自民党総裁選はコップの,あるいはおちょこの中でのネポティズム的な前近代的・半封建的な政争まがいのお遊戯会,日本の政治は19世紀のままで,いまや後進国体制に退歩した国家体質を回復できない,世襲政治の因習を排斥して抜本から大改革しないかぎり,さらに頽廃・腐朽していく(その2)

 世襲政治屋が中心・主軸になる日本の政治体制を根幹から批判しない日本の言論機関,このマスゴミ的な基本論調をもってしては,すでに進行中である「日本政治の沈没過程」に歯止めはかけられない,世襲政治が当たりまえにまかり通るだけのこの日本国政治体制で,はたして,先進国に再度復帰できる時期が来るはずはない,世襲の3世・4世議員がのさばりつづける現状では,日本の政治社会に明るい未来は絶対に拓けない


  要点・1 世襲政治体制を打破しなければならず,そのための立法措置がただちに必要不可欠

  要点・2 だが,世襲政治屋が日本の政界に跋扈跳梁しているようでは,世襲政治は半永久的につづく,現状では日本の政治が民主主義をまともに発展させうる展望がほとんどもてない

  要点・3 自民党総裁選に出ている有力な候補,すなわち自民党のボスに選ばれそうな政治屋の人物は「世襲何代目かの政治屋」しかおらず,この事実じたいが日本の政治が以前から溶融しつづけている,ないしは破綻していた事実を物語る

  要点・4 勉強不足がめだつ世襲議員の実例が,たとえば安倍晋三実弟防衛大臣の岸 信夫の「靖国神社」発言

 

「本稿・その1」】は,こちら(  ↓  )へ。


  日本の政治の中核に位置する天皇天皇制がそもそも「世襲制

 国立国会図書館のホームページに『日本国憲法の誕生』「資料と解説」第3章「GHQ草案と日本政府の対応」,3-10マッカーサー3原則」(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日が掲載・公開されている。アメリカ側の関係者として氏名が出ているハッシーとは,本ブログ内の記述では,2日前のつぎの記述と関連のある人物であった。ただし,その記述中にハッシーの氏名じたいは出ていなかった。

 その「マッカーサーの3原則」とは,以下のように説明されていた。英語原文⇒日本語訳の順で紹介する。

  About 4 Feb 1946
  資料番号     Alfred Hussey Papers;  Constitution File No. 1,  Doc. No. 5
  所蔵     国立国会図書館

 

 〔1946年〕2月1日付け毎日新聞に掲載された「松本委員会案」の内容が日本の民主化のために不十分であり,国内世論も代表していないと判断したマッカーサーは,民政局に対して憲法草案を作成するよう命じた。そのさい,マッカーサーは,憲法草案に盛りこむべき必須の要件として3項目を提示した。

 

 いわゆるマッカーサー3原則である。その3原則のうちの一つが,第9条の淵源となった戦争放棄に関する原則であった。この資料にみられるように,マッカーサー3原則においては,「自己の安全を保持するための」手段としての戦争をも放棄することが明記されていた。

 

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  Three basic points stated by Supreme Commander to be "musts" in constitutional revision.

 

 COPY
 SECRET

 

 Ⅰ Emperor is at the head of the state.

   His succession is dynastic.

   His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein.

 

 Ⅱ War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

   No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

 

 Ⅲ The feudal system of Japan will cease.

   No rights of peerage except those of the Imperial family will extend beyond the lives of those now existent.

   No patent of nobility will from this time forth embody within itself any National or Civic power of government.

   Pattern budget after British system.


  Copyright©2003-2004 National Diet Library All Rights Reserved.

