このコロナ禍中でもオリンピック爺さん,つまり日本国老害人の森 喜朗が夢をみつつ,まだ開催したいと希望する東京オリンピックの無益有害

 東京オリンピック(&パラリンピック)を開催するためのカネ・手間・ヒマは,新型コロナウイルス感染拡大「問題対策」に回したほうが,よほど世の中のためになる

 東京五輪組織委員会の「五輪貴族」たちにしか役得のない国際大運動会など,即刻中止にしたらいいが(できれば永遠に廃止),いまだにこの2021年盛夏(酷暑・猛暑)の東京で,「五輪の車輪」転がしをしたいJOCの面々,その社会常識のなさ

 この2021年に,まさに日本が直面している最大の国家的な課題はコロナ禍に対処する仕事にある。2020東京オリンピックの開催だけを意識していた政府・東京都など関係組織とこの幹部要員たちは,この国際大運動会の開催を理由に,新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する対処を決定的に遅滞させてきた

 

  要点・1 東京オリンピックの開催を最優先させてきた国家指導者たちおよびJOC関係者は,まさしく『亡国の徒』

  要点・2  「Go To トラベル」キャンペーンは,五輪開催への通路を空けて確保しておくための策略であり,この愚策がコロナ禍を拡大させる逆効果をもたらしている,だが,この事実を恬と恥じない「私物化政治」推進者の黒幕:二階俊博とその配下菅 義偉などは,森 喜朗と手を組んで,2020年代の日本を代表する最高度に極恥かつ暗愚な政治を展開

  要点・3 東京オリンピックの開催にこだわればこだわるほど,この日本国の衰退を加速させる


 「森会長『五輪準備,淡々と』 英メダリスト『再延期を』」朝日新聞』2021年1月13日朝刊29面「社会」 5時00分

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 事前の 補注)この記事を読んだとき即座に感じたのは,この森 喜朗という爺さん,五輪車にまたがってすっかり乗り回しているつもりなのか,オレの一存で東京オリンピックの開催は可能になるとでもいいたげに語っているのか(?)という点であった。ともかく,この記事に書かれている森君のいいぶんを聞こう。

 今夏の開幕まで200日を切った東京五輪パラリンピック大会組織委員会の森 喜朗会長は〔1月〕12日,職員向けの年頭あいさつで,新型コロナウイルスの感染拡大が続くなかでの開催可否について,「ここで私が考えこんだり,たじろいだり,心のなかに迷いがあったらすべてに影響してくる。あくまで進めていかないとならん。淡々と予定どおり,進めていくという以外にお答えする方法はない」と述べ,開催の決意をあらためて示した。

 補注)この森 喜朗のあらためての決意とやらの核心は,「ここで私が考えこんだり,たじろいだり,心のなかに迷いがあったらすべてに影響してくる。あくまで進めていかないと」というふうに,きわめて精神論が濃厚なものであった。

 ちまたに流通しているネット記事やユーチューブ(まじめにかつまともに議論しているもの)が説くところによれば,東京オリンピックの開催は1年延期されたところで,相当にその実現は困難であるというほかなく,いまごろになってもまだ,この森 喜朗君のように白日夢をみているかのような,しかもほとんど妄言にちかい意見を吐ける立場は,初めから排除している。

 下掲の表は『日本経済新聞』から借りてみたが,新型コロナウイルス感染拡大は全世界ですでに9千万人を超える数値まで記録している。

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 日本へもその新しい「変異種」の新型コロナウイルス菌がすでに「入国」している。問題はパンデミックな病原体の性状に関しているゆえ,これにはもともと「国境など存在しない」。この「新型コロナウイルス」がさらに盛んにその変異種を増殖している過程のなかで,森 喜朗君のように,延期された東京オリンピックの開催を「淡々と予定どおり,進めていくという以外にお答えする方法はない」と力説したところで,その相手が悪すぎる。

 それでも彼は,東京オリンピックの「開催の決意をあらためて」いるというのだから,ほとんど喜劇的な悲劇を,JOC関係者・幹部である彼の立場としてだが,完全にピエロとなって自身の独壇場を演じている。

