「日本・日本人・日本民族・日本文化の単一・純粋性という虚構」の昔話もあったが,2021年7月に1年延期になっている「2020東京オリンピックの開催」にこだわる菅 義偉政権は,コロナ禍がその開催中にまたぶり返すという専門家の予測・警告もなんのその,新型コロナウイルス感染拡大に向けて特攻精神を再発揮しようとする暗愚・無知

             (2010年9月12日,更新 2021年6月17日)

 2020年初春から始まっていたコロナ禍に対する日本政府(前安倍晋三政権と現菅 義偉政権)の対応ぶりは,五輪を開くためならば,この感染症問題への突撃を特攻精神でもって闇雲に敢行するつもりである,その政治姿勢の非科学的かつ無謀である特徴はすでに,この「日本社会」を破壊させる様相を呈しはじめていた

 国民たちもひどく舐められつづけてきたものである,通常のかたちでの国際大運動会は開催できず,参加国や参加できる選手たちも限定される結果,地元の日本選手に有利な競技となれば,日本側に金メダルが量産される有利性は目にみえているが,それではまともな五輪開催にはなりえない

 それでなくとも,商業五輪になっている国際大運動会であるにもかかわらず,聖火をかかげて開催していれば,いかにも「感動詐欺」や「ボランティア搾取」などありえず,それをうまく粉飾できると思いこんでいるJOC五輪組織委員会やIOC幹部たちの五輪貴族的に高度に不躾である感性は,一般庶民を下等視する目線が強固である

 小学校や中学校の運動会はすべて中止にさせておいて,この国際大運動会だけは開催するというのでは,いったいどのような五輪開催に関した「国家の神経のあり方」なのかと疑われて当然

 

 🌑 前   言   🌑 

 今次における五輪大会開催は,すでに「大東亜・太平洋戦争」の「失敗体験」になぞらえられる言説をもって,盛んに批判されている。にもかかわらず,IOC本部とJOC五輪組織委員会は必死になって,しかも今夏の酷暑・猛暑の気象悪条件のもとであっても,東京オリンピックの開催を強行するつもりである。

 これは,まことに〈幼稚な冒険心〉がなさしめようとするきわめて危険な五輪大会の,それも五輪貴族たちの「自己満足」にしかなりえない開催を意味する。そしてまた,「死物化(私物化)した日本政治」の維持・継続を狙う菅 義偉政権の無謀な企図を教えている。

 2020東京オリンピックの開催に関しては「スポンサー企業」になっていない『東京新聞』が,しごくまっとうな意見を吐きつづけているので,最近における同紙の論調を何点か紹介しておく。

 1)「東京五輪中に緊急事態宣言の必要性も… 有観客目指す政府 『責任者不在で突撃,第2次世界大戦みたい』」『東京新聞』2021年6月17日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/111008

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 新型コロナウイルスに関して厚生労働省に助言する専門家組織「アドバイザリーボード」の〔6月〕16日の会合で,東京都の緊急事態宣言を解除した場合,東京五輪の大会期間中に宣言の再発令が必要となる可能性が指摘された。政府は大会成功アピールのために観客を入れることをめざしているが,専門家は人出が増えて感染がさらに拡大することを懸念している。

 ◆-1 開会式前後に新規感染700人 宣言なしで2000人も

 「宣言解除後の人流を10%増までに抑えても,7月後半から8月前半に宣言の再発令が必要になる可能性がある」。京都大と東北大,国立感染症研究所のシミュレーションによると,7月23日の開会式前後で,東京の新規感染者数は約700人。五輪開催で人流が10%増えると,7月末には約1000人に達する。

 これは,インドでみつかったデルタ株の影響力を小さく見積もった試算。現在流行中の英国由来のアルファ株に比べ感染力,病原性ともに1.2倍とした。影響を大きく見積もり,宣言もないと仮定すると,7月半ばに約2000人に達する。

 厚労省によると,14日時点で国内で確認されたデルタ株は117人だが,専門家組織に出された資料では,7月中旬にデルタ株は感染者の半数以上を占めると予測する。国民の4割以上がワクチンを接種した英国でも,デルタ株のまん延を受けて,今〔6〕月21日に予定した都市封鎖の全面解除が1カ月延期された。

 ◆-2 ワクチン神話に専門家は警鐘

 専門家組織座長の脇田隆字感染研所長は「シミュレーションで1番関係するのは,デルタ株の影響と人流増加」と説明。東京の人流は昼夜ともに5週連続で増えており,専門家組織は「リバウンド(再拡大)に向かうことが強く懸念される」と結論付けた。実際,都の発表によると,20代の新規感染者数は6月中旬から増加傾向をみせている。

 政府が「頼みの綱」とするワクチン接種への過度の期待にも,専門家はくぎを刺す。脇田氏は「宣言解除で対策がなにもなくなれば,高齢者接種が100%完了してもそれ以下の年齢層の感染者は減らない。ワクチンは強力な武器だが,感染源と感染経路対策が緩むと,1人が何人に感染させるかを示す実効再生産数は上がる」と明言した。

