日本国防衛省自衛隊3軍は軍隊であり「暴力装置」である事実,国家の軍事組織を暴力装置といってなにが悪いのか(その2)

             (2010年11月24日,更新 2021年6月8日) 

 軍隊という暴力装置は,暴力団とは違い,正式な国家の組織である

 「自衛隊暴力装置である」というふうに,しごく当たりまえである事実を 言明した人間を, 寄ってたかって叩く不思議の国:ニッポン

 

  要点・1 憲法第9条にかぶれた軍事問題に関する日本国的な非常識

  要点・2 安倍晋三や菅 義偉が首相の座に就いてきている現状こそが,いまの国民たちにとってみれば,もっとも危険な暴力装置(権力機構)を意味している

 

            = 目 次 =

    【 昨日:その1(2010年11月23日,更新 2021年6月7日)記述分 】

  ①「政治権力は暴力装置を伴う」『朝日新聞』2010年11月22日朝刊「声」欄
  ② 日本の防衛費という名の軍事費
  ③ 素人談義の感情ばかりが先行する「論」

   リンクはこちら(  ↓  )  

 

   【 本日:その2(2010年11月24日,更新 2021年6月8日)記述分 】

  ④ ヒステリー気味に飛躍するマスコミ報道(とくに産経新聞
  ⑤ 日本の自衛隊も各国の軍隊も「国家主体の暴力装置」である


  ヒステリー気味に論理飛躍するマスコミ報道(とくに産経新聞

 1) 仙谷由人官房長官の過去:経歴にこだわる産経新聞

 日本の準・大手紙(2流紙)として「右寄り路線」を明確に打ちだしている産経新聞は〔2010年〕11月19日,「仙谷氏の本質あらわ 『自衛隊暴力装置』 『社会主義夢見た』過去」という見出しで,つぎのように報道していた。

 仙谷由人官房長官は11月18日の参院予算委員会で,自衛隊を「暴力装置」と表現した。直後に撤回し「実力組織」といいかえたうえで「法律上の用語としては不適当だった。自衛隊の皆さんには謝罪する」と陳謝した。菅直人首相も午後の参院予算委で「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけることになり,おわびする」と述べた。

 

 首相は18日夜,仙谷氏を執務室に呼び「今後,気を付けるように」と強く注意した。特異なことばがとっさに飛び出す背景には,かつて学生運動に身を投じた仙谷氏独特の思想・信条があり,民主党政権自衛隊観を反映したともいえそうだ。

 注記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101119-00000122-san-pol
産経新聞,最終更新 11月19日 (金) 16時49分 配信。

 この産経新聞の報道にさらに聞いておく。

 みんなの党渡辺喜美代表は,仙谷の発言について「昔の左翼時代のDNAが,図らずも明らかになっちゃった」と端的に指摘したという。学生時代の行動思想に根っこをもつ現官房長官の発言は,揚げ足とりにとってはかっこうの材料を提供した。

 産経新聞の話は,① の 3) 〔昨日の記述〕で言及した池田信夫の箇所にも出てきた,マックス・ウェーバーに関連させる報道をしていた。こういっていた。

 「暴力装置」とはもともと,ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが警察や軍隊を指して用いていた。

 

 「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現したことばである。それをロシアの革命家レーニンが「国家権力の本質は暴力装置」などと,暴力革命の理論付けに使用したため,全共闘運動華やかなりしころには,主に左翼用語として流通した。現在では自衛隊を「暴力装置」といわれると違和感がある。

 

 だが,旧社会党出身で,東大時代は日韓基本条約反対デモに参加し「フロント」と呼ばれる社会主義学生運動組織で活動していた仙谷氏にとっては,なじみ深いことばなのだろう。

 

 国会議事録でも「青春をかけて闘った学生を,みずからの手で国家権力の暴力装置に委ね」(昭和44年の衆院法務委員会,社会党の猪俣浩三氏),「権力の暴力装置ともいうべき警察」(昭和48年の衆院法務委,共産党の正森成二氏)などと主に革新勢力が使用していた。

