橘川武郎「原発・再利用論」の見地,2030年における原発の電源比率を20%にまで高め維持せよという主張の非現実性,原発の経済性問題と安全問題はほとんど触れようとはしない識者の陥穽

 原発の問題の基本点となるべき「非安全性の難点にも・反安価性の不利にも」に確実には触れたがらない「原発稼働維持論の経営学者」(経営史専攻)の原発議論は,現実遊離になる立場から,そして政府委員である利害からする議論

 本ブログは,2020年8月21日の記述を,「原発なしでも電力生産が可能になっている日本,原発を支持するだけの大手関連労働組合の難点,いまだに原発比率『22~20%』にこだわる経営学橘川武郎の立場が不可解である理由など」と題して,橘川の原発問題に関した基本的な立場を批判的に吟味していた。(  ↓  )

 しかし,橘川武郎は,原発問題の基本事項,日本の原発製造事業は「技術的経済性としての営利採算性」が破綻状態であり,また東電福島第1原発事故の後始末(から廃炉への経路について)すら,いまだにろくに展望できていない現状(惨状)を横目に観ていながら,いかにしてしたら,原発を今後において〔2030年目標として〕20%に維持させうるかについて非常に不可解かつ奇怪な提唱を,いまだにおこなっている

 

  要点・1 原発に未来はあるのか,ないのではないか

  要点・2 原爆の派生的な応用技術である原発の本質をわきまえない原発稼働論

  要点・3 小型原発の開発・利用をもちだし,原発問題の根源から視線をそらせ,事故問題を遠ざけさせる思考が登場

【参考画像資料】-「原発の縮小・新設停止・全廃など」-

 

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 「また騙すのか。小型原発で延命をはかる原子力ムラの悪あがき」『MAG2NEWS』2018. 12. 28https://www.mag2.com/p/news/381256〔~ 381256/4〕(元記事は,新 恭〔あらた・きょう〕『国家権力&メディア一刀両断』)

 この記事を引用する前に断わっておくが,原発の問題について基本から論断できる点は,その「新しい小型原発」も「従来の大型原発」も区別などないこと,すなわちその「高い原価性・非安全性・反環境性」の本質においていえば,なんら基本的な違いがないことである。問題はなぜ,「大型」ではなく「小型」の原発がもっともらしく登場させられ,喧伝されはじめたかにある。

 新 恭〔あらた・きょう〕が執筆したこの記事を読んでから,本日〔2021年1月6日〕『日本経済新聞』朝刊に報道されていた「小型原発」関係の記事を紹介する。この記事からは,最近における原発問題の動向のひとつが確実に読みとれるはずである。

 --世耕弘成経産相が国会でおこなった原発の新設,建て替えはまったく考えていない」という答弁は,嘘だったのか経済産業省が小型原発の開発を進めることが報道により明らかになった。

 

 今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが,なぜ国がいまに至って小型原発開発に舵を切ったのかを推測するとともに,「原発に費やす資金があるのなら,再エネの新技術開発に投じるべき」と痛烈に批判しています。

 1)小型原発で延命をはかる原子力ムラ”

 昨〔2017〕年夏以降,経産省はエネルギー基本計画の見直しにとりかかった。狙いは原発の新設,建て替えを計画に盛りこむことだった。再稼働できても,いずれ原子炉の寿命は尽きる。新たに造らないかぎり,この国の電源から原発はなくなる。

 しかし,今〔2018〕年4月28日,経産省有識者会議に示したエネルギー基本計画の骨子案には,原発を「重要なベースロード電源」としながらも,原発の新増設が明記されることはなかった。このため,有識者会議の財界メンバーからは原発新設の必要性を唱える声が上がった。

 補注)原発問題を知悉している関係の識者であれば,原発を「重要なベースロード電源」とみなす立場(思想)は,前世紀的な,つまりいまどきであれば場違いな観念(幼稚な基底)である。

〔記事に戻る→〕 その理由は「石油や石炭など化石燃料は将来的に枯渇する恐れがある。再生エネだけで代替することはできない」(有識者会議分科会長,坂根正弘コマツ相談役)などというものだ。

 坂根氏は有識者会議において,日本の再エネ技術は中国などに太刀打ちできない,むしろ原子力の技術をどうやって維持するかが大切だ,という論陣をはってきた。遅れているものを追うより,優れている技術を捨てずに保つべき。一見,正論のように思える。