 

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【COPY  SECRET:原資料】

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 以上を日本語訳に変換しておくと,こうなる。英語が得意な人は,こちらの翻訳と対照して読んでほしい中身である。

     ◆ マッカーサー3原則(マッカーサー・ノート)◆
         = 1946年2月3日 =

 

 Ⅰ 天皇国家元首の地位にある。

   皇位世襲される。

   天皇の職務と権限は,憲法にもとづいて行使され,憲法の定めるところにより,国民の基本的意思に対して責任を負う。

 

 Ⅱ 国家の主権としての戦争は廃止される。

   日本は,紛争解決の手段としての戦争のみならず,自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。

   日本は,その防衛と保護を,いまや世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。

   日本が陸海空軍を保有することは,将来ともに許可されることがなく,日本軍に交戦権が与えられることもない。

 

 Ⅲ 日本の封建制度は廃止される。

   華族の権利は,皇族を除き,現在生存する一代以上に及ばない。

   華族の特権は,今後,国または地方のいかなる政治的権力も包含するものではない。

   予算は英国の制度を手本とする。

 これを読んでまずなによりもビックリするのが,敗戦後に「皇位世襲される」けれども「日本の封建制度は廃止される」と,絶対に矛盾することがらが同時に,高らかに提唱されていた点である。ただし,SECRET  の赤印が押されていた文書のなかでの宣言ではあったが……。

 しかし,おいおい,マック君よ,あの時にこれほど矛盾する「原則のそれ・ぞれ」を,よくも決めていたものだね,と呆てるほかない。

 「日本の封建制度は廃止される」ゆえ,華族はなくした。だが,皇族は残した。華族も皇族も封建制度ではなかったのか? どうしてその片方だけはダメとし,もう片方は残したのか。この問いにまともに答えられる人はいるか?

 その種のもっとも基本的だが,ごく初歩的な疑問を提示すると,それでもいきなり「オマエは分かっていない」,非国民的な発想をする奴だといいだす〈ヤカラ〉がいるかもしれないのが,確かにそれも現在の日本における痴的状況。
 
 要は,マッカーサーのGHQ(アメリカ政府の出先機関,「日本総督府」)が,戦争で負かせた相手,占領しているこの日本を,よりうまく支配し,なるべく円滑に統治していくためには,それまで日本という国では生き神だとされた天皇ヒロヒト)を,いってみれば「日本の人民」を入れてある「ビンのふた」に利用する狙いが,この「マッカーサーの3原則」の根本にはこめられていた。

 敗戦を機に「日本の天皇」の代人となって,全権力を掌握したマッカーサーであるから,そのような矛盾そのもの,分かりやすくいえばデタラメな「論理(リクツ)を並べた」「自分流の原則」を披露できていた。

 

 日本国憲法じたいの根本矛盾  

 日本国憲法が大日本国憲法明治憲法)に代わって施行されたのは,1947年5月3日のことであった。この新憲法はそれ以来,21世紀の今日まで一度も改正されたことがない。いろいろと改憲論者もいて,とくに極右系の人びとは民主志向の現憲法が気に入らないといっては,憲法をなんとか極右の方途に向けて変更したいと欲望している。

 また,護憲派の人びとの考えではそうした改憲はいっさいすべきではなく,この憲法を守りぬくべきだという考え方である。つまりとくに第9条のつぎの条項は格別にしっかり守っていくべきだと主張する。

 第二章 戦争の放棄〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

 

  第九条 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。

  2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

 だが,安倍晋三の第2次政権は最終的に,この第9条を完全に骨抜きにする政治を強行してきた。

   2015年9月30日,平和安全法制が,

  「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(平成27年9月30日法律第76号)」(通称 平和安全法制整備法)

  「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(平成27年9月30日法律第77号)」(通称 国際平和支援法)

の総称として成立していた。

 この法制は平和安全法制関連2法とも呼んでいる。マスメディア等からは安全保障関連法案・安保法案・安保法制・安全保障関連法・安保法と呼ばれるほか,この法律に批判的な立場(立憲民主党日本共産党社会民主党等)が主に使用する戦争法という呼び方も存在する,などと解説されている。

 「平和」ということばを全面に押し出したかたちを採ってだが,戦争という有事の発生に備えるために整備された法律の名称として,この「平和安全体制」という用語があてがわれた。

 だが,日本の安保体制はもっぱらアメリカ軍の手下:下請けとしての役目・機能に重点がある。この事実は,20世紀の末ごろから21世紀に入ってより明確になっていた。いままで自衛隊3軍が,どのように海外にまで派遣され軍事活動に関与してきたかを一覧すれば,すぐに理解できる。