 ◆-3 開催リスクの専門家提言 「こういうのは作文」

 都の新規感染者数は16日,約2週間ぶりに500人を上回った。五輪開催を不安視する国民も多く,政府の新型コロナ対策分科会の尾身 茂会長は,開催リスクに関して政府に提言を出すと表明したが,発表に時間がかかっている。

 専門家の独自性を保ちながら,政府にも受け入れられ,提言に参加する全員が納得できる内容が求められる。あるメンバーは「こういうのは作文だから。どうとでも読めて,皆が納得できるよう(政府とも)協力してやるのが1番いい」と話す。このメンバーによると,提言は大筋で完成した。尾身氏は菅 義偉首相に手渡し,説明することにこだわっているという。

 東京五輪パンデミック(世界的大流行)下で開かれる世界最大のイベントとなる。別のメンバーは「あっと驚くような提言は出てこない。(大会後)組織委は解散し,政府は『俺たちはしらない』という。第2次世界大戦みたい。誰か責任者がいるわけでもなく突撃している感じ」と皮肉った。

 2)「〈社説〉専門家の警鐘 なぜ真剣に向き合わぬ」東京新聞』2021年6月9日 08時16分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/109542

 感染症の専門家が鳴らす警鐘に政府はなぜ真剣に向き合おうとしないのか。危機感が欠如していると言わざるをえない。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長=写真=が,東京五輪パラリンピックの開催に伴う感染拡大への懸念を繰り返し表明している。

 〔6月〕3日の参院厚生労働委員会では「パンデミック(世界的大流行)で(大会を)やるのは普通はない」と指摘。流行が続くなかで国民の理解をうるには開催目的を明確にして対策を講じるよう求めた。尾身氏ら感染症の専門家は,開催のリスク評価や対策などの提言を近く独自にまとめる考えだ。

 しかし,田村憲久厚労相は「必要なもの,参考になるものは取り入れさせていただく」といいつつも「自主的な研究成果の発表だと受け止める」と正式提言と認めようとしない。提言を受け入れれば,五輪開催がむずかしくなると,敬遠しているようにもみえる。

 菅 義偉首相は感染症対策は「専門家の意見を聞いて判断する」と繰り返してきた。都合が悪いと耳をふさぐのでは五輪への国民の理解はとてもえられまい。政府は,大会開催の可否を決める感染状況について基準を示していない。それが国民を不安にさせていると受け止めるべきだ。

 補注)つまり,そのあたりに関する判断の基準について菅 義偉政権は「自分たちだけの胸三寸で判断するものだ」と,事前より勝手に決めこんでいたものゆえ,専門家たちの意見などに本気で耳と傾ける意向は,初めから毛頭なかった。

 もちろん,政権に都合のよい助言は受け入れるが,そうでない意見にはいっさい耳を貸さない。このあたりをとらえて「馬の耳に念仏」だと形容したある人は,それでは馬に対して悪いとまで形容する表現をもって,現政権に特有である感性・知性・理性の欠損ぶり(馬や鹿より以下であるそのありさま)を指摘していた。

 しかも,五輪開催は全国の流行状況にも影響を及ぼす。尾身氏は,選手や大会関係者だけの感染症対策では不十分だという。人出が増える要因に

  (1) 全国から観客が移動する
  (2) パブリックビューイングなどのイベントに人が集まる
  (3) お盆や連休と重なり都市部から地方に人が動く

の3つを挙げた。

 5月の大型連休に旅行者が増えた沖縄県や北海道ではその後,感染が拡大した。五輪を国全体の感染対策のなかに位置付け,具体策を検討すべき段階だが,観客を入れるのか無観客かさえ決まっていない。地域医療に与える影響についても見通しすら示されていない。

 政府からの諮問がないなか,感染症の専門家があえて提言に踏みこむのは異例だ。首相はその危機感と向き合い,共有すべきである。

 補注)菅 義偉が蔭でささやいていることばは,こう説明できる。ともかくなんでもいいから五輪を開催すれば,日本の選手には有利にメダルがどんどん取れて,日本人の観衆は大喜び,その結果,五輪開催を強行したオレの評判(内閣支持率)もあがり,自民党総裁の任期切れと前後して衆議院解散選挙をすれば,自民党には有利な情勢が生まれる,と。これすなわち「政治の私物化」行為であった。

 以上の記事のなかに登場したとくに,専門家組織とか国立感染症研究所とかいった政府の制度や機関は,コロナ禍の経過事情に絡めていえば,どちらかというと「有害無益」な人たち(いちおう専門家たち)が構成する組織体であった。新型コロナウイルス感染拡大「問題」の関係については,「原子力村」という名称を真似て,「感染症村」と指称されるべき利害共同体の存在が指摘されている。

