従軍慰安婦問題の本質(2)

              (2015年5月20日,更新 2021年9月19日)

 従軍慰安婦問題に関する歴史的理解のイロハすらよくしらずに語りまくる多くの人びとがいる,従軍というコトバを取りのぞき慰安婦だけにしたところで,従軍慰安婦問題の歴史が抹消できることはない

 2021年9月19日 補注)この記述を昨日:9月18日に書きはじめていた。その「本稿(その1)」においてだが,前もって追加するかたちで記述した「前論」部分じたいが,だいぶ長くなっていた。

 その昨日の記述としてであったが,同時に復活・再掲を意図していたもとの「旧ブログ:2015年5月20日(など)の関連する記述」は,この「本稿(その2)」以下に移して収録することになった

 ところが,1日経過した今日:9月19日になると,その「前論」部分に相当する最近の話題をさらに急遽追加する必要を感じた。というしだいで,この「前論」をもう少し増補・編成しておくことにし,そのあとに「旧ブログ:2015年5月20日(など)の関連する記述」をつづけることになった。

  要点・1 旧大日本帝国陸海軍における従軍慰安婦問題-具体例を語ったある本の内容-

  要点・2 旧日本軍兵士にとっては常識,戦時中における朝鮮人慰安婦などの存在は,兵舎や戦場においては日常的な風景の一部であった

     要点・3 2015年ごろに比較してみる2021年の日本政治社会は,安倍晋三前政権と菅 義偉政権の「虚偽を常道」とした「内政の悪効果」ばかりを,その患部:腫瘍として膨張させてきた,

 あまつさえ,前川喜平文部科学省元次官の文句「あったことをなかったことにはできない」という事実を,その腫瘍が破裂した血膿によって糊塗しようしてきたがために,「従軍慰安婦問題」はなく「慰安婦問題」ならばあった〔らしいと認める〕という「詭弁にもなりえない〈歴史認識〉」を虚構した

 

 「本日の 前論・1-「満洲事件」に淵源していた「従軍慰安婦問題」

 昨日:2021年9月18日,「満洲事変」から90年が経過したその日であった。この9月18日『朝日新聞』朝刊「社説」は,前川喜平の前言「あったことをなかったことにはできない」という肝心なことがらに関連する論説を書いていた。この論説は,愚か者が過去の失敗をなんどでも繰り返す,いわば暗愚な「歴史の体験」を批判している。

    ★〈社説〉満州事変90年 歴史を複眼視する重み ★
       =『朝日新聞』2021年9月18日朝刊 =

 

 9月18日がなんの日か,しっていますか。90年前のこの日,中国東北地方の奉天(いまの瀋陽)郊外の柳条湖で,鉄道の線路が爆破される事件が起きた。

 

 日本の関東軍の謀略による満州事変の勃発であり,中国侵略の起点となる事件である。その後,日本と中国は断続的な戦闘を繰り返し,泥沼ともいわれた全面戦争へと進んでいく。

 

 日中戦争全体での死傷者数は,日米間の戦いをはるかに超える。中国では9月18日は盧溝橋事件の7月7日とともに「国恥の日」と呼ばれる。だが日本では,この日はそれほど意識されない。

 

 名古屋大学名誉教授の安川寿之輔(じゅのすけ)さん(86歳)が大学生を対象に毎年続けている調査でも,中国との戦争がいつはじまったのかを答えられる学生はあまりいないという。

 

 被害の記憶に比べ,加害の歴史の伝承はむずかしいといわれる。ましてや,それを証言する人も少なくなってきている。

 

 1940年に徴兵され,中国戦線に送られた体験を語ってきた三重県の元日本軍伍長,近藤 一(はじめ)さんは今〔2021〕年の5月に亡くなった。101歳だった。

 

 中国人捕虜の刺殺訓練や,多くの人を縦列させて銃殺する貫通実験……。戦友らからは「仲間の恥をさらすな」と疎まれたが,それでも証言を続けた。「あったことを隠したら,戦争の実像が伝わらない」と話していた。

 

 中国での残虐行為と,のちに転戦した沖縄で仲間の兵隊が無残に殺されていった記憶。近藤さんにとっては,その二つの体験をともに語ることがあの戦争を伝えることだった。

 

 現在に目を転じれば,中国は周辺国の懸念をよそに強引な軍拡路線を強めている。これに呼応し,日本でも専守防衛をないがしろにするような危うい政治の動きが目立つ。

 

 歴史は同じかたちでは繰り返さないが,時に立場を変え,手段をたがえ,韻を踏むものだ。20世紀前半と現在では多くの条件が異なるとはいえ,過ちを繰り返さないための視座を過去に求める努力を怠ってはなるまい。

 