 補注)ウィキペディア自衛隊海外派遣」を参照。これには関連する法律も年次ごとに付記されている。いまの自衛隊3軍はほぼ通常の軍隊組織とその機能を果たせる水準にまで到達している。あとに残る「課題」は現状をより軍隊らしい性格にさらに改変していくことである。もっとも,自衛隊3軍にはまだまだ足りない「軍隊としての要因」がないわけではない。

 さて,改憲派は第9条をできればなくしてしまい,「戦争をできるこの国に変えろ」といい,護憲派はその反対に,あくまでこの第9条を死守する立場を堅持している。ところが,不思議なことにこの第9条の前に8条も並んでいる天皇関連条項については,より明確にかつより積極的な態度でもってだが,なんらかの発言・提案をする人がみつけにくい。

 前段に紹介した「マッカーサーの3原則」は “矛盾がある” と指摘した点は,日本国憲法のなかでも,明白に体現される矛盾となっていた。

 つまり,「第9条」との抱きあわせで残された「封建遺制」=天皇天皇制に関連した「第1条から第8条」までとの矛盾については,いずれの〈陣営〉の人びとも,ほとんどといっていいくらい触れてこなかった。もちろん具体的に「その矛盾」をどうするのかについて議論じたいをすることも,直接になされることがとぼしかった。

 天皇天皇制に反対する識者たちは,そのあたりに関連しそうな論点を,敗戦後史のなかで盛んに議論し,展開してこなかったのではない。だが,21世紀の現段階ではその声量は小さくなっている。その代わりに極右の立場にある人びとが,憲法の「改悪」を強引に主張してきた。いまの自民党内では改憲に賛同する議員が多数派である。

 もっとも,そうした勢力同士のあいでで綱引きを発生する一番の原因は,そもそも「マッカーサーの3原則」じたいが,それこそトンデモない自家撞着を平気の平左で指示していた事実にあった。

 いいかえれば,敗戦直後の日本においての政治問題となれば,「天皇」を差し置いて日本の最高支配者となっていたMacみずからが,そうした矛盾を根本に含んだ(前掲のごとき)「自身の原則」を示していた。その事実が,いわゆる,人によっては「押しつけられた憲法」だと大反発する「日本国憲法の基本的な枠組」を準備させていた。

 いまとなってみれば,日本国憲法は前段のごとき「平和安全法制」,より端的に表現すれば「戦争遂行法制」が整備されているからには,第9条は骨抜き状態にされていたとらえる以上に,ほぼ完全に解体・再編された(火葬されてしまった)と観るほうが,現憲法の理解としてはヨリ正確であるはずである。

 「マッカーサーの3原則」はその意味では,当初の工夫--アクロバット的だったとまでいうほどでもない,ただMac流にものすごかった日本に対する無理強い--としては,いまやまったく効力のない〈原則〉になっていた。

 つまり,平和憲法だといわれる日本国憲法の第9条,「戦争の放棄-戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認」は,現時点にあっては完全に近いかたちでアイマイ化された。「正当防衛」の理屈だけであっても,いざという時には交戦できない自衛隊ではない。自衛隊員とくに高級将校たちのなかには,戦争をしたくてウズウズしている連中がいないのではない。この指摘は軍人に対するものとしては,当然である。

 21世紀になって海外に派遣された自衛隊とくに陸上自衛隊の場合は,基本としては「交戦権を否認」する現憲法の制約に苦しむ任務遂行とならざるをえないでいる。つまり,「マッカーサーの3原則」などぼろ切れ同然になっていても,まだ日本国憲法にまとわりつづけているかぎり,自衛隊という存在が軍隊組織してありのままに作戦行動する,それも海外に派遣されたさいには一定の重し(手かせ・足かせ)になっている。

