従軍慰安婦問題の本質(4)

                   (2015年5月8日,更新 2021年9月21日)

 従軍慰安婦問題に関する歴史的理解のイロハすらよくしらずに語りまくる多くの人びとがいる,従軍というコトバを取りのぞき慰安婦だけにしたところで,従軍慰安婦問題の歴史が抹消できることはない

 
  要点・1 旧大日本帝国陸海軍における従軍慰安婦問題は,世界の軍隊のなかでも特別に,この問題に具体的にとりくんできた記録を残した

  要点・2 旧日本軍兵士にとっては常識,戦時中における朝鮮人慰安婦などの存在は,兵舎や戦場においては日常的な風景の一部であった

     要点・3  「本稿・その3」(前編)で言及した点であるが,宮台真司が2014年10月に,旧大日本帝国に固有であった軍事問題:「従軍慰安婦問題」に関して提示した「本質的な認識」は,以下のように整理されていた

 なによりもまず「従軍」というコトバを慰安婦問題から除去し,抹消しておきたかった極右「歴史修正主義」の感性じたいが,これらの前提条件について基本が無知であった,しかも仮にそれらを聞かされても「無視するほかない程度の〈歴史理解〉」に留まっていた,要は,関連する知識そのものがひどく無学のままであった

 以下が,宮台真司が整理した要点の3項であった。マグヌス・ヒルシュフェルト,高山洋吉訳『戦争と性』明月堂,2014年を踏まえてまとめられる「売買春行政」は,つぎの3つの方法しかなかった。

     a) 管理売春合法化(公設ないし私設公的介入)。

     b) 管理売春非合法化と同時併行する業者の目こぼし。

     c) 管理売春ガチ禁止。

 このうち非管理売春は御手当付愛人(妾)を含め,どのみち取締まれない。『管理売春と自由意志の組みあわせ』だけが女性を暴力&性病から有効に守る。世論に感情的成熟がある場合は a)  となり,未成熟なら b)  となる。

 以上〔の議論〕を前提として提示される結論は,日本政府の「1993年談話」以降に発見された公文書529点が示す事実は以下4点である。

     a) 慰安所は軍の要請で設置。

     b) 軍の直接・間接の関与で管理・移送。

     c) 軍の強制連行は例外(別に補足を要する)。

     d) 業者が騙し・拉致・人身売買(親による売り飛ばし)に関与。

 ヒルシュフェルトに従えば,c)  および d)  は,日本政府を免罪しない。むしろ,軍の関与不十分が問題になる。

 ちなみに,軍人が女性を暴力的に慰安所に強制連行した事案にかかわるオランダ政府公文書が複数ある。

 以上のごとき「従軍慰安婦」関連事情をまともに理解できる者であれば,国家の次元をこの問題から引き剥がしておこうとする意図は,ただ単純に「われわれはこの問題を認めたくないから,認めないのだ」という理屈(循環論法にもなりえないその)以前の「素朴感情の表出」にしかなりえていなかった。

 

 🌑 前  論  🌑 〔2021年9月21日〕

 吉見義明『従軍慰安婦岩波書店,1995年に対するある書評(「アマゾンのカスタマレビュー」2015年2月13日)は,従軍慰安婦問題に対する極右的な「歴史修正主義」,この立場による歪曲・捏造の妄論的な言説を適切に反批判していた。この記述から適宜に抽出して引照する。なお,一部に若干の補正がなされている。

 その評者名は自称「サトぽん」で,評価としては「5つ星のうち 5.0」を与えていた。表題は「吉見義明氏が『広義』の強制連行を捏造したとい言うデマについて」を付けて,その批判を繰りだしていた。

 その前〔2014〕年の夏からの出来事は,安倍晋三が調子に乗りまくって,朝日新聞社による「吉田清治」の誤報問題を捏造的に拡大解釈させるといった,いうなればその「デマ」的な,それも権力側が暴力的な圧政に拠った攻勢体制作りを,必死になって工作していた。

 そのさい,朝日側の対応姿勢に問題が残されたまま,日本における従軍慰安婦問題に関する歴史理解が,不必要に後退させられるハメになっていた。その事実は,その後においてとくに21世紀になって起こされた関連の裁判,植村 隆と吉見義明とが提訴した民事裁判が,いってみればことごとく「国策捜査」ならぬ「国策裁判」と呼ぶのがふさわしい「裁判所の審理」によって敗訴させられる結果を生んでいた点からも確認できる。

 しかし,21世紀の現在にまで至ったこの地球上の人権感覚は,かつて戦争の時代にける「軍人と性の問題」を,これをまるで「臭いものに蓋をする」ごとき要領で封印しておき,隠蔽していくことを絶対に許さない時点にまで到達している。

 その意味で日本は愚かにも,『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』平成5〔1993〕年8月4日 を後退させ,現在においては実質的に,この歴史的な文書の意義を骨抜きにできたつもりかもしれない。

 だが,あらゆる人権に関した思想とその現実における尊重・守護の精神が格段と進歩してきた21世紀の国際政治環境のなかに置かれているにもかかわらず,先進国を自認してきたつもりの日本だけが,なぜか,従軍慰安婦問題に関してはいちじるしく遅れをとっている。

 日本は「各種各様になる人権問題への対応」を遅滞させてきたが,その原因となっている1件が,まさしく従軍慰安婦問題であった。この国は,その問題を自分の手かせ・足かせにしたかのごとき姿勢を採ってきた。それがために,海外から日本に向けられる「女性の人権意識水準」に関した評価は,非常な悪評を余儀なくされていた。

 補注)2021年3月31日にニュースが伝えるには,「世界『男女平等ランキング2021』,日本は120位で史上ワースト2G7ダントツ最下位」という報告があった。過去における従軍慰安婦問題とその結果(順位)とのあいだに,なにも関連がないとはいえまい。

 朝日新聞社に対して従軍慰安婦問題をテコに使い,徹底的な言論攻撃をしてきた安倍晋三(政権)は,結局,自身が唱えていたつもりの「戦後レジームからの脱却」(=いわゆる「戦前回帰」)という標語を,従軍慰安婦を手がかりにいくらかは成就しえたつもりかもしれない。

 けれども,そのピントはずれに表出されていた戦闘モードは,本ブログのこの記述「その1・その2・その3」ですでに批判してきたとおり,完全に錯覚的な自己満足をえていたそれに過ぎなかった。

 ここではそのあたりの論点に関していえば,前段に挙げた「アマゾンのカスタマレビュー」が,「従軍慰安婦問題を頭ごなしに否定したい者たち」の迷説的な妄論を,適切な批判をもって一刀両断していた。

