国家神道・神社神道・教派神道・民俗神道など日本における神道のあり方は,皇室神道との関係性がある状況のなかで,いまだに宗教の次元にまで本格的に脱皮できていない未熟さ,その由来と背景

 敗戦後においても,国家神道としての靖国信仰が,日本古来の一般神道の「本然的・自然的な成長・発達」を疎外し抑圧 してきた,靖国信仰は明治維新以後,帝国日本が侵略路線を生半可に正当化するために創作されたがゆえ,「本来の神道」を「歪曲させる役目」を果たしてきた

 

  要点・1 皇室神道を天上に戴くかのようにして,もろもろの神道各派が存在させられているかのように映るこの国,信教の自由が保障されるわけがない

  要点・2 20世紀の終わりが来るころから21世紀の初めにかけて問題となった,国学院大学内の「学問の自由」に対する「弾圧行為」に相当した事件の発生を回想してみる

  要点・3 日本には「宗教」と呼ぶに値する神道「信仰」は存在しうるのかと問われたら,大いに疑問ありと応えるほかない

 


  は じ め に

 三橋 健(1939年生まれ)は,元国学院大学文学部神道学科教授,博士(神道学)である。神道関係の著作として,つぎのものがある。なお,ここでは1996年までの著作しか挙げていない。

 『神典日本書紀』いけがや書房,1996年。
 『国内神名帳の研究』おうふう,1995年。
 『神々の原影』平河出版社,1995年。
 『神 道』大法輪閣,1995年。
 『ロザリヨ記録』平河出版社,1986年。

 さて,本日のこの記述がとりあげ,議論する「靖国信仰の原質」は,三橋が助教授だったころ,『伝統と現代』第15巻第1号(通巻第79号)1984年4月に寄稿した論文の題名である。


  1984年の出来事

 三橋のこの論稿「靖国信仰の原質」は副題にあるように,靖国信仰の本質にせまる論究をおこなった。だが,この論稿のせいで,該当年度に三橋が担当した授業をうけた國學院大学文学部神道学科の学生たちは,他の教員のおこなう補講講義をうけさせられ,単位の再認定を受けるはめとなった。

 三橋のその論稿は,靖国信仰が “war shrine” である点を否定する内容であった。そのため,靖国神社関係筋などから猛烈な批判をうけ,該当年度に三橋の担当した授業内容が認められない結果となってしまい,他の教員を当てて補講授業をやりなおす措置を講じた,というわけである。

 以上の出来事が大学教員にとって意味することは,授業の内容に容赦なく容喙がくわえられ,そして研究の自由が奪われたことである。

 いわば,國學院大学の特定教員の教育と学問が圧迫をうけ,全面否定される状況が生じた。その後,三橋の身分がどうなるか関心がもたれたが,現在(この文章が書かれた時)は教授であるから,当人は,そうした波乱を乗りきってきたものと思われる。


  神道神社の本義

 それでは,三橋「靖国信仰の原質」に聞こう。
 
 1) 明治以降昭和20〔1868~1945〕年まで日本政府は,神社の国家管理体制を維持してきた。

 とくに,神社は宗教に非ずとして,すなわち神社を宗教の圏外におき,神社に対しては故意に「信仰」という語を避け,もっぱら「崇敬」の語をもちいた。

 しかして,神社を崇敬することは,たとえキリスト教信者であれ仏教徒であれ,あるいは無神論者であっても,日本臣民たるものの義務であるとし,もし,これに違反すれば,国家の安寧・秩序を妨げるものとされた。

 2) 明治22〔1889〕年2月11日に発布された「大日本帝国憲法」の第28条に,「日本臣民ハ,安寧・秩序ヲ妨ケス,及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ,信教ノ自由ヲ有ス」とした。

 つまり,日本臣民たるの義務である神社の「崇敬」に背かざるかぎりにおいて,という限定づきでの〈信教の自由〉であった。

 3) 三橋はいう。しかしながら,私の専攻する神道学の立場からいえば,靖国神社はまさしく宗教の圏内にはいるべきものである。

 現行の祝詞などにしばしば出てくる「崇敬」という語のうらには,神社を宗教のそとにおくという,国家神道時代の面影がしのびよってくるように感じられる。

 4)靖国」や「護国」という社名の内容は,文字どおり「国を安らかにする,国家を安泰ならしめる」,なおいえば「平和な国をつくる」という意味である。

 したがって,そのような神社に祀られている2百4十万余柱の靖国の神たちも,その名のしめすように,

  a)  平和な国を願う神であり,
  b)  国家間での戦いや争いを憎む神,すなわち
  c)  戦争が大嫌いな神であり,さらにいえば,
  d)  戦争を引きおこす国家悪や為政者などを憎悪し,批判する神なのである。

 5) 要するに靖国の神は,国を戦争へとみちびくような軍閥や官僚などの為政者にとって,もっとも恐ろしい存在なのである。

 追記)本日のこの記述にとって参考になる,つぎのブログの文章を引用しておく。


        靖国問題で思い出すこと ★
   =『WATERCOLORS ~非哲学的断章~』2006年08月07日,             https://blog.goo.ne.jp/hiraizumikiyoshi/e/02397e3d154f954905bbb44626dc49c3

 

 昭和天皇靖国A級戦犯合祀に不快感を示したという富田メモが公表されて以来,靖国神社をめぐる議論がやや活発化している。靖国問題といえば,思い出すことがある。

 補注)「富田メモ」の存在は,『日本経済新聞』2006年7月20日朝刊に1面冒頭記事として公表・報道され,大きな話題となった。

 

 1984年,当時國學院大學文学部神道学科の助教授だった三橋 健氏が雑誌『伝統と現代』に掲載された「靖国信仰の原質」という論考のなかで,靖国神社に祀られた霊が「英霊」であることを否定し,国家の誤った政策により意に反して死んでいった怨霊神・御霊神であると論じたのである。

 

 三橋氏によれは,このような怨霊神・御霊神信仰は伝統的な神観念であり,靖国神社の霊も例外ではないというのである。したがって,靖国の霊は,戦時中の為政者たちを憎む霊であり,平和を願う霊であるというのだ。

 

 三橋氏は戦争の神社としてではなく,平和の神社として靖国神社をとらえかえそうとしたのであるが,その結果導きだされたのは,近代の中で靖国神社が果たした役割と,A級戦犯を合祀した靖国神社という存在そのものが靖国の霊たちを冒涜している,という衝撃的な結論であった。

 

 靖国神社じたいが靖国の霊を冒涜するという論旨は想像を超えたものであったが,それが専門の神道宗教学者によるものだということがまた驚きであった。

 

 ところが,三橋氏は靖国神社関係者や神道界などからの激しい攻撃にあうことになり,神道系大学である國學院大學神道学科は,その年度の三橋氏の担当した授業内容を認められないものとして,他の教員の補講によって単位の再認定をおこなうという策を講じた。

 

 まったく,ひどい話だ。これが日本だ。私の国だ。そう考えると絶望的な気持ちになったものだ。あれから20数年,社会の状況は大きくかわったが,靖国をめぐる基本的な構図は変化していないようにみえる。

 

  日本の神々

 1) しかしながら,神社の建物は新しいとはいえ,靖国信仰の原質や靖国の神の観念というものは,日本の村や町に散在している伝統的な神社や,そこに祀られている神々と本質的に変わるものでなく,その源流は悠久の神代にまでさかのぼることができる。

