日本敗戦裏話としての天皇家の財産問題から,2020年代のコロナ禍対策の問題などへ

             (2009年1月24日,2021年2月8日)

 あるメールマガジンからの教示をもとに議論,天皇家の秘密,靖国神社の虚構性,コロナ禍の日本,菅 義偉政治の非力などの問題を,支離滅裂的に縦・横断しながら考えてみる

 

   要点・1 天皇家の秘密財産をめぐる話題

   要点・2 靖国神社が戦時体制期的に限定されざるをえない国家神道的な本質

   要点・3 菅 義偉政権の無力政治はコロナ禍に勝てない

 

  問題のありか

 本(旧・々)ブログは「2008. 8. 28」「戦後日本の政治体制」において,鬼塚英昭『天皇のロザリオ  上・下』成甲書房,2006年7月をとりあげ,敗戦以後に記録された「日本の天皇家一族」の行動を紹介した(この記述は現在未公開)。筆者のしりあいで,東京に立地するある公立大学の教員から最近,あらためて,この歴史的な時期における天皇天皇家の問題を探訪する必要性を喚起された。

 敗戦直後に制作・発行された戸田愼太郎『天皇制の経済的基礎分析』三一書房,昭和22年4月は,「制度として」の天皇制の経済的基礎に論及している。同書は,敗戦当時GHQが受けとった「日本政府提出の資料」よれば,皇室財産資産総額は,当時の金額で15億9千万余円であった。

 しかし,マッカーサー司令部へ日本政府が提出したこの資料は,人民への影響を恐れて,その価格評価が現実とは飛びはなれて極端に低く評価されていた。それは,現実の時価見積額の少くとも「十分ノ1」ないし「100分ノ1」であった。戸田は結局「一応実際の民間並みの評価を加へるとするならば」「その総額は少なくとも660億円を突破する」と分析した(同書,75-76頁,84頁)。

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  補注)皇居の案内図。東西と南北はそれぞれ最長部分が,約 1.5 km。   

 ノンフィクション作家である鬼塚英昭の作品『天皇のロザリオ』は,「膨大な史資料を駆使し」て「昭和天皇の隠し財産を暴いた」書物である。本日の論点はここから出発する。

 

  OUT OF EDEN というブログの指摘

 このブログの書き手は,まずこう断わっている。「ここでは上手く嘘をつくことを教える。なぜなら真実をしらされて不幸になるよりは,嘘をつかれ欺かれて幸せであるほうがよほどマシであるからだ」。つぎに長くなるが,以下の引用に及ぶ。

 --1945年8月,天皇は,スイス赤十字社に1000万スイス・フラン=現在の時価で約33億円を手数料として支払い,数兆円の天皇一族の隠し資金を,赤十字社名義に「書き換える」要請をおこなった。これは,天皇一族が武器密輸で蓄積した貯金を米軍に没収されることを恐れ,赤十字社名義に書きかえ,不正な資産「隠し」をおこなうためであった。要請は,紆余曲折のすえ,受理された。

 戦争で日本国民全体が1日3度の食事さえ不可能になり,広島,長崎に原爆が落とされ,その治療のために少しでも資金が必要な1945年8月に,数兆円もの資金を天皇スイス銀行にもち,預金の名義書き換えのため「だけ」に,33億円もの「手数料」を支払い,自分の財産隠しをおこなっていた。日本人が多数餓死している最中に,である。

 その預金の名義書きかえは受理され,戦後60年,利息が利息を生み,巨大化し,現在も,不正に蓄積され続けている。武器密売と,天皇一族に誘拐された日本人女性の人身売買の「利益」である。これは,戦争で天皇一族に殺害された,膨大な数の日本人の「命そのもの」である。

 天皇が,この不正蓄財を隠すために,赤十字社と必死で交渉しているアサマシイ姿は,天皇のアサマシイ要請の扱いに困惑した戦勝国・英国の外務省と赤十字社との間で交わされた,正式な外交文書としてロンドンの公文書館で,誰でも閲覧する事ができる(ファイルNO. FO369 / 3969 及び FO369 / 3970)。