 少し引用が長くなるがつぎに,関連する段落を紹介しておく。その全文の約4分の3ほどを参照する。

 1) 秦 郁彦のまがまがしい「従軍慰安婦」研究,その斜視的な論法

 「吉見義明氏はマヤカシの〈広義の強制連行〉概念の提唱者である」「朝日〔新聞社〕が吉田清治の証言の虚偽を認めた」のだから「吉見は早く謝れ」といったレビューが,昨〔2014〕年の朝日新聞慰安婦誤報騒動以来,あとを絶たない。

 もちろん,それは悪質なデマであり,できるだけコメント欄などで訂正していこうという気持はあるのだが,例によってウィキペディアや,小林よしのり氏,池田信夫氏らのブログを読んで,「義憤にかられて」デマの拡声器と化する方々が,つぎつぎと書きこむのでキリがない。

 私もヒマ人とはいえ,さすがにメンドクサイので,反論をレビューにまとめてしまうことにした。本書に限らず,吉見氏の著作には,ほとんどこの種のデマが飛びかうので,一度,まとめてしまえば,コピペして使用できる。もちろん,私と同様,このような惨状に,閉口している人であれば,部分的にコピペして使用してもらっても構わない。
 補注)そのコピペー作業のひとつとして,このブログもそれをおこなっている。

   実は「強制連行」に狭義,広義の区別を「捏造」した人物は,吉見氏ではない。櫻井よしこ氏や藤岡信勝氏などから,南京事件等で歴史認識を異にするにもかかわらず,慰安婦問題に関しては,絶大な信頼を寄せられている秦 郁彦氏である。

 補注)秦 郁彦は元国家官僚であった人物であり,たいそう勉強家であって,途中から大学教員職に移っていた経歴をもつ。

 この秦がいうことや書くことは,なるべく国家・権力側に都合よく手をくわえたり,修飾・潤色することを,文筆活動においては基本かつ常套の作法にしていた。その点に鑑みていえば,ほとんど官許ないし御用研究者に位置づけられる人物であった。

 ただし秦 郁彦は,従軍慰安婦問題そのものを全面否定するとった「愚かな断定」は,さすがにしなかった。しかし,前段のごとき執筆姿勢であったがために,かえって「▲ちの悪い」筆法を駆使する場面が目立っていた。

〔記事に戻る→〕 もちろん,小林氏,池田氏のような人以外は, “吉見氏が叩いてもホコリの出ない人である” ことは,十分に承知である。

 昨〔2014〕年の吉田清治証言をめぐる朝日誤報騒動のなか,河野談話攻撃,クマラスワミ報告へのインネンめいた非難をはじめ,秦氏の主張に全面的に依拠し,はげしく朝日新聞を攻撃した読売新聞や,国辱ものとしか形容できない,安 秉直への捏造インタビューを掲載したあの『文藝春秋』ですら,吉見氏への表立った攻撃はできなかった(サンケイはしらんが)。

 秦氏が,自分のことを棚に上げて,小林氏や池田氏の発言の根拠となるような発言を〔みずから〕しているにもかかわらずだ(⇒朝日新聞慰安婦史料の発見記事が載ることを事前に「旧知の吉見氏から………聞いていた」という話を作った〔つまりは作り話〕のも秦氏〔の創作〕である)。

 ではなぜ,秦氏は広義やら狭義の「強制連行」を,わざわざ発明する必要があったのか。これは,秦氏が,元「慰安婦」女性に対する国家賠償をおこなう必要があるかという線を,「官憲の職権を発動した『慰安婦狩』ないし『ひとさらい』的連行の有無」で引いたからだ。

 「狭義の強制連行」でなければ,元「慰安婦」に賠償金を払う必要はないというのが秦氏の考えであり,完全に自分の都合なのである。秦 氏はそのうえに,その線引を賠償の必要性の有無だけではなく,慰安婦問題の道義的責任を問う議論に対しても,いつの間にか使いはじめた。

 「広義の強制連行」については,賠償の責任はもちろん,道義的責任もないという論理にズルズルと意図的に拡大していくが,この「強制連行」定義は,当該論文が発表された1990年代前半でも「特殊」なものであった。

 2) 強制連行に広義も狭義もなく,あったのは「強制の連行」

 元「慰安婦」の最初の証言集,韓国の挺対協による『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち(韓国版:1993/2)(日本語版:1993/7)』に明記されている「強制連行」の定義をみてみると,

 当時,日本が締結した条約「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」のなかの,第2条を引用し「詐欺または,暴行,脅迫,権力乱用,その他一切の強制手段」による慰安婦動員を強制連行とすると,きわめて明快である。これなら広義も狭義もない

 戦争末期の,暴力的な労働力調達の手段としての,朝鮮での「強制連行」は,疑いを挟む余地がないが,当初から,韓国でも,労働力調達の手段である「強制連行」と慰安婦の「強制連行」は,別の概念として認知されていたことが分かる。

 読売新聞などは『慰安婦問題-世界の眼日本の声』 (読売新聞社著,中央公論新社,2014年11月) で,この証言集のなかに「狭義の強制連行」例は,文 玉珠さんの証言の一例しかないとイチャモンを付けているのだが,記事を書いた記者が,この部分を意図的に無視しているだけなのである。

 実際には,この証言集の例には,「階級章をつけた明白な軍人」による「連行」こそないが,日本人巡査による「連行」例は少なくないし,朝鮮からの輸送段階では,ほぼ全例で軍の全面的関与がみられる。

 黄 綿周さんのように,あの官斡旋による「慰安婦」調達としてしられる,関特演の時のものと思われる事例もあるが,手配したのは,日本人班長の妻である。これなど「広義の強制連行」の範疇に入るのだろうが,道義的に問題にならないわけがなかろう。

 秦氏は官斡旋の主犯は,朝鮮人の地方首長だと主張しているが,黄さんの場合は,実行犯は日本人である。

 3) 女性たちの証言は,きわめて衝撃的であった

 軍の明白な関与による慰安婦「調達」,長期間の「強制売春」については,千田夏光らの取材によって,ある程度しられていたが,証言集には,軍の監視下での「性暴力」「性奴隷」状態を示す例が嫌になるほど載っている

 吉見義明氏が,金 学順さんの証言に衝撃を受けて,軍の慰安所研究にかかわっていった経緯は,同書にもキチンと書かれていることだ。

 ご存知のように,秦 郁彦氏は,元「慰安婦」の証言を,「娼婦は話を盛る」といういいまわしで,その内容が信用できないと非難している。『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』を読めば,誘拐によるレイプ,強制売春被害者の証言集としか思えないが,そもそもが,秦氏は研究者として,初めて慰安婦強制連行説を提唱した人でもある。

 補注)この秦 郁彦のいいぐさは,二重に作為的な虚偽を含む。そのひとつは「慰安婦=娼婦と定義する虚偽」の定義であり,もうひとつは「娼婦だけでなくとも誰でも話しを盛る」といたふうな,一般的な話題との識別に関して心もとない,それこそ学術的な議論をする以前の世間話に似た決めつけであった。