 2) たとえば,農民の犯した罪を背負って,無実の罪でありながら底っ根国(そこのねのくに:地獄のようなところ)へと追放されていったスサノヲノミコトを信じ尊ぶこころと,悪政のため戦場へと駆り出されて,ついには殺されていった靖国の神・護国の鬼たちを信じ尊ぶこころとは,軌を一にするものがある。

 3) 日本の神社に祀られている神々の多くは,

   ① 神が,
   ② 人間〔多くは処女〕の胎内を借りて,
   ③ 権り(かり)に人間として生まれ(現われ),
   ④ 人間のもろもろの苦楽をなめて,
   ⑤ ついには無実の罪によって殺戮され,
   ⑥ やがて神として蘇り。
   ⑦ 衆生を救う身(神)となる。 

 とくに重要なのは,⑤「ついには無実の罪によって殺戮され」という段階である。すなわち,なにも罪を犯さないのに,むごたらしく殺されたということ,これが神として祀られる,もっとも重要な条件のひとつなのである。

 これを神道の用語でいえば,「祓え(はらえ)」である。つまり「祓え」とは,無実の罪(免罪)をきせられて,はらいものにさせられることである。


  戦争の神か平和の神か

 1) ところが,為政者らは靖国の神・護国の鬼たちを,たとえば国防意識の高揚のために利用して,あるいは利用しようとして,靖国の神・護国の鬼たちは「国家のために勲功をたてて戦死した英霊である」とか,「名誉の戦死をとげた英霊である」などと,あたかも英雄神のように褒めたたえて,これを祀ろうとするのである。

 2) しかし,そのような説明が,いかにも形式的であり,その場のがれの建前論にすぎないことはいうまでもない。靖国の神・護国の鬼たちの本音を伝えるものではないように思える。

 3) 靖国の神・護国の鬼たちは,国家のまちがった政治によって戦地に駆り出され,あげくのはては無実の罪でありながら殺戮されたのである。つまり,国家悪のために殺された神なのである。したがって,靖国神社護国神社に祀られている神たちは,怨念をもった,いわゆる怨霊神・御霊神なのである。

 4) 靖国の神・護国の鬼たちは,死にたくて死んでいったのではない。むしろその逆で,生きていたかったのであるが殺されたのである。だから,死んでも死にきれないというのが本音である。

 5) それゆえに,呪い,たたりの神であり,成仏を願わない神である。それはあたかも眼をみひらいたまま処刑された,佐倉惣五郎に共通するものがある。

 6) 靖国の神たちが眼をとじて,本当に成仏できる日がくるのは,この地上から戦争がまったく亡くなる時なのである。


  靖国信仰とはなにか:「不戦の誓い

 畢竟するに,靖国の神の誓いは,「不戦の誓い」である。戦争によって殺されたがゆえに,再び戦争の惨禍がおこることのないようにすることを本誓としている。

 したがって,その神のまえに立つものは,何億何千という市民を殺戮するような戦争は,絶対におこさないとの決意を新たにするのである。

 これが靖国信仰の本義なのであるが,それを政治に利用するために,建前論だけでもって説明する傾向があるのは,靖国の神を冒涜するものである。 


  国家目的のための靖国神社

 以上,三橋の見解は,神道宗教である靖国信仰の本義を説明したものである。

 しかし,この見解は,戦争神社の本質を維持したいと考える,靖国神社・封建的保守政治家・遺族会・旧守右翼組織・盲目的国粋団体など,関係筋の猛反発を受けてしまい,如上のような事後の関連措置をせまられた。

 三橋が靖国の本質だと説明する内容は,わかりやすい。「不戦の誓い」を靖国神社にむすびつけるみかたは,従来の靖国理解に比較して画期的である。

 いいかえればそれは,生きている側において,亡き者となった人びとに対して自然にわき上がる,「死者を弔い,悼み,慰めるという宗教感情」をいい当てたものである。

 もっとも注目すべきは,「国家のために勲功をたてて戦死した〈英霊〉」=建前論を,三橋が認めていないことである。

 だが,靖国神社は本来,戦争を奨励し,戦場で敵をよく殺せる,戦闘に強い人間を育てるための宗教施設として創営されていた。

 したがって,そうした目的にそって靖国神社を利用したい為政者や関係者にとって,またこの靖国神社や,これを支持し応援する組織・団体は,三橋のような平和志向,反戦的な神道宗教観を,絶対に許容できなかったのである。

 すなわち,三橋 健は,“戦争神社”ではなく,“不戦神社”という理解をもって靖国神社を定座させる論稿を,公に流布させた。このことは,靖国神社がわや関係組織・団体にとって,とうていうけいれがたい宗教的な価値観=学問観の提示であった。

 ここで,こういう相違に触れておく。

 「日本古来の神道」=森羅万象の,つまり,この地球上に存在する生きるものすべての〈死〉を,わけへだてなく祀って,慰霊する儀式をおこなう。

 「靖国神社」の神道明治維新以降,天皇の忠義をつくした臣民にかぎって選別し祀る方式をとる。数多くの戦争・紛争で生じた被害者すべてを祀るわけではない。

 国内的にはたとえば,1868~1869年の戊辰戦争では,勝ち組だけを祀っている。戊辰戦争は,王政復古後の新政府軍と旧幕府軍の戦いであり,新政府が反抗する諸藩や旧幕府勢力を平定し,明治国家の基礎を固めた〈内戦〉である。

 通常は,靖国神社の存在:施設:機能:イデオロギーを,すこしでも批判する勢力があればこれをとらえて,「靖国の神を冒涜する」するものだといきり立って反発するのが,靖国神社がわに立つ諸集団・諸組織のつねであった。

 だが,こんどは逆に,靖国神社〔の建前論〕こそ「靖国の神を冒涜する」施設であると,三橋が論断したのであるから,ただならぬ事態を招いたのである。

 三橋は,「日本の村や町に散在している伝統的な神社や,そこに祀られている神々と本質的に変るものでなく,その源流は悠久の神代にまでさかのぼることができる」と,神道・神社に関する理解をしめしていた。

 ところが,この理解は,国家の保護・支援をうけてきた宗教施設である靖国神社が喜ぶ解釈であるどころではなく,その正反対である,

 靖国神社は,全国津々浦々の村や町に散在する神社とは別格であらねばならず,国家の教義〔目的・理念〕と密接に連係する施設と位置づけられたから,三橋のような解釈は,靖国を支持する関係者にとって,とうてい許容できないものである。

 神道の考えは,「人間を神として祀り,人間が神と一体となりうる性質をもつ」ことを強調する。さらに,その神に祀られている人々の事跡を推考してみると,大部分が村・町・藩・国家など共同体のために自分を犠牲にして最善をつくしている,とも説明される(安蘇谷正彦『現代の諸問題と神道神道神学試論Ⅱ-』ペリカン社,2001年,200頁,201頁)。

 しかし,神道のこの考えには,21世紀に生きていかねばならないわれわれにとって一番の関心事,いいかえれば,個人・主体・人間という存在をどう把持するのかという点に関する哲学的〔神学的?〕な思考が,完璧といってよいほど欠けている。

 個人・主体としての人間は,「村・町・藩・国家など共同体のため」にだけ生きているのか。それとも,人間という個人・主体のために「村・町・藩・国家など共同体」が存在するのか。もちろんこの問いは,二者択一ではない。

 それにしても,このようにもっとも肝心で重大な問題,いわば,民主制政治への眺望を断ち切っていながら,それでいて,一国の政治を神道上の祭り=祀りごとに牽強する宗教観は,はたして,21世紀の今に存在する意義がありうるのか。

 --戦前,兵隊にとられる帝国臣民たちがまず,鎮守の杜,地元の神々を祀った各々の神社に参って祈願したのは,戦場では「弾に当たらず」無事であり,故郷に「生きて還りたい」ということであった。

 ところが,彼らが兵士となって戦地に出むくに当たって,国家のための神を祀ってある靖国神社に参拝させられ覚悟〔強要〕させられたのは,戦地でみごと「死ぬこと」,そして「英霊」=神となってそこに祀られよ(!)ということであった。

 靖国神社は,軍神を祀る神社である。それでは,「軍の神」とは「誰」か?

