日本における大学院教育の問題,はたして「21世紀の世界に通用する高等教育のあり方」になっているのか

             (2010年8月28日,更新 2021年6月14日)

 「日本の大学院が授与する学位(博士号)の実価」をあらためて考える,経営学の分野にみたその一事例に関する批判的感想,消化不良の未熟な博士論文が横行する日本経営学界での理論水準

 

  要点・1 博士号を積極的に授与するのは好ましい傾向(文教政策)であるが,中身に問題ありというかあまりにも水準の低い論文にもその学位を授与するのは,要警戒

  要点・2 博士号を授与された論文を1冊の著書にして公刊できないような「学位論文」では,問題あり

 

 🌑 前  言  🌑

 1)   高等教育機関における学生の状況(事前に考えたいほかのポイント)

 日本の大学学部の入学者数は2000年ころからほぼ横ばいに推移していたが,2014年度を境にやや増加し,2019年度では63.1万人となった。

 また,大学院修士課程の入学者数は2010年をピークに減少に転じた。2015年度を境に入学者数が増加していたが,2019年度では減少し,大学院修士課程入学者数は7.3万人となった。また,社会人修士課程入学者数は全体の約10%であり,割合に大きな変化はみられない。

 大学院博士課程の入学者数は,2003年度をピークに減少傾向にあるが,2018年度,2019年度は前年度から微増している。2019年度は1.5万人である。社会人博士課程入学者数については継続して増加している。全体に占める割合は42.4%と2003年度と比較すると約2倍となった。

 大学院修士課程修了者の進学率は減少傾向が続いており,2019年度では9.2%である。分野別で見ると「社会科学」「理学」「人文科学」の減少がいちじるしい。社会人博士課程在籍者を専攻分野別にみると,「保健」系が約6割を占め,長期的にもいちじるしく伸びている。

 「工学」系は,2008年度頃から漸減,他の専攻分野はほぼ横ばいに推移している。社会人以外の博士課程在籍者でも「保健」系は多いが,2000年度から2008年度にかけて大きく減少し,その後も漸減している。

 他の専攻分野では,「工学」系は2010年度ごろまでは緩やかに増減を繰り返し,2011年度から微減に推移している。その他の多くの専攻分野では減少傾向にある。

 註記)「高等教育機関の学生の状況(ポイント)」『文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)』https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2020/RM295_32.html

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     補注)この図表については,該当する年度ごとに,それまで減少してきた18歳人口との相対的な関係性も考慮した吟味が必要である。もっとも,日本に似て出生率の低い先進国も多くあるゆえ,その18歳人口の現象傾向を絶対的に関連のある統計数値として受けとる必要はない。

 日本の場合,前世紀最後の1990年代から定員を拡大させてきた大学院重点化計画の実施は,ほぼ失敗に終わったと判定されてよい。本日のこの記述は,各論としては経営学分野に関する分析・批判を試みているが,その前に総論の概説を つぎの 2)に記述しておくことにする。「日本の大学院問題」の具体的な事例問題を論じる前に,ひととおりはしっておきたい関連する全般的な事情・経過が,的確に説明されている。

 なお,本日ここに復活させた文章は,2010年8月28日付きであったが,つぎの 2)に引用する文章は,そのほぼ4年後に書かれており,本ブログ筆者の記述した内容がけっして的外れではなかった点を支持してくれていると考えたい。

 もっとも,21世紀に入ってからは,日本の大学院問題をめぐる問題=困難は,それほどむずかしい議論など必要もないほど明白になっていた。日本におけるノーベル賞受賞者は,21世紀になっていままで,かなり多数を輩出してきた。ところが,当の受賞者たちが「これからの日本(人)研究者」からはノーベル賞が出なくなる〈おそれ〉が強くあると警告している。そのほどに,日本の大学院を中心した科学技術研究体制の現状は危ぶまれている。

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 2)「大学ランキング 2015年版,特集 大学入試はどうなる」週刊朝日〈進学 MOOK〉』朝日新聞出版,2014年4月25日。

 a) 1990年代の大学院重点化政策は文部科学省の失政だった。大学院の増設によって院生を増やし,学位を授与したところで,就職口のない大学院修了者の構造的過剰供給状態をもたらした。博士号をもっていても路頭に迷う「高学歴ワーキングプア」だ。

 大学院重点化は,「高度の専門的知識・能力の育成」をもめざしており,専門職大学院をつぎつぎとつくったが,法科大学院の例にみるように,これも失敗だった。日本社会が院生の受け皿を増やしてくれるだろうという文科省の楽観的な予想は裏切られたのである。

 補注)そのほか,会計専門職大学院の衰微状況も目立っている。1990年代以降の日本は「失われた10年」を3回も繰り返してきたと理解されていい。もちろん,その10年ごとに関した経済社会のあり方の理解については,あれこれ議論の余地あるものの,なかでも最後の2010年代はアベノミクスからスカノミクスに継承されていく「日本国を破壊していく政治過程」が,これでもかというまでに展開されてきた。