 秦 郁彦の論断に顕著である恣意性は,「慰安婦は娼婦である」〔という論理的・歴史的にきわめて雑な〈誤定義〉〕と「娼婦は話しを盛るに決まっている」という学問以前の自分だけの先験的な規定とをもって,如実かつ典型的に表わされている。

〔記事(レビュー)に戻る→〕 昭和期の日本軍のように,慰安婦と呼ばれるセックスサービス専門の女性を大量に戦場に連れていった例は,近代戦史ではほかにない。その7〜8割は強制連行に近いかたちで徴集された朝鮮出身の女性だったが,建前上は日本軍の「員数外」だったから,公式の記録はなにも残っていない。

 註記)ここの記述は,『日本陸軍の本・総解説』自由国民社,1985年〔に秦 郁彦が執筆した項目での記述〕参照したもの。

   よくもまあ,元「慰安婦」女性達の,証言の整合性に疑問があるとか,いえたものだと思うが,もうやめておこう。

 4) 騒々しい極右のエセ識者たちの言動

 昨〔2014〕年の朝日誤報騒動の最中,文春やサンケイの常連執筆者である西岡 力氏が,朝日新聞撃沈の勝利の余韻に酔いしれたのか,秦氏とタッグを組んで,動いていた経緯をみずから暴露している。西岡氏は,慰安婦問題の専門家でもなんでもなく,いわば職業的嫌韓プロパガンダのプロなのだが,ここまでこの2人の利害が一致していたのかと,驚いたものである。

 秦氏の「転向」の経緯が手っとり早く分かる,面白い文章なので,興味のある方は, 『「従軍慰安婦朝日新聞 VS.文藝春秋』 (文春新書) の,西岡 力氏の書きおろし論文を参照されたい。(引用終わり)

 本ブログ筆者はなかでも,秦 郁彦自身の学者風をよそおった元国家官僚意識(国家に対する忠誠心)溢れる作風には感心したものだが,ただし,彼の生産性の高い「執筆活動の本意」に関しては,終始一貫,一定の疑念を抱いていた。

 

 「🌑 前  論 🌑 のまとめ」的要言

 前段に長く引照してみた文章を書いた人物は,多分,研究者(大学教員職)と推察しておくが,ウィキペディアの記述はさておき,当初から確実にズレまくった歴史認識を漫画チックに描くのが特技である小林よしのりや,かなりの頻度でピンボケした批評を披瀝してきた池田信夫などは,

 「従軍慰安婦」という歴史(軍事史)問題をあつかう識者が立脚したら好ましい問題意識および論点構成の方法が,彼らにあっては断層亀裂を来たしていた。つまり,当初から不適切な視座が構築されており,もっと断定して片付けてしまえば,いつも学術的には論外の空域まで飛翔していくクセがあった。

 従軍慰安婦問題となると愛国心だとか排外意識だとか,最近ではさらに,男女共同社会だといった用語まで浮上せざるをえない時代になっているが,これら風の問題に総合的な見地から取り組むためには,歴史科学の問題意識のみならず社会科学的に幅のある素養も問われるほかない。

 小林よりのり風の漫画的な論旨であったとしても,現状の日本ごときに,極右ばかりが悪水的に肥大化してしまった政治社会状況のなかでは,多少は左寄りにみえなくもないといった倒錯現象すら起きてから,すでにだいぶ年月が経過してきた。

 さらにいうと,安倍晋三麻生太郎という世襲政治屋みたく,超一流大学ではないものの,けっこうまともな「大学は出た(卒業させてもらった)けれど,無教養さだけは一級品」にしあがっていて,そもそも漢字の「読み書き」すら小中学生に劣るこの手の連中が,何人も日本の首相にまでなっていた。

 だから,その意味でも日本の政治は恐怖でしかありえなかった。くわえていっておくと,世襲ではないがもうすぐ任期が終わる菅 義偉現首相も,日本語力の絶対水準ときたら,もう耳を塞ぎたくなるほかなかった。まるで「悪貨は良貨を駆逐する」現象どおりに2010年代から2020年代へと,日本の政治史は低迷してきた。

 前述に出ていた,1993年8月4日の『慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話』を憎々しげに見返し,否定することにしか「脳(能)のない」,つまり「ノー・足リンの政治屋たち」が幅を利かす現在のごとき「日本の政界」の実相は,コロナ過の苦境がつづくこの国において,人びとに対して「ささやかな夢を与えることすらできない」でいる。。

 従軍慰安婦問題を必死になって否定したがるこの国政治の現状では,とりわけ東アジア諸国から尊敬されるわけがない。すでに「先進国」と自称するほどには「世界の政治と経済」における「信頼と実力」がなくしてきたこの国の総合力である。

 いったい,自国のなにをもって他国からの敬意をえらえる国際外交をすべきかについていえば,実は,この従軍慰安婦問題くらい「役に立つ論点はない」という方途に発想の転換ができないのか。あいもかわらず,現状のまま「自尊心」ばかりを「敵愾心」でしか裏打ちできない国家意識は,政治外交の稚拙さをさらけ出す効果を生むだけである。

 

 🌑 本(旧)ブログ,2015年5月7日の記述 🌑

 主題:「従軍慰安婦の問題を再考する-無理に否定しても否定できるような歴史の問題ではない-」

  副題:「旧大日本帝国従軍慰安婦問題を否定できないとなったら,外国にもその問題はあるといってまぎらし,ボカす〔「天に唾する」〕論法の,その「貧困の哲学」即「哲学の貧困」的な発想の脆弱さ」


  従軍慰安婦問題を否定的に報道しなければならない『産経新聞』の記者(ジャーナリスト)の立場

 古森義久(こもり・よしひさ)というジャーナリスト・国際問題評論家がいる。現在〔2015年5月〕,産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員であり,麗澤大学特別教授や国際教養大学客員教授も務める。

 この古森は以前より,従軍慰安婦問題の存在を否定したい論調(正直な気持)を維持しつつ,これを記事に扶植させながら,ものを書いてきている。

 今日紹介するのは,古森義久が『JB PRESS』(Japan Business Press,http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43708,2015年5月6日)に寄稿した「学問の基本姿勢を疑われる米国の日本歴史学者たち-慰安婦問題の『事実』に目を向けよと新進の米国人学者が猛批判-」である。

 古森はとくに,「学問の基本姿勢を疑われる」「米国の日本歴史学者たち」という題名がかかげられていたが,古森自身が大学の教授職にも就いているからには,相当の厳密な姿勢を保ちなら,つまりその学問的にも堅実な中身をともなって文章を書いているかどうか関心がもたれる。

