商業五輪は2020東京オリンピックの開催でも税金まみれ,あとのツケ回しは国民たちへヨロシクとあなた任せというしだいだが,いつまでこの誤倫ピック(汚リンピック)を人類の歴史に刻んでいくのか,国民たちの困窮をコロナ禍の災難からろくに救済しない菅 義偉政権の無為・無策

 IOC幹部たちのためだけに開催してきたオリンピックという国際大運動会に,もはやまともな意義はない,2020東京オリンピックの開催がコロナ禍の日本で無理やり実施され,この国の人びとは踏んだり蹴ったりされる目に遭わされてきた,強権を露骨に行使し,その顕示にしか能がない菅 義偉に「経世済民の術」など皆無

 

  要点・  「公助・共助・自助」を政治理念(?)だとのたもうた菅 義偉だが,いまや,こういう状況である

  ⇒「東京,感染『制御不能 『医療,機能不全』『自分で身守る段階』  都の会議,専門家警鐘 新型コロナ」『朝日新聞』2021年8月13日朝刊・冒頭記事いわく,

 

 新型コロナウイルス対応の東京都のモニタリング会議が〔8月〕12日開かれ,1週間平均の新規感染者数が3934人と2週間で倍増したことが報告された。専門家は「制御不能な状況」として「もはや自分の身は自分で守る行動が必要」と言及。医療提供体制も「深刻な機能不全に陥っている」と指摘した。

 

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 菅 義偉は「コロナに打ち勝った証し」になりうるのが「2020東京オリンピックの開催」だったと,根拠も証拠もなにもない強がり一辺倒のヘリクツを開陳していた。だが,コロナ禍の現状は,前段記事の見出しのように「制御不能な状況」になっている。「もはや自分の身は自分で守る行動が必要」であり,医療提供体制も「深刻な機能不全に陥っている」。

 それゆえ,まさしく菅 義偉の政治理念どおりに国民たちは自助そのものの精神姿勢を自主的にかまえたうえで,自宅療養のかたちになっても,現状のコロナ禍にしっかりガンバッテ対処すればよいというわけである。実際,中等症でも入院できなかった新型コロナウイルスの感染者が,病状を悪化させても入院すらさせてもらえず,いたずらに自宅で死亡させられている。その種の事例がすでに発生しはじめている。

 「自助」でも「自分が助からない」その自助では,なんの足しにもならない。コロナ禍に見舞われこのウイルスに感染しても,たとえ症状が中等症から重症化に急変してもそのまま入院もできずに放置されたまま,それこそ野垂れ死にさせられる人たちが実際に出はじめている。

 それなのに「コロナに打ち勝った証し」というおまじないだけならば,脳天気にも標榜してきた菅 義偉であった。現実がみえないのではなく,みようともしない「専制的独裁志向の政権」支配者であるこの首相に,この日本を運営させる資格はまったく備わっていない。

  要点・ 2020東京オリンピックの開催は1年遅れて今年(2021年)7月下旬から8月上旬に実施されたが,コロナ禍のために無観客を余儀なくされ,外国人観光客の入国はなく,その結果,さすがの商業五輪は大赤字,いわば〈火の車〉状態になった,しかし,国税・都税が巨額投入されていたこの「IOCの営利(?!)追求」のための国際大運動会「騒ぎ」は,大出血:大赤字をもたらす結果となった

 その後始末は国民・都民たちに押しつけられるわけで,コロナ禍に振りまわされ疲弊してきたこの国の人びとの日常生活はボロボロにされている場合も多く,いったなんのための汚リンピックの開催だったのか疑問しか残していない。要は,キレイゴトばかり,空念仏のように唱えてきたIOC主催の誤倫大会は事後,廃止にすることが,もっとも懸命な選択肢になっている

【参考動画】-「菅 義偉と小池百合子はただちに去れ」といわれるべき当然の理由・必然の事情を解説する-

 

 

【参考記事】

 


 


  商業五輪は「SDGs:Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)とは無縁の国際大運動会であり,自然破壊にもかかわる不埒な国際行事