 ここでの話題の中心は,どちらかというと第9条それじたいよりも,むしろその前に並べられている第1条から第8条までに向けられている。もともとすでに,第9条は骨抜きされており,実質形骸化している。となれば,そもそもMacがたいそうな無理な論理を捻りだし,つまりゴリ押しのヘリクツで決めておいた,すなわち日本国憲法の第9条じたいがいまや,実質において「74年前の古証文」となっている。

 つまり第9条は,本当は99%まで現実味のないものになっている。それゆえ,その対位関係のなかに位置づけられていたはずの第1条から第8条までの「天皇条項」は,いまでは存在する必要性がほとんどなくなっていた。「ある」とした場合でも,その残りの1%にかけるしかないのが,第9条である。論理的に詰めていけば,このように歴史的な理解をほどこすしかない。

 さて,GHQの後継となったアメリカ政府関係の機関は,実質的に在日米軍である。アメリカの大使館はアメリカ政府の国務省出先機関であるが,在日米軍はそれとは異なる次元にまで超え出ている軍事的な実在組織である。

 敗戦直後に平和憲法を与えられた日本は,この憲法をもって戦争を放棄する第9条を据えられていた。だが,その後の昭和20年代史においては,米ソ・東西対立として冷戦構造が世界政治の基本構造として形成されるなかで,この日本国憲法は改正の必要に迫られていたものの,この点が実際に進展することはなかった。

  というのも,現在まで自衛隊3軍は,世界のなかでも軍事予算や軍備の水準から観て,けっして2流水準ではない。しかも在日米軍という強力な軍隊組織が日本国全体をも守備範囲に入れてて編制されているがゆえ,両国軍が融合したかっこうでも日本に同時に配備される軍隊組織として実在する。

 補注)もっとも在日米軍というアメリカの軍隊そのものが,軍制組織としてあるのではない。在日米軍とは,日本に駐留するアメリカ合衆国軍隊のことを総称している。

 つまり,さまざまな米軍の諸部隊が,それぞれ指揮権をもつ上部の司令部の作戦指揮系統下にあって,それぞれの任務遂行のために日本に駐留している。この総体:実体をとらえて「在日米軍」と読んでいる。

 その意味で日本の自衛隊3軍は,アメリカ軍の三下あるいは褌かつぎの部隊だといえる。米軍から観た日本の軍隊は,その在日米軍「群」のひとつだという程度に位置づけておく余地もある。ただし,これはその正解のひとつでしかないが……。

 

  日本政治における世襲の弊害問題

 以上における記述の話題は在日米軍のほうに流れてきた。もとの本論の話題は「日本の政治における世襲」の問題であった。昨日からつづくこの話題がこの世襲問題であった。今日(2021年9月7日)の『朝日新聞』朝刊にも「世襲」の「害」に触れたインタビュー記事が出ていた。

 「〈インタビュー〉向かい風の自民党 選挙・政治アドバイザー,久米 晃さん」同上朝刊13面「オピニオン」のなかに,こういうやりとりをする段落があった。

 付記)以下で記者は◆,久米が◇。

  ◆ 近年は自民党イデオロギー色を強めているのでは。

  ◇ 「野党の主義・主張に対抗する意味で,保守色を強めている面はあるでしょう。でも地元では,できるだけ敵を作りたくないのが本心で,筋が通っていません」

 

 ◆ 中選挙区に戻した方がいいと思いますか。

  ◇ 「いまさら小選挙区をなくすことはできないですよ。現職の議員が自分の当選した制度を壊すわけがない。しかし,小選挙区制はあまりにも問題が大きいと思います。有能な人が複数いても,同じ政党で1人しか候補になれないので,スタートラインに立つこともできない。議席が現職の『私有財産』のようになってしまっています」

 

 ◆ 世襲議員も目立ちます。

  ◇ 「公募しても議員の子どもが手を挙げると,党幹部はその人を候補にする。そして,世襲が続いてしまう。小選挙区制ですから,党全体の勢いだけで当選する議員も出ます。責任感,使命感,覚悟。なぜ国会議員になったのかというところが,昭和の政治家とは違うと思います」

 

