社会科学者の研究方途において「満洲国」が有した歴史的な意味が現在にまで連続する事実

              (2014年3月25日,更新 2021年10月13日)

 過去から現在まで日本における「社会科学者の研究方途」に大きく影響してきた満洲国」の歴史的な意味を,21世紀にいまに関係づけて再考するための若干の議論


  中山伊知郎(経済学者)

 中山伊知郎(1898-1980年)は,有名な近代経済学者である。中山は昭和5〔1979〕年,自伝的な回想録『わが国  経済学』(講談社文庫)を公表していた。

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 中山の,この『わが国  経済学』は,こう述べていた。

  戦争といい,敗戦といい,これにつづく急速な成長といい,どれもこれも経済学者にとってはこの上もない大きな体験であった。自然科学では実験ができるが, 社会科学ではそれができないと言われ,それが社会科学の欠点だとされてきた。たしかにこれは自然科学の実験とはちがう。しかし別の見方をすれば,これほど 大きな実験はなかった。経済学者のはたして十分にこれを活用したかどうか,若干の疑問がある(同書,23頁)。

 

  山本安次郎経営学者)

 経営学者山本安次郎(1904-1994年)も,かつて日本帝国のカイライ国家だった「満洲国」における統治・支配を,こう認識していた。

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 従来,社会科学,文化科学,精神科学等と呼ばれる学問は殆んど全く実験から無縁なるの如く考へられて来た。しかし立場を転検して見れば,無縁どころか実験そのものに外ならないことを理解し得ると思はれる。特に満洲国に於てはその感が深い(山本安次郎「満洲に於ける特殊会社の再組織問題」,京都大学『東亜経済論叢』第1巻第3号,昭和16年9月,124頁)。

 戦前・戦中に,旧満洲満洲国で働き実力を付けた人士が日本に戻り,さらに活躍してきたという戦中・戦後の歴史がある。いまの日本国首相安倍晋三の母方の祖父岸 信介は,その代表格であった。

 敗戦後,A級戦犯に指定された岸であったけれども,その後の冷戦構造のために急転した日米関係のなかで命拾いをし,かつては「鬼畜米英」と憎称した敵国〈アメリカ〉の意を汲んで行動する政治家となっていた。

 

  野口悠紀雄と小林英夫

 戦争が終わるととも一気に崩壊した「満洲国」という存在が,当時の日本帝国,あるいは現在にいたる日本国に対して,歴史的にどのような含意=関連性を有していたのか。昨今,社会科学の研究分野ではとくに,この問題が注目されてきた。野口悠紀雄『1940年体制』(東洋経済新報社,1995年,新版2002年)は,日本の「戦時体制が戦後に連続したこと」(16頁)を強調した著作である。

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 最近でも2007年11月に,吉川弘文館から財団法人満鉄会編『満鉄四十年史』が刊行されている。本書は本文編と資料編からなるが,本文編「満鉄四十年史」は原田勝正和光大学名誉教授,日本近代政治史・鉄道史)が執筆している。

 小林英夫『「日本株式会社」を創った男-宮崎正義の生涯-』(小学館,1995年)は,旧「満洲国」を,こう語っている。

 「1940年代に作られたシステムが戦後に引き継がれ,戦前活躍した人物が戦後復活した例は数多い」。

 

 「歴史を詳細にみると戦争中の1940年代に作られたというよりもそれ以前に具体化されていた事例が驚くほど多い。しかもそれは日本本国というよりも当時半植民地もしくは事実上の植民地だった『満州国』で実施されていた事例が多い」。

 

 「『満州国』が『実験国家』と称されるゆえんである」。

 

 「『1940年体制』の骨格をなす『総力戦体制』は,日本に先行していち早く『満州国』で実現された」。

 

 「日本で1940年代に展開された生産力拡充計画も物資動員計画も,そのスタートは『満州国』にあった。したがってそれに付随する諸立法も,日本に先行して『満州国』で立案され実施された」(同書,2-3頁)。

 経営学者山本安次郎の場合,このような問題意識が学問次元にまで高められず,戦後体制にそのまま移行していった点に疑問が生じている。山本はシベリア抑留,この生死の境をさまよわせられる体験していた。

 だが,「個人の問題」と「体制の問題」を紡ぐための「社会科学的な問題意識」を用意できていなかった。そのため,野口悠紀雄や小林英夫の議論とはまったく異なり,単なる「旧満州国賛歌」となるほかない「経営理論の構想」に固執しつづけてきた。

 f:id:socialsciencereview:20200305215401j:plain  小林英夫・画像

 補注)小林英夫の学者としての立場については,裁判ではともかく,早稲田大学当局が「原 朗」から研究業績を剽窃したという事実を認定された事実が軽視できない。小林英夫は多作であったが,その研究者として原点においてすでに汚点をみずから残す行為を犯していた。本ブログ内には,関連するつぎの記述があった。画像の人物は原 朗。

