天皇家の人びとを「玉あつかい」する八木秀次など,保守・反動の尊王論者たち(?)の不遜(不敬!)な皇室観,対する徳仁天皇や秋篠宮の抵抗にみる「明治謹製の天皇制度じたいの危機」

             (2019年6月29日,更新 2021年5月22日)

 ところで,このヤマト大王国は天照大神という「神話上の女性神」を開祖とするのではなかったか? それでも,男子天皇しか認めない皇室典範は,明治憲法および新憲法の上につるされた「ダモクレスの剣

 蓄妾(側室)制度がないかぎり,男系天皇制はいつも危機に瀕するほかない,「Y染色体」だけが人間の遺伝子だと勘違いしている八木秀次の短見,その実在など確認しようもない古代・中世史的な封建制度(だから架空のそれ)を,絶対観念的に現代化したい根本矛盾

 

  要点・1 天皇天皇制という古代史からの遺物的な政治制度

  要点・2 令和天皇の次代は愛子ではなく悠仁となっている

 

 🌑 前  言  🌑

 今朝,配達された日本経済新聞を開くと,「『配偶者』と皇位継承の危機 三笠宮さま,17年前の懸念  小室さん騒動,報道過熱  一般人尻込みも」『日本経済新聞』2021年5月22日朝刊42面「社会1」という記事が出ていた。

 本ブログ内でも三笠宮関係の記述はすでに何点か書いていたので,関連する記述を探してみると,つぎのものがあった。

  https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2019/12/26/134540

  https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/02/11/111917

  https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/02/09/141635

  https://socialsciencereview.hatenablog.com/entry/2020/02/11/204737

   付記)いずれも長文である。興味をもつ人は,ここではひとまずあとまわしにしておき,あとで読んでもらえればと期待する。 

 a) ともかく,三笠宮が17年前に語っていたという「皇統問題」に関するその記事を,最初に引用する。

 --昨今,「皇室の重要課題」というと,国民の大半は秋篠宮家の長女,眞子さまと小室圭さんの結婚問題と答えるだろう。

 2017年末から3年以上も続いてきた小室さん母子をめぐる「金銭トラブル」報道は,4月8日に小室さんが説明文書を出したのを機にますます過熱している。

 同じ日,安定的な皇位継承のあり方を検討する政府の有識者会議のヒアリングがおこなわれていたのだが,すっかりかすんでしまった。

 皇室制度の最重要課題といえる皇位継承問題が “スキャンダル” 報道に押しやられた図だが,実は両者は深く関連しており,皇室にとって同等の危機である。

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 こういうといぶかる声もあるかもしれないが,2004年に故三笠宮崇仁さまがラジオ番組で語った「皇位継承危機の本質」をしればうなずく人も多いのではないだろうか。

 三笠宮さまは,皇位継承は男系女系の選択以前に配偶者の枯渇で危機を迎えると喝破した。戦前は天皇,皇族の配偶者は皇族か華族だった。多くの宮家が皇籍を離脱し,華族制度も廃止された戦後は「天皇制の外堀を埋められたようなもの」と三笠宮さまは表現した。

 補注)これまで126代の天皇のうち約半分は「側室」(第2夫人,第3夫人など)の子とされている。敗戦後,「側室」という制度は撤廃された。過去400年間において側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇,124代の昭和天皇,125代の平成天皇(今の上皇),そして126代の令和天皇の4人のみである。

 配偶者は一般国民から求めることになるのだが,三笠宮さまは報道が過熱することで「そういう立場になる人もおじけづくだろうし,一般の人が配偶者になるのは大変」だとして,仮に女系・女性天皇を認めたとしても,現実問題として配偶者をえられず皇統が断絶することを危惧していた。

 そして「小室さん騒動」は三笠宮さまが懸念した未来図を引き寄せる可能性がある。この先「おじけづかずに」皇族の配偶者になろうという人がどれほど現われるだろう。

 秋篠宮さまは記者会見で「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を望まれたが,宮内庁内では「かえって意見百出して収拾がつかなくなった」という見方もある。

 客観的に表しがたい「多くの人の納得」が皇族の結婚条件の前例になれば,配偶者を得るためのハードルはさらに高くなる。皇族の恋愛,結婚もタブーとせず自由に報道できる民主主義社会ゆえに,「配偶者」は天皇制の基盤を揺るがす要因になりつつある。編集委員 井上 亮)(引用終わり)

 「一般人」のわれわれにはやや理解しにくい話題になっていた。日本国はいちおう「民主主義政治社会」の国家体制にある。だが,天皇天皇制の問題はその意味では鬼門であり,この問題にくわしい知識人や学術専門家であっても,以上の三笠宮が触れた「皇室の皇統」問題になると「腰が引けた議論」しかできない(もしくはしない)人たちが,圧倒的に多数派である。

 そうした日本における天皇・皇室問題をめぐる知的状況じたいに,菊のタブー的な論点がからみついており,これを真正面から解明したり批判したりする勇気を発露できる〈人びと〉は少ない。

 b) 天皇天皇制問題をまっとうに理解できていないゴリゴリの極右的な,つまり櫻井よしこを代表とするごとき,エセの非正統(?)的な右翼知識人たちの「日本における天皇史」に関する学習程度(レベル)ときたら,まるで出来の悪い中学生のそれにたとえたらよいものであった。