 だがそこには,産業競争の理屈だけがあって,生命と技術の豊かな関係を求める視点が抜け落ちている。福島第1原発の事故は,原子炉冷却装置の電源が切れただけで,時間,空間をこえた放射能の無限リスクにつながるという戦慄すべき事実を,人類に突きつけた。

 原子力が低コストというのはウソで,捨てる場所さえない核のゴミが地球に溜まり続けることもよく分かった。原発を新設するといって莫大な周辺対策費を示されても,もはや受け入れる自治体などないだろう。そんな状況に置かれながらも,なんとか原発新増設への道筋をつけるべく,経産省有識者会議は,エネルギー基本計画を見直す議論を進めたはずである。

 ところが,骨子案にそれに関する記載はなく,有識者会議の財界メンバーから異議を唱える声が上がったのだ。 “出来レース” のニオイがプンプンする。実は,この時すでに経産省原発を将来にわたって生き延びさせるための具体的な案を練っていたのだ。

 2) それは,小型原発の開発である。経産省は国会やメディアで批判のマトになるのを避けるため,基本計画からその構想をあえて外した。有識者会議のメンバーがしらなかったとは思えない。

 今〔2018〕年12月1日付の東京新聞に,こう報じられている。

  地球温暖化対策を名目に,経済産業省が新たな小型原発の開発を進め,2040年ごろまでに実用化をめざす方針を固めた。……新方針は〔2018〕11月14日,経産省内で開かれた非公開の国際会議で,同省資源エネルギー庁の武田伸二郎原子力国際協力推進室長が表明した。本紙は武田室長に取材を申しこんだが,応じていない。

 国際会議で表明するほどだから,単なる思いつきではない。ある程度の時間をかけて練りこまれた末の方針だろう。産業界における小型原発開発の動きは今〔2018〕年10月,いくつかのメディアで報じられていた。

  日立製作所が米ゼネラル・エレクトリック(GE)と新型の小型原子炉を採用した原子力発電所の開発に取り組むことが〔2018年10月〕15日,分かった。出力30万キロワット程度の「小型モジュール炉(SMR)」……2030年代の商用化をめざす。SMRは従来の原子炉に比べ低コストで安全性が高いとされ,主に海外への輸出を狙う。(『産経ニュース』)

 日立とGEが開発に取り組もうとしている『SMR」と,経産省が開発方針を固めた小型原発が同じものなのかどうか,関連は明らかではない。

 日本における小型原発の構想は,福島原発事故後の2012年10月,元電力中央研究所理事(工学博士),服部禎男氏が提案したのがはじまりだ。その後,東芝原子力部門の技術者が開発を進めたとされる。

 「4S」と呼ばれる小型ナトリウム冷却高速炉で,機械,装置の数が少ないため安全性が高く,どこにでも置けるというのが売りだった。

 「4S」と「SMR」の設計理念の違いはいまのところ,さっぱり分からない。世界を見渡すと,小型原発についてはいくつもの取り組みがある。英ロールス・ロイスの小型加圧水型軽水炉,カナダのテレストリアル・エナジーの「溶融塩炉」などだ。

 いずれにせよ,小型原発は,100万キロワットを超す既存の大型原発と違い,工場で製造したモジュールを現地で組み立てる建設方法が可能であるらしい。

 3) しかし,こうした新開発計画が,原子力ムラの悪あがきのようにみえて仕方がないのは,筆者だけではあるまい。

 小型,大型にかかわりなく,核のゴミの処分方法が確立されていない以上,新たに造ってはいけないし,既存原発もゼロにしていかなければならないのである。原発には100%の安全が求められるが,どんな技術にも完璧はありえない。

 だからこそ脱原発が叫ばれるのだが,原子力ムラの住人たちは,培った技術の高さ,儲かってきた記憶など,過去の栄光が呪縛となり,原発を諦めることができない。

 福島原発事故は想定外の津波による特殊ケースだといったバイアスも,原子力の将来への奇妙な楽観を生んでいる。経産省の役人たちにしても原発関連の数多くの天下りポストを捨てたくはないだろう。

 4) 東京新聞の記事によると,資源エネルギー庁の武田室長は小型原発計画について,地球温暖化防止の「パリ協定」実現のため,と述べたという。

 地球温暖化防止のために,CO2 を出さない原発が必要という論法は,再生可能エネルギーが普及期に入ったいまでは通用しなくなっている。今後,蓄電技術の発達や,AIの活用などが進むことにより,再エネの不安定要素を十分カバーできる。