 これはオルタナティブ通信の記事の一部であるが,若干間違いがある(人身売買の件はしりませんが)。実際,みてきたがロンドン市内(London Metropolitan)の公文書館ではなく,郊外の KEW GARDEN の National Archives であり,1945年スイス赤十字に1000万スイスフランを送金したのは皇后陛下名義であることが,FO368 の最後の公文書で判明した。1945年8月ではなく4月が正しい(すでに日本の敗北を決定的に認識していたのだ)。

 ファイルのコピーはしてあるが,日本人であることを辞めなくてはならないので公表はしない。日英同盟ガーター騎士団の関係などの公文書を書いたら,まず国策タイホは間違いないだろう。そういうことをしりながら生きてゆかなければならないことは死ぬ以上に辛いことです。

 注記)http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html
   
 以上に引用したこのブログ OUT OF EDEN は,脇に YouTube の動画「1975年 昭和天皇『原爆は仕方なかった』発言2分35秒」 https://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI&gl=JP  を添えていた。この動画はつぎにかかげたもので,現在〔2021年2月7日時点〕でも視聴できる。原爆投下の問題に答える場面での昭和天皇の発言は,かなりぎこちなくなっている。

 

 補注)この動画の題名は「1975 昭和天皇初訪米&初公式記者会見」2006/07/24  で,同日午後5時36分現在までで,502,552 回の視聴がなされていた。

 この ブログ OUT OF EDEN の筆者はくわえて,このように記述した内容の原資料=公文書(!)をとりあげてもっと詰めた議論をしたら,自身が「日本人であることを辞めなくてはならない」などと,本気で心配していた。これは,本当の事実を世に公開したら,それも公文書にもとづいていても,「自分の立場=生命」が危機に追いこまれる,抹殺・暗殺されるかもしれない,といっていることになる。 

 彼がそこまで非常に「恐れているらしい背景・事情」に関していえば,本ブログの筆者のほうでは(本「旧・々」ブログでの記述である)「2008. 10. 9」「隷属国家  日本の岐路」(これも現在は未公開の状態なので後日に復活させる予定)などで示唆したように,日本の皇室関係者も末端で連なっていると推察されるところの,この地球世界を舞台裏で「支配していると目される連中」=特定集団の存在を想起すればよい。

 ちなみに,日本赤十字(日赤)は現在(ここでは,2009年1月当時のこと),名誉総裁に皇后美智子,名誉副総裁に各皇族が就任している。日赤代表者=社長は近衛忠煇である。

 

  日本右翼陣営にとって昭和天皇の意味するもの

 敗戦を迎える時期の前後,天皇家一族が,祖国・母国・故国であるこの〈日本帝国の存亡〉そのものよりも,自分たちの財産の維持・隠匿に懸命になっていた歴史的事実が判明している。天皇は敗戦後,マッカーサーに会見したさい,こういったと伝えられている。

 私は,国民が戦争遂行するにあたって,政治,軍事両面でおこなったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして,私自身を,あなたの代表する諸国の採決に委ねるため,お訪ねした(1945年9月27日,アメリカ大使館にて)。

 戦後,昭和天皇に初めて会ったマッカーサーは,このことばを聞いてひどく感激し,その後,天皇裕仁を尊敬する気持にもなったという話である。しかし,この話はいまでは,宮内省〔現宮内庁〕側近周辺が創作〔捏造〕したとするのが,日本政治学史専門家の定説となっている。

 マッカーサーをはじめGHQは,この会見をつうじて,天皇および天皇制の保障という占領方針を固めていった。敗戦という日本側のきわめて振りな立場であったにもかかわらず,めでたく「我が」「国体は護持され」「天皇家の財産も隠匿できた」のである。

 それはともかく,1945年8月までの日本帝国による戦争行為・政治行動すべてに対する全責任を負うと明言した昭和天皇であった。ところが,「長崎・広島への原爆投下」に対する自身の責任」は「ことばの綾」とかいってのけ(1975年,前掲  YouTube  参照),彼が撥ねつけたことは,自分の元号がついていた「昭和の時代」における天皇の〈全責任〉が,いったいいかなる本性を有していたか正直に物語っていた。

