学校法人日本大学の理事背任疑惑事件を通して再確認できる相撲界出身者のだんまり戦術,今回も理事長田中英寿は「知らぬ存ぜぬ」で一貫してトボケまくり逃げたいのだが,はたしてそれでは理事長職を務めている人間の所業とはいえまい

 日本相撲協会(現在は公益財団法人)は,日本の伝統であるという相撲道を誇りにしている,だが,なにかと皇室との近さを売り物にしてきた割には,八百長事件の確固たる歴史を背景にもちつづけており,そのうえで相撲商売を成立させている事業体である,この同会の特質は「日大の背任事件」の発生にも通じるものがあった


 「日大理事長を任意聴取 背任事件への関与,捜査  東京地検朝日新聞』2021年10月14日朝刊31面「社会」

 日本大学付属病院の建て替え工事をめぐって大学の資金2億2千万円が外部に流出したとされる事件で,東京地検特捜部は〔10月〕13日,田中英寿・日大理事長(74歳)から任意で事情聴取した。田中氏の聴取は側近の理事らが背任容疑で逮捕されてから初めて。特捜部は不透明な金が田中氏にも流れた可能性があるとみており,資金流出への関与や金銭授受について確認した模様だ。

 補注)最初から断わっておくが,理事長が自身の指揮下にある理事の1人が起こした不祥事(背任疑惑)に対して,一貫して「オレはしらない,その理事が勝手にやったことだ」というふうな口調で応えてきた。この理事長としての田中英寿の態度は,即刻「失格,ただちに辞職すべし」という感想しか出てこない。

 本日のこのブログが記述するのは,そうした田中英寿理事長の「明らかに無責任というか責任回避」でしかない「これまでみせてきた大学経営者としての態度」は,摩訶不思議だなどという以前に,そのような基本の精神ではもともと理事長しての責務をになえるわけもなかったと断言できる。

 しかし,そうした人物が日本で最大の私立大学において長期間,最高経営者であったとなれば,今回のごとき背任事件が起きた点は,まさに「この理事長がいて,あの理事もいた」というふうに観察される。

〔記事に戻る→〕 特捜部は〔10月〕7日,日大理事・井ノ口忠男容疑者(64歳)と医療法人「錦秀会(きんしゅうかい)」(大阪市)の前理事長・籔本雅巳容疑者(61歳)を逮捕し,田中氏の自宅を9月8日に続いて家宅捜索した。

 田中氏は最初の捜索直後に2回聴取を受け現在は持病の悪化を理由に入院している。田中氏は周囲に,資金流出の経緯は「しらない」と述べ,両容疑者からの金銭提供も否定しているという。事件について「日大に損害はないのでは」とも話しているという。

 補注)この理事長の態度は子ども並みである。「日大に損害はない」という理屈も不可解という以前に,故意にトンチンカンな痴性を演技しているのかという具合に受けとれる。すでに今回における日大の事件に関する報道はたくさんなされているが,これを読んで「日大に損害はない」などと,そもそもあえりない想定を自分なりに断言できるこの理事長に対しては,呆れる。

 日本大学事業部がかかわったと疑惑をもたれている事件は, 日本大学の付属病院の建て替え工事をめぐって2億2千万円の日大資金が外部に流出したとされる1件であったのに,田中英寿理事長はまるで明明後日(シアサッテ!)のほうを向いた返事をしている。この人,本当に学校法人日本大学の理事長なのか?

 特捜部の調べや関係者の話によると,井ノ口容疑者が取締役を務めた日大の子会社「日本大学事業部」は,板橋病院の建て替え工事の設計・監理業者を選定する業務を日大から委託された。井ノ口容疑者は,評価点を改ざんして都内の設計事務所を選定。日大から約7億3千万円の着手金が支払われた事務所に指示し,2億2千万円を籔本容疑者が出資した実体のないペーパー会社に2020年8月に送金させたという。

 翌9月には錦秀会の関連会社から井ノ口容疑者の知人側の会社に6600万円が送られ,井ノ口容疑者は最終的に計2500万円を受領した。籔本容疑者はペーパー会社の株主として1億円の配当をえたという。

 特捜部は両容疑者がみずからの利益を図って日大に2億2千万円の不要な支出をさせた疑いで調べている。両容疑者は逮捕後の取り調べでも容疑を否認。特捜部は田中氏への金銭提供についても聴いているという。

 田中氏は保健体育事務局長などを経て2008年に法人トップの理事長に就任した。井ノ口容疑者は名刺に「理事長付  相談役」と印刷する側近で,籔本容疑者と田中氏もアマチュア相撲を統括する日本相撲連盟の副会長をともに務める間柄だ。(引用終わり)