 そのさいに不可欠なことは,自国だけでなく,関係する他国の目線でも過去を顧み,思考することだ。当時の自国の行動と思惑が他国にどう映り,なぜ誰も望まぬ破局に陥ったか。

 

 自らを相対化する複眼的な歴史観と分析がなければ,現在に有効な外交・安全保障政策も創出できない。その基本が,加害・被害を問わず,史実を謙虚に受けとめ伝えることだろう。

 

 9月18日という日がなんの日なのか。忘れずに,心にとどめていきたい。

 以上の論説は,「あったことを隠したら,戦争の実像が伝わらない」ということであった。文部科学省元次官前川喜平が以前,安倍晋三前首相が犯してきた悪業行為に関してであったが,同じように「あったことをなかったことにはできない」と,自分の体験を通して主張していた。

 そうした点は,戦争の時代であっても平和(平時)の時代であっても,「虚偽の為政」をおこないつづける者は,「その基本」において「加害・被害を問わず,史実を謙虚に受けとめること」はできないという視点からも黙過できない。

 日本国側が,昨日と本日におけるこのブログの記述が問題にとりあげている「従軍慰安婦」という「十五年戦争史における特定の問題」に関して,このうちから『従軍』というコトバを除去したところで,従軍させられていた慰安婦たちの「性的奴隷」として有したその根本的な意味が,特別に変わりうることはない。

 つぎの記事は,2021年9月18日の『朝日新聞』夕刊に掲載されていたものだが,これを読んで一番強く感じとるのは,現自民党政府自身が「みずから批判し,たがいに反論し,あらためて定義する」ことが不確かであるだけでなく,これを改竄・隠蔽することに,とりわけ熱心であるという一事であった。

 自陣営側に気に入らない「従軍慰安婦」という表現:コトバが,ともかく嫌いだ,気に食わないという感性的な認識しか,彼ら(彼女)らの頭中には存在しない。

 四半世紀以前の自民党政治家にはいろいろな人士が居て,安倍晋三や菅 義偉の政権のように歴史修正主義一色に染まってはいなかったけれども,いまの自民党国会議員たちの圧倒的な大部分が「歴史を直視できる」理性を失っている。

     ▼「政府の強要」市民団体抗議 従軍慰安婦の記述,教科書5社変更 ▼
              =『朝日新聞』2021年9月18日夕刊 =

 

 政府の閣議決定を受け,教科書会社5社が「従軍慰安婦」「強制連行」などの記述の変更を訂正申請したことについて,市民団体「子どもと教科書全国ネット21」が機〔9月〕17日,文部科学省で記者会見し,「歴史用語・記述への政府の介入であり強要だ」と抗議した。

 

 団体の鈴木敏夫事務局長は,一度は検定に合格した教科書の記述が,その後の閣議決定によって訂正されたことを「異例」とし,「政府見解によって教科書の記述をいつでも変えられるという前例をつくってしまった」と批判した。

 

 政府は4月,「従軍慰安婦」や「いわゆる従軍慰安婦」の用語について「単に『慰安婦』という用語を用いることが適切」との答弁書閣議決定。また,戦時中の朝鮮半島の人々への「強制連行」も「ひとくくりに表現することは適切ではない」との答弁書閣議決定した。これを受け,高校の地理歴史や公民,中学の社会の教科書を発行する5社が計29点の記述を訂正申請し,萩生田光一文科相が8日に承認した。

 

  「前論・ヒロシマナガサキへの原爆投下と真珠湾奇襲攻撃からRAA(特殊慰安施設協会)へ

 たとえば,日本人がアメリカ人に向かいよく訴えてきた「ヒロシマナガサキへの原爆投下」という〈被害問題〉に対して,アメリカ人側がすぐにだが,それに反発してもちだすのが「真珠湾奇襲攻撃」であった。もっとも,これら「原爆投下」と「奇襲攻撃」という歴史の出来事は,たがいに相殺などできるわけもない,つまり「戦争史に関するそれぞれの重大な記録」である。

 そうであるにせよ,日本人側のその訴えがアメリカ人側によってだが,実は相殺される以上に「アメリカ側の正義」を,日本人側に押しつけようとするその態度そのものからして非常なる強引さが目立つ,しかも絶対的と形容されてもいいその強引さがこめられての相互の関係が,しばしば演じられてきた。

 しかし,従軍慰安婦問題をめぐる現政権側の否定的な意向は,慰安婦というコトバをどのようにとらえるかという歴史認識の問題に関連しており,「従軍」というコトバ(限定の?)を取りのぞく操作ができさえすれば,国家側の関与が “事実において” なくせる,といった虚偽イデオロギーの意識にひたれるつもりになっていた。

