東京オリンピックの開催でスポンサーになった『朝日新聞』がその中止を訴える社説を書いた,すでに海外(先進国)からはコロナ禍の現状がボロクソに批難されているが,いまごろになってようやくまともな意見を提示した朝日新聞社

 万事が手遅れでモタモタと準備してきた「日本の五輪大会」である,開催予定の関連で一番の問題が新型コロナウイルス感染拡大に対する対応 であった,そのなかでスポンサー(オフィシャルパートナー)である立場のために,まともにモノをいえなかった朝日新聞社がようやく五輪中止を求める意見を公表した

 

  要点・1 いまごろ,ヨタヨタしながら「五輪は止めたほうがいい」と主張しても,はて,実際の説得力は?

  要点・2 1業種1社が従来は原則であった五輪パートナーに,大手紙のすべてがくわわるという異常な参加状況なかで,『朝日新聞』の社説がなんとかいってみた「まともな意見」だが,遅きに失した


 朝日新聞』2021年5月26日「社説」が五輪中止を主張

 本日 2021年5月26日,『朝日新聞』朝刊の社説をみて,いくらかだけだったが,ひとまずは驚きを感じた。やっとこさ,朝日新聞社が五輪の開催は止めようといいだしている。当初,五輪におけるパートナー(協賛・支援)企業は,1業種1社が原則であったところ,2020東京オリンピックの開催に当たっては,新聞業界の大手企業がこぞってそれに名を連ねるという〈異常な事態〉になっていた。

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 とくに新聞業界においては,大手紙のうち1社だけがオフィシャルパートナーに選定されるとしたら,読売新聞社がそれになるはずであったという。だが,ほかの朝日新聞社日本経済新聞社毎日新聞社なども,2020東京オリンピックの開催に対して資金提供をすることで,五輪開催関連の報道において不利な立場にならない条件を確保していた。

 しかし,コロナ禍(新型コロナウイルス感染拡大問題)が2020年1月段階ではすでに始まっており,この影響のために2020東京オリンピックの開催は,同年3月24日に中止決定を余儀なくされていた。

 その後,2021年2月の段階になると,JOCの五輪組織委員会会長であった森 喜朗が「女性差別」の舌禍を平然と重ねたあげく,なおも開きなおった態度までみせていた。その結果,森は,その地位から去ることを余儀なくされた。

 現在の時点でも「コロナ禍の影響」が,いったいいつごろになったら終息するのか,そのメドが立っていない。そのためにかえって,IOCの会長・副会長やJOCの幹部,五輪組織委員会理事たちの,きわめて傲慢で僭越な「五輪貴族的に悪質かつ狷介である運営体質」が暴露される経過が生まれていた。

 五輪関係組織のあり方は事実として,基本から「非常に傲慢な体質」を有していた。それが暴露され明らかになっていく過程のなかで,オリンピックという国際大運動会そのものに特有であったうさん臭さが,日本の国民たちの立場からも徐々に客観的に理解されるようになった。

 いまや,「オリンピックの開催」といった「五輪貴族たちにだけ意義:役得がある」かのような国際大運動会は,廃止にしたらよい。できれば,10年ぐらいでも時間をかけ,それに代わるナントカ世界運動会の開催を検討してみるべきである。

 コロナ禍のおかげがあったと表現したらいいのだが,そのようにまでいわせるほど今回における「2020東京オリンピックの開催」という〔当初予定の〕行事は,そのために費やされる「ヒト・モノ・カネ」すべてに関して,膨大に生じさせるほかない「ムダ・ムリ・ムラ」のひどさを,事実としてあらためてじっくり考えるための契機を与えてくれた。

 日本のマスコミ・メディアのうち大手紙4社は,2020東京オリンピックの開催に関して,オフィシャルパートナーとして仲良く並んで協賛・支援する企業になっていた。そのせいで,問題だらけというほかない「五輪のありかた」に対してまともに報道する足場をみずから片付けていた。

 しかし,今回その1社である朝日新聞社がようやく(いまごろでは「遅きに失した」とかいいようがないのだが),五輪中止を提言した。つぎにその全文を引用する。当方の寸評も随時はさみこんでおく。

 

    ◆〈社説〉夏の東京五輪   中止の決断を首相に求める ◆ 
         =『朝日新聞』2021年5月26日朝刊 =

 新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず,東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。

 この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人びとの当然の疑問や懸念に向き合おうとせず,突き進む政府,都,五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。

 冷静に,客観的に周囲の状況をみきわめ,今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。

 補注)関東地方の東京地区中心に,それも盛夏の時期(7月下旬から8月上旬にかけて),オリンピックという国際大運動会を開催するという計画じたい,狂気の沙汰に近い企画である。この事実認識は,日本側の立場であれば百も承知の気候条件である。

