オリンピックの開催式における天皇の開会宣言「問題」と対照させる「天皇のお手植え」という皇室内の私的行事

             (2019年5月21日,更新 2021年7月12日)

 『昭和謹製』である「天皇みずからする田植え行事」をもって,日本の農事を再生・繁盛させることができるか,古代において天皇は田植えをしていたか?

 コロナ禍の真っ最中に1年遅れで開催されようとする2020東京オリンピックで「開会宣言」をする天皇,「天皇家側としての問題状況認識」はいかに?

 天皇は農事に大昔から直接たずさっていない,けれども,いかにも自分自身が「農業も象徴している」と表現したがり,実際に演技しはじめたのは昭和2〔1927〕年であった,天皇裕仁自身が創案し,実行しだした〈昭和の時代に追加的に「創られた天皇制」〉の一幕が,その「田植え作業」であった

 

 🌑 前  論  🌑


 天皇陛下,コロナ感染拡大を懸念 五輪開催で宮内庁長官時事通信』2021年06月24日20時15分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2021062400845&g=soc

 この記事を引用する前に,こう断わっておく説明を与えてみたい。

 先月〔2021年6月〕下旬にこの注目すべき東京オリンピックの開催に関連した報道がなされていた。五輪の開催のさい,日本国憲法に定められる天皇の地位にもつながる論点をともなうかたちとなるが,天皇がどのようにかかわるかという論点がこの報道により鮮明になった。ただし,これまでの宮内庁側の発言は奥歯にモノがはさまった表現しかしない。

 宮内庁の西村泰彦長官は〔6月〕24日の定例記者会見で,天皇陛下新型コロナウイルス感染状況を大変心配されているとしたうえで,「国民の間に不安の声があるなかで,ご自身が名誉総裁を務めるオリンピック,パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか懸念されていると拝察している」と述べた。(後略)

 宮内庁次長 東京五輪天皇陛下が名誉総裁 感染防止対策を』」『NHK』2021年6月28日 19時41分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210628/k10013108601000.html

 来〔7〕月開幕する東京オリンピックについて,宮内庁の池田次長は「天皇陛下が名誉総裁のお務めをつつがなく,安らかになされるよう,関係機関が連携して感染防止対策に対応していただくことがいい」と述べました。

 

 宮内庁の池田次長は,〔6月〕28日の定例の会見で天皇陛下が名誉総裁に就任されている東京オリンピックパラリンピックについて「それぞれ役割を担う関係機関において安全安心な大会にすべく,努力をなされていると承知をしている。天皇陛下が名誉総裁のお務めをつつがなく,安らかになされるよう,関係機関が連携して感染防止対策に対応していただくことがいいと考えます」と述べました。

 

 また,先週,宮内庁の西村長官が天皇陛下について「オリンピック・パラリンピックの開催が,感染拡大につながらないかご懸念されている,ご心配であると拝察をいたします」と述べたことについては「長官が肌感覚で感じられたことをみずからの考えとして述べたと理解している」と話しました。(引用終わり)

 要は,宮内庁側はがじかには発言などできない天皇自身の立場を拝察(忖度)したかっこうで(本当のところは長官も次官も天皇と意見は交わしたうえでの発言だとみて間違いないが),「わが国の〈象徴であり日本国民統合の象徴〉」の地位が定めている「天皇の地位」そのものが,コロナ禍の最中ですでに疲弊しきっている国民側の立場や感情を軽んじる結果を,万が一でも絶対に生じないことを慎重に考慮し,五輪大会開会式への天皇自身が関与する仕方を再考してほしいと,ほぼオリンピックの開催式が予定されている1カ月前に通告してきたわけである。

 宮内庁側は長官さらに次官が連携して,「天皇の立場」の「問題の性質(本質と現状)」を理解したうえで,オリンピックの開催式に引き出す皇室の神輿に載る予定とされるはずの天皇徳仁のあつかいには,十二分に留意してくれと注意信号(サイン)を送信したものと解釈できる。

