明治以降,天皇家の万世一系のからくりを瀧川政次郎や鬼塚英昭的に観察するとどうなるか

             (2010年2月1日,更新 2021年1月21日)

 明治になってから創造的に粉飾されてきた「天皇家万世一系のからくり」から考える「皇室における〈落胤の系譜〉に潜む秘密 」

 

  【要  点】 三種の神器皇位の証しになると信じてやまなかった天皇裕仁の気持は,こう語られていた。すなわち彼は,皇室の存在および天皇である自分の延命・存続を第1に考えていた。彼もまた「自分に正直な人間の1人」であった。

 

 「先日,内大臣の話た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思ひ,種々考へて居たが,伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。(中略) 万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(『木戸幸一日記』)

 

 三種の神器とは「八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を指し,いわば皇位の証とされている。このうち,八咫鏡伊勢神宮に,草薙剣熱田神宮に祭られていた。

 

 戦争中の天皇は,戦局が悪化するなか米軍の本土上陸作戦も念頭に置き,この三種の神器が敵に奪われないことを心配しだしていた。彼は,自分の身近に移そうかとも悩んだあげく,いざというときは「運命を共にする」とまで決心していたというのである。

 

 瀧川政次郎『日本歴史解禁』創元社,昭和25〔1950〕年は,つぎのように喝破していた。

 

 「神璽としての三種の神器は観念であって物ではない。皇位の継承に当って重んぜられるべきは被継承者たる天皇のご意思乃至は天皇家の家長である条項のご意思であって,三種の神器ではない。三種の神器の授受は,被継承者たる天皇の意思を確証する登記手続のやうなものに過ぎない」(58-59頁)

 

 このあとにも瀧川政次郎は,その説明をつづけているが,要は「いまの天皇が〈三種の神器〉を認める「それがそれなのである」と,いとも簡単に自信をこめて語っていた。

 

 いうなれば,明治維新後に古代史的な伝説ともいえるごとき神道信仰のなから,大日本帝国の統べる天皇・家のために設計された『皇室神道』の立場にとって,その「三種の神器」の神道的な有用性が,いったいどのように解釈され,定置されていればよいのかについて,瀧川政次郎はきわめてまともにかつ現実的に,『物神』としてその「三種の神器」を,「定義する必要」を感じる「以前の論点」として,そのように議論を進めていた。

 

 「鰯の頭も信心から」とはよくいったものである。あるいは「信じる者は救われる」というか,そういう精神の姿勢があればこそ,「それなりに抱く宗教的な精神が強く維持できる」といってもいい。イスラム教徒のアラー信仰はふつうの日本人には理解を超える。逆には,天皇教の核心に物的な根拠を提供してくれるはずの「三種の神器」を保有している「天皇家的な宗教事情」は,通常,日本人自身にあってまともに理解されていない。

 

 天皇にとって「三種の神器」は物神崇拝の最たる対象であった。それだけのことであった。

 

  皇室の秘めごと:歴史の闇に関する序章
 
 1) 日本のいちばん長い日(1945年8月15日)は醜い日であった

 a) 先日,2021年1月12日このことだったが,半藤一利はんどう・かずとし,1930年5月21日生まれ)が死去した。半藤は,日本のジャーナリスト・戦史研究家・作家として有名で,近現代史でもとくに昭和史に関した人物論・史論を,対談・座談も含め多く刊行していた。

 なかでも半藤がまだ駆け出し時代であった1965年に公表した著作『日本のいちばん長い日-運命の八月十五日-』は,売るための営業上の都合から大宅壮一編集として出版されていたが,単行本で20万部,角川文庫となって25万部が売れたという。

 半藤のこの本が解明しようとした敗戦の日における「天皇ヒロヒト」という存在をめぐる出来事の展開は,明治以来「創られてきた天皇制」の根本矛盾を暗部的に示唆するものであった。