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  出所)写真はグーグルマップより「皇居正門」。この逆方向,正反対の向こう側には,東京駅の丸の内「正面入り口」が位置している。

 とりわけ,日本の右翼民族主義陣営に所属する人びと,保守主義の思想に立つ人びと,国家主義の立場を尊いものと認知する人びとであれば,日本人は間違いなく天皇を尊崇し,天皇制を絶対的に支持している。日本という国家に対する愛国心を強調する人びとは「天皇天皇制」を完璧に守護しようとし,靖国神社の宗教的必要性も無条件に認めているはずである。

 しかしながら,前記したような歴史的展開において明白になる事実は,昭和天皇が「生き神」だった時代,それも戦争に勝つみこみなどまったくない段階に至ても,なおさらに,どこかの発展途上国(以前は後進国と称していた)並みに,独裁政権に就いている支配者となんらかわるところなく,蓄財に励んでいたということであった。しかも,敗戦後に占領統治下に置かれる日本を予想した昭和天皇は,自家の財産を外国(スイス)銀行に隠すに至っていた。

 一水会最高顧問の鈴木邦男が語った愛国心の真価は,本(旧・々)ブログ「2009.  1.  21」の「鈴木邦男『失敗の愛国心』2008年3月」(これも現在は未公開の状態なので後日に復活させる予定)が説明した。

 靖国神社を介して,臣民=国民に向かい,死=愛国を強要した戦前昭和期の天皇裕仁が,ごく人並みに単なる拝金主義でしかなかったとすれば,このような天皇を戴いた日本帝国・日本国の国民たちはいい面の皮だったというほかない。

 代表的な右翼と指称された鈴木は,国家は子どもを殺すな(!),愛国心は子どもの生命を大事にすることだと喝破した。鈴木は,日本帝国主義時代における日本の帝国的な存在様式を全面的に否定する考えに逢着した。

 昭和の天皇が戦争の時代に,この国に住む人びとだけでなく,植民地の人びと〔若者・女性〕まで戦争に狩りだし,その多くの人びとを死なせ・殺したことは,歴史上の事実として消し去ることができない記録である。

 ① で触れた文献,戸田『天皇制の経済的基礎分析』(昭和22年4月)が言及した「敗戦時における皇室財産資産総額」は,そのころの金額で15億9千万余円だったといわれていたが,スイスの銀行に預けて隠した莫大な金子は別口の財産だったとみるほかない。

 日本帝国は明治以来,欧米諸国の真似をして亜流帝国主義を実践し,アジア諸国侵略路線を推進させてきた。その間,皇室は莫大な財産を貯めこみ,敗戦が近くなるや赤十字に名義を借りて莫大な財産をスイスの銀行に隠していた。自分たちだけに使うつもりだったと指摘されても反論の余地はない。今日もその財産を利殖させているという。

 ここでは関連して「個人(経営)銀行」であるスイス銀行の経営方針を説明する。

 スイス銀行は,世界の王侯貴族や富裕層が主な顧客層である。スイス銀行法にもとづき,顧客情報を厳格に秘匿しており,口座所有者の名前や住所を含む情報は,守秘性(高度なプライバシー保護)と番号口座(ナンバーズアカウント)によっていっさい開示しない。

 したがって,非合法活動や犯罪を含む不法・不正な報酬の受けとりや,その蓄財・脱税にも最適である。世界各国の独裁者や犯罪者が利用している。いうなれば,独裁者の金庫番・犯罪者の金庫番と呼ぶことができる(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』参照)。

 

  人間の〈いのち〉の大切さ

 a) かつて,旧日本軍では絶対的に「上官の命令は天皇陛下の命令だ!」とされた。たとえば,陸軍内務班における初年兵いじめ・しごきは,尋常ならざる残酷さを体現していた。海軍でも,なにかにつけては,下級兵曹たちの尻を堅いこん棒で思いきり殴りつけるといった〈艦内教育〉のむごい入魂の方法があった。

