『経営学の開拓者たち』2021年4月に関する余論的な話題,昭和30年代に経営学ブームを巻き起こした坂本藤良『経営学教科書』光文社,1958年4月につづいて,翌年11月に柳の下の二匹目のドジョウを狙い,しかも当てていた山城 章『経営』白桃書房も発売されていたという話題

 a) 本日のこの記述は「標題」について,上林憲雄・清水泰洋・平野恭平編著『経営学の開拓者たち-神戸大学経営学部の軌跡と挑戦-』中央経済社,2021年4月,92頁に記述されている以下の段落に関する疑問を述べ,その理由を説明することになる。

 日本経済が高度成長期を迎えて,企業の規模拡大,競争の激化が進展するなかで,経営学という学問領域もしだいに社会的な知名度を高めていった。とくに1958年には,ベストセラーとなった坂本藤良(さかもと・ふじよし)経営学入門』【[87]】,山城 章(やましろ・あきら)『経営』【[139]】などが出版され,いわゆる「経営学ブーム」起こり1960年代まで続いた。

 冒頭に断わっておくと,1958〔昭和33〕年に発行されていた事実にかぎっていえば,坂本藤良『経営学入門』光文社に間違いはないけれども,山城 章『経営』日本経済新聞社が1958年に発行した同名のこの本ではなくて,実は別に,白桃書房が発行していた別のこの『経営』1959年であったから)を,発行年を1958年とするのは間違いであった。

 この1958年とか,あるいは1959年であったという点をめぐり,以下にささいに思えるのだが,けっしてないがしろにされていいはずのない議論がなされていくことになる。

 b) まず,坂本藤良(1926-1986年)という人物を紹介しておく。坂本の生涯全体を通して把握できる〈ひとつの特徴〉は,環境科学研究所会長,日本ビジネススクール学長などを務めた点にみいだせ,「昭和〔戦後〕期の経営評論家であった」と表現できる。

 つぎに,坂本藤良の学歴・職歴を紹介する。1951年東京大学経済学部卒,東京大学大学院経済学部特別研究生〔昭和31年〕修了,慶応義塾大学の商学部創設に参画した。その後,日大,立大,成蹊の客員教授を歴任し,とくに原価理論の学問的業績が国際的にしられ,なかでも『経営学入門』1958年で “経営学ブーム” を巻き起した社会科学者である。坂本は,経営学の研究者として幅拾い独創性と才能の持ち主であった。

 補注)この記述が問題とする時期に前後して,坂本藤良が本格的な学術書として公刊した著作が,つぎの2著である。このうち『現代経営学』の簡約版が『経営学入門』であったと解釈することも可能である。

   『近代経営と原価理論』有斐閣,1957年12月。

   『現代経営学中央経済社,1959年2月。

 その後,日本マンパワー社長,日本ビジネススクール学長,日本リサーチ・センター,東急百貨店,横尾製作所の各役員を経て経営評論家として活躍する。この間,自家の事業を引き受けるが,倒産により辛酸をなめた。また,歴史人物研究にも造詣深く,『倒産学』『日本の経営革新』『坂本龍馬海援隊』など著作・評論多数。
 
 c) ところで,本日のこの記述で論点として設定するのは,上林憲雄・清水泰洋・平野恭平編著『経営学の開拓者たち』が末尾の参考文献一覧にかかげている山城 章『経営』が,日本経済新聞社から1958年に発売された経営管理全書」第1巻の『経営』【[139]】として指示されていた点に関する疑問である。

 実業界ではよくしられた出来事であったが,坂本藤良が昭和30年代(1950年代後半,1958年4月)に,日本の企業社会のなかに「経営学ブーム」を起こしたベストセラー『経営学入門』を,光文社から出版していた。