 その意味では象徴であると定義されてきた天皇のあり方が,コロナ禍の最中においてどのように利用されるかという問題の微妙さを介して,あらためて表面化したといえなくはない。宮内庁が管轄する皇室行政の問題は,人間天皇が国家とこの国民の統合を意味すると憲法に書かれている関係上,いつも微妙かつ奇妙なあつかい方を要請するものとなっていた。

【参考記事】

 

  オリンピック憲章の大仰な偉さ-IOCとJOCの専横的な自己権威づけと完璧なる傍若無人さ-

 オリンピック憲章55条3項において,開催国の国家元首が開会宣言をおこなう旨が定められている。 開会式において,国際オリンピック委員会(IOC)会長は式辞の最後で,開会式に出席している元首に宣言を要請し,これを受けてその元首が「祝いのことば」として,開会を宣言するわけである。

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 すなわち,開会宣言はIOC会長の要請により,開催国の国家元首によっておこなれる。ただし,憲章ができる前には閣僚や有力者が,国家元首が出席できない場合は国家元首に準ずる人物(王配や副大統領)が,開会宣言をおこなったことがある。

 補注)「王配」とは,一般に女王の配偶者に与えられる称号であり,国婿(こくせい)や王婿(おうせい)ともいわれる。

 実際問題としては,IOC会長の言動をあらためてよく観ていると,オレたち側がいうまでもなく,「国家元首が五輪開会式で宣言をおこなうのはしごく当然である」といった,きわめて傲慢きわまりない精神構造が露骨に観てとれる。この事実はコロナ禍のせいで開催が日延べになっていたなかで,われわれの目前において否応なしに開陳される始末にもなっていた。

 さて,本日〔2021年7月12日〕に再録する「以下の〈本論〉」は,最近における大きな話題「オリンピックの開催」に対比させてのものとなるが,「天皇(家・側)の立場」が五輪問題に向けて表現した〈ひとつの行為〉をとりあげ議論する。この論点は,皇室内の問題としてひとまず完結的にも観察しうる「天皇問題」であるゆえ,理解するのにそれほど困難を感じない。

 本日の,この記述の本体(中心の話題)に再録した「具体的な話題」,つまり「昭和謹製」である天皇の私的行事「田植え:お手植え」という事実を議論する中身に比較していえば,令和の天皇がこのたび,「1年遅れた」「2020東京オリンピックの開催」にさいして,「国家〈元首〉」の立場から出席して開会宣言を述べるに当たり,その開催を「祝う」ということばも入れて(含めて)おこなうという点については,相当の抵抗感を抱いているはずである。

 これまで安倍晋三前政権と菅 義偉政権が記録してきた新型コロナウイルス感染拡大問題に対する医療対策は,中途半端以前であって泥縄どころか,まったく見当外れの対応がめだっていた。すなわち,現状までに至った政府当局側のコロナ禍対策は,全然 “なっていない” と断定されてよい低水準に留まっていた。この事実は,五輪を「完全なかたちで開催したい」といっていた「菅 義偉流の私(死)物化政治」の実態を指示してきた。

 菅 義偉以下の,五輪開催を強行しようとしてきた政府当局やJOC五輪組織委員会は,およそ「国民側の平均的な生活空間=コロナ禍の窮状」とはまったく無縁である行政治行動を,われわれに向けてそれこそイヤとなるくらいみせつけてきた。この事実,いいかえれば「そこのけ,五輪様が通る!!」といったごとき,たいそうエライかつ傲慢な態度が,いまの時代に生きる天皇徳仁に伝わらないわけがない。

 以下に再録する天皇「お手植え」行事(彼ら一家の私的な行事であるが)を観察することは,現状のごときコロナ禍の真っ最中であっても無理やり五輪を開催させようとするに当たり,この開会式に天皇をあいさつに来させ,「祝い」という言葉を天皇徳仁自身にいわせようとすることは自明の理である。徳仁がそうした自分の役割,五輪開会式における関与のありように関して疑問を抱いていない,などと感じるほうがおかしいのである。

 