 ◆ 人材不足に自民党の劣化を感じます。選挙参謀として,そういう議員を当選させてきた「製造物責任」がありませんか。

  ◇ 「でも,そんな議員を当選させているのは有権者なんですよ。議員は国民の鏡です。いまの社会は組織より個人を優先させる風潮が蔓延して,常識や秩序が崩れている。部下はいうことを聞かず,上司はきびしく指導できない。こういう社会にした一因はマスコミにもある。社会全体が劣化しているのではないですか」

 

 ◆ 安倍前政権で起きた森友・加計・桜を見る会などの問題をどう受け止めていますか。

  ◇「それで自民党離れが起きたとは思いませんが,長期政権の慢心はあったのかもしれない。一方,安倍晋三前首相が後継者を育てなかったことが,いまの政治の惨状につながっているとも言えます。責任を負えるような次世代のリーダーが育っていません」

 この最後の応答のなかで,「長期政権の慢心」や「安倍晋三前首相が後継者を育てなかったこと」が指摘されている。もともと,この安倍晋三のごとき世襲「力」に頼って政界に出てきた政治屋たちの資質・素性じたいからして,大いに「製造物責任」が問われるほかない「難物」(問題児が多いこと)であった。

 補注)安倍晋三の第2次政権についてはいろいろと解説がなされているが,この政治屋が残した結果は,この国を2流に突き落とした事実,つまり後進国に回帰させた1点につきる。

 「戦後レジームからの脱却」を強調していた安倍晋三の為政であったが,内政も外交も無残な結果をもたらすだけに終わった。内政になまけ,外交に逃避した彼の為政は,国民たちの生活水準を低下させつづけてきた。

 菅 義偉はそのあとつぎとして,コロナ禍の最中に「コロナにかかって重症者になった者でも〈自助〉努力による回復」を期待するといった,きわめて残酷な施策までおこなった結果,国民の支持をえられない当代の総理大臣になりはてていた。もうすぐ菅はその地位から離れるが……。

 世襲の話題であった。安倍晋三の場合だと,父親の安倍晋太郎,そして母親洋子の父:岸 信介にまで遡及して,その「製造物責任」が問われている。とりわけ「安倍晋三前首相が後継者を育て」られる力量など,もとより寸毫ももちあわせていなかったわけで,この「ことが,いまの政治の惨状につながった」ことは,申すまでもなく一目瞭然であった。

 安倍晋三政治屋的な「血統」の系譜は,日本政治における世襲の代表としてはとても理解しやすい 実例である。現在,防衛大臣を担当する岸 信夫(安倍晋三実弟で岸家に養子入りしていた)もあわせて評価するに,世襲による日本の政治の劣化・衰退ぶりは目を覆いたくなるものがある。

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 岸 信夫は,今〔2021〕年の8月13日にわざわざ靖国神社を参拝していた。だが,彼の防衛大臣としての国家神道的な行為は,政治そのものとしての意味あいだけでなく,この神社の “戦争史へのかかわり” や “政教分離の原則問題” などの「日本国憲法」に直接する問題を惹起させていた。防衛大臣を務める政治家としての信夫は,本質的に関連する問題がいったいどこにあるかについて,まったく理解を欠いている。

  つぎの ④ には 『日本経済新聞』の報道から関連する記事を引用してみる。さきに断わっておくと,岸 信夫は自身が「日本の国家神道神社としての靖国神社」に関して無知(無恥)であるまま,完全にトンチンカンの発言をしていた。しかし,彼はこの点に関してすら自分の立場が,初めからまるで分かっていない。

 

 「岸防衛相が靖国神社参拝『不戦の誓い新たに』」nikkei.com 2021年8月13日 14:30,23:00 更新,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1324W0T10C21A8000000/ 

