「ハーフ」という若干古いことば,白人との混血児は美人・美形だというたいして根拠のない俗説をめぐって考える日本社会のなかの民族差別と人種偏見

 サンドラ・ヘフェリン『ハーフが美人なんて妄想ですから ! !    困った『純ジャパ』との闘いの日々」』中公新書ラクレ,2012年6月を読んだことのある本ブログ筆者が,あらためて考えて みたこと

 大坂なおみに対して 関連するもろもろの「黒人種への偏見・差別」すら,本当はろくに解消も改善もできていない日本社会側における人種意識の問題

 

  要点・1 敗戦後的な問題としての混血児差別

  要点・2 最近の問題として混血児の存在


 『混血』から『ハーフ』へ,その人種的イメージの推移・転換に,いまだにみえ隠れする「日本社会の異なる人間に対する偏見と差別」の問題

 以下は「〈Discover70's (6) 〉『ハーフ』と呼ばれて イメージ転換,偏見なお」日本経済新聞』2021年1月6日朝刊35面「社会2」から

 --1970年9月,女性アイドルグループ「ゴールデン・ハーフ」がデビューした。父がスペイン人のエヴァ,米国人の父をもつマリア……。週刊誌は「片言の日本語をあやつり,ゼスチュアたっぷりのお色気を振りまく,カワイ子ちゃんの混血娘4人」と紹介した。

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 付記)本文以外より参照。このジャケットには5名写っている。

 カラーテレビが急速に普及した70年代。ミニスカート姿のゴールデン・ハーフは,クレージーキャッツドリフターズのテレビ番組で脚光を浴びた。「彼女たちの人気と相まって,〔19〕70年以降に『ハーフ』という呼び方が浸透した」。社会学者の下地ローレンス吉孝さん(33歳)は解説する。

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 下地さんによると,それまでも外国にルーツをもつ「混血タレント」はいたが,生い立ちや苦労話が強調されることが多かった。背景には終戦直後の記憶がある。

 米兵と日本女性の間に生まれた子どもらは「混血児」と呼ばれ,GHQ(連合国軍総司令部)の占領下ではタブー視された。1952年の占領終了を機に「戦争の落とし子」への社会的な関心が高まり,国による実態調査や支援活動がおこなわれた。

 しかし,終戦から四半世紀がたった1970年代には,そういったイメージは薄れていく。カラーテレビ,クーラー,自動車の「3C」のテレビコマーシャルに欧米・白人系の「ハーフタレント」が相次ぎ起用された。

 一方,ブラウン管の向こう側とは違って,当時の国際結婚は日本籍と韓国・朝鮮籍カップルが過半を占めていた。

 学習支援のNPO法人「トッカビ」(大阪府八尾市)の代表理事を務める朴 洋幸(パク・ヤンヘン)さん(52歳)は父が在日コリアンで母が日本人。1975年4月に小学校に入ったとき,母から「韓国人っていうたらあかんよ」と念押しされたのを鮮明に覚えている。

 在日コリアンの子どもを支えようと1974年に発足したトッカビには,いまは急増したベトナム人の子どもが集まる。朴さんは「日本語が苦手な親を軽んじたり,ルーツを恥ずかしがったりする様子はかつての自分たちと同じ」と憂う。 

 NPO法人トッカビのベトナム語教室。代表理事の朴 洋幸さんはベトナム人の子らにかつての自分を重ね「自分のルーツに誇りをもってほしい」と願う。

 「我が国は単一民族国家」 1971年10月の参院本会議で佐藤栄作首相は〔そう〕断言した。それから半世紀,国はいま「多文化共生」をかかげる。2019年に生まれた子どものうち,父母のどちらかが外国籍なのは50人に1人。日本社会は変わったのだろうか。

 補注1)厚生労働省の調査によると,2006年ごろまでは国際結婚の数は伸びていた。一時は,国際結婚の割合は8%まで増加していた。その後下降し,2013〜2015年の間は約3.3%と横ばい状態になっていた。

 ごく単純に考えてだが,国際結婚の割合がその8%を記録した夫婦たちが子どもを儲けていたら,このすべてが混血児となるのは当然として,この場合において誕生した新生児は,その全数のうち「12.5人に1人」(8%の割合だからこの計算になる)を占めていたことになる。一時期の現象だったとはいえ,相当な数値・統計である。 