 

 11月18日の国会での反応をみても,自民党丸川珠代参院議員は「自衛隊の方々に失礼きわまりない」と批判したが,共産党穀田恵二国対委員長は「いわば学術用語として,そういうこと(暴力装置との表現)は当然あったんでしょう」と理解を示した。

 しかしながら,本ブログの筆者にいわせれば,とくに丸川珠代に代表される「日本の軍隊=自衛隊」に対する認識は,「文民統制」という基本の概念を全然認識できていない。

 冒頭の引用記事のなかにも,菅 直人首相が「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけたこと」を「おわびする」と述べた事実が報道されていたが,この国の最高責任者,つまり自衛隊3軍の最高司令官がとんでもない過ちを犯している。

 譬えとしてはまことに悪いいいかたになるけれども,あえてこういわせてもらう。

 これでは,自家の飼い犬に対して「飼い主よりもこの御犬様のほうがエライ」と間違わせる《重大な過誤の発言》を,一国の首相が残した。日本にも軍事評論家が何人もいるが,本ブログの筆者は,いまのところ,この「菅首相の大誤解」を諌める明確な指摘を聞いていない。

 要は,「日本の軍隊である自衛隊」は国外向けの「国家権力の非常用暴力装置」であり,警察は国内向けの「国家権力の日常用暴力装置」である。こうした認識でいえば「暴力装置」なる「ことば」は,なにも「革新勢力が使用し」ようがしまいが,また「学術用語」としても当然自由に使用されてよいのである。

 ただ,このことばが使用されてきた歴史にかかわる諸事情を神経質に配慮したいのであれば,「民主党岡田克也幹事長」もいっていたように「暴力装置」と発言するさい,「本来,実力組織というべきだったかもしれない」という表現も許される。

 しかし「国家の実力」は,軍事面からみれば「暴力装置」である軍事力・軍隊組織によって支持されている。明治以来,日本帝国主義が東アジア諸国を侵略し,植民地にして支配したとき,いったいどのような「国際政治力=暴力装置」を行使しておこなったのか。

 敗戦後は,日本国憲法第9条の制約があるから「そうなる可能性はない」などとはいえない。それは,完全に間違えた「戦後日本の軍事史」に関する認識である。イラク戦争を回想するまでもなく,日本の自衛隊は実際にアメリカ軍の「助っ人軍」の役割を現実に十二分に果たしてきたのだから,戦前と戦後の違いをいったところで,十分に〈妥当性のある話〉は提供できない。

 産経新聞は,官房長官の「仙谷氏は著書のなかで,『若かりし頃,社会主義を夢見た』と明かし,その理由」も解説報道していた。ところで,戦前日本の悪法「治安維持法」は,天皇天皇制と私有財産制度に反対する思想・主義・行動を,蛇蝎のように嫌ってとりしまってきた。

 逆説的にいえば「そのような戦前体制」こそがかえって,一般大衆のなかに「社会主義」への憧れを,かえって〈絶望的に〉醸成させていた事実を忘れてはならない。産経新聞は,仙谷批判に目色をかえて集中するあまり,その矛先の向けかたが偏向している。同紙は,歴史のなかに出来してきた諸事実を,より謙虚により公平に観察する姿勢とは縁遠い地点にいる。

 現在(2010年10月時点の話),日本政府の官房長官を務めている仙谷由人は,戦後体制のなかで左翼運動にかかわってきた人間である。21世紀の時代にまで「封建遺制」的に残存している「日本の天皇制」が,戦後版とも称すべき『「治安維持法」抜きでの天皇主義国家体制』に変成し,この国の政治体制の一大特徴を刻印している。天皇制が仮面を付けかえて敗戦を乗りこえている。日本国憲法は事実,天皇天皇制によって完全に占拠されている。