 彼(女)らが強引にかつ一方的に語りたい天皇問題の核心は,この人たちが「いまあってほしい〈皇室〉のかたち」を,他者に対して強要するだけの説諭に終始している。その天皇史理解の中身は,学術的というにはあまりにも幼稚な世界を飛翔しているだけでなく,まともに天皇天皇制を研究している知識人・学究から観れば「笑止千万の珍論・迷説」も少なくない。

 現在,皇室の〈Y染色体を絶対視する皇統連綿性〉は,秋篠宮の子ども(長男・悠仁)だけが頼りである。なにせ,男系でないと天皇位は継承できない仕組になっている。旧・皇室典範は,旧・大日本帝国憲法〔帝国憲法明治憲法とも略称〕が1889〔明治22〕年2月11日に公布され,1890〔明治23〕年11月29日に施行されるのと同時並行して,登場していた。

 すなわち,1889年2月11日に裁定されたその旧・皇室典範は,皇室の家法という性格が与えられていて(官報には登載せず),1907〔明治40〕年2月11日裁定の皇室典範増補で,宮内大臣および各国務大臣の副署がなされかつ公布の対象となり,国民も拘束するものとされた。

 実体的にみるに,その皇室という「私家用の旧・皇室典範」が,国家のための旧・大日本帝国憲法と,無理やり同居する関係になっていた。ただしそのさい「旧・皇室典範⇒旧・大日本帝国憲法」といった “コロンブスの卵” 的な国家思想の思考方式が優先されていたゆえ,国家全体のなかにおける旧・皇室典範は圧倒的に優勢な,特別待遇の位置を付与されていた。

 c) しかし,そうした「天皇家の私家性」の問題と「帝国・明治憲法の国家性」の問題とのあいだに “しこまれざるをえなかった” 法律上の矛盾関係は,時代が20世紀になってから戦前昭和期に至るや,必然的にも噴出せざるをえなくなった。

 いわゆる「天皇機関説」という旧・大日本帝国における天皇天皇制に関する認識は,明治末期以来,東京帝国大学教授美濃部達吉が説いてきた官許の憲法学説として,つぎのような「理論の構成」になっていた。

 すなわち,その天皇機関説は絶対無制限万能の権力が天皇に属するものではなく,天皇といえども憲法の制限を受けるものであるとして,立憲主義の立場から議会の役割を重視し,政党内閣制に理論的根拠を与えていた。

 補注)昭和天皇裕仁もこの天皇機関説を支持する考えの立場であった事実は,その典拠を示す必要もないくらい,有名な話題である。

 ところが,1935〔昭和10〕年2月,貴族院(現在の参議院の前進)の本会議で男爵菊池武夫が,美濃部の学説は天皇機関説であり,これは国家に対する「緩慢なる謀叛」であると指摘し,美濃部を「学匪」であるとはげしく非難した。これに対し,貴族院議員である美濃部は弁明の演説をおこなったが,これがかえって,軍部や在郷軍人や右翼を刺激し,美濃部への攻撃は政治問題に発展した。

 貴族院では「国体の本義を明徴にすべし」という建議案を可決,衆議院でも「国体に関する決議案」を全会一致で可決した。全国在郷軍人会は機関説排撃のパンフレット15万部を配布した。政府はついに美濃部の本を発禁処分にした。

 陸海軍大臣は岡田首相に善処を要望し,政府は1935年8月,国体明徴に関する政府声明を発し,天皇機関説は国体の本義に反すると断じた。美濃部は貴族院議員を辞任したが,なおも軍部の圧迫によって,政府は再度国体明徴の声明をおこなわねばならなかった。

 この問題の背後には,平沼騏一郎擁立の一派が機関説を攻撃し,美濃部の恩師である一木喜徳郎枢密院議長を排斥する策謀があったといわれる。翌年一木が退陣し,平沼副議長が枢密院議長となった。(解説終わり)

 「明治謹製」というその出自を有した大日本帝国憲法は,昭和戦前期になってからというもの,日本政治社会の狂信化(国家全体主義化の方途)がしだいに昂進していくのにともない,「天皇の地位・理念・機能」などをめぐっても特定の軋轢を生みながら,その基本的な矛盾も膨らせていくほかなかった。

 当時において具体的な政治現象として暴発的に突出せざるをえなかった天皇機関説問題は,国家全体主義体制が深まっていく政治過程のなかで狂い咲きしたかのように飛び出てきた政治現象であったけれども,一部の政治家たちが計略的に惹起させた大事件になっていた。

 ところが,現在であっても,以上のごとき「天皇機関説」を批判するイデオロギーの立場で,天皇天皇制をあれこれいう人物もいないわけではない。その代表例が八木秀次である。八木はもと高崎経済大学の教員であったが,その後麗沢大学に職場をかえている。この事実も実は,八木の政治的な志向を奈辺にあったかを示唆する。