 最近における日本は「いまや先進国ではない」し,むしろ「後進国になり下がり,多くの国民たちが貧困に苦しむ状況を克服もできない」でいる,と指摘されてもいる。というよりは,そうした現状を本気で改善しようつする気などまったくない「凡庸以下の為政者」(安倍晋三・菅 義偉)の連投のせいで,この国はヘタレて(破壊されて)いくばかりである。

 さて,2019年12月時点まで「会計大学院協会」に所属する会員校・賛助会員は,つぎのように推移してきたという。年次は開設年である。

 北海道大学大学院経済学研究科会計情報専攻,2005年
 東北大学大学院経済学研究科会計専門職専攻,2005年
 早稲田大学大学院会計研究科会計専攻,2005年

 明治大学専門職大学院会計専門職研究科会計専門職専攻,2005年
 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科会計プロフェッション専攻,2005年

 千葉商科大学大学院会計ファイナンス研究科,2005年

 LEC東京リーガルマインド大学院大学高度専門職研究科会計専門職専攻,2005年
 大原大学院大学大学院会計ファイナンス研究科,2006年
 関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科会計専門職専攻,2005年

 兵庫県立大学大学院会計研究科会計専門職専攻,2007年
 熊本学園大学大学院会計専門職研究科アカウンティング専攻,2009年

 

   ※ 以下はすでに学生募集停止した元会員校 ※ 

 愛知淑徳大学大学院ビジネス研究科会計専門職専攻,2007年(2010年学生募集停止)
 愛知大学大学院会計研究科会計専攻,2006年(2014年度学生募集停止)

 法政大学専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科アカウンティング専攻),2005年(2015年度学生募集停止)
 甲南大学大学院社会科学研究科会計専門職専攻,2006年(2015年度学生募集停止)

 立命館大学大学院経営管理研究科アカウンティング・プログラム,2006年(2015年度学生募集停止)
 中央大学専門職大学院国際会計研究科,2002年(2017年度学生募集停止) 

 以上,ウィキペディアに出ている関連情報である。本ブログ筆者はたまたま,このなかでも会計専門職大学院を廃止したうち,それも複数の大学の教員にしりあいがいたが,それらの大学院は新人の若者を教育するよりも,社会人(企業人・実務家)の再教育のための機関になっていたと教えられた。

 経営系の大学院教育の現状についても,こちらは会計系の事情と同じではないものの,共通する難題に直面してきた。経営学という学問が,社会科学としての「理論と実践」の間柄をどのように形成し維持しながら,大学院水準の教育をしていくのかに関しては,いまだに議論(そのための範型)が煮詰まって形成・準備されていない。

 文献資料としては若干年度が以前のものになるが,たとえば,『IDE 現代の高等教育』No.552,2013年7月号に掲載された,慶應義塾大学大学院経営管理研究科委員長・教授慶應義塾大学ビジネス・スクール校長河野宏和の寄稿,「今月のテーマ 大学院の現実」掲載(pp.28-34)1「経営系専門職大学院に未来はあるか?」は,一読したところ隔靴掻痒の感を否めない。なにをいいたいのかまだ判然としなかった。

 法科大学院の失敗と同じではないけれども,とくに会計専門職大学院のほうは,撤退を余儀なくされた大学,それも大学それじたいとしては,ほとんどが一流どころが設置した専門職系の大学院であっても,そういった顛末になっていた。この結果は,最初の時点(大学院重点化政策という原点)にもどった再吟味を要求している。

〔『週刊朝日〈進学 MOOK〉』記事に戻る  ↓  〕

 b) 日本の社会はメリトクラシー(資格社会)ではない。企業,官庁,自治体は学位をもつ者より,学部卒を選好する。修士号,博士号の取得者を採用しても,学位は評価の対象にならず,給与体系は学卒何年目と同じ。要する,学位の価値を認めていないのである。

 だから「就職先がない大学院生に自己責任を問うのは酷」という理解も示されている。

 b) 一方,大学院は定員充足を迫られ,受け入れのハードルを下げたところ,さまざまなレベルの大学院生が生まれた。英語文献はおろか,日本語の専門書も満足に読めない者もいる。研究者としての資質を疑わざるをえない者もいる。これでは,進学しても学位取得までの道のりは遠い。一部の大学で学位の粗製濫造が起こっているとも聞く。大学院生にすれば,苦労して学位を取っても就職先がない。

 補注)本ブログ筆者も複数聞きおよんでいる話題であったが,大学院で,それも後発系の非一流大学の修士課程においては,「日本語もろくに分からない〈留学生〉」や,日本人であっても「ご同類の日本人」の大学院生もかかえていたという。ここまで極端な事例は多数派ではないにせよ,まるで「大学(院)崩壊」という文字を想起させる。