 その点からして,もともと大問題であった。コロナ禍が発生する以前は,この開催時期における気象の悪条件が,スポーツ選手にとってはもちろんのこと,観客やボランティアたちにとっても非常な悪条件となる点は,説明するまでもない「困難に関する事実」であった。

 1) 生命・健康が最優先

 驚くべき発言があった。国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長が先週,宣言下でも五輪は開けるとの認識を記者会見で述べた。

 だが,ただ競技が無事成立すればよいという話ではない。国民の感覚とのずれは明らかで,明確な根拠を示さないまま「イエス」といい切るその様子は,IOCの独善的な体質をあらためて印象づけるかたちとなった。

 補注)この段落の発言は「?」である。IOCの体質であるその独善性は,JOCとこの五輪組織委員会にあっても「勝るとも劣らずに」強烈であった。この事実はこれまでにおいてもすでに,日本側の「五輪貴族たち」が存分に披瀝してきた「傲慢僭越な〈日常的な姿勢〉」のなかに,たっぷり表出されていた。

 その事実は,「2020東京オリンピックの開催」が延期されたことによってこそ「炙り出された〈彼ら集団〉の鼻もちならぬ組織体質」であった。彼らの1人ひとりがきわめて驕慢な基本姿勢を表出できる人物像を,大なり小なり提供してきたと観察できる。

〔記事に戻る→〕 選手をはじめ,五輪を目標に努力し,さまざまな準備をしてきた多くの人を考えれば,中止はむろん避けたい。だがなにより大切なのは,市民の生命であり,日々のくらしを支え,なり立たせる基盤を維持することだ。五輪によってそれが脅かされるような事態を招いてはならない。

 補注)率直な感想をいえば,いまごろなってからようやく,この程度の批判を具体的に口に出したところで,その意味は半減(以下)になっている。1年前,否,最低,半年前でもよかった,これと同じ主旨の社説を書いていなければいけなかった。

 1年前・半年前のこうした中身なのであれば,それなりに受けとめられるべき〈社説〉〈社論〉でありえたかもしれない。しかし,現段階になって書いた「この程度の社説」を提示し,主張したところで,「それがどうした!」という印象が回避できない。

 まず恐れるのは,いうまでもない,健康への脅威だ。

 この先,感染の拡大が落ち着く保証はなく,むしろ変異株の出現で警戒の度は強まっている。一般へのワクチン接種が始まったものの対象は高齢者に限られ,集団免疫の状態をつくり出せるとしてもかなり先だ。

 そこに選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても,ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり,活動し,終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ,また各地に散っていく可能性は拭えない。

 IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい,この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。

 2)「賭け」は許されない

 選手や競技役員らの行動は,おおむねコントロールできるかもしれない。だが,それ以外の人たちについては自制に頼らざるをえない部分が多い。

 順守すべき行動ルールも詳細まで決まっておらず,このままではぶっつけ本番で大会を迎えることになる。当初から不安視されてきた酷暑対策との両立も容易な話ではない。

 補注)前段で「おおむね」「選手や競技役員らの行動は」「コントロールできるかもしれない」と断わっていたが,絶対にというのではなくて「おおむね」だと留保を残したところが,まだだいぶあやしい。選手や役員たちを選手村や指定の宿から絶対に野放しにする瞬間は,絶対に発生させないという「保障」は,どこの誰が完全に請けあえるのか? 報道関係者は? IOCの幹部〈五輪貴族〉たちは大丈夫か,勝手な行動をしないか。

 組織委は医療従事者を確保するめどがつきつつあるという。では,いざという場合の病床はどうか。医療の逼迫(ひっぱく)に悩む東京近隣の各知事は,五輪関係者だからといって優遇することはできないと表明している。県民を守る首長として当然の判断だ。

 補注)「医療従事者」のうちとくに医師が確保できたのは,「スポーツドクター」としての経歴を「五輪の場を介して積むことができる」からであった。この点,誤解のないように理解をえておく余地がある。

【参考記事】

 もちろんうまくいく可能性がないわけではない。しかしリスクへの備えを幾重にも張りめぐらせ,それが機能して初めてなりたつのが五輪だ。十全ではないとわかっているのに踏み切って問題が起きたら,誰が責任をとるのか,とれるのか。「賭け」は許されないとしるべきだ。