 瀧川政次郎が「三種の神器」そのものについては,これをもっている者がそれだと認めれば「それはそれでよし」とみなすがごとき見解は,まだGHQの占領下にあった敗戦後史のなかで語った事実は,意味深長であると受けとる「以前」の,いかにも「三種の神器」に対する天皇ヒロヒトの物神崇拝的な精神構造を率直に物語っていた。

 b)「部落解放運動が明治維新となった」。あの〔明治〕天皇重臣の多くも部落出身者であった。彼らは自分たちを権威づけるために「三種の神器」という伝説を創造したのである。ヒロヒトがこの「三種の神器」にこだわる理由がそこにある(コンノ ケンイチ『天孫降臨 日本古代史の闇-神武の驚くべき正体-』徳間書店,2008年』272頁参照。鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日-8・15宮城事件は偽装クーデターだった-』(成甲書房,2007年8月)を』553頁より引用)

 それでも,部落差別問題がいまだに日本社会のなかにおいて続いているのは,天皇の地位=天皇制という政治制度が廃絶されないで存続しているせいでもある。しかし,こうした日本国内の社会問題といえる被差別部落の存在が,どうして明治「維新」以後すでに142〔153〕年も経った現在においても,一掃できないままにあるのか。鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日-8・15宮城事件は偽装クーデターだった-』成甲書房,2007年は,この論点に対しても一定限度答えてくれる著作である。

 すぐに分かるように,鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日-8・15宮城事件は偽装クーデターだった-』の題名は,半藤一利『日本のいちばん長い日-運命の八月十五日-』をもじっている(ただし本書の筆者名は当初,大宅壮一で発行,文藝春秋新社,1965年〔1995年版よりそう変更されていたから半藤一利は65歳になっていた〕。英語版:講談社インタ-ナショナル,1980年。決定版:文藝春秋,2006年)。すなわち鬼塚英昭は,ややパロディー的に自著の表題を称していた。

 2) だが,半藤一利保阪正康・秦 郁彦などは,真実の底部,そのもっとも奥底に控えているはずの肝心な論点には触れられない実録作家たちである

 鬼塚英昭も本ブログの筆者と同じく,批判的に触れているある問題点があった。半藤一利保阪正康,秦 郁彦などは,日本の近現代史の有名実録(ノン・フィクション)作家として大活躍している人士である。

 さて,日本の関連分野において筆頭格に位置づけられ彼らも実は同列なのであるが,日本の歴史に対する事実解明を,さらにその真実・その核心にまで徹底的に迫るための追究を試みる段になると,いわば「寸止め状態」であるかのように中途半端に,いいかえれば凍結されたがごとき執筆姿勢をみせはじめる。

 なんといってもとくに,天皇天皇制〔皇室〕問題になるとその傾向がとりわけ高まる。彼らは,日本近現代史の研究者として「鋭い分析のメス」を入れるべき「ノン・フィクション領域に〈特有の暗闇・暗所・暗部〉」に光を当てるどころか,そこに対してさらに「フィクション的に真っ暗な闇にするような〈論述〉」を塗りこむような創作性を,意識的かそれとも無意識的かは他者においては判然とさせえない状態で,ときおり “正直に” 発揮させることもある。

 半藤一利のそうした姿勢については,鬼塚英昭の『日本のいちばん醜い日』が執拗に批判している。ここでは,保阪正康に関する「本ブログの筆者」自身の指摘を,つぎに披露しておく。

 保阪正康の書物は,天皇天皇制の問題に真正面よりとりくむ姿勢を保持しつつ,皇室内部の問題に迫る著述をしてはいるものの,つまるところは「皇室そのものの深部」に溜めこまれてきた,それも永遠に門外不出にしておきたい,いいかえれば,一般国民には絶対しられたくない諸問題=秘部には,けっして手を付けることなく放置してきた。それだけでなく,あえてその付近の論点はあいまい化させたり故意にはぐらかしたりする記述もおこなってきた。

 たとえば,保阪正康明仁天皇裕仁天皇講談社,2009年は,裕仁天皇の『戦争責任』論(実は,この語はきわめて曖昧(あいまい)だが)」という留保をつけて言及していた(同書,228頁)

