昨〔2016〕年8月〔8日〕の『おことば』は一種の表現衝動だったのではないかと,私は解釈する。

 ご自身の身分の変更についてなら許されると,お考えになったのではないか。摂政を置けばいいといった反対論は『天皇はロボットであればいい』といっているのに等しく,陛下の苦しいお立場への理解がまるでない。ただし,自己表現が政治的なテーマに向かうと危険だ」。

 ◆ 陛下の発言の政治性を指摘する声もあります。

  ◇「2009年の天皇,皇后両陛下のご結婚50年の記者会見で,陛下は憲法に関して踏みこんだ政治的発言をなさった。その後も同じ方向性の発言を繰り返しておられ,陛下が平和主義を唱えているのは事実らしい。そうした姿勢は自主憲法制定,憲法改正を求めてきた戦後保守勢力の否定にもつながりかねない」。

 補注)このとおりであって,平成天皇は現状において憲法擁護者であり,しかもこの憲法のなかに規定されている「人間・自身・そのもの」であるから,問題はよりいっそうややこしくなっている。天皇の発言・行為にはもとより「政治性のないモノ」など,なにひとつない。つまり,なにをいっても・いわなくても天皇の意向は,濃淡・軽重の差異があったとしても,そのすべてが政治的なモノたらざるをえない。

 ◆ なぜ平和主義を唱えることが問題なのですか。

  ◇「陛下のご発言は,政治的権能のあるなしにかかわらず影響力が大きく,国民を縛りかねないからだ。日本は戦後,米国という権力に守られてきたが,その米国がいま,様変わりしている。平和を外国に頼っていればいい時代は終わりつつある。陛下を『最大の平和勢力』と呼ぶ者もいるが,陛下のご発言が国民の利害と一致しない状況が生まれたらどうするのか。国民が国際情勢を見極めながら自由に議論し,判断できるようにさせていただきたい」。

 補注)「陛下のご発言が国民の利害と一致しない状況が生まれたらどうする」という指摘は,一見もっともらしいけれども,と同時にたいそう奇怪な発想である。こう反問しておく必要がある。

  現在において,それらは「一致していなければいけないのか」,
  過去にあって,それらは「一致してきたのか」というのか,
  未来においても,それらは「一致していくべきものなのか」

などと訊いてみたくなる。

   ■ 黙る保守,すがるリベラル ■

 ◆ 天皇や皇室をめぐる言論状況はどうでしょう。

  ◇「左右双方に危うさを感じる。まず,改憲を主張する保守派の多くはなぜ,陛下の平和主義的なご姿勢に疑義を表明しないのか。皇室を守りたい一念ゆえともいえるが,皇室の問題になると恐れおののいて沈黙するようでは近代人として未成熟だ」。

  「保守派のなかには,少数だが,いまだに天皇の『臣下』と自称する者がいる。皇室について言挙げすると,『朝敵』と批判する人たちもいる。そうした言論状況は,安倍晋三首相を『保守の星』としてもち上げ,他の評価を寄せつけないような,いまの保守メディアを覆う硬直した空気ともつながっている」。

  「一方でリベラル派は,改憲阻止のために陛下を政治利用しているのではないか。陛下のお力にとりすがろうとする姿勢は,彼らの護憲の主張に反し,過去の反皇室の言説とも矛盾する。改憲の問題においても,陛下のご発言の影響は測りがたい。すでに憲法上の限界を超えている恐れもある。これ以上,一方に寄り添うような姿勢をおとりにならないでいただきたい」。

 補注)西尾幹二のいいぶんは,どっちつかずの,宙ぶらりん状態に聞こえる。天皇に対して,いったいなにを求めたり期待したりすることを〈想定している〉つもりなのかか? そういった問題を考える以前の段階において,天皇天皇制そのものを吟味する余地があるのではないか? 西尾においては,どうみても社会科学的な考究にもとづく志向の展開が稀薄である。感傷的かつ詩情的な天皇「感」に終始している。

 ◆ 安倍政権の皇室問題に対するとり組みをどのようにみていますか。

  ◇「安倍氏は,かつては男系の皇統を維持する方策として旧宮家皇籍復帰などを提唱していたが,首相になってからはなにもしない。『保守』と称しながら困難なテーマには深入りせず,保守政治家としての責務から逃げている。勢力拡大のため左にウィングを伸ばそうとしているが,これでは左右双方から信用されない。『保守』をつぶすのは『保守の星』ともなりかねない。結局,安倍氏の根っこは『保守』ではなく,ただの『戦後青年』である」。

 補注)「戦後青年」という表現の意味が分かりにくい。「戦前・戦中青年」という表現も併せて出てよいはずだが,どのみちにしても,なにがどう違うのかが皆目不詳であった。そもそも安倍晋三という「世襲3代目のお▼カ政治屋」に,政治的という意味での一定の立場・思想など,初めからなにもあるわけなどなかった。それゆえ,西尾幹二のように,アベに向かい忖度しつつ議論してあげようとした思慮じたいが,相手がこのアベであったとなれば,この人物をどうあつかってみたところで無駄骨になるほかない。

 --以上,「 天皇陛下の退位日は2019年4月30日と決まった。これまでたびたび問われてきた皇室と政治の向き合い方は,どうあるべきなのか。3人の識者に聞いた」というインタビュー記事から,西尾幹二の応答を紹介してみた。