 2021年8月12日(木)夜,『朝日新聞 DIGITAL』が  https://ml.asahi.com/p/000004c215/11368/body/pc.html  として配信してきた以下の記事(Evennig A)は,つぎのごとき問題意識で議論していた。執筆者は,コンテンツ編成本部長補佐・石田博士。

 東京オリンピックアメリカでの視聴率は,スターの不在や時差が影響して1988年以来最低だったそうです。アメリカの放送局が払う放映権料は,国際オリンピック委員会(IOC)にとって最大の収入源。巨額のテレビマネーはスポーツ界を潤す一方,競技の開始時刻やルールをも左右してきました。アメリカでの視聴率低迷は,オリンピックが変わる契機になるのでしょうか。


   ★ IOC最大の収入源,米NBCは視聴率低迷 五輪は変わるのか ★

 a)「いくらか,運が悪かった」

 東京オリンピック(五輪)が始まって1週間が経った7月29日,米国での五輪独占放映権をもつNBCユニバーサルのジェフ・シェル最高経営責任者(CEO)は決算説明会で,東京五輪の視聴率が予想よりも低くなっていると認めた。

 同社によると,もっとも視聴率が高い夜間の「プライムタイム」の視聴者は平均1550万人だった。米メディアによると,NBCが1988年に五輪中継を始めて以来最低の数字で,2016年のリオデジャネイロ五輪と比べると42%の減少。2018年の平昌冬季五輪からも22%下がった。

 米国では日本との時差,新型コロナウイルスによる無観客,競泳のマイケル・フェルプスや陸上短距離のウサイン・ボルトのような絶対的スターの不在などで,視聴率は下がると当初から予想されていた。

 さらに,米国で最大の注目選手だった体操のシモーン・バイルスが多くの種目を棄権したことも影響した。スポーツ・ビジネス・ジャーナルでメディアを担当するオーステン・カープ氏も「NBCの予想よりも低い数字だったのではないか」と分析する。

 b)「米での人気,競技日程も左右」

 国際オリンピック委員会(IOC)にとって,NBCからの放映権料は最大の収入源だ。IOCの収入の約7割を放送権料が支え,そのうち約半分を北米向けが占めている。

 IOCは収入の約9割を,アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしている。国際競技団体にとって,IOCからの分配金は死活問題だ。

 競技団体は放送時間枠やテレビ映りを意識して,競技の姿を変えてきた。バレーボールがラリーポイント制を導入したり,柔道の畳がカラフルになったりしたのは,わかりやすさを求めた結果だ。

 さらに,米国で人気のある競技は,開催国に合わせるのではなく,米国のプライムタイムに合わせておこなわれるようになった。今大会では,米国が金メダルを獲得した男女バスケットボールや競泳などが,日本の午前に決勝が始まるよう設定された。

 サッカー女子決勝も,炎天下の国立競技場で〔8月〕6日午前11時開始の予定だった。しかし米国が準決勝で敗れると,決勝は対戦国の要望を受けて前日夕方に急きょ午後9時開始に変更になり,会場も横浜に移った。無観客開催の特殊事情があるとはいえ,NBCの関心が薄まれば,日程や会場の変更は容易だとの受けとめが広がった。

 五輪への依存度が低い競技ほど,IOCに強気に出られる。五輪より4大大会に重きが置かれるテニスは男子の世界ランク1位,ノバク・ジョコビッチらが危険を訴えると,試合開始を4時間遅らせ,午後3時以降になった。

 逆にホッケー女子3位決定戦の開始時間は午前10時半のまま。国際ホッケー連盟幹部は「五輪の素晴らしい舞台でできることを選手は感謝している。不満はない」。選手の健康を考えれば「アスリートファースト」はみかけ倒しだった。

 c)「巨額な放映権料 2032年まで契約」

 NBCの低視聴率で,今大会が「テレビンピック」の曲がり角になるのか。

 NBCは2014~20年の放映権を43億8千万ドル(約4818億円)で獲得し,2022~32年の6大会についてもすでにに76億5千万ドル(約8415億円)の契約を終えている。この契約のさいはIOCが入札をおこなわずに独占交渉し,両者の一体ぶりが浮かんだ。IOCはブリスベン(豪州)で開かれる2032年大会まで財政面での安定が保証されているとはいえ,NBCの姿勢は,五輪のあり方に大きく影響する。