 大学院生の供給が過剰となり,就職難と研究者養成のレベル低下が起こった。今日の事態は十分に予想されたことである。しかし,国はなんら責任をとろうとしない。文部科学省は失政を認めて,速やかに戦後処理をすべきである。

 では,どうしたらいいか。大学院の定員を絞るしかない。撤退あるいは縮小すればいい。法科大学院の一部で定員割れが起き,司法試験合格率低迷を打開するため統廃合が進んでいる。これに倣って,大学院も淘汰したほうがよいだろう。

 c) 大学院重点化政策のいちばんの被害者は大学院生である。彼らの自己責任を問う向きもあるが,それは酷である。政治の都合で増やした大学院,その失政を大学院生のせいにするのは責任転嫁以外のなにものでもない。

 文科省は当初,大学院重点化政策に際して,博士号の学位取得期間に5年という目安を立てていた。博士号の取得期間は分野によってばらつきがある。理系と文系でも違うし,人文系と社会科学系でも違う。学位の要求水準によっても差が出る。学位授与のハードルを下げた場合,「この程度の論文で学位が取れるのか」という情報はただちに世界的に流通するから,学位論文の品質管理も重要だ。

 補注)この「学位論文の品質管理」という点については,新制度のもとで博士号を取得・授与された人の執筆した論文を,実際に「採用人事」のために読んだ本ブログ筆者の体験に照らしていうと,はっきりいって水準にも達していない者がいた。

 なかには〈習作〉の水準にしか妥当しえない博士論文があったり,また社会科学の方法論として「演繹と帰納」の概念駆使がうまくできていないそれもあったりで,せっかく時間を割いて読んでみたところで,さっぱりこちらの勉強にもならないような博士論文の出来具合(駄作以下?)では,率直にいうに単なる「時間の無駄」であったと感じた。

〔記事に戻る→〕 しかし,それは同時に研究者としての就職活動がむずかしくなることを意味する。学位が研究歴の到達点であったドイツ型から,キャリアのスタートラインの資格条件となったアメリカ型への転換にともなって,学位がないと就職活動すらできなくなった。学位がなかなか取れないまま,年齢を重ねてしまい,非常勤をつないでその日暮らしを送る者もいる。

 学位の品質管理のきびしい大学ほど学位取得のハードルが上がり,就活市場で不利になるというディレンマもある。なかには,ゴールのみえない博士論文に取り組むよりも,目前のテーマでてっとり早くメディアで発信する若手もいる。研究者としてスタート地点にも立っていない彼らを,安易に消費するメディアにも責任がある。まずは,博士号をとってからだ。

 だから「博士論文に対して出版助成を積極的におこなう」べきだという意見も提示されている。

 d) 学位は,授与した大学名で評価が違うわけではないが,結果として,旧帝大系の大学院修了者のほうが,論文の生産性が高く,キャリアパスにつながるケースが多い。こうした大学のよいところは,大学院生の定員が相対的に大きいことである。

 2ケタ以上いれば,ピア(peer,同じ分野に取り組む同輩の研究者)から知的な影響を受けられる。たがいの研究情報を交換して批判しあったり,徹底的に議論を交わしたり,励ましあったりできるピアの教育力は,教員のそれに劣らず大きい。

 一方,小規模大学で定員が少なく,ピアが1人,2人の環境で研究を続けるのは,よほど強い意志をもたないとむずかしい。また,地方大学ではなく首都圏の大学にいることは,学位論文を刊行するため,編集者や出版社へのアクセスが大きいことも,有利な点だ。

 e) ところで,大学院重点化政策ではよいこともあった。学位取得へのプレッシャーが強まるなかで,もっとも生産性の高い年齢に大きなテーマに取り組むことで,内容の充実した学位論文がつぎつぎに生み出されたことだ。

 最近の社会学分野での成果には,佐藤雅浩(小樽商科大准教授)の『精神疾患言説の歴史社会学』2013年,新曜社福岡愛子の『日本人の文革認識』2014年,新曜社,などがある。いずれも博士論文がもとになったものだ。就職していればこれだけの重厚な著作は書けなかっただろう。

 補注)本ブログ筆者も,公刊されていて実際にたまたま一読した著作のなかに,そのような経歴の著者がいたのをしって,感心したものである。だが,残念ながらそうではない事例のほうが多い。

 大学院生にとっては学位のみならず,単著があることは,ジョブ・ハンティングの上で大きな武器になる。しかし,出版不況のもとで本は売れず,ましてや人文書の出版を引き受けてくれる版元は少ない。大学は「製造物責任」を果たすうえで,学位授与の証として博士論文に対する出版助成を積極的におこなうべきだろう。