 ともかくさきに,彼のいいぶんを聞きたい。なお,補注)内の文章(青文字)部分は,本ブログ筆者の加筆である。

 --慰安婦問題で日本側の主張を無視しつづける米国の歴史学者たちに対して,新進の米国人学者が「事実関係をみようとしない態度は歴史研究の基本に反している」とするきびしい非難の声を浴びせた。慰安婦問題に関して日本を糾弾する米国学界の一枚岩にヒビを生む新しい動きとして注視される。

 補注)ここで古森義久が「注視される」と表現したのは,より正確には「期待される」,つまり古森が歓迎するこの論調(「日本を糾弾する米国学界の一枚岩にヒビを生む新しい動き」)がもっと盛んになって出てきてほしい,という意味である。

 慰安婦問題は,安倍晋三首相の訪米でもまた影を広げることとなった。安倍首相がボストンでの講演で韓国系学生から慰安婦問題に関する質問を受けただけでなく,米国議会での演説でも,一部の議員たちから慰安婦問題での謝罪がなかったことへの非難が起きたのだ。

 だが,米側の慰安婦問題についての基本認識が事実に反していることはいまや明白である。また,そのように事実を無視して日本を非難する勢力のなかで,米国の歴史学者の集団が大きな座を占めることも歴然としている。

 補注)ここで「慰安婦問題についての基本認識が事実に反している」といいだしたら,核心の問題は議論にはなりえないほどに拡散していく。古森自身のその基本認識ですら「事実に反している」と指摘・批判することは容易だからである。とりわけ,古森においては自分が認めたい事実のみを事実として認め,気に入らない事実は事実ではないと撥ねのける筆法がめだつのである。

 しかしながら,「神々でもない下々のジャーナリスト」が「ああでもないこうでもない」式の議論をいくらしたところで,しかも古森のように学問的な研究・調査に裏づけられているとは思えない人物(◇◇大学☆☆教授という肩書きはあるらしいが)による発言が,はたしてどのくらいに信憑性を発揮しうるかからして,その前提から問題あり過ぎる。

 その学者集団への批判が同じ米国人歴史学者から出たのだから,日本にとっての意味はきわめて大きいといえよう。

 補注)この段落は,日本やアジアからではなく,アメリカの学究からその批判が出たのだから,古森にとっては大歓迎であり,かつまた,大いに期待できる「意味」があるといいたいらしい。ここは,彼自身の価値観がとりわけ色濃く出ている文章である。

 ◎-1「日本側の抗議を封じた米国の歴史学者たち」 --新進学者による今回の批判のもともとの契機となったのは,米国の大手出版社マグロウヒル社の高校生用歴史教科書の慰安婦についての誤記だった(当コラム「ワシントン・ポストに噛みついた『反日』団体幹部」を参照)。この教科書の記述には,以下の内容が含まれていた。

  a)慰安婦は日本軍の強制連行による20万人の性奴隷だった」

  b)「日本軍は終戦時に証拠隠滅のため慰安婦多数を殺した」

  c)慰安婦天皇から日本軍への贈り物だった」

 いずれもなんの根拠もない誤記である。

 補注)この「なんの根拠もない誤記」という古森義久による表現そのものが,いうなれば「意図された歪曲性」に満ちていて,実際には「なんの根拠もない断定」であった。以下,具体的に批判しつつ説明する。

 a)慰安婦は日本軍の強制連行による20万人の性奴隷だった」の問題についていえば,その数に関して議論が分かれるし,また強制連行という概念にも議論があった。

 慰安婦問題に関しては,故意に後ろ向きの研究姿勢でとり組んできた歴史学者の秦 郁彦自身でさえ,この問題には「強制性」がないかのように部分的には発言しながらも,性奴隷的な慰安婦が存在しなかったとはいいきれていない。わけても,慰安婦の人数推定については,ふらふらと落ち着けない立場を示していた。

    秦 郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年の,慰安婦に関する「推計そのもの」におかしいことがある事実は,永井 和が指摘しているとおりである。

     ☆-1 「秦 郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について (1):注記を追加 - 永井和の日記 - 従軍慰安婦問題を論じる」

     ☆-2 「秦 郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について (2) - 永井和の日記-- 従軍慰安婦問題を論じる」
 

 強制連行の歴史的な意味については,広義と狭義を使いわける見地がある。しかし,たとえ狭義でも広義に分けられるとしてその大枠にあっては,日本帝国主義からの強制性が前提されている。だから,その使い分けの議論そのものにが同義反復である。つまり,問題の枠組全体に強制性がもともと内包されている。

 補注)永井 和「日本軍の慰安所政策について」『京都大学大学院文学研究科現代史学専修  永井和のホームページ』2012年1月12日,http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html#SEC2  は長文であるので,ここでは,末尾で永井がこう書いていた文言のみ紹介する。

  「当時の日本陸軍では慰安所といえば,もっぱら将兵向けの性欲処理施設を指していたことをも示している。慰安所が軍の後方施設であったことを如実に物語る」。

  「軍の後方施設」とは兵站をになう軍隊組織の一翼であり,軍の施設そのものを意味する。これ以上の説明は不要であるとさえいえる。旧日本陸軍において従軍慰安婦が軍需物資あつかいされていた事実は,この「記述(その3)」でも触れてみた。

 敗戦前にあっては,朝鮮女性の戦時的な動員において使用された用語:「挺身隊」という言葉のなかにまぎれこんでいた「慰安婦」へ恐怖は,確実に感知されていた。「挺身隊」と「慰安婦」という用語の混同・混用は,朝鮮人側においては,現実的な意味をもっていた。

 たとえば,1941〔昭和16〕年夏,日本軍がおこなった対ソ戦準備のための「関東軍特種演習」(関特演)では,演習と称してソ満国境近くに関東軍兵力70万を動員したさい,約2万人の慰安婦が必要と島田俊彦表紙算定されていた。

 だが,実際に「動員できた」,そのための朝鮮人女性は8千人であった。この事実については,金 一勉・千田夏光島田俊彦などの著作に関連する記述がある。 島田俊彦関東軍中央公論社,1965年(講談社,2005年)は,こう書いていた。既述の点であるが,ここでも繰り返して引用する。

 「原善四郎参謀が兵隊の欲求度,持ち金,女性の能力等を綿密に計算した,飛行機で朝鮮に出かけ,約1万(予定は2万)の朝鮮女性をかき集めて北満の広野に送り,施設を特設して “営業” させた,という一幕もあった」(176頁)。

 いまから40年も前の文献にそう書かれていたわけだが,これがウソでないことは,文中に登場する原善四郎参謀について,千田夏光従軍慰安婦 正編』三一書房,1978年も,つぎのように言及していた場面からも確認できる。