 世耕弘成経産相は国会で「原発の新設,建て替えはまったく考えていない」と答弁している。それでも,2030年に原発の割合を20~22%にする目標は変えていない。

 補注)後段であらためて紹介し,批判もくわえるが,橘川武郎経営学者としてこの「2030年に原発の割合を20~22%にする〈目標〉は変えていなかった」識者である。

 この橘川の主張・立場で特徴的な点は,単なる技術論的な観点でのみ「原発の再稼働や代替用原発の新増設」を語っていて,安全性や採算性の問題については明確な議論をする意欲が希薄であったところにみいだせる。経営学者としては実に不可解な議論を重ねてきたものである。

 要は,橘川武郎原発をこれからも稼働させつづけ,電源比率のうち日本では2割ほどを維持させるために,あれこれ議論してきた。だが,再生可能エネルギーの開発・導入・利用の問題は,橘川の学的意識のなかでは影が薄く,実質的には原発より “以下の地位:劣位” しか占めていない。

〔記事に戻る→〕 ならば小型原発を例外として多数建設し,20~22%の数字目標を達成するつもりなのかと思ったら,東京新聞によると,「小型原発は出力が不安定な再生エネをサポート(補完)するのに必要」と,あくまでサブ的な役割を強調しているようなのだ。

 5) そもそも小型原子炉は出力が30万キロワット程度しかなく,まだどこも事業化したことのない技術である。理論的にはなりたっても,実際に建設し運転していない現段階で,経済合理性があるかどうかも,きわめて怪しい。

 にもかかわらず,小型原発の開発計画をいまになって経産省が引っ張り出してきた背後に,原子力ムラの巨大な力が働いていることは容易に想像できる。

 原発建設にかかわる電力会社,原子炉メーカー,ゼネコン,それらをめぐるあまたの取引企業。その利益共同体は,国民からの電気料金を源泉とする豊富な資金でマスコミに広告料を提供,学者に研究開発費を拠出し,官僚には「天下りポスト」,政治家には「政治資金」を提供して, “わが世の春” を謳歌してきた。

 しかし,福島原発事故は状況を一変させた。国内で原発の新増設がむずかしくなったため,政府と原子力ムラは,原発を国外に輸出することで夢の継続をはかったが,東芝は子会社,米ウェスティングハウス原発建設にかかわる巨額損失で経営の屋台骨が揺らぐ事態となった。日立製作所もまた,英国での原発新設がうまくいかず,計画を凍結する方向だ。

 補注)通常の大型原発1基を日本企業が製造・販売する場合,原子力規制委員会の指導を基準にして安全性を確保するために製造原価が急上昇した。そのために,東芝日立製作所三菱重工などは,他国(主に韓国・中国・ロシア)との価格競争に太刀打ちできなくなった。したがって,現状は原発事業部門は,実質的に「永久凍結状態」と形容していい袋小路に立ち入ってしまった。

 いずれも,福島原発事故後に厳しく求められた安全対策による建設コストの急騰が主な原因だ。ほかにも,ベトナムへの原発輸出が白紙となり,トルコやリトアニアで日本が受注した原発も,住民の反対でいきづまっている。

 もはや,実績ゼロゆえに新たな幻想をつくりやすい小型原発しか,打つ手がなくなったということだろう。

 6) しつこくいうようだが,原子力発電の最大の矛盾は,いつまでも放射能を出し続ける使用済み核燃料の処分方法が確立されていないことだ。

 いずれ,科学技術の力で克服できると踏んで,とりあえずスタートさせたものの,最終的に地中深く埋めておく処分場が,候補地住民の反対でいっこうにみつからず,使用済み核燃料は各原子力発電所のプールに貯まりつづけている。

 その解決策だった「核燃料サイクル」は,高速増殖炉もんじゅ」の廃炉が決まったことで,頓挫した。使用済み核燃料の行き場がなくなれば,いずれ,原発の運転を止めざるをえない。

 経産省の考える小型原発が,高速炉なのかどうかも,はっきりしない。仮にそうだとしても失敗続きで兆単位の莫大なコストを垂れ流した「もんじゅ」の二の舞になるのがオチではないだろうか。

 石油や原子力などを使った大規模発電所による集中的な電力システムは,環境・コスト・安全保障・持続可能性からいっても,もはや古い仕組になってしまった。「だから小型原発なのだ」というかもしれないが,核のゴミが出るのは同じであり,地球環境を守るという考えに逆行している。

