ワールドワイドオフィシャルパートナーのトヨタの社長まで逃げ出した2020東京オリンピックの開会式,五輪憲章とはほど遠い汚リンピックの本性・本体は,コロナ禍の襲来によって余すところなく暴露された

 五輪のスポンサーになって自社製品を宣伝・広告する絶好の機会であったはずの2020東京オリンピックの開催は,いまや厄介もの同然,日本企業の場合,トヨタ自動車を先頭に汚リンピックに関連づけた広告は実施しないと忌避される始末,IOCバッハ会長は北朝鮮拉致問題にまで関与したく,ノーベル平和賞を狙っているとかで,誤倫開催の問題を自分の名誉欲に直結させるための私利我欲の高慢さの水準だけは,超一流

 

  要点・1 2020東京オリンピックの開催はいまや百害あって一利なし,IOCやJOCの一部幹部たちの欲得・虚栄のための国際大運動会は中止にすべし

  要点・2 そもそも完全に商業誤倫となった汚リンピックの開催には,なんら意義をみいだせない,これにかけられてきた予算はほかにいくらでも有効・有用な使い道があった

  要点・3 安倍晋三「アンダーコントロール発言」という大ウソに淵源して,2020東京オリンピックの開催にまつわって頻発してきた誤倫的に深刻な不祥事の数々

  要点・4   「そこのけそこのけ,五輪様がお通りだ」が,すでに「呪われた誤倫」になっている


 「五輪開会式,『欠席』相次ぐ  スポンサー企業・経団連会長も」朝日新聞』2021年7月21日朝刊7面「経済」

【参考資料】

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 〔7月〕23日の東京五輪の開会式への出席を見合わせる動きが経済界で広がっている。20日には経団連会長が欠席を表明し,スポンサー企業の幹部らも多くが参加しない方針だ。無観客開催や新型コロナの感染予防が主な理由だが,開催反対の世論や消費者の反発への警戒も出ている。

 経団連の十倉雅和会長は20日の会見で,「(開会式への出席を)要請されたが,出席はしない。家族で家で楽しく,一国民としてオリンピックを楽しみたい」と述べた。16日に欠席と回答したという。経済同友会桜田謙悟代表幹事,日本商工会議所の三村明夫会頭も欠席予定で,経済3団体のトップ全員が出席を見合わせる。

 最高位スポンサーでは,パナソニックと米P&Gが20日,経営幹部らの不参加を明らかにした。トヨタ自動車も,豊田章男社長らの不参加を前日に示したばかり。ただ,パナソニックは津賀一宏会長が大会組織委副会長の立場で出席する。

 最高位以外のスポンサーでは,キヤノン御手洗冨士夫会長兼社長が組織委の名誉会長として出席する。NECや富士通は首脳陣の不参加を決定。TOTOやリクルート,NTT,野村ホールディングスなども出席を見合わせる。ある企業の担当者は,開催反対の声が多いことも意識したといい「無観客のなかで出席して注目されたら,目も当てられない」と話す。

補注)7月23日の東京オリンピックの開会式に大会名誉総裁の天皇は出席するが,「祝い」という〈恒例の言辞〉の文句部分は抜きにした開会宣言に留めることになった。また,新型コロナウイルスの影響で無観客開催となり,大会関係者の出席が大幅に絞りこまれていることを考慮し,皇后の出席は見送られる方針である。

 同様の理由で,天皇と皇后の両名や皇族たちによる競技会場での観戦は,いっさいおこなわれない予定となった。この天皇家や皇族側の対応は,菅 義偉政権によるコロナ禍対策や五輪運営に関した基本姿勢に強く抗議する意味がこめられていた。

 五輪関連のテレビCMをめぐっては対応が割れた。トヨタはテレビCMを国内で放送しない方針だが,多くの企業は予定どおり放送する方針といい,開幕前から放送が始まったCMも多い。10日から放送が始まったアサヒビールのCMは,競技会場ではなく,テレビやパソコンの前でビールを片手に選手を応援する一幕が描かれている。

    東京五輪への主なスポンサー企業の対応 ※

 

  ★ 開会式に不参加 ★   トヨタ自動車,味の素,P&G,NTT,NEC,富士通,TOTO,日本郵政JR東日本など

  ★ テレビCMを見送り ★ トヨタ自動車

  ★ テレビCMは継続 ★  アサヒビール,アシックス,味の素,P&G,NEC,キヤノン日本航空リクシルなど

 