 前段の話題に戻るとするが,2004年において生前,三笠宮崇仁がラジオ番組で語った「皇位継承危機の本質」とは,いったいどのような「日本の政治」の話題であったのかという点を,一般の庶民たちがけっしてまともに理解できていないところには,一種独特の「皇室問題にかかわる特殊性」が控えている。

 「民主主義という政治の問題」と「天皇天皇制という日本的なその政治の問題」との関連は,明治以来に創られてきた日本という国家のあり方を,根幹から定める基本要因になっていた。それゆえ,この国に暮らす誰であっても,この政治問題から逃げることはできない。 


  秋篠宮ポーランド訪問「記事」

 a)秋篠宮さま,皇嗣として初の海外訪問」『朝日新聞』2019年6月27日夕刊10面「社会総合」

 秋篠宮ご夫妻が〔2019年6月〕27日午前,国交樹立100周年を迎えたポーランドフィンランドへ向けて出国した。秋篠宮さまは皇嗣になって初の海外訪問になる。ご夫妻は代替わり前と同様,天皇や皇太子が利用する政府専用機ではなく,民間機を使う。

 秋篠宮さまは訪問前の会見で,民間機利用を含めた警備態勢の考え方について「市民生活になにかこう不都合なことが起こる,それは避けたいな,という風に思っています」と述べている。

 b)ポーランド大統領と懇談」『朝日新聞』2019年6月29日朝刊35面「社会」『朝日新聞』2019年6月29日朝刊秋篠宮ポーランド訪問

 秋篠宮ご夫妻は〔2019年月〕28日,ポーランドの首都ワルシャワの大統領官邸で開かれた歓迎式典に出席した。

 ラッパの音とともに,儀仗隊(ぎじょうたい)が並ぶなか,ご夫妻はレッドカーペットの上を歩き,ドゥダ大統領夫妻の出迎えを受けた。その後,ご夫妻は大統領夫妻と懇談した。

 秋篠宮さまはポーランドについて「初めて来ました」などと英語で述べた。式典に先立ち,ご夫妻は,無名戦士の墓を訪問。秋篠宮さまが献花したあと,ご夫妻は芳名帳に記帳した。(引用終わり)

 秋篠宮の立場については,実兄の徳仁天皇位に就いてから,その立場がどのように位置づけられ意味づけられるかという問題が,以前から話題になっていた。現時点ではひとまず議論が小康状態になってはいる論点ではあるものの,なにかきっかけがあれば,関係する論者・識者たちがあれこれとブツブツといいだす可能性が控えている。

 

 週刊現代』2014年11月29日号の議論

 さて,ネット記事での『現代ビジネス』(講談社)は2014年11月28日,「浩宮が即位したら『皇太子』がいなくなる,秋篠宮愛子さま悠仁さまも,皇太子にはなれない-宮内庁が密かに頭を悩ます難問-」(元記事『週刊現代』2014年11月29日号,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41195  以下)のなかで,すでにこう論じていた。以下,文章は当時に対応した中身である。

 a) 今上天皇〔現在は退位して上皇と呼ばれている明仁〕が代替わりし,現皇太子の浩宮徳仁親王皇位に就いたとき,皇室には「つぎの天皇皇嗣)」たる権利をもつ「皇太子」がいなくなってしまうのだ。皇室典範が定める皇太子の定義にはこうある。

 第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは,皇嗣たる皇孫を皇太孫という。

 ここに出てくる「皇子」とは,天皇の息子を意味する。だから現在,皇太子の地位には,今上天皇上皇〕の長子である浩宮がついている。

 皇室典範第1条には〈皇位は,皇統に属する男系の男子が,これを継承する〉とあるので,息子がいない以上,「男系男子」の孫(皇太孫)も当然いない。

 補注)この指摘「男系男子の息子も孫もいない」という点は,現在も同じであるが,明治謹製の皇室典範を敗戦後にもそのまま再利用した手順のなかに,もともと “しこまれていた難題” であった。明治天皇には妻・皇后以外にも5人の側室がいた。大正天皇は皇后:一条美子(いちじょう・はるこ)の息子でなく,側室の1人「柳原愛子の子」であった。

 「現皇太子〔令和の天皇になった浩宮〕が即位した時点で,皇位第1継承者は弟宮の秋篠宮文仁親王になります。ただ,秋篠宮は『皇嗣たる皇子』ではないから,皇太子にはなりません。歴史上の表記でいえば, “皇太弟” ということになる。悠仁親王はどうか」。

 「たとえば,父である秋篠宮が兄の天皇より先に亡くなった場合,悠仁親王皇位第1継承者になるわけですが,悠仁親王は皇太孫ではなく,天皇の甥なので,やはり皇太子にはなりません」(ノンフィクション作家・保阪正康氏)。

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 もっとも,皇太子不在を,それほど問題にする必要はないという意見もある。近現代史研究家の浅見雅男氏はいう。

 「歴代の天皇家において,皇太子が空位だったことはけっして珍しいことではありません。皇室典範が穴だらけなのはそのとおりですが,むしろそれによって皇位継承は,昔から融通無碍におこなわれてきた」。