 すなわち,敗戦を契機に「大日本帝国→日本国」の移行が起きていたけれども,この国における民主主義の状態は,いまだに「不徹底のままの状態」に停頓している。若かりし日の〔そして社会党議員時代の〕仙谷由人が,日本の国家体制のなかに悠然と控えている天皇天皇制に対して〈いい印象〉を抱いているはずはない。

 しかし,当人はいまでは「政権党の代表幹部=官房長官」の任に就いている。彼は,つぎの 3) でとりあげているように,自分が「政治をやる以上は多数派形成をやる」と告白している。政権党の官房長官の立場を考慮し,現実主義に「転向」している。日本国を本気で倒壊させる気持などないのであれば,かつての新左翼主義者も「御国のために御奉公する」ことになった。

 2) レーニン「論」の学問的理解とは無縁の論駁

 さきほどの産経新聞の記述を,さらに参照して記述しよう。

 仙谷氏にあっては,社会主義社会には個人の完全な自由がもたらされ,その能力は全面的に開花し,正義が完全に貫徹しているというア・プリオリな思いが抱かれていた。しかし,のちに現実主義に「転向」し,いまでは「全共闘のときの『麗しい連帯を求めて孤立を恐れず』を政治の場でやるとすってんてんの少数派になる。政治をやる以上は多数派形成をやる」(仙谷,7月7日の講演)と述べている。

 

 とはいえ,なかなか若いころの思考形態から抜け出せないようであった。そのために,今回〔2010年11月18日参院予算委員会で〕は「ちょっとことばが走った。ウェーバーを読みなおし,あらためて勉強したい」と,同日「18日午後の記者会見で,仙谷氏はいつになく謙虚に語った」。

 本ブログの,ここまでの記述から理解できることを整理しておく。

 仙谷由人官房長官が「若いころの思考形態から抜け出せ」ないまま,「ちょっとことばが走った」ために「暴力装置」という用語を使ったという。いまや執権党の官房長官になった仙谷由人は,この重責を担う立場において果たすべき任務をまっとうしていくためであれば,過去に自身が形成してきた思想・主義・信条をあえて『転向』させ,それも日本という国家の運営を任される立場に立ったがゆえ,あらためて「現実主義」へと立場を転進させていった。

 しかしともかく,今回の「自衛隊暴力装置である」といった官房長官仙谷由人の発言がよほどお気に召さなかったらしい産経新聞は,いわゆる〈単細胞のネト・ウヨ的〉な過剰反応を剥き出しにしたかのように,仙谷をはげしく「非難する記事」を書いていた。

 産経新聞は,マルクスだとかレーニンとに向かっては問答無用的に「悪者」とみなす編集方針,思想的立場にある。仙谷由人の過去を声高に問題視するならば,岸 信介だとか東條英機だとかのみならず,昭和天皇も大問題をかかえる人間としてとりあげるべきであるが,こちらの論点になると急に聞きとれないかのような小さい声になるか,もしくは沈黙する・・・。

 ヴェ・イ・レーニン帝国主義』原著1917年,宇高基輔訳,岩波書店,昭和31年から,昨日・本日の記述に参考になる箇所を引用しておく。

 この小冊子が,現在の戦争と現在の政治とを評価するうえで,それを研究しておかなければなにものをも理解できない基本的な経済問題,すなわち帝国主義の経済的本質に関する問題を解明する一助ともなることを期待したい(〔序言〕12-13頁)。

 

 資本主義の基礎のうえでは,一方における生産力の発展および資本の蓄積と,他方における植民地および金融資本の「勢力範囲」の分割のあいだの不均衡を除去するのに,戦争以外にどのような手段がありうるだろうか?(160頁)

 ただしいまは21世紀の段階であるから,このレーニン帝国主義「論」をもってしては説明しにくい政治・経済現象が多発している。とはいっても,第3次戦争になれば核戦争にならざるをえず,この地球を目茶苦茶に破壊しつくすような〈終局の破滅的な戦いになる〉ことが確実に予想される。