 補注2)佐藤栄作のように1971年当時であっても「我が国は単一民族国家」だと宣言するのは,政治家であれ誰であれ《大間違い》であった。敗戦時の日本には200万人近くもの多くの朝鮮人が,いろいろな場所,すなわちのこの「我が国」の津々浦々で暮らしていた。それからあとの30年~40年ほどは,とくに在日韓国・朝鮮人の存在が60万人台の人口統計として,日本社会のなかに継続的に存在していた。

 しかも,その間において毎年,日本国籍を取得する(帰化した)韓国・「朝鮮」籍だった人たちは,大雑把にいえば5千人から1万人近くもつづいていた事実も記録されてきた。この事実も併せて受けとるべきなのが,前段の「在日韓国人:60万人台」の数字であった。

 法務省が公表している「国際結婚した夫婦間における出生数」や「国際結婚」「帰化許可(日本国籍取得)」に関する諸統計は,以下のとおりである。「ゴールデン・ハーフ(?!)」とか称されて国籍別の一部分として表記される特定の集団は,これらの統計にあっては絶対数が少ないために,「その他」のほうにひとくくりにして指示されている。

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 さて,明治時代の日本政府は,アイヌ民族(ウタリの社会集団)の人たちを同一民族として認めていたか? 逆に,明治期から植民地にしてきた台湾や朝鮮の人びとは,民族的かつ人種的に異なるとみなされていながらも,「皇統連綿」「八紘一宇」「一視同仁」の観点から,絶対的には彼らを「劣等民族」だと蔑視しつつも,いちおう(相対的)は「同じ大日本帝国の2等・3等臣民」と位置づけておくかたちで,同じ帝国臣民(人種・民族?)であるかのように処遇してきたつもりであった。

 そんなこんな歴史の事実が,敗戦後史になるといつの間にかどこかへ吹き飛ばされてしまい,「我が国は単一民族である」などとのたもうた「佐藤栄作の錯覚的な過誤」は,まことに度しがたい偏狭をはしなくも披瀝していた。それは「自国内完結主義になる虚構の民族観」であった。

 くわえて,沖縄人(琉球出身者)に対する,明治以来における日本社会の差別も明確にあった。沖縄県人が多く住む大阪市史に関する文献をひもといてみれば,そのあたりの歴史問題にはすぐ気がつく。

 大阪市の公表している統計のなかには,1945年における人口は110万2959人だと指示しているが,当時,同市には当時,その人口に対して1割を超える朝鮮人が住んでいた。ただし,上に示した大阪市の数値が,こちらの朝鮮人の人口を含む(内数)ものか否かは,ここでは分からない。

 ともかく,そういう現実があれこれ記録されてきた日本の近現代史を無視しておいて,「我が国は単一民族である」など宣言するのは,昔もいまも幻想的な表現であったと批判されてよい。

〔記事に戻る→〕 父がガーナ人,母が日本人の中村愛理さん(27歳)は,アフリカにルーツをもつ若者の集まり「African Youth Meetup」で活動する。しらない人からじろじろみられたり,髪を触られたり。「お国はどちら?」と詮索されるのはしょっちゅうだ。「日本で生まれ育ったのに,いつもよそ者扱いされる」。

 しかし,そんな声はかき消されがちだ。米国人の父をもつ大阪市立大研究員のケイン樹里安さん(31歳)は「否認するレイシズム(人種主義)が日本を覆っている」と指摘する。当事者が差別や生きづらさを訴えても「日本に人種差別はない」「外国に比べればマシ」と否定する形の抑圧だ。

 補注)ここの段落における説明・指摘が,佐藤栄作の「我が国は単一民族である」と裏表両面からつながる関係にあることは,ただちに理解できるはずである。

 「国籍や民族などの異なる人びとがたがいの文化的ちがいを認めあい,対等な関係を築こうとしながら地域社会の構成員として共に生きていくこと」。国は多文化共生をこう定義する。「日本人」の多様性を直視することが,その出発点となる。

  ※「ハーフ」の呼び方,定まらず ※

 父母のどちらかが外国出身の人の呼び方は定まっていない。ハーフは「半人前」といった否定的なニュアンスがあるとして,「ダブル」「国際児」「ミックス」などと呼ぶよう提唱する意見もある。