 補注)NBCの関連する実情については,『時事通信』がつぎのような記事を配信していたが,その内容なやや分かりにくい「2つの記事」となっている。この付近の論点はつづく段落で考えてみる。

 ※-1「五輪視聴者,33年ぶり低水準 広告販売は『上々』―米NBC」『時事通信』2021年08月10日14時16分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081000622&g=int

 

 ※-2「【ワシントン時事】米国で東京五輪の独占放映権を持つメディア大手NBCユニバ-五輪テレビ視聴,低調 広告の補償交渉も―米」『時事通信』2021年08月02日13時57分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080200142&g=int

〔 ① の記事に戻る→〕 ただ,相対的にみれば,東京五輪はNBCにとって成功だったという見方が強い。ストリーミングサービスの台頭もあり,米国ではテレビ全体の視聴者数が低下傾向にある。NBCは〔8月〕9日,「優越が続いている」として,他局と比べて2~3倍の視聴者を集めたと総括。会社幹部は米メディアに「利益は非常に高い」と語った。さらに,NBCCが昨〔2020〕年から開始したストリーミングサービス「ピーコック」の会員は5400万人に上り,その要因のひとつが,東京五輪だという。

 NBCは五輪の価値を,テレビだけで考えていない。さらに,NHK出身で,2008年北京五輪では国際放送の映像制作に携わった藤原庸介・元日本オリンピック委員会(JOC)理事はいう。「IOCはNBCに依存してきたが,今後は中国に対し,経済成長に見合った放送権料を要求するだろうし,中東も潜在的に高騰をみこめる。IOCの手法に陰りはみえない」。(引用終わり)

 国家利益とも分かちがたくむすびているのが,五輪行事の開催である。まずは「後進国からの脱却」を国外に向けて発信するための国際大運動会として利用する点に,その意味があった。1964年の東京オリンピックがそれに該当した。その点でいえばまだ,五輪行事という国際的な競技大会の開催には大きな意義をみいだせる。

 だが,今回日本が1年遅れが開催することになった「コロナ禍が止まぬ」状況のなかでの2020東京オリンピックの開催は,皮肉なことに,この国が「先進国からの脱落」を意味するほかない事態を明確にした。冒頭に触れた新聞記事は,その五輪大会と終えた3日後におけるコロナ禍の実情が,「東京,感染『制御不能』 『医療,機能不全』『自分で身守る段階』 都の会議,専門家警鐘……」と形容していた。

 冗談ではなかった,コロナ禍がそのように悪化してきた事態は,医療専門家,それも政府側の,ふだんから実にいい加減な連中(厚生労働省の医系事務官や政府系の御用医療関係学者)の立場であっても,相当に深刻な様相になりつつあると警告せざるをえない局面にまで到達していた。

 そうした経過のなかで,菅 義偉は能天気にも,それこそバカのひとつ覚えでもって,「コロナに打ち勝った証し」だけを必至になって探しもとめていた。

 しかし,「菅首相 早速SNSに五輪賞賛動画 厳しい声も『感染爆発は?』『もう逃げられない』」『YAHOO!JAPAN ニュース』2021/8/9 (月) 12:10 配信,https://news.yahoo.co.jp/articles/98f6dca9b55955752646b54908aa959f7c1e2c49(元記事『デイリー』)という記事の見出しほうが,われわれの耳にはすんなり入ってくる。国民たちを舐めきってきた首相は,つぎのように五輪を総括した記事の内容をよく玩味しておくべきである。

 

  山下祐介「〈オリンピック〉太平洋戦争と東京オリンピック,どちらも『日本の敗戦』だったと言える理由  ロックダウンに突き進んではいけない」『現代ビジネス』2021年8月12日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86091