 したがって,その村落共同体に所属する人びとは専門家であっても,2020年初めから日本に侵入してきたコロナ禍に対して,ろくでもない対処しかできていなかった「連中」であったか,あるいは不作為的な対応ばかり重ねてきた〈連中〉でしかなかった。

 しかしながら,とうとうこの時期まで来た段階である。7月下旬に始める予定である「五輪を本当に開催したら」,すでに予測されているところだが,「その感染拡大が周期的にぶり返している現象」に対してさらに「輪をかけたかたちで」「感染を拡大させかねない」と,政府側の立場にべったりである専門家であっても,警告せざるをえなくなっていた。

 尾身 茂はその代表的な政府側の人物であった。だが,この人物であっても「もういい加減にしないと,コロナ禍の感染拡大の問題には責任がもてない」といった姿勢を示しはじめ,その旨に沿った発言をせざるをえない立場に追いこまれていた。しかし,菅 義偉の姿勢は,あいもかわらず「自分の意向に合う意見」以外,絶対に耳を貸そうとしない。要は,この首相はただ頑迷だけなのであり,政治家として必要な基本的な能力を備えていない。

 戦前の時代に,石原莞爾東條英機「首相」のことを「上等兵」だとこき下ろしたが,はたして,いまどきの菅 義偉は「何等兵」にたとえたら適当か?

 3)「〈社説〉国会きょう閉会  国民が見えているのか」東京新聞』2021年6月16日 08時11分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/110858?rct=editorial

 通常国会が今日〔6月16日〕閉会する。新型コロナウイルスの感染が収まらないなか,国民の命と暮らしを守るために,国会はみずからの役割を果たしたのか。あえて問いたい。「国民が見えているのか」と。

 国権の最高機関であり,唯一の立法機関である国会は,国政の調査や行政監視の権能を国民から委ねられている。その役割を果たせたのか,すべての議員が,まず自問自答すべきである。

 まずは新型コロナ対策。ワクチン接種が進んでいるが,接種率がなぜ他の先進諸国に比べて低いのか。菅 義偉首相ら政権の危機感が当初乏しかったのではないか。

 緊急事態宣言などの発令と解除をめぐり,後手といわれたり,時期尚早と批判される対応をなぜ繰り返したのか,東京五輪パラリンピックの開催強行が医療態勢を逼迫させ,国民の命や暮らしを危険にさらすことはないのか。

 こうした尽きない疑問や不安を首相や政府にぶつけ,経済支援など足らざる対策を講じるよう迫ることこそ国会の役割だが,政府側から納得のいく答えはない。一義的に政府の責任だが,答えを引き出せない国会の責任も重大だ。

 会期中には,与党議員が緊急事態宣言下の夜の酒場通いで相次いで辞職,離党した。国民の苦しい状況がみえていれば,こんな軽率な行動を取れるはずがない。この国会に引きつがれた多くの問題も,解明に至っていない。

 菅首相による日本学術会議会員の任命拒否,安倍晋三前首相事務所の「桜を見る会」前日夕食会への会費補填,西川公也吉川貴盛両元農相が鶏卵大手から現金を受領したとされる事件,参院広島選挙区での公選法違反事件などだ。

 さかのぼれば森友・加計学園をめぐる問題も未解明だ。政権中枢に近い者への優遇という点で,菅政権で発覚した首相長男らによる総務省接待問題にも通底する。

 独善的な政権運営や「政治とカネ」をめぐる問題は国政調査権を駆使して真相を解明し,再発防止策を講じるべきだが,国会,特に与党の動きは鈍く,責任を放棄したと批判されても仕方がない。すべての議員に猛省を促したい。(引用終わり)

 要するに「クソまみれであって,かつ銅臭ばかりが濃厚にただよう」自民党政権が,その “あらゆる臭さ” に対してなるのだが,「五輪を開催すれば,これを強力な消臭剤に利用できる」かのように思いこんでいる。あとは結局,国民たちのもちうる政治意識水準の高さとその質的な批判力の問題になっている。

 中級以下のとくに下級市民にとって,いまの日本における経済社会の状況は深刻に過ぎる。ところが菅 義偉は,そうした困難な現状をかかえている最中にあっても,五輪を開催さえすれば国民たちの歓心を買えると思いこんでいる。ここには,菅 義偉政権の軽佻浮薄が端的に表現されている。国民たちはこの政権の残忍さをよく理解しておくべきである。

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 コロナ禍で苦しむ人びとを助けることなどよりも,五輪の開催のためであれば惜しげもなく,「ヒト・モノ・カネ・情報・制度」のすべてを総動員させている。本日『朝日新聞』朝刊「生活」欄にはたまたま,上の解説記事が掲載されていた。五輪などやっているヒマ・余裕があるならば,こちらを救うほうが先決問題である。「私物化政治の悪弊」は,こういった社会現実にも端的に現象している。