 米・ソ・英・仏・中などの軍事大国はいまでは,国際政治の交渉場面においてうかつに,保有する強力な暴力装置を本格的な手段に使ってする全面的戦争(総力戦)まで進めえなくなっている。
 
 しかし,前段のような軍事大国の過去経歴に関していえば,発展途上諸国に対する干渉戦争や内紛介入など暴力行為をくわえてきたその実例は,それこそ数えきれないほどたくさん記録してきている。いうまでもなくそれらは,「暴力装置」としての自国軍隊組織を使用した政治的な行為であり,その現実の話なのである。

 アメリカにしきりに尻を叩かれ,背中を強く押されるようにして日本が参加したイラク戦争において日本の自衛隊は,摩訶不思議なことに,戦争状態にあるイラク国内に「非戦闘地域」が設定できると勝手に定義していた。それは,〈日本の自衛隊〉の「軍隊としての本質」=「暴力装置」に関する議論を,回避するための遁辞であった。

 もう1箇所を,レーニン帝国主義』から引用しておきたい。この引用では「暴力装置」としての「戦前の旧日本軍(日本帝国)」を念頭に置いて聞くべき文章である。

 かりに,ある日本人がアメリカ人によるフィリッピンの併合を非難したとしよう。このばあい問題となるのは,その非難は併合一般に対する反感からなされたのであって,フィリッピンを自分に併合しようという願望からなされたものではないということを,多くの人が信じるかどうかということである。

 

 そして,併合に反対する一日本人の「闘争」は,もっぱら,彼が日本人による朝鮮の併合に反対して立ちあがり,彼が日本からの朝鮮の分離の自由を要求するばあいにだけ,誠実でしかも政治的に公明正大なものだということができる,ということを認めるべきではなかろうか?(197-198頁)

 仙谷由人はたまたま,「卵のことを」「黄身(きみ)だ」といったかのような発言をした体裁で,日本の自衛隊は〔も〕「暴力装置」なのだといった。けれども,この暴力装置をさらに「白身(しろみ)」の部分で充填し,殻でもって包みこんでいるのが「政権党のみならず野党も含めた日本の政体全体」であって,さらには,もちろんそのなかには国民全員が存在してもいる。

 仙谷由人は,けっしてなにもおかしいことを発言していない。それなのに,必死になって非難する者がいるとしたら,こちらのほうがよほどおかしい。もともと非常識というか,近現代史に関して基本的な素養を欠く。

 

  日本の自衛隊も各国の軍隊も「国家主体の暴力装置」である

 1) 北朝鮮の韓国延坪島への砲撃(2010年10月23日午後のニュース)

 本ブログ「2010.11.23」(更新した記述の日付は2021年6月7日)がいつものように,多めの記述になってしまい制限字数を超過したので,④ 以降に書いてあった分は,本日〔24日〕に公表することになった。その間,11月23日の夕方に「聯合=共同,2010年11月23日 15:41 配信」の「北朝鮮が韓国側に砲撃,死傷者数十人の報道も」というニュースが,飛びこんできた。

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 韓国国防省などによると,北朝鮮朝鮮人民軍が23日午後2時半(日本時間同)過ぎ,韓国が黄海上の軍事境界線と位置付ける北方限界線(NLL)に向け陸上から砲撃,韓国軍も応戦し,砲撃戦となった。北朝鮮側の砲弾の一部はNLL付近に位置する韓国側の延坪島に落下,島の家屋多数が炎上した。

 韓国軍兵士1人が死亡,韓国のKBSテレビは韓国側の死傷者が数十人に上ると報じた。韓国側は戦闘機を緊急出動させ,警戒水準を最高度に引き上げた。韓国の李 明博大統領は「断固対応し,状況を悪化させないため万全を期すよう」指示した。

