従軍慰安婦問題の本質(6)

              (2014年8月4日,更新 2021年9月23日)

 「本物の▲ソ」が目▲そ・鼻▲そを笑う,コッケイにもならない軍・性的奴隷(従軍慰安婦)否定論の完全に倒錯したその感覚,事前に意図された鈍感さに表出されつづけてきた「ねじれ切った〈歴史感覚〉」,ともかく,隣国:中国や韓国(そして北朝鮮)とが関係する歴史と政治の話題になると,とたんに,ただ引きつった表情でしか議論できず,しかも感情を剥き出しにした」一辺倒の反応ばかりみせつける無識者集団の実在

 

  要点・1  「軍・性的奴隷問題の歴史と本質を考える」ためには,じっくり落ちついた省察が必要

  要点・2 この「美しい国」の矜持(誇り)をけがす発言をしてきた「何流かのエセ知識人の本性」は,「従軍慰安婦問題」に関してなにかモノをいう段になると,突如「ボロ」を出す


 『SAPIO』2014年9月号

 本ブログ筆者は,2014年8月4日に発売された『SAPIO』同年9月号の新聞広告をみた時に強く感じたのは,その目次内容に付されている表現の汚さ・えげつなさであった。それでも,こうした「一種の雄叫び」(「オオカミの遠吠え」に似た感情発露)に大いに共感しがちな世相に注目しておく余地があった。

 そうした時代への理解は,「現代における日本社会」のなかに鬱積する「政治的欲求不満」「経済的貧困」「社会的窮状」などを総合的に吟味するまでもなく,すでに「後進国への逆路」を確実に歩みはじめている「この国の一部の特定の人びとの情動要因」を,真(バカ)正直に反映させたものと観察できる。ここでは,その『SAPIO』2014年9月号の表紙を画像で紹介しておく。

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 面白いといってはなんだが,たとえば『朝日新聞』2014年8月4日朝刊の場合,この『SAPIO』9月号の新聞広告(当該のこの新聞広告の画像資料はここには出していないので念のため)の,すぐ上部に接する「配置の関係:紙面の構成」でもって,「韓国,慰安婦の『白書』発刊へ 河野談話検証に対抗か」という見出しの記事が出ていた(上の画像に出ている広告内の文句とは異なるので,この点も念のため)。そして,こちらの記事の本文は,こう書いていた。

 韓国政府は〔2014年8月〕3日,来年末を目標に旧日本軍慰安婦問題の「白書」を発刊すると明らかにした。被害の実態などを総合的に整理・分析し,問題解決に役立てるとしている。安倍政権による河野談話検証などの動きに対抗し,国際世論に訴える戦略の一環とみられる。

 

    女性家族省によると,韓国政府は1992年に慰安婦問題に関する報告書をまとめたが,今回はその後にみつかった資料や研究成果などを土台に被害実態などをあらためて分析。韓国側の論理と証拠資料を提示し,解決方法を模索するために基礎となる材料として活用するとしている。

 

    とくに,慰安婦の制度が人道に反し,国際法的に明白な犯罪行為であることを示していく方針だという。執筆するのは日韓関係の研究者や外交,国際法分野など の実務者らで,関係省庁や民間の委員からなる諮問団も構成する。また,慰安婦問題を国際社会にしらせるため,英語や中国語,日本語などさまざまな外国語に翻訳する。

 

    韓国政府は河野談話の検証について強く反発しており,外交省が6月下旬にホームページに反論を掲載するなど,国内外に日本側の見解の不当性を訴えてきた。今後も「人権問題」として国際社会への訴えを強め,日本側に解決を迫っていくとみられる。(ソウル=貝瀬秋彦)

 

  強姦という問題とババア発言の問題

 1) 性の問題-生殖力じたいの問題と男ならびに女の人生行路-

 前記に触れた「新聞広告のなか」には,曽野綾子が左下部分に写っていた。さて,彼女の配偶者である三浦朱門がこういったのは,有名な話である。それは「男として恥ずべきこと」は「女性を強姦する体力がないことである」と発言したもので,女性に譬えていえば「閉経期を迎えた女性は〈恥ずべきこと〉だ」というのに似ている。