 陸軍でも海軍でもこの兵営・艦内の残忍な教育(要はイジメ)をほどこされて生命を落とした,あるいは自死した兵隊さんたちが少なからずいた。なかでも,その残酷さに耐えきれず自死してしまった者の記録が,確実に残されているわけもない。それらがきちんと記録されていないだけに,その具体数は永遠に不詳である。陸海軍で最下層の兵卒であった人たちが実際に体験してきたそのたぐいの話は,戦争体験ものの書物になかに数多くみいだせる。

 以上のごとき話題の根幹にあった価値観の問題がなんであったかといえば,それは「生き神さま」として天皇が実在していた時代,帝国臣民として生を受けた一般大衆,それもここでの話だととくに兵隊にとられた青年男子に対して「国家側が否応なしに授けた〈絶対的な規範・倫理〉」であった。

 軍事問題として興味ある論題に「徴兵忌避(者)」があるが,先進諸国中いちばんその比率が少ないのが,日本であった。それほど,明治以降の日本帝国における庶民:帝国臣民たちは,天皇中心主義の世界観から逃れられる機会も状況も,人間の権利としてもちあわせることができていなかった。

 庶民:帝国臣民のそうした立場にとって唯一の救いは,戦争に動員され戦場で生命を落としても『英霊』となって,つまり神様(死神?)になって靖国神社に祀られるという「日本帝国が与えてくれる栄誉」にあった。

 b) いまも東京九段下にある靖国神社は,敗戦後すぐに民間の一宗教法人に組織を変更していたものの,現在でも戦前・戦中とまったく同じに,この神社なりの「国家神道的な宗教理念」,つまり,旧大日本帝国のために命を捧げた(奪われ,落とした)者たちを「英霊として祀りあげて」おくだけでなく,同時にまた「必要に応じて軍人向けに督戦の精神を発揚できるく宗教施設」としても存続してきた。

 靖国神社に英霊として合祀されている人数(柱の数)は,246万余だといわれているが,この人たちが兵隊として生きていて,そして死んでいった時代を振りかえってみると,その大多数は旧大日本帝国がアジア地域において展開していた侵略戦争の期間に当たっていた。

 靖国の英霊になって旧日帝兵士たちに殺された相手国(敵国)側の兵士たちは,九段下では視野の中に入ることなど,完璧にという意味あいで,まったくない。この神社は官軍神社とも別称されうる理由・事情は,宗教施設でありながらも「敵国の死者・犠牲者」はいっさい無視し,閉め出すところに淵源していた。

 日本の諸宗教が「死者を弔う方法・儀式」は,味方と敵に区分はなかったが,それをもちこんだのが靖国神社であった。その意味でこの神社は,もともと日本の伝統して継承されてきた民俗神道とは根幹より性格を異ならせていた。

 例の「A級戦犯の合祀」(1978年10月17日)という靖国側が意図した行為は,その「死者の魂」に対してまで「味方と敵」という差別観をもちこんでいた。すなわち,宗教としての普遍的な包容の精神を,基本から排除した「官軍・賊軍」観念しか備えていない事実を,とことん嫌らしく表出させていた。

 補注)もっとも,GHQ側からA級戦犯に指定された「敗戦国になった旧・大日本帝国」の将軍や政治家たちは,東京裁判極東国際軍事裁判)を受けた結果,絞首刑に処された。彼らは,第2次大戦の結果にしたがい「賊軍の敗将」と位置づけられていた。だから,これらの者たちを「敗戦国側の戦勝神社」であったはずの靖国神社にあえて合祀したという事情は,「大日本帝国は戦争に負けてはいない」という依怙地な前提(反撥心)がなければ成立しえない,実に奇怪な対抗措置であった。

 つまり,靖国神社へのA級戦犯の合祀は,敗戦国となった日本側独自に提示できるヘリクツとしてさえ,実は,全然筋が通らない「国家神道としての靖国信仰の粗雑さ」,いいかえれば「宗教精神としての信念の欠落」を,みずから明証していた。