〔記事に戻る→〕 森会長はその後,東京都内で講演し,大会の再延期について「不可能。各省庁から出向している人たちの人生がある。お金の問題ではない」と否定した。また,海外の観客の受け入れについては「入れるか入れないか,無観客開催が可能か,色々な意見も聞いて決めなきゃいけない。3月にかけてむずかしい判断が求められると思う。これだけは天任せといわざるをえない」と語った。

 補注)はて,ここにつづく森 喜朗君の発言は「運は天任せ」と来た。しかも,いまでは完全に営利主義・商業化されている「国際大運動会の開催」としての五輪大会の性格を,まさか少しもしらないわけではないと思うが,「大会の再延期について『不可能。各省庁から出向している人たちの人生がある。お金の問題ではない』と否定した」といったとなれば,この人はいったい,なにをいっているつもりであるのか,まったく理解できなくなる。

 「各省庁から出向している人たちの人生がある」と強調しているが,その出向は取り消し(終わりにして),彼らの所属する省庁に戻してあげれば,それでいいだけのことである。また「お金の問題」でしかなくなっている五輪開催の問題を,このように平然と「お金の問題ではない」などとそのリクツが説明されるとなるや,聞いているほうが唖然とさせられる。

 IOCやJOCという組織の本質を多少はしっている人たちからみれば,1年延期にされた2020東京オリンピックの場合であっても,「五輪組織幹部:貴族ファースト」のためこの大会の開催なのであって,それも「金儲け第1主義」になっている事実は,透かしてみるまでもなく自明であった。

 「ブラックボランティア」「感動詐欺」などいった犯罪的な形容をこめた表現が登場している事実は,オリンピックの開催のあり方じたいに関してだが,五輪をスポーツの祭典としてただ一方的に美化する印象操作の裏で,この国際大運動会の舞台を自分たちの栄華や見栄を実現するための絶好の道具に利用してきた関係者がいた(いる)。

 だが,現在まで「2020東京オリンピックの開催」を妨げ,延期させたコロナ禍が,今後においてもこの開催をそう簡単には許さない状況に置かれている。そう判断するのが,まともな現状認識である。ところが,五輪車にまたがって自分だけは軽快に走って回っているつもりの爺さん:森 喜朗君は,まだその開催が可能であるかのような幻覚に囚われている。

〔記事に戻る→〕 一方,五輪のボート競技で4大会連続金メダルに輝いた英国のマシュー・ピンセント氏(50歳)は〔2020年1月〕11日,自身のツイッターで「東京には2024年まで延期できる選択肢を与え,パリは2028年,米ロサンゼルスは2032年夏季五輪は開催(時期)をずらすべきだ。アスリートは五輪を失うことになるが,その可能性は高くなっているようにみえる」と再延期を主張した。(引用終わり)

 金儲け第一主義になりはてている五輪大会の開催が,なにゆえそこまでして実現されねばならないのか? 本ブログ筆者のようにこの国際大運動会にさしたる関心をもてない人間は,不思議でしかたない。

 だが,それでも必死になって五輪,ごりん,オリンピックと叫ぶ者が少なからず居る。こうなるとつぎのような皮肉もいいたくなる。「2020東京オリンピックの開催はすでにご臨(ゴリン)終……」。


 東京五輪開催へ『予定通り進行』 森会長が年頭あいさつ」日本経済新聞』2021年1月13日朝刊34面「社会1」

 この記事は,① の『朝日新聞』朝刊と同一の内容について報じているが,森 喜朗君の発言に関しては,多少,別の違う文句もとりあげていたので,この点に注意してみたい。彼はこういていたと報道していた。

 東京五輪パラリンピック組織委員会の森 喜朗会長が〔1月〕12日,職員に年頭のあいさつをおこなった。新型コロナウイルスは国内外できびしい感染状況が続くが,延期された大会の開催に向けて「もし心の中に多少でも迷いがあれば,すべてに影響してくる。淡々と予定どおり進めていく」とあらためて決意を表明。「長い夜も必らず朝は来る。一丸となってこの最大の難関を突破するようがんばりましょう」と呼びかけた。