 千田夏光は戦後,原善四郎(元関東軍参謀中佐)に面会し,実際に「連行した慰安婦は八千人」と書いていた点を問いあわせている。千田が原に面会した事実は,千田も原も否定していない。この証言に対して,原から疑義が呈されていなかった経過から考えても,おおむねそのまま信用できる。

 註記)「慰安婦徴集への総督府の関与の証明」『かんごのブログ』(2012/1/7 (土)  午後 8:21)http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/7803629.html 参照。千田夏光従軍慰安婦 正篇』の該当する記述は102-106頁。ここには,くわしい事情が記述されている。

 b)「日本軍は終戦時に証拠隠滅のため慰安婦多数を殺した」については,日本の政治家で埼玉県選出の国会議員だった荒船清十郎が以前,日本は慰安婦として狩り出した朝鮮人女性6万人(これ以上に大きい数字も出ていたが)を「ヤリ殺した」と発言したことがあった。

 この発言の信憑性に問題があることは当然として,関特演での前段のような実績をもとに考えれば,ありえない話ではない。ただ「敗戦時に殺した」という,それも「証拠隠滅(なんの証拠か?)のために彼女らを殺した」という話法そのものが,非常に興味深い。

 敗戦直後から朝鮮の総督府なども含め,旧日本帝国政府のすべての関係官庁は,アメリカ軍の占領に備えて公式書類の隠滅を図り,文書を大焼却する作業にとりかかっていた。この事実に即して「終戦時に証拠隠滅のため慰安婦多数を殺した」という話法も出てきたのではないか。そう推理してみるしだいである。

 c)慰安婦天皇から日本軍への贈り物だった」については,日本人であればいいにくい表現かもしれないが,まさしくこの表現のとおりではなかったか? 日本人女性であれば,もともと玄人筋の女性たちが慰安婦に鞍替えした者が多くいた。だが,朝鮮人女性は場合は処女であった。

 関連する話題と出して話しをする。旧日本軍で陸軍歩兵たちの基本装備は,ごく限られた私物以外はすべてが,天皇陛下から下賜されて使っている大事な物品とされていた。陸軍兵士が使用した小銃(三八式歩兵銃)には「菊の紋章」が着いていたが,もしもこれに傷など着けたら,半殺しになるまで殴打された。

 この小銃が天皇陛下からの大事な預かり物であったのと,限りなく同様に「従軍慰安婦も陛下からの贈り物」であったと解釈して,なんら違和感はない。千田夏光従軍慰安婦 正編』(三一書房,1978年)は「新版にあたって」で,こう記述していた。

 「旧軍関係者は自分たちが従軍慰安婦なる兵隊性欲処理機関をともなって戦場へおもむいていたことを戦中も戦後も秘密にしてきた。資料の一端をのぞかせることもしなかった」。

 

 〔千田夏光いわく,その〕「理由は神聖なる天皇の軍隊の名誉にキズがつく,軍が国家予算(臨時軍事費)をもって売春宿を経営していたことを一般国民にしられたくない,女性の大半は朝鮮半島から強制動員したがそのことを秘匿しておきたいなどであった」。

 〔ここで前段に登場させて古森義久の記事に戻る→〕 日本の外務省は当然ながら2014年11月,出版社と著者に記述の訂正を求めた。しかし出版社も著者も訂正はもちろん,記述の是非を論じることさえ拒否した。この動きに対して,米国の歴史学者たちが2015年3月,日本側の抗議は「学問や言論の自由への侵害だ」とする声明を発表したのである。

 この声明は,慰安婦問題をとりあげて長年日本を糾弾してきたことでしられるコネチカット大学のアレクシス・ダデン教授が中心となり,コロンビア大学のキャロル・グラック教授や,問題記事の筆者であるハワイ大学ハーバート・ジーグラー准教授ら,合計19人によって署名されていた。

 ちなみにダデン教授は,2000年の「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の主催者の一員だった。昭和天皇を有罪と断じたあの模擬裁判である。ダデン氏は安倍首相への攻撃を年来続け,「悪漢」「裸の王様」などという侮蔑的な言葉を連発してきた経緯がある。

 今回の声明も,日本側の主張じたいを「悪」とする感情的な非難に満ちていた。そしてマグロウヒル社の教科書の慰安婦記述は正しいと宣言し,その記述に異論を呈する日本側の動きは「右翼」や「修正主義」によるものだというレッテルを貼り,言論や学問の自由への弾圧だと断ずるのだった。

 ◎-2「先輩の歴史学者たちの研究姿勢を批判」 --この米側の歴史学者19人の声明を真正面から批判したのが,米ウィスコンシン大学博士課程の日本歴史研究学者ジェーソンモーガン氏である。「19人の学者たちこそ,慰安婦問題での事実関係を考えず,語らず,日本側の正当な抗議を意味の不明なののしり言葉のレッテルで排除している」という批判だった。

 モーガン氏は37歳。学者としては新進であるが,アジアとは深くかかわってきた。テネシー大学を卒業後,ハワイ大学の大学院で中国研究により修士号をえて,中国の雲南大学や日本の名古屋大学でも勉学を続けた。韓国にも在住して英語を教えた経験がある。日本で4年ほど翻訳会社を経営したのち,米国のアカデミズムに戻り,ウィスコンシン大学の博士課程で日本史を専攻した。現在はフルブライト奨学金学者として早稲田大学で日本の法制史を研究し,博士論文をまとめているという。

 そのモーガン氏が,先輩のダデン教授ら米国の歴史学者たちに対して,その研究の姿勢を正面から批判したのである。慰安婦問題について日本側の事実にもとづく正当な抗議にまったく答えようとせず,論点をそらし,論題から顔を背けているというのだ。

 補注)ここでいわれている「正当な抗議」がそのとおりであったかどうかは,もっぱら,古森義久の個人的な判断にもとづくほかない論点になっていた。それゆえ,記者である古森の立場から書いていた「記事そのものの内容」に関してだが,このようにただ「正当な抗議」と書くのは,どだい「間違いなく」問題ありであった。

 ダデン教授らの声明は米国歴史学会(AHA)機関紙の3月号に掲載された。そこでモーガン氏も非難の声明を同機関誌へ投稿した。その投稿が掲載されるかどうかはまだ不明だが,モーガン氏は4月下旬,インターネット上で自分の意見を公表した。先輩の歴史学者への挑戦というきわめて異例の公表だった。

 ◎-3「事実に目を向けようとしない米国の日本歴史学界」 --モーガン氏の見解の骨子は,以下のとおりである。

  ・ダデン教授ら19人による声明は,慰安婦に関する日本政府の事実提起の主張を言論弾圧と非難するが,その非難の根拠となる事実をまったく明示していない。この点は,学問を探求する当事者として偽善としか呼びようがない。