 A級戦犯を合祀した時期,この靖国神社宮司を務めていた松平永芳まつだいら・ながよし,1915-2005年)は,旧日本の海軍軍人を経て敗戦後は陸上自衛官となったのち,靖国神社第6代宮司(1978-1992年)に就いてすぐに,A級戦犯の合祀にとりかかっていた。

 昭和天皇が当時,靖国神社によるその行為に激怒した事実は,『日本経済新聞』2006年7月20日朝刊が1面の冒頭記事としてその存在を報道した,「元宮内庁長官富田朝彦がつけて残していた記録類(手帳14冊・日記帳13冊・計27冊)」のなかに書かれていた『富田メモ』を介して,広くしられている。

 この『富田メモ』(下掲画像資料)は,昭和天皇靖国神社参拝に関する発言を記述したと報道された部分を指していた。昭和天皇自身は,第2次世界大戦のA級戦犯靖国神社への合祀に,強い不快感を示した内容が記されていた。なお,メモ全体の公刊や一般への公開はされていない。

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 なぜ,昭和天皇松平永芳によるその合祀の行為に激怒したかといえば,第2次大戦では「敗戦国」となった旧・大日本帝国の立場,換言すれば国際戦争のなかでは「賊軍」化された1945年9月以降のこの国の状態を,A級戦犯の合祀によって否定する靖国神社側の底意は,敗戦という出来事を経由して国際政治的に合意され再形成された「日本国天皇の立場」を,真っ向から否定していたからであった。 

 c) そもそも靖国という場所は, “死せる英霊たち” が “生ける若者たち” に向かい,「天皇のため」「国家のため」戦場に出向いていき,そして,勇躍果敢に “戦い・死ぬ覚悟” を抱かせる(洗脳する)ための機能を果たすべき宗教施設を提供していた。それが靖国が背負ってきたもっとも基本的な役目であった。

 それはまた,明治以来の本質的な性格として,実はいまもなにも変わりがないといってもいいのだが,しかし,敗戦という重大な出来事は,その「靖国本来の国家神道」および「皇室神道にもかかわる宗教的な基本の機能」を,押し入れのなかにしまいこんでおくほかない状態を余儀なくしてきた。

 松平永芳による「1978年10月17日,A級戦犯の合祀」という行為は,敗戦を喫した旧・大日本帝国の存在,ならびに,この枠組のなかでこそ機能しえた「戦争神社:勝利神社」としての靖国神社そのものが,いうなれば,敗戦後においては「賊軍神社になりはてていた」この神社の立場に照らして判断するとき,絶対にありえない「歴史的な延命策」を, “敗戦以前の感覚” をムキだしに敢行していた。

 昭和天皇の立場は,敗戦後になされた憲法の改正,大日本帝国憲法から日本国憲法への変化にともない発生した「自分の立場の変質」に対しては積極的に適応させていき,それゆえ,自身の気持のもち方もそれなりに合わせて転換させてきたつもりであった。そのところへ,松平永芳がわざわざ靖国神社から皇室に向けて波風を起こす行為を意味する「A級戦犯合祀」が実行されたとなれば,昭和天皇がこれにひどく困惑させられ激怒したのは,しごく当然の反応であった。

 d) 話を庶民の地平に戻して,第2次大戦(日本の場合はとくに1937年7月に始められた日中戦争以後)をみるに,この「支那事変」と呼称された戦争状態のなかに兵卒となって逐次投入されていった多くの庶民たちの “本当の気持” は,なんといっても「死んで花実が咲くものか」「生命あっての物種」であった。この点に関しては,なんら疑問の余地はなかった。

 戦場に出向く兵士たちに送られた日章旗に寄せ書きされた文句:「武運長久」は,兵士たちが敵地で武勲も挙げたうえで,なおかつ無事に生還することを,本心から祈願する4文字漢字そのものであった。

 要するに,いさぎよく「お国のために命を捧げる」とは,日本男子が出征するさいの見送りされる場においては,よく使われた表現であった。とはいっても,戦場で「死んで命を捧げ,死骨になって故郷に還る」よりも,なんとしてでも「生きて命を保って,自分の家に戻れる」ほうがはるかに好ましい結果であった点は,暗黙の了解であり,共通の理解になっていた。