 さて敗戦後,米軍占領下にあった一時期だが,日本政府は「占領軍慰安所」を米軍兵士のために提供していた。その正式名は「特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association,RAA)といい,第2次世界大戦後,連合国軍占領下の日本政府によって作られた「国を挙げて売春をおこなうための慰安所」であった。連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために設置された。日本政府は最大で5万5000人の売春婦を募集し,短期間設置した。

  補注)ここで「短期間設置」といわれているその時期は,1945年8月27日から1946年3月26日までであった。

【参考記事】

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 ただし,1948年4月時点で歌舞伎座にあったその本部事務所はまだ残っていて,公娼施設としての協会組織から赤線経営者の組合組織に変更して存続した。このRAAの閉鎖後に職を失った女性のなかからは,パンパンと称された街娼になったり風俗街に移動したものがいた。

 そのように「国を挙げて売春をおこなった目的」は,「日本女性の純潔を守る」ことであったと公称されていが,日本女性の純潔は守れなかった。

 註記)以上,RAAについての概要についてくわしくは,ウィキペディアの該当項目に説明がある。

 RAAを究明した文献はたとえば,いのうえせつこ『占領軍慰安所-敗戦秘史 国家による売春施設』新評論,1995年や山田盟子『ニッポン国策慰安婦-占領軍慰安施設・女たちの一生』光人社,1996年という〈書名〉をかかげた本がある。

 敗戦をはさんでいきなりこの日本の国土に,占領軍将兵となって登場したアメリカ軍人たちの性的交渉の相手をさせるための「日本人」慰安婦たちは,「敗戦を喫した自国」のために「売春という肉体労働に従事(=従軍:犠牲)させられた」わけである。

 いいかえると彼女らは,場所と品を変えたかたちですなわち,敗戦後は日本国内になっていたとはいえ,それなりに「もっぱら軍人相手の売春行為」を,敗戦直後における「歴史の事実」として実際に体現していた「日本人女性」になっていた。彼女らの場合は,売春行為を仕事にさせられ,報酬を受けとっていた。

 敗戦後の「米軍用日本人女性慰安婦」と戦時中の「日本軍用朝鮮人(など)慰安婦」の問題に共通する要素は,それぞれがもっぱら「侵出」あるいは「進出」してきた,それぞれの軍隊の将兵を相手にするためであった。

 その点が〈強制的に強いられた従軍〉だったのか,それとも〈国策的に誘導された従軍〉だったのか--そのあり方に大きな差があっても--であったという区別に関した論点は,大約でいえば本質的に大きな差はなかった。RAAの募集に応募した女性のなかには,まさか売春(性的交渉)を職業にする仕事だとは,当初はよく分からないまま,その募集に応じて者たちもいた。

 戦時中の従軍慰安婦「問題」から「従軍という文字」をどけて置きたいのであれば,敗戦後のRAAからも「占領軍」というコトバは,いっさいのけておく必要がありそうだが,そのような “事後の措置” を試みるような〈馬鹿げた歴史修正〉は,いままでのところまでなされるわけもなかった。

 戦時中の従軍慰安婦問題にをなきものにしておきた「歴史修正主義の立場」は,いってみれば「赤子に対して」「大人がイナイ,イナイ,バー」をする仕草に似ている。つまり,子供だましそのまた以前の「他者と自己に対する欺瞞そのもの」にしかなりえない試図を,大まじめかつムキになっておこなってきた。

 

 「前論・-「コトバ」を破壊してきた安倍晋三と菅 義偉の政権

 「駿台竹島・南京の記述一部削除  日本史テキスト,批判ツイート受け」『朝日新聞』2021年9月14日朝刊29面「社会」は,こういう記事を掲載していた。冒頭段落と識者の寸評だけ引用する。

 大手予備校の駿台予備学校が,日本史テキストのなかの竹島日中戦争中の南京事件(1937年)をめぐる記述の一部を削除した。記述に批判的なツイッターの投稿が多数確認されたためだという。

 

 削除を決める直前,同校を運営する学校法人駿河台学園に対し,自民党山田宏参院議員の事務所が記述に関する問い合わせを数回していたが,学園は「(同事務所から)削除や訂正の要求はなかった」としている。

 

 ※ 批判受け過剰に同調 ※

 日本大学広田照幸教授(教育社会学)の話  予備校は小中高校や大学など学校教育法1条が定める「学校」には含まれず,教育課程や教科書について国の統制権限は及ばない。公教育の枠外にあり,学習指導要領や検定教科書とは異なる教育をしても差し支えがない。

 