 この記事は長文であるが,あえて全部引用しておく。最新の論稿である。五輪の開催に浮かれていた(つもり,ポーズの)菅 義偉政権だが,肝心かなめであった新型コロナウイルス感染拡大「問題」に対する対策はほとんど無力であった。そのための対策に用だてされるべき「カネ・モノ・情報・体制」のすべてを惜しんでいる。日本政府の行動様式は,太平洋(大東亜)戦争過程になぞらえられてきたが,まったくそのとおりの「お手本にしたかのようなデタラメ,体たらく」を積み重ねてきている。そのやり方は現在進行形である。

 補注)山下祐介は東京都立大学部授で専攻は社会学


 ※- 東京オリンピックとはなんだったのか。あらためてその成果を検討してみよう。

 東京オリンピックは,わが国の新たな敗北だ,政治の敗北だと,前編『東京五輪は「日本の完敗」…中止を決断できなかった菅政権の「限界」が見えた』註記)ではそう説いた。

 註記)『現代ビジネス』2021年8月12日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86090 こちらの稿文も紹介したかったが,あまりにも長くなるので禁欲した。この稿文は,以下に引用していく稿文を「後編」とする「前編」であった。

 ※-1   経済対策としてのオリンピックは失敗

 安倍晋三政権を引き継ぐ菅 義偉政権は,経済政策に重きをおく政権である。東京オリンピックも,長引く日本経済の低迷に息を吹きこむ景気浮揚策だった。その目玉は海外からのインバウンド観光客の拡大・増加にあり,そのために業界はさまざまな投資をおこなってきた。

 ところが,コロナ禍によってインバウンドどころか国内の観光客さえ止められて,観光業界は未曾有の大打撃を受けている。影響はすでに2年目。今〔2021〕年もまたゴールデンウィークとともに夏休みの往来も止められた。妙な話だが,オリンピックさえなければこれほどの感染拡大はなかったはずだし,そもそも観光業界への救済に,政策の焦点をもっと集中できたはずである。

 いや話はより複雑である。業界を救済するための「Go Toキャンペーン」が,感染の沈静化を確かめぬままに実施されて,かえって感染拡大に寄与し,めぐりめぐってオリンピック開催期に感染ピークを迎えるという「最悪の結果」を導いてしまったからである。

 そもそも,こういう観光キャンペーンは感染が終息してからおこなうべきものである。菅政権の目玉であった Go To は失敗すべくして失敗し,そこで使われた補助金は業界救済には回らずに,どこかへ消えてしまった。その金があるのなら,行動制限で生じた営業上の損害を補填すればよかったのに,である。

 だがそれでも業者たちは耐えてきた。それもこれも東京オリンピックが開催されれば景気は回復するという期待があったからである。ところが開催されたオリンピックは海外からの一般渡航禁止,オリンピックそのものも無観客での開催となった。

 日本人さえ動かない。それどころか,首都圏を中心に全国的な行動制限まで発動せねばならなくなり,オリンピックを開催したがために夏のお盆の人の動きまで止められてしまった。

 こうしたオリンピックに経済効果などあろうはずもない。むしろオリンピックこそが国民経済の足かせになってしまった。
 
 ※- いったい誰が儲かったのか?

 もちろん経済効果でいえば,オリンピックには,その放送などにかかわる広告料や放映権料がある。だから,そこにはなお効果はあるはずだという反論も出そうだが,広告料とは,庶民である私たちがその広告を見て商品を買い,そのお金が業者に回って,その業者から支払われるものである。

 もとをたどれば私たちが商品を買うさいに上乗せして支払っているおカネであり,オリンピック開催とはそれがIOC関係者の周辺に入る仕組なのであった。日本人や日本政府にさえ落ちるものでもないのである。

 そもそもオリンピックは,介入すればするほど一般の人間は損をし,儲けがすべて主催者側にもっていかれる,そういう仕かけになっている。それでもそこから波及する経済効果にわれわれは期待するわけだが,今回は人流が止められており,ほぼその効果がみこめない状態での開催となった。