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 『経済白書』昭和31年は「日本経済の成長と近代化」と題し,「もはや『戦後』ではない」(42頁)と豪語していた。そして,このあとを受けるかのようにして,それも光文社が発行するカッパブックスという啓蒙書として発行されたのが,この坂本の『経営学入門』であった。

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 ところで,その後においてはほとんどの人びとの記憶に残らなかった事実として,山城 章が日本経済新聞社から「経営管理全書」第1巻として出版した『経営』1958年があった。そしてさらに,山城がまた別に白桃書房から「体系経営全書」第1巻として出版した『経営』1959年もあった。

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 ここで注目するのは,発行部数では坂本藤良『経営学入門』にとてもかなわなかったものの,当時としてはベストセラーと称賛するのに十分な販売部数を達成していたとみなせる,山城 章『経営』というこの本が,なんども繰りかえすが別途,白桃書房から1959年に発行されていたのである。

 d) 山城 章の,その「体系経営全書」第1巻となった『経営』は,「序」のなかでこう断わっていた。

 本全書は全65巻の大体系をもち,1冊の本の65分冊ともいうべきものである。この最初の1巻としては,入門であるとともに基礎論であることがなによりも重要である。細部にわたって内容を説明する必要もないし,概説する必要もないであろう。

 

 ただ,全65巻全体が完全にひとつの体系のうちに統一され,経営学をあますところなく説述している全書の第1巻として,全巻にわたる総合的理解を可能にすることができるような基礎的入門書でありたいと念願するものである(序,5頁)。

 要は,上林・清水・平野編著『経営学の開拓者たち』が前段に引用した箇所であった記述は,こうなっていたと説明されておく必要があった。

 すなわち,「1958年には,ベストセラーとなった坂本藤良『経営学入門』【[87]】,山城 章『経営』【[139]】などが出版され,いわゆる「経営学ブーム」起こ」ったとする説明は,後者の文献「山城『経営』【[139]】」を,日本経済新聞社が出版した「経営管理全書」の第1巻『経営』に “とりちがえて” 注記していたことになる。

 すなわち,その山城『経営』は本当のところ,白桃書房が「体系経営全書」第1巻として,1959年に発行していた『経営』のほうであった。どうして,こうした間違いが生じていたのかという点に関しては,その原因が以下のように “想定・推測できる” 。

 ※-1 しごく単純にという意味で,日本経済新聞社が1958年に発行した「経営管理全書」第1巻である『経営』を,白桃書房が1959年に発行した「体系経営全書」第1巻である『経営』ととりちがえ,誤認した。そして,当該の注記を書いていた。

 

 ※-2 しかし,うがった観方になる可能性になるのだが,あえていわせてもらうとするが,※-1で指摘したごとき「とりちがえ,誤認」をしてしまった程度にしか,両著の現物をよく確認していなかったのではないか,という疑問を抱く。

 

 なお,神戸大学附属図書館には,その『経営』の「日本経済新聞社刊の1958年:本」と「白桃書房刊の1959年:本」がともに,2冊ずつ所蔵されている。

 e) 坂本藤良『経営学入門』だが,本ブログ筆者のもつ同書の奥付には,昭和33〔1958〕年4月1日に初版を発行して,1964〔昭和39〕年5月1日には,なんと95版まで重ねていた。この売りゆきの様子ときたら,まさしくベストセラーと呼ぶにふさわしいものであった。

 本ブログ筆者は,この『経営学入門』の奥付に「5版」と印字されている現物に接する機会があり,この奥付を複写してとってあった。そこには1958年4月15日で5版発行と印字されていたから,発売当初にかぎっては,2週間のうちに5回も重刷されていた。ものすごい売れ方であった。

 一方で,山城 章『経営』白桃書房は,手元にあるこの本の奥付には昭和34〔1959〕年11月6日に初版を発行したのち,1964年3月26日には35版を発行していた。こちらは,4年と8カ月足らずでこの35刷を重ねており,その間をならして計算すると,ほぼ1カ月に1回の歩調で重刷していた。こちらも相当に売れていた。