 ここで「日本相撲連盟」を説明しておく。公益財団法人日本相撲協会と同じに,この日本相撲協会も公益財団法人である。

 この日本相撲協会は,日本のアマチュア相撲を統括するとともに,相撲の普及振興などを実施している公益法人であり,日本武道協議会,日本スポーツ協会,日本オリンピック委員会,国際相撲連盟に加盟している。

 旧所管は文部科学省であった。また,笹川陽平が会長を務める日本財団--資金源は賭博としてのボートレース事業のあがり--の支援を受けている。大相撲を統括する日本相撲協会とは別法人であり,活動内容: アマチュア相撲競技の主催機関である。

  本日の話題は,実質的には営利事業を興行している日本相撲協会とアマチュア相撲競技の事業の展開を使命とする日本相撲連盟とは,ひとまずまったく別組織であって,その目的とするところも基本的に相違する点に深くかかわっている。

 だが,両組織に奥底において通有するらしい,日本の相撲界にかかわる組織的・人文的な特性として,なにがしらが確実に共通する実体があった。それは,いわゆる「相撲道といった用語・用法」を充てて語られれば語られるほど,よりいっそう不可避になる「ナントカ道」というもののなかに潜伏している「特定の話題」であった。


 貴乃花破り理事長再選  八角親方北勝海八百長まみれの歴史」『たっかしーの気ままブログ』2016/03/28 20:32https://amou.blog.ss-blog.jp/2016-03-28-2

 〔この記述は,2016年3月当時のものであった〕 3月28日,八角現理事長(元横綱北勝海)が貴乃花親方を下し,相撲協会理事長に再選されたと報道されていた。

 日本相撲協会は〔3月〕28日,東京・両国国技館評議員会と理事会を開き,八角親方(52歳)=元横綱北勝海,本名・保志信芳,北海道出身=を理事長に再選した。任期は2年。理事による互選のすえ,貴乃花親方(43歳,元横綱)との一騎打ちを制した。

 協会は今年1月末の役員候補選挙で当選した理事10人と副理事3人を,評議員会で正式に選任した。その後,新しい10人の理事による理事会が開かれ,八角貴乃花両親方を除く多数決の結果,6対2で八角親方を理事長に選んだ(出所『毎日新聞』)。

 八角現理事長といえば,「八百長」の言葉が浮かぶ。そちらについて調べてみた。

  (この間の説明段落は割愛)

 a) 八角親方八百長の歴史

 八角現理事長(元横綱北勝海)の八百長疑惑については,以下のような情報があった。

 『新版「週刊ポスト」は大相撲八百長をこう報じてきた』(小学館101新書)を今朝,通勤の電車内で読み始める。夢中になる。千代の富士北勝海の九重コンビが八百長で優勝を続けていたことを確認。ガチンコ(真剣勝負)を続けた大乃国の偉大さをあらためてしる。(午前10:06 · 2011年3月29日)

 また,この様な記事もあった。

 「ガチンコ?  ああ,そっちがやりたいならいいよ」と,普通は “注射” をやっている力士が全ガチンコ力士を返り討ちにしちゃう,という悲しい構図はすっと続き・・・,その結果として千代の富士は何度も優勝,その同門の北勝海も,両者の結果的な連携もあって何度も大乃国の先をいき優勝しつづけた。大乃国は,そのはるか下にいる脇役。

 

 板井も,……大乃国には普段と別人のごとききびしい攻めで「キラー」の名をほしいままにした (出所『見えない道場本舗』)。

 

 どうやら八百長は “注射” と呼ばれているようである。八角現理事長(元横綱北勝海)だけでなく九重親方(元横綱千代の富士)も手を染めているとはしらなかった。

 以上の話題は,相撲に関心のある個人であっても,日本相撲協会の興行,とくに本場所の取り組みにおいては “八百長がつきもの” である,という「歴然たる事実」に触れていた。

 

 「◆コラム◆  八百長は『起こり得る』若林哲治の土俵百景」『時事通信』2008年12月15日https://www.jiji.com/jc/v4?id=dohyouhyakei-0003_200812150003 

 〔この記事は2008年12月当時の報道であった〕 週刊誌の八百長疑惑報道をめぐる訴訟の口頭弁論が〔12月〕3日,東京地裁であり,横綱朝青龍が原告の1人として出廷し,疑惑を全面否定。退廷後,東京・両国国技館で記者団に「正々堂々と(八百長が)ないことを説明した」などと語った(2008年10月03日【時事通信社】)。

 イ) 蔵前国技館のことだったから,まだ昭和50年代だ〔1975年が昭和50年〕。誰かの断髪式だっただろうか,記憶は定かではないが,ともかく花相撲(勝敗が番付や給金に反映しない本場所以外の興行)の取材をしていたら,館内の相撲診療所に高齢の男性が担架で運ばれてきた。取組を観て心臓発作を起こしたのだという。花相撲の取組を観て興奮するものなのか,相撲を生で観るのが初めてだったのか,などと思ったのを覚えている。