 経済優先ならば,間違いなくオリンピックは延期し,来〔2022〕年以降,人を入れるかたちでコロナ禍復興オリンピックをおこなうべきだった。

 補注)今〔2021〕年に,そのオリンピックを無理やり開催することを決めさせたのは,安倍晋三であった。彼は自分がまだ首相をやっているうちに,東京オリンピックを開催できれば,自分のレガシーがえられると妄想していた。しかし,その後,菅 義偉が首相に代わっていた。この首相も,自分のレガシーとして五輪開催を取りこめなかった。付言するに,金メダリストに電話をしまくればえられるそれ,などではけっしてなかった。

【参考画像】

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【参考記事】

  (リンク先)⇒ オリンピック中に「感染爆発」を起こした自民を待ち受ける秋の衆院選ボロ負け 津田慶治(まぐまぐニュース) 赤かぶ

 日本の経済対策としてのオリンピックは敗北した。IOCのためだけに開催したかのようなオリンピックだが,結果としては,選手が集まらないオリンピックはアメリカでさえ視聴率をえられず,広告料は低迷したという。広告料は人が動き,純粋に経済が回ってはじめて現出するものである。人が動かぬところに経済はない。さもありなんというべきだろう。

 補注)前段でNBCの広告収入の問題が取りあげられていたが,ここでの理解「広告料は低迷したという」記述は,妥当性を完全にはもたない。さらに奥行きのある論点であって,まだ議論の余地もあった。

 ※- 国際交流事業としても失敗だった

 もっとも,オリンピックは経済のためにやるものではない。文化事業であり,国際交流である。近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタン(1863-1937年)の意志に沿うなら,スポーツを通じた平和をめざす国際交流事業でなくてはならない。

 ではそうした文化面ではどうだったか。この点で筆者が期待を寄せていたのが,各地で企画されていたホストタウン事業だった。参加する各国の選手チームとの交流を市町村で分担し,事前の交流から大会時の選手の受け入れまで,それぞれに「おもてなし」をおこなう事業が数年前から企画・準備されてきた。

 たとえ経済はマイナスでもよい。オリンピックを通じた市民レベルの国際交流こそがこの先の日本の地力を固め,ひるがえって経済効果を生み出すだろうと期待していたのである。各地の人びともこの国際交流を楽しみにしていた。だがコロナ禍緊急事態のもとでの開催は,その準備をすべて反古にしてしまった。

 オリンピックはけっして,そこに参加する選手たちだけのものではない。かかわる人びとすべてのものである。大会関係者だけでなく,たとえば飲食業を含む業者や,ボランティアや,各地域の住民のものである。そして開催国の国民のもの,世界中の人びとのものだ。

 みなの参加と交流があってはじめてオリンピックになる。その交流を作り出さない,ただ選手が競って終わりという大会になんの意味があったろうか。

 開催地の東京都では,児童生徒にレガシーを伝える事業を数年かけておこない,大会開催時・後の国際交流にむけた準備もおこなってきたという。ところが,大会1週間前になって学校引率による子供たちの観戦中止が決まり,テレビ観戦が「夏休みの宿題」になった。

 ここまで準備させておいて,大会開催のためだけに交流事業をあっさり切り捨てるこのやり方。要するに無理な大会開催が,あらゆるものをかなぐり捨てさせたのである。

 ※- 海外にみえてしまった日本の醜態

 だが国際交流に関しては,今回,ただ「コロナ禍できちんとできなかった」というだけでは済まないことが起きていた。このことも大変重要である。

 今〔2021〕年2月,JOC森 喜朗会長が女性蔑視発言で退任に追いこまれたのも,なにか遠い夢の出来事のようである。3月には開会式演出総括であった佐々木宏氏が,同じく女性蔑視発言で辞任した。

 これ(以上の2件)だけでもただならぬ感じがするが,驚いたことに開会式直前の7月19日になって開会式の作曲担当者が,過去の障害者差別をめぐって辞任する。そしてあろうことか,開会式前日の22日には,開会式の演出担当者がホロコーストを揶揄していた過去の発言・作品が問題視され,同じく辞任に追いこまれてしまった。