 「武運長久」という日章旗によく寄せ書きされた4文字は,戦場に赴く兵士たちに贈られた文句のうちでも,もっとも多く使われたものであった。要は「生きて還ってこい!」という符牒(合いことば)であった。


  日本の国家神道とアジアの関係

 筆者の問題意識に即して批判すると,三橋の議論には,なお問題があった。それは,自国の民たちしか念頭におかない認識であることである。

 三橋は「靖国の神・護国の鬼たちは,国家のまちがった政治によって戦地に駆り出され,あげくのはては無実の罪でありながら殺戮された」という。

 だが,日本の人々が戦ったとき,その戦地はどこにあったのか。また,日本の人びとがその戦場で人々を殺戮せざるをえなかった彼我の関係性を,国家のせいにだけできるのか。

 敵地といわれた場所で,よその国々の人々を「殺したくて殺したのではない」,あるいは,自身は「死にたくて死んでいったのではない」と表現できたとしても,はたして,日本の兵士たちが完全に〈無実の罪〉だったといいきれるのか。

 なかんずく,靖国神社に祀られる人びとは,国家の意志にもとづき限定されている。いわゆる国家が認めた〈英霊〉だけが,その靖国に祀られている。

 だから,英霊という名称は,この国家が「明治に創成した」旧来的な価値観にかなった者にのみ,与えられる〈尊称〉である。

 たとえば,蒙古が襲来したとき仏教は,自分たちの命や土地や財産を守るために死んだ武士・犠牲者だけでなく,襲来してきた敵の死者たちもふくめて供養した。

 しかし,国家神道ではあっても靖国神社もやはり,神道宗教として汚れを嫌う宗教組織であるから,そもそも,そういう弔いの場面にすら出てこようとはしない。

 だから〈英霊〉とは,いったいなんのため,誰のために存在する「霊」(御霊:みたま)のことなのか,ということを考える必要がある。

 第2次大戦末期,日本の都市の大部分がアメリカ軍重爆撃機B29による無差別殺人的な空襲を受けた。そのために死んだ人びとは,戦場で戦闘をおこなって殺されたわけではないから,靖国とは無縁である。

 靖国神社に祀られている人びとはたしかに,三橋の表現〔規定〕するかたちで死んだ者を,たくさん含んでいる。けれどもそれと同時に,三橋の論旨により忠実にしたがうなら,「靖国神社に祀られる資格のないような人びと」も,そこには,たくさんとりこまれていることを,忘れてはならない。


  もうひとつの問題:アジアと日本の神社

 結局,三橋の論稿「靖国信仰の原質神道-宗教の立場から靖国信仰の本質にせまる」は,靖国神社やその筋関係者たちの,並々ならぬ憤激を呼びおこしたわけである。

 三橋のしめした靖国神社「観」は,そこに祀られる人びとを,国家が定めた基準によって選別することを是とする靖国神社の「価値」観を,まっこうより否定する,許しがたい造反であった。

 しかしながら,三橋の靖国神社解釈は,アジア諸国の側にいる人びとにとっては,なお,きわめてかたよった日本的な宗教観である。

 つまり,三橋は,日本国内の宗教問題として,靖国神社に関する信仰観を論究した。だが,その宗教信仰問題は,アジア諸国・人びととも不可分の歴史的経緯を有している。

 その関連事情に関する究明をしない三橋「靖国信仰の原質神道」の主張は明らかに,靖国神社問題にかかわる〈もうひとつの問題点〉を放置している。

 三橋がとりあげた靖国神社を代表格とする日本国家神道は,敗戦までアジア諸国に数百の神社を建立してきた。ここで,その末路は指摘しない。

 そうしたアジア各域の日本神道宗教史を抜きに靖国信仰問題を語ることは,この問題の重要な一面をみないものである。

 「海外神社成立の歴史は,そのまま,国家神道を先遣部隊とする宗教国家日本のアジア侵略の軌跡であった」(戸村政博編『神社問題とキリスト教新教出版社,1976年,31頁)。 

 ここではさらに,嵯峨井建『満洲の神社興亡史-日本人の行くところ神社あり-』芙蓉書房出版,1998年を挙げておく。


 10 さらなる問題:普遍性ある国へ

 加藤周一の寄稿文にすこし耳を傾けよう(『朝日新聞』2001年9月21日夕刊「夕陽妄語」参照)。靖国神社の本質を考えるうえで,非常に参考となる論及がある。

 鎖国の日本に,すくなくとも大衆にとっての〈ナショナリズム〉はなかった。明治政府は富国強兵策をすすめる過程で,上から大衆の〈ナショナリズム〉を育て,その感情を国家神道の「イデオロギー」に収斂させようとした。

 

 国家神道は,天皇制日本と軍国日本の「イデオロギー」であり,その忠臣がそれぞれ伊勢神宮靖国神社であった。それは日本で訴え,外国で通用しないのは〔特殊性〕,昔もいまも同じである。

 

 最近,冷戦後の軍事同盟強化策,戦争賛美の言論,韓国や中国の国民を挑発する教科書の公認,森 喜朗前首相の「神の国」発言や,小泉現首相の靖国神社参拝など,あえて近隣諸国の神経を逆なでするような為政者の言動がつづいてきている。

 

 しかし,日本の〈ナショナリズム〉は一種のねじれがある。

 

 1) 敗戦後今日まで,日本の領土には外国の軍事基地があり,外交政策は外国に追随する。

 

 アメリカの専門家のなかには,日本をアメリカの衛星国とよぶ人さえある。そういう状況は,日本がわの〈ナショナリズム〉を喚起しても不思議ではない石原慎太郎はその最たる人物だろう。筆者注記〕

 

 しかし,その感情を表現するためには,アメリカはあまりに強大で,日本経済のアメリカ依存度はあまりに高い。日米関係から生じる〈ナショナリズム〉は,そのはけ口をアジアの近隣諸国に求めているのかもしれない。

 

 中国や韓国の「内政干渉」を高唱する日本の論客は,アメリカの「内政干渉」には冷静である。

 

 2) 明治以来の伝統は,15年戦争の悲惨な経験にもかかわらず,いまも生きていて,〈ナショナリズム〉が軍備増強とむすびつく傾向がいちじるしい。

 

 しかるに今日の状況は,軍備増強は安保体制の枠のなかでのみ可能であり,それを歓迎するのは,日本国民よりも,アメリカの軍事担当者である。

 

 軍備を望めばアメリカ追随を強め,〈ナショナリズム〉をつらぬけばアメリカからの独立をとなえざるをえない。この「ねじれ」は,戦後日本の極右勢力の人気を抑えてきた要因のひとつだろう。

 

 3) 戦後日本は,国家神道に代わる〈ナショナリズム〉を発明しえなかった。〈ナショナリズム〉はその地域性を超える普遍的な,または普遍性を主張する価値〔目標〕をそれ自身のなかに呼びこむときに,またそのときにのみ,有力なイデオロギーとなる。