 日本で暮らす「ハーフ」の総数は統計がない。国立社会保障・人口問題研究所の是川夕国際関係部長は国の人口動態調査などをもとに,2020年時点で約102万人と推計。2040年に200万人超,2060年には300万人超になると予想する。

 補注)ここに示された数値は,「在日と呼ばれ,旧来居住者として中心的な民族集団であった韓国・朝鮮系の人びと」が「日本人と婚姻した件数」,それも敗戦後におけるそれは非常に多くあったはずであるが,日本政府当局はその関連資料・統計をもちあわせていないわけではなくても,それを進んで具体的に公表する気はないようである。

 それはさておき,彼ら(日韓・韓日の夫婦)のあいだにできていた子どもたち(ハーフ?  ダブル?)は,表だって計算したくはなかったらしい。在日韓国人系と原住日本人との混血児(この組みあわせの場合,はたしてどれほどに混血といえるかどうか「?」が付きそうでもあるが)が,過去においていかほど存在していたのかについては,こちらも正確な統計はえられていない(どこかに隠されているかもしれないが)。

 さきほど紹介した帰化許可に関する統計年表をみるさい,このなかには両親の組みあわせが「日本と韓国,韓国と日本」である事例が相当数含まれているのだが,この点が数値として区分・表現されていない。法務省のどこかでそのあたりに該当する統計を把握・整理している部署があるかもしれないが,ここではそれも不詳である。

 

  白人系の混血児がゴールデン・ハーフになりうるならば,アジア系の混血児はナントカ・ハーフで,黒人系の混血児はナニナニ・ハーフとなるのか

 a) 本ブログ筆者はこのブログ内であったかどうかよく記憶していないが,サンドラ・ヘフェリン『ハーフが美人なんて妄想ですから! !  -困った『純ジャパ』との闘いの日々』中公新書ラクレ,2012年6月を紹介した記述をおこなったこともあった。

 サンドラ・ヘフェリンは名から分かるように女性であり,白人系の人物であるが,たとえば『東洋経済 ONLINE』のなかでは,こう紹介されていた。

 サンドラ・ヘフェリン(Sandra Haefelin〔多分,Häfelin とつづる〕)はコラムニスト。ドイツ・ミュンヘン出身,日本歴20年。 日本語とドイツ語の両方が母国語,自身が日独ハーフであることから,「ハーフといじめ問題」「バイリンガル教育について」など,多文化共生をテーマに執筆活動をしている。

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 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』(中公新書ラクレ),『ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(ヒラマツオとの共著/メディアファクトリー)など著書多数。

 前段に挿入してみたサンドラの画像資料のなかに記入されている文句のうち,ウエンツ瑛士が以前,テレビに出演していたさい,こういっていたのを思いだす。いまは違って英語が話せるようになっているとのことだが,以前は英語が全然できなかったので,「白人顔の自分」がそれをまわりの日本人たちに対して告白すると,大いに受けてドット,笑いをとれたという話。

 ヘフリンとウエンツの話は,白人系混血児たちが受けている紋切型の,彼らみたいな人びとの存在に対する「偏見と差別」〔とはいっても,ほとんど有害ではない(?)それ〕に関している。

 だが,これが方向を変えて黄色系混血児たちの場合となると,分かりやすく指摘すれば韓国系や中国系の混血児たちに対してだとなると,見目形がまったく純ジャパと区別できないこちらの者たちのほうが多数派であり,ましてや純ジャパと同じに育ってきた彼らの立場でもあるからには,その出自が明示されないで隠蔽されているとなれば,こちらはこちらなりに “なにも問題のない存在” としてみなされてきた。

 b) ところが,黒人系混血児の場合となるとそうはいかず,露骨な偏見と差別の対象になっていた。関連していえば,エリザベス・サンダー・ホームが有名である。現在社会福祉財団法人である同ホームのホームページには,こう説明されている。

 澤田美喜先生によって70年前設立されたこのホームにもキリストの愛の精神は脈々と流れています。特に戦後の混乱期の中で過酷な運命を背負った混血孤児を養育しようとする事業は,強い意志と深い信仰の支えが無ければ実現できなかったのです。傷ついた見知らぬ旅人を手厚く介抱した聖書に登場するサマリヤ人のように,澤田先生は約二千人の戦争孤児たちを愛情深く育て上げて来られました。