 天皇の戦責問題に関する大量・膨大な研究文献を精査したことがないのか,まさか保阪がこの領域での関連業績を少しもしらないとは,とても思えない。それなのに,戦争責任という「この語はきわめて曖昧だ」と,故意に韜晦でもしたがるかのような,それも一部にはやや放言的にも聞こえる叙述がみられた。なにか底意でも秘めているつもりか,と勘ぐりたくもなる。

 

  鬼塚『日本のいちばん醜い日-8・15宮城事件は偽装クーデターだった-』
           2007年が語る皇室の秘部あるいは恥部

 鬼塚の本書は,つぎのように解説〔宣伝〕されている。

 1945〔昭和20〕年8月14日から15日の2日間に発生した「8・15宮城事件」,世にいう「日本のいちばん長い日」=「徹底抗戦を叫ぶ陸軍少壮将校たちが昭和天皇の玉音盤の奪取を謀って皇居を占拠したとされるクーデター」で,森 赳近衛師団長が惨殺される。

 

 この惨殺はなぜ決行されたのか? いつ,どこで殺害されたのか? 遺体はどう処理されたのか? 膨大な史料と格闘しながら真相を追っていくうちに著者は,この事件が巧妙なシナリオにのっとった偽装クーデターであることを発見した。この日本という国に,依然として残る巨大な「タブー」に敢然として挑戦する。

 

 章の構成は「悲の章」「惨の章」「空の章」「玉の章」「秘の章」「醜の章」からなっている。--昭和20年8月15日,陸軍による玉音盤奪取クーデター,いわゆる宮城事件は,昭和天皇秩父宮を首謀とする偽造クーデターだった!

 

 この衝撃の事実を膨大な例証によって明らかにし,さらには,「昭和天皇は広島の原爆投下日時を事前に知っていた」「皇族・政界トップの秘められた血脈」など,通史通説をくつがえした昭和史ノンフィクションである。

 註記)http://bookweb.kinokuniya.co.jp/  の該当個所参照。

 なお,本書については読後感を記したインターネット上の諸記述が,その内容をあれこれ紹介もしているので,浩瀚な〔分厚い〕この作品を読むいとまのない人には,こちらをいくつか参照することで,その概要を手早く理解しておく方法も薦めておきたい。これらを3~4点のぞいて読めば,鬼塚の主唱はおおそ把握できると思う。

 

 「秘の章」(鬼塚『日本のいちばん醜い日』379-487頁)における記述
     -万世一系どころか一世一系でつぎつぎと無理やりつなげてきた皇統譜

 1) 皇族たちの父親はそれぞれ誰か?

 鬼塚は,ある筋=「元皇族で翻訳業」の人物に聞いた話として,こう語る。

 a) 昭和天皇裕仁の種は,明治天皇すなわち「大室寅之祐」〔孝明天皇の子:睦仁とは別人,すり替わった南朝系の被差別部落に貶められていた長州出身者〕である。

 

 b) 秩父宮の種は,東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ)高松宮も同じである確率が高い。三笠宮の種もこの東久邇宮稔彦王である確率がもっと高い(鬼塚『日本のいちばん醜い日』381頁)

 

 c) a) について鬼塚は,裕仁の種は西園寺八郎とする説であるが,あとのこれらの内容は正しいと思う,と語っている(同書,382頁)

 昭和天皇明治天皇を深く尊敬していたといわれる。日本の近現代史のなかでは特別の理由も示されないまま,この裕仁に限らず天皇家関係者すべてが,そして歴史家たちもごく当たりまえに「大正天皇を軽視し,ときには無視していた」かのような位置づけで,とりあつかってきている。

 大正天皇は4人の男子を生んだが本当は「種なし」であったために,前段のように,東久邇宮稔彦のような〔皇族の立場にある女性になぞらえていえば「〈天皇の配偶者:皇后〉を出せる資格がある」とされた皇族の立場にあった〕男性が主に,万世一系の維持のために性的に協力したという話になる。