 「新型コロナウイルスは国内外できびしい感染状況」といった発言は当然の現状認識であるにしても,「長い夜も必らず朝は来る」のだと,コロナ禍に対する「待ちの姿勢」と説いている。となれば,現状におけるコロナウイルス感染者数の動向は,いったいどのように「森 喜朗において」受けとめられているのかが問題になる。けれども,この森 喜朗君の発言はあくまで精神論:竹槍論であった。

 新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する日本政府の対応ぶりは,最近,太平洋戦争における旧・大日本帝国陸海軍の負け戦=「失敗の本質」になぞらえてよく語られる話題になっている。森 喜朗の発言もまた,その昔における軍部の最高指導者の姿と二重写しにならざるをえない。

 そもそも森 喜朗君は,いったい「なにの・それ」に対してがんばろうと発言したつもりか? それが「もし心の中に多少でも迷いがあれば,すべてに影響してくる。淡々と予定どおり進めていく」ことだとしたら,これはつぎのように指摘・批判の対象として挙げるには好例となる。

 すなわち,大東亜・太平洋戦争中における東條英機首相が得意とした精神論に「負けを認めたら負け,認めなければ負けでない」といったふうな「言語的な表現」があった。つまり,それは,「使命感をもった馬鹿」ほど人に大きな害をおよぼすほかない典型例を意味する。非常時にさいして,いかなるリーダーを選ぶか,たいそう大事な判断を迫られる事実を,あらためて理解させてくれるのが「この森 喜朗の事例であった」といっていい。

 安倍晋三および菅 義偉という両首相に対しては「バカな大将敵(コロナ)より怖い」という俗説が評判を呼んでいる。だが,森 喜朗も,日本国首相の歴任者としてその例に漏れていなかった人物であった。そして,2020東京オリンピックの開催問題にさいしては,再度 “その種の評定” を想起させてくれた。

 「おお,怖(こわ)!」

【参考記事】

 

 「スポーツの力JOCは選手に何をすべきか」日本経済新聞』2021年1月13日朝刊33面「スポーツ」

 新型コロナウイルスの感染が急拡大した年末年始もスポーツイベントは開催されていた。箱根駅伝に高校スポーツの各大会,〔1月〕11日にはラグビーの大学選手権決勝があり,卓球の全日本選手権も始まった。

 さまざまな意見があるだろうが,個人的にはスポーツがなければ味気ない正月だったと感じている。高校スポーツでは感染者の発生で試合ができなくなるチームもあった。無観客や観客数制限などの対策をしながら,開催を実現している関係者には感謝したい。

 補注)この記事は「個人的にはスポーツがなければ味気ない正月だったと感じている」と感想を述べているが,本ブログ筆者の個人的な感じ方としては,味気ないとは思ても感じてもいなかった。

 人それぞれだと思うが,その種の「感想」の問題を,個人的なものだと断わっていながらでも,特定の方向に引っ張っていきたいような意見であった。だからか「開催を実現している関係者には感謝したい」と書いている記事になってもいた。東京オリンピックがもしも開催されたら,この人はもっと,この「開催を実現している関係者には感謝したい」と述べるに違いあるまい。

 もっとも,つぎの段落ではまともな発言をしだしていた。

〔記事に戻る→〕 今夏の五輪・パラリンピックをめざすアスリートにとっても,国内外でスポーツが続いていることで勇気づけられているはずだ。だが,そう考えている自分も,五輪をめぐる政治家らのこうした〔つぎのような〕発言には神経を逆なでされてしまう。

  「開催しないということのお考えを聞いてみたい」

  「(開催することは)決まっている」

  「無観客は考えていない」。

 弱気なことをいうと中止論が強まるとでも思っているのだろうか。現実を無視して前のめりに開催をめざしている印象しか受けない。

 五輪開催に反対するだけでなく,アンチ・スポーツ派まで増やしているのではと心配になる。41年前のモスクワ五輪のボイコットとはまったく逆のかたちが,政治がアスリート・ファーストを唱えながら彼らの足を引っぱっているようだ。