 🌑 本  論  🌑


 天皇陛下が田植え,即位後初」朝日新聞』2019年5月21日朝刊30面「社会」

 天皇陛下は〔2019年5月〕20日,皇居内の生物学研究所わきの水田で田植えをした。皇居での稲作は昭和天皇の時代から受けつがれてきた。陛下にとって即位後初の取り組みとなった。

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 陛下は長袖のシャツに灰色のズボン姿。うるち米のニホンマサリと,もち米のマンゲツモチの苗計100株を植えた。これらの苗は,上皇さまが代替わり前の4月にまいた種もみを栽培したもので,長さ約20センチに育っていた。(引用終わり)

 皇居内に田んぼをしつらえ,昭和の天皇裕仁」がみずから田植えをはじめたのは昭和2:1927年のことであった。それまでにおいて,神話の世界における天皇たちをはじめ,歴代の天皇が自分の身体を動かして田植えをしたという実例は,寡聞にして聞いたことがない。ましてや,天皇は貴なる人であるとされる立場上,その人がみずから田植えをし,土・水に身体が触れる作業をすることなどありえなかった。

 大正天皇が死んだのは1926:大正15年12月25日であって,1週間後には翌年の1927年に替わっていた。新しく天皇になった裕仁が考えたことは,自身がいかに日本の天皇であるかを意義づける方法(手段)であり,そのひとつが「稲作に従事する自分の姿」を「国民(戦前は臣民)」(当時において農業人口はほぼ50%前後)の立場との対比を念頭にも置きつつ,「概念創りをする」ことであった。

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 敗戦前においてその昭和天皇の田植え姿が国民に対して映像(画像)として公開されるよりも,軍人大元帥としての神格像が前面に出ていた。しかし,敗戦後になると「平和な時代」における新憲法内の象徴天皇として,いろいろと研究好きであり,さらに田植えもする “よき天皇裕仁である” といった観念の形成が努力されてきた。

 昭和天皇から平成天皇,そして令和天皇にかけて3代に継承されてきた『昭和謹製』に発した「古(昭和期に始まったいにしえ ?)の田植え儀式」に関しては,前者2人の姿も紹介しておく。以下の画像資料を介して紹介しておく。

 なかんずく,この3人が田植えする姿からは,なにがうかがえるか? 要は “キレイごとの田植え” になっていたと受けとるしかない。あくまで象徴的にその作業を,それもそれこそ「ほんの少しだけ,チョコッとだけ」おこなっているに過ぎない。

 天皇たちがいままで,皇居でわずかばかりの稲を初夏に植え,秋に刈りいれる姿をみせられた庶民の側は「なにか大きな勘違い」をさせられてきたのではないか? 天皇は古代において『その立場』から,たしかに「五穀豊穣を祈ってきた」かもしれない。だが,当時の天皇自身は田に足を入れることはなかった。

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 補注)この画像を借りたツイートには,つぎの文句がそえられていた。

 

 令和の天皇陛下の田植え姿が流れてきて,「そんなに腰を落としてはすぐお尻がドロドロに・・・」などと差し出がましい思いが湧いたが,見れば平成の頃の上皇陛下も同様で,やはり天皇陛下の田植えなど所詮ポーズだけだけか・・・ と思ったが,昭和天皇はガチだった。

 

 --さて,そのあたりは「お手植えの創始者」自身と,その継承者の違いか? しかし,泥まみれになるのが田植えの通常における風景であったことは,耕運機のない時代であれば当然であった。

 

 つぎの画像資料は比較のためにかかげておく。あえて,ゴム長靴を履かない田植えをする人がいた。大昔の天皇は地面に素足が着くことさえ嫌ったのは,どのような観念に依拠していたか? この点は,最後の段落で説明する。

 

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 天皇たちは,以上のごとき田植えにおいてゴム長靴(徳仁はこれに相当する違った造りになる長靴)を履いている。けれども,この姿ではどう観ても “本気で田んぼのなかに入る” つもりの格好にみえない。いうなれば「田植えとしての農事に対する象徴的(?)な行為」(もちろん1927〔昭和2〕年以来のそれ)でしかない。

 ほかにも同類・同質の写真はいくらでも,インターネット上にはみつかる。また,平成天皇と令和の天皇は2人ともワイシャツを着ているが,袖口に注意したい。まくってはいない。台所の洗いもの仕事でも,長袖をまくらないことはない。

 ましてや田んぼで泥に手をつっこむ作業である。この点は,ネット上でいくらでもみつかる「通常における田植え」の画像をみれば,すぐに具体的に分かる事情であった。

 ただし,昭和天皇は前段で「昭和天皇はガチだ」と褒められていたように,ワイシャツの袖をめくり上げていた。さすが「天皇家において田植え行事の創始者」であったと褒めるべきか? 