 

 今,児童養護施設には様々な事情で入所する子どもたちが生活しています。子どもの理由ではなく,大人の理由でここに措置される子どもたちなのです。ホームの職員たちは,いつも其の子どもたちに寄り添って多感な幼少期・早春期を温かく見守っています。創立者澤田先生の崇高なスピリットがこのホームの大切な財産として絶えず意識されている結果なのです。

 

 子どもが泣くとき共に悲しみ,子どもが喜ぶとき共に微笑む愛を

 註記)https://www.elizabeth-sh.jp/about.html

 以上の説明では,このエリザベス・サンダー・ホームの由来はまだよく理解できないので,ウィキペディアの解説も引用してみる。「いきさつ」がつぎのように記述されている。

 第2次世界大戦後に日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春,あるいは自由恋愛の結果生まれたものの,両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たち(→血統主義,GIベビー)のための施設として,1948年,三菱財閥創始者岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が,財産税として物納されていた岩崎家大磯別邸を募金を集めて400万円で買い戻して設立した。

 

 施設の名前は,ホーム設立後に最初の寄付(170ドル)をしてくれた聖公会の信者エリザベス・サンダース(40年にもわたって日本に住み,他界したイギリス人女性〔の姓名〕)にちなみ,「エリザベス・サンダース・ホーム」と名付けた。2010年現在1400人の出身者がいる。

 この段落ではあれこれいわないで,たとえば黒人系の混血児で日本の芸能界のなかで活躍しだした,たとえば演歌歌手もいた事例に言及してみるが,その彼たちが大いに売れたという者はいなかった。もともとアフリカ系出身になる黒人の芸能人は何人かいるが,ごく少数の成功者であった。ともかく,あまりぱっとしないし,その人数そのものが非常に少ない。なぜか?

 c) エリザベス・サンダー・ホームの出身者たちである混血児のその後における人生は,どのような経過を経ていったのか? 前段で参照したウィキペディアはくわしく触れるところがないので,別途,探してみたら,こういった説明があった。

    ★ 第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 ★
   =『家路 ~海を渡った孤児たちは今~』(制作:フジテレビ)=
    〈2008年8月29日(金) 深夜2時50分~3時48分放送〉

 

 日本からブラジルへの移民が始まったのは,いまから100年前の1908年。その後25万人の日本人が海を渡り,現在では150万人という日系人社会を形成しました。そんななか,いま〔2008年〕から43年前の1965年,ある “異色” のグループがアマゾンに向かいました。18歳そこそこの青年たち。多くの移民がいまより「少しでも豊かな生活を」と新天地をめざしたのに対して,彼らには違う目的がありました。「差別のない国」をめざす……。

 

 海を渡った若者たちは神奈川県大磯町にある養護施設「エリザベスサンダースホーム」で育った子供たちでした。戦後,駐留軍と日本女性の間に生まれ,捨てられたり,何らかの理由で育てられなかった “孤児” たちを一手に引き受けた施設。創立者三菱財閥創始者の孫娘・澤田美喜さん(1980年没)。強烈なカリスマ性を発揮しホームをけん引しました。

 

 しかし「敵国」との間に生まれた子供たちを受け入れられない日本社会。ホームの一歩外に出れば子供たちは好奇の目にさらされ,容赦ない言葉を浴びせられ,そして石をぶつけられたのです。何年経っても園児たちに残る心の痛み。澤田さんは敷地内に学校を設立するなど,極力子供たちを世間から隔離する方針を立てました。

 

 しかし,子供たちがホームを巣立つ年齢に達すると新たな壁にぶちあたりました。就職先がみつかりません。社会の偏見は戦後20年が経とうとしても依然強かったのです。若者たちのブラジル行きは「差別のない理想郷」をつくる,そして卒園児たちに安定した仕事につかせるという澤田美喜さんの願いをこめたプロジェクトだったのです。

 

 はじめの7人がブラジルに渡ったのは1965年。日本は高度経済成長による未曾有の好景気に沸いていました。一方のブラジルはまだまだ発展の途上にあり,日本からブラジルへの移住熱も徐々に冷め始めていました。