 にもかかわらず駿台側が記述を削除したのは,ネット上での攻撃・批判を受けた過剰な同調といえる。また,山田氏の事務所からの電話が,直接的に削除・修正を求めるいい方でなかったとしても,駿台側にとって無形の圧力になった可能性はある。公教育の外でも今回のような同調が広がれば,表現の自由や思想信条の自由が脅かされることになり,大きな問題だ。

 ここでは,國分功一郎こくぶ・こういちろう,東京大学大学院総合文化研究科准教授)の意見,「言葉の破壊やめ,信じる価値語れ  菅首相退陣,哲学者・國分功一郎さんに聞く」『朝日新聞』2021年9月17日朝刊29面「文化」が,以上のごときに,言論暴力的に歴史修正主義を昂揚させる「最近日本における言論の状況」を,日本の政治をめぐる話題としてだが,適切に批判していた。ここまでの論旨に関連した段落にかぎって,つぎに任意に引用する。

 われわれと世界をつなぎとめているのは言葉である。だから言葉が実際に起こっていることを名指さないようになると,われわれは世界とのつながりを失ってしまう。ところが政治家がむしろ,積極的につながりを断わっている。

 

 立憲主義をないがしろにして安保関連法を制定し,森友学園問題で政治の私物化を進め,公文書改ざんで統治機構の基盤を破綻させる。安倍晋三前首相は歴代自民党が踏みとどまってきた一線を越えた。易々(やすやす)とおこなえた背景には,言葉への徹底した軽視があった。

 

 日本ではコロナ禍でも,誰がどう責任を引き受けているのか,よくわからない状態が続いた。かつて政治学者の丸山真男は,責任の所在の曖昧な体制によって太平洋戦争が引き起こされたことを批判して,「無責任の体系」といったが,国民は再びそれを目にした。

 本ブログがこの8月の下旬から9月初めまで何回かだが,関東大震災直後における朝鮮人虐殺事件をとりあげていたが,そのさい,都知事小池百合子がその「虐殺された朝鮮人たち」を,「震災で命を落とした日本人たち全体」との「質的・歴史的な識別」を認めない立場を批判した。

 この小池の発想に関していえば,「従軍慰安婦」問題をめぐり「従軍」というコトバだけ除去できれば,その「歴史の事実」に対する旧大日本帝国軍側における加害の要素・側面が稀少化できるという〈勘違い〉を,彼女なりに意図的に果たしていたといえなくはない。

 以上,本日の「前論」をひとまず終え,本(旧)ブログの再掲し,復活させる記述となる。必要に応じて補・加筆がなされている。

 

  ま え お き

 本ブログはすでに,2015年5月13日「従軍慰安婦問題の入門的基礎」で,副題に

     「無知(痴的拒絶症)は乱雑と粗野である未熟精神を誘因させ,認知(学習する意欲)は常識・理解を獲得するための平常心を提供する」

     「強制性の有無だけで判断できないのが,従軍慰安婦問題の歴史」

     「戦争と性の問題を,もっとまともに考察するための『宮台真司の主張』」

などとかかげ,議論していた。

 補注)その2015年5月13日「従軍慰安婦問題の入門的基礎」は,この記述で合わせて復活させると全体の記述がさらに増えてしまうので,続編を用意・構成し,別途さらら,明日〔2021年9月20日の記述(「本稿(その3)」)にまわすことにした。

 要は,その内容は「戦争と性」をめぐる〈歴史の事実〉史を直視した議論が必要なこと,さらには,その前提・条件となっている軍事史をかこむもろもろの背景事情史も深慮する余地があることを記述していた。

 ところが,日本の保守・右派(主に極右)・国粋,反動傾向の強い知識人は,ともかくも従軍慰安婦という歴史問題は「日本の軍隊史」から排除・抹消したい,そうできなくても,極力,最小限に制限する論点:記憶にしておきたいらしく,つぎに言及するごとき意向(気分・精神)を露骨に提示しつづけてきた。

 --あるブログ(2015-03-17)に紹介されていた「『歴史家』であることすら怪しい19人が米国教科書へ訂正要求をおこない」という題名の文章は,こういう段落を含むものであった。 いわくつきの人物が目白押しであった。

    問題の「歴史家」19人をみると,まともな歴史学者がほとんどいない。従軍慰安婦問題で多くの誤りが指摘されている秦氏でも,この人びとではもっとも専門家らしい部類だ。

 

 この勧告は,秦 郁彦氏のほか,藤岡信勝長谷川三千子,芳賀 徹,平川祐弘百地章中西輝政,西岡 力,呉 善花 補記)高橋史朗氏ら19人の日本人歴史家有志によって提出されたもので,米国の公立高校で使われている世界史の教科書において,慰安婦の強制連行など。事実とは異なる記述があるとして訂正を求めている。

    補記)呉 善花はもともと韓国人で,日本国籍取得者である日本人。

 