 7)〔結論〕 原発に費やす資金があるのなら,再エネの新技術開発に投じるべきである。

 以上,新 恭(あらた・きょう)反原発論は,原発問題を専門にする学者たちでなくとも,いまとなっては常識論の次元でも,簡単にかつ十分に納得のいく議論の内容を展開している。

 現在,東電福島第1原発事故の後始末すら(そのさきに待ちかまえている廃炉工程も含めてとなればなおさらだが),まだまともにできるかどうか,実質的になにも展望できていない時点にある。半世紀から1世紀以上かけても,はたして完全に片付けられるかどうかの問題にまでなっており,将来に深刻な課題を残したままである。

 それなのに,あちら(従来型の大型原発)がダメなら,こちら(新規型の小型原発)があるさ,とでもいいたげに新しいこの小型の原発の開発・利用を訴えている。それもまだ前者の「後始末全般」に関した解決の技術方法からして,まともに入手も確立もできていない現段階にありながら,そのような小型原発の利用構想だけが先走って提唱されている。

 ところが,この小型原発の話題になると『日本経済新聞』は,財界側(原子力村)の意向を汲んだかのような「記事(紙面)作り」にいそしんでいる。つぎの ② は,本日 2021年1月6日朝刊1面左上に囲み記事として特別に掲載されたかのような解説記事であった。

 この ② の記事は,以上まで ① に引照した新 恭の「批判」論を念頭に置きつつ読むことにすれば,その本質や狙いが奈辺にあるかについては,もとより・おのずと自明であった点も理解できる。

 

 「第4の革命 カーボンゼロ進化の道変えた原発 小型炉に浮かぶ『現実解』」日本経済新聞』2021年1月6日朝刊1面

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 新政権発足後,即座にパリ協定に復帰すると宣言した米国のバイデン次期大統領。2兆ドル(206兆円)を投じる気候変動対策には,原子力発電所の活用も盛りこむ。力点を置くのが,安全性が高いとされる小型原子炉の開発だ。

 米国では2007年創業のスタートアップ,ニュースケール・パワーが脚光を浴びる。標準的な炉は100万キロワット級だが,同社が扱うのは数万キロワット。外観のイメージ図に原発特有の巨大な建屋や冷却塔はなく,体育館のような施設が並ぶ。

 1) 丸ごとプール

 配管が複雑に絡みあうこれまでの原発の雰囲気はない。数万キロワット級の原子炉を5~6本まとめてプールに沈め,発電する。水につかっているから事故で電源を喪失しても炉心を冷やしやすい。核のごみの発生もいままでより少なく抑えられる。

 昨〔2020〕年夏には12の炉で米原子力規制委員会の設計審査を終えた。「原子炉の大きさもコストもお客様の相談に乗ります」。1基の規模は小さくとも,複数の炉を連結すればより大きな電力を生み出せる。同社は政府機関や企業などにオーダーメードで原発を提供する。設置を拒む地域もあるが,万一事故を起こしても影響を受けるエリアが狭く,送電網がない地域でも設置できる利点を強調する。

 ロシアでは海に浮かべた小型の原発が威力を発揮する。国営企業のロスアトムが「原子力砕氷船」に積んでいた小型炉を浮体式の海上原発に転換。海上の利を生かし,電力網の脆弱な発展途上国などに展開する。

 原発は一大消費地の電力をまかなえるよう,出力を大きくして効率的に供給する方向に進化してきた。大きくなると複雑で制御しにくい。いま,原発は必要なだけの電力を安全に供給する小型化を探る。

 米ロが原発の技術を磨くのは再生可能エネルギーをフル活用しても,電源に占める割合は5~6割にとどまるとの認識が広がっているからだ。水力で9割をまかなえるノルウェーのような国は別格。2050年目標は英国で65%,米国で55%とされている。欧州では脱石炭という要請もあり,二酸化炭素(CO2 )の排出がない原子力に自然と目がいく。

 補注)「二酸化炭素(CO2 )の排出がない原子力」という説明(記述)は,非科学的であるという意味で二重の誤謬を含むリクツであった。原発は「石油の第2次製品」といわれるくらい石油を消費する。ここではつぎの2点の図解を添えておく。

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    補注)この図解はバックヤード(廃炉工程)は表現していない。