 くわえて,自分以外の者に対しては,いわば満遍なく誰に対してでも完全な人間差別主義者である石原慎太郎が2001年12月,こういっていた。「閉経して子どもの産めない女が生きているのは無駄」。この発言に対しては「女性の尊厳を否定し,差別と排除をあおる」として都内在住・在勤の女性131人が損害賠償と謝罪広告を求めて提訴していた。

 問題となった慎太郎のこの発言は『週刊女性』2001年11月6日号に掲載の記事「独占激白 “石原慎太郎都知事吠える!” 」におけるものであった。そこで,石原知事はつぎのように発言していた。

  「これは僕がいっているんじゃなくて,松井孝典(注記:東大名誉教授の惑星学者。しかし,松井氏は実際にはこのような発言はしていない。したがってこの説は石原知事個人の考えと解釈すべきである)がいってるんだけど  “文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”  なんだそうだ。 “女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”  って。

 

     男は80,90歳でも生殖能力があるけれど,女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が,きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは,地球にとって非常に悪しき弊害だって……」。

 いくらなんでも,そこまでいっていいのか? 男の場合,80歳代,90歳代になったら性的能力がなくなっているほうが,ふつう(圧倒的にそう)である。60歳ないしは70歳を超えたらその任務が終了になっていたという男性もいくらでもいる。最近は,若くてもその能力が低下傾向にあるというのが,最近の「性」関係をめぐる医学的な事情である。

 もっとも,石原慎太郎は自分のことには触れていないので,2014年当時で69歳(1932年生まれ→2001年)の時の「自分=シンタロウ」が,はたして,そちらのほうがどうであったか」については,よくしりえない事情であったが(個人情報!),それにしても品位も品格もなにもない元作家知事は,いつもながらとはいえ,強烈に下品な放言を意図して放っていた。

 要は,下劣に女性を差別する「観念」の根性ばかりが,前面にむき出しになっていて,ひたすら感情的に煽りたい語り方であった。最近〔2014年のこと〕の問題でいえば,民主党最後の野田佳彦政権のとき,現在のように尖閣諸島問題で中国との紛争を起こさせる原因を提供したのが,この慎太郎であった。それもこれも,下手をすると戦争事態を呼びこみそうな危険な発言・行動を平気でするのが,この男であった。

 それでいながら,東京都知事を努めていた時期の石原慎太郎は,都内地区にある米軍関係施設や,とくに横田基地の返還を,口先だけではカッコ(威勢?)よく要求していたけれども,都知事であった彼1人の力ではなんともしがたい結末に終わっていた。このあたりに関する反省の弁は,その後において〔2021年9月の現在でも〕聞けていない。もともとひどく身勝手なオトコであった。

 アメリカに対してあれこれと, “No !” といえるだけの勇気があるのは,それじたいとしては,たいそうけっこうなことである。だが,肝心な詰めの段階になると,いつもへっぴり腰に終わっていて,なにも実現することもないままに放置するのが,彼の得意技であった。
 
 2021年9月23日 補注)石原晋太郎は,出版物の「No!」シリーズの共著を,つぎのように公表していた。

 盛田昭夫共著『「NO」と言える日本』光文社,1989年。

 渡部昇一・小川和久共著『それでも「NO」と言える日本-日米間の根本問題-』光文社,1990年。

 江藤 淳共著『断固「NO」と言える日本』光文社,1991年。

 マハティール共著『「No」と言えるアジア 対欧米への方策』光文社,1994年。

 市川 周共著『宣戦布告「NO」と言える日本経済 アメリカの金融奴隷からの解放』光文社,1998年。

 一橋総合研究所共著『「アメリカ信仰」を捨てよ 二〇〇一年からの日本戦略』光文社,2000年。

  これら共著による石原晋太郎の訴えは「横田基地」返還問題が未実現である現在までの状況経過をみても,空振りないしは空回りになっていた言説である。

 ただし,石原慎太郎のそうした意見・要求とは,直接にはなにもかかわりがないかたちで,在日米軍基地のほんのごく一部だけは返還されてきていないわけではなかった。最新の報道としては,たとえばつぎの記事が出ていた。冒頭の2段落のみ引用する。

       府中基地跡地 通信施設米軍から返還 ★
 =『読売新聞 オンライン』2021/09/11 05:00,https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20210910-OYTNT50164/