 藤岡氏や長谷川氏や西岡氏など,むしろ歴史学に反する主張で悪名高い人ばかり。高橋氏などは,教育や医療の分野でも悪名高い。

    註記)以上,http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20150317/1426658313

 

 「欧州からも賛同続々,計457人に 慰安婦問題など,米研究者ら187人声明」朝日新聞』2015年5月20日朝刊4面「総合」

 第2次世界大戦に関する歴史問題をめぐり,米国の日本研究者や歴史学者ら187人が発表した声明への賛同者が増えつづけ,新たに270人がくわわった。5月19日,計457人になった賛同者がネット上で公表された。欧州の研究者も多数含まれており,世界的な広がりをみせている。

 〔2015年〕5月5日に公表された「日本の歴史家を支持する声明」は,戦後の日本と近隣諸国の平和を称賛し,第2次大戦以前の「過ち」について「全体的で偏見のない清算」を呼びかける内容。慰安婦問題などの解決に向け,安倍晋三首相の「大胆な行動」に期待を示した。とりまとめ役の1人,コネティカット大のアレクシス・ダデン教授によると,公表後から「自分も賛同したい」という研究者が続出したという。

 新たな賛同者としては,ドイツ日本研究所(DIJ)のフランツ・バルデンベルガー所長やフランスの社会科学高等研究院・日仏財団のセバスチャン・ルシュバリエ理事長らがくわわっている。バード大のイアン・ブルマ教授ら,米国を拠点とする著名な日本研究者もくわわった。(引用終わり)

  「日本の歴史家を支持する声明」(5月5日公表)について本ブログは,2015年5月8日「安倍晋三君,アンタは米政府の代行者か。『故意・悪意のジャパンハンドラーズ』と『好意・善意の歴史研究家たち』とのはざまに戸惑う『幼稚と傲慢』宰相の立場,『戦後70年談話』は?」がとりあげ,引用をしてもいる。

 「戦争と性」にかかわる従軍慰安婦問題の基本的な性格を考えるとき,日本・日本人側の立場からこれを認めたくない観点から議論をすることになれば,いろいろと無理・詭弁・矛盾を発生させるほかなくなるのは,必定のなりゆきであった。

 ① に登場した人物たちのうち,まだ相対的にまともとみられる秦 郁彦であっても,慰安婦の歴史的な存在じたいは認知していながら,その内容についてはできるかぎり少く・狭く解釈(故意の限局化・矮小化を)しようとする姿勢しかなかった。

 結局,彼らの出発点には「日本の慰安婦問題」を拒否・排斥したい心性が根底には控えている。それゆえ,なにを議論しても,どのような議論や批判のやりとりがあっても,「認めたくないものは認めない」という基本的な態度が露骨ににじみ出てくるほかなくなる。

 秦 郁彦は,慰安婦問題の研究を歴史的・実証的に,それも地道に蓄積してきている吉見義明と対論した機会をもっている。だが,両者間においては結局,まともな「批判の応酬」にまで到達できていなかった。吉見義明に対する秦 郁彦の態度の悪さ:発言内容のズサンさばかりがめだつ議論であった。

 この2名の対論については,本(旧)ブログの2014年8月10日の記述,「安倍晋三と秦 郁彦は,ともに従軍慰安婦問題はなるべくなかったことにしたい『長州人の本性』をもつらしく映る」,副題「従軍慰安婦問題における秦 郁彦の役回り」が言及していた。

 補注)この「(旧)ブログの2014年8月10日の記述」は未公表状態にある。近いうちこの記述も復活させたい。

 『東洋経済 ONLINE』2015年05月16日は,「『187人声明』は, “反日” でも “反韓” でもない,実現しなかった『読売新聞への独占提供』」http://toyokeizai.net/articles/-/69930  という記事を掲載していた。この表題だけではその内容が分かりにくいゆえ,つぎに画像でもリンク先住所を掲示しておく。

【参考記事】

 従軍慰安婦問題には否定的であって,その「読売新聞への独占提供」を試みていたという話題は,興味深い。『187人声明』の意図は,この『東洋経済 ONLINE』2015年05月16日にくわしく,それも当事者が説明しているので,興味をもつ人は上掲のリンクをたどって入り,一読してほしい。

 

 長尾和郎『関東軍軍隊日記-兵士の生と死と-』1968年に記述されている旧日本軍従軍慰安婦の姿

 本ブログの記述,2015年05月13日「従軍慰安婦問題の入門的基礎」(次回に復活・再掲する予定の記述)は,旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する資料一覧を指示していた。だがそれはそれとして,ここでは最近,筆者がたまたま読了した本,長尾和郎『関東軍軍隊日記-兵士の生と死と-』経済往来社,昭和43年について論及する。