  ・声明は,日本の吉見義明氏の研究を「20万強制連行」などを,ほぼ唯一の論拠として言及している。だが,吉見氏も慰安婦の強制連行の証拠はないことを認めている。同声明は,日本軍による多数の慰安婦殺害や天皇の贈り物などという記述になんの根拠もないことにも触れようとしない。

  補注)「吉見氏も慰安婦の強制連行の証拠はないことを認めている」ことを理由に挙げて,従軍慰安婦問題を全面否定するのは,吉見義明の研究全体をまともに読んでのものか,基本から疑わせる発言である。吉見義明『従軍慰安婦岩波書店,1995年の1冊でも,まともに読んでいないような断定である。

  ・声明は,米国の研究者も年来依拠してきた吉田清治証言の虚構や朝日新聞誤報にまったく触れていない。事実を優先すべき歴史研究で不都合な事実を意図的に無視する態度は,学問の基本倫理に違反している。

  補注)「吉田清治証言の虚構や朝日新聞誤報」を理由にこれまた,従軍慰安婦問題を針小棒大的に,おおげさに否定することも間違いである。これは野球でいえば,エラーした選手は,それまで打席に立って打っていた安打は1本も認めないというような理屈と同じあり,ずいぶん奇妙な発言である。つまり,吉田清治発言「本」の位置づけが,もとからまともにできていない。

  ・声明は,日本側からの慰安婦問題に関する事実の提起を,「右翼」「保守」「修正主義」などという表現で片づけている。この種の用語は侮蔑的なレッテル言葉であり,実体のある意味がなく,真剣な議論を拒むための煙幕にすぎない。

  補注)これは逆さまにしてそっくり返しておかねばならないほど,極端ないいぶんである。このことはすぐに気づかされる点ある。逆にこういっておく。

  これまで〔千田夏光ら関連業績がいくらでもあるが,これら〕「日本側からの慰安婦問題に関する歴史の発掘による解明は,「右翼」「保守」「修正主義」の立場から,「左翼」「反日」「非国民」などという罵倒の表現でもって片づられ,抹殺されようとしてきたと。

  しかも,この後者のほうの「侮蔑的なレッテル言葉であり,実体のある意味がなく,真剣な議論を拒むための煙幕にすぎない」という点が,より異様であり煽動・興奮的であった。。

  ・声明は,日本政府の動きを中国などの独裁国家言論弾圧と同等にあつかい,学問や言論の弾圧を恒常的に実施しているかのように描いている。だが,自分たちがその日本政府機関からの資金で日本研究をおこなってきた事実を無視している。

  補注)日本の学問をあり方を,わざわざ中国などの独裁国家と同じ次元に乗せて比較したうえで,このように裁断する論法が披露されている。だが,この論法じたいからして不可思議である。というのは,日本の学究が自国の問題を学問研究の素材・対象にとりあげ,自由に議論する研究のことを塞ごうとする理屈にしか,この論法ではなりえないからである。

  国立大学の教員は,日本政府から資金(もちろん給料も)をもらって日本研究をするときは,自国のなにごとに対しても批判などしてはいけないと,実にバカらしいことをいっている。

  前段でわざわざ,古森義久は「◇◇大学☆☆教授」(私立大学だが)という肩書きはあるらしいと断わっておいたが,大学教員が自身の研究・思想・言論・発表の自由などを,基本的にしっかり堅持していないことには,まともな研究を展開できない。もちろん,御用学者であればそのかぎりではない。

  ともかく,学問の自由を保障しなくていいのが国立大学の教員の立場である,という理屈になっている。そこでいわれている内容は,日本も中国並みに「独裁国家言論弾圧」が必要だといっているに等しい。もっとも,最近における安倍晋三の政治姿勢(文教政策)は,この必要性に十分応えている内実がないわけではない。

 〔ここで古森義久の記事に戻る→〕 以上の主張を表明したモーガン氏は,「米国の日本歴史学界で,この19人の明らかに錯誤している意見に誰も反対しないという状態こそ,学問の自由の重大なゆがみだと思う」と強調するのだった。慰安婦問題で事実にもとづく主張に耳を傾けようとしない米国の日本研究者の研究姿勢が,モーガン氏の反論によってあらたまることを期待したいところである。

  補注)旧大日本帝国史における従軍慰安婦問題は,まさにそのとおりであって,「事実にもとづく主張」を「学問の自由の重大なゆがみ」がない方向を堅持しながら,さらに議論されていく必要がある。いうまでもないことである。

 以上,結局,古森義久が強調したい立場は「反・従軍慰安婦実在論」である。この種の「歴史の事実」を認めたくない議論のあり方であるから,そのかぎりでみれば,古森の発言内容は特定の方向に傾斜しすぎている。信頼をもって聴けるものではない。初めから特定に偏向していた価値判断が提供されていた。

 NHKのテレビが,2001年1月30日に放送した「従軍慰安婦」問題を扱った番組:「戦争をどう裁くか (2)  問われる戦時性暴力」に対して,安倍晋三(当時内閣官房副長官)と中川昭一(当時経済産業相)の2人が,NHKに圧力をかけその内容を大きく変更させた事件があった。安倍晋三はいま首相である。こうした反・慰安婦問題を否定する立場と無条件に周波数が合致する立場がまた,古森義久の論調でった。

 

 従軍慰安婦を否定するなという報道

 1)「『慰安婦を否定するな』… 世界歴史学者187人が安倍首相に警告状  (1)」『中央日報』2015年5月7日07時58分,https://japanese.joins.com/JArticle/199987

 中央日報は韓国の新聞社有力紙である。日本語版もあるので,韓国語が読解できなくとも,容易に接することができる。以下に引用する。

 --世界的に著名な歴史学者187人が〔2015年5月〕6日,日本の安倍晋三首相に対し,慰安婦問題と関連した歴史的事実を歪曲しないよう促した。

 ハーバード大学エズラ・ヴォーゲル教授やシカゴ大学のブルース・カミングス教授ら米国や欧州,豪州で活動中の日本学専攻の歴史学者187人は,韓国聯合ニュースを通じて「日本歴史家たちを支持する公開書簡」という題名の声明を発表し,安倍首相に内容を伝えた。

 彼らは声明で「戦後日本で民主主義と自衛隊に対する文民統制などがおこなわれたが,歴史解釈問題は日本の成果を評価するうえで障害になっている」と明らかにした。

 とくに慰安婦問題に関しては「当時の記録が破棄された可能性があるが,歴史学者は日本軍が女性たちの移送や慰安所の管理に関与したことを証明する数多くの資料を発掘してきた」と強調した。

 また「一部の歴史家が帝国主義の日本軍がどれほど関与したのかなどについて別主張を出しているが,数多くの女性が自身の意思に反して捕えられ,野蛮的行為の犠牲になったという証拠は明らかだ」と指摘した。