 補注)大規模大学を中心に自学内に出版部門をもつ大学も多くある。そこで,全国的に統一された「博士号取得論文」出版のための公的な機関があってよいと考える。もちろん,この機関がある種の査読機能を担わされる点も想定されるはずである。

 アカデミック・マーケットのよいところは,業績評価の公平性が期待できることだ。職がなくても単著があれば,大学院生に大いに励みとなり,レベルも向上する。大学院重点化政策の失政を大学がフォローする意味でも検討してほしい。(引用終わり)

 要するに,1990年代に開始された大学院重点化政策が生んだものは,日本の大学院教育の単なる水増し化:肥大化であった。その教育の内容は,いちじるしく水準を低下させており,なんのための大学院の増設・拡大政策であったのかという疑念を抱かせた。

 なかでも法科大学院制度の失敗は,この制度が開始された2004年度から2005年度の2年間で最多の74校が設置されていたものが,2020年度になって学生を募集した法科大学院になるとその半数近い35校が消滅していた事実において,明白であった。文部科学省は当初から,法科大学院の設置を野放図に認めてきたのである。

 以上,本日:2021年6月14日から振りかえってみる「日本の大学院教育」の実際的な様相であった。大学院重点化政策が開始されてから20年が経ったが,この過程のなかで日本における大学院教育定員が大幅に増えた。とはいえ,その質的な学術的水準は「理論と実践」の領域に関して,低空飛行を余儀なくされてきた。

 つぎの ② に進む記述の内容は11年前のものある。だが,現時点にも妥当する議論をしていたと自認する。ここまでの ① の記述が概論だとしたら,② の記述は各論の一例となる。 

 

  粗製濫造の博士号授与を奨励した文部科学省の拙政,その場しのぎの高等教育政策

 1) 文部科学省の姿勢

 文部科学省のホームページをのぞくと,「新時代の大学院教育の展開方策」という項目のなかに「円滑な博士の学位授与の促進」という細目があった。その日付は 2005年9月時点のものである。まず「課程制大学院制度の趣旨の徹底を図るとともに,博士の学位の質を確保しつつ,標準修業年限内の学位授与を促進する」と謳い,その具体的取組を以下のように説明していた。

  「各大学院における円滑な学位授与を促進するための改善策等の実施(学位授与に関する教員の意識改革の促進,学生を学位授与へと導く教育のプロセスを明確化する仕組みの整備とそれを踏まえた適切な教育・研究指導の実践など」。

 

 「各大学院における学位の水準の確保等に関する取組の実施(学位論文等の積極的な公表,論文審査方法の改善など」。

 

 「国による各大学院の学位授与に関する取組の把握・公表の実施」。

 そして「現行のいわゆる『論文博士』については,企業,公的研究機関の研究所等での研究成果をもとに博士の学位を取得したいと希望する者もいまだ多いことなども踏まえつつ,学位に関する国際的な考えかたや課程制大学院制度の趣旨などを念頭にそのありかたを検討し,それら学位の取得を希望する者が大学院における研究指導の機会がえられやすくなるような仕組を検討していくことが適当である」とも,断わっていた。

 注記)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/009.htm

 21世紀になって顕著な傾向は,日本の大学院が博士号,それも課程修了にともなって提出させ授与する「学位としての博士」号が積極的に発行されてきた事実である。ところが,本ブログ筆者の専門領域である経営学分野だけでの話ではないが,最近授与された博士号所持者の該当「博士論文」を実際に読んでみるに,いまひとつパッとしない,つまり理論水準的にも内容展開面でもまったくさえない業績・成果が多いことが気になっていた。

 2) 「課程博士」論文の質的問題

 本ブログの筆者も最近まで(以前のこと),大学における採用人事関係や研究の必要上,大学院で学んで課程博士として学位を取得した研究者の該当論文(経営学関係)をいくつも読んできた。

 率直にその感想を述べれば,はたして「これで博士号に質的に値するのか」という疑念を生じさせる論文が大多数であった。どうやら,しりあいの大学教員たちの話も聞いて総合すると,大学院博士〔後期〕課程があるので「博士号をともかく出すために学位の博士をただ漫然と授与している」という〈時代の流れ〉が感得できた。

 すなわち,文部科学省の行政指導もあってか,いままでは博士号を出すことにおいて「あまり積極的でなかった日本の大学」の,それも文系の大学院がすすんで学位を授与するようになっている。

 また関連する背景には,大学院の新増設や大学院大学の新設の急増にみあった,いいかえれば,大学院における研究水準を維持・向上させるうえで最低限必要となるはずの資質や学力を備えた「大学院への進学者」が,必らずしても比例的に増員していなかったという事情もある。