 「世継ぎの方に対して,皇太子という呼び方を絶対にしなければいけないという決まりじたいがないのです。もし,浩宮在位中に悠仁親王皇位継承第1位になった場合は,『皇太甥』とするのが,一番自然ということになるでしょう」。

 補注1)ここで浅見雅男が指摘するような皇室問題は,まさしく「明治時代に製作された旧・皇室典範」がもたらしていたと受けとるほかない。明治時代からの天皇天皇制は,けっして古代史からの伝統や慣習を,そのまま継承してきたとはいえない。

 ただしそうはいっても,その「古(いにしえ)における伝統や慣習」じたいからして,初めから(?)あいまいな点を多く残していたのだから,いちいちについて注意し,用心した表現をしておく余地があった。

 補注2)そのところを無理をしてでも,「日本には古来,非常にすばらしい天皇(大昔は「天皇」という呼称はなく「大王」の呼称であったが)の制度」をもっている,としておいた。それゆえ,天皇にまつわる制度を,明治憲法大日本帝国憲法)が公布・施行されるとき,抱きあわせ的に置いたのである。もっとも,米欧諸国になんとか対抗するための国家精神創りのためではあったが……。

 しかし,その制度を法的に規定しておくための法律『皇室典範』は,明治憲法とは別個というか,むしろこの上にいきなり超越的に鎮座させられた,いうなれば「明治謹製」の,それこそ「国内向けの治外法権的な皇室用の条文」として格別に定めていた。

 いうなれば,明治憲法という近代法のなかに古代史由来だ〔本当はけっしてそうではないのだが,それを強く意識しつつ構想〕とされた皇室典範であったからこそ,敗戦後に日本がアメリカからいただいた日本国憲法(新憲法)のなかにまで,しかもGHQが占領目的を円滑に進めるために「天皇制度をそのまま残してくれた」のだとなれば,以上に記述してきた現代における皇室問題は,初めからこじれる可能性を残したままであった,というほかない。

 昭和天皇の時代(在位期間,1926~1989年)に即して考えてみたい。敗戦後における時間が現代(21世紀)にまで進んで来た段階になっても,明治以来の近代化のなかで皇室がかかえこまされてきた古代性=「明治謹製の皇室典範」は,そのまま維持されてきた。となれば,いまどき天皇位の継承問題をめぐってとなるのだが,「これまで潜在していた問題(難点)」が表面化し,複雑にならざるをえなくなったのは,ある意味では不可避の出来事であった。

〔記事に戻る→〕 いまの世に皇太甥と書いて(悠仁のことを)「こうたいせい」と読める人が,はたしてどれだけいるだろうか。また,皇太子としての公務を誰が担うのかという問題も,当然出てくる。

 「皇太子殿下が即位されれば,皇位継承順位第1位の秋篠宮殿下が,いまの皇太子殿下の職務を引きつがれるでしょう。そうすると,宮家皇族としてこれまで秋篠宮殿下がやってこられた公務はどうなるのかという問題が出てきます。外国交際の面でも,悩ましい問題が生まれるでしょう」。

 「事実上の皇太子ではあるが,法的には一宮家の親王という場合,外国に対してクラウンプリンス(皇太子)という言葉を使うのか,それともただのプリンスとするのか。当然,次期皇位継承者ということでクラウンプリンスとして活動していただいたほうが日本の国益にはなるでしょう。国内と海外で使い分けをするという可能性もあります」(前出・山下晋司氏皇室ジャーナリスト)。

 東宮家と宮家では,公的な活動の内容も大きく違ってくる。宮家皇族は,公益法人など各種団体の名誉職に就いて活動できるが,皇太子・皇太子妃は,天皇・皇后といっしょで,原則的には団体の名誉総裁には就かない。

 秋篠宮は,現在,世界自然保護基金ジャパン名誉総裁や日蘭協会名誉総裁など多くの名誉職に就いているが,皇太子の職務を引きついだ場合,これら名誉職や,その活動はどうするのかもはっきりしない。実際問題として,宮家皇族としての公務と皇太子の公務を兼任するというのはむずかしいだろう。

 補注)なぜ「皇太子・皇太子妃は,天皇・皇后といっしょで,原則的には団体の名誉総裁には就かない」のかという事情については,あえて触れない。だが,この意味は説明なしでも自然に伝わってくるものがあった。

 もっと大きな問題もある。「生活費」の問題だ。

 補注)これは宮内庁に関連する予算内容の問題であり,論ずるとしたらまた別途に詳細な検討が必要となる。ここでは論じない。宮内庁のホームページには「毎年度の予算額」が公表されている。

 b) このように,皇太子の不在により多くの問題が噴出してくる。そもそもなぜ,こんなことになっているのか。

 「いまの皇室典範皇室経済法という法律も,宮内庁という組織も,皇位は親子継承しか前提にしていない。だからこんな問題が生じてきたのです。確かにいままでは親子継承が6代も続いてきた。しかし,そのほうが日本の歴史上からみれば珍しいのです」(前出・保阪正康氏)。

 補注)この「親子継承が6代も続いてきた」というのは,「令和⇒平成⇒昭和⇒大正⇒明治⇒江戸時代最後の孝明天皇(第121代,在位期間は1846年~1867年)」とさかのぼれる「ほぼ180年にわたる〔と計算できる〕系譜」を指している。