 注記)http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101123028.html

 今回の北朝鮮による韓国側の延坪島砲撃は「北方境界線をめぐって,南北の緊張関係が悪化するたびに緊張が高まっていた地域」で,北朝鮮がなんらかの意図,たとえば「世襲3代めをお披露目する」ための打ち上げ花火のつもりか,それとも「2000基の遠心分離機の並ぶウラン濃縮施設を公開した」ことにも関連させた軍事的示威行為なのか。

 このへんの分析はこれから多分,北朝鮮の専門研究家があれこれ解説してくれるものと思う。韓国紙の『朝鮮日報』はとくに,この北朝鮮によろ砲撃事件に関して「韓国軍の合同参謀本部」が「わが軍の護国訓練をいいわけとした,北朝鮮による局地的挑発とみて,事態がこれ以上悪化しないよう,緊急通信文を(北に)送った」と李大統領に報告した,と伝えている。

 注記)http://www.chosunonline.com/news/20101123000075

 本日〔2020年10月24日〕早朝の記事:「北朝鮮砲撃,専門家はどう見る」と題した asahi.com 2010年11月24日01時05分 配信の解説は,「後継体制を軌道に乗せる狙い」「米国意識した高度な戦略」であるから「日韓冷静な対応を」と求めているが,一方で朝日新聞の「北朝鮮の砲撃-連携し,暴走を許すな」と表題を付けた「社説」は,本文を「常軌をあまりに逸した,北朝鮮による軍事行動である」と書きはじめている。

 注記)http://www.asahi.com/international/update/1123/TKY201011230480_01.html

 さて,本ブログ「記述:その1」を記述・公表した2010年11月23日〔昨日〕に発生した『朝鮮半島〔韓国では韓半島という〕「軍事境界線」付近での北朝鮮の韓国に対する挑発的な軍事行動』は,まさしくその軍事的な攻撃=「暴力装置」の発動によって「国家の意思」を示したことを表現している。

 南北朝鮮においては,日本国において形骸化した憲法第9条のような奇特な法律がないばかりか,1950 年6月25日に北朝鮮の韓国侵入によって始められた朝鮮戦争が,1953年7月27日から今日までなお「休戦状態にある」実情があるからこそ,今回のような事件が北朝鮮側の挑発行為のかたちで,突発計画的に起こされてもいた。

 カール・クラウゼヴィッツは「戦争が政治に対して従属的な性質を有する」こと,いいかえれば「政治があらゆる戦争の形態を規定する」こと,さらにいいかえれば「戦争が他の手段を以ってする政治の延長である」と定義した。

 第2次大戦後,韓国と北朝鮮が国家として正式に発足したのは1948年であった。しかし両国は,朝鮮戦争以来「休戦状態」を継続してきた。もちろん,両国ともに「相手国の領土は自国の半分の領土」とみなす立場を正式に表明している。両国間においては,休戦状態を破る戦闘行為が絶えず起りうる「戦争状態としての対立関係」にある。

 とりわけ,北朝鮮は経済的には最貧国であって,21世紀になってからも数百万人の餓死者を出していたかという観測・分析もある。それはともかく,そのような国家である北朝鮮が「窮鼠猫を噛む」ではないが,今回も「暴力装置=武力」を実際に行使し,韓国に対する政治的な挑発をおこなった。

 日本の自衛隊北朝鮮がやるような軍事行動に使用されないからといって,それでは「暴力装置ではない」といえるか? 北朝鮮の軍隊は “暴力装置である” が,日本の自衛隊は “それではない” などといったら,笑い種になるだけである

 本日〔2010年10月24日〕の朝になって,本ブログの筆者が読んだニュースが,自宅あてにメールで配信された『日経主要ニュースメール  11/23 夜版』shuyo-news@mx.nikkei.com,2010/11/23 午後 10:19,「北朝鮮,緊張高め米との直接対話狙う 韓国砲撃」という見出しの記事であった。