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 府中市府中基地跡地にある在日米軍の「府中通信施設」が,今月末までに全面返還されることが決まった。通信施設は,市内のほぼ真ん中にある府中基地跡地の留保地(約14.9ヘクタール)内にあり,長く未利用だった広大な土地の活用に向けて大きく前進した。

 

 市政策課などによると,8月5日の日米合同委員会で,府中基地跡地で米軍が通信施設として使用している建物や敷地(約0.78ヘクタール)のほか,ケーブルが埋設された地役権部分なども含め,9月末までに日本側に引き渡すことで双方が合意した。

 ところで,1ヘクタールとは1万平方メートルであり,100メートル × 100メートルの面積ということになる。日本中にある米軍基地(実質,アメリカ属国下の日本が占領されている国土)のうちでいえば,そのごくわずかであって,体毛にたとえれば男性の胸毛数本分くらいか?

 沖縄県には米軍基地がワンサかとあって,こちらの返還は,いったいいつになったら「本格的に」なされるのか皆目,不詳である。もっとも本土の4島にある米軍基地も同様であるが……。

 2) 強姦是認発言

 曽野綾子の夫:三浦朱門(1926年1月生まれ)に話題を戻す。三浦が1985年4月(~1986年8月),文化庁長官に就任していた時期の話題であるが,彼はこういった。

 「女性を強姦するのは,紳士として恥ずべきことだが,女性を強姦する体力がないのは,男として恥ずべきことである」との雑誌での文章が,東京・強姦救援センター(田島直美代表)などから抗議を受け,6月20日参議院文教委員会で粕谷照美議員から追及され,「売文業者として一種のだじゃれのつもりだったが,いろいろな点において書き間違った部分があると反省している」と陳謝した。

 補注)「一種のだじゃれ」と弁解していたが,ダジャレにもなりえないヘリクツを開陳していた。だじゃれとは別次元というほかない言語・表現の問題が控えており,三浦朱門はずいぶんと雑なだじゃれ「感」をひっけらかしていた。

 三浦朱門は,『シティランナー』(1984年12月号),『SAY』(1985年5月号)などで,「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきことだが,強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」であり,「レイプ犯人が……貞操についてルーズな思想の持ち主を襲ってくれればよいのです」と,「女性蔑視発言」をあからさまに放っていた。しかも,これが「一種のだじゃれ」でありうるのは,売文軍業者の立場としてはしかたがなかった〈筆の滑り〉であったかのような申し開きをしていた。

 当時も多分,配偶者としての朱門(59歳の時)には,まだ勃起能力があったと推測しておくとして(!?),その女房(曽野綾子)は,『SAPIO』9月号に寄稿した文章の見出しを,「障害者を “善意” 連れ回すのは,“強制連行” である」といった具合に付けてもらっていたが,従軍慰安婦にもかかわって旧日本帝国時代における強制連行問題の事実史を,いかにも意図してまぜっかえし,否定したいかのような底意(真意)をみせていた。

 さらに河野談話に関しては上坂冬子(本名:丹羽ヨシコ,1930年6月10日~2009年4月14日)が,1993年9月2日の『産経新聞』朝刊「正論」欄に寄稿し,同年8月23日に細川護熙首相が述べた「日本が侵略戦争を行った」という発言に関連・比較して,こう述べていた。

 「なんと粗雑にして迂闊な発言であろうか」と批判してからさらに,細川発言との比較で宮澤改造内閣官房長官河野洋平従軍慰安婦に関する談話を引き合いに出し,「近年,稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ,同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて,見事な和解にこぎつけている」と,評価していたのである。

 補注1)最近〔ここでは2014年8月ごろのこと〕になってこの河野談話がとりざたされている。要は気に入らない・見直せ(撤回しろ)という主張である。(⇒なお,その後においてはこの主張に沿った方向で解釈の変更がなされた)

 補注2)上坂冬子従軍慰安婦問題に対する発言については本ブログ筆者から,つぎのような反批判を提示しておいた。上坂はこれにまともに答えられるか? 当方の独断となるが,おそらく無理だと判断しておく。