 もっとも,このインタビュー記事は,そもそもなにをいいたかったのか? 日本国憲法のほころびについてであったのか。いまでは,覆いきれなくなっている「天皇天皇制そのもの」の「民主主義」的な無理さ加減に関してであったのか。それとも,西尾自身の考える日本国天皇制度のあり方そのものについてなのであったのか。

 いずれにせよ,短い問答の進行であったから,それらの疑問が妥当な観察であったとしても,このインタビュー記事からはより詳細な意図はつかみにくいし,もとより十分な説明を求めてもムリであった。ただ,西尾幹二安倍晋三に対する批判だけは,相当にきびしい舌鋒をもって披瀝されていた。

 だが結局は,天皇天皇制という「土俵の上での議論」に終始している。その狭い場所でのみ,甲論乙駁しようとするごとき「日本の知識人」の「根っこの弱さ」や「視野の狭隘さ」が,あらためて浮刻されていた。根本からの議論,底辺からの考察,問題の基本を剔抉するために要請されるはずの〈徹底した天皇論〉は,なお酸欠状態を持続させられている。

 【補  遺】 本日(2017年12月14日のことだった),小林よしのりの『BLOG あのな,教えたろか。』が,こう書いていた。冒頭・前半から引用しておく。多少違和感をもつ意見であるが,関連するところがあり,参照しておく。

            朝日新聞西尾幹二の見解が浅い ★

 朝日新聞に「平成と天皇」という記事が載っており,西尾幹二がインタビューに応えている。よくこんなつまらん意見を載せるもんだ。

  陛下が平和主義なのが問題だと西尾氏はいうのだが,それは当たりまえのことで,明治以降の天皇もずっとそうだったじゃないか。平和主義の方が戦争主義よりは良いことだし,平和主義がいまの憲法を死守することでもない。
 註記)https://yoshinori-kobayashi.com/14670/

 天皇制度あるがゆえ,この国の誰もが「いねがてにする(寝ることができない)」時代状況から,けっして逃れえていないはずである。「明治期に『創られた天皇制』の陥穽」に,いうなれば「敗戦事情の経緯」(神聖天皇から象徴天皇憲法の概念が変更させられていた事情)がどっぷりはまりこんでいる。その観念世界は,21世紀の地球がどのように回転しているのか,まだまともには「気づいていない」のである。

 小林よしのりは,「明治以降の天皇もずっと」「平和主義の方」だったと簡単にいってのけるが,これは睦仁の和歌「よもの海」の歴史的にもたざるをえない〈真偽両域にまたがる文意の底面〉をみない者のいいぐさである。専門の研究者がつぎのように分析・解説している文章を,引用しておく。

 もちろん,戦前戦後を問わず個人としての天皇は平和主義者でありうる。しかし,機関としての,公の立場としての天皇は,天皇の個人的心情とは別の理論のもとに行動する。大日本帝国憲法下では天皇は公的に国家元首であるとともに,大元帥でもあった。さらに,私的には一族の長であり,家庭においては夫であり父である。

 

 そのさまざまな立場におけるさまざまな心情の葛藤のなかで,明治天皇が明治37〔1904〕年2月4日の夕刻,私的空間において詠草した御製歌が「四海兄弟」,『御製歌「よもの海」』であった。 御製歌は天皇のそれぞれの立場で詠まれると考えるべきであり,筆者は御製歌を以て天皇個人の思想を論ずることは避けるべきと考える。

 

 われわれは御製歌を通し国家意思の心情的理解が可能なのである。しかし,天皇はみずから御製歌に説明をくわえることはない。換言せば,御製歌じたいは明確な意図をもっていても,その解釈にはわれわれがなにを読みとるかの余地,すなわち「曖昧」さが残されており,政治決断では割り切れぬところの「曖昧」な部分を天皇が負っているといいうる。

 

 また,天皇の御製歌のすべてが公開されるわけではなく,天皇自身,侍従,皇族等の天皇の私的領域の人びとから,宮内省宮内庁の職員等行政官の手を経て,公開するにふさわしいと判断された御製歌のみが公開されていると考えるべきである。したがって,公開されている御製歌は,それじたいが国家意思を「曖昧」に表現するといえる。

 註記)本間光徳「『御製歌「よもの海」』をめぐる考察」『ICU比較文化』第46巻,2014年3月,http://subsites.icu.ac.jp/org/sscc/pdf/homma_46.pdf,170頁。 

 平成の前天皇は “日本国憲法を守ります” といって天皇位に就いていた手前,皇室がいままで置かれてきた「現実的な理念と利害状況」を,彼自身の力量の発揮によって開削し,構築してきた「基本的な立場」そのものを介してとなっていたが,今後に向かっても,いったいどこまで皇族側の立場を改善・向上させうるか,つねに意識した生活をしてきた。

 平成天皇のみならず,彼の家族たちは「その実践に苦心する毎日」を過ごしてきている。令和の天皇になっているが,その息子の徳仁も大なり小なり,その父の立場と思想を継承している。彼らは,皇室・皇族として「それなりに(理論武装して)いる立場・思想」から,自族のよりよい存続めざして,日夜努力してきた。

 今後は雅子がどのような発言をするか関心がもたれる。
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