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 以上の記事に関連しては,「五輪会場の酒類提供取りやめ アサヒビール『支持する』」『朝日新聞』(asahi.com)2021年6月23日 11時35分,https://digital.asahi.com/articles/ASP6R3R25P6RUTIL00M.html  という見出しをつけた記事が,こう伝えていた。

 東京五輪パラリンピックの大会組織委員会は〔7月〕23日,会場内での酒の販売と提供を取りやめると発表した。酒のもちこみも禁止する。観客向けの感染症対策ガイドラインを公表し,そのなかに盛りこんだ。組織委内では酒の販売を認めることも検討していたが,批判が集まっていた。

 よくしられていることがらであるが,政府によるコロナ対策のひとつが「飲食店に対する営業統制」としてのイジメ態勢であった。その焦点は,意図して生け贄的なあつかいになっていて,ただ「アルコール飲料の提供」に向けられていた。対照的な関心事としてみれば,コロナ禍のなかで開催される五輪大会が,ビールなど酒精の販売やもちこみを禁止しなければ,政府主催でもあるこの国際大運動会の開催方法に関して,大きな疑問:自己矛盾を来たすほかなかった。

 ところで,現代社会における企業経済体制は,会社経営のあり方として経営倫理の観点を徹底させる責務を,否応なしに積極的に果たすべき立場に置かれている。2020東京オリンピックの開催をめぐっては,数々の反社会的・非倫理的な関連事件が発生してきた。直近において突発・暴露された事件のひとつが,つぎの記述がとりあげている事例であった。

 

 「〈古谷経衡 猫系作家の時事評論〉加害と向き合えない小山田圭吾君へ--二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙」ニューズウィーク日本語版』2021年07月20日(火)17時21分,https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2021/07/post-14.php


  東京五輪の作曲陣を辞任した小和田氏を擁護する意見もあるが…… ▼

 a)「他人に凄惨な暴行をくわえ,それを武勇伝のように誇り,ときに非難されながらも『カルチャー』の隠れ蓑に隠れてきた加害者と,それをしりながら許してきた者の罪は大きい」。

 小山田圭吾氏が東京五輪の作曲陣から辞任を発表した。遅きに失したものの当然の進退決断である。そもそも今次問題を「小山田のいじめ告白問題」などと銘打っている場合があるが,小山田のやったことは本当にいじめなのか。

 全裸強制,自慰強制,食糞など,小山田のやったことは「いじめ」などではなく虐待を通り越して単なる犯罪行為である。読んでいて吐き気がした。よく家裁送りにならなかったモノだ。

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 b) 小山田の告白が掲載された1994年(1月号)の『クイック・ジャパン』誌は,刊行年月日から類推するにおそらく1993年に収録されたものであろう。これをもって,

  「当時のサブカル誌の潮流のなかでは当たりまえのことだったから,いたし方ない」

  「雑誌の内容がすべて事実であるとは限らない」

などとして,小山田を擁護する吾人が散見されるが馬鹿も,休み休み,いえ

 小山田は1969年生まれ。告白の実行為がなされたのは中学時代というからおおよそ1980年代前半くらいであろう。そしてその告白が93年になされている。

 c) 1993年,私は小学校4年か5年だったが,すでに1993年に山形の中学で男子中学生の暴行による有名な「山形マット死事件」が世の中を騒がせており,とうてい凄惨な暴力を許容するような空気ではなかった。

 小学校でも中学校でも身体的暴力は禁忌とされ,体育館の遊具・教材置き場に生徒が勝手に入れないように鍵をかけられたりした。学校や教員は生徒間暴力への対応に追われていた時代である。

 註記)以上,https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2021/07/post-14_1.php

 (なお,この間における〔省略してある〕記述をもって古谷は,自分が実際に受けて克服したイジメ体験に言及していた)

 加害者はみずかみずからの加害性と向き合わず,事実を指摘されると「当時の時代背景」とか「誇張があってそこまではやっていない」などと屁理屈をもち出して正当化することが多い。本当に謝罪し,改心する人間はごく少数である。

 小山田のような鬼畜をカルチャーを隠れ蓑に野放しにしていることは,令和でも平成でも昭和であっても断じて許されない。カルチャーは鬼畜をかばう防波堤ではない。

 小山田は今後,改悛の余地があるなら被害者に対して,たとえ民事時効であってもそのえた膨大な音楽著作権料のなかから「お詫び金・解決金」を渡して土下座せよ。それができないのなら小山田はナチと同じである。