 以下にしばらく,上の図解を借りた槌田 敦の批判論を紹介してみる。槌田は1978年2月に,著作『石油と原子力に未来はあるか-資源物理の考えかた-』亜紀書房を公刊していたが,2011年「3・11」によって東電福島第1原発事故が発生した直後の2011年5月30日には,さらに『原子力には未来がなかった』亜紀書房も公刊していた。

 『石油と原子力に未来はあるのか-資源物理の考えかた-』1978年で槌田は,「原子力発電所が今つくれるのは石油が安いからであって,石油が高くなったら原子力発電省はつくれなくなる」といっただけでなく,つぎのようにも「3・11」に誘発された東電福島第1原発事故の後始末問題が,国民の側に広く「電気料金」のなかに拡散されごまかされて金銭的に徴収されているような実態の発生を,いまから40年以上も前に予知していた。

 〔すなわち〕「内乱や戦争がおこって放射能がバラまかれたりした時には,これは誰が責任をもつのだろうか。その時には東京電力なんかはないでしょうし,また,ことによったら日本国だってあるかどうかわからない。そうするといっさい補償する者はない。だから子孫が自分で働いて,助け合って補償し合うことにならざるをえない」と(43頁)。

 そのとおりになっていた。われわれが現在,その後の始末のために費消されている経費は,電気料金のなかに紛れこまされている。どうというまでもなく,「原子力に未来などなかった」現実が,日本の国民たちに対しては電気料金の請求書を受けとるたびに,思いしらされている。この国の住民たちが「3・11」以降,その意見を変えずに過半が原発の廃絶を願っている事実は,各紙の世論調査によってなんども確認済みである。

 引用中である『日本経済新聞』の記事にはまだ戻らず,ここではつぎに,槌田 敦による「原発反対論の根拠」を,槌田(当時,名城大学商学部)が1998年12月22日に,「CO2 温暖化脅威説は世紀の暴論-寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題-」と題してネット上に公表していた一文から,その該当する段落を引用してみたい。

       原子力発電ではCO2 排出量も減らない ◆
  = http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No72/TCD981222.html

 

 このことは,とくに,原子力発電の推進根拠の失敗に現われている。原子力発電所には,小さな重油タンクがあるだけだから,発電時にはCO2 をほとんど出さないと説明される。しかし,この発電時以外のところで大量のエネルギーが投入されており,原子力発電はCO2 を大量に発生している。

 

 アメリカのエネルギー開発庁(ERDA)が1976年に計算したところによれば,エネルギー産出量100をうるために,26のエネルギーを投入している。産出投入比は 100 / 26 = 3.8 である。電力中央研究所による1991年の計算も 4.0 とほとんど変わらない。

 

 この結果は原発が有利なようにみえる。しかし,これは積み上げ計算であるから,積み残しを考慮していくと,投入量は増え,産出量は減り,結果として産出投入比はどんどん減ることになる。

 

 ERDAの場合も,電中研〔前掲,電力中央研究所〕の場合も,運転での電力投入,遠方送電の建設,揚水発電所の建設という投入が忘れられている。これを考慮すると,投入量は 26+7+5+10=48 となる。また遠方送電損失 ( 7) ,揚水発電損失 (20) という欠損があり,産出量は100-7-20=73となる。その結果,産出投入比は 73 / 48 = 1.5 となる。

 補注)揚水発電とは,原発がとくに夜間も連続して昼間と同じ出力で発電せざるをえない技術特性(稼働時における適応性:弾力性のない)をもつゆえ,この夜間において余剰となる電力分の使途は,後日(翌日など)において水力発電用として利用させるための「水量」として,そのさい上方に建設しておいた貯水池(ダム)に汲み上げ,貯めておくために振り分けられる。

 

 さらに,計算不可能な投入として,放射能対策・廃炉対策・事故・故障対策がある。これを評価すれば,産出投入比は1に近づき,そして1を割ることになっていく。原発は事故で庶民を加害し,また処理処分不可能な放射能を残すだけでなく,石油石炭を大量に消費するのである。

 補注)「3・11」を契機にして,槌田 敦がこのようにあらためて指摘した「原発の『危険性と非経済性:反営利性』」の問題は一気に露呈された。

 現代の温暖化キャンペーンは,このような原子力をCO2 削減のエースとして推進するためであった。アルゼンチンで開催された気候変動枠組み条約第4回締結国会議(COP4)は,さながら原子力発電の売りこみの場であったと伝えられている。これに誘導されて大騒ぎするなどまったくナンセンスとしかいいようがない。

 補注)以上のごとき槌田の原発批判は,1998年時点における議論であった。その13年後に東電福島第1原発事故が発生した。1986年4月26日にはチェルノブイリ原発事故が先行して発生していたが,人類・人間(それもとくに日本原発村の住民たち)はなにを学んでいたのか?