 愛子内親王を皇太子とすれば,これらの問題は回避できる。けれども,この方法は無理だろうというのは,宮内庁担当記者だ。

 「愛子さまを皇太子にするということは,『女系・女帝』を容認するということです。でも,これは国論を二分しかねない大変革で,宮内庁はもちろん,政府も手をつけたくないでしょう」。

 では,どうすればいいのか。皇室典範にある皇太子の定義を変えるという案が,宮内庁でひそかに検討されているという。 従来「天皇の息子」だったはずの皇太子に,「天皇の弟」がなっているという国民の違和感はぬぐいがたい。浅見氏はいう。

 「皇室典範第三条には〈皇嗣に,精神若しくは身体の不治の重患があり,又は重大な事故があるときは,皇室会議の議により,前条に定める順序に従つて,皇位継承の順序を変えることができる〉とあります」。

 「たとえば秋篠宮皇嗣となって10年,20年後に兄の天皇ともども老年に達した場合,皇位の安定のためにも壮年となった悠仁親王皇位継承順位を取り替えてはどうか,という意見が出てくるかもしれません」。

 声を上げるとたちまち,議論百出となるのが皇室問題。冒頭の倉田氏は「皇位継承で一番大事なのは,波乱がないことだと思うんです」と案じている。おそらく宮内庁も,根回しをすすめながら,じっとタイミングを窺っているのだろう。

 註記)以上まで本文の引用は,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41195〔~page=4〕

 ところで,宮内庁は消極と積極とを問わず,いったいなにを狙っているのか?

 保守・反動・国粋の識者のなかには,女系・女性天皇は絶対に認められないと踏んばっている者がいる。けれども,彼らの頭のなか中は古代史も中世史も本当は無視した時代認識のままで(もっともその本当の歴史内容はもとよりよくしらないのだが),無条件に「明治謹製」の皇室典範至上主義に浸っている。

 21世紀の現段階においてそのように,「女性差別」を当然視していてもなんとも思わない「時代錯誤の彼らの政治観念」は大問題になってよいはずであり,しかも根本から批判されるべき対象でしかない。

 今日の記述は秋篠宮の問題であったが,この皇族自身が吐く意見(自説?)が,少なからぬ話題をこの日本の社会に提供している。娘(眞子)の結婚問題しかり……。

 

 秋篠宮殿下の “炎上会見” 親子断絶だけじゃない,周囲を困惑させるもう一つの問題点」週刊新潮』2019年7月4日号掲載記事,https://www.dailyshincho.jp/article/2019/06261700

 秋篠宮夫妻は卓上に想定問答の紙を用意しないのが慣例だと理解されている。「私は娘から話を聞いておりませんので,どのようにいまなっているのか,考えているのかということは,私は分かりません」。

 眞子さまのご結婚の行方について,秋篠宮殿下がこう述べられたのは,ご夫妻で臨まれた〔2019年〕6月21日の会見でのことだった。親子間の断絶をうかがわせるこのご発言が,現在,波紋を呼んでいる。そして同会見での別の “ご主張” もまた,関係者の困惑をまねいているのだ。

 会見では,秋篠宮さまの上記のご発言を受け,紀子妃殿下も「(秋篠宮さまと)同じでございます」と事態に進展がないことを,言葉少なに述べられた。かねてより囁かれていた親子間の断絶の噂が,はからずも現実であることを露呈させた格好だ。

 会見翌日には新聞各紙が「秋篠宮さま『娘から聞いていない』」(読売新聞),「眞子さま結婚『分からない』」(日本経済新聞)などの見出しをつけてこれを報じたほか,ネットでは「子をもつ親としての責任は」「まるで他人事では」と批判的なコメントが数多く散見される。さながら “炎上会見” の様相を呈してしまったのである。

 結婚問題が生じた背景に,従来の皇族とは一線を画す “秋篠宮さま流” の教育方針の存在を指摘する声は少なくない。そんな “我流” を貫く秋篠宮さまのあり方について,会見では,記者団から暗に疑問が投げかけられていた。〔6月〕27日からご夫妻が臨まれる令和初の外国訪問にあたって, “民間機” をご利用される点についてのことである。

 今回,羽田からドイツを経由し,最初の訪問国ポーランドへ向かわれるご夫妻。そのすべてで,政府専用機ではなく,民間航空会社の定期便を利用されるとのことなのだが,「民間機は,たとえば天候や機体のトラブルで飛ばなくなれば別の便への振り替えとなり,スケジュールの変更を余儀なくされます。相手国の招きで訪問するさい,トラブルが起きたので遅れますとなれば,先方にも失礼となりますし,また警備上も支障をきたします」(宮内庁担当のベテラン記者)。

 警備上の負担,乗り合わせる一般客の緊張も想像にかたくない。 “先方” との関係でいえば,こんな指摘もある。

 「専用機での訪問は,相手国への “大事な人を送り出しています” というメッセージでもある。専用機に乗れる立場のVIPがわざわざ民間機で来ると聞けば,わが国は軽んじられているのかという誤解を与えます」(さる外務省OB)。