 花相撲で発作を起こした人がいたかと思えば,近ごろは,相撲を観ていまは八百長だとかガチンコだとか,しきりに論評する人が増えた。「見解」を求められることもある。『週刊現代』の影響だが,以前『週刊ポスト』がキャンペーンを張っていたころよりも一般の関心が高いのは,時を同じくして相撲界に不祥事が続発したこと,『週刊現代』の記事に対して相撲協会が裁判を起こしたことが大きな理由だろう。

 一連の裁判のうち,朝青龍ら現役力士が原告となったもっとも中心的な訴訟が,〔2008〕12月11日に結審した。判決は来〔2009〕年3月26日。春場所の12日目だ。どんな判決が出るにしろ,終盤の土俵が一段と,さまざまな目でみられるに違いない。

 ロ) 大相撲には,八百長が起こりうる条件がいくつか存在する。力士同士は競争相手であると同時に,共存共栄を図る間柄にある。1年に90日も,あの狭い土俵の上で,ほんの一瞬で決まる勝負におたがいの生活をかけている。ごく限られた人数のムラ社会でもある。1対1の競技だから,工作がしやすい・・・よほど性善説に立たないかぎり,誘惑に負ける者がいてもおかしくない。

 もっともこれらの多くは,他の競技に置きかえても当てはまる。現に,八百長の噂が立つのは大相撲に限らない。工作のむずかしそうな団体競技でさえ,野球ではかつて米大リーグに「ブラックソックス事件」,日本にも「黒い霧事件」があった。サッカーではここ数年,欧州でも南米でも有力クラブなどが処分を受ける事態まで起きている。さらにいえば,談合や密室政治など,同じような話が世の中には珍しくない。

 相撲協会は,1972年に「故意による無気力相撲」を取り締まる規定を施行した。「八百長」という言葉は使っていないが,除名,引退勧告も含む厳罰を設けたことからも,「故意による無気力相撲」がなにを意味するかは分かるだろう。施行直後の同年春場所には,大関同士の一番を「無気力相撲」だと指摘した。1990年代には,頻繁に「無気力相撲」を指摘・公表して注意を促した時期があった。

 十両の翌日の取組発表時間を遅らせたり,前頭や十両の取組をなるべく同じような星勘定の者同士を当てるように組んだり,三賞選考にしばしば「千秋楽に勝った場合」と条件を付けたりするようになったのも,表向きの理由とは別に,誤解を招きかねない取り組みを減らす意味があると,協会員から聞いたことがある。

 ハ) 新聞や相撲専門誌も,かつては率直に批判していた。私が相撲記者になった1980年代前半にもまだそうした記事があり,「大関互助会」などの言葉が紙誌面に載っていた。私も,1988年春場所大乃国北勝海を千秋楽の本割と優勝決定戦で連破して逆転優勝した時,「大乃国の相撲には真剣勝負の醍醐味がある」と書いたりした。

 それでいて,相撲協会が「故意による無気力相撲」の存在を認めたことはない。「無気力相撲」として公表した事例も,「故意による」ものではないとして,厳罰は科さなかった。一線を守りつつ,努力する姿勢は示す。分かりづらくて巧妙だが,少なくとも「故意による無気力相撲」が起こる可能性があるとの立場には,立っていたといっていい。そうして,多くのファンをつなぎ止めてきた。

 そうした流れに照らすなら,『週刊現代』の記事への対応は,やや違った。白黒を付けてやろうと,検察の手を通さない民事訴訟を選び,法廷でも徹底的に突っぱねる・・・提訴当時のトップだった北の湖前理事長(元横綱北の湖)らしいといえばそれまでだが,

 出廷した前理事長は,相撲協会が使い分けてきた「故意による無気力相撲」と「無気力相撲」の区別を明解に説明できなかった。口下手な人柄とはいえ,質問と答えがかみ合わず,被告側にきびしく突かれる結果になった。

 「ない」ことを証明するのは,むずかしい。それも承知で起こした訴訟だし,黙っていれば記事を認めたことになると考えたとしても,まるで起こりうる可能性まで否定するかのようにして裁判所のお墨付きをもらったところで,解決する問題ではない

 ニ) 九州場所中の理事会後,武蔵川現理事長(元横綱三重ノ海)は「八百長相撲と世間一般ではいわれているが,無気力相撲に対していっそうきびしく対処していく」と発言した。

 『週刊現代』は「理事長が八百長を認めた」と喜んだが,相撲協会は,八百長を認めたのではなく,八百長と誤解されるような「無気力相撲」の排除に努める姿勢の表われだとしている。