 以上までの記述が2021年6月17日に追加された段落である。そして,ここから以下の記述が初出されたのは,2010年9月12日であった。こちらの記述は,とくに谷光太郎『敗北の理由-日本軍エリートはなぜ迷走したのか-』をとりあげて詮議している。谷光のこの本に関する論及は,「妙な前提話で始まる軍事本」だという理解を前提に置いてなされる。

 

  戦争と情報の歴史

 1)  谷光太郎『敗北の理由-日本軍エリートはなぜ迷走したのか-』2010年の編成内容

 本ブログ筆者が,この谷光太郎『敗北の理由-日本軍エリートはなぜ迷走したのか-』ダイヤモンド社,2010年8月をひもときはじめた段階であったが,「はじめに」の箇所で早速,いきなりのけぞりかえるような記述に出会った。本書の執筆者は,谷光太郎(たにみつ・たろう,1941年生まれ)といい,現在〔2010年8月当時〕,大阪成蹊大学現代経営情報学部教授であった。谷光の略歴はこうである。

  1963年東北大学法学部卒業後,同年三菱電機株式会社入社,LSI開発研究計画部参事などを経て,1994年山口大学経済学部教授,2004年より〔2010年〕現職。『半導体産業の軌跡』日刊工業新聞社,『情報敗戦』ピアソン・エデュケーション,『米軍提督と太平洋戦争』学習研究社,訳書に『J.P.コッター ビジネス・リーダー論』ダイヤモンド社などの著作がある。

 さきに,谷光太郎『敗北の理由』の章立てのみ紹介しておくことにするが,本日の記述に深い関連をもつ〈情報〉ということばが,各章に充てられていることに留意したい。

 は じ め に
 第1章 情報軽視が組織を崩壊させる-作戦偏重に陥った軍参謀たち-
 第2章 トップが知るべきこと-情報への執念の格差-
 第3章 生きた情報をいかに集めるか-都合の悪い情報を無視する弊害-
 第4章 変化する情報にいかに追いつくか-暗号戦に見る日米の違い-
 第5章 情報のプロフェッショナルの育成-情報参謀の価値を見失った日本軍-
 第6章 情報と戦略の架け橋-日清・日露戦争と太平洋戦争の違い-
 第7章 官僚化した組織における情報軽視-技術,戦略,組織衰退の仕組み-

 2) 日本民族は平和志向であった!

 谷光太郎は,こうした目次を軍事史研究として編成し,本書を上梓したはずである。ところが,近現代史における軍事問題の分析としてはきわめて適切な解明をおこなうにもかかわらず,戦争の歴史のなかに潜むあらゆる種類の〈情報〉を包括的に研究するときの,日本文化史や日本歴史全般に関連する議論が,にわかに雑然たる記述になる。その最たる箇所が,「はじめに」でのつぎのような記述である。

 日本は海洋の孤島にあって,異民族との間で血で血を洗うような凄惨な戦争を繰り返したり,異民族に征服され,その苛斂誅求を受けた歴史がなく,易姓革命の流血もなかった。同一民族・同一言語のうえ,気候温暖多雨な風土,数千年にわたって稲作農耕に従事した日本人の間には,和と長幼の序を尊び,横並びを好む体質が形成されてきた。

 補注)この段落について,こう批判しておく。日本史において「同民族との間で血で血を洗うような凄惨な戦争」は,まったくなかったか? 否であった。「同民族同士内で征服され,その苛斂誅求を受けた歴史」は,全然なかったか? 否であった。

 

 敗戦後10年ころまでに区切っていうこととするが,日本国内のすべてが「同一民族・同一言語」の近代国家であったか? 否であった。庶民次元で使用される薩摩弁と津軽弁が通じていたか? 否であった。

 

 日本の国土は「気候温暖多雨な風土」だというが,「地震雷火事親父」の関係でいえば,とくに地震や台風の被害ときたら相当な記録をしてきた。大津波に襲来され消えたしまった海岸沿いの集落は,いくらでもあった。

 

 「数千年にわたって稲作農耕に従事した日本人」といっているが,網野善彦の研究はそのような日本史全体の理解を否定している。研究者でもある人物は,この程度の知識・情報をしらないはずがないと思いたいが,どうやら「否であった」。

 

 以上の点は後段で言及がある。

 

 農耕社会は能力の峻別を嫌う社会でもある。組織の風土から外れずに大勢に順応して生きてゆくためには,本質をあいまいにした妥協が重要となる。現在のビジネス界でも,そのような日本人気質に長けた人は,バランス感覚に優れた人材として評価される。かかる風土では,軍や経営組織のなかに,しらずしらずの間に共同体組織風土がしみこんでくるのは自然であろう。

 