 そこで,とても対照的な風景なのであるが,つぎの画像が本当の田植えの様子である。半世紀以上も以前,たとえば敗戦後しばらくの時期までであれば,耕運機(田植機)はない時代であったから,こういったかっこうで田植えの作業をおこなっていた。

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  ということで,昭和天皇が自分で「始〔初〕めて」「創った」のが,この皇室の伝統としての「田植え」行事であった。すなわち,昭和2〔1927〕年以来のものでしかない彼らの仕事(ほんのちょっぴりだけする農事)が,この「天皇自身がする田植えと刈り入れ」(など)であって,それも東京市内の皇居内において『創られた光景』なのである。

 このように近現代天皇史においては,意図して創られてきた「本当の史実」が数多く提供されていた。つまり『明治謹製』がほとんどであったが,『大正謹製』や『昭和謹製』,さらには『令和謹製』のそれも,これからさらに積み重ねられていくのである。

 最近,NHKのテレビ番組で『チコちゃんに叱られる』(NHK総合テレビ,毎週金曜午後7時57分開始)のチコちゃんにいわせれば,こうした写真に写っている皇室風の田植え姿は,きっと怒られるはずである。「それで田植えするかっこうかよ!」って。 

 これら3代の天皇の田植え風景に共通する姿はなにか? よくみるまでもなくすぐに気づく。

  ※-1 田んぼのなかにまで入って,本格的に田植えをするわけではなく,あくまで真似ゴトである。

  ※-2 ゴム長靴を履いている(徳仁地下足袋風:仕立てのゴム長靴であった)が,田んぼのなかまでは入らない。

 

 「即位後初,天皇陛下が田植え=上皇さまから引き継ぐ-皇居」『nippon.com』2019.05.20,https://www.nippon.com/ja/news/yjj2019052000817/

 天皇陛下は〔2019年5月〕20日午後,皇居内の生物学研究所脇にある水田で,即位後初となる田植えをされた。昭和天皇が始めた皇居での稲作は,上皇さまを経て陛下へと引きつがれた。陛下は水色の長袖シャツにグレーのズボン姿。黒い長靴で水田に入ると,苗が風で倒れないよう念入りに植えていった。

 補注)いうまでもないことがらであるが,前掲にその関連する画像がかかげてあったが,このかっこうが田植えするのにふさわしいかどうかは説明不要である。手前以外(目の前の部分)の田んぼから,さらに進んでなかにまでいって,田植えをしていたかどうかは分からない(が,そうはみえない)。

 毎年公表されるこの種の写真は,いつも同じ構図であった。したがって,これ以上に田植えの作業はしていないと断定されてよい。結局,いかにも象徴的な行為としての『歴代天皇による田植え』の風景である。

〔記事に戻る→〕 陛下が今回植えたもち米のマンゲツモチとうるち米のニホンマサリの苗は,上皇さまが退位前の4月にまいた種もみを栽培したもの。陛下は今後上皇さまと同様に,種もみまきから田植え,刈り取りまでの作業を毎年続けていくという。(引用終わり)
 
 ともかく,1927〔昭和2〕年に「昭和天皇が始めた皇居での稲作は,上皇さまを経て陛下へと引きつがれた」のだから,これは『昭和謹製』になる天皇家の農事に関した行事であった。歴代の皇后たちが明治天皇の時代から養蚕をはじめたという,また別口での『明治謹製』の物語もあったが,米作に関する田植え行事は,それよりもずっとあとに創られた『昭和謹製』であった。