 本日〔2010年10月24日〕『日本経済新聞』朝刊〈新聞紙〉のなかにみることのできたる関連の記事は,先日〔11月18日〕,仙谷長官が自衛隊を「暴力装置」と発言した直後だけに「今回の朝鮮半島の危機が菅内閣にとって大きな試練となるのは間違いない」と観測している(2面)。北朝鮮はなかんずく,「暴力装置」の発動によって,またもや自国の政治的な意思表示,それも「6カ国協議」に対する特定のその訴求を狙っている,ともいえる。

 補注)この「6カ国協議」とは,朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の核開発問題に関して,解決のため関係各国外交当局の局長級の担当者が直接協議をおこなう会議を指す。6者とはアメリカ合衆国,韓国,北朝鮮,中国,ロシア,日本の6カ国である。  

 2) ベラ・チャスラフスカの話:再論

 1964年に開催された東京五輪の女子体操(当時のチェコスロヴァキア)の金メダリスト,ベラ・チャスラフスカ(68歳…2010年当時,1942-2016年)は,1968年に起きたチェコスロヴァキア改革運動,いわゆる「プラハの春」のとき作成された『二千語宣言』に署名していた。

 その後,チェコスロヴァキアは,東欧諸国に対する社会主義宗主国の地位に君臨していたソ連」の政治的・軍事的な圧力に屈し,ドゥプチェク指導部のもとで「正常化体制」時代を過ごさねばならなくなった。だが,チャスラフスカは自分の署名を撤回しない1人となった。このために,1989年のビロード革命によって共産党体制が崩壊まで非常に困難な状況に置かれた。

 注記)この 2)  は,http://ja.wikipedia.org/wiki/ ベラ・チャスラフスカを参照。

 つまり,当時のチャスラフスカが受けた政治的な圧迫は,チェコスロヴァキアに対するソ連の「物理的な圧力=軍事的な脅迫」,もっとありていにいえば,当時の社会主義宗主国ソ連によるチェコスロヴァキアへの「暴力装置」の具体的な行使であった。

 この事例でもまったくクラウゼビッツのいうとおりであって,ソ連チェコスロヴァキアを自国の利害に服従させるために,「政治の延長である」=「他の手段を以ってする」「戦争」をチラつかせ,圧迫した。この場合はむろん,ソ連保有する強力な「暴力装置」をもって挑めば,チェコスロヴァキアなどは1週間もあれば軍事的に制圧できる,という前提があっての話であった。

 3) 日本の自衛隊

 日本の自衛隊はいまのところ,他国との本格的な戦闘行為そのものを経験したことがなく,それによる戦死者も出していない。訓練・演習,その他の出動での死亡者は出しているものの,通常の紛争や戦争の事態において出すことになる犠牲者は,幸いにも1名もいない。

 日本の自衛隊の国内における活躍の場はもっぱら,銃をかつぐ代わりにスコップを手にもち,戦車ではなくブルドーザーをもちこんで動かしては「自然災害などに対する救助活動」をおこなうさいに生まれている。軍隊としては災害救援活動への出動がかなり多く,イラク戦争2003年3月20日 – 2011年12月15日)で,アメリカ軍などのための後方支援活動に航空自衛隊を派遣した経験は,軍隊らしい活動に一歩踏みこんだものといえる。

 このブログの昨日(2010年10月23日)の「記述:その1」でも,日本の自衛隊に関して「軍隊の本質」を根本から見誤った議論を指摘し,批判した。軍隊である自衛隊の陸・海・空3軍が,本当の戦争行為にまだ参加したことのない時代が長くつづいている事実は,まことにまれな平和的な現象である。日本国外ではあいもかわらず,あちこちで戦闘・内紛・戦争が起きている。

 4) その他,あれこれ

 最後に思いつくままに,世界中の多くの国々が「暴力装置」である軍事力を行使して,他国を侵略したり,自国内で独裁政権を維持したりしてきた実例を,思いつくままそのごく一部を記しておく。

 a) ハンガリー事件:1956年。ソ連によるハンガリー圧迫。
 b) ベトナム戦争:1960-1975年。アメリカによるベトナム干渉戦争。
 c) ミャンマー軍事政権:1962年以降。
 d) アメリカは20世紀最大・最強の帝国主義的侵略路線の遂行国である。
 e) 日本帝国が台湾や朝鮮を植民地にし,傀儡「満洲国」を建国させた。
 f)    大英帝国やフランスは世界中に多くの植民地などを支配下に置いた。