 明治以降の天皇家の種が断絶していてはまずい。それゆえ,皇室の藩屏たるそれも「皇族のなからその種」を提供し,万世一系の系譜を創作しつづけてきたわけである。明治天皇自身が何人もの側室(典侍および権典侍といったが,要するに正妻以外の二号以下の妾)をもち,5人の側室に女10人:男5人を産ませた。

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 だが,男子のうち成人したのは大正天皇だけであった。この大正天皇が〈種なし〉であったために,明治天皇までがあえてその妻に裕仁天皇の種つけをしたという話もある。

 大正天皇は実際には正妻:貞明〔皇后〕とのあいだで子どもができていなかった。そこで,貞明に子どもを産ませて天皇「後継者:男子」をえようと,東久邇宮稔彦などが代わりにその「人間の再生産」としての製作作業,これは「大正天皇も嫌々ながら認めていた」「自分の配偶者が他の男との性行為する」作業に,彼も仕方なくそうして「参与した」という筋書なのである。貞明は,最初に押しつけられた男〔明治天皇(舅!)か?〕を嫌がっていた。それで,裕仁に拒否反応をもっていた(この段落,鬼塚,前掲書,408頁,および422頁参照)

 それにしても,裕仁秩父宮高松宮三笠宮の全員が顔つきが違う。秩父宮の父〔東久邇宮稔彦?〕が貞明の心を射止めていたので,貞明は秩父宮を溺愛した。貞明はそのせいで,裕仁皇位継承から外し,秩父宮天皇の座に送りたかった。これを画策したのが山県有朋であった。これはさらにまた,昭和天皇の妃が薩摩藩の血を引く良子に決定されたさい〈色盲〉問題が提起されたひとつの背景である。

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 秩父宮は,そうした皇室内部の血統的な事情に自負を抱いており,兄貴の裕仁よりも自分が皇位を継承すべきと考え,陸軍のなかに入っていった。2・26事件の首謀者の1人安藤輝三大尉は秩父宮から非常なる恩顧を受けていた(同書,408-409頁)

 同事件が起きるやただちに,秩父宮が所属の弘前連隊から上京し,宮城に入った事実は有名である。

 2) 皇統の連綿性のウソっぽさ-どこに万世一系があるのか?-

 この ③ の以上の話題に関連して鬼塚は,こう記述している。

 昭和天皇も今上〔平成〕天皇も,その他皇族たちも,自分たちが孝明天皇の子の睦仁の血統につながらない,山口県熊毛郡田布施村麻郷での特殊部落出身者・大室寅之祐の一族であることをはっきりと認識している・・・。もし,孝明天皇の子孫と認識するのなら,明治天皇の生母の中山慶子の墓を粗末にすることはない(鬼塚,前掲書,402頁)

 ここまで鬼塚の論及を聞けば,明治天皇大正天皇昭和天皇の血統は,いったい本当につながっているのかどうかさえ,なにやらあやしくなってくる。それどころか,なにも信用できない気分にもさせられる。

 まず江戸時代から明治時代にかけて皇統は断絶,つぎに明治時代から大正時代はつながっているようであるが,大正時代から昭和時代になると,大正天皇の妻が近親相姦〔舅と嫁の子=裕仁〕によってか,あるいはそれ以外の男〔皇族?〕との性関係によって「裕仁天皇が製作されていた」ことにもなる。

 皇統を断絶させないためには「男系」天皇の再生産作業が不可欠の条件とされた明治以来の皇室であった。ところが,その内奥にあってはきわめて世俗的なやりかたで,『皇統譜(=大統譜)の維持』に努力していた事実が示唆されている。

 ここまでその涙ぐましい努力ぶり:苦心惨憺のほどをしらされると,最近〔当時〕の「お世継ぎ」問題として,なにかと世間を騒がせてきた〔ここでは徳仁〕皇太子夫妻などの「子作り」問題においても,なにかしくまれているのではないかと勘繰られてもしかたあるまい。