 かくして「伝統と格式」を誇る皇室・天皇家の『古(いにしえ)的な歴史』は,徐々に創られてきたことである。ただし,つぎの ③ に紹介する内容は,古代史からの連続性を認めてもよい行事であった。そちらでは,農民(農業従事者)に作らせた,それもよいお米を献上させる関係(もちろん上下関係のそれである)になってもいた。

 宮内庁御用達ということばもあった。この宮内庁御用達という言葉は「上質で高級な品物が揃っている」というイメージがある。実際にもそのとおりあり,日本全国のモノづくりの最高レベルのものばかりが揃えられているという。そして,天皇みずから田植えをすれば,この「米というもの」に添えられるイメージそのものについても,なんらか特定の高い価値が表象されるかもしれない。

 

 「『選ばれ光栄』『名誉なこと』大嘗祭の米 栃木,京都両知事が歓迎」毎日新聞』2019年5月13日 19時11分,最終更新 5月13日 20時01分,https://mainichi.jp/articles/20190513/k00/00m/040/161000c

 皇位継承に伴って11月にある皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」で,供える米の収穫地域を決める「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」が〔5月〕13日,皇居であり,東日本と西日本から栃木県,京都府がそれぞれ選ばれた。明治以降,この2府県が選ばれたのは初めて。

 補注)この「初めて」という点であるが,後段に出ているように「大嘗祭の米を栽培した地域」を国体(国民体育大会)の開催地選定ではないが,順繰りに配慮して選択していると受けとめることもできなくはない。国体ほど開催する回数は少ない大嘗祭に関係する事項であるが,そう説明しても大きな間違いはない。もっとも次段でも説明されているように,その産地は「占いで決められた」という。

 しかし,話がここまで来ると,天皇家の内的行事が「天皇の代替わり行事」である大嘗祭だからといって,しかも大々的に国民たちに伝えられているとなれば,憲法に定められている「天皇(一族?)の国事行為」や,その他の「公的行為」,そして「私的行為」などにもまたがって関連する問題となっており,一筋縄ではいかない「解釈の問題」も登場させられていた。

 このような問題に対面しつつ,こちら(「主権者である国民の立場」)の観点(問題意識)から論じようとする専門家がいないわけではない。なお,参考にまで触れると,原 武史・吉田 裕編『天皇・皇室辞典』(岩波書店,2005年)は,天皇の田植えに関して1項を設けてとりあげていない。

〔記事に戻る→〕 斎田点定の儀は,アオウミガメの甲羅を将棋の駒の形(縦約24センチ,横約15センチ,厚さ約1ミリ)に加工したものを火であぶり,亀裂の形を基に占う「亀卜(きぼく)」をおこなう儀式。

 午前10時ごろ,皇居・宮中三殿の敷地内に設けられた「斎舎(さいしゃ)」と呼ばれる天幕の中に,天皇家の私的職員である掌典(しょうてん)4人が入った。儀式は非公開で,約40分で終了。宮内庁は,どのような亀裂が入って2府県が選ばれたか明らかにしていない。

 補注)この「どのような亀裂が入って2府県が選ばれたか明らかにしていない」という宮内庁側の態度(秘密主義)は,笑止千万というべきか,占い業の「当たるも八卦当たらぬも八卦」の世界にこだわった精神構造をうかがわせる。その亀裂の模様に関しては,いうにいえないような特別の秘密(秘中の秘?)が秘められているとでもいいたいのか。

 それともそれでこそ,天皇家の「伝統と儀式」の秘儀性にこめられた神秘性も高められることになる,とでも考えているのか。ここまで話を聞いていると,そういった「皇室内の行事は内部でのみ密かにやればいい」であって,国民の立場に向けて,しかももったいつけて部分的にのみ公表する材料ではない。

 どれほど興味深い占いの儀式かしらぬが,日本社会に向けて公表できない内容が部分的にでもあるならば,ともかく皇室の内部でのみ秘密裏にやればいいことである。大嘗祭にさいして,宮内庁側が「供える米の収穫地域を決める」ことじたいは自由だが,その決定過程を秘密なのだと気どったところで,これは宮内庁流のスノビズム(snobbism,俗物根性)の発露でしかない。