 補注)問題があった。なぜ,叙上のごときに開催者側の実に高慢ちきな発言が許されているのか。その理由についてこの記事は語ろうとはしない。JOC五輪組織委員会の関係者,それも幹部連中は自分たちだけは,特別な場所に陣取っていると勘違いしている。

 と同時にだから,五輪が中止になったりしたら自分たちの立場なくなるかもしれない不安を抱いている。なにせ今回,パンデミックとして地球全体を襲っている新型コロナウイルス感染拡大「問題」は,IOCもJOCも真っ向から対等に戦える相手などではなく,まったくお呼びでない。

 彼らの心中は察するにあまりある。けれども,彼らなりに「開催できるかどうか」について心配しながらも,他者が開催不可能などと発言したら,異様なまで猛烈に反撥する。いかにも痛し痒しの心境と推察する。

〔記事に戻る→〕 こんな状況でも東京大会をめざすアスリートのパフォーマンスはすばらしい。体操の鉄棒でH難度のブレトシュナイダーを苦もなく成功させる内村航平(32歳)の演技には感嘆した。観客がいようがいまいが,この演技を五輪で披露できなくなるのは理不尽だとさえ思う。

 補注)この段落のいいぶんは,関心のない人には効果なし……。それはそうなのだろうが,それでもって「五輪を開催したほうがいい」といったいいぶんになるのだとしたら,必らずしも十分に人を納得させうる説明とはいいがたい。ほかの競技も含めてだが,また日本人選手でなくとも,その種のみごとな演技をしてくれる選手は,いくらでもいるのではないか? こちらの存在はどうみればよいか?

〔記事に戻る→〕 日本オリンピック委員会(JOC)は彼らのためににをするのか。山下泰裕会長は年頭,職員向けに「トップアスリートのひたむきなプレーがコロナ禍を乗り越えた世界の希望の光となるよう,まい進していきたい」とあいさつした。ならば政治家に代わり,外に向けても「無観客で構わないから,五輪開催をめざすことを理解してください」と真摯に訴えるべきだろう。

 補注)この山下泰裕のいいぶんは,安倍晋三や菅 義偉が「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピックを開催するとの決意」というものと,同工異曲の言辞であった。だいたい,オリンピックの開催でコロナ禍が克服できるかのように,つまり「観念論一辺倒で語るその話法」じたいが,まったく幼稚にすぎて,聞いてはいられない。ものごとの順逆というか因果の関係など完全に無視した稚拙な言説であった。

 それでは,オリンピックの開催が可能になった時,「コロナ退治」も実現できたという論理の運びになるとでもいう気か? こうなると山下泰裕JOC会長も,この国のあの「バカな大将たち」の驥尾(きび)に附しているといわねばならなくなる。山下は人間的には尊敬できる人物であるが,JOC幹部(とくに会長)になったころから,だいぶ発言する中身がズレてきた。なにがそうさせているのか?

〔記事に戻る→〕 万全の感染対策をしても,五輪が開催できるかどうかはコロナの状況しだい。政治もJOCもどうにかできることではない。ただ,スポーツを愛する人を増やし,アスリートと喜びも悲しみを共有する社会をつくる。それが使命だということは忘れないでほしい。編集委員 北川和徳)(引用終わり)

 日経編集委員の北川和徳は,この最後の段落で,いったいなにを要点に述べたかったのか,理解のしようがないまとめ方をしている。

 要は「万全の感染対策をしても,五輪が開催できるかどうかはコロナの状況しだい」というけれども,2021年1月になってからの新型コロナウイルス感染が拡大している現状は,どのように観察しているのか?

 とりわけ,「政治もJOCもどうにかできることではない」とはいっても,そもそも,政府(菅 義偉政権)じたいがコロナ禍にまともに対応できていない現状のなかで, “スポーツの使命” をウンヌンしたところで,いったいどれほどの意味がありうるというのか?