 開会式の演出チームは2020年12月に一度解散して,このチームに編成替えされている。開会式をめぐって,いったいなにが起きていたのか私たちはしる必要がありそうだ。

 ともあれ,選手たちのスポーツに向けた果敢な挑戦のかげで,そしてホストタウンや学校教育,ボランティアという,クーベルタンのオリンピック精神をこの大会で実現しようとしていた人たちの裏で,その中心に群がっていた人たちの素性が明るみに出てしまった。

 オリンピックは海外の文化を私たちが学ぶ機会であるとともに,日本の文化性を海外に発信する最大の機会である。ところが今回その国際文化交流の最高の舞台で,日本という国家の国民性に最悪のイメージを付与し,世界に広めてしまったことになる。

 わざわざおかしな人びとを集めて海外に恥をさらすなど,関係者はなにを考えてこれを進めていたのか。

 ※- ズルズルと,やらざるをえなくなっただけ

 ここまでの犠牲やリスク,醜態を引き起こしてまでやらねばならなかったオリンピックとはいったい,なんだったのだろう。ここで大切なことは,政府官邸もどうも,今年度のオリンピック開催にこだわっていたわけではないという点である。

 もし本当にこだわっていたのなら,もっと早くに今年度開催を決定し,周知し,オリンピックへの国民の協力を促していたはずである。そしてどうだろう。政府がきちんとした姿勢で「今年はやる」「協力して欲しい」と示していたのなら,そしてそこに今年開催せねばならない明確な理由があったなら,国民は全面的に協力したはずである。感染拡大も防げたのではないか。

 だが政府にはそういえる自信がなかった。いや,そもそもここまでみてきたように,今年開催すべき理由は政府にはなく,日本国民の利益を考えれば--そしておそらく世界の人々にとっても--次〔2022〕年度開催にもっていくのが適切だったのである。

 だが政府にはそれを実行できなかった。大会延期を実現する能力がなかったのである。起きたのはこういうことである。やめようか進めるべきか,どっちが都合がよいかみているうちに,ついにやめることができなくなっていたということだ。

 補注)先述で指摘したように安倍晋三が1年だけ延期するという自分個人の都合・利害にこだわった事実を,ここではもっと重要視すべきだが,こちらの点についてはそれほど追究がない。疑問となる。

 IOCの力に押されてというよりも,ワクチンの遅れや,「日本の感染状況はさざ波だ」などの根拠のない希望的観測に翻弄され,気がついたら最悪の状態で開会式をむかえていたということなのだろう。

 補注)「さざ波」発言は,例の菅 義偉政権の腰巾着オトコ「高橋洋一」君であった。最終的な公職が内閣参事官。菅のために外野席から “いい加減な学識まがいの発言” をおこない,声援してきた人物。

 要するに,これがいまの政府の実態なのである。そしてこの実態は,いま急に現われたものではなく,東日本大震災の被災地復興や,地方創生による人口減少対策において,筆者が本サイトでずっと注意をうながしてきたことなのである。

 補注)この段落で指摘されている時期の大部分は安倍晋三が首相を務めていた。

 読者には,ぜひここで目を開いてこの真実に気付いて欲しい。というのも,このまま放っておくと,なにかさらなる深みに私たちははまっていきそうな気がするからである。

 ※- 無理なオリンピックはやはり無理だった

 8月15日は終戦記念日である。この終戦記念日を前に私たちが気付くべきは,太平洋戦争をめぐっての当時の政府の状況に今どこか似ているということである。

 補注)山下祐介は「終戦=敗戦」という把握をしているのか? 終戦というのは「勝ち戦(勝利)」も「負け戦(敗戦)」も包括することばであるから,厳密には間違いではないが,あえてコトバの意味を曖昧に操作を忍ばせた概念である。このことは,山下も承知の点と推察する。つぎの段落には「敗戦」という単語は出てくるが。