 ところが,帝国臣民が戦争の時代(⇒大東亜戦争といったら「満洲事変」以降から敗戦時まであしかけ15年間)に投入され生命を落としていく兵士たちは,この戦争の過程が深化していくにつれ,「戦死」よりも「戦病死」や「餓死」する兵隊の割合が急速に増大していった。

 だが,祖国の首都で「王様として暮らす一族の人びと(もちろん男子たち)」は,けっして「死の危険」がありうる戦場に出向くことはなく,あいかわらず優雅に豊かな生活を享受していた。あまつさえ,その代表者自身はたっぷり蓄財し,負け戦まで予想したうえで戦争末期には,スイス銀行に莫大なお金を預けたというではないか。どうしてか?

 e) 旧大日本帝国憲法の第1章「天皇」は,こう定めていた。この定めは,先験的かつ無条件的に「日本=天皇」であった。ここに帝国臣民が絶対的に愛国すべき対象があった。

 第1条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」

 第2条「皇位皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」

 第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」

 第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」 

 昔,庶民たちにおいてはたしかに〈愛国心〉があったと思うし,多分しっかりもたされてもいて,もっていないとみなされると非国民だと非難・罵倒された。しかし,王様たちにおいては逆に,『それに応えられるだけの〈愛国心〉』に相当するなにかが,同等・同質的にあったのか?

 たとえばつぎに紹介する話のように,あの戦争の時代を生き抜いた(生き残った)ある男性が語った中身は,その王族たちが本当に〈愛国心〉に相当するそのなにかを,はたしてもちあわせていたのかを,臣民の立場から逆照射的に疑わせるものであった。

 たとえば,「7回生まれ変わって,天皇陛下のために死ね」 ~戦争は悪魔だ  一生に一度の青春も奪い去る-私の戦争体験 堀之内八郎氏」『IWJ』2013. 12. 1,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/114300  という「戦争の語り部」の話をまとめた記事は,大東亜戦争昭和天皇の関係について,つぎのように語っていた。冒頭の部分しか紹介できないが,主旨はよく伝わってくる。

 

 「七生報国(しちしょうほうこく)の意味は,6回戦死しても7回生まれ変わって,天皇陛下のために死ね,ということだ」。

 

 1944年〔11月29日〕,沈没する航空母艦信濃」が伝えてきた「さらば祖国よ,天皇陛下万歳」との打電を通信兵として受信した堀之内氏は,「戦争は,えぐい」と心情を吐露した。

 

 また,「爆撃で亡くなった勤労女子学生の遺体を,肩に担いで搬送した。血は噴き出し,とても臭く,顔にアゴはなく,左目が飛び出していた」と,戦争の凄惨さを包み隠さず,時に涙を拭いながら語り聞かせた。

 

 2013年12月1日,神戸市の東灘区民センターで,講演会「シリーズ 私の戦争体験(その9)『戦争は悪魔だ  一生に一度の青春も奪い去る~』」がおこなわれた。

 

 1928年(昭和3年)神戸市生まれで,予科練を経て土浦航空隊・横須賀久里浜通信基地で終戦を迎えた,堀之内八郎氏が戦争体験を語った。主催した九条の会 ひがしなだは,2011年から戦争体験を語ってもらう会を,現在まで9回,開催している。

 

 ☆ 記事目次 ☆

   常に空腹に耐えながら「天皇陛下万歳
   生まれ変わって,天皇陛下のために死ね
   アメリカの若いもんも俺たちも一緒。どっちも青春がある
   戦後も続く,遺族たちの悲しみ
   軍隊の激しいシゴキにも人間は慣れてしまう