 補注)いまの五輪組織委員会の面々に,そのような責任問題の次元に関連する,まともな責任意識・職業倫理が備わっているようには感じられない。エリート意識ならば多分,タップリ背負いこんでいる人たちが,JOCとこの五輪組織委員会には多く混ざっているものの,この人たちの指導者(指揮官・統率者)としての資質をみるかぎり,感心できない。

 それに,五輪組織委員会はオリンピックの開催後は,いつか解散する。のちに発生する諸問題を彼らは〔組織集団として〕とらなくて済みそうであるとなれば,この社説が期待するごとき「責任問題」がどうなるかは,いまから分かりきっている。

 こうした認識は多くの市民が共有するところだ。今〔5〕月の小紙の世論調査で,この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。背景には,五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まっていることもうかがえる。

 補注)当該の世論調査は,五輪「中止」43%,「再延期」40%であった。それでも,菅 義偉君は「自分1人の利害得失のためだけに」「国家を私物化している立場にあるだけに」,五輪をなんとしてでも開催したいと欲望している。この首相のあの顔つき・目つきを観ていると,国民1人ひとりの命なんぞ,なんとも思っていないのかと疑われて当然であった。

 五輪は単に世界一を決める場ではない。肥大化やゆきすぎた商業主義など数々の問題を指摘されながらも支持をつなぎとめてきたのは,かかげる理想への共感があったからだ。五輪憲章は機会の平等と友情,連帯,フェアプレー,相互理解を求め,人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう。

 補注)五輪のかかげる理想「論」は,あまりにも大きく語られすぎていて,実質ではその空虚さを強く感じさせるほかない。完璧に商業五輪になっているにもかかわらず,アマチュア精神がまだ残っているように,「ウソっぽい演技がなされる舞台」がこの国際大運動会である。「ゆきすぎた商業主義」は,聖火リレーに伴走(先導している?)しているコンボイ行列(大型宣伝カーの行進)に表現されている。

 コロナ禍は,そうしたオリンピックを,このさい休止にしたらどうかと勧告している,と解釈できるのではないか。その五輪憲章の厚かましさ:図々しさは,世の理想全般にわたり最大限に,なんでもかんでも取り入れ,開陳しまくっているところに観てとれる。だが,はたして本当に,この国際大運動会の開催によって,そこに書かれている理想や目的が実現されているといえるのか?

 ブラック・ボランティアや感動詐欺ということばが,オリンピックという国際大運動会にまつわって登場している。商業主義が単にゆきすぎたごとき問題ならば,そのようは非難は出てこない。労働貴族ということばと併せて考えてみる「五輪全体の問題像」は,単にえげつないのだというオリンピック理解にたどりつく。

 かつてであれば,1964年10月に開催された東京オリンピックのように,日本が本格的に先進国入りするための,正式行事みたいな国際大運動会ならばまだしも,「失われた10年」をすでに3周回重ねてきたこの日本が「オリンピックの開催」などおこなう必要性は,もとより皆無であった。しかも,五輪を開催したら,この日本の現状はもっと悪化するしかないのだから,悲観的にいってオメデタイ

 国税や都税の負担なしで勝手に日本のどこかで開催するならばともかく,いまでは後進国的な落ちこぼれ国家にまでなった,と指摘されるほど哀れなこの国である。そのおうになっていると,みずから嘆く識者もいるなかで,五輪を開催すれば「なにかまたいいことが起きる」みたいに,いまだに蜃気楼を追うごとき姿は,コッケイを通り越している。つまり「悲劇者が演じる」「笑えない悲劇」の公演になりそうである。

 3) 憲章の理念はどこへ

 ところが現状はどうか。

 コロナ禍で,競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ,それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され,事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した,各国選手と住民との交流もむずかしい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。

 人びとが活動を制限され困難を強いられるなか,それでも五輪を開く意義はどこにあるのか。社説は,政府,都,組織委に説明するよう重ねて訴えたが,腑(ふ)に落ちる答えはなかった。

 それどころか誘致時に唱えた復興五輪・コンパクト五輪のめっきがはがれ,「コロナに打ち勝った証し」も消えたいま,五輪は政権を維持し,選挙に臨むための道具になりつつある。国民の声がどうあろうが,首相は開催する意向だと伝えられる。

 補注)次段で「そもそも」という表現が出ていたが,その前にここでも「そもそも」「コロナに打ち勝った証し」という幻想を抱き,これを国家「力」の証明に悪用しようとした意図からして,完全に誤った為政に突進していた点が強説されていい。

 そもそも五輪とはなにか。社会に分断を残し,万人に祝福されない祭典を強行したとき,なにをえて,なにを失うのか。首相はよくよく考えねばならない。小池百合子都知事橋本聖子会長ら組織委の幹部も同様である。(引用終わり)