〔記事に戻る→〕 結果は同庁の山本信一郎長官が天皇陛下に報告。西村泰彦次長が2府県の知事に電話で伝えた。今後,同庁が2府県などと協議し,どの田んぼを使うかを決める。収穫した米は同庁が買いとる。

 大嘗祭で使う米の産地は,古代から占いで決めてきたという。平成の大嘗祭は秋田,大分両県が選ばれ,昭和は滋賀,福岡両県,大正は愛知,香川両県,明治は甲斐(山梨県)と安房(千葉県)が選ばれた。

 栃木県の福田富一知事は〔5月〕13日の定例記者会見で「令和の時代の始まりに選定され,光栄」と歓迎した。「水がおいしく優良な水田が広がり,律義な県民性の農家の方々が誠意をもって勤勉に生産しているので,どこにもっていっても自慢できる」と話した。

 また,京都府の西脇隆俊知事は府庁内で取材に応じ「府内の農業振興を図る上でも大変うれしく,名誉なこと」と喜んだ。「農業者の皆さまと秋には滞りなく納めることができるようにしっかり取り組みたい」と述べた。

      大嘗祭の米を栽培した地域 ◆
 = ただし,明治以降の「実施年 米の栽培地」である =
     
     明治天皇 1871年 山梨県・千葉県

     大正天皇 1915年 愛知県・香川県

     昭和天皇 1928年 滋賀県・福岡県

     平成天皇 1990年 秋田県大分県

     現・天皇 2019年 栃木県・京都府 

 なお「大嘗祭(だいじょうさい)」とは,新天皇が皇室の祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)や神々に新穀を供え,みずからも食べることで五穀豊穣(ほうじょう)や国の安寧などを祈る儀式。宮内庁によると,飛鳥時代天武天皇の即位に伴っておこなわれたのが初めての例。

 今回,中心的な儀式の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」は,11月14,15日に皇居・東御苑でおこなわれる。宗教的性格が強いため,国事行為の儀式とは位置づけず,前回と同じく,皇室行事とされた。ただ,政府は「伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮内庁予算から費用を支出する。

 補注)これは「?」である説明になっている。「皇室行事=天皇天皇家の私的行為である」が,「伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」とみなし,「宮内庁予算から費用を支出する」という説明は,なんらまともな説明になっていない。強引もいいところの「論理性のむなしい」「ヘリクツ的なむすびつけ」である。

 「私的」のなかに「公的」が入りこんでもいいあつかいが許されるならば,その関係については,なんとでも理由を付けていい「論理の仕組」が提供されたことになる。要は,説明になりえない説明が正々堂々と新聞記事に,当然のごとく書かれている。実に不思議な記事の報道であった。

 

  田んぼに入った天皇はいたのか? 一般の農事者が昔,田植えをしていたときゴム長靴を履ていたか

 以下は,中尾聡史・宮川愛由・藤井 聡「日本における土木に対する否定的意識に関する民俗学的研究」(『実践政策学』第1巻1号,2015年秋号)からの引用である。天皇家の伝統と格式がそれこそ大昔,古代から本式に継承されているとしたら,このような天皇家に関しても〈穢れの問題〉にも触れておく必要がある。

 まず,天皇天皇制が被差別社会集団の対極(頂上)に位置していた歴史を踏まえて,つぎの2個所の引用をする。

 日本人の精神に古くから胚胎してきたと考えられる「土木に対するケガレ意識」が,呪術をもった河原者などの被差別民が土木事業にたずさわったという歴史,ならびに,土木に対する「不浄」という精神的忌避の民俗を形成し,現在の日本特有の土木バッシングの民俗学的理由を形作っている,との解釈に複数の歴史事実が整合している。

 註記)前掲稿,50頁左段。

 日本におけるいわゆる「土木バッシング」の背景には,日本の歴史風土に特有の問題が存在しているとの仮説のもと,本研究では,土木に対する否定的意識についての,過去から現在に至る日本民族の「歴史的実践の総体」の諸相を,各種の歴史的記述から概観し,再解釈することを通じて,現在の土木バッシングの基底にある日本人の潜在意識を探索した。