 ここで靖国神社の話題に戻る。松平永芳は1978年10月17日,昭和天皇の身代わりになって処刑されA級戦犯の〈死霊〉を,靖国神社に呼び戻し,合祀した。この事実は,天皇裕仁をかこんでいた「敗戦後的な利害関係事情」に照らして判断すれば,まさしく「オマエたちは逆臣だ!」とみなされるくらいに「彼の意に反していた」,いいかえれば「戦後的な皇室の秩序」を根柢から揺るがすような乱暴な行為を,松平永芳はあえて強行していた。

 f) さて,ここでもう一度,「愛国なる心」を強調する者たちに固有のうさん臭さは,一水会最高顧問鈴木邦男が明示した疑念=「子ども・若者〔の生命〕を大切にするのが愛国心だ!」という立場に即して再考してみる。あらためてますます深まるほかない疑問点は,以下のように説明されうる。

 もう一度いおう。「愛国心はなんであり,誰のためであり,なんのためのものなのか?」 これは,いわば愛国心にまつわる民本主義・民主主義の根本問題である。戦争という事態は,まず最初に「女性,子ども・若者の生命」を粗雑にあつかい,とくに男性の若者を兵士としてかり出しては,まるで消耗品のように費消(殺)していく。

 補注)太平洋戦争中,日本が大苦戦したインパール作戦(1944年3月から7月,ビルマ戦線)では,日本軍の現地司令官がある時,「あと5千人ほど殺せば」と口にしていたが,その対象に想定していたのは「敵軍兵士のこと」ではなく,「自軍兵士のこと」であった。兵卒(最下層の兵士)たちが消耗品あつかいされる事実は,あのインパール作戦においては,もっとも典型的に露出されていた。

 だからこそ,靖国神社が仮想的に構築しておいた,しかも「明治謹製」になる国家神道的な宗教観念をもってだが,その手当だけならばおこなってきたつもりであった。いいかえれば, 戦争のために消耗品となって使われ,戦場などで命を簡単に落とされた(捨てられた)「彼ら:兵士たち」の「死霊」は,靖国神社という国家神道的な濾過装置を使うことで,あたかも「英霊」に意味を変換させえたかのように,国家信仰的に虚構・粉飾してでも転形・昇華させておかなければ,大日本帝国の特性であった “戦争を常態とする国家体制” を恒常的に維持できなかったからである。

【付  記】  話題は若干異なる。『朝日新聞』2009年1月25日朝刊に「都心の熱を冷ませ 皇居のお堀浄化作戦」という生活記事が報じられていた。図解も参照しておくが,このとおりに「冷気を周辺のビル街に流すため,浄化が検討されている皇居外苑のお堀」ということである。

 

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 皇居外苑のお堀をきれいにして,都心部ヒートアイランド現象を和らげよう――。環境省は,お堀に地下水などを引きこみ,淀んだ水を浄化しながら水温を下げる検討を始める。皇居で生まれる冷気を周囲のビル街に流れやすくするのがねらい。

 

 皇居は都内有数の緑地。盛夏は周囲の高層ビル街と比べてかなり涼しい。環境省によると,2007年8月の皇居の平均気温は28度で,周辺のビル街は 29.8度。ビル街との温度差は最も大きいときは,4度以上にもなったという。この冷気を生かそうと,東京駅ビルの再開発と合わせて周囲の道路の舗装を変え,街路樹を増やし,「風の道」を作る試みも進んでいる。

 g) ひとまず,いまは,平和な時代であるかのように映る「日本の風景」がある。だが,2012年12月から7年と8ヶ月もの長期間にわたった安倍晋三の第2次政権は,この日本について「戦後レジュームからの脱却」という標語をかかげ,「戦前回帰」を熱心に唱道してきた。

 ところが,その結果がどうなったかといえば,21世紀のいまの状況としては,その「戦後嫌い」のすえに逢着した〈現在的な不振や惨状〉にくわえて,「戦前・戦中好み」のごときに残虐・惨禍ばかりが重なるような,この日本社会が到来している。

 さらには2020年9月16日,安倍晋三のあとに登場した菅 義偉の政権も,無能・無策でありながら,ただ「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の私物化政治路線を継走している。その路線しかしらないこの国の最高指導者が,菅 義偉である。