 2)「慰安婦を否定するな」…世界歴史学者187人が安倍首相に警告状(2)」『中央日報』2015年5月7日09時47分,https://japanese.joins.com/JArticle/199988

 学者〔たち〕は慰安婦被害者の数が誇張されたという主張に対しても,「数字が数万人であれ数十万人であれ,日本帝国と日帝の戦場で搾取があったという事実は変わらない」と断言した。

 学者〔たち〕は「〔2015年〕4月に安倍首相は米議会演説で普遍的価値である人権と人間安保の重要性および日本が他国に与えた苦痛に直面する問題に言及したが,このような情緒に称賛を送り,安倍首相がこれらすべてで果敢に行動することを促す」と明らかにした。

 今回の声名には米国・英国・ドイツ・豪州・オーストリア・カナダ・シンガポール・日本など世界の権威ある研究者が含まれた。日本関連著書でピューリッツァ賞を受賞したハーバート・ビックス米ニューヨーク州立大教授,ジョン・ダワー・マサチューセッツ工大教授などとともに,日本学研究を発展させた功労で日本政府とジャパンファウンデーションなどから賞を受けたピーター・ドウス・スタンフォード大教授,入江昭ハーバード大学教授も参加した。

 集団声明は,8月15日の第2次大戦終戦70周年を迎えて談話を準備中の安倍首相が米議会演説のように日本軍慰安婦など過去の歴史に対する明白な謝罪なく未来を述べる場合,世界の歴史学界と戦争をしなければいけないという予告だ,という指摘が出ている。

 3)「〈社説〉日本の歴史歪曲を糾弾した米国歴史学者たち」『中央日報』日本語版,2015年02月07日,https://s.japanese.joins.com/JArticle/196378

 自国の歴史に関する他国の教科書の記述に不満がある場合,問題を提起するのはどの国にもできることだ。しかし,それが説得力をもつには,その国は歴史の責任に対する誠意をみせなければいけない。最近発表された米国の歴史学者19人の声明は,日本の安倍政権がこの点で不足していることを表わしている。

 昨〔2014〕年秋,米国の大手教育出版社マグロウヒル慰安婦問題に関する日本政府の修正要求に対し,「著者の作品・研究および記述内容を支持し,いかなる修正もしない」と明らかにした。日本が問題視した内容は「日本軍は14-20歳の女性約20万人を慰安所で働かせるために強制的に徴用した」「逃げようとして殺害された慰安婦もいた」などだ。

 米国の歴史学者らは声明で,「第2次世界大戦当時,日本帝国主義により性搾取の野蛮なシステムの下で苦痛を経験した日本軍慰安婦に関し,日本と他の国の歴史教科書記述を抑圧しようとする最近の日本政府の試みに,われわれは驚きを禁じえない」と明らかにした。

 また「日本政府の文献を通じた吉見義明中央大学教授の慎重な研究と生存者の証言は,国が後援した性的奴隷システムの本質的な特徴をみせているという点は論争の余地がない」と明らかにした。

 米国の歴史学者が論争さえも拒否したのは,実質的な「性的奴隷システム」について包括的な強制性さえ否認しようとする安倍政権の反人道的な態度に影響を受けたとみられる。

 声明にはもうひとつ特別な意味がある。その間,加害当事国である日本の良心的な知識人が,日本右翼の歴史歪曲と,これと連結した暴力的な態度を糾弾する集団的な動きをみせてきた。

 ところが,日本と被害国の韓国・中国を越えて,第3国の知識人がここにくわわったのは,新たな事態の発展だ。動機は米国の教科書だが,本質は日本の歴史歪曲だ。ますます多くの世界の知識人が,日本の歴史歪曲を韓日間の紛争ではなく,人権のような人類文明的な問題として把握しているということだ。

 4)関連の議論

 ① で言及したように古森義久は,「慰安婦問題で日本側の主張を無視しつづける米国の歴史学者たちに対して,新進の米国人学者が『事実関係をみようとしない態度は歴史研究の基本に反している』とするきびしい非難の声を浴びせた。慰安婦問題に関して日本を糾弾する米国学界の一枚岩にヒビを生む新しい動きとして注視される」と論評し,こちらの動きを歓迎し,大いに期待したい旨を文面ににじませた。

 歴史の真実の追究,歴史の事実の認識は,単純に多数決でもって決着できる問題でない。従軍慰安婦の問題だけでない。東京裁判極東国際軍事裁判)が,敗戦した日本国側高官たちの戦争責任問題を裁こうとしたさい,日本側が事前にほとんどすべての関係書類を焼却していたために,個人の証言に頼る法廷になっていた。

 GHQの最高司令官,ダグラス・マッカーサー元帥が厚木に降り立ったのは,1945年8月30日であった。その間,日本側は必死になって文書の隠滅のための焼却作業をおこなっていた。そのための時間ならば十分に間に合ったのである。

 従軍慰安婦問題に関する軍の関与を証明する文書が,それでも少しずつは発見されてきた。東京裁判は証拠となる文書が少ないため,被告人たちの証言に多くを頼るほかなかった。これを想起すれば,従軍慰安婦問題が軍の関与を実証するための,それも強制があったかどうかを記録した文書はわずかしか入手できないまま,現在まで研究・解明が進展させられてきた。それでも関連の実績がある。

 吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店,1992年のような地道な研究成果が関連業績として与えられているほか,これ以降,ほかにも多くの関連する文献・資料が蓄積されてきている。

 昨〔2014〕年後半,とくにかまびすしかったのが,慰安婦問題に関して朝日新聞誤報問題に対する安倍晋三政権側〔など〕からの攻撃であった。これがなされていたからといって,あたかもこの地球上において旧日本軍の慰安婦問題が存在しなかったかのように騒ぎ立てる「特定の人間・集団・組織」のいいぶんは,常軌を逸している。

 しかも,安倍晋三がその先頭に立って,それもわめきたてるかのようにして,非難をことばをあちこちに飛ばしていたのが印象的である。もっとも,安倍はいまから14年前にこう報道される発言をしていた。

  【キャンプデービッド / 米国 28日 AFP】 ジョージ・W・ブッシュGeorge W. Bush)大統領は〔2007年4月〕27日,日本の安倍晋三首相の従軍慰安婦問題に対する再度の「謝罪の気持ち」を受け入れた。安倍首相は3月,旧日本軍がアジア各地での女性の強制連行に直接関与したという証拠はないと発言し,波紋を呼んでいた。

 

 首脳会談後の記者会見でブッシュ大統領は,「慰安婦問題は世界史において痛ましい出来事だ。私は安倍首相の謝罪の気持ちを受け入れる」と述べ,他方の安倍首相は,女性らの苦しみに対し「心から同情する。日本の首相として謝罪の意を表する」と述べた。