 その結果,日本の大学院において授与される博士号の学位は,だいぶインフレ現象を来している,つまり,安易に博士号を出している現状〔乱発・乱造気味〕があり,その必然的な成果として執筆された論文の質的水準もいちじるしく低劣化している,と推測されざるをえない。

 学位規則(昭和28年文部省令第9号)にもとづき授与した学位(いわゆる新制博士)の授与数は,1992年度の 10,885件 (そのうち論文博士は 6,106件,56%) から,2002年度の 16,314件 (4,962件,30%)に増加している。これから「論文博士」を除いた「課程博士」の増加数は,1992年度の 4,779件から,2002年度まで10年ほどで 11,352件と,2.38倍の伸長ぶりを示している。

 注記)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-17.pdf

 要は,簡単にいえば,「博士論文として質的に水準に達しているのか」という〈強い疑問〉を惹起させるような学位論文が少なくない。本日の記述は,この現状を端的に物語るような博士学位「論文」を,あらたに1編みつけてしまい,それもたまたま関心がある題名・内容であったがために,それを読むことになった筆者の立場からの「具体的な考察」,いいかえると「批判的な吟味」である。なお,学問的な議論を前提・意識しており,遠慮容赦なく討究を実行する。

 

  長崎大学経済学部大学院経済学研究科が授与した学位論文

 1) 先行研究に関する文献渉猟

 『「長崎大学学位論文」学位記番号:博 (経) 甲  第7号  学位授与年月日:平成22〔2010〕年3月19日』として博士号を授与された論文として,永松博志『企業の指導原理と倫理~企業倫理論の射程を求めて~』(長崎大学大学院 経済学研究科 経営意思決定専攻,平成22年1月)がある。同論文は,インターネットにその全文が公開されている。

 最初にここでは,抽象的・間接的に指定するほかないが,この学位論文の本文中では「引用されていない」はずのある文献が,なぜか「引用文献」の一覧に挙げられていた。どうしてそうなったのかについて,ここではあえて問わないことにする。

 それよりも,この永松博志『企業の指導原理と倫理~企業倫理論の射程を求めて~』の学術的な評価に関心を向けて,議論したい。まず,巻末に一覧されているその「引用文献(日本語文献・英語文献・独語文献・WEB 資料)」をのぞくと早速,疑問が出てきた。

 ひとまず,日本語文献の話にかぎった言及とする。当該「論文」の論考にさいして,どのような文献がどのような範囲にわたって蒐集され,その研究に供されていたかという観点に立ち入るそのまえに,永松博志が「枚挙している」参考文献〔←「引用文献」のこと〕に関連させて,ある指摘をしておきたい。

 2) 具体的な疑問

 たとえば,小松 章については「論稿」文献2点(1977年,1978年)が挙げられている。だが,小松の単著『企業の論理-社会科学としての経営学-』三嶺書房, 1983年は挙げられていない。

 櫻井克彦『現代の企業と社会』千倉書房,1991年は出されていても,『現代企業の社会的責任』千倉書房, 1976年,『現代企業の経営政策-社会的責任と企業経営-』千倉書房,1979年は出していない。

 たとえばまた,杉村廣蔵『経済倫理の構造』岩波書店,1938年はあっても,杉村の『経済哲學の基本問題 』岩波書店, 1935年などは一覧に出されていない。

 高田 馨『経営の目的と責任』日本生産性本部,1970年,『経営者の社会的責任』千倉書房,1974年という著書はみえても,『経営の倫理と責任』千倉書房, 1989年,『経営学の対象と方法-経営成果原理の方法論的省察-』千倉書房,,1987年,『経営共同体の原理-ニックリッシュ経営学の研究-』森山書店,1957年,『経営の職能的構造-経営分業の原理-』千倉書房,1959年,『経営成果の原理』千倉書房, 1969年などは,無関係の文献とみなされたわけでもあるまいが,登場しない。

 たとえばくわえて,「Oliver Sheldon(1894-1951) 英国人経営者で,自己の経験を基礎とした論文を発表。翻訳版では田代義範訳(1974)『経営管理の哲学』,未来社,がある」(永松,38頁,注77)と解説しているけれども,同書の日本語訳はさらに2冊ある。戦前の,蒲生俊文譯述『産業管理の哲學』人格社, 1930年,戦後の,企業制度研究会訳『経営のフィロソフィ-企業の社会的責任と管理-』雄松堂書店, 1975年。

 論稿の方面でいえば,裴 富吉の論稿「経営学と『存在論的価値判断』-藻利学説:経営二重構造に関する研究覚書-」,札幌商科大学『論集〈商経編〉』第30号,1981年を挙げていても,この裴がほかにも「藻利経営学」に関してあまた公表している論著は,なにも触れられていない。