 生存競争の激しい環境に対処しなければならぬ機能型組織においては,幹部は例外なく,情報の収集と,その分析・評価に注力するが,共同体型組織では情報への関心は薄い。昭和の陸海軍は明治の軍や米軍と比べ,共同体組織化していた。

 

 上述した日本の地理的特殊性や何千年来の稲作農耕気質が,戦国時代や,幕末明治初期の動乱期を例外として,日本の歴史風土を築いてきた。これは長年かけて醸成されてきたもので,個人の性格が変わらないとの同様に,百年や2百年の単位で変わるものではない,と肝に銘じておく必要がある(はじめに,ⅴ-ⅵ頁)

 谷光太郎は,本文中においてもときどき,この種の「日本的文化の歴史的伝統」を強調していた。つまり,専断的な命題を全面に押し出していた。つまり,歴史的に最低限は必要なはずの実証的な根拠もなく,ただ決めつけ的に措定した〈歴史判断〉を登場させていた。本文中に出てくるその種の記述は,あとでまた指摘することにし,つぎの記述にすすもう。

 

  固定観念による歴史の裁断

 1) 例外をとりのぞいた〈通常だけの歴史〉がありうるのか?

 谷光は,日本の歴史のなかで「例外」を認める。それは〈戦国時代〉と〈幕末明治初期の動乱期〉であったと判定されている。はたして,歴史を研究する立場・視点というものは,「歴史の流れ」のなかに発生した「例外というものを除外して」成立しうるものなのか,相当に疑問である。

 例外というからには,日本の歴史において〈この例外〉をひとまず分離・排除して考えておき,全体の通史的な性格に対して,それが〈とくべつの関連も影響もない〉という,そういう意味あいでの〈例外〉ということになる。この例外あつかいの事由が適切に説明されていない。

 はたして,日本の歴史を観る目線としてそのような〈例外視〉が許されるのか? 谷光流に即していえばたとえば,「1945年8月15日~9月2日」以降の日本帝国:日本国が,主にアメリカ軍によって占領・支配されていた時期=事実も,おそらく「例外の時期」になるのかもしれない。

 そうなると「戦後における日本という国家のありかた」に大きな影響を与えたGHQの存在も,一時的という意味で,ただ例外的な影響を与えたに過ぎなかったのが,連合国最高司令官総司令部であり,その総司令官であったダグラス・マッカーサー元帥であったということになりかねない。

 はたして,思いきって大胆にもそのような裁断=切断をもってする「昭和に関する歴史」観が,戦後における日本の歴史を俯瞰するために適切なものといえるか? 無理である。

 21世紀における日本政府のありかた:動向に対しても,いまなお大きな影響力を与えつづけている国際条約が「日米安全保障条約」である。 1957年4月28日までの日本は,完全に連合軍の占領・統治下に置かれていた。

 敗戦後長らくつづいてきたこの時期の歴史を例外期とみなしたり,今日における日本国のありかたとは深い関係性がない期間などと認識することは,歴史に対する理解としてあまりに稚拙であり,問題把握にとっては間違いだといってもよい。

 日本の歴史のなかで「戦国時代」とは,1467年「応仁の乱」あるいは1493年「明応の政変」に始まり,1573年に織田信長が15代室町将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府が倒されるまでの時代,つまり「戦国大名が乱立した時代」であるとされる。

 織田信長から豊臣秀吉徳川家康につづく時代が,戦国時代を経てきたからこそ到来したという〈連続的な歴史の理解〉ではなく,織田・豊臣・徳川〔家康〕以前の戦国時代を「例外」としてあつかう〈谷光の意図〉は,どのへんにあるのか?

 戦国時代は「1467年から1573年まで」の約1世紀もの長期間つづいた。これを例外の時期とみなして日本の歴史から除外する見地は,不自然を通りこすどころか,日本史における重要な時代を「歴史的に無視した歴史観(!?)」を提示したことになる。

 第2次大戦の敗戦後,日本を支配・統治した「GHQ軍事支配体制」時代の影響は,21世紀の日本の政治においてもいまなお,大きな影響力を発揮し,国際政治体制のなかにおける日本の位置を半世紀以上も決定づけ束縛してきた。

 谷光は「幕末明治初期の動乱期」も例外だといっていた。しかし,日本の歴史からこの時期を例外視し,故意に除外する,きわめて恣意的な〈歴史の視座〉は許されない。その動乱期があったからこそ,明治以来,今日までの日本〔帝〕国が形成・発展していき,同時にまた挫折もしていく歴史的基盤が用意されたのであるから,その時期だけを特別視しておきわざと除外する措置は,とうてい「理解しがたい〈非歴史的な歴史観〉」である。