 

  再び,中山伊知郎について

 中山伊知郎は,前掲『わが国  経済学』のなかでさらに,こう記述していた。

 社会科学者のなかには,初め理論学者として出発しながら,年老いて社会学にいったり,広い意味での人文科学に出ていく人が少なくない。パレートがそうであるし,ウィーザーもそうであるし,現に活動している人ではハイエクがそうである。

 

 ハイエクが『資本の純粋理論』から『自由の論理学』に関心をうつしたのは,なかでも目ざましい変わりかたで,かつてのハイエクを知る人々のあいだでは少な からず惜しまれている。少なくとも私どもが若いころは,そういう変化は年齢のせいで,理論的な推理力が失われたからだといわれていた。

 

 しかし,自分が年をとったからいうわけではないが,どうもそうではないらしい。経済学などというもともと人間に近い学問には,経験を重ね,歴史から学ぶところが多ければ多いほど,やがて広い意味での社会学人間学に発展していく必然性があるらしい。たとえばシュムペーターの体系が,1908年の『理論経済学の本質と主要内容』から1942年の『資本主義・社会主義・民主義』まで,あたかも小さい川が流れるままに方々の水を集めて大きな川になるように発展していったのは,その適例である。

 

 シュムペーターは,その間に1912年に『経済発展の理論』を刊行しており,発展というものが,一方で「新結合という理論的な内容」,他方で「技術革新という歴史的な内容」,それを合わせてもっていなかったら,その体系が大河のような成長をみせることはなかった(同書,23-24頁)。

 

 吉武尭右(吉武孝祐会計学者:経営分析論専攻)

 だいぶ以前のことだが,お弟子さんをとおして,吉武尭右(よしたけ・ぎょうゆう)という大学の先生をしった。この先生は,東大経済学部出身,住友本社に勤務したのち,大学教員になった人である。この先生の著作を年代順に列記する。

 『經營能率分析-経営分析の根本問題-』ミネルヴァ書房, 1957年。

 『原価分析-日本資本主義企業分析の一指標-』有斐閣, 1961年。

 『経営診断-企業批判の新しい眼-』三一書房, 1961年。

 『経営の見かた考えかた』有紀書房, 1963年。

 『科学的経営分析』中央経済社, 1966年。

 

   ※『考える経営学経営学人間学である-』雄渾社, 1968年。

   ※『企業分析の哲学-会計計算思考からの脱皮-』同友館,1979年。

   ※『いま企業に問われるもの-管理主義思考からの脱皮-』同友館,1982年。

   ※『企業分析の指標-伝統的信用分析からの脱皮-』同友館,1982年。

   ※『仏教による経営革新-ビジネスに人間性を求めて-』ソーテック社,1987年。

 実は,中山伊知郎がさきに説明した「社会科学者の研究方向」に関して発生する変質の,いいかえれば「経済学などというもともと人間に近い学問には,経験を重ね,歴史から学ぶところが多ければ多いほど,やがて広い意味での社会学人間学に発展していく必然性があるらしい」その実例を,この吉武尭右(孝祐)の著作一覧にもみてとることができる。筆者はそういいたいのである。

 ※を付けた吉武の著作は,社会科学者の研究展開に発した「その種の必然性」を明証している。吉武は,中国が市場経済化の方途を打開する意向を固めた時期,この中国を訪問したさい,前掲文献のうち「※の付いていない著作」に関する「教授を乞われた」のだが,本人の関心は「※の付いた著作」の領域に完全に移動していたため,双方の話が噛みあわなかったということである。

 しかしながら,社会科学者の研究展開においてその関心が広がり,深まり,歴史や社会,人間のほうに向かうことは,「専門馬鹿」とも称される学者商売における,たしかな「転換=脱皮」を意味するのではないか。

 吉武いわく,日本はいわゆる「経済大国」ではない。「企業大国」にして「経済小国」である。あるいは「商売一流,経済二流の国ニッポン」である(『仏教による経営確革新』1987年,22頁)。

 この見解は,2014年のいま,あらためて聞いても至言である。一方で,私企業のトヨタ自動車が営業益2兆4千億円を上げるけれども,他方で,国家財政における現状の年金問題は崩壊の瀬戸際に立たされている。

 【付 記】  この記述は最初,2008年3月中に記述されていたが,その6年後においても,陳腐化しなかった中身がある。しかし,トヨタの業績そのものはものの見事に回復していたが,これには円高の影響が,大雑把にいって半分はあり,その質的な意味は異なる。

 【付 記:続】 この記述はさらに,13年後になる「いま:2021年10月」に再度,復活・再掲したわけだが,その後におけるトヨタの業績じたいはさらに堅実に伸長してきた。だが,このトヨタ(自動車)が世界に冠たる地位として占めていた「製造業の地位」はすでに終わっている。つぎのランキングをみたい。上位10番にさえ出てこない。

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