 桜林美佐『誰も語らなかった防衛産業』並木書房,2010年8月は,こう論じる本である。

 「防衛産業は『国防の要』であるにもかかわらず,防衛費の削減により,国産の装備品を製造できなくなる事態が進んでいる。日本の防衛産業の多くは中小企業で,いま職人の技術が途絶えようとしている。一度失った技術は二度と戻らない。安全保障のためには『国内生産基盤』の維持は欠かせないのだ。三菱重工など大手企業から町工場まで,生産現場の実情を初めて明らかにする」。

 桜林の同書は,日本の自衛隊は「暴力装置」の具体的な物的道具である兵器・武器・弾薬などを自国で生産するための〈技術基盤〉の確保を強調している。つまり,日本の「安全保障のためには『国内生産基盤』の維持は欠かせない」と危惧している。

 本ブログ「記述:その1」でも触れた点でいえば,桜林もいうように,日本の「自衛隊は本来,災害派遣のために存在する組織ではない。国防を担う組織である」にもかかわらず,日本の人びとのなかには,ある「アンケートに答えた7割以上の人が自衛隊の存在に対して『誤解』をしている」(220頁)。

 5) 最後に,軍隊という組織に関する日本国選良の認識不足

 前段の指摘は,「暴力装置」ではないかのように「日本の自衛隊」を間違えてとらえる,すなわち,軍隊組織というものが基本的に共有する特性をみうしなった『〈日本の軍隊〉に対する理解』を警告したものである。

 ④ の 1)  でも触れたことであるが,国会議員丸川珠代の無識ぶりはひとまず置き,一国の首相:菅 直人までもが「文民統制という大原則」を忘れたかのような〔もしかすると初めからこの政治観念を欠落させているのか?〕発想をもって,「日本の軍隊」=「暴力装置であるほかない自衛隊」に対して,極度に弛緩した,それもみのがしがたい誤認を示していた。

 自衛隊3軍の最高司令官である日本国の首相が,官房長官自衛隊を「暴力装置」であると口にした点を,国会の議場で公に謝罪した。「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけたこと」を「おわびする」と述べた。「暴力」ということば:用語の意味が,軍事的な意味あいとして有する含意とは無縁の〈対応〉を示していた。

 それでは,一国の首相である自身の地位が「いかなる基本性格を与えられているのか」を,彼自身が皆目理解していない事実をさらけ出したことになる。いわば「首相のプライド」のほうを,完璧に忘却した発言であった。「自衛隊の方々に失礼きわまりない」といった丸川珠代参院議員(自民党)の発言などは,愚の骨頂,そのきわみであった。

 要は,「こんな人たち」が国民の選良として国会に送りこまれ,この日本国を経営している。お寒いかぎりである。またもや犬に譬えていうが,その「胴体=国家」に対する一国の軍隊は「シッポ=暴力装置」に相当する。したがってシッポが胴体を振るようになっては絶対いけない。

 それなのに,菅 直人首相や新米議員丸川は大きな間違いを犯した。犬の胴体じたいであるはずの「彼らの立場」から,その「シッポ」そのものに独自の立場がありうるかのような認識を国民たちに示した。いいかえれば,文民統制の概念を撹乱させるだけの発言を,軍事問題に無知であるがゆえに披露した。

 そのシッポが胴体を振るような現象は,文民統制によって完全に防止されていなければならない。要するに,当時の仙谷由人官房長官が口に出した軍隊観:「軍隊は暴力装置である」という認識は,しごく常識的な理解,いいかえれば「簡単な正解」に触れたに過ぎない。

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