 2) 御都合主義的な史観

 つまり谷光は,① の 2) での主張=「異民族との間で血で血を洗うような凄惨な戦争を繰り返したり,異民族に征服され,その苛斂誅求を受けた歴史がなく,易姓革命の流血もなかった」(「はじめに」ⅴ頁)のが,日本民族の歴史であり,日本文化の特質でもあるから,こうした「血・流血」ということばを露骨に想起させるような「〈日本の歴史〉における出来事」は,日本の歴史そのものでなく,あくまで「例外的な出来事:一時期だけの歴史現象」といいたいかったのである。

 しかも,「血で血を洗うような凄惨な戦争」という字句のまえに,ごていねいにも「異民族との間で」という条件・限定まで付けている。すなわち,日本の歴史にあっては「凄惨な戦争」は,起きたことがなかったわけではないけれども,例外的にあるいは臨時・偶発的に起きただけの,それも「異民族との間で」生じた〈異常事態である〉とでもいいたいかのように,日本史の展開を認識しようとしている。

 さて,反転させて考えるまでもない点であるが,谷光が例外的だとはいいながらも,戦国時代や明治維新前後期においては日本でも「血で血を洗うような凄惨な戦争」があった史実は認めている。古代史における天皇家系図の流れにおいても,多くの〈暗殺事件〉が起こされている。

 ともかく,日本の歴史はいつでも「おだやかに平穏に流れてきた」といいたいのか? 織田信長豊臣秀吉が,そして「幕末明治初期の動乱期」に惹起した敵軍や対立者に対する残虐行為は,日本人・日本民族にとって,ひたすらともかく〈例外的な出来事であった〉といいたいのか?

 谷光の定言で興味深いのは,「これは長年かけて醸成されてきたもので,個人の性格が変わらないとの同様に,百年や2百年の単位で変わるものではない」と断わりを入れている点である。

 しかも,その発言はそのあいだに「百年や2百年の単位」において間違いなく起きた,日本人・日本民族同士での「血で血を洗うような凄惨な戦争」の歴史の記録を踏まえていた。つまり「歴史的に例外的な出来事」は「百年や2百年の単位」内にすべて収められ措置されるかたちで,無視される出来事であったと,きわめて都合よく処分している。

 日本の歴史は,日本という名称(国名)で成立した7世紀から数えていけば,まだ1300年から1400年ほどの長さしかない。この期間からいくつかの「百年や2百年の単位」を別枠のほうに抽出しておき,この期間内の各時代においては,日本国内でも

  イ)「血で血を洗うような凄惨な戦争」,

  ロ)「〔異民族に〕征服され,その苛斂誅求を受けた歴史」,

  ハ)易姓革命の流血」が現象していた

けれども,しかしながら,日本史においては基本的に,「同一民族・同一言語 」にもとづく特性の発揮〔→前記の イ)  ロ)  ハ) 〕においては,なんら変化がなかったと断言していた。歴史理解に関する論理的な前後関係で観察するに,このように,いいわけにもなりえないような軽率な理屈を,一気にかつ平気で使っている。

 よく考えてみたい。例外である〔=臨時・偶発など〕との理由を付して,日本の歴史展開のなかから「戦国時代」や「幕末明治初期の動乱期」を除去したら,そもそも日本の歴史はずたずたに寸断されてしまうし,その有機的な連続性も喪失する。結局,全体的な連続性をもって日本の歴史が眺望できなくなる。

 要は,谷光に〈特有の日本歴史観〉を申したてるために,日本人・日本民族の全史において,その思考上「都合の悪い時代」を「例外的な期間として除外する」という,まずもって「まとまな歴史観」とはいえない「恣意的で,観念上の裁断的な操作」をくわえている。

 というのは,その除外しておいた例外の時代・期間こそが実は,それに前後する時代・期間に関して〈切っても切れない〉,重要不可欠な,相互間の「歴史の連続性」を有しているからである。つまり,それらには質的にみても,みのがしがたい時系列的な〈意味の関連性〉が前後に浸透しあいながら存在している。この事実もあえて切断するという,まことに身勝手な姿勢が露呈されている。

 

  日本の風土論・文化観のふたしかさ

 1) 同一民族・同一言語「論」の落とし穴
 谷光太郎の風土観も,きわめてあやしく,非学術的な認識を暴露している。「気候温暖多雨な風土,数千年にわたって稲作農耕に従事した日本人の間に」という記述がある。

 しかし,日本列島をもしも,北は北海道〔北方領土樺太南部まで(?)入れるか〕から南は九州〔沖縄県島嶼も含めるか〕まで想定して考えると,まず「気候温暖多雨な風土」という気象学的な規定が,包括的であり過ぎるほかないという難点をはるかに超えて,ただ茫漠たるものにしかならない。これでは「風土の規定」(定義)というものの試図からして,初めから破綻している。

 a) つぎに,「同一民族・同一言語のうえ」という限定が,前段の記述内容のまえの部分にもちだされていた。だが,これもどだい,おかしい。日本国に住む人びとが,日本「国」が成立したとみなされる時期以来,その時間の経過と空間の広がりとの双方において,はたして「同一言語」の国でありえたかという点について議論しよう。