 第2次大戦が終わるまで,「中国東北地域」(旧「満洲〔帝〕国)には〈関東軍〉が陣どっていた。本書を読みすすんでいくと,この軍隊の兵士になっていた「この本の著者」が,やはりそこに調達されていた「朝鮮人慰安婦の《営業》」を描写している個所に,なんども出くわした。

 長尾和郎は慰安婦を利用しておらず,ひどく嫌悪感を抱く兵士であった。むろん,慰安婦のところに頻繁に通う兵士が大勢いる事実を指摘してもいた。慰安所は,旧日本軍のなかではあって当然の施設であった。

 この事実はすでに,吉見義明などの歴史学者が解明している。歴史学者が個別に探しあてる慰安婦問題究明のためのひとつの事例・材料として,この長尾『関東軍軍隊日記-兵士の生と死と-』1968年のような著作が〈日記の形態〉で残されたわけである。

 以下に,同書から慰安婦を記述した関連の個所を抜き出し,列記(引用)する。

 ★-1 昭和18〔1943〕年1月2日。 隊長当番の箱崎上等兵が,朝鮮ピーに惚れられ,金歯2本入れてもらった。話は痛快。早坂の報告だと,彼女らは看護婦募集の公告にだまされ強制的に慰安婦にされたという。おれは東京の吉原,州崎の悪所は体験済みだが,東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが,伊藤上等兵も同感する。戦況は心配ないのか(94頁)。

 ★-2 同年1月4日。 若い小林はピー家へ頻りに誘う。おれは駄目だ。あれは女じゃない。機械の部分品でその必要なとても感じない。独り氷結した綏芬河 註記)を渡って帰営。酒保には新聞が全然掲載されていない(95頁。なお,昭和17〔1942〕年9月21日にもほぼ同文の記述がみられる)。

 註記)日本語読みは「すいふんが」。

 ★-3 昭和17〔1942〕年5月25日。 

  a) だが,兵隊に愛想を振りまく人種が,2組あった。1組は満人の親子乞食,もう1組は施設の女性たちであった。……町には満人の若い女性は,絶対に姿を現わさなかった。彼女たちはみた,農家の豚小屋同様の悪臭で息詰まるような場所に隠れていた。日本兵の暴行から逃れるためであった。

 「関特演」(「関東軍特種演習」昭和16年7月)以前には,関東軍の風紀取締が厳重でなかったのか,この東寧付近でも兵隊の乱暴狼藉があったと聞いていた。何日か前にも,満陣農家に忍び入って,女性の乱暴をはたらこうとして兵隊が,山中に死体となって曝されていた。顔中が豚の糞で汚れ,傷は体のどこにもなかったという。

 恐らく,乱暴前にとりおさえられ,豚の糞中に顔を押しつけられ,そのまま窒息したのだろう。こうした事件の影響だろう,部隊では練兵,公用のいかんを問わず,兵隊の満人部落への立ち入りは厳禁され,立ち入りが憲兵や巡察将校の眼にとまれば,まず,重営倉はまぬかれなかった。

  b) 東條〔英機〕首相が「最後の御奉公だ」と意気ごんで,関東軍ソ連軍との乾坤一擲の決戦を試みようとした《渋柿主義》が消え去り,ソ満国境が膠着状態に入ると,関東軍原善四郎参謀は全軍将兵の士気を維持するため,つぎの計画に乗りだした。

 それは「兵隊の欲求度,持ち金,女性の能力などを綿密に計算して,飛行機で朝鮮にでかけ,約1万(予定は2万)の朝鮮女性をかき集めて北満の曠野に送り,施設を特設して《営業》させたという。

 註記)島田俊彦関東軍-在満陸軍の暴走-』講談社,2005年,221-222頁。この文献は「本記述(その1)」ですでに引用していたが,繰り返した。 

  c) この影響か,東満の東寧の町にも,朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数はしる由もなかったが,朝鮮女性ばかりでなく日本女性も,将校用の飲食店で《営業》していたことはたしかだ。私は1等兵に進級したある日,戦友の1人と酔うままに施設を覗き歩いたことがが,ただ一度あった。

 施設の全部は藁筵で囲まれた粗末な小屋で,3畳ぐらいの板の間にせんべい蒲団を整き,そのうえに仰向けに横になった女性の姿をみたとき,私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。1日に何人の兵隊と《営業》するのか。外に列をつくっている兵隊たちを,1人1人殴りつけてやりたい,義憤めいた衝動を覚え,その場を立ち去った。