 決めることを決められず,止めることも止められず,ずるずると世界情勢に呑まれて最悪の状況に陥っていったあの時と。もちろん現在の敗北はなお,76年前の8月15日の敗戦という状況までには至っていない。まして58〔57〕個ものメダルをもたらしたのだから,これを敗戦などというなという向きもありそうである。

 補注)コロナ禍での金メダル獲得数を「平時のオリンピック」におけるそれといっしょにしたあつかいは要注意であった。圧倒的に日本選手に有利な状況で開催していた2020東京オリンピックの開催であった。

 だが,前の太平洋戦争との比喩に引きつければ引きつけるほど,いまの私たちの敗戦を認めることが大切なのである。たしかに表向きはメダル数などに現われているように,戦果を上げたようにみえるかもしれない。

 だがそれはいうなれば,太平洋戦争時の初戦の勝利に近いものであって,この勝利によって,現実から目をそらすことこそが危険なのである。今回のメダルは,選手たちがそれぞれ追い詰められた切迫した状況のなかで,それぞれががんばったからこそ獲得できたものである。

 他方でコロナ禍の開催地有利は揺るがない。しかもまたくわえて開催地有利だからといって勝てるものでもない。この勝利に酔って,その背後に起きていた真実に目を背けることほど,選手たちのがんばりを否定するものはない。

 補注)この段落の議論は相対論的な話題作りになっている。つまり「開催地有利」≒「有利だから勝てるものでもない」は,一見そのとおりであると同時に,そのとおりではない。このような相反する要因を含む話題を一気に,強引に比較させた議論は,勇み足になるほかない論旨を噴出させやすい。

 ※-7  ロックダウン実現論への警戒が高まる

 メダルの背後にある〔のが〕,政治の敗北〔であった〕。このことを私たち自身が認めること。ここからオリンピックのレガシーも,ポストコロナも始まる。そうでなければならない。

 というのも,この敗北を認めぬ動きのなかから,行動制限に罰則を課すロックダウンの実現など,政府により強い権限を認めようという議論が始まる気配があるからだ。

 しだいに政府に対する国民の信頼が失われ,行動規制が効かなくなっているなかで,国民を法により強制的に政府の命令に従わせようという議論が頭をもたげはじめている。

 太平洋戦争後半の,悪化する戦局を認めず,無理を押し通すために,さらに無理な体勢を構築しつづけていた時と,状況が近似しはじめている。だが,これまでのコロナ禍対策にしても,オリンピックの競技にしても,がんばったのは国民であり選手である。

 そのがんばりにあぐらをかいて,適切な政策を適切に打たず,むしろわれわれを窮地に追いこんできた政府に,さらに権限を与えるなどあってはならない。コロナ対策で必要なことは政府の権限強化などではない。必要なのは国民に適切に訴えかけ,国会はもちろん国民と適切に対話する政府の姿勢である。

 政府にはワクチンを準備し,医療崩壊を防ぎ,国民の行動制限によって生じる被害を補償する義務がある。その仕組をきちんと構築してさえくれれば,日本ではロックダウンなど,コロナ対策としては必要ない。

 そもそもロックダウンは,適切な感染対策,被害補償が政府の側にあってはじめて功を奏するものである。諸外国をみれば,ロックダウンを実施しているのに多数の死者が出ている国がある。ロックダウンをしたら感染者を抑えられるというのは幻想に過ぎない。

 これに対しわが国では,ロックダウンのような強硬策なしにここまで感染を防いできた。すべては国民によってえられた勝利である。その勝利を台無しにする政府の姿に,なんでも国民に犠牲を押しつければよいと発想する彼らの姿に,私たちはきちんと気がつかなくてはならない。

 そして,もし自分たちには,適切な感染症対策をおこなう能力がないというのなら,潔く責任をとって権力から身を引くべきである。それこそが政治の矜持というべきものだろう。

 コロナ対策と東京オリンピックでは敗北した。その政治的責任を認めず,疎かにする政治は,私たちを奈落へと誘いこむ化け物である。

 終戦記念日を迎え,80年前の戦争でなにがあったのかを,私たちはきちんと振り返る必要がある。そしてそれをいまの私たちに当てはめ,あるべき政府の姿を私たち自身で構想し,きちんと政治に突きつけていくことが大切だ。