    慰安婦問題そのものを批判した上坂冬子氏の主張の誤謬 ☆

    a)従軍慰安婦」は韓国人女性に対する人種差別ではない。→戦時中,朝鮮半島出身の女性は日本人であったから。

     ⇒これは形式と実質を故意に識別せずに混濁させた誤論である。植民地にされていた国の人びとに対して「人種(民族)差別がなかった」という歴史認識は,倒錯的で強引な誤りでなければ,みずからの無知を存分に(なんとも恥知らずに)さらけ出している。一般論でいっても,植民地に対して差別や偏見がなかった宗主国など,一国たりとてなかった。常識というか,それ以前の無理解を臆面もなく晒していた。

    b) 日本の朝鮮支配は国際社会で了承された「併合」であって「横暴」ではない。

  ⇒帝国主義諸国による植民地支配を正当,合法であった認めるという理屈,その19世紀的な国際政治力学「是認」の姿勢あるいは感覚そのものが,もとより尋常ではない。当時,隣国を合併した帝国主義国日本の「軍事暴力的強制を横暴でない」といえる神経が,きわめて異様である。こちらも歴史への無知でなければ,意図的に歴史の事実を歪曲したがる精神がむき出しにしたヘリクツの論法になっている。

 補注)要は,政治学・国際関係論の最新になる見地にしたがえば,この上坂冬子のいいぶんは完全に否定・排除されるほかない,きわめて幼稚な発想であり,ごく単純な感情論であった。

 いくら有名・著名な作家の立場からだとはいっても,社会科学的な素養をいっさいまともに踏まえていなかった発言を,勝手気ままにいい放っていた。それは,自分自身に対する異常な過信がなせる言動になっていた。そこまでいいすぎるとなれば,だから無知だったとまで断定されて当然であった。

 せめて生きている時に上坂冬子は,中国や韓国(できれば北朝鮮)に出向いて,「植民地にされていた国の人びとに対して」だが,あなた方の国々を植民地にしていた旧大日本帝国には,もともと「人種(民族)差別がなかった」と公演してみればよかったのである。その公演は実際に実現した舞台となれば,その会場には怒号と非難の大嵐が起こること必死であったはずである。「生きて還れるかな?」という心配までするくらいに,相手方は激高する……。

    c) 裁判はある種の人びと(支援をしていた日本人) が,彼女らを利用して特定の世直しを目論むヤラセである。

     ⇒このようにしか事態を捕捉できないやぶにらみの理解度は,みずからに固有である〈精神の貧弱さ〉を正直に物語っている。日本側に関する「その特定の世直し」がいまだに実現されているとはいえない状況は,その後もつづいているゆえ,冬子さん,草場の陰に居ても「ご安心あれ」。

    d) あれは混乱していた当時の秩序を維持するための必要悪だった。

  ⇒この論法でしたがえば,米軍による日本本土無差別絨毯爆撃も広島・長崎への原爆投下も,単なる「必要悪」であったといわねばならなくなる。この上坂冬子というオバサン,インテリにしては牽強付会がひどすぎ,我田引水ぶりがきわだってめだち,唯我独尊・夜郎自大・無知蒙昧の度合ときたら並大抵ではない。それらの程度があまりに悪るいすぎる。

 ネット上にみつかる上坂冬子の「若めの時代のお写真」はいずれも好感度を感じとれるが,壮年・老年期の彼女の面相,なんというか「引きつり度合いの高い表情」を浮かべているものもある。

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    ここで,以上に引照した上坂冬子の主張に対して,あらためて反論・批判をくわえておきたい。こういう指摘が説得力があった。

    a) 朝鮮人はみずから進んで日本人になったわけでなく,植民地支配を受け入れてもいない。皇民化政策中,彼らははげしく抵抗していた。

    b) 併合にいたる過程では朝鮮全土で民衆の義兵闘争が,併合後も全民族あげての抗日・抵抗闘争があり,その火は朝鮮解放まで消えなかった。

 c) 訴訟提起はきわめて主体的な意志を必要とする。費やす時間,労力,費用,そして彼女らの年齢を考えれば,その決意の強さは推して測るべしである。また,韓国という儒教社会でみずからが慰安婦であることをしられるリスクを考えろ。

    d) あなたは本当に人間か?