 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため,施設で《営業》するとは思ってもいなかったという。それが満洲各地に送りこまれて,いわば兵隊たちの排泄処理の一道具に身を落とす運命になった。私は甘い感傷家であったかもしれない。が,戦争に挑む人間という動物の排泄処理にには,心底から幻滅感を覚えた(以上,長尾『関東軍軍隊日記-兵士の生と死と-』71頁)。

  d) 教育係将校や人事係准尉は,私の「地方」における前職を身上調査書でしり,豊田正子を囲む座談会に出席し,司会者を補佐するようにいいわたされた。私は考えた。「朝鮮女性を排泄処理に使う獣ごとき兵隊の前で,少女作家の豊田正子はいったいなにを慰問するというのか?」

 私には教育係将校はじめ,慰問団と称する人びとの考えや態度が,不可解でならなかった。「豊田正子は施設の女性たちの姿を凝視できるか,消え失せろ!」  私は自分なりに結論を下し,仮病を使ってとうとう座談会の出席に応じなかった。もし出席していたら,豊田正子に噛みついていただろう(72頁)。

 補注)豊田正子という人物はなじみがないゆえ,とりあえずはつぎを参照されたい。⇒  豊田正子 - Wikipedia

 ★-4 昭和17〔1942〕年8月21日。 金曜,岩井上等兵の衣袴の洗濯不十分でビンタをもらう。このピー屋通いのど助べが。早く戦争が始まってくれ(79頁)。

 ★-5 同年9月6日。 日曜 内務半で休予。午前中に洗濯を済ませて,午後,白樺の下で独り酒を飲む。蒲田一等兵と語る。……大学までいった奴が死ぬことはない,と軍隊をこきおろす。おれ以上に母親思いなのが印象的だ。3年兵でピー屋通いする奴をボロクソに軽蔑する点,潔癖な育ちの人に違いない。愉快な酒であった(81頁)。

 ★-6 昭和18〔1943〕年4月18日。 旅順の遊郭は,軍隊のための特別に設けられた施設ではなく,在留邦人の慰安施設も兼ねていたので,家の造りや女性たちの姿体は東寧とは雲泥の違いがあった。単なる兵隊たちの排泄装置ではなく,情緒的なものがただよっていて,「地方色」豊かな花柳街といった感じが強く,それが兵隊ちにはよけい楽しかった。

 だが,旅順にも,日本,朝鮮,満洲といった女性の格付けがおこなわれ,なかには白系露人の女性もいたが,日本女性は自他ともに「芸者」で通っていた。兵隊たちは「芸者」といってもそれは名ばかりで,お高くとまっていて生意気だと,日本女性を毛嫌いしていた。

 私は一度,下士官に連れられて,この「芸者」のいる店にいったことがあったが,酌婦じみた女性のうたう「博多節」や,「鹿児島小原良節」は面白かったが,女性の盃の交換に辟易して,店を逃げだしてしまった。

 私の班のなかには,満洲事変や北支戦線の歴戦の勇者が7,8人いて,年齢も34,35の者ばかりであった。そのため応召も2度3度で,故郷には数人と子どもを抱えている者が大半であった。妻や子どもを思う気持は,現役兵の私には遠くおよばないものがあった。そして,猥談する僚友を白眼視して,ひとり思いに沈んでいる者もあって,予備兵の家庭事情はそれはそれなりに複雑なものがあった(111頁)。

 ★-7 昭和19〔1944〕年12月某日。 作業が終わると,予備兵は昼夜の別なく必要な急速をとると,車座になってオイチョカブの賭博を開帳した。……満洲の東寧,旅順の兵隊のようにセックスの排け口がなかった。妻子もちの予備兵にはセックスの処理が必要であった。

 鎌倉山の民宿生活に欠けているのは,この問題であった。2週間に1回,外出が許可されていたが,横須賀や横浜正金銀行の売春街に足運ぶものは見当たらなかった。たとえ妻子のもとへ帰っても,おのろけや猥談をするものもいなかった。また,鎌倉山の布陣たちに暴行をはたらく,不届き者も現われなかった。

 私は満洲東寧の古年兵たちを思いうかべた。内務班で初年兵をしぼりあげ,ピンタを張った古年兵たちは,野獣のような肉欲の塊りであった。性欲にとり憑かれた野犬同様であった。初年兵の配給品をとりあげ,わずかな現金をせびっては,ピー屋に通った。筵敷きの小屋の外に列をつくり,1日数十人の兵隊と営業する女たちに魅せられていた。私は頭からこうした古年兵を軽蔑した。義憤を覚えた。敵前であったら殺していたかもしれない(150頁)。

 以上において★の記述について一言したい。長尾和郎が兵士を相手に《営業》をおこなっていたという慰安婦たちの仕事は,それによって,いったいいくらを稼いでいたのか? 従軍慰安婦の問題を否定する者たちのひとつの理屈は,この営業ということばに示唆されるような,それもきっと「従軍慰安婦たちが大いに〈金儲け〉をした」に違いないという点にこだわったところから発出している。