 菅 義偉君も小池百合子君も橋本聖子君も,以上のように表現された「2020東京オリンピックの開催」の問題を,国民生活の立場に即して考えてきたとは,とてもではないが思えない。

 菅はいまでは,首相という自身の地位を延命させるために生きている政治家である。

 小池は,自分が得意とする「緑のタヌキ」的な化け術の新ネタ開発,その適用をする時期にばかりこだわっている。

 橋本君は五輪メダリスト的な非常識人(パワハラ・セクハラ歴あり)にしか映っていない。

 以上のごときに,ずいぶん遅れて表明されたのが,本日『朝日新聞』社説の「2020東京オリンピックの開催」 反対論であった。この反対論,出ないよりは出たほうがましではあった。だが,その間における〈時間の経過〉がその価値を大きく減損した。1年前に同じ意味の社説を,朝日新聞社は書けたか? ムリであった。それをいまになって,いってみたところで,遅すぎた点になんら変わりない。

 

  だが,五輪がなにかまだ役に立つかのような特集記事も,なにかとのバランスをとるかのようにして,掲載されている。

 『朝日新聞』本日朝刊16面「〈thinkgender〉ジェンダー平等を,五輪レガシーに 橋本聖子・大会組織委会長に聞く」というインタビュー記事は,② にとりあげた「社説」と矛盾がなにもないのか?

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 この橋本聖子・JOC五輪組織委員会会長にインタビューした記事は,② の社説となんらかのバランスをとるために組まれていた〈毒消し〉のための記事だった,と観ておく。ごく自然にうがった観方をしておき,そのように受けとるほかなかった。

 要するに,② で言及した話題にくらべたら,このインタビュー記事は,かなり軽量級である。フワフワした話題に聞こえる。対する社説のほうは,相当にきびしい論調がめだっていた。

 しかし,橋本聖子会長に対するこちらのインタビュー記事も掲載しておくので,「相殺的に考慮してもらえる?」,社説のきびしい論著の批判のほうは「勘弁しておいてよね!」という狙いがあったのかもしれない。

 同じ『朝日新聞』朝刊の33面「社会」には,五輪関係に関するこれまでの連載記事が,なおつづいて配置されている。今日のおけるその見出しは「〈東京 2020+1〉細るナショナルハウス   交流拠点,観客制限で次々見送り」である。

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 つぎは『日本経済新聞』本日朝刊1面冒頭段落・部分である。これは,五輪を否定する記事になりえても,その逆になるとはとても思えない。

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 現状における日本の政治状況は,いわせる人にいわせたら,戦前・戦中の

  ノモンハン事件1939年5月~9月,満州国モンゴル人民共和国のあいだの国境線をめぐって発生した紛争)※-1, 

  ガダルナカル島をめぐり繰り広げた戦争(1942年8月以降)※-2

  インパール作戦1944年3月から1944年7月※-3

などに似ているのが,コロナ禍に対峙してきた日本国政府の記録であり,その「新型コロナウイルス感染拡大問題と闘うデタラメな基本姿勢」が経てきた過程だ,と批判されている。

 補注)「旧・日本軍の失敗」にみられる兵站

 ※-1 このノモンハン事件では,旧日本軍の装備(兵器・武器)の水準がソ連に対して完全に劣っていた事実が鮮明になっていたが,この事実がその後に活かされることがなく,ごまかしてきた。敗戦時まで,基本的にそのままであった。

 

 ※-2 日本軍はガダルカナル島で,物資の補給ができない戦いを否応なしに強いられていた。「餓島」と呼ばれるほどひどい戦況に追いこまれていた。旧日本軍の死者のうちその6割は餓死していたと報告する専門研究書がある。

 

 ※-3 インパール作戦は連れていった運搬用の牛を,途中で食糧に当てろというむちゃくちゃな作戦を企画した。その結果,敗路の道ばたには「野垂れ死にした兵士たち」の「白骨街道」ができたという。

 ところで,菅 義偉君はなぜ,あいも変わらず五輪開催にこだわっているのか? この首相はいったい,なんのために総理大臣をやっているのか? 実にくだらないこの国にしている。

 安倍晋三君の時と同様,わけの分からない「ヘンテコな国家最高指導者たち」が,ヨタヨタとよろめきながら,この国を私物化運転している。われわれはこれからもしばらくは,この体たらく政権がつづくことを覚悟するほかない。まことにみじめな風景になっている。

 五輪を開催してもしなくても,以上に指摘した日本事情に大きな変化は起こりえまい。本当に “情けないお国” になってしまったものである。『美しい国』をめざすなどと醜く盛んに吠えていたのは,どこの誰であったか?

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