 岸 信夫防衛相と西村康稔経済財政・再生相は〔8月〕13日,終戦の日の15日に先立ち東京・九段北の靖国神社を参拝した。

 現職の防衛相の参拝が確認されたのは2016年12月の稲田朋美氏以来だ。参拝後,記者団に「不戦の誓い,国民の命と平和な暮らしを守り抜く決意を新たにした」と話した。

 玉串料を私費で納め,衆院議員の肩書で記帳したと明らかにした。「先の大戦で国のために戦い命を落とされた方に尊崇の念を表し,哀悼の誠をささげた」と述べた。

 補注)「先の大戦で国のために戦い命を落とされた方」というのは,靖国神社に参拝するときにいわれる常套句である。この表現は主に日本人戦没者を念頭に置いている。しかし,どうしてその人たちが命を戦争のために落としたのかまで,岸 信夫が深く考えているようには感じられない。くわえて,この神社の歴史や本質も理解しているとは思えない。

 同神社は東京裁判A級戦犯を合祀している。

 韓国外務省は〔8月〕13日,在韓日本大使館熊谷直樹総括公使を呼び,李 相烈(イ・サンリョル)アジア太平洋局長が「両国間の信頼関係を毀損する」と抗議した。

 中国外務省は同日,日本経済新聞の取材に「自国の侵略の歴史への誤った態度だ」と回答した。「アジアの隣国や国際社会の信用をうるよう求める」とも指摘した。

 中国国防省の報道官は「防衛相の靖国神社参拝に強烈な不満と断固とした反対を表明する」とコメントした。日本側に抗議するという。「日本の防衛部門は中国の問題で絶えず否定的な行動を取り,域外国家と共謀して中国の国防政策を中傷している」と批判した。

 岸氏は参拝後に「それぞれの国で戦争のご英霊に尊崇の念を示すのは当たりまえのことだ」と語った。中国との対話の窓口をとざすのではないかとの質問には「つねに対話の窓口は開いたままだ」と強調した。

 西村氏も13日に同神社を訪れ,玉串料を私費で奉納し「衆院議員西村康稔」と記帳した。記者団の取材に「静かな形でお参りした」と答えた。(引用終わり)

 英霊というコトバは,日本の靖国神社に特有の国家神道的,それも明治以来に建造された「戦争のための神社」「官軍のための神社」,つまり「勝者のためにこそ存在してきた神社」にだけ通用する表現であった。

 したがって,第2次世界大戦(大戦争)の結果としていわねばならない点だが,旧大日本帝国は「敗戦した」がゆえに「官軍ならぬ賊軍となった」この「旧日本〔の軍隊〕の戦死者たち」を,祭神(英霊)とみなして集合的に祀るこの神社は,論理的にも歴史的にもとうてい成立しえない〔はずの〕宗教施設になっていた。

 岸 信夫は靖国参拝の理由として,もっぱら日本人の英霊たちを念頭に置いているとはいえ,「先の大戦で国のために戦い命を落とされた方」ととらえている。そうだとしたら,主に「日本人だけ」が「先の大戦で国のために戦い命を落とされた方」だということではなく,すべての国で「先の大戦で国のために……」という論理の脈絡がみとおせないといけない。

 しかし,その岸 信夫の論理は,靖国神社が賊軍神社となりはてしまい,この神社として本来,絶対にあってはいけない「敗戦神社」の結末を迎えていた「厳然たる〈歴史の事実〉」については,ほっかむりしたままで表現されていた。第2次世界大戦に「敗戦した」旧大日本帝国のための靖国神社は,その戦争の結果,最終的に「敗戦し〔てい〕た」のであった。つづく議論は ⑤ でおこなう。


 「賊軍神社となった靖国神社の絶対的矛盾自己同一」-敗戦後になくなっていたその存在意義を忘れるなかれ-

 国際政治関係史のなかでは,「〈官軍ならざる賊軍〉となった日本〔の軍隊〕」側の戦死者たちであっても,彼らが生きていた時期,とくに「満洲事変」以降,中国などに派遣された兵士たちが,命令されてやったこととはいえ,なかでも「三光作戦」に従事させられてきて,その具体的な記録からみてとれるごとき中国人民(民間人も無差別に対象にした)に対する殺戮行為は,戦争犯罪として見逃すことができないものであった。