 

 やがて未開のジャングルを切り開いていた子供たちに関する情報はしだいに届かなくなっていったのです。それから43年。奇しくも今年はホーム設立60周年。60歳を過ぎた彼らはどうしているのか。そしてにを考えているのか。私たちは限られた情報を頼りに彼らの消息を辿りました。

 註記)2008. 8. 27,https://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/17th/08-232.html

 d) ブラジル地理・統計院は,ブラジル人を5つの種類に分け,肌の色や人種によって  brancos(白人),negros(黒人),パルド(褐色または混血),amarelos(アジア系黄色人種),indios(アメリカ先住民)に分けている。

 ブラジルという国ではそのように各人種が混在して構成されているゆえ,人種差別がほとんどないかのように考えられているが,この理解は必らずしも正解ではない。ここまでの記述の関連としては,エリザベス・サンダー・ホームに保護されていた子どもたちが,その移住先としてブラジルを選択した事実を挙げておくだけとする。

 たとえば,「ブラジルに人種差別が無いって,本当ですか? =サンパウロ市在住   毛利律子」『ジャーナルにっけい新聞』2018年6月23日,https://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180623-41colonia.html は,こう言及していた。この記事は,エリザベス・サンダー・ホームの出身者たちだけに当てはまる内容ではなく,昔,多くの日本人たちがブラジルに移民していった歴史に関連する解説である。

 今日の恵まれた時代にブラジルに住み,この国の過去の歴史を振り返ることなく生活していると,一見,〔〕博士のこの言葉が端的に実現されているのが,このブラジル社会をおいて他にあろうか,と感じさせられる。

 補注)の箇所は前段から補足すると,こういう記述であった。

 --歴史学者のアーノルド・トインビー博士が,この問題に関してつぎのように語った言葉がある。「この問題は公民権運動などによって解決できるものではない。白人と黒人が真に交じりあって,つまりおたがいが結婚して,みんなが混血児になって初めて解決されるだろう」。

 

 実際,肌の色,国籍に関係なくたがいが結婚して,いまや,その混血児の世代が平和に,穏やかな関係を維持しつつ暮らしているようにうかがえるのである。また多くの白い肌をもつ美男美女の先祖が,実はヨーロッパ人と黒人の混血であったということは,ごく当たり前に見聞きする。

 

 国民がひとつになって応援するフットボール〔サッカー〕にせよ,アフリカ系黒人奴隷がもたらしたサンバのリズムで踊り明かすカーニヴァルなどを挙げるまでもなく,ブラジル社会では日常生活でさまざまな人種が穏やかに融合し,「人種の壁を越えた共存」が成功している国というイメージが固定化されているようだ。

 

 日本社会では,これほど多くの異人種と日常的に身近な距離で接することはほとんどないといえよう。むしろ,伝統的に端然とした暮らしを好んできた多くの日本人にとって,外国人受け入れの態勢は,とくに,精神的にまだまだ整っていないと思う。 

 補注)「日本社会では,これほど多くの異人種と日常的に身近な距離で接することはほとんどない」という指摘は,厳密な意味では当っていない。21世紀のいまどきはさておき,日本人も「多くの異民族と日常的に身近な距離で接することは」,敗戦以前は外地(植民地・支配地域)や,そして日本国内でもないわけではなかったからである。

 

 それゆえに,ブラジル社会には「人種差別はなきに等しい。差別といえば階級差別である。貧困ゆえの犯罪はあとを絶たないが,人種間の争いはない。これは常識的な見識である」と聞かされ,このような情報を丸呑みにして,疑いもなく信じてきた。

 

 しかしこの認識は,ブラジルの人種混淆社会を語るうえでの,非常に単純化された紋切り型の固定概念であろうとの指摘を受けた。

 ブラジルみたいに表面に明確に出ていてみえる「肌の色」(人種的な肉体上の特性)と違って,同じ黄色人種同士である日本人とほかのアジア人とのあいだに設けられていた,それも「旧・大日本帝国主義風の血統的な民族および人種に関するイデオロギー」は,植民地時代とこれ以降における「他アジア人差別」のみならず,1945年にこの日帝が敗北したがゆえに新しく生じてきた「黒人関連の差別の実相」をもってしても,露骨に発揮されてきた。