〔日経記事に戻る→〕 日本も似た状況にある。再生エネには50~60%しか頼れず,残りの穴埋めが課題だが,立ち位置は曖昧だ。政府が昨〔2020〕年末にまとめたグリーン成長戦略では,原発単独でどこまで手当てするか明確にしなかった。2050年時点の電源構成は「原子力と火力で合計30~40%程度」。既存原発の再稼働もままならず,新増設も封印する現状を映す。

 補注)この2050年時点の電源構成「原子力と火力で合計30~40%程度」という文句についていうと,この「合計30~40%」のなかに占める「原子力」の比率が,実際には何%になるのか,けっして具体的に明示されえなかったところが「味噌(だましどころ?)」になっていた。

 2) 増す火力コスト

 では火力に頼れるかというと,心もとない。東日本大震災後,原発がゼロになるなか,石炭火力を電源全体の3割まで高めたが,カーボンゼロ実現には脱却は待ったなし。クリーンな電源として使いつづけるにはCO2 の排出抑制策が必要になる。

 政府は火力で生じるCO2 を回収・貯留するCCSを進める。代表的な地中貯留の技術は1トンあたり約7千円かかる。現在の石炭火力の発電コストは1キロワット時12.3円だが,CCSの費用が乗ると最大19円程度に跳ね上がる。10.1円の原発との差はさらに広がり,商業利用には相当なコストダウンが求められる。

 補注1)ここでの指摘,「10.1円の原発」コストという原価の提示は正確な数値にはなっていない。いまどき,この原発コストがまだ「1kWh=10.1円」というのは,サバの読み過ぎ。これは2014年時の原発コストとされていた。東電のHPにもそう記載されている。

 註記)https://www.kepco.co.jp/siteinfo/faq/energy/9098895_10614.html,2020年1月6日閲覧。ここには,こう説明されている。

 「2014年時点での,国の試算による発電コストは,太陽光発電が1kWhあたり約30円,石油を使った火力発電が約30円以上と高い傾向にあります。天然ガスを使った火力発電は13.7円程度,石炭を使った火力発電は12.3円程度です。原子力の発電コストは,10.1円程度と他の発電方法と比較しても遜色ない水準です」。

 しかし,現在においてはつぎのように解説されている。木村啓二2030年の太陽光発電は5.0~5.7円 / kWh   日本でも最安電源へ」『環境ビジネス オンライン』2020年06月15日号,https://www.kankyo-business.jp/column/025133.php  の記述である。

 2030年の太陽光発電システム(野立て,高圧)のコストは,5.0~5.7円 / kWh と推計される。太陽光発電は,原子力10.3円 / kWh や,石炭火力12.9円 / kWh よりも圧倒的に低コストとなり,最安電源になりうる見通しだ。

 

 2012年7月,固定価格買取制度がはじまった当初,太陽光発電(10kW以上)の買取価格は40円 / kWh(税抜)と,非常に高い価格水準であった。それから8年過ぎようとしており,2020年度の買取価格は12円 / kWh(税抜)(50~250kW)にまで下がった。


 昼間の卸電力価格の平均値(2018年度)が10.51円/kWhであるから,卸電力価格にかなり近づいている。

 以上の解説のなかで原発コストは「10.3円」といくらか(0.2円分)上昇しているが,現実的には東電福島第1原発事故以来,このコストは “もっとかなり高くなっている” とみなさねば,首尾一貫しない。

〔再び,日経記事に戻る→〕 日本は欧州と比べると再生エネの利用で地理的な制約を受けやすい。山が多く,洋上風力に適した海域は狭い。経済性を考えるともうひとつの安定電源を頭に入れておく必要がある。原発は福島での事故から足踏みが続いたが,カーボンゼロに向けてもう思考停止は許されない。使用済み核燃料の問題も含め,今後とるべき道について合意を探るときだ。(引用終わり)