 

 しかるに本来,地域的な神道の神々をどのように組織しても,そこにたとえば,ローマ法や人権や民主主義に相当するような普遍性を与えることはできなかった。

 さて,三橋 健「靖国」神社論=「靖国信仰の原質」がとなえたのは,神社神道がその本来のかたちに還帰すべき〈本質〉面にかかわることであって,そして,そのことを再確認する宗教思想「論」の提示であった。

 日本の神社勢力は,「宗教である神道」を「この国の教育思想」の根幹に据えるべきことを主張する。そこでは,政教分離の原則などどこ吹く風である。しかも,政治の力にたよってそうした方途を実現させようとしており,時代の歯車を逆にまわそうとする試みである。

 だが,彼らは加藤周一も指摘するように,〈戦前:戦中の経験〉になにも学ばないどころか,皇祖皇宗という神話的教義〔!?〕をまたぞろ,この国の人びとの精神生活のなかに浸透させたいと盲信している。それゆえ,言語道断・支離滅裂の時代錯誤的な宗教観念を啓示しても,恬として恥じるところがないのである。

 「鰯の頭も信心から」「腐っても鯛」とは,よくいったものである。

 「地域的な神道の神々をどのように組織しても,そこに普遍性を与えることはできない」ことは,これまで日本における宗教界の歴史〔実績〕を観察すれば,得心のいくものである。

 1945年まで,旧日帝のアジア侵略に同伴していった国家神道および神道神社は,アジアのどこにその痕跡をとどめえたのか。皆無,絶無であった。

 「日本の神道」が多少でも普遍性ある宗教であったならば,日本が戦争に負けたにしても,アジアのどこかにその形跡を残していて,少しも不思議はないはずである。

 ひたすら「ケガレ」を「祓ふ」宗教に跼蹐する宗教であるかぎり,また,清い(浄い)宗教であることばかり願う宗教であるかぎり,さらに,人間の醜悪な生きざまと真正面から対峙し,格闘できる宗教でないかぎり,「各地方・各地域の八百万の神々という存在」に甘んじていればよい。それが,日本の神道の歴史的にも論理的にもかなった存在形態ではないか。

 神道当局は,日本において神道を信心する人口数が9千数百万人,と公表する。しかし,総人口で1億2千7百万人〔これに外国人がプラス約150万人(これは,執筆当時の統計・数値)〕もいるこの国で,それほど〔4人のうち3人〕まで信者がいる神道が,いまなお,世界にむけて普遍性を発信できない宗教にとどまっているというのは,まことに奇妙キテレツな事態である。

 同じ日本発でも,ほかの新興諸宗教のほうが,よほど海外進出の実績がある。


 11 アジアとくに「満州国」と日本の神社

 筆者は,以上の文章を書いたあと,約15年前に入手してあった,島川雅史「現人神と八紘一宇の思想-満州国建国神廟-」(立教大学史学会『史苑』第43巻第2号,1984年3月)に,再び目を通してみた。

 島川雅史は,筆者が以前勤務していた職場で短期間同僚だった研究者であるが,こういう話題で対話をする機会はもてなかった。

 それはともかく,島川「同稿」から,このページの主張を論証してくれる記述部分を,以下に引照しておきたい。

 1) 旧満州地域・満州国に存在した日本の神社は,祭神規定をはじめとする諸規制にみられるとおり,天皇制政治思想の可視的支柱として,在満日本人のためにその地域へ移入されたものである。

 

 だから,満州国民の大部分をなす中国人の崇敬者の割合は,まったく無視されうるものであった。

 

 2) 教義上,天皇教・国体教たる国家神道世界宗教たりえず,世界支配を意図する政治権力と正当化すべき普遍的内容をもたなかった。

 

 3) そもそも,国家神道においては,世界的普遍性,あるいは異民族支配の観念は希薄であった。国家神道の領域支配の観念はあくまでも,日本列島にとどまるものであった。

 この島川「現人神と八紘一宇の思想」は,旧満州地域・満州国に数多く創設された〈日本の神社〉,そして,その国家神道神社神道としての歴史的由来や本質的機能に関する吟味をくわえている。

 靖国神社は基本的に,神道本来の宗教的な想念や思惟を備える施設というよりも,むしろ,国家イデオロギー的な政治思想を支える役割を強くもっている。この性格は同時に,伊勢神宮の本性を現わすものである。

 つまるところ,靖国神社伊勢神宮も宗教的性格においてまさに,日本国限定版であって,国際的普遍性を寸毫も有しない宗教機関である。今風にとらえれば,残念なことに,国際的標準をわずかも含有していない宗教・宗派である。

 日本国あるいは「日本人・日本民族」を対象にした布教に限定されざるをえない宗教:「日本神道」の個別的な特殊性は,世界にむかって拡散しうる一般的な普遍性を有しえなかった。

 神道宗教はそのかぎりで,日本国や「日本人・日本民族」内に跼蹐,収束,内攻しつづけるほかない運命を,未来永劫,背負っている。

 皮肉ないいかたをしよう。日本の国家神道神社神道は,アジア侵略の精神的=宗教的な尖兵たりえなかった。つまり,旧日帝のアジア侵略にとっては,手助けの下手だった日本の宗教が,神道宗教であったことになる。

 日本の首相が靖国神社に参拝するという「宗教的な行為」は,アジア諸国に対する〈過去的な罪悪性〉のみならず,〈現在的な反時代性〉すら認識できないという,知性と感性における「重層的な,さらには,歴史的かつ論理的な無知・無為」を,みじめにもさらけ出したものである。

 むろん現在,海外に移住した日本人集団・社会のなかに創営され,維持されている諸神社もあるが,以上の論旨になんら影響を与えうるものではないことは,説明を要しない点である。 


 12 伊勢神宮靖国神社

 1890〔明治23〕年に起草された格調高き漢語調の教育勅語は,皇室中心主義のうちに〈国家と民族と公共倫理のすべて〉を無理やり押しこんでいた。それが「無理やりな作為」だったことは,当の起草者たちが自覚していたところである。

 彼らは,欧米のキリスト教に当たるものが近代国民国家には必要だと認識し,それに当たるものとして,仏教・老荘儒教などを消去法で考えていって,結局,皇室中心主義に舞いもどったのである(新田 滋『超資本主義の現在』御茶の水書房,2001年,212頁)。

 いまの時代にあってなお,その教育勅語を復活させようと試みる,日本の指導者たちがいないわけではない。頑迷固陋なそうした思考方式を構える人びとの心には,皇室中心主義が控えており,たいそう始末が悪い。なぜなら彼らは,民主主義の理想・現実にとって,宿敵あるいは宿痾を意味するからである。

 皇室一族が私的に信心すればよい神道宗教,その物的施設であるはずの伊勢神宮は,現在もなお実質的に国家に支援されている,といっていい神道上の機構物である。

 そのことは,死亡した昭和天皇のおおがかりな葬儀執行,古墳のような墳墓の構築,平成天皇皇位継承の儀式などを回顧すれば,一目瞭然である。

 日本はあいかわらず,「皇国」=「神国」ではないかと思わせたい「疑似宗教的な国家」の政治体制をとっている。

 敗戦後,この国の歴史に刻みこまれてきている「天皇制と民主主義」との本質的な関連性は,いかに理解されるべきか。この深刻な問題点を真剣に考える研究者が,いないわけではない。