 現在において,日本・日本人がその種の民族・人種差別にかかわる問題とは無関係でありえ,すでに解消できているなどとは,とうていいえない。その現在的に日本風の「民族および偏見の問題」は,いまにもなお継続中である。そこで,つぎの ③ においては,冒頭に登場させたサンドラ・ヘフリン,社会学者の下地ローレンス吉孝も,再び語りだす構成となる。 

 

 「『本物の日本人』とは何? ハーフへの不躾な幻想 『日本の食べ物は好きですか』」と聞く心理」東洋経済 ONLINE』「週刊女性 PRIME」編集部,2019/06/09 16:00,https://toyokeizai.net/articles/-/285566〔~ /285566?page=4〕

 以下には,この記事の文章を全文紹介するが,従来からいまもなお根強く日本人の心中に宿っている(巣くっている?)「ハーフ・観」が詮議されている。

 a) サンドラさんはドイツで育ち,22歳のときに来日。「子どものころから漠然と “いつか母の母国の日本に住んでみたい” と思っていました。夢が叶った,という感じですね」,以来,在住約20年になるのだが,その顔立ちのせいで不愉快な思いをすることも少なくないという。

 「まだ若いころ,役所に印鑑証明を取りにいって窓口に並んでいたら,係の人に “外国人登録書の窓口はあちらですよ” といわれました。 “印鑑証明なんです” と並んでいたんですが,書類を見た窓口の人が  “あれ?   日本に帰化された方ですか?” と聞いてくる。若かったから頭にきて大声で “いいえ。もともと日本人です!!” といってしまいました。いま思えばそんなにムキになることでもないんですけどね(笑)」。

 b) 日本語で話しかけても英語で返ってくる。サンドラさんの著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』がある。副題は「困った『純ジャパ』との闘いの日々」。サンドラさんは「ハーフといじめ問題」など多文化共生をテーマに執筆している。

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 日本で暮らす外国人が増えるにつれ,定住し,家族をもつ人たちの姿も身近になった。日本と海外にルーツを持つ「ハーフ」の子どもたちも珍しくない。あなたは「ハーフ」という言葉を聞いて,誰を思い浮かべるだろうか。

 テニスの大坂なおみ,陸上のサニブラウンケンブリッジ飛鳥,野球のダルビッシュ有など海外にもルーツをもつ多くの「ハーフ」選手が活躍している。芸能界でも「ハーフ」のタレントに注目が集まる。ローラ,池田エライザホラン千秋滝川クリステルなど,彼女たちをテレビでみない日はないといっていいほどだ。

 一方で,2015年のミス・ユニバース日本代表である宮本エリアナをめぐっては,「本物の日本人ではない」などというバッシングが相次いだことも記憶に新しい。

 c) いったい「ハーフ」とはどんな存在なのか。そして,「本物の日本人」とはなんなのか。「大坂なおみさんが “抹茶アイスが好き” といったら,すごく日本人っぽいといわれるようになった。また “朝はおにぎりを食べてきた”といえば日本的な嗜好が注目され,好感度が上がりました」。

 こう語るのは,父親がドイツ人,母親が日本人のコラムニスト,サンドラ・ヘフェリンさん(43歳)だ。「私たち “ハーフ” って,ルーツが日本にあるのに,つねに周りから “あの人たちはどこまで日本人なんだろう?” と試されるんです。だから “日本の食べ物は好きですか?” というような質問を受ける。

 これが普通の日本人なら,イタリア料理が好きといってもなんの問題もないのに,大坂さんや私のようなみた目の人が好きなのはホットドッグといったら, “あ,やっぱりあの人はガイジンね” となっちゃう。つまり,私たちがなにを発信するかによって, “日本人なのか,そうではないのか” と判断される。人とかかわるうえで結構,緊張感があるんです」。

 d) ここでいう「純ジャパ」とは,「ハーフでない日本人」。彼ら彼女らは「ハーフ」と聞いたとたん,「モデルみたいにきれい」「日本語も英語も話せるバイリンガル」「海外と日本をいったり来たりするお金持ち」などの勝手な思いこみでズケズケと質問してくる人びとである。