 民間機を利用される理由について,秋篠宮さまは「市民生活になにかか不都合なことが起こる,それは避けたいなというふうに思っております」と,特別扱いによって生じる負担を避けたい思いを明かされてもいる。とはいえ,各方面にさざ波を立てた今回の会見。6月27日発売の週刊新潮で詳しく報じる。(引用終わり)

 平成天皇は以前,自分のために運用されるお召し列車が,とくに繁忙である一般路線(JR)に対して迷惑をかけているという認識を示して,その専用列車をほとんど使わなくなってもいた。ただし,これは国内向けの現実問題であって,外交方面における儀礼上の問題にかかわることがらではなかった。

 もしかしたら,秋篠宮は父親のそうした行為を参考にして,皇室外交にかかわる自分なりの判断をしたのではないかとも推測される。秋篠宮は,天皇にはなりたくないと思っている気持を明確に示唆する発言もしてきた。

 

 秋篠宮さまの注目会見,即位に関し意思表示した場合の波紋」『NEW ポストセブン』2019.06.17 07:00,https://www.news-postseven.com/archives/20190617_1391803.html(『女性セブン』2019年6月27日号記事)

 秋篠宮ご夫妻は6月27日から約10日間の日程でポーランドフィンランドを公式訪問される。日本との国交樹立100周年を迎えた両国への訪問は,「皇嗣同妃両殿下」としての初の海外訪問だ。実は,その訪欧にあたって6月中旬におこなわれる予定の記者会見が,皇室関係者の間で大きな注目を集めている。

  ※ “アドリブ” で独特の表現を使われる ※

 「これまで秋篠宮さまが海外訪問前に会見を開くことはなく,訪問を終えられたご感想文書を発表するだけでした。今回,皇嗣になられたので,これまで陛下が皇太子時代にされていたように,海外訪問前の会見を開くことになりました。紀子さまもご出席される予定です」(宮内庁関係者)。

 ご夫妻の会見が関心を集める理由は,秋篠宮さまの過去の発言にある。かつて2004年5月,適応障害を発症された雅子さまについて,陛下が「雅子の人格を否定するような動きがあった」と会見で述べられると,秋篠宮さまは同年11月,誕生日会見でこう発言された。

 「記者会見という場で発言する前に,せめて陛下(編集部注,現在の上皇)と内容について話をして,そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」。

 そのお言葉は,ご兄弟に吹く “すきま風” として注目された。最近では昨〔2018〕年11月の誕生日会見だ。眞子さまとその婚約内定者の小室 圭さんに触れ,「(現状では)納采の儀はおこなえない」と踏みこんだ発言をされた。

 また,今〔2019〕年11月におこなわれる新天皇の即位に伴う重要儀式「大嘗祭」への公費支出について “身の丈に合ったものにすべき” という見解を述べられ,費用削減について消極的だった宮内庁長官については「聞く耳をもたなかった」と厳しい言葉を投げつけられた。

 「秋篠宮さまは “皇室のスポークスマン” と評されるほど,積極的な情報発信が目立ちます。時に直接的で,歯に衣着せぬご発言もある。基本的なお考えは,上皇陛下や天皇陛下とすり合わせていらっしゃるにしても, “アドリブ” で,独特の表現を使われることが多いとされています。今回の訪欧前の会見でも,皇室関係者の間では, “注目発言が飛び出すのではないか” と注視されています」(前出・宮内庁関係者)。

 秋篠宮さまの会見でのご発言には, “あるパターンがみられる” と指摘するのは,別の宮内庁関係者だ。

 「昨年11月の会見で述べられた,眞子さま納采の儀についてのご発言と,大嘗祭の費用削減についてのご発言はいずれも,その約3か月前に全国紙で “秋篠宮さまがお考えになられている” と報じられて大きな話題になった記事を “追認” するものでした」。

 今〔2019〕年に入ってからも,こんな報道が注目を集めた。『退位「一代限り」への問い』,そう題された朝日新聞4月21日付一面記事によると,秋篠宮さまは周囲に「兄が80才の時,私は70代半ば。それからは(即位)できないです」と漏らされたという。また,「天皇になることを強く意識したことはない」という趣旨の内容を述べられたことがあるとも報じられた。

 いわずもがなだが,秋篠宮さまは現在,皇位継承順位第1位のお立場だ。それらのご発言は「即位拒否」とも受けとられかねない。「今回の訪欧会見でも,新聞に報じられたように,即位に消極的であるという意思表示がなされるかもしれない」(前出・別の宮内庁関係者)とみられているのだ。

 皇室制度に詳しい麗澤大学教授の八木秀次さんは,こう分析する。

 「そもそも秋篠宮さまは “皇太子になる教育を受けていない” という理由で,天皇の弟を意味する『皇太弟』ではなく,『皇嗣』の名称を選ばれたといわれています。秋篠宮さまは早い段階で即位辞退の意思を表明することで,すぐにでも皇位継承順位第2位でいらっしゃる悠仁さまの即位への道筋をつけ, “皇太子たるべき教育” を施したいとお考えなのではないでしょうか」。