 だが,インテリゲンチャにせよ庶民にせよ,この国が《天皇制民主主義》という「形容矛盾の古代的な政体」を構えている事実に,なぜか,基本的に鈍感である。あるいは,それに関する議論からは必死になって逃げまわている。

 天皇制,天皇一家の存在を日本国の象徴と措定する「現憲法の摩訶不思議:人間を人間の象徴に置くという〈逆立ちした規定〉」は,マッカーサーが敗戦後,内心では日本人の精神年齢を「12歳」とみなす状況において,与えられたものである。

 そしてまた,伊勢神宮は,日本神道の頂点に据えられた皇室用の宗教施設である。そうだとすれば,この伊勢神宮の向かい側に対置される靖国神社は,日本社会の底辺全体に向かって,神道的な宗教精神を普及・浸透させるための,庶民〔=臣民〕用の施設として存在するものといえる。

 ところで,伊勢・靖国神社の宗教精神が政治的に企図するものはなにか。

 すなわちそれは,〈国家と民族と公共倫理〉の問題にまつわるすべての個人・集団・組織が,国家⇔民族⇔社会という〈全体的な統合面〉においてこそ,意味あるものとなるべきだ,という理念・目標にみいだせる。

 いいかえれば,個人とか家族とか会社・政党などすべては,〈全体=国家:民族:体制〉に収斂される方向:価値観をとるばあいにのみはじめて,有意義たりうるとみなされるのである。

 21世紀にはおよそふさわしくない,そのような思念・観想を,この国はいまだ後生大事にしている。

 もとより,靖国神社の宗教意義的な役割は,国家-民族-体制のために躊躇することなく死ねる臣民をつくり出すことであり,そして事前にその彼らを精神的により強く武装することである。

 過去,帝国主義の路線を採った日本という国家は,近隣諸国を侵略,人的・物的な諸資源を掠奪し,もちろん人命など虫けら同然にあつかった。それもこれも,靖国神社の宗教〔?!〕的教化が効果を挙げえていたからこそ,なしえた蛮行である。

 江戸時代までの封建精神を否定し,これに代わって明治開闢以来の日本帝国を精神的に結束させ,高揚させるための国家的機能をもたされた「神道という宗教」は,後発せざるをえなかった資本主義国:日本に固有の〈精神的悲劇:国家次元での病理的ディレンマ〉を,運命的に背負ってきたのである。

 なぜなら,近代という新しい世界に門出していくために旧日帝が用意しえた時代精神が,古代のそれ〔→神道的な世界観と社会秩序:古層〕に拠らねばならなかったとすれば,これが喜劇でありえないとしたら,悲劇以外のなにものでもなかったからである。

 明治維新以降の日本は,いわゆる「ボタンのかけちがい」をしたのだが,いまだそれをなおせないかのように映る。とはいえ,人の思いこみというのは,恐ろしいものである。

  まず,自分たちを洗脳し,まちがった指図を出してきた「国家体制とその宗教精神」がある。

 

  つぎに,自他を問わず個性や人格を完全に否定されてしまい,その効果あってか,なんの疑問も抱かず異国・他土を蹂躙しにいき,そこで,他民族・他者を抹殺することを命じられ,たいして疑問ももたず,それに平然としたがってきたことである。

 

  さらに,そうした過去の行跡を事後にでもいい,良心の呵責を感じて反省するどころか,手柄話にして〔殺人,強姦,放火,掠奪などを〕自慢する,この国の庶民が多かった。

 以上,戦前⇒戦中⇒戦後にかけて,日本社会・日本の民衆全般をむしばみ,病膏肓にいったというごとき諸現象は,靖国神社宗教精神のみごとな開花であり,いってみれば精華であった。

 神社神道勢力においては,この国の子どもたちに対する宗教教育の材料に「日本の神道」を当てることを主張する識者もいる。前掲の安蘇谷正彦『現代の諸問題と神道神道神学試論Ⅱ-』ペリカン社,2001年がそれだが,これはもう,狂気の沙汰に近い提言である。

 いかなる宗教であれこれを教育の場にもちこむことは,慎むべきである。


 13 小泉首相靖国神社参拝と訪中・訪韓「おわび」趣旨声明

 小泉純一郎首相は2001年8月13日,前倒し的に,靖国神社を参拝した。この行為は,過去の戦争に対するアジア諸国・人びとの記憶を完全に無視するものであった。

 したがって,一国を代表する人間としてのその行為は,戦争に対する日本人側の「一方的な思い出」でしか考えず,靖国神社にいって,軍神〔=英霊〕たちを崇めたものである。

 ところが,2001年10月5日の新聞〔朝刊〕は,日本の首相の行動日程をつぎのように報じた。長くなるが,全文を参照する(『朝日新聞』2001年10月5日朝刊)。

   小泉首相,日中首脳会談で「反省とおわび」表明の意向 ◆

 

 1) 福田官房長官は〔2001年〕10月4日夜の記者会見で,小泉首相が8日に北京を訪問し,江 沢民国家主席,朱 鎔基首相と会談すること,さらに15日には,韓国・ソウルを訪れ,金 大中大統領と会談することを,正式に発表した。いずれも日帰りの予定である。

 

 2) 小泉首相は10月8日におこなう中国の江沢民国家主席との首脳会談で,日本の加害責任を認めた1995年の村山首相談話を踏襲するかたちで,日中戦争についての「反省とおわび」の趣旨を,みずからの表現で表明する意向を固めた。

 

 日中戦争の発火点となった北京郊外の盧溝橋も訪れ,近くにある人民抗日戦争記念館を見学する。日本の首相が盧溝橋を訪問するのは,1995年の村山富市氏以来2度めである。

 

 「反省とおわび」を行動でもしめすことで,みずからの靖国神社参拝をきっかけに悪化している中国との関係改善をめざす考えである。

 

 3) 小泉首相は日中首脳会談で,アジア近隣諸国に対する「誤った国策にもとづく植民地支配と侵略」について,「痛切な反省とおわび」を表明した村山首相談話を踏まえ,侵略に対する深い反省と犠牲者への哀悼の意をしめす。

 

 そのうえで,靖国神社を参拝したのは,「二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならない」という「平和への誓い」だったと説明し,理解を求める考えだという。

 

 4) 中国側は,来〔2002〕年の靖国参拝について首相が慎重な姿勢を表明することを期待しているという。このため首相は「諸般の事情を踏まえてあらためて検討する」と答える案が浮かんでいる。

 

 しかし,これで中国がわが納得するかどうかはわからず,最後は首相の政治判断になる。

 

 5) 首相はまた,こうした言葉だけでは中国側の不信感をぬぐえないと判断し,首脳会談に先立って盧溝橋と抗日戦争記念館を訪れる。

 

 盧溝橋は1937年7月7日,日本軍が中国との交戦をはじめた場所で,日中全面戦争のきっかけとなったところである。記念館は中国の抗日運動や旧日本軍に関する資料を展示している。

 

 6) 福田長官によると「北京訪問のさいには,訪問したい」と首相がかねて希望し,中国側もうけいれた。福田長官は,「日中両国は盧溝橋事件をきっかけに戦争状態に入った。歴史を直視し,未来への平和な関係をつくる原点にしたい」と訪問の意義を強調した。 

 靖国神社〈宗教精神〉の忠実な,換言するなら,その正直な発露の一現象が,日本によるさらなるアジア侵略となった「日中戦争〔廬溝橋事件〕(当時日本が呼称した北支事変:支那事変)」である。