 そしてこのことこそが,この無謀な東京オリンピックを,少しでもやってよかったものにするための最良の道なのである。東京オリンピックという無残な敗北を認めよう。負けた政権は去らねばならない。

 その敗北を国民がうやむやにしていれば,負けを認めたくない政府はこの先,この敗北を隠すために,さらなる政治の暴走を引き起こすことになるだろう。(ここで長い引用終わり)

 この記事は最後の段落で “菅 義偉政権の追放” を提唱している。「国民たちを舐めきってきた菅 義偉の為政がつづいてきた」からには,もうガマンならぬ,このオトコを日本の政治から追放しろと,この文章を書いた人は結論している。

 要するに「コロナに打ち勝った証し」を求めた菅 義偉は,完敗していた。金メダルを獲得した選手たちに電話をしまくり(銀・銅メダリストは相手にしなかったが),自分の手柄話にすり替えようとする,いわばトコトンみえすいた根性だけならば,われわれの記憶に強く残った。

 要は,この日本の首相はたいそうセコイオトコなのであった。国利民福=経世済民などろくにできるはずもないこの首相であった。菅 義偉は「コロナに打ち勝った証し」を「青い鳥」にみまちがえていた。

 その「青い鳥」的な幻覚症状にかかった菅 義偉に対してとなるが,その事実をきちんと教えておくためには,つぎの衆議院総選挙においては「自民党公明党の節操のない野合・合体政権」を敗北させておく必要がある。

 菅 義偉にこのまま首相をやらせていたら,コロナ禍で死ぬ(殺される!)ばかりか,3食を満足に口にできず着るものにも不自由する人びとや,雨露をしのぐ屋根をもたない人びとが大勢増えつつあるこの国になっているなかで,商業五輪といいながら国税・都税の莫大なムダ遣いまで強いる国際大運動会を開催していた。

 だから,汚リンピックだとか「誤倫」ではないかと,この表現を使ってみた。

 IOC会長,通称「ボッタクリ男爵」のいいカモになりはてたこの国であった。その残されたツケが,これから国民のほうにツケ回しされる。「いい迷惑」と形容できる程度のそれでは収まらなくなっていた。

 

 【蛇足的に透けてみえる菅 義偉の悪足】について,日本共産党書記局長の小池 晃いわく……

     ?「菅首相、ちょっと大丈夫か」共産・小池氏、ユーチューブ番組で ?
 =『毎日新聞』2021/8/12 15:50,最終更新 8/12 21:02,https://mainichi.jp/articles/20210812/k00/00m/010/138000c

 共産党小池晃書記局長は〔8月〕10日夜のユーチューブ番組で,菅 義偉首相について「説明できない。自分の言葉でまったく語れない。しかも原稿も読めない。ちょっと大丈夫か」と述べた。首相は6日,広島市で開かれた平和記念式典であいさつの一部を読み飛ばすなど,発信力に課題を抱えている。

 小池氏は,日本学術会議の任命拒否問題などを挙げ,これまでの自民党政権と比較しても菅政権は「科学や学問にリスペクトがない。自分のやっていることを正当化するものだけを評価するところがある。政治的スタンスの違いはいままでの首相ともあったが」

 「それ以前の『人間としてどうなの』というところがやたら目につく」と指摘。国会でのやり取りも噛みあわないとして,「安倍(晋三前首相)さんは立ち向かってきたり,反論してきたりしたが,菅さんはそういうのがなく,(国会審議を)やっていてむなしさが出てくる」と述べた。 

 菅首相を題材にした映画「パンケーキを毒見する」の内山雄人監督との対談で述べた。(引用終わり)

 要は,日本そのものを破壊しつつあるのが,菅 義偉という日本国の総理大臣である。コロナ禍の災厄,そして五輪の無観客による開催・実行は,その破壊の速度に拍車をかけただけに終わった。

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