 以上の文献渉猟に関する指摘は,永松博志『企業の指導原理と倫理~企業倫理論の射程を求めて~』の追究内容であれば,いずれも深い関連を有するものであるゆえ,あえておこなってみた。それらは,学術研究にさいして「事前の文献渉猟」をひととおりおこなっていれば,おそらく,もらすはずもない文献:論著ばかりである。それとも特定の意向があって,以上に指摘された文献は「挙げていない」というのであれば,これは筆者の杞憂であり,余計なお節介である。

 永松博志『企業の指導原理と倫理~企業倫理論の射程を求めて~』末尾の「引用文献」一覧に掲示されている論著は,一般論でいって,もの足りないという印象を強く抱くほかなかった。先行する研究業績・成果への目配りはきちんとなされている,おこなっておいた,という事実を確実に提示しておくためにも,自己の研究に関連する文献リストの網羅的な制作は,けっして軽んじてはならない基本の作業である。

 

  先行研究に配慮不足の研究は「学位論文の品質水準」に大きくひびく

 1)「藻利経営学」に一知半解の立場

 永松博志は本文の末尾で,こういいわけしている。

 本研究にあたって,価値判断の問題に関して詳細に取り扱っていないことである。本研究においては,企業倫理を,藻利により体系化された企業の指導原理を基にして,その本質を究明することを主眼として考察および内在的批判を展開してきた。しかし,藻利の所論の根幹をなすとされる,存在論的価値判断に関しては論究できていない。

 

 本来,社会科学としての経営学ならびに経済学は,価値判断を含んだ時点で,もはや科学としては有り得ないと理解される。Martin Heidegger が,かつて「ある」という存在論から哲学を展開したように,また,かつて,山本安次郎が「経営」の存在から本質論を展開したように,最初に「存在」をあるものとして,そこから考察を試みる研究方法はある。

 

 ただし,注意すべきは,その主観を絶対的なものと認識し,主観のままに「存在」を認めておくことは研究者として採るべき道ではない。その「存在」を様々な検証にかけることで,その存在の性質と全容を調べ上げることにより,その過程の先に客観性が出現するのである。経営学における存在論的価値判断に関しては,論究を深める必要があろう(140頁)。

 さて,「以上,われわれの研究の先には,難解な課題が山積している」(140頁)という永松は,引用文献の一覧のなかにかかげた裴 富吉「経営学と『存在論的価値判断』-藻利学説:経営二重構造に関する研究覚書-」〔など一連の裴による藻利経営学批判「論」〕を,まったく反映しない,つまり適切な言及も必要な反論もしないままに,以上のような断わりを最後に残していた。

 裴のような経営学研究をしてきた立場であれば,永松がいうように「藻利経営学」の「その範囲が膨大かつ多岐にわたり,その内容も深遠であることから,藻利の所論の全てを網羅しつつ,その理解力が完全であることは難しい。さらなる藻利経営学に対する探求が必要不可欠である」などと悠長に構えて済ませる事由は,なにもみいだせない。勉強不足を弁解する文句にしか聞こえない。

 すでに四半世紀以前から裴以外の各論者によっても,いわゆる「藻利経営学」に対した批判的な研究が蓄積されてきている。日本経営学史の事情に疎い研究者ならばともかくも,いまどき,そのような「自身の無知でなければ,研究不足であること」を理由にしてなのか,藻利経営学の「深遠」さの「底の浅さ」に気づかずに済ませていられる「研究者の基本姿勢」が問題にならないわけがない。
 
 2) 経営学の基本的立場が定まらぬ問題意識

 永松は「本研究全体を通して,企業倫理の研究は学際領域では無く,経営学そのものという認識を得ている」(139頁)と表白している。しかし,企業倫理の研究が学際(インターディスシプリナリー:interdisciplinary)に研究対象をとりあげることは,いうまでもない特徴である。

 「経営学からの研究視点」はもとより,学際的な接近方法を基本的な特性のひとつにとりこんでいる。この点を,永松はいかように踏まえたうえで,そのような発言をおこなっていたのか? 実に〈奇怪な発言〉であったと受けとるほかない。

 企業倫理学はそもそも,アメリカの学会次元でいえば,倫理学者たちが経営学の研究領域に立ち入ってくる方途で発生してきた。経営問題を経営学者ではなく倫理学者が研究することになれば,ここに学際的な研究の状況が生まれるのは必然である。

 経営学者たちもそのうちに,自分たち側における固有な研究課題として企業倫理の問題を研究対象にとりあげるようになった。研究対象=企業「倫理」,研究の方法=経営学となれば,この組合せにしたがい「学際的な研究の視座」が要請されるのは,あまりにも当然である。

 企業倫理の問題は経営学だけでなく,社会学でも法律学でも政治学でも,そして倫理学・哲学・思想史学からでもなんでも接近可能である。それゆえ,「企業倫理の研究は学際領域では無く,経営学そのものという認識」と断定したところで,一人決めの無意味な提言である。永松が独自に,学際領域を縦・横断的に束ねて分析しうる「経営学の研究視点」を確立しえているというのであれば,話は違ってこようが……。
 