 しかし,この『従軍慰安婦』が「軍の性的奴隷」である歴史的な存在「性」を否定するために必要である根拠そのものは,軍事史的に概観してみるに,日本帝国史における出来事としてなんら確たる証拠を提示しえていない。

 

 む す び-いまとなっては「三猿問題」である従軍慰安婦問題-

 ③ は,長尾和郎『関東軍軍隊日記-兵士の生と死と-』から適宜拾った「従軍慰安婦」関連の諸記述を列記していた。

 このような「歴史の事実」,旧日本軍が《営業》させていた,長尾が施設だと形容した慰安所の存在をめぐり,はたして強制性がなかったとか,その女性の人数が何人いたとか,1日に何人相手にしたとかいったたぐい,それも重箱の隅を突く「議論」(?)にも聞こえる応酬をしたところで,はたして,従軍慰安婦「制度」の真相が適切に解明できるのか。

 ついこのあいだの話題である。従軍慰安婦に強制性がないと日本政府側がいいはなった瞬間,ただちに返ってきた反応があった。それは大東亜戦争が開戦してから間もない時期にはじまっていた出来事であった。

 インドネシアを植民地支配していたオランダの白人系女性が,占領してきた日本軍の将校たちの性交渉の相手(慰安婦の役目)を強制された事実を,その証拠だとして突きつけてきたのである。オランダ側にとってみれば,この事実はいまに始まったことがらではなく,昔から確認済みの点であった。

 しかしながら,オランダの女性たちに起きたその出来事は,従軍慰安婦問題にあっては氷山の一角に過ぎない従軍慰安婦に強制・非強制とを問わず日本軍に動員された女性の数を,山田盟子『従軍慰安婦たちの真実-戦争の習わしを蔑む-』元就出版社,2009年は,50万人と総括している。

 北支での旧日本軍元兵士は,「慰安婦の性病が治らないとき,始末しますがな……,殺すんや。なんぼでも朝鮮から連れてきますがな」(山田,同書,141頁)といってのけていた。これでは今風に表現すると,まるでペットで飼われている「動物や昆虫・以下のあつかい」である。

 大東亜戦争史観,いいかえれば,大日本帝国敗戦後の自虐史観に反対する立場(「東京裁判史観」を否定する立場)を採る人びとは,従軍慰安婦のような「歴史の事実」に触れることを,極度に嫌がる。その代表格が日本国首相の安倍晋三である。安倍などは,慰安婦に関する「歴史の事実」を「認めることじたいが自虐的だ」という,反知性主義にさえ縁遠い感性しかもっていない。

 もっとも,旧日本軍による「他虐の歴史」を忘れないで記憶していることは,日本・日本民族にとっては「自虐史観であり,マイナスの価値観」だといわれてもいる。だが,そういいはってみたところで,こうした立場に固有である独断性は,その歴史観の根底にある基本的な姿勢において,日本側における「他虐の事実」を否定しているかぎり,自己欺瞞に満ちた倒錯の論理しかもてない。

 

  水木しげるの漫画に登場する慰安婦

 つぎの水木しげるの漫画の一場面をみてほしい。長尾和郎が《営業》という用語を使っていたが,この漫画のなかにも出ている。

【参考画像】

 

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 この漫画のコマ画面を借りたブログは,水木しげるの,以下の文章を引用している。とくに説明は不要である。

 戦争中の話だが,敵のいる前線にいくために,「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必らずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。

 (中略)

 ピー屋の前にいったが,なんとゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい,ナワピー(沖縄出身)は90人くらい,朝鮮ピーは80人くらいだった。これを1人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列をみて,いったいいつできるのだろうと思った。  

 

 1人30分としてもとても今日中にできるとは思われない,軽く1週間くらいかかるはずだ。しかし,兵隊はこの世の最期だろうと思って離れない,しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう,小屋から出てきた。

 

    (彼女がナニカを排泄する様子の描写)

 

 とてもこの世のこととは思えなかった。第一,これから80人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄にいくわけだが,それ以上に地獄ではないか。と,トイレにいった朝鮮ピーをみて思った。

 

 よく従軍慰安婦のバイショウのことが新聞に出たりしているが,あれは体験のない人にはわからないだろうが・・・・やはり「地獄」だったと思う。だからバイショウはすべきだろうナ」。

 水木しげるがこのようにいっても,生き証人としてこう発言していても,「従軍慰安婦」は存在しなかったといえるのか? 朝鮮人以外にも,日本人やほかの各国の女性たちも大勢,その慰安婦:ピーにされていた。

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