 実際,秋篠宮さまは,周囲に “自分のことよりも悠仁に早く継がせたい” と漏らされることがあったと過去に報じられた。ただし,八木さんは「慎重であるべき」と指摘する。

 「自由意志での即位辞退を認めることになれば,皇位継承者が将来, “私も即位したくない” と表明する可能性が生まれます。万が一,悠仁さまが辞退されたら皇統が途切れるという最悪の事態も想定されます。だから,皇室典範では皇位継承者の意思による即位辞退は想定されていません」。

 もし,秋篠宮さまが即位の意思について踏みこんだ発言をされれば,大論争に発展するのは必至だ。(引用終わり)

 以上の問題は,つねひごろから話題になっていた対象であったが,皇族たちの生活実態にあっては,「基本的な権利がない」といわれると同時に「一種の特権に相当する〈権利〉のような実体」も与えられているゆえ,問題の全体を公平に議論することには困難がともなわざるをえない。

 日本国憲法に保障されている基本的人権はないけれども,皇室典範に関連する種々の特権みたいな条件を付与されてもいるのだから,問題の理解はなおいっそう,一筋縄ではくくれなくなる。

 

  八木秀次君の皇室観

 ④ の最後に登場した「憲法学者八木秀次」は,これまでも「天皇家の人間たち」に対して,あれこれ指図したいかのように聞こえる諸発言をしてきた。自分が日本の皇室のあり方を指南でもしている気分であるらしい。

 しかし,憲法学者たる者が明治謹製の皇室典範の「伝統と格式」である女系天皇批判の観点を,無条件的に後生大事に堅守している「法学者としての仕様」はコッケイにさえ映る。いったい,どういう勉強をしてきたのかと疑われてもいいのである。

 八木秀次に対しては国粋派の立場に立つ者たちからも,たとえばつぎのような批判がて投じられていた。八木は,なんと「不逞・不遜の輩」だという批難であった。

 彼〔八木秀次〕は……勝手な忖度による憶測で的外れな批判を繰り返す。さも両陛下〔ここでは平成天皇夫婦のこと〕の「私的発言」が「考えの至らぬ甘い発想」であるかのような認識は言語道断,みずからの意のままにならぬ天皇は不足の天皇だと云わんばかりだ。

 

 これまでの発言を総合するに彼の本質は,天皇は「主権の存する日本国民の総意に基く」存在だという〈日本国憲法流の御用学者〉なのであろう。両陛下の真意を邪推する前に,臣としての立場と言動に徹することに謹みて励むべきである。

 註記)「八木秀次-不忠の本質」『国体文化  永遠に新しい日本』https://www.kokutaibunka.com/archives/723(「国体文化」平成26〔2014〕年5月号所収)

 この八木秀次へ向けられた批判そのもののほうにも,なにかねじれた発想が控えているらしく聞こえる。おまけに,これが「尊皇主義」の絶対観念からの発想でもある関係もあるとなれば,「そちら同士で勝手にチャンチャンバラバラやって」いれば,それでいいのではないかとまで,突き放したくもなる。

 その点はさておき,八木秀次に一流である「天皇の玉あつかい」,前段の指摘によれば「みずからの意のままにならぬ天皇は不足の天皇だと云わんばかり」の発言内容が問題になっていた。

 さらにくわえていえば,日本の天皇制度においてその皇統の連綿性を堅持したいという論点に言及するさい,彼の脳ミソのなかは「Y染色体」一色に染め抜かれていた。ここまで来るとそれこそ,ほとんど完全に能天気「脳」だと診断されるに至る。

 欧州の王室のなかには,長子にその王位を継承させている国もある。関連する継承方法を参照しておく(下記の【参考資料】)。八木秀次の頭中を割拠している諸問題がいったいなんであったかは,あえて指摘するまでもない。ちなみに,八木秀次は,安倍晋三のブレーンの1人である。

 補注)たとえば,「アベ友と極右教科書をめぐる利権の構造(前編) 安倍首相のブレーン・八木秀次率いる極右教育団体に1200万もの公費が横流し!   教科書採択運動の裏にアベ友利権」『リテラ』2018.07.17 12:05,https://lite-ra.com/2018/07/post-4130.html)という記事もあった。

【参考資料】

       ◆ 諸外国における王位継承制度の例(概要)◆

 

  【男子優先】「デンマーク王国,スペイン,英国」  王の直系を傍系に優先,王の直系のなかで,男子およびその子孫を女子およびその子孫に優先。

 

  【長子優先】「ベルギー王国,オランダ王国ノルウェー王国スウェーデン王国」  王の直系を傍系に優先,王の直系のなかで,長子及びその子孫を次子以下の子およびその子孫に優先。

 

  【男系男子のみ】「ヨルダン・ハシェミット王国」  男子のみ,王の直系を傍系に優先,王の直系のなかで,長男子およびその男子孫を次男子以下の男子およびその男子孫に優先。ただし,王は弟を次期王に任命可能。

 

  【その他】「タイ王国」  王が,王族男子の中から,つぎの王位継承者を任命。王が王位継承者を指名しないまま王位が空位になった場合,枢密院は王位継承者名を内閣に提出し,内閣は承認を求めるために国会に提出。この場合,王女の名を提出することもできる。