 註記)「慰安婦問題で首相『謝罪の意』,米大統領は受け入れを表明 - 米国」『AFP BB News』2007年04月28日  01:13,https://www.afpbb.com/articles/fp/2217454

 補注)安倍晋三は自分自身では説明できない言動をしてきた。ウソ八百という表現があるが,正式にでも首相の時期においてだが,日本の国会のなかだけでも,虚偽答弁を118回してきた実績の持主である。それだけに,ブッシュに対しても「ウソをつくこと」など,お茶の子さいさい。

 

 元朝日の植村隆氏,NYで安倍首相を批判 櫻井よしこ氏らも 「私はこの闘いに負けない!」『産経ニュース』2015年5月5日15時43分,http://www.sankei.com/world/news/150505/wor1505050039

 元朝日新聞記者で慰安婦報道にかかわった北海学園大学 註記)(札幌市)の非常勤講師,植村 隆氏は〔2015年5月〕4日,米ニューヨーク市で講演し,集まった約80人を前に「私は激しいバッシングを受けている。この闘いに負けない」と強調した。

 註記)北海学園大学北星学園大学の間違い。以下,原文どおりに引用しておく。

 植村氏は「捏造」と指摘される元慰安婦の証言をとりあげた記事(1991年8月)について「捏造だと攻撃することは,慰安問題をなきものにしようということにもつながる」と主張。日本が戦後70年間守りつづけてきた「言論の自由」や民主主義への攻撃でもあるとし,「勇気をもって辛い体験を話した慰安婦のおばあさんたちの尊厳をも傷つける」と訴えた。

 一方,日本で1990年代半ばから「歴史修正主義者の動き」が出てきたとして「教科書から慰安婦問題を除くべきだという運動が始まり,そのリーダーの1人が安倍(晋三)首相だ」と批判した。

 また,植村氏非難を繰り広げる言論人として,ジャーナリストの櫻井よしこさんと東京基督教大学の西岡 力教授の名を挙げ,櫻井さんについて「暴力的な言辞を繰りかえす側に立ち,あおっている」と述べた。

 植村氏は,北海学園大学への抗議電話などが相次いでいることも紹介したうえで,不快感を表明。かつて,関西地方の女子大への就職が決まっていたにもかかわらず,抗議メールが殺到したこともあり,大学が翻意したことについて「最初,憤ったが,大学側も被害者である」と語った。娘までもネットで誹謗中傷されているとし,「異常な事態だ」と訴えた。

 英語通訳を通じて講演した植村氏は最後にみずから英語で,「I will fight(私は闘いつづける)」と強調した。植村氏は先月下旬,米国の大学の招待により,中西部シカゴ一帯で全米講演を開始した。5日には東部プリンストン,8日にはロサンゼルスでも講演する予定だ。

 --この記事について感想を述べる。従軍慰安婦問題をいつも否定的にとりあつかっているはずの『産経新聞』にしては,つまり,いつもはこの社なりに「偏向した」報道姿勢を保持しているにもかかわらず,この記事に関して事実報道に徹した様子がうかがえる。

 要は,旧大日本帝国における軍隊のための慰安所は,正式には問題があった。それゆえ,おおっぴらには表面に出せない施設であった。だが,軍が付属施設(既述にあった表現だと「後方施設」)として業者に委託し,管理・運営「させていた」慰安所には,実際に使役されていた〔性的に奉仕させられていた〕朝鮮人女性が何十・何万人も存在していた。いいかえれば,「そこに実在した」「主体的な人間女性商品」=「実態としての軍・性的奴隷」の歴史が実在していた。この事実から目を背けるわけにはいかない。

 補注)なお,植村 隆が櫻井よしこなどを相手取って,従軍慰安婦問題をめぐる彼女らの言論行為を裁判所に訴えた提訴は,植村側の敗訴に終わっていた。だが,この裁判は,すでに触れていたとおり「国策裁判」であった。裁判所・判事たちが政権中枢へのソンタクをおこなっていた。

 ここではくわしく説明しないが,櫻井よしこ側は自分たちがその裁判に負けなかったと強がりの虚勢を張っていたが,実質は敗訴に相当していた。櫻井はジャーナリスト出身の極右オバサン運動家であり,その極右翼界ではマドンナ待遇を受けている。

 もっとも,いまはもうだいぶ年齢であって,往年の取材力は低下一途であったらしく,植村 隆との裁判では,一定のボケもしっかりとかましていた由……。

 最近では自民党総裁選に対して早速,口出していた。つぎの画像資料は2021年9月20日の『日本経済新聞』朝刊に出稿していた意見広告。きっと,高市早苗を応援しているつもりと判断する。

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  む す び

 首都大学東京宮台真司が解説を付けてあらためて公刊した,マグヌス・ヒルシュフェルト,高山洋吉訳『戦争と性』明月堂,2014年6月がある。本書はもと,世界性学全集第1巻『戦争と性』河出書房社,1956年として公刊されていた。

 その内容は「戦争と軍隊,性と女性の社会史」を本質論的に考察している。従軍慰安婦の問題,それも日本帝国と慰安婦の問題だけでなく,世界史における軍事問題との関連で性・女性との関連を考察している。

 従軍慰安婦問題が旧日本軍においては「強制性がなかった」から〔と根拠もなく決めつけておき〕,この問題が歴史上においてなかったかのように,あるいはとくに重大性のない問題であったかのように論じる者は,その視野の狭さだけでなく,自分たちの「歴史の問題に対する無知な立場」を恥じるべきである。

 また,バーン&ボニー・ブーロー,香川 檀・家本清美・岩倉桂子訳『売春の社会史-古代オリエントから現代まで-上・下』筑摩書房,1996年も必読である。本書は慰安婦問題に関して,一国内の狭い視野でする議論ではなく,世界史的な眺望でする考察をおこなっている。

 J・G・マンシニ,寿里 茂訳『売春の社会学白水社,1964年は「売春」の定義に関連するこういう記述をおこなっている。

    およそ,ひもが女を支配するのには,性関係がその基礎となることはない。ある場合には,自分のために働かせている女と顔を合わせることも稀で,身の安全を図るためには,誰ともいっしょの場所で生活しない。

 

  要するに,ひもは骨折り仕事や危険は避け,気力もない,卑劣で残忍な男である。ひもは売春婦に対してなんら同情心などもちあわせず,暴力を振るっても女のほうは刃向かえないことをしって女たちを軽蔑し,自分自身が叩きのめす規則そのものになる。

 

 ひもにとって,女は家畜である。…… ひもという存在は,「自分の手を濡らす」ことを望まない男なのである(105頁)。

 この引用した文章において,国家(大日本帝国)と軍隊(帝国陸海軍)を,どこに当てはめ,入れ替えて読みかえればいいかは,たいしてむずかしくない。

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