 日本という国ができた当時〔7世紀としておく〕,そのころからこの日本の圏内にとりこまれていた諸地域の人びとが,いまの時代にいう〈共通語:日本語〉を言語としてもっていたか,まったくのところ歴史的な確証はない。朝廷内では一部で,朝鮮半島からきた王族が〈朝鮮語〉〔に相当する言語〕を使い,意志の疎通が円滑にできなかったという話さえある。

 話を20世紀に移していおう。昭和20年代〔1950年前後〕の日本を回想する。全国津々浦々の人びとのあいだで,たとえば,鹿児島県のおばあちゃんと岩手県のおじいちゃんのあいだで用いられる「別々の」「日本語(!)が通じなかった事実」があった。

 2010年〔2021年〕のいまでも,テレビに出てくる地方の年寄り〔80歳あたりとする〕が話すことば(方言)は,その地元の人たちでないと聞きとれないばあいも多々ある。

 本ブログ筆者のある友人の奥さんは岩手県久慈市の出身であるが,彼女が自分のおばあちゃんと話していたことばは,東京の人間にはさっぱり分かる言語ではなかったといっていた。大学では英文科を卒業し,英語のできる彼女はだから,自分の語学力を「3ヶ国語話せる(トリ・リンガル)」と,冗談まじりにだが,ちょっぴり自慢していた。

 b) さらに,日本人が本当に「同一民族」であるかどうかという点について議論する。現在の日本国という枠組のなかで,はたして同一民族という言辞を使用するばあい,いったいどのような基準をもって定義するのか? 社会・文化人類学の専門的な見地でいって,現状の日本に住む人びとをとらえて〈同一〉の民族と断定できるのか?

 アイヌ民族出身者・沖縄人,そして在日外国人でも過去に植民地となった国家・地域出身のその子孫たち,逆方向でいうと日系南米人で最近日本に移住してきた若者たちもいる。最後の若者たちのなかには,日本に入国したときまったく日本語ができない者もけっこう多くいた。

 以上の話で,最後に登場させた「彼ら」も実質においては在日「外国」人問題であるし,彼らが正直なところ「日本人の文化的な民族性」という資質を,歴史的にもちあわせているのかと問えば,否といっていい。彼らは日本語が使えないだけでなく,日本の歴史・伝統・文化をしらない。日本・日本人として教育を受けていない経歴からいっても,あまりに当然の「彼ら自身」の側における文化的・伝統的な背景が別に控えている。

 日本の「日本人・日本民族」という概念を正式に厳密に定義せよ(!)といわれても,専門の学者でもまともに解答するのがむずかしい。多くの関連する論点:争点が残されている。無責任に,日本・日本人は「同一民族・同一言語」であるから,「こうであるとかああであるとか」などといってのけ,いかにもこの概念には〈当然の前提=確固たる共通理解がある〉かのように語るのは,まったく根拠のない非学問的な作り話である。せいぜいのところ,〈思いつき的発想〉と〈同等程度の価値〉しか認められない。

 2) 本文中にも登場する〈例外史観〉の文節

 太平洋戦争中のミッドウェー海戦敗北,連合艦隊司令長官山本五十六元帥の戦死は,日本海軍の暗号が情報として解読・利用されていた史実に関して,谷光はこう述べている。

 日本人の「お人好し」は,数千年来,海上の孤島にあり,異民族による過酷な支配や,異民族間の血で血を洗うような凄惨な体験がないためだろう。それは現在でも変わっていない。人を疑うことすら悪いこととされるし,「国際化とは外国を信用することによって達成される」といった,甘いことこのうえない新聞論調すら目にする(57頁)

 この引用の前半は,既述の引用と同文・同旨である。日本の古代史にあっても,東アジア圏内での政治的な交流があったから,この日本国が「海上の孤島」とはいえない。「数千年来」という「期間指定の文句」は,なにを基準にもちだすとしたら,そのように規定できるのか?

 日本の歴史「全体の通史」じたいを理解するに当たって,あまりに茫漠で雑駁な認識が露呈されている。かつまた,どうにもつかみようもない〈歴史の視野〉をもちだすところが,谷光の歴史観においては「決定的な難点」を提示している。

 しかもまずいことに,谷光は他所でも同じような記述を繰りかえしている。

 日本は周囲を海に囲まれ,同一言語の同一民族で何千年と過ごしてきた。異民族間での血で血を洗うような凄惨な戦いが続いたことがない。権謀術数の限りを尽くす外交戦の経験もほとんどない。このため,お人好しの国民になった。・・・日本人ほど諜報や防諜に不向きな国民はいない(106頁)

 谷光は〈お決まり〉ともいえるような,こうした「日本民族観」=「固定的な見解」を,分かりきった既定観念でもあるかのように,教条的に常套句として披露している。ここでも当然のように,「戦国時代」や「幕末明治初期の動乱期」を特別視して除去する日本史の展望が維持されている。