 なお,山城 章が日本経済新聞社から「経営管理全書」第1巻として出版した『経営』1958年のほうは,A5サイズで箱入りの体裁をとっており,実業界向けを狙っていた。それも専門書風の装幀にして販売されていた。それゆえ,こちらの『経営』日本経済新聞社,1958年は,『経営』白桃書房,1959年のような売りゆきほどには達成できていなかったと観るほうが,ごく自然な解釈となりうる。

 補注)山城 章『経営』「経営管理全書」第1巻,日本経済新聞社,1958年の装幀を写した画像は,末尾のアマゾン通販の広告画像としてだが,出している。

 また,山城『経営』白桃書房,1959年は新書判サイズであったが,装幀は上製本で「丸背」の作りであり,さらに箱(函)もついていた。通常,新書判は無線とじによる製本であり,箱はつけない。

 さらに,両書それぞれの販売価格--時系列的には当時,本の価格(世の中の物価水準)は少しずつ上昇していたので,前後した時期を通して相互に比較して記録する作業--についても探ってみたく考え,そのあたりについて最低限の情報をえたうえで,なにかを発言できるかと思いついたものの,重版された「各・月年ごとに発行されてきた」「多数の現物の奥付」をいちいちみることは,初めからできない相談であったゆえ,残念ながらそうした「発想をしてみた」と断わっておくだけとしたい。

 補注)くわえては,全国大学の附属図書館で「奥付」に関した情報をえようとしてみたが,初版の発行年・月しか記載されていない。

 f) ともかく,上林・清水・平野編著『経営学の開拓者たち』を一読した時,山城 章『経営』1959年を坂本藤良『経営学入門』1958年と並べて言及していた点は,いままで,斯学界のなかでは指摘する人がいなかっただけに,注目する価値がある感じた。

 しかし,著者が山城 章であった点に間違いはなかったものの,白桃書房が1959年に発行したそれ(『経営』という本)を,日本経済新聞社のそれ(発行年を1年間違えて1958年だと表記された--この年そのものに間違いはないのだが--『経営』という「同じ題名なのだが白桃書房が〈1年あとに〉発刊していた別の本」)ととりちがえてしまったかのように映る記述に関しては,仔細な点とはいえこれに気づいた時は,いささかビックリさせられた。

 以上,グチャグチャした説明に感じられるかもしれないが,極力くわしく関連する事情を説明してきたつもりである。山城 章『経営』,つまり,その日本経済新聞社1958年と白桃書房1959年の両著は,

 日本経済新聞社の前著であるならば,1958〔昭和33〕年が発行年であり,また,白桃書房の後著であるならば,1959〔昭和34年〕が発行年であった。ともかく,その付近で,書名の混同(同じ書名だから「混同」とはいえない!?)と発行年の混乱が,そうしたとりちがえの原因になったかと推測してみる。

 しかしながら,ここまでの記述を通して本ブログ筆者がしてみた推測は,どうも当たっていないと思われる。せっかくの説明であったが,そのようにあえてぶち壊すかのような表現をしてもみる。

 いずれにせよ,『経営学の開拓者たち』の「参考・引用文献一覧」の247頁には,[139]山城 章[1958]経営管理全書  第1巻  経営』日本経済新聞社,と記載されている。それゆえ,以上に推理を試みた点は本当のところ,それほど意味があったとは思えなくなる感じが,生まれなくはないわけではない。

 g) なかんずく,学問研究においては基礎・前提作業となる「文献史的な探索」において不足があったとみなさざるをえなかった「手続上の問題」を,以上のような記述内容をもってこまかく詮索してみた。

 本ブログ内で筆者はすでに,以上の坂本藤良『経営学入門』光文社,1958年と山城 章『経営』白桃書房,1959年とに関しては,つぎの記述をおこなっていた。できれば,つづけての一読を期待したい。

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