  見当違いの問題意識-研究視点の問題性-

 1) 学説史的研究の不足・欠落のために生じた陥穽

 永松は「われわれの〔注記:このとくに頻繁に多用される修辞・表現が,実は藻利重隆流にかぶれた修辞であることをあえて指摘しておく〕研究目的は」「企業活動に関して,実践理論の確立を志向する実践科学としての『企業学』の見地から経営学を捉え,その体系化の中で企業倫理の本質を探究する」(4頁)と宣言していた。

 そのさいさらに,「企業の指導原理たる新たな営利原則による企業倫理の確立を,社会的企業活動における『経営のイノベーション』として捉え」,「その基軸にある企業倫理とは何であるかを研究し,究明することが本研究の目的である」(5頁)と断わっていた。

 ただしそのとき問題となるのは,永松が「藻利の企業管理における所論は,企業の対内的存在構造に関しては多くを論述するが,企業の対外的・対社会的存在構造に関しての言及が少ない」(7頁)と指摘するところにみいだせる。「経営のイノベーション」という用語も自明のごとく使用されているが,ここではこまかい議論はしないで,指摘のみに留めておく。

 日本における偉大な経営学説・理論を構築したと〈あまねく誤解〉されている「藻利経営学」が,その当初の構想からは大きく外れてしまっていた。つまり「企業の対外的・対社会的存在構造」,すなわち「企業の生活境遇 [Lebenslage] からの考究が少ない」(30頁。[   ] 内補足は筆者)ことに関していえば,それなりに歴史的な事情があったのである。

 実は,戦時体制期において「ナチス経営共同体論を日本国家全体主義的に模倣し,構想した体験」の大失策に懲りた藻利は,敗戦後になると「羹に懲りて膾を吹く」精神状態に落ちこんだ。そのために「企業をかこむ〈政治・経済の状況〉との関連」問題には,うかつに手出しできなくなった。

 そういう日本の経営学史的に展開されてきた「顛末:彼の理論の傷跡」が記録されている。これを視野の外に置いたまま・みない「藻利経営学の後追い的な,それも藻利称賛にのみ先走ったかのような研究」が,後学として大きな制約を受けることは「火をみるよりも明らか」である。

 2) ゴットル,シェルドン,ニックシッリュ,そしてマルクス

 永松は,藻利が「当然ながら生成・発展期のドイツ経営学などにおける Friedrich von Gottl-Ottlilienfeld (ゴットル),Oliver Sheldon (シェルドン),Heinrich Nichlisch(ニックリッシュ)を始め,マルクス経済学にも精通している」という認識を示していた。だが,これらの独・英経営学説や独経済学説が,いったいどのように「藻利経営学」に理論的に反映されているのか,永松自身のほうでは,その理解に関して必ずしも〈精通している〉わけではなかった。

 藻利の主張には確かに,本質面ではゴットルとニックシッリュ,方法面ではシェルドン,論理面ではマルクスが利用されている。これらを前提にいおう。藻利の構想は,「生活境遇  [Lebenslage]  から得られる社会的要請や制約を生活態様  [Lebensstand]  で受けとめ判断した上で,意思決定し行動するその対応能力に求める」といった,すなわち,その「企業の生活態様  [Lebensstand]  の倫理の発揮」(39頁)という論点は,藻利においてどのような時代的な変遷をたどりつつ,具体的に描かれてきたのか?

 永松は「営利原則に端を発する企業倫理の動揺が,社会的に把握されていることが当然なる状態の中にあって,社会の成り行きに敏感な・・・不安と苦悩を与えることに依拠し,それをパラドックスとして藻利が感じ取った経営学の危機」というものに言及している。こういう理解を藻利経営学にみてとるのであれば,藻利の主張が時代ごとに変質していった足跡を観察することも,きっと有意義な「経営学史」的眺望を与えるに違いない。

 つまり,藻利の主張に関して「修正営利原則として,営利性と社会性の止揚から『企業の利潤獲得能力の動態的・発展的維持』として企業維持に即した新たな営利原則を」「試論として展開した」(77頁)というさい,そこに指摘された「社会性」という概念が問題となる。永松の触れたその「社会性」とは,「企業学として企業倫理を問題にするとき,企業に課すための倫理を問うのではなく,企業が自らの倫理的価値観を持って自らを律する行動を問うこと,ここに,藻利の企業倫理に対する探求の根本がある」(96頁)と解釈されていた。

 

  戦時体制期における「藻利経営学」の発想源泉

 1) 経営学研究史における1940年問題の介在

 しかし,戦時体制期における藻利の企業学は,永松が戦後における藻利理論に限定していうところの問題,すなわち「企業の指導原理も,藻利が求めた指導原理と,今,求められる指導原理に違いが出てきたと捉える」(永松,97頁)という考えかたと,まったく同じ要領で把握できる。