 「スポーツを愛する人を増やし,アスリートと喜びも悲しみを共有する社会をつくる。それが使命だ」? 要するに北川はなにをいいたいのか,さっぱり理解できない。五輪開催の具体論にスポーツ使命論という一般論を対置させただけの議論であるが,この具体論と一般論が全然噛みあっていない。

 

 「【ノーカット】都の重症患者が過去最多に 東京都医師会会見」『ユーチューブ』2021年1月12日放送

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 このユーチューブ動画を視聴したが,東京都医師会の幹部たち,なかでも会長の尾崎治夫は「じっとがまんをしながら語る口調」のなかでも悔し涙を流したいかのような苦衷の表情まで浮かべながら,新型コロナウイルス感染者数の急速な拡大による「医療崩壊(医療壊滅)」の実情を訴えていた。

 いったいぜんたいに,政府や都の最高責任者たちの対応はとみれば,内輪もめ的な相互のやりとりばかりを進行させることには熱心であっても,なかでもとくに厚生労働省の存在は影がうすく,また都政の最高責任者である小池百合子ときたら「自分の演技(パフォーマンス)」の発揮するための機会をつかもうとすることにしか関心しかなかった。

 要は,この国全体が新型コロナウイルス感染拡大「問題」に立ち向かうための基本姿勢が,大前提としての構えからして,まったく用意できていないまま,今日まで無闇に時間を経過させてきた。

 東京都医師会の前段の記者会見では,幹部たちがひな壇に上がっていた説明をしていたけれども,国家最高指導者層のみっともないほどの迷走ぶりときたら,医療崩壊の以前に国家体制そのものを溶融を感じさせていた。この東京都医師会は,そうした国家体制の欠陥から生じるしわ寄せまで受けとめながら,こちらの組織次元で必死になって対・コロナ禍を戦っている。

 しかし,国側の態度とみたら,菅 義偉の代わりに前面に立って対応している西村康稔経済再生大臣では役不足がめだっていた。そもそも厚生労働大臣である田村憲久(たむら・のりひさ)は,どこでなにをしているのか,さっぱり分からない。つまり存在感ゼロという印象である。

 

 「コロナ後手後手対応の元凶 これ以上の五輪固執は命取り」日刊ゲンダイ
2020/12/28 17:00,更新日:2020/12/28 17:00,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283271 を,以下に転載する。この記事の論旨は,東京オリンピックを開催したいという神経からしてだいたいが理解不能だと主張している。この記事の全文を転載する。

 a) またしても後手後手の感が否めない

 政府は〔2020年12月〕28日から来〔2021〕年1月末まで,すべての国・地域からの外国人の新規入国を停止した。各国で広がっている新型コロナウイルスの変異種が国内に入ってくるのを防ぐための「予防的措置」というのだが,それにしては対応が遅すぎるのではないか。すでに国内でも変異種の感染者が確認されている。水際作戦に失敗しているのである。

 英国でみつかった変異種は未知の部分が多いが,感染力が強いとされる。〔12月〕24日から英国からの入国者の制限を強化したが,変異種は欧州だけでなく北米でも発見されるなど世界各国に “飛び火” していて,英国以外から上陸する恐れも指摘されていた。いまさら全世界を対象に出入国緩和を停止したところで,どれだけの効果があるのか分からない。

 しかも,中国,韓国,タイなど11カ国を対象としたビジネス関係者の往来は引きつづき認めるというのだ。

 「政府が国民の不安の声をよそに出入国制限の緩和を進めてきたのは,来夏の東京五輪開催のためでしょう。海外から人が入ってきても大丈夫だという実績を作りたかった。2月の第1波で震源地の中国からの渡航制限が遅れたのと同様に,インバウンド目当ての思惑もある。『Go To キャンペーン』もそうですが,すべてが業界がらみの利権と五輪優先で,感染症防止対策は中途半端なのです」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学