 つまり,日本が過去に犯した侵略戦争でアジア各国に与えた被害・惨禍を,その相手国に謝りにもいく日程を組んだ日本の首相であるのに,その旅〔それぞれ日帰り(!)だが〕の直前にわざわざ,その侵略と戦争をいまもなお是とする軍神たちを祀る靖国神社に参拝したのである。

 いわば,愚の骨頂。

 しかも〔だから?〕,訪問する相手国との会談内容の予定のなかに,その靖国参拝の意向に関する小泉〔首相自分〕自身のいいわけまで用意しているという。

 いわば,用意周到。

 だが,この光景は総体的にみるに,カリカチュアでなければ,当人自身における「政治家精神の極端な貧困:不用意,不手際」を如実に物語っている。

 自民党議員のなかでも珍しい〈変人・奇人〉と称される人物が,小泉純一郎である。

 しかし,今回にかかわる政治家:日本国代表としての一連の行動は,この人物を変人とか奇人とかいうべき範疇にほうりこむ理由がないことを証明した。

 要するに,小泉は政治家として,国家や宗教などの諸問題に関する,微妙かつ深刻な要素・側面を感知するための資質・能力を欠いている。

 小泉純一郎もしょせん,平凡な日本の宰相の1人である。ただ,いままでの歴代の首相たちがそれ以上に,あまりにも凡庸すぎたのである。

 それにしても,8月13日靖国神社参拝は,中国や韓国などにとって,「古傷に塩を擦りこまれる」ような行為であった。

 そして早速その2カ月後に,中韓の古傷を悪化させたご当人が,首脳会談をすればその古傷もよくなおせる話合いになるでしょう,私がそれを癒しにうかがいましょう,というのである。

 笑止千万! まったくのお笑い種ではないか。手前勝手もここまでくれば,つける薬もない感じである。

 もっとも,中国は意地でも大人(タイジン)風をきどらねばならないし,この〔2001〕10月,アジア太平洋経済協力会議〔APEC〕首脳会議という大規模な国際会議を開催する予定である。

 韓国は最近,金 大中大統領をささえる協力与党,金 鍾泌名誉総裁を戴く自民連の政権離脱があって,与党議員数が過半数を切った。また,2002年に日本といっしょに開催予定のワールド・カップの円満な実行を実現したい。

 だから,小泉がいちおう筋のとおったいいわけで申しひらきできれば,両国ともけっして,ケンカ分かれするような会談にはせず,実り多い成果を期待できるにちがいない。

 たった1日だけの両国〔中韓との〕首脳会談だけになる……。要は,小泉さん,アジア方面の外交が不得意なの。英語は多少できるみたいだが,中国語・韓国語はできるようにはみえない。

 とりあえずこの項目は,ツァイチェン! アンニョン!


 14 小泉首相靖国神社参拝の本質的分析

 前段に出てきた表現:「古傷」とはいうまでもなく,かつての戦争の時代まで,中国・韓国などアジア諸国が日本帝国の侵略をうけ,甚大な人的・物的両面の被害・惨禍をこうむった事実をさしていた。

 アジア諸国の人びとはこのあいだまで,日帝に肉体的,物質的に命を奪われただけでなく,精神的,社会的にも多大な損壊をこうむった。

 天皇制の関連でみた靖国神社を,山中 恒・山中典子『「少年H」の盲点』辺境社,2001年は,つぎのように説明する。本書は,アジア諸国・人々にとって,現在首相を務めている小泉純一郎靖国神社参拝が,どのような本質的意味をもつのか考えるに当たって,とても参考になるものである(同書,255頁,258頁,278頁,280頁,282-283頁参照)。

 1) 靖国神社の臨時大祭〔合祀祭〕で天皇が御拝することは,臣民に教育勅語と軍人直喩の趣旨を,理屈ぬきで実感させるみごとな演技であった。

 天皇の命令で戦地へ駆り出され,戦死して靖国の神に祀られることが,かたじけなくもありがたいものと決められたのである。

 補注)ちなみに昭和天皇は,1973〔昭和53〕年,A級戦犯靖国神社に合祀されてからは,一度も靖国神社に参拝していない。なぜか,自分と戦犯とされた者たちのあいだに一線を画したいからであった。日本の敗戦にもかかわらず,幸運にも昭和天皇は,戦犯あつかいされなかった。

 2) 靖国神社復権はとりもなおさず,国家的神道の復活と民主主義の否定と,あの戦争を美化することである。つまり,靖国神社戦没者を合祀することは,もちろん慰霊の意味もあるけれども,それ以上に,国家神道愛国心・滅私奉公・臣道の本義を象徴するものである。

 したがって,現今の首相や閣僚が靖国神社に公式に参拝することに,中国や韓国から侵略戦争を美化すると批判が出るのは,当然である。

 なんだか「しらぬは日本人だけ」みたいな,おかしな状況なのである。

 3) 靖国神社は,民主主義・自由主義を否定し,「日本は天皇を中心とする神の国である」ことを国民に観念させるための,国家神道の軍事施設であった。

 だから,日中戦争の被害国であった中国はもちろんのこと,「日韓併合」に反対して立ち上がった民族運動を武力制圧したときの日本軍の戦死者や,A級戦犯まで靖国神社に祀っているからには,韓国も,日本の閣僚の靖国神社公式参拝に抗議やら批判をするのである。

 4) 小泉首相は,靖国神社公式参拝にいくといい,実際にいったわけだが,これは明らかに,「私は民主主義を否定し,あえて憲法をも踏みにじり,特定の宗教へかかわるのだ」と公言したも同然である。

 2001年8月13日,「熟慮に熟慮を重ねた結果」前倒しして敗戦の日より2日まえ,靖国神社に参拝した小泉は,首相という公式身分でモーニングを着用〔日本の古式ゆかしき神社(!?)にいくのに,なにゆえ「〈もーにんぐ〉着用」なのか不思議であるが(筆者注記)靖国神社の祭祀機関である拝殿・本殿に昇殿し,本殿の祭神に「拝」最敬礼をして玉串奉奠をすることは,まぎれもない宗教的行為である。

 日本人一般が「あちこちの神社」に参拝へいくことと,一国の首相が靖国神社公式参拝することとは,まったく意味が異なる。

 中国や韓国は,靖国神社が戦争とどのようにむすびついていたかをしっているからこそ,小泉首相靖国神社参拝を批判するのである。このことを,日本人はよく理解する必要がある。

 5) 中曽根元首相が以前,やはり靖国神社公式参拝したさい,「二拝二拍一拝」の神道形式をとらず,本殿で一礼するにとどめ,玉串料は公費から3万円を支出した。

 今回小泉首相の参拝形式を,8月14日の新聞は,こう報じた。

 「小泉首相は同日午後4時半すぎ,公用車で靖国神社に到着。〈内閣総理大臣 小泉純一郎〉と記帳し,本殿で一礼した」。

 

 また,参拝の形式については,「玉串料ではなく,献花料をポケットマネーからお払いしました。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と,みずから説明した。

 神道においては「参拝」とは,直接神社に参って「拝」をすることである。「拝」とは単純に「おがむ」という意味ではなく,祭神に対して「拝」すなわち「最敬礼」をすることである。

 祭神に対する拝礼は,「拝」と「拍手」とが一体となって,完全な参拝となる。だから,神道の形式からすれば一礼で済ませ,最敬礼も拍手もしないのは,正しい「参拝」にならない。