 註記)https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2021/07/post-14_3.php

 ここで,2020東京オリンピックの開催をめざしていた準備期間中に起きた「五輪憲章」など,真っ向から否定し,一蹴してきた出来事を一覧に挙げてみる。2013年9月に2020年の東京五輪が決定してからいままで,つぎのような不都合や不祥事が発生してきた。

   2015年7月 新国立競技場の計画白紙
   2015年9月 エンブレムのパクリ疑惑によりデザイン白紙
   2019年4月 五輪担当相の辞任

 

   2019年11月 マラソン競技の東京での開催を断念
   2020年3月 コロナ禍を理由に2021年夏に開催延期
   2021年2月 森 喜朗会長の辞任

 

   2021年3月 開閉会式の演出統括者が,渡部直美さんにブタ発言で辞任
   2021年7月 前代未聞の無観客決定
   2021年7月 小山田圭吾がいじめ問題発覚で辞任

 「東京五輪」はいまや “呪われた・有害なオリンピック” である正体をむき出しにされている。コロナ禍は天災に人災がくわわっている感染症の災厄であるが,この天災に立ち向かってきた日本政府の対応のまずさは,新型コロナウイルスという感染症に対する理解の甘さ(完全に舐めてきた)と,これに起因する対策面で明らかになった「意思決定の遅滞」,国民たちに対する「説明責任の決定的な不足あるいは回避(ゴマカシ)」などを介して,あますところなく露呈させてきた。 

 五輪憲章を一度読んでみれば分かるとおり,「自由とか平等とか多様性とか」まことに「崇高な理念」を網羅的にかかげているにもかかわらず,そもそもJOC五輪組織委員会の人たちからして,ハナからその本質的な理解を欠落させていた。

 いまや,完全に「呪われた」も同然になっているのが,この1年遅れで開催されようとしている「2020東京オリンピック」の正体である。どだい,JOC五輪組織委員会じたいがオリンピックの基本理念を理解して(できて?)いなかった。

 そんなこんなである汚リンピックの開催が,日本列島がもっとも熱暑にみまわれる時期,東京都を中心の舞台にして実施されようとしている。よほどの伊達や酔狂でなければ,このような五輪貴族のためにしかならない世界的な大競技会を開催しようとする者はいない。

 

  日本財界新聞紙である日経の本日「社説」

  ◆〈社説〉五輪の辞任劇が問う人権感覚 ◆

 東京五輪パラリンピックの楽曲制作を担当する小山田圭吾氏が辞任した。過去のインタビューで語った障害ある生徒へのいじめに国内外から強い批判が出ていた。五輪憲章は差別の禁止と人権を謳う。「多様性と調和」は今大会の中核のビジョンだ。開会式の担当者は,メッセージを具現化する重要な役割を担う。

 組織委員会は記事を把握していなかったという。本人の謝罪・反省を理由にいったんはすぐに続投を表明した。知的障害のある人や家族らでつくる団体は辞任前に出した声明で,いじめ・虐待への抗議とともに,なぜ起用し留任させることにしたのか,組織委の説明責任も求めていた。当然だろう。

 組織委では,森 喜朗前会長が女性蔑視発言で辞任。演出責任者もタレントの容姿を侮辱し辞任した。ガバナンスのゆるさと,人権への感度の低さは大きな問題だ。

 補注)ここでは,東京五輪パラリンピック開閉会式の演出責任者であった佐々木宏(66歳)が,開会式に出演予定のお笑い芸人渡辺直美(33歳)の容姿をブタにたとえて侮辱したわけだが,この佐々木(電通)の名前を出していない。

 こういう記録があった。トヨタ自動車社長の豊田章男は2015年12月,JOC五輪組織委副会長を辞任していた。

 また2021年2月,同組織委の森 喜朗会長(当時)による女性蔑視と受けとれる発言について,トヨタ自動車広報部担当者を通じてスポーツ報知に「トヨタが大切にしてきた価値観と異なり,誠に遺憾です」とのコメントを寄せていた。

 いうまでもないが,トヨタ日本を代表する世界企業である。

〔社説に戻る→〕 ひとり組織委だけの話ではない。記事がいままで大きな問題にならず起用につながった背景には,日本社会全体の問題意識の低さがあろう。米欧では変わりつつあり,日本も変化を迫られている。

 たとえば,ビジネスの分野では原料調達から生産,広告などで人権への配慮はすでに不可欠だ。企業の長期的な成長に必要な3つの観点であるESG(環境・社会・企業統治)のうちSの柱の一つが人権の擁護だ。投資家にとっても重要な判断基準になりつつある。