 この記事の終結部は「原発抜きの議論となっていない」ところが,どうしても苦しい文意となっている。とくに「日本は欧州と比べると再生エネの利用で地理的な制約を受けやすい。山が多く,洋上風力に適した海域は狭い。経済性を考えるともうひとつの安定電源を頭に入れておく必要がある」と断わりを入れているが,これは原発を意味する余計な一言であった。

 九州電力の場合(つぎの図表参照),本ブログの記述でもなんどか太陽光発電が非常に高い電源比率になっている事実に言及してきたが,こちらのごとき実例は,以上の記事にあっては完全に考慮内からしりぞけた報道になっていた。したがって,日本の問題としても,議論の公平性・公正性じたいを欠く記事の内容になっている。

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 原発を電源に利用しつづけることが,グリーンエネルギーの生産・利用体制に対して水を差す事態,阻害要因を提供しつづける状態を意味するほかない事実から,必死になって目をそらそうとするような『日本経済新聞』風「原発ヨイショ記事」は,いただけない。

 つぎの ③ はやはり,本日2021年1月6日の『日本経済新聞』朝刊に寄稿された橘川武郎原発関連を議論した記事であるが,このように「2030年時点で原発を電源として2割」とするという意見は,現時点においては不当だと形容されていいほどに,理不尽な主張になっている。

 橘川武郎がいままでおこなってきた原発関連の議論は,電源比率構成論の関心でみて,かなり単純に「原発を維持させる点」ばかりを強調する立場に終始してきた。橘川の議論においてもっとも特徴的なのは,原発に関する基本的な技術経済論の不在,そして原発の安全問題にはほとんど無縁な立場である。原子力発電という問題にとって一番肝心な論点からは,かけ離れた地点にまで出ていった彼の議論には,それなりの特徴があった。

 以上のごとき,橘川武郎原発議論に関した決定的な弱点を踏まえたうえで,つぎの ③ のこの記事を読んでみるといい。本ブログ筆者の観点は残念なことに,この橘川の立場を否定的かつ批判的にしか評価できない。いまどき,時代の潮流からこぼれ落ちたごとき「この種の原発論」は,有害無益である。ちなみに,欧米やロシア・中国などで原発が現在,いかほどの電源比率をもって利用されていようと,橘川の説く日本原発論は間違い:筋違いだと断定してよい。

 「〈第4の革命 カーボンゼロ 原発〉2030年に2割が妥当 私の見方 国際大教授・橘川武郎氏」日本経済新聞』2021年1月

※人物紹介※ 「きっかわ・たけお」は1951年生まれ,東大経済学博士,専門は日本経営史・エネルギー産業論,電力・ガス,石油産業の歴史や経営に詳しい。政府の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会の委員として,次期エネルギー基本計画の策定に携わる。

 政府が2020年10月26日に「2050年までに温暖化ガスの排出量を実質ゼロにする」と宣言したのは大きなゲームチェンジだった。米大統領選挙でバイデン氏が勝利し,世界で脱炭素の流れが本格的に勢いを増す直前,滑りこみセーフで新目標を打ち出せた。バイデン氏の勝利後にいい出したのでは国際的な笑いものになっていただろう。(1面参照)

 電源は再生可能エネルギーを主軸に,火力と原子力を組み合わせる構成が続くだろう。

 補注)この電源構成「論」のなかでなされる原発2割という主張は「合点がいかない」としか受けとめようがない。

 焦点になるのはゼロエミッション火力発電だ。東京電力ホールディングスと中部電力が折半出資するJERAは化石燃料アンモニアや水素を混ぜて燃やす手法などで,事業活動での二酸化炭素(CO2 )排出量を2050年に実質ゼロにする目標を発表した。

 最終的にはアンモニアや水素だけを燃やし,火力発電でありながらCO2 を出さない状態にまでもっていく将来像を示している。この仕みが可能だと示されたことで「2050年ゼロ」への道筋がみえてきた。

 政府はグリーン成長戦略で2050年時点の電源構成に占める再生エネの比率を50~60%とする目安を示したが,現実的な数字だと思う。

 気になるのは,CO2 の回収機能を付けた化石燃料による火力と原発を合わせて30~40%とした点だ。残る10%分は水素とアンモニアを使うとしているが,要するにこれも火力発電。火力はひとくくりにし,原発は単独で目安を示すのが本来の筋のはずだ。

 補注)この「火力はひとくくりにし,原発は単独で目安を示すのが本来の筋のはずだ」った。だが,そのようにはどうしても表現できなかった,経済産業省エネルギー庁側の「深慮遠謀的(?)な〈弱み〉」は,いかんともしがたい点であった。