    註記)http://www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/contents/2001/20010709b.html この住所は現在(2021年9月23日)はリンク切れ。

 三浦朱門(夫)にせよ曽野綾子(妻)にせよ,くわえて上坂冬子にせよ,旧日帝時代の感覚をそのまま延長させた「敗戦後の昭和時代」を生きてきたと思わせる。彼(女)らは,なんとはなしに,つまり無意識にそのまま延長をさせえてきたとみなせる。

 「女性を強姦するのは紳士として恥ずべきことだが,強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」(朱門)とは,「女性=被植民地,男性=大日本帝国になぞらえて」おけば,より理解しやすくなる文句であった。戦争(戦場)において女性が強姦されるのは当然であり,しかたないことだと是認するかのような理解につながりうる発言を,彼(女!)らは平然と放ってきた。

 旧大日本帝国が台湾や朝鮮(韓国)を植民地にし,これを帝国主義秩序として武力で維持していくために,いったいどのくらいの数の人びとを殺してきたか。三浦朱門曾野綾子,そして上坂冬子,さらには石原慎太郎たちの想像力が,全然およばないちょうな歴史上の出来事・事件であったのか。まさかそのあたりの歴史を彼(女)らは,全然しらないわけではあるまい。

 

  敗戦後における日本国の「性的奉仕」問題

 1) 特殊慰安施設協会

 敗戦直後,特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association;RAA)が組織されていた。

 この特殊慰安施設協会は,第2次世界大戦後,連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた,東京都京橋区銀座7の1(現在の中央区銀座南部)に設置された慰安所である。

 なお,RAAの直訳は「余暇・娯楽協会」であり,日本語の名称とは意味が大きく異なる。この存在が米本国にしられるようになって批判が出てきたため,のちに解散していた。

 このRAAの「設立背景」を説明しておく。以下の背景事情がこのRAAの急な設立をうながし,実現させる背景にあった。

 補注)なお,RAAについては「本稿(その4)」がある程度とりあげ論じてきた。数日前にたまたま読んだ小沢昭一永六輔『色の道  商売往来  平身傾聴  裏街道戦後史』ちくま文庫,2007年には,RAAの幹部関係者(「創立メンバー」と書かれている。同書,203頁)である「鏑木〔清一〕」は,

 自分の著作として,鏑木清一『秘録 昭和のお吉たち 進駐軍慰安作戦』番町書房,1972年も著わしていた。本書の現物は手元にはないので,つぎの画像資料をネット上から調達してみた。ともかく,鏑木のいいぶんは「それこそいい気なものである」。もしかすると,この鏑木に自分の娘がいたら「多分,この娘は良家の子女」ゆえ,その犠牲者にはならなかったものと推察しておく。

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   a) ヨーロッパの戦場で,米軍によるレイプの被害者が1万4000人(ドイツ人女性1万1040人)いたこと。

 第2次世界大戦当時,アメリカ軍は慰安所を設置しておらず,ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし,性交をおこなっている姿をみないで街を歩くことができないほどの状態になったため,ル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したが,アメリカ軍はこれを拒否している。

 b) 沖縄戦では米軍上陸後,強姦が多発したこと。米軍兵士により強姦された女性数を10,000人と推定する見解もある。“In Okinawa, US troops are estimated to have raped 10,000 Japanese women during World War Ⅱ”。

 c) さらに,アメリカ軍が日本に進駐したさい,最初の10日間,神奈川県下では1336件の強姦事件が発生した。占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが,藤目ゆきによれば上陸後1ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害を受けた。

 上記にくわえて,敗戦後の日本国内では,日本軍の海外での行動にもとづいて,「敵は上陸したら女を片端から陵辱するだろう」という噂が拡がっていた。警察の内部報告書は,「掠奪強姦などの人心不安の言動をなすものは戦地帰りの人が多いようだ」と述べている。

 この最後の話題については,「日本人の男は全員が金玉を抜かれる」という追加話も添えておく必要がある。この話を口にしたのは「戦地帰りの人が多い」ということであった。

 とくに侵略していた中国で,日本軍将兵がなにをやってきたか。この事実を身をもってよく覚えているからには,つまり,自分の身体でもよくしっていた帝国将兵男児たちは,敗戦後における日本本土においても必らず同じような出来事が起こるだろうと,非常に心配をしていたのである。

 2) 戦争と女性

 以上の話は,第2次世界大戦が終わりに近づいたころ,ソ連軍がドイツに侵攻していた過程やベルリン(東ドイツ地域)占領期において,そして旧満洲に侵攻してきた時期以降,いったいどのくらいに,ソ連兵がドイツ人や日本人の女性などをレイプしてきたかという事実も,ここで補足説明しておく必要がある。こちらの話になるとその犠牲者の数は何十万人から百万人の単位・次元になっていた。