 要は「戦時期において藻利理論の提唱した企業学の指導原理」は,その後〔戦後〕に求められた指導原理と違いを来していた,という事実に注目しなければならない。敗戦という歴史の出来事をはさんで,こういう事情が生じていた。

 つまり,戦時期における「社会的存在」としての「企業の生活態様」は,戦争遂行中の全体主義国家体制が「企業の生活境遇」に対して強いていた「社会的・客観的な規制」にしたがう方途をとるほかなかった。

 当時,藻利学説の理論展開もまた,その方途に正直に応じ,反映させる学問を営為していた。それは,戦時下におけるナチス流経営生物学的な「経営共同体」論という提唱がなされていた。 

 ところが,笠原はこの種の論点にはけっして踏みこまないで,ただ「暗黙の理由」という表現のなかに封印しておいた。だからこそ,その論点の究明なくしては,戦後期の藻利「経営学の基本性格」となった「企業目的論や経営二重構造論の〈相即論〉」に関する「歴史的かつ論理的な解明」は,困難をきわめていた。

 つまり,「企業の営利原則の実質的・具体的形態がすでに変容しているのに」もかかわらず,藻利「経営学」の「企業目的論」および「経営二重構造論」を,「歴史的変容における特定の形態を表す一つの理想型的論述として,把握し直すことができる」と解釈したのは,単なる過褒でしかない。藻利学説は敗戦直後からすでに,「理想型」的な理論を,歴史的観点に密着して提供できなくなっていた(24頁参照)。

 文中に登場する笠原とは笠原俊彦であるが,永松博志も,笠原俊彦『資本主義の精神と経営学』千倉書房,2007年に論及していた(永松,49頁以下)。

 2) 指導教員側の能力問題

 永松は,指導教員である菅家正瑞『環境管理の成立』千倉書房,2006年の教えを継承する。菅家は,藻利経営学の特徴である二重構造経営論=「生産管理と労務管理」との相即論に対して,「経営市民的構造」の合理化を課題とする「市民化管理」をくわえて,さらにこれらを統合するための「総合管理」という生活態様の三重構造化を論じた(永松,35頁。菅家では17-21頁)。

 「菅家→永松」におけるそうした主張の継承は,こうも表現されていた。「超越的な軌範論を介さず企業倫理を実現するには,企業の自律的活動として,社会の要請を敏感に感じ取る能力が不可欠であり,それは企業の生活境遇からの刺激を,生活態様が機敏に対応することを示す。これは今日」における「倫理とビジネスが相伴う主張」「とも整合性を持つのである」(永松,40頁)。

 藻利経営学の,非常に困難な,それも克服不可能な戦時的課題が積み残されていたが,いまだにその理論的な批判も学問思想の吟味もなされていない。それは,前段に指摘されたような「藻利の戦時理論の展開」から必然的に発生していた重要な論点であった。同じ経営学者に関する論点のとりあつかいにおいて,「戦後はあつかうけれども,戦前・戦中はあつかわない」のでは,連続性を欠き,一貫しない分析になる。

 戦時体制期において披露された藻利の学説・理論は,全体主義国家体制が命じていた「社会の要請を敏感に感じ取る能力」を,遺憾なく発揮していた。それはまた,「国家の立場」が具体的に指示するその〈社会の要請〉が描いた〈企業の生活境遇〉に「機敏に対応する」〈企業の生活態様〉論を,『ナチス流経営生物学的な経営共同体論』として戦時の企業社会向けに公表していた。

 補注;2021年6月14日 追記)増地庸治郎編『戦時経営学』巖松堂書店,昭和20年2月に藻利重隆は「経営の共同体理論」を寄稿していた。この論文がその「ナチス流経営生物学的な経営共同体論」を提唱していた。いうところの「全体的個体性の理論に,従って民族的乃至国家的経営の理論に想到することによってのみはじめて」,当時における日本の経営学が「解明し得るものなることを信ずる」(372頁)と,結論していた。

 1945年以後における藻利経営学の発展・変遷をとりあげるならば,そのまえの戦争の時代から「敗戦後にかけて転向・変成していった」その理論の展開もとりあげるべきである。それでこそ初めて,経営学史研究として必要かつ十分な包括的・全体的な考察が,藻利経営学についても可能になるのではなかったか?

 その意味で,永松博志『企業の指導原理と倫理~企業倫理論の射程を求めて~』(長崎大学大学院 経済学研究科 経営意思決定専攻,平成22年1月)は,消化不良で未熟,仕掛品的な学位論文であった。もっとも,こうした問題性が発生する背景に関しては,指導する教員たちの経営学研究能力に関しても疑問があった。

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