 その結果,日本人の精神に胚胎した「土木に対するケガレ意識」が,日本特有の土木バッシングの民俗学的理由をかたちづくっている,との解釈と整合する歴史的記述が存在することが示された。

 すなわち,この日本人の精神に古くから胚胎してきたと考えられる「土木に対するケガレ意識」が,呪術をもった河原者などの被差別民が土木事業に携わったという歴史,ならびに,土木に対する「不浄」という精神的忌避の民俗を形成し,現在の日本特有の土木バッシングの民俗学的理由をかたちづくっている,との解釈に複数の歴史事実が整合していることが示された。

 註記)同稿,37頁,「要約」。

 現在においても皇室神道の総本山といえる〔とはいっても明治維新以降に建造されていたが〕皇居内の「賢所」に使える巫女たちが,21世紀の現在にあってもどれほどに〈穢れ〉の忌避に徹底しているかをしっておく必要がある。

 その意味では天皇が,昭和天皇の代からであったが,田んぼに入り(ほんのわずかに,それも小さい出島のような足場も用意させてもいた),田植えをするという光景は,天皇家の歴史に照らしてみれば,まさしく度外れの「奇想天外の舞台設営」であった。問題はなぜ,昭和天皇がそういった行為を,それも皇居内に造った田んぼを使い,はじめたかにあった。

 彼は「自分が天皇になったときに多分,思いついた創意(アイデア,イメージ)」を,天皇家の皇民(帝国臣民)受けを狙って「田植え」をはじめており,そうやって,天皇一族にとっての「また新しい伝統のひとつ」を創っていたわけである。

 そこには『創られた天皇制』と呼称されるゆえんの一因が,正直に表現されていた。西田哲学流に表現すれば,「作られたるものが作るものを作る」という筋道のなかで,昭和天皇が稲作という農事に関する田植え行事(など,その関連する一連の行為)を「作る(創る)初代の天皇」になっていた。

 過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未(いま)だ過ぎ去らないものであり,

 未来は未だ来らざるものであるが現在において既に現れているものであり,

 現在の矛盾的自己同一として過去と未来とが対立し,時というものが成立するのである。

 而(しか)してそれが矛盾的自己同一なるが故に,時は過去から未来へ,作られたものから作るものへと,無限に動いて行くのである。

 註記)『西田幾多郎哲学論集Ⅲ』岩波書店(文庫版),1989(昭和64)年12月18日,第1刷発行。「絶対矛盾的自己同一」から。

 平成天皇の代からは「作られたるものが作るものを作る」といった歴史に前後する関係性が,より一体的に意味を形成しはじめた。いまの令和天皇の代に至っては,その「作られたるものが作るものを作る」といった形式論理の構造は,より円滑に全体的にも機能しだしたというふうにみなし,位置づけることもできる。

 そこで,以上に論じた「天皇の田植え」に関する事実を論じるさい,いったい,いつの時点になったら,「天皇の田植え」という皇室内の個人的な行為が「古(いにしえ)性」のある伝統行事(「古式ゆかしきそれ」)なのだ,といえるような日が来るのか(?),といった設問も意識しておく必要が出てくる。

 伝統だとか格式だとかいっても,これが創始された「時・事」がいつかの〈昔〉において,必らずあったはずである。だから,その点「いつか創られていた事実性」を否定できる者は,誰1人としているはずもない。

 時代がだいぶ経ったあとに,誰がなにをどう語るかについてとなれば,その語り部が勝手に創説しうる話題になる余地が大いに生まれる。そう解釈しても,なにもおかしくはない。

 もちろん,もともと,おかしな話題作りに発した言及(歴史のあとづけ的な解釈)だったと受けとっておく余地も多いある。となれば,しかもこちらの幅のほうこそが,かえって無限大に広がりうるものゆえ,こちらの展開ぶりについては相当に眉ツバ的な用心が必要となる。

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