 厚生労働省が発表していた2016年度『全国ひとり親世帯等調査』の結果は,日本ではひとり親世帯の貧困率が高いこと,そして相対的貧困率が全体で15.6%だったなかでも,大人が1人の「子どもがいる現役世帯」では50.8%と半数を超えていた事実を教えている。

 

 また,平均世帯年収を見ると父子家庭よりも母子家庭(シングルマザー)の方が低いことも分かっている。

 

 ところが,2020年からはそこへさらに,「コロナ禍で深刻化する “ひとり親家庭” 」と題したNHKの「2020年11月11日のニュース報道」は,こういう事実が発生していることを伝えていた。

 

 新型コロナウイルスの影響で,いまひとり親家庭の生活が深刻化している。〔2020年〕7月にNP0法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」がおこなった調査では,回答したシングルマザー1800人の約半数が「収入が減少した」と答え,「家賃や,光熱費などライフラインの支払いを滞納している」家庭も,1割に上ることが分かった。

 註記)https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/11/1111_2.html

 

 ひとり親家庭に向かっては,以上のごとき生活困窮の強い嵐が吹きまくっている最中である。にもかかわらず,菅 義偉政権はいまだに,1年延期になった「2020東京オリンピックの開催」にこだわりつづけ,いまだに無駄金をそこへ投入しつづけている。

 

 それだけでなくさらに近いうちには,その五輪開催に備えて「Go To トラベル」を再開させる心づもりでいる。コロナ禍よりも五輪や「Go To なんとか」のほうが,とても気かがりである菅は,「亡国・国難の首相」であると指弾されるほかない。要は「非国民的な立場」から「自分のする為政」に励んでいる。

 

 コロナ禍「下」の日本のあり方についてはは,大東亜戦争時の旧・日帝にたとえられているが,安倍晋三や菅 義偉は,戦前・戦中においては陸海軍の兵卒たちを虫けら同然にあつかってきたのとまったく同じ要領で,21世紀のいまにおけるワレワレ国民たちをあしらってきている。 

 旧・大帝国日本陸軍将兵たちは,「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と教訓されつづけていた。だが,現在における日本国民たちも,昔とたいして変らずに,その種のあつかいをされている。

 前段に言及してみた「昨今におけるひとり親たちの生活状況」について考えてみるに,「国民たち1人ひとりの生命」そのものが,旧・陸軍兵士たちが「鴻毛の軽さにも及ばないもの」としてしかあつかわれていた状況とたいして変わっていない。かつての軍部がいまでは自民党政権になっている。

     ★「生活保護をはじめ,公助の仕組みは機能していません。水が漏れている」★
  =「『最終的には生活保護がある』発言で見えた菅総理の『上級思想』-秋田の農家出身『パンケーキおじさん』の仮面がはがれた瞬間」『FRIDAY DIGITAL』2021年01月28日,https://friday.kodansha.co.jp/article/159590

 

 生活保護申請の同行支援もしている「反貧困ネットワーク」の瀬戸大作さんはいう。「夜は寒くて眠れないから,一晩中歩いている」という人がいる。いま,食べるものがなくて,路上で夜を過ごしている人たちにすら届いていない「生活保護」をもち出して,国民の生活を語る菅首相

 

 シフト〔パートやアルバイトの〕が減って1日1食でしのいでいる人。学費が払えず,退学する大学生。子どもに食べさせるものがなくなった母親。食品に割引シールが貼られるのを待って,暗くなってからスーパーにいくお年寄り。

 

 「秋田の農家出身」と,質素な印象をアピールしていた菅首相はホテルで朝食をとる。寒空の下,弁当の列に並んだことは,おそらく,ない。

 

 「こんにちは,ガースーです」

 

 菅首相は,緊急事態宣言下に銀座に繰り出す議員や,カラオケに興じてクラスターを起こす秘書たちを率いて,この国をどこに導くのか。

 いまの令和の天皇徳仁が,現状のごとき日本の実情に対面しつつ,いったいなにができそうか? 徳仁は象徴天皇の立場を継承した人物として,はたして「父・明仁を超えられる〈仕事〉」ができるか,などと考えてみたくなった。
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