 岸 信夫の靖国参拝に対しては,前段の記事に報道されていたように,中国や韓国側から返された反応はきびしい。だが,信夫の思想水準にあってはこの夏の時期,日本の政治家が靖国に参拝にいって英霊に頭を下げる行為が,東アジア諸国から「世界史的な意味づけ」をされた構図のなかで批判されざるをえない相互関係について,まったく理解できていなかった。そのために必要だった最低限の「歴史の知性」となると,初めから皆目もてないでいた。

 昭和天皇の場合は「A級戦犯の合祀」をひどく嫌い,靖国神社のやり方に関しては,非常に気に病んでいた。ところが,日本の政治家たちが靖国神社に,しかも敗戦記念日に前後する時期を狙ったかのように参拝にいく行為は,「東京裁判史観」(⇒国際的な視点への配慮)を絶対に全面否定したい「彼らの極右的な心情(信条?)」を,真正直(バカ正直)をさらけ出すものとなっていた。

 日本の保守陣営でもとくに最近は勉強不足がめだつ政治屋たちは,8月の中旬にもなると,近隣諸国を気にしながらであっても,実際にはほいほいと出かけるようにして靖国参拝に出向く。けれども彼らは,支持者の票数を気にかけている面もあるとはいえ,「歴史への無識ぶり」をひたすら露呈させるだけであった。とりわけ「宗教分離の原則問題」に関してとなれば,単なる無教養(無関係?)な立場を露呈させるだけである。

 要するに,このごろの自民党国会議員は勉強が足りない。一般教養次元のそれからして絶対的に不足しているが,靖国神社に参拝したいのであれば,この神社の「明治維新的なカラクリ」だらけの国家神道「性」を,もっとまともにしっておく必要があった。

 いままでも毎年,国会議員たちが靖国神社に参拝にいっては「英霊」を称えるごとき発言をしてきている。だが,その「英霊とされている戦死者たち」の近親者が,それでは本当に,靖国神社に祀られている故人のその「魂」そのものを懐かしがっているかどうかまで,分かっているのというと,必らずしもそうではない。

 あの戦争中,出征する兵士にもたせる日章旗への寄せ書きのなかで圧倒的に多かった4文字が「武運長久」であった。

 この武運長久という4文字の真義には,

  ⇒  生きて還れなかった故人=英霊のことなどよりも,

  ⇒  そして,兵士を戦場に送るために激励するための「決まり文句」として使用されるよりも,

  ⇒  実はこの4文字とおりに「彼らが家に・家族のもとに生還してくれた」ほうが,

何十倍・何百倍・何千倍もうれしいのだ,という切実な祈願がこめられていた。

 ところが,戦死した彼らを靖国神社が英霊だとか称してそこの祭壇に祀りあげては,さらにこの英霊にあとにも勇ましくつづく「死者の行進」を期待し,督励してきた「戦前・戦中史」をなつかしいと感じられる者だけが,いまだに靖国神社に参拝にいく。

 7月中旬(13日~17日がその定例開催期日)に靖国神社の境内で開催される「みたま祭り」に集う,とくに若者たちは,岸 信夫よりももっと少ない靖国「理解」しかもっていないかもしれない。

 とはいえ,靖国側じたいは,彼らが「ナンパし,される」ためにその縁日の期間,境内に蝟集してくる「若者集団・存在」であっても,これが靖国信仰の理解者でありうるかのように世間を誤導し,利用する価値をみいだせる対象にしてきた。

 もちろん,戦前の靖国神社には「みたままつり」などという縁日の開催はなかったし,ありえなかった。それはいわば,敗戦後になってから靖国神社の由来にこじつけた〈物語創り〉を意識して企画された「靖国側の工夫」,つまり賊軍神社となりはてた「自社のその後」に向けて,しかも代替的に考案された “生き残り戦術” の一端であった。

 補注)「みたままつり」の由来・根源についての簡潔なまとめとしては,たとえば,つぎの資料を参照されたい。

  ⇒ 由谷裕哉(小松短期大学教授)「柳田國男靖国神社」,2018/10/14@駒澤大学[日本民俗学会第70回年会],https://researchmap.jp › attachment_file PDF

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