 戦争の歴史のなかで女性が強姦される問題は〔もっともRAAでは日本人男性が米軍女性将兵用の慰安夫に動員されてもいた--こちらは公募されていたが(ただし,ほんのわずかな実例)〕,普遍的に発生している事実であるから,問題にするような出来事ではない,という主張もありうる。

 つまり,「あんたのほう」でも「あたいのほう」でも現実に発生していた出来事であるから “おたいがいさまじゃないか” ,そうした事情はいつの時代でも「よくあることだよ」というのが,従軍慰安婦〔軍性的奴隷〕問題の存在を否定し,無視するための素朴な理屈である。

 彼らのそうした無神経な理屈で歴史を回顧するとき,善悪の判断は不要・無用となる。戦争が起きたときは「強姦(レイプ)」は当然だという価値観が,それも全面的に正当性をもつかのように主張される。

 作家の三浦朱門・綾子夫婦や上坂冬子にあっては,作家としての才能はもちあわせていても,人間としての最低の感覚としての道徳心・倫理観は不在であった。ましてや,この種の価値観の欠落が,進んでは「国家観の問題次元」にまで昇華していくのだから,知識人でもあるはずの作家(小説家)の立場をめぐる思想としては,おそろしいほど,「同じ人間に対する想像力」というものを欠如させていた。しかもその欠如の具合ときたら,彼らのとくに小説家としての基本的な資質を疑わせるほどにまでひどく悪性であった。。

 自国が戦争に負けてしまい,他国の軍隊に占領支配された状況になったとき,自分の娘や女房が実際に,敵軍の兵士たちから「強姦・レイプされて」喜ぶ者などいない。そういう場面に遭遇したときには,きっと憎悪だけでなく,その相手に対する殺意を抱くほかなくなるはずである。それとも仕方がないと「日本男児」はいじけてしまい,うずくまっているだけであったのか?

 敗戦直後において米軍(GHQ:一部に英軍もいたが)に占領された日本であった時期は,女性たちがそういう被害に遭っても〔ひどい目に遭わされたこの当人とともに〕泣き寝入りさせられていた「男ども」が,いないわけではなかった。その期に及んで否応なしに巻きこまれた男の立場としては,自分が「殺されなかっただけでも不幸中の幸いであった」とみなされる事例がなかったわけではない……。

 補注)本ブログ筆者が聞くことができた「いまとなっては昔の話」では,近所のお姉さんが米軍の妻となってアメリカにいく前,実家にその夫となる兵士が彼女の家族たちにあいさつに来たところ,当時はまだ昭和20年代後半であったわけだが,近所のガキどもが蝟集し,もの珍しく見学していたという風景になったとのことであった。こうしたふうに「ごくふつうの男女の交際」となって,その段階を経てから,アメリカ兵を夫にした日本人女性も多数いた。

【参考記事】

 しかし,あえて比較してみるに,RAAで売春を仕事にして働いた女性の数のほうが,上に出ている数字:4万5千人より多かった。その計算をする根拠・事実は,以下の記述から読みとれる。延べ人数としてほぐして計算される余地もあるゆえ,RAA施設において展開されていったその人数は,10万人は下るまい。

 占領軍慰安婦の持ちかけがお上からだされたのは敗戦直後の〔1945年〕8月21日,RAAの誕生とともに26日には慰安婦の徴募がなされ,28日はRAAが皇居前で誓詞をなし,同日は厚木進駐の米兵に小町園が開所した。

 補注)原典の註記によれば,横浜の小町園とあるが,ドウス昌代著『敗者の贈物-特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』講談社,1979年(⇒のちに『マッカーサーの二つの帽子』1985年と改題)によれば,大森海岸にあったという 。

 

 RAA発表による占領軍慰安婦は,昭和20年11月まで2万人,最盛期7万人,閉鎖時の昭和21年〔1946年〕3月27日,5万5千人であり,閉鎖は性病兵が増えたという米軍側の主張によった。

 

 日本帝国の歴史に,千歳に残る烈婦たちであったが,結局,米軍兵士のための慰めごとに費消された彼女らは,RAAから追い出された慰安婦たちは、巷にほうり出されて街のバンバンになった』。