 その参拝形式は,国民をだますばかりか,靖国の祭神をもたぶらかしたことになる。「拝」が最敬礼だという点をしらないと,だまされることにすら気づかない。

 それゆえ,1985年8月15日,中曽根元首相が「一礼」形式で靖国神社を参拝したとき,靖国神社は当然,この無礼な参拝の形式を打ち消す「お祓い」をした。

 今回〔2001年8月〕における小泉首相の参拝も,神社側の「お祓い」=純然たる宗教行為を受けた,と報じられている。

 翌日〔2001年8月14日〕新聞報道の見出し,「小泉純一郎首相靖国参拝:不戦の誓いを新たにして参拝」とは,とんでもない矛盾の表現であった。

 なぜなら,靖国神社で参拝したさいいわれた「不戦」とは,「勝戦」あるいは「必戦」でしかありえない。小泉の口にした「不戦」とは,けっして「平和」を意味するものではないからである。靖国神社は本来,小泉の参拝をそのように解釈〔歪曲〕するほかない宗教機関である。

 前述のとおり,今夏,靖国神社公式参拝した日本の首相小泉純一郎は,その後始末のために中国や韓国に〈日帰り〉訪問をしにいく予定を組んだという。

 しかし,その様子・経過はいささかならず,滑稽をとおりこしてマンガ的でもある。だが,事態は,漫画的だといって済ますことができないくらい深刻である。

 というのは,小泉首相は「政治家として2度と戦争をおこしてはならないという誓いをこめて靖国神社に参拝することを」,「なぜ批判されるのか理解に苦しむ」。「よその国から批判されてなぜ,中止しなければいけないのか」,「個人も首相も同じ。総理として,個人として参拝する」と,あくまで感情論・心情論で押しとおして公式参拝したのである。

 小泉のいいぶんに浮上する理屈は,靖国神社の本性である「軍神神社:war shrine」性に関して,完全なる無知を告白している。

 小泉は,靖国神社の宗教的立場・本質に無知であり,それゆえ同時に,神社勢力の立場に利する行為をした自分の立場にも無知である。

 中国や韓国側にすれば,小泉首相による靖国神社公式参拝は,「2度ならず3度,4度でも戦争を起こそうとするこちら側にける〈意志の表明〉」にみえるのである。

 さらに,中国や韓国側の「その批判の意味をこれほどまで徹底的に理解できない者:小泉純一郎が,なぜ,日本の首相の座に座っているのか」という疑問も出てくる。

 とくに,中国や韓国側にとって靖国神社へ首相が参拝する問題は,日本という「よその国の単なる宗教上の参拝問題ではなく,重大な外交問題となることだ」というふうに受けとめられることの政治的な意味をよく理解できなかった人物が,この小泉純一郎なのである。

 小泉の靖国理解が単純素朴だからといって,これに免じて許すわけにはいかない。小泉には,これからもっと勉強してもらわねば困る。

 しかし,一国の代表としての彼の行動がすでに,日中間・日韓間にすきま風を巻きおこし,アジア全体にぎくしゃくした政治外交的な雰囲気をもたらした。しかも,その仕かけ人は一方的に,日本国首相の小泉純一郎であった。まったく世話がないというか,まことに人騒がせで迷惑な男である。

 前首相だった森 喜朗という男も,軽佻浮薄な言動では大いにひんしゅくを買っていた。現首相の小泉純一郎も,「熟慮に熟慮を重ねた」割りには,アジアに対する歴史認識が浅薄であるどころか,ほとんどなにも分かっていないことを,はしなくも暴露した。

 他人の足を踏んづけた者は,その痛みを実感できないとよくいわれるが,まさしくそのとおりであって,小泉君の無神経さ・日本民族的な独善性には,目にあまるものがあった。

 アジアの人びとの気持・真情の百分の1でもいい,きちんと理解できているのであれば,同時にまた「不戦」を標榜するつもりであれば,「戦争:軍神のための靖国神社」に公式参拝することなど,とうていできないはずである。

 1985年8月,中曽根元首相による靖国神社公式参拝以降,日本の首相によるこの行為がとりやめになっていたのは,政治家個人の宗教感情にとどまる問題ではないものがそこに厳存することを,歴代の首相たちが〔あるいは該当する外務省高級官僚たちも〕よく感知し,自制していたからである。

 今回における小泉「首相の言動」を観察するかぎり,そうした微妙な政治配慮とは無縁の粗暴・乱雑さが顕著であった。

 靖国神社という宗教上の聖域は,小泉首相のとなえる改革の対象になりえないのか。


 15 小泉首相中韓訪問に関する社説

 前段までの筆者の主張・分析に関連する新聞社説が出た。以下に,その一部分を引用する(『朝日新聞』2001年10月6日朝刊「社説」より)。

 --小泉首相を迎える中韓のまなざしは温かいとはいえない。靖国参拝や教科書問題をめぐるわだかまりが解消されていないからだ。自衛隊の海外派遣を柱とするテロ対策特別措置法案への警戒も強い。

 靖国参拝に当たって首相は,「先の大戦で,アジア近隣諸国に対しては,誤った国策にもとづく植民地支配と侵略をおこない,計りしれぬ惨害と苦痛を強いた」と談話を発表した。戦争を賛美するつもりはない,ということなのだろう。

 「できるだけ早い機会に中国や韓国の方々と意見を交換し,私の信念も話したい」とも語った。参拝したみずからの真意をきちんと説明すれば理解はえられる,と首相は思っていたようである。

 しかし,中韓の首脳は参拝した首相との会談になかなか応じようとしなかった。小泉首相の心情がどうあろうと,A級戦犯が合祀された靖国神社を参拝することは,日本の侵略や植民地政策を肯定する行為だと両国の人々は受けとめているからだ。

 --それではなぜ,中韓両国は今回,小泉首相の訪問を受けいれたのか。

 中国では今〔2001年10〕月,アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれる。建国50余年を経て,これほど大規模な国際会議を催すのははじめてだ。だが,日本との関係がぎくしゃくしていては,会議を円満に運営し成功させるのはむずかしい。

 韓国は不況にあえいでいる。韓国政府は日本との関係改善を望む経済界の声を無視できない。開幕まで8カ月を切った日韓共催のサッカーW杯のためにも,これ以上対日関係を冷えこませるわけにはいかない。

 中韓それぞれに背に腹は代えられぬ事情があるから,対日関係修復に乗り出したのであり,靖国参拝や教科書問題を水に流すというわけではあるまい。

 小泉首相は8日の江主席との会談で,日中戦争についての「反省とおわび」の趣旨を表明し,日中全面戦争の戦火を開いた北京郊外の盧溝橋も訪れるという。15日の訪韓のさいには,金大統領と教科書問題を中心に語りあう予定になっている。

 --首相の肉声が中韓両国でどううけとめられるか。両国民の不信をとりのぞくのは,一度の日帰り訪問だけではむずかしい。(引用終わり)

 以上のごとき朝日新聞のこの社説「論調」における分析は,まだ甘い。

 靖国神社へ日本の首相が公式参拝することに〔戦前は正式参拝といった〕,中国や韓国が強い関心を示し,敏感な反応を起こすのは,靖国神社に「A級戦犯が合祀されている」ことだけが,その事由なのではない。

 もちろん,中国は,A級戦犯の合祀にかぎって問題であるかのように批判する。けれども,靖国神社の価値前提に内在する重大な問題は,戦争用の神々を祀っているという好戦性である。

 その靖国神社に参拝にいく日本の首相小泉純一郎は,中国や韓国に対して,「参拝したみずからの真意をきちんと説明すれば理解はえられる」との意向である。

 しかし,それでは,日本が「先の大戦で,アジア近隣諸国に対しては,誤った国策にもとづく植民地支配と侵略をおこない,計りしれぬ惨害と苦痛を強いた」ことに関して,遺憾の意や謝罪の気持を表明したことにはならない。