 政府の観光支援事業「Go To トラベル」も〔12月〕28日から全国で一時停止となったが,それも来〔2021年1月〕月11日までの短期間で,帰省や年末年始の旅行による人の移動を多少,抑えようというだけだ。〔12月〕26日に観光関係者らと意見交換をおこなった赤羽国交相は,Go To トラベルを1月12日から再開したいといっていた。

 補注)なお「Go To トラベル」キャンペーンは,1月7日に発令された第2回目「非常事態宣言」のために中止になっている。

 b) 五輪より国民の命や安心を優先すべき

 「菅政権は Go To トラベルを早く再開したいだけでなく,来〔2021〕年6月まで延長することを決めて,第3次補正予算案に来年6月までの延長経費として1兆円以上を計上しています。五輪を開催するためには,人の移動が制限される状況であってはまずいのだろうし,五輪関連の需要につなげる意図もあるのでしょう」。

 「しかし,感染拡大が止まらない現状をみれば,五輪開催に固執するのはどうかしていると思います。五輪ありきではなく,国民の命や安心を優先すべき局面です。世論調査でも大多数の国民が延期か中止を望んでいる。五輪のためにコロナ感染拡大に目をつぶってきた政府の対応は,一般国民の感覚とかけ離れています」(五十嵐仁氏=前出)。 

 c) 〔2020年12月〕25日の「スポーツ報知」が,東京オリ・パラ組織委員会の複数の理事らが,開催に慎重論を訴えていることを報じていた。世界中での新型コロナ感染拡大の状況を踏まえ,「五輪を開くには状況が悪すぎる。不安と心配の方が大きく,国民の賛同がえられない」ときびしい見方を示したという。

 また,ある理事は「このままでは五輪のもっとも大事なフェアプレーの精神を無視するかたちになってしまう」と指摘。コロナ禍で選手が練習できる国と,できない国の差が開いていることを危惧。「選手がいくら努力しようとしてもなにもできない国もある。練習環境格差が生じてしまう。アンフェアだ」と問題提起したという。

 これがまっとうな受けとめ方だろう。組織委のなかからもこういう意見が出てきているのに,なぜ政府は五輪開催に固執しているのか。

 d) 決断を先送りするほどコストは高く国民負担も増える-「アンダーコントロール」が諸悪の根源(安倍前首相)

 菅首相が「必らず開催する」と五輪にシャカリキなのは,みずからの再選戦略とからんでくるからだ。衆院議員の任期が満了する来〔2021〕年は,必らず総選挙がある。「オリ・パラの成功をかかげて,高揚感のなかで総選挙をおこない,自民党総裁選での無投票再選を菅首相は狙っている」(自民党関係者)とされる。

 安倍前首相もそうだったが,みずからの延命に五輪を利用する。私物化というほかない。その犠牲にされるのは医療や国民の命なのである。

 当初は「コンパクト五輪」を売りにしていたのに,費用もどんどん上積みされてきた。コロナの影響で延期されたオリ・パラの大会経費について,東京都と大会組織委員会は〔2020年12月〕22日に総額1兆6440億円とする予算計画を公表。昨〔2019〕年12月策定の計画から2940億円も増えた。

 政府の第3次補正予算案や2021年度予算案にも,競技会場や海外選手が滞在するホストタウンの感染症対策や,延期に伴う追加負担(857億円)など,多額の追加予算が盛りこまれている。

 五輪関連の支出は複数の省庁にまたがるため全体像の把握はむずかしいが,会計検査院は昨〔2019〕年12月,国の支出は関連事業も含めると1兆円を超え,東京都や大会組織委員会の支出と合わせると3兆円を超えるとの試算を公表した。五輪史上,もっとも経費がかかる大会になるみこみだ。