 註記)「函館にもいた夜の女たち-国策で誕生し捨てられたパンパン物語-」『函館東高等学校史料集』http://www.green.dti.ne.jp/seiun-dousoukai2/panpan-monogatari.html

 補注)このように「彼女ら」を「烈婦」などと事後的に持ち上げる筆法は,わざとらしい形容であり,格別にイヤらしさを紛々と発散させる筆致であった。

 アジア・太平洋戦争の時期,とくに日中戦争の時代以後において,日本軍の兵士たちが中国の人びとに対する暴虐,それも強姦(レイプ)の問題となれば,凄まじいまでの数を犯してきた。それでも戦争(戦地)での「事象」なのだから,どの時代でも・どの土地でも起こりうるひとつがそれだなどといって,口先だけで済まして片づけられる問題ではあるまい。

 3) 沖縄の問題

 1995年9月4日,沖縄県で米兵による少女暴行事件が発生した。沖縄県に駐留するアメリ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が,12歳の女子小学生を拉致し,集団強姦する事件を起こしたのである。 この沖縄少女暴行事件は,県の面積の1割を米軍基地が占める沖縄で起きていた。

 1972年の日本復帰以降も米兵による事件・事故が続いていた。とくに1995年に起きた3人の米兵によるこの少女暴行事件は反基地感情に火をつけ,抗議の総決起集会には約8万5千人が参加した。この動きが1996年の日米両政府による米軍普天間飛行場の返還合意につながったとされている。

 註記)http://kotoba.asahi.com/kouetsu/2011120300003.html

 補注)米軍普天間飛行場の返還合意の実際の実現はまだなっていない。事件から20年近くも経っているにもかかわらず,である。今後におけるその決着・実現の見通しもついていない。

 たしかに戦争の問題のなかで女性が凌辱される問題というものは「歴史普遍的に存在してきた事実」である。だから,いつでも・どこでもある問題(戦争の被害)なのだからといって,そのままで許したり我慢したりするわけにはいかない「歴史の事実」であった。いうなれば,それぞれに発生した事件ごとにすべてが,けっして我慢などできない「特殊な事情:歴史の関与」がからまっていた。そうした,それぞれの「歴史の事実」なのである。

 とりわけ,旧日本軍が従軍慰安婦の問題を記録してきたと批判する韓国のほうとて,日本と同じようにアメリカ軍用の性的奴隷を提供しているではないか〔同じ穴の狢だ〕と悔しまぎれにいいかえすのは,目くそ鼻くそを笑うどころか,そのように開き直った反発の態度じたい,もっと汚い「クソそのものにまみれた見地」からする,まさしくヤケクソ的な反論にしかなっていない。

 

 なお,いのうえせつこ『占領軍慰安所-国家による売春施設-』新評論,1995年は,「敗戦直後,日本政府が全国各地につくった占領軍のための「慰安所」とは何か! 戦後50年,従軍慰安婦問題との相関を明らかにした迫真のルポルタージュ」であると宣伝された本であるが,この目次の章立てを,以下に紹介しておく。

  第1章 占領軍慰安所との出会い
  第2章 神奈川県の占領軍慰安所
  第3章 横浜の占領軍慰安所では

 
  第4章 藤沢遊廓も占領軍慰安所
  第5章 一枚の写真が慰安所閉鎖に
  第6章 佐世保,長崎の慰安所


  第7章 ヨコハマのリリーさん  
  第8章 資料に見る占領軍慰安所
  第9章 占領軍慰安婦を描かなかった理由

 本書の末尾には,こう書かれている。「戦争の女の性」。戦争が男性による闘いであるかぎり,「女の性」もまた,略奪物であった歴史は古い。戦争に勝つことによる報酬のひとつが「女をものにすること」であった(230頁)。

 現代の軍隊には女性兵士もいる。戦争事態のさい最前線に女性を送る構想も,もうすぐ実現化しそうである(アメリカ)(2021年時点でいうと,すでに実現していたが)。

 また,旧日本帝国将兵のうち,ソ連によってシベリアに抑留された男性のうちごくごく少数であるが,ロシア人(将兵)女性に強姦(強沈?)された体験をもつものもいた。

 前述に触れていたが,敗戦後に米軍女性将兵のための男娼が用立てられた事情もあった。

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