 平成天皇の息子2名もそういえば,生物学的・遺伝学的にまったく姿容が似ていない。なにかを疑ってみたくなるほど資質的な差異をみてとるほかない。この兄弟間においては身長だけでなく,肉体的な特徴面での顕著な相違が確実に感得できる。

 また,徳仁とこの弟(秋篠宮)と妹〔黒田清子くろだ・さやこ,現在は東京都職員黒田慶樹夫人〕の3人を並べてみても,どうみたらこの3人が両親を共通にしているのか首を捻るほかない。それほど,この3人の兄弟・妹は,資質的に比較して大きく異なっている。「他人の空似」という表現があるが,これに少しはあやかってほしいと思いたくなるほど,似ていない。

 ここでいきなり冒頭の話題に戻るが,結局,昭和天皇が敗戦を迎えるとき正直に告白してもいたように,「三種の神器」が手元に置いている者,これを所持している天皇が「本物の皇位を占めている」のだというふうにその「奇妙な正統性の証明」がなされるほかない「天皇問題の《ある種の焦点》」は,以上の論及を介して理解できるはずである。

 なにせ,皇室一族の血統だとか親子関係などには,いろいろな人間が入りこんで混ざってもおり,なにがなんだか,誰が誰なのかこみいっていて,たいそう判りにくい。

 そのうえにしかも,天皇の地位を証明できるとされる「三種の神器」が保持されていても,これまた「本物であるのかどうか」〔いまさら本物もニセモノもあるまい,本物だとしてもどうやって完全に証明できるのか?〕という問題さえ登場しているから,話はとてもややこしくもなる。

 

 昭和天皇の父は西園寺八郎である」と主張する鬼塚英昭の,世界政治経済に拡大していく議論

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 付記)西園寺公一西園寺八郎の長男。

    上・右側および下側の写真は昭和天皇の若い時の写真。

 

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 1) 世界政治経済のなかの日本天皇家

 本日の残る記述は,鬼塚『日本のいちばん醜い日』全巻を読んでもらったことを前提に,ややはっしょった書きかたとなることを断わっておきたい。鬼塚から引用する。なお,最初の記述はけっして「世界ユダヤ陰謀説」ではなく,「資本の論理」に忠実に世界政治・経済の舵取りをしようする,陰の世界から主導権を握る勢力の存在を意味しているに過ぎない。このことに留意して読んでほしい。

 --ユダヤを中心とする国際金融財閥は,情報を利用して国家を動かしてきた。ヨーロッパで起こったことが日本で起ったとしても不思議でもなんでもない。彼らユダヤ財閥は多くは右翼や左翼にたえず秘密資金をわたし,日本の秘密情報を入手していた(鬼塚,前掲書,420頁)

 西園寺八郎の長男の公一(きんかず)に注目したい。・・・公一はゾルゲ事件で調査を受けていた。・・・もし,西園寺八郎昭和天皇の実父だとすれば(私〔鬼塚英昭〕は確信しているが),ゾルゲ事件で政府の秘密事項を盗みだし,尾崎秀実(おざき・ほつみ)に渡していた公一と昭和天皇の父親は同じ,すなわち,秩父宮高松宮三笠宮よりは皇統に近い兄弟となる〔後者の3宮は実は東久邇宮稔彦ということであったから〕(同書,423頁。〔 〕内補足は引用者)

 さて,明治時代からの元老西園寺公望は,最初の妻となった新橋芸者玉八(本名小林菊子)とのあいだに娘:新を儲けた。この新は,旧長州藩毛利元徳公爵の八男・八郎を婿養子にとり〔西園寺八郎〕,西園寺公一など3男3女を産んでいた。

 この西園寺八郎が〈昭和天皇の種〉であった関係で〔この説によれば〕,いわばその〈昭和天皇の本当の祖父〉に当たる西園寺公望が深く憂慮していた心配事があった。それは,裕仁天皇と3人に弟宮たちとの葛藤のなかから,日本が太平洋戦争の深みにはまっていく事態であった(この前後は,同書,439-440頁。〔 〕内補足は引用者)