 註記)「諸外国における王位継承制度の例(概要) 資料3」『首相官邸』ホームページ,https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai4/4siryou3.pdf

 ちなみに,八木秀次安倍晋三のブレーンとして報じられていたくらいであるから,彼のお里はもともとしれていた。くわえて,安倍が天皇たちをどのように “あつかってきたか” については,平成天皇(いまの上皇)に対して,安倍がどれほど無礼な行為を重ねてきたかを想起すれば,ただちに理解できる事情であった。

 

 「『愛子天皇』支持80%に見る秋篠宮家への国民の風当たり」『デイリー新潮』2019/05/20 05:58,https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-561895.html

 『女性天皇,79%賛成』 新天皇即位の折もおり,これは『共同通信』が公表した世論調査の数字であった。皇室に詳しいジャーナリストによれば,

 「4月半ばには朝日新聞も同様の調査をおこな,容認は76%に上りました。仮に皇室典範が改正され,女性天皇も認められるとすれば,その筆頭候補は天皇陛下の長子である愛子さまですから,『愛子天皇』の実現を国民の8割が支持しているということになります」。

 ここ20年ほど,この種の世論調査をおこなうと,女性天皇への賛成はおおむね7割超に高止まりしている。

 「『男女同権』意識の浸透にくわえ,現在の皇族において,年若の男性は悠仁さまただ1人。その先に男性皇族が誕生する保証はありません。現行の『皇位継承者は男系男子に限る』という制度を維持するかぎり,皇室の存続は危うくなるという “論” が幅広く浸透してきたゆえと思われます」(同)。

 近代的な概念とは必らずしも相容れない皇室制度を「男女平等」なる思想で切ることの是非はともかく,こうした世論の傾向はさらに強まりそうだというのは,さる宮内庁関係者だ。(引用終わり)

 八木秀次安倍晋三も,こうした「国民の立場・考え」とは無縁の観念空間にまで,一気に飛翔していた,まさしく,とりとめもなく「トンデモ系の憲法学者と総理大臣」であった。簡潔にいえば「男女共同参画社会」とかなんとかは本当は認めたがらない,要するに男女平等などはととんでもないと思いこんでいるし,本心ではそれをけっして認めていないと推理できるのが,この2人でもあった。

 さきに( ⑤ のなかで)国体文化「論者」が,天皇は「主権の存する日本国民の総意に基く」存在だという〈日本国憲法流の御用学者〉などといった「ざれ言的な批判」を,八木秀次に向けて飛ばしていたが,完全に的外れであった。一方の八木秀次もまた「憲法天皇の問題」に関する理解(学問的な見解?)では,見当はずれの自説を打ち出し,これに固執していた。

 双方はくんずほぐれつして,まさにほとんど諧謔の様相を呈したごとき交錯を披露していたが,いまではただみぐるしいだけ……。

 

  「参考になる書評」

 「(書評)佐伯智広『皇位継承の中世史  血統をめぐる政治と内乱』」『朝日新聞』2019年6月29日朝刊22面「読書」

  ※ 現代に連なる皇室の祖型たどる ※

 平成から令和への代替わりが滞りなく終了した。本書は,皇位継承の問題を軸に古代から中世末までの政治史像を体系的に描き出したものだが,この時点で現代に連なる皇位継承天皇の親族のあり方の祖型は,すでにできていたのである。

 古代の日本は,父系と母系が同じ重みをもつ双系制社会であった。この文脈で古代の女性天皇を理解すべきである。摂関政治は,天皇藤原氏の「もちつ・もたれつ」の関係の上に,皇位の父子継承が実現した時代である。白河院はけっして最初から院政を志したわけではなかったが,院政が当時の社会状況に適合的であったために定着した。

 ただし,院の権力の源泉が幼年の天皇に対する後見にある以上,天皇が成人すれば主導権争いが生じる。そこで武士を巻きこんで保元の乱が起こった。そして承久の乱をきっかけに,武士(鎌倉幕府)が天皇の廃立を定めるようになる。ちなみに,皇位の父子継承が「確立」したのは院政期であって,「皇統」という言葉が院政期以降に用いられるようになった。

 ところで,鎌倉時代の後半になると皇統が分裂し(持明院統大覚寺統),両統迭立(てつりつ)の時代が南北朝まで続く。しかし足利義満南北朝を合一したあとは,天皇は権力と切り離され,皇統の分裂や移動は起こりえなくなった。後光厳(ごこうごん)院の皇統が断絶したとき,足利義教は7親等離れた伏見宮家の彦仁(ひこひと)王を後小松院の猶子として即位させた。

 つまり,現実に皇統が移動しても,養子関係を設定することによって,政治上は現代へとつながる直系継承の体裁がとられるようになったのだ。

 現代において,女性天皇女系天皇女性宮家の問題が論じられているのは,日本社会における家と女性との関係が前代までとは大きく変化しているからである。そこと伝統との間でいかに折りあいをつけるか。日本国憲法との関係を含め,円滑な皇位継承に興味をもつ市民にぜひとも一読してほしい好著である。

 註記)評・出口治明立命館アジア太平洋大学学長)

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