 補注)ESGとは「Environment(環境)」「Social(社会)」「Governance(企業統治)」の頭文字を取った略語である。

 CSR(企業の社会的責任)活動は利益の一部を社会に還元する意味合いが強かったが,ESGは環境や社会への配慮,企業統治の向上を通じて企業価値の拡大をめざす点で違いがある。

 企業がESGに積極的に取り組むとブランド力向上や事業リスクの低減につながり,持続的な成長が可能になるとされる。国連が2006年に「責任投資原則(PRI)」の考えを提唱し,機関投資家にESGの視点を盛りこんだ投資を求めたこともESGが注目される契機になった。

 企業のESGは損益計算書貸借対照表から判断するのはむずかしく,調査会社が算出するスコアが参考にされている。大手の米MSCIは二酸化炭素(CO2 )排出や労働安全衛生,企業倫理など約40の重要課題を定めている。これらのうち,リスクが顕在化した場合に財務に影響を与える項目を業種ごとに6~10程度選び,取り組みを評価している。

 註記)「〈きょうのことば〉ESGとは,環境・社会配慮や統治を通じ企業価値拡大」nikkei.com 2019年8月12日 2:00,https://www.nikkei.com/article/DGXKZO48483870R10C19A8NN1000/

        

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〔社説に戻る→〕 配慮が足りない企業はきびしい社会的非難を受ける。商取引や人材採用でも現実的な弊害が生じる。グローバル展開に熱心な企業ほどみずからのビジネスが人権侵害につながっていないか敏感だ。五輪と距離を取る動きも広がっている。

 「これまで大丈夫だったのに」は,苦しむ人を顧みないことでなり立ってきた。人権問題は一般の企業や学校,地域などあらゆるプレーヤーが向き合うべき課題だ。〔7月〕21日からいよいよ競技が始まる。アスリートが心置きなく力を発揮できるよう,組織委はタガを締めなおしてほしい。(引用終わり)

 この社説ではとくに最後の文句(いいぐさ)が失笑を誘う。JOC五輪組織委員会がみずから「タガ(褌)を締めなおす」というよりは,この国際大運動会は止めにしなさいと諌言するのが,新聞社論説が説くべき「本来,もっとも必要で適切な,最終的な主張」であったはずである。

 その前の段落は,いかにももっともらしく「人権問題は一般の企業や学校,地域などあらゆるプレーヤーが向き合うべき課題だ」とも言及している。けれども,昨年につづいて各学校での運動会・学芸会などは中止,各地域での花火大会や盆踊り大会など,あらゆる行事・催事が中止を余儀なくされてきている。

 しかし,そうした世の中での動向のなかで五輪という国際大運動会だけは,しかもコロナ禍(の繁殖・増加・拡散)に対してとなれば,格別に「火に油を注ぐ」場をわざわざ提供する〈世界規模の競技会〉になる。

 おまけに非常にまずいことには,なんと盛夏の時期に東京都を中心に開催する。タガを締めなおすとかナントカいって簡単に収まるような「2020東京オリンピックの開催」にともなって発生する諸困難ではない。この点は「その火」をみるより明らかではないか。

 この種のいたずらに無謀で完璧に不埒な国際大運動会を開催し実行したあとには,東京オリンピック型(もしくは「イプシロン型」)とでも呼称したらよい「新型コロナウイルス」が誕生するかもしれない。そうまでも警告されているではないか。

 東京オリンピックの開催に関しては,新聞社としてオフィシャルパートナーにくわっている日本経済新聞社に向かっては,五輪関係の報道姿勢そのものに関して「自社が締めているそのタガ(褌)そのもの」を締めなおせと要求したいところだが,しょせん「無理筋の期待」か?

 トヨタの件は,どのように批評し,論説するのか? 日本を代表する大企業が何社も7月23日に開会式をおこなう2020東京オリンピックに対して,あえてだが「反旗を揚げる」立場を,やや遠回し的にだったといえ,明確に提示した。それら大企業は,菅 義偉の目線に囚われるわけにはいかない〈グローバルな経済活動〉に従事している意味で,国際政治的な配慮もしなければならない立場にある。

 日本経済新聞社はもっと深刻にこの事態を論説し,分析すべきであった。腰の定まらない言辞を連ねたところでは,日本「財界」新聞としても「本来の使命」は少しも果たせまい。

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【参考記事】

 

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