 「初対面なのに両親のなれそめを聞かれるのはもう慣れました(笑)。また,こっちが日本語で話しかけても英語で返ってくるなんてしょっちゅう。駅で駅員さんに『本屋さんのある出口は何番ですか?』と聞いたら『ブックストア? あー。ストレート・ゴー!』なんていわれたり。きっとガイジン顔をみると条件反射で英語になるのでしょう」。

 サンドラさんの母国語は日本語とドイツ語で,実は英語はそれほど得意ではないという。「英語がペラペラだと思われがちですね。勉強会などでも英語の資料を渡されますが毎回,日本語版をもらいにいってます(笑)」。

 サンドラさんの友人で,日本とアメリカの「ハーフ」で通訳・翻訳の仕事をしている女性は,日本育ちなのに,いつまでたっても「日本語,お上手ですね」といわれることに悩んでいた。

 あるとき,先日亡くなった日本文学研究の世界的権威ドナルド・キーンさんに相談する機会があった。キーンさんから「大丈夫,大丈夫。私も日本文学の講義をしたあとに,聴講者に “ところで日本語は読めますか?” と聞かれるんだから」といわれて楽になったという。「日本語お上手ですね」のような「ハーフあるある」の根は深く,相当に困ったものなのだ。

 補注)以上のサンドラの文章を読んで感じるのは,彼女たちみたいな,メッキ風であっても,無条件に「ゴールデン・ハーフ」的とみなされる人びとが,日本で暮らす生活のなかで出あう諸事とはまったく逆さまな体験を押しつけられてきた人びとが,サンドラ以前にも大勢いた事実を忘れてはいけない。それは,植民地出身の人びとの子孫に当たる在日(韓国〔朝鮮〕・中国〔台湾〕人)の2世,3世,4世たちである。

 サンドラに類するハーフたちが経験するのとは真逆に,その存在を無化されてきた在日の彼らは,そのいっさいがっさい,つまり自分の全存在をを否定されつづけるという在日的な個人史を,それぞれがまちまちになのだが,強制されてきた。つまり,韓国だ朝鮮だ,中国だ,台湾だという出自そのものが,おそらくは「ダーティ」なイメージの価値観一色に染められていた。

 最近は20年も前から始まっていた韓流ブームのおかげで,隣国の韓国に対する印象(イメージ)は,すでにオバサン・お母さんになった世代からその娘の世代にまでかけて,だいぶ改善されている。だが,いまだに「嫌韓・嫌中」でなにかにつけては騒ぎたい,それもおそらく男連中に多いと思われる人たちも,どこかにたくさんいないわけではない。
 e) 日本には現在,どれぐらい「ハーフ」の人びとがいるのだろうか。「 “ハーフ” の正確な人口統計はありません。唯一,出生時における親の国籍数の統計をもとに,日本国籍と外国籍の組み合わせで生まれた子どもの年間数が分かっています。それによると,新生児の50人に1人で,年間約2万人ずつ増えていることになります」。

 そう語るのは,「ハーフ」や「混血」の研究を続けている社会学者の下地ローレンス吉孝さん(32歳)。「ハーフ」の歴史は戦後すぐにまで遡る。下地さんが続ける。「社会で作られたイメージではなく実像の発信が重要」と下地さんはいう。

 「そのころ, “混血児” と呼ばれた子どもたちは,ほとんどすべてが米兵と日本女性との間に生まれた子どもを指し,差別と偏見の対象になりました。私の母は,朝鮮戦争で沖縄にやってきた米兵の祖父と沖縄の祖母のもとに生まれました。だから私は “クオーター” になるわけですね」。

 しかし,当時の文部省は “混血児は日本人だから無差別平等に対処する” との方針で, “問題ない” とする姿勢を崩さなかった。そのため具体的な支援策もなく,差別やいじめは温存され,「混血児」の存在じたいもみえにくくなったのだ。

 f) こうした歴史を踏まえて「混血児」の言葉が使われることはなくなった。では,いつから「ハーフ」という言葉が日常化したのか。

 「1970年代にドリフターズの番組に出演して人気を博した『ゴールデン・ハーフ』というアイドルグループの登場が大きい。アメリカの『アイ・ラブ・ルーシー』や『奥さまは魔女』などのドラマが人気となって,アメリカ文化への憧れがあったところに,彼女たちのセクシーさや日本語のたどたどしさが強調され注目を集めました」。