 ましてや,靖国神社に参拝する行為が「不戦」の誓いになりうるのだ,というふうに考えるのは,的はずれ・勘ちがいもはなはなだしい。その発想はむしろ,〈完璧なる〉無知蒙昧だと指弾されねばならない。

 それこそまさに「木に縁りて魚を求む」ごとき無理難題である。

 もっとも,靖国神社関係者みずからアジア諸国に出むいて,小泉首相がいうつもりだという「口上」に相当するものを披露することなど,どうみても,絶対ありえない。

 問題は,日本の神道宗教,靖国神社伊勢神宮などの存在形態,現実機能にある。ここまで論旨がすすむと,どうしても天皇天皇制の政治基盤が問題となる。

 「天皇制民主主義の国が日本である」という問題が浮上するほかない。


 16 中曽根元首相と小泉現首相の靖国参拝

 1)   1985年夏,首尾よく靖国神社への公式参拝をはたして意気揚々の中曽根康弘に対し,中国・韓国はあいついで,非難の声明を出した。

 中曽根はそのため大きく後退を余儀なくされ,1986年夏には,直前の衆・参同時選挙で大勝していたにもかかわらず,公式参拝どころか参拝にすらいけなかった。

 その後,竹下首相も海部首相も,同じく参拝にすらいけない状況がつづいてきた。これは,首相の私人としての参拝から一歩一歩「前進」してきた地歩を,おおきく後退させるものであった(渡辺 治『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成-天皇ナショナリズムの模索と隘路-』桜井書店,2001年,308-309頁)。

 2) 中曽根首相の靖国神社参拝に対する中国・韓国の,軍国主義の復活であるという非難は,つぎのような背景を念頭において考えるものである。

 すなわち,敗戦後占領下以来,靖国神社がこうむった処遇は,

  a) 国有地を境内地として譲渡しないという占領軍の指令,

  b) 講和条約締結以後,1957年の岸 信介首相のときから,歴代首相の参拝がおこなわれたが,1975年,野党の政教分離の原則を理由とする非難があり,以後,新聞記者の「公式参拝が私的参拝か」と毎年くりかえされる質問に遠慮するという首相が続出した(桶谷秀昭『昭和精神史 戦後篇』文藝春秋,平成12年,467-468頁)。

 3) しかし,注目すべきは,アジア諸国の反発・批判は,単に日本帝国主義の過去の侵略の記憶に対するこだわりにとどまらない,という点である。

 つまり,過去の侵略の記憶と現在の日本企業の進出が重なっているところに,アジア諸国の強い警戒感の根拠がある(渡辺,前掲書,309頁)。

 4) 2001年夏,小泉純一郎首相があえて,靖国神社公式参拝したが,その行為は,この国:日本が歩もうとする前途を示唆している。

 5) 21世紀にはいった今日,日本の経済・産業,政治・社会の実態は,日本企業の幅広い海外進出,とくにアジアへの進出をぬきに語ることのできない時代環境にある。

 6) 戦前の日本であれば,〈軍産複合体〉ともいうべき国家体制が形成され,軍事的覇権主義が展開された。現在の日本は,〈財界-政界〉複合体とでも名づけるべき,国家体制=経済的覇権主義を形成しようとしている。

 今日の日本は,現状と未来におけるそうしたありかたを,アジア諸国に認証させるようとするための政治的な努力,というよりもその一方的なごり押しを試みている。

 今後,アジア全域の経済構造のなかでは,日本経済の絶対的,相対的な地盤沈下が必然的な方途であって,このことは誰も否定できない趨勢である。それゆえ,アジア諸国全体に対する日本一国での経済総力は,徐々に劣勢化するみこみである。

 それでも,日本とアジア諸国との未来関係において日本の地位が,物質的にも精神的(?)にもなお,より優位に立ちつつ構築されねばならない,と考える小泉である。

 だから彼は,日本国内における「聖域なき構造改革」の完遂と同時に,国外にむけては,あせりにも似た靖国神社公式参拝」,いいかえれば,

 「軍神神社にいって,不戦=平和,経済繁栄を祈願する」

という,みごとなまでにちぐはぐな,いわば自家撞着的な政治行動をみせていた。

 その意味において,今回の小泉「靖国神社参拝」は,道理の是非を超越した強引さをさらけ出した,政治的行為:無謀といえる。

 要するに,靖国神社の歴史的本質に完全無知なる政治家的な行動が,小泉純一郎首相による今夏の,同神社への公式参拝である。

 

 17 参考意見 -2021年5月28日 追記-

 ※-1 島川雅史「現人神と靖国思想」立教女学院短期大学『紀要』第14号,1982年1月から。

 神国日本の論理は,靖国の思想を媒介として,海外侵略を正当化する八紘一宇の思想へと展開していく,そのひとつの結果が,1973年の靖国祭神総数,244万4千余である(185頁参照)。

 ※-2 岡野弘彦折口信夫伝-その指導と学問-』筑摩書房,2020年から。なお,中略あり。

 戦争中,国を挙げての合言葉のように「神風が吹く,神風が吹く」と繰り返して心の頼みとしたその神の場をまず訪ねたのは,世襲の神主の家の子で,かつて伊勢の皇學館大学普通科に学んだ私の,悲しい心の名残であり,敗戦のあとにみずから求めて為した最初の自覚的な行動であった。

 

 だが,私のひたすらな願いはそこではなにも報われなかった。国が敗れ,民の心は零落のよるべなさを漂っているときに,神の杜はただ整然と静かで,そこに仕える白衣の神主からも,ただおごそかな白砂の庭からも,心にひびいてくるものはなにもなかった。

 

 あの日のわが心の神をこうして表現できるようになったのは,国学院大学で折口〔信夫〕教授の神道概論の講義を聞き,同じ家に暮らして歌の手ほどきをうけたからで,その機会をえなかったら私は敗戦後の日々の苦しみをむなしさをこれほど心に刻みつけ,のちにそれを表現することもなく過ぎてしまったに相違ない。

 

 神主の家で育ちながら,近代の国家神道による合理化と統制化を経た神道しかしらぬ若く未熟な魂は,国が敗れても日本の神から導きを与えられるものは,なにもみいだせなかった。それは当時の日本人すべてに共通することで,民族の危急に立ちいたってもなおみずからの神を意識することのない日本人になりつつあった(440-441頁)

 ここで本日の話題,三橋 健の神道「観」が,この三橋自身が勤務する国学院大学内で否定された事件を,あらためて想起してみなければならない。折口信夫は,日本の神道が本格的な宗教たりうる資質と教義をもたせるには,どうしたらよいかについて真剣に考えてきた神道学者であった。

 しかし,その折口の試みは,いまだに進捗した実績=記録を残せていない。三橋の「靖国神社・新論」は,たしかにこの折口が示唆した方向性に舵をとった努力の一端であった。だが,三橋の意図は国学院大学やその周囲に蝟集する神道関係者の圧力と迫害によって,完全につぶされた。

 三橋 健はその後も国学院大学に勤務しつづけ,無事定年を迎えていた。神道関連の著作も大いに生産してきた。しかし,大学側にとっての彼が「飛ぶ鳥跡を濁さず」に去ったかといえば,そうではなかった。つまり,ネコババとはなりえなかった。この記述がとりあげ議論するのは,その点を確認しておくためでもあった。 

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