 だが,橘川武郎はそのあたりの事情などそっちのけで,ともかく「カーボンゼロ 原発〉2030年に2割が妥当」とするのが「私の見方」だと主張している。ここでは,前段で触れてみた槌田 敦の原発批判論を思い出してもらえば,この種の橘川側における議論がいかに実証不足(論拠薄弱)であるか理解できるはずである。

 それとまた,原発コストの上昇がすでに現在まででも,経産省が公表する数値よりもはるかに高い水準まで達している点は,それほど困難もなく推測できるゆえ,橘川武郎による「2030年における電源構成:原発20%」論は,さらに相当に無理筋に偏るほかない提唱であった。

〔記事に戻る→〕 政府は原発を推進する気がないのではないか。発電所の新増設の議論も封印したままだ。政治家や地元との調整もあって「原発をやめる」と宣言するほどの勇気もない。そんな思惑が絡んで,原発単独で低い目安が表に出ることを避けたと考えるのが自然だろう。

 再生エネ普及は送電網の整備がカギを握っている。発送電分離が始まって以降,稼働しない原発のために送電網の枠をとっておくのではなく,可能なかぎり再生エネに使うことで利用率を上げようとするのは経営の観点から合理的だ。

 再生エネでつくった電力を固定価格で国が買い取るFIT制度で事業者の裾野は大きく広がった。だが,いまや玉石混交。再生エネの持続可能な利用環境を整えるには,設備や機器のメンテナンスがこれまで以上に重要になる。必然的に優良事業者に再編・集約していくことになるだろう。

 再生エネ比率を50%に高めるには,排出量に応じて企業が費用負担するカーボンプライシング(炭素の価格付け)が欠かせない。企業が排出削減するほどメリットが生まれるため,本格的に商業利用されていない水素やアンモニア,CO2 の回収・貯留(CCS)の技術革新や普及への後押しとなる。

 政府は2050年時点で原発単独の将来像を示さなかったが,この考え方は2030年時点の次期エネルギー基本計画と電源構成を示すさいに反映されるだろう。再生エネの比率を現在の22~24%から30%に上げ,逆に石炭は26%から20%まで下げる。原発は20~22%で維持し,あとは液化天然ガス(LNG)とわずかな石油でカバーするのが現実的だろう。(引用終わり)

 橘川武郎における議論の基調は,問題があり過ぎる。たとえば,2030年や2050年の時点における日本のエネルギー需給関係に関して絡んでくる前提的な諸議論が不足している。

 とりわけ「2050年時点で原発単独の将来像を示さなかったが」,「2030年時点の」「再生エネの比率を現在の22~24%から30%に上げ,逆に石炭は26%から20%まで下げ」「原発は20~22%」にしておくという橘川武郎の提示は,非現実的にしか映らない。

 橘川武郎は6年前につぎのように語っていたけれども,最近の議論との整合性がただちには汲みとれない。この疑問は,いうところのその「原発のたたみ方」じたいをめぐり感じた疑問である。

 筆者〔橘川武郎〕は,原発が20世紀後半から21世紀前半にかけての人類の進歩に貢献した(する)ことを,高く評価する。21世紀の前半にも,電力不足を解消するため,中国・インド・ベトナムなどの新興国では,原発の新増設が続くだろう。しかし,バックエンド問題を解決できないかぎり,原発は,人類の歴史の一時期に役割を果たした(す)過渡的エネルギー源に過ぎないのである。

 註記)橘川武郎「リアルでポジティブな原発のたたみ方」『SYNODOS』2014.02.06,https://synodos.jp/society/6955/3

 結局,橘川武郎原子力村の一員としての発言に終始してきた。関係する政府委員の立場から受けている制約を正直に反映させた議論のほうが,より強く前面にめだって出ていた。廃炉工程「以後」(バックエンド領域)などに生じる原発関連の深刻な諸問題は,ひとまず棚上げしたかのような議論を進行させてきた。

 その「過渡的エネルギー源」だと捕捉され,位置づけられる原発が,人類・人間の地球史を過酷に破壊する〈原発事故〉を記録してきた。その歴史の事実は,われわれの記憶から抹消できない。単なる「バックエンド問題」とは質的に次元の異なる重大な問題をこの地球上にもたらしてきたのが,原発であり,そしてこの事故ではなかったか。

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