 かつて,古代史においては近くて親密な隣国であった朝鮮半島諸国が,明治時代になると日本帝国による権謀術数の好対象とされた。その後,20世紀の半ばまで,日本帝国の東アジア侵略路線においての〈日本軍の諜報活動〉は,それらの地域〔だけではなく中国・ロシアまで〕において,その後においても盛んにおこなわれていった。

 日露戦争のとき,日本軍には明石元二郎という “立派なスパイ” がいて,大活躍をしていた。その歴史の舞台は,まさしく「幕末明治初期の動乱期」からの〈密接な連続性〉において,長期間を展望しうる視座をもって観察されるべきものである。

 谷光の記述には,「江戸時代から明治維新まで,各藩は独立国であり,他藩との関係は外国との関係ともいえるものだった。長州や薩摩の侍たちは他藩との交渉で外交のセンスを身に付けると共に,維新戦争では実戦を体験し,軍事リアリズムへの認識を養った。西南戦争では戦(いくさ)に縁遠い農民,町民の兵士を率い日本最強の薩摩武士団と戦った」(174頁)という段落もある。

 だがこの論及は,日本の歴史のなかから「幕末明治初期の動乱期」を孤立させるために,わざと切りとったような歴史理解である。ということで,自身の歴史理解に関してみずからが,わざわざ〈他者の疑問〉を呼びこむほかない記述を残している。

 3) 顧みて他を言うがごとし,にも,実はなりえない「拙論の展示」

 谷光はこうもいっていた。「欧州各地の王は真剣に戦争に対処した。そうしないと弱小国は,戦略・戦術に真剣でない君主を持つ国々は強国に併合されていった。これらの厳しい体験から,多くの軍事思想が生まれた。その意味で,近代参謀制度が欧州で結実したことは当然といえば当然であった」(193頁)

 2) でも触れたように明治維新を経て富国強兵・殖産興業への道を突きすすんでいった日本帝国は,谷光が本書『敗北の理由-日本軍エリートはなぜ迷走したのか-』で強調する「旧日本軍の『情報軽視・無視』の体質」とは異なっていて,国家としては隣国を占領・植民地にしてきた,いいかえれば「戦略・戦術に真剣でない君主を持つ国々は強国に併合されていった」という路線を,隣国:他国に向けては,まさに地でいったわけである。

 ここまで谷光の論旨を参照してきていえることがある。それは『敗北の理由』の「はしがき」でいわれていた論点,すなわち,

  イ)「日本は海洋の孤島にあって,異民族との間で血で血を洗うような凄惨な戦争を繰り返したり,異民族に征服され,その苛斂誅求を受けた歴史がなく,易姓革命の流血もなかった。同一民族・同一言語のうえ,気候温暖多雨な風土,数千年にわたって稲作農耕に従事した日本人」というような紋切り型の記述

  ロ)「生存競争の激しい環境に対処しなければならぬ機能型組織においては,幹部は例外なく,情報の収集と,その分析・評価に注力するが,共同体型組織では情報への関心は薄い。昭和の陸海軍は明治の軍や米軍と比べ,共同体組織化していた」といっていた論及

に注目していえば,谷光の歴史観に関して生じた基本的な疑問点は,いっそう深まっていくほかない。

 谷光の論旨は,自分の記述にとって都合の悪い時期は例外的・臨時的な歴史の出来事が生起したものとみなしておき,除外事項として切り捨てる。すなわち,徹底した《ご都合主義的歴史観》への依拠が顕著である。

 その意味で谷光『敗北の理由-日本軍エリートはなぜ迷走したのか-』は,読み物としての戦記本であっても,けっして軍事を歴史的に語った著作とはいえない。歴史の関係を扱いこれを語れば,それでただちに〈歴史的な書物に〉なるというのではない。

 旧日本陸軍においては通常,情報部門・参謀が作戦部門・参謀からひどくないがしろにされてきた。だから日本は戦争に敗けた(!)。それだけの話である。そこにさらに,日本国は「数千年にわたって」「同一民族・同一言語」であったとかいう話題が,唐突にも混ぜこまれていた。

 「歴史学からの視点」から評論することになれば,せっかくの〈純粋なる軍事話〉が,常識次元の固定観念にひどくとらわれた「程度の悪い愚痴話」にしか聞こえなくなってしまっていた。

 ※ 参考文献 ※

  戸部良一・ほか5名『失敗の本質-日本軍の組織論的研究-』ダイヤモンド社1984年。
  鳥巣建之助『日本海軍 失敗の研究』文藝春秋,1993年。
  三野正洋『日本軍の小失敗の研究-現代に生かせる太平洋戦争の教訓-』光人社,2000年。
  千早正隆『日本海軍失敗の本質-元連合艦隊参謀が語る-』PHP研究所,2008年。

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