 どこがコンパクト五輪なのか。その予算を医療現場やコロナ感染防止策に回したらどうなのか。

 ちなみに,五輪の競技会場で活動する医師や看護師については,当初の予定通り原則無償で依頼するという。新型コロナで医療現場が逼迫していても,五輪成功のためにはボランティアで働けというのだ。そんなに,五輪が大事なのか。

 e) ウイルスとの闘いは国民任せなのに……

 「これ以上,五輪に固執すると命取りになりかねません。年内にピークアウトするなら五輪開催の実現性もあったと思いますが,感染拡大が止まらない首都圏で五輪開催を強行しようなんて,諸外国からみても正気の沙汰ではないと思う。経済と感染症対策という,できもしない二兎を追った結果,収拾がつかなくなってしまった」。

 「もう遅すぎるかもしれませんが,五輪向けの予算は目の前のコロナ対策に向けた方がいい。コロナ禍で業績が落ちた企業は待ったなしの状態だし,はじき出された失業者や廃業者への手当てもロクにない。これでは経済も死んでしまいます。医療現場への支援も急務で,五輪にかまけている場合ではありません」。

 「再びロックダウンしている国もあるなかで,五輪開催なんて寝言をいっている場合ではないのです。そして,『やめる』という決断は早くした方がいい。ズルズル引っぱられては,スポンサー企業も苦しくなる。ギリギリで中止が決定すれば,株主代表訴訟を起こされかねません。決断を先送りすればするほど後のコストが高くつき,国民の負担も大きくなるのです」(経済評論家・斎藤 満氏)。

 補注)「やめる」という意思決定の判断は,経営戦略論でも一番むずかしいものという位置づけになっている。 

 f) 仮に五輪開催を強行したとしても,選手が来られない国もあるだろうし,無観客に近い状態で開催する可能性もある。そうなると,満席を前提としていたチケット売り上げがみこめず,大幅な赤字になる。その補填は国と東京都,組織委で協議することになっている。桜を見る会の前夜祭と違い,安倍や菅,自民党が “手元資金” で補填してくれるわけではないのだ。

 菅は相変わらず,安倍からの受け売りで「人類がウイルスに打ち勝った証しとして,五輪パラリンピックを東京にて開催する決意だ」とかいっているが,五輪にこだわれば,国も国民もスポンサー企業ももたない。ウイルスとの闘いは国民任せで,そのうえ奈落の底に突き落とす気なのか。

 今〔2020〕年3月,麻生財務相参院財政金融委で「呪われたオリンピック」と発言したことを思い出す。

 「1940年に(東京五輪と札幌冬季五輪が)パーになり,1980年のモスクワ大会が西側諸国のボイコットで半分,吹っ飛んだ」と,40年周期の「呪い」を得意げに語っていた。

 原発事故は「アンダーコントロール」と安倍が世界に大嘘をついて招致した時から,東京五輪はヨコシマで呪われていたのかもしれない。もっとも,来夏〔今夏〕に延期された五輪が中止になれば,それは呪いではなく「人災」だ。政府の無能無策のせいとしかいいようがない。(『日刊ゲンダイ』引用終わり)

 安倍晋三(嘘つき常習犯の晋ちゃん)や菅 義偉(日本語での対話が不適かつ不能だとバレた首相),小池百合子(街頭芸人だけなら上手な知事),森 喜朗(サメの脳みそ保有を誇る元首相)ら〔の政治屋たち〕は,東京オリンピックをぜがひでも開催させようと,いままでさんざん画策してきた。

 しかしそれがために,コロナ禍という「天災」そのものがいたずらに昂じてしまい,『「人災」プラス「天災」といった災厄の次元』にまで,その「負の相乗効果」を拡大させている。この種の「滅相もない因果」を,みずから呼びこんでいた。この国の最高指導者たちには,なぜ,このようにろくでもない人材しかいないのか。

 彼らは「人物そのもの」としてそれぞれの資質や人柄が語られる以前に,「彼ら」という「人間そのものがガラクタ同然だった」とみなされるほかない政治屋たちであった。これでは,新型コロナウイルスの日本侵入を食い止めることなど,とうていできない相談になっていた。彼らはむしろ,このウイルスを招き入れるための交通整理係として存在していたのかといいたくなった。

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【参考記事】

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