 その後,1990年代になると,出入国管理法の改正により,南米在住の日系人などが数多く来日,またフィリピンなど東南アジアからの移住者も増え,日本人との結婚が相次いだ。

 「そうして生まれた “ハーフ” の子どもたちがいまでは成人しています。私のように “ハーフの親から生まれた子ども” も着実に増えている。 “ハーフ” をめぐる問題は最近,突如として湧き上がってきた新しいテーマのように思われますが,そうではない。存在が日本社会に組みいおまれてこなかったために,いつも “最近のテーマ” であり, “今後の問題” にされてしまうのです」。

 補注)在日韓国人系,在日中国人系の「ハーフ」問題も,ここまで記述すれば理解できるように,以前においては,いつもそのたびに〔と表現しておくが〕「今後の問題にされて(先送りにされるか,ないしは逃避されて)」きた。つまり,この種の民族・人種問題を,日本政府は一貫して「見える化」することを忌避してきた

 その場合,アジア系のそれは誤魔化すことができても,白人系や黒人系のそれとなると,視覚的にもはや隠しようがない。したがって「今後の問題」として先延ばしにしていい社会的な話題ではなくなっていた。つまり,当該の問題は「見える化」する・しないの問題ではなくなっていた。「見えるか」(?)「見えないから隠しておこう,触れないでおこう」などいっている余地もなく,突きつけられるほかない「現実問題」であった。

 g) 些細なことでも誰かを傷つける恐れがある。日本人や日本社会を単一民族のイメージとして描く発想はいまだに強い。

 「私はこれまでに多くの “ハーフ” と呼ばれる人びとのインタビューを重ねてきました。そのなかで多く聞かれるのは,やはりみた目との不一致という経験ですね」。

 「外見から外国人とみなされてしまった場合,日本生まれ日本育ち,日本語で話していても,国籍を確認されたり,在留カードの提示を求められたりします。かたや,アジアをルーツにもつ人たちはみた目から海外ルーツとは思われないために,人間関係のなかでカミングアウトを迫られるという問題も起こります」。

 “ハーフ” をカッコいいものとして羨望する一方で,「日本人らしくない」との理由から偏見のまなざしを向ける。このような相反するイメージに, “ハーフ” の人びとはつねにさらされてきた。

 下地さんは『ハーフ・トーク』というサイトを運営している。“ハーフ”をはじめ海外ルーツの人に向けた情報を発信しているのだが,そこで最近,注目を集めた記事がある。

 h)   “ハーフ顔” という言葉は偏見の塊。「ある女性誌の “ハーフ顔美女” というメイク企画に対し,2人の “ハーフ” の女性が抗議したものです」。

 彼女たちは「 “ハーフ顔” の言葉は,外見に対するステレオタイプを強化し,理想の “ハーフ顔” を作り上げることで,それに当てはまらない人びとを傷つけ,コンプレックスを生み出している」と主張したのだ。

 「結果,その女性誌の編集部は真摯に素早い行動で対処し,謝罪してくれたようです。些細に思えるようなことでも,とんでもなく誰かを傷つけるおそれがある。偏ったイメージは直すべきではないでしょうか」。

 「すでに私たちは多様な背景をもつ人たちと隣りあわせに暮らしています。多様な日本人がいて,多様な日本社会であることに,いまこそ気づくときなのだと思います」。

※人物紹介※ 取材・文 / 小泉カツミ(こいずみ・かつみ)

 ノンフィクションライター。医療,芸能,社会問題など幅広い分野を手がけ,著名人へのインタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』ほか著書多数。

 「ハーフ」という存在の人びとに向かい,ごく自然体でもって,それもふつうに対せない人たちが多いこの日本社会の特性は,いったいどのような理由・背景から生まれてきたのか?

 この問題点をよく理解し,克服するためには,日本人1人ひとりが,以上の記述のなかに書かれている「それらハーフの人びとの声」を,まずすなおに聞いて,よく考え,さらには,自分の彼らに対する態度そのものを『自然なもの:平常心のもの:通常なたもの』に落ちつかるために,つねに「積極的に是正しようとする工夫」が要求されている。

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