 秩父宮と〔鬼塚がこの父であると推定する〕東久邇宮稔彦は絶えず行動をともにしている。東久邇宮稔彦の一族は複雑であり,その詳細は『西園寺公と政局』(全8巻)に譲るほかないが,秩父宮ヒトラーを崇拝し,彼のもとへもいっている。親ドイツ政策を東久邇宮稔彦と推進したのである。この2人の宮の周辺には,西園寺公望が憂慮したような「変な者」がいつもうろついていた。

 裕仁天皇と3人の直宮(じきのみや)の仲は複雑であり,これを解明しようとしない日本現代史は,日本の深層に迫りえない。それゆえに,今日の平成の時代においても,国際金融資本家たち,いわゆる闇の世界の支配者たちに日本は脅迫されつづけている。真実はさらけだし,新しい日本の出発点とすべき時代を迎えねばならない。「私はその一念から,西園寺八郎の生涯を追求してみた」(同書,440頁)

 そういえば,2008年秋に突発したように生じたリーマン・ショックからしばらく時が経ったあるとき,アメリカのロックフェラー家や欧米にまたがる金融一家のロスチャイルド家の最高責任者とおぼしき人物が日本に来ていた。きっと天皇にも会談する機会を秘密裏にでももっていたはずである。

 その会談の話はおそらく「平成天皇に対する金の融通・無心である」。倒産した投資銀行リーマン・ブラザースは,アメリカの中央銀行に相当する,それも民間銀行である「連邦準備部制度理事会」(Federal Reserve Board, FRB)の主要株主になっている投資銀行のひとつであった。

 2) 日本の天皇家の弱み

 天皇の元老西園寺公望は,私〔鬼塚〕は,国際金融家たに弱点を握られて,彼らのエージェントになったとみている。牧野伸顕宮内大臣となり大正天皇を早死させたが,彼もエージェントであるとみている。この2人は,吉田 茂や樺山資輔らを使い,アメリカに極秘情報を流しつづけた “ヨハンセン・グループ” 〔これは吉田 茂反戦集団の英米側からの呼び名〕の首魁である。西園寺公一や原田熊雄は単なる配下の一員である(同書,446頁)

 以上,話の筋が少し分かりにくくなってはいるが,あえて飛躍的に感じられる論旨でも結論にすすみたい(さらにくわしくしりたい向きには,① の最後でも触れたように,鬼塚『日本のいちばん醜い日』に関する読後感を記したインターネット上の諸記述がたくさんあるので,こちらも参照してほしい)。

 要は,われわれは日本の皇室の歴史と現状をみるためには,従来の議論の枠組から視野を大きく拡大させる必要がある。世界史の視座に立ち,日本史の問題である幕末・維新史から現段階21世紀における「日本の天皇天皇制の問題」を観察・分析する工夫と努力が要求されている。

 本日:以上の話は,いわば明治維新以降から第2次大戦にまで至る世界史的な視野のなかでの日本の皇室「問題」をめぐる,それも明治天皇大正天皇昭和天皇,さらには平成天皇の時代においての,いかにも俗っぽいと感じられるが,それもどこにでも転がっているような「色欲・金欲・権力支配欲」などにもとづく「諸利害の錯綜・対立・駆引・争闘・葛藤・軋轢」が演じられてきた姿など,に関するものであった。

 世間の人間であれば表舞台で堂々と繰り広げられる田舎芝居が,皇室・皇族関係に属する人間たちがかたちづくる陰湿な世界のなかでとなると,いわば裏舞台でのみ陰湿かつ巧みに繰り広げてられてきている。

 鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日-8・15宮城事件は偽装クーデターだった-』2008年については,もっと詳細に論及して本ブログなりの究明をくわえていきたいところであるが,本ブログの紙面では足りず,またほかにも記述したい論題がいくつも控えているので,このくらいでひとまず禁欲する。興味のある方には鬼塚の著作を直接ひもとくことを期待しておきたい。

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