 結審にさいしても相撲協会側は,長らくこの問題に対して取ってきた姿勢を踏襲するものとして,武蔵川発言を引用した。すなわち,「北の湖以前」のスタンスに軌道修正するための発言だったとみていい。

 しかし,それとて,大相撲が相次ぐ不祥事でこれだけ信頼を失ったいま〔当時:2008年での指摘である〕,八百長問題に対しても見方が変わってしまったファンがいるとすれば,呼び戻すことはできるだろうか。「しない」「させない」以外に,八百長を防ぐ手だてはない。(引用終わり)(時事通信社運動部編集委員・若林哲治  わかばやし・てつじ)

 以上の記述は,「興行体である,つまり金儲けを基本で確実に実現していかない」と「事業持続体である組織の立場を維持できない日本相撲協会」であるゆえ,公益財団法人の看板を出しているとはいっても,結局は収益の確保にとって最善と思われる《力士たちの取り組み》が展開されることが好ましいことに変わりない。

 最近現役を退いた白鵬だが,横綱になってからも「カチ上げ」というわざを頻繁に使い,勝負には大いに勝ってきた。つぎの画像を資料として挙げておく。関連する言及が後段である。

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 ところで,この「かち上げ」(かちあげ・搗ち上げ)とは,相撲の取組などにおいて用いられる技術であり,主に前腕をカギの手に曲げ,胸に構えた体勢から相手の胸にめがけてぶちかましをおこなうなどのかたちを取る。相撲以外でもプロレスなど,肘打ちが認められる他の格闘技やアメリカンフットボールなど格闘技以外のコンタクトスポーツなどでも,同様の技術がある。

 「白鵬の場合」になぜ触れたかというと,横綱になってもそのカチ上げをわざとして多用する点に対して,日本相撲協会の幹部たちのなかからは「横綱らしくない」とする非難めいた声がときおり挙がっていた。それならばこのかち上げを禁じ手にすればよいのだが,そう決めまではしないで,白鴎に対しては「横綱らしくない取り口」の内容として,しばしば非難してきた。

 白鵬が頻繁に繰り出していた「かち上げの問題」については,つぎの『産経新聞』の記事がその「白鵬に対する批判的な見解」として,ひとつの好例を提供していた。あらかじめ断わっておくが,以下に紹介する記事が示唆するのは,日本相撲協会八百長問題とは断絶しているように一見感じられるが,実は密接していた「同協会に固有の現実問題」「同士」であったことである。

 すなわち,日本相撲協会は,いつも「描いていたい相撲道の〈美の側面〉」と,そうではありえない「興行として避けえない〈醜の側面〉」との,西田哲学的に表現すれば「絶対矛盾的自己同一」の追求を,しかもそれが実現できるわけがないにもかかわらず,あたかも追求していく過程じたいに関してだけならば,一生懸命に演技できる「公益財団法人」であった。

 そうした土台から離れられない日本相撲協会の立場は,自会が従来抱えこんできたその矛盾を回避する基本的な仕組を,白鵬(だけではないが……)の存在によって,暴かれたといってもいい。ウィキペディアには,つぎの ④ に紹介する記事が強調したい核心であっても,実際には,あくまでこの協会の一面でしかない特徴を解説している。該当段落を引用する。

 2021年7月場所14日目の正代戦では諸差し警戒で徳俵で構えて立合い張り手を放ち,この相撲に北の富士は「私は,いままでは白鵬の理解者と自負してきたが,この日をかぎりでやめることにした」と愛想を尽かせた。

 

 館内からも仕切り前の段階でどよめきが起こり,実況の藤井康生アナウンサーも土俵後方へ下がった白鵬の動きに「どうしたんですか? え? どよめきが起きる。こんなのは横綱白鵬の21年の土俵で初めてみます」と声を上げたほどであった。

 

 この場所千秋楽結びの一番の照ノ富士戦で,激しいかち上げを放って白星を収めたさいは,この取組があった2021年7月18日における Twitter に「エルボー」「かち上げ」がトレンド入りする事態となった。

 12代芝田山(第62代横綱大乃国)は,同年8月11日に毎日新聞に掲載のコラムで7月場所14日目の正代戦と千秋楽の照ノ富士戦に言及した。「五穀豊穣を願う神事から生まれた大相撲は本来,力士同士がぶつかりあい,みずからの力と技を尽くして攻防を展開するものだ。白鵬の仕切りは,相撲の醍醐味を放棄するようなものに感じた」と述べている。

 千秋楽の照ノ富士戦でみせた肘打ちとガッツポーズなどの振るまいに「いずれは後進の指導に当たるのだろうが,長く日本の伝統と文化を伝承してきた大相撲を変えてしまってはならない。もちろん勝つことは大事だが,礼に始まり礼に終わる精神にはほど遠い気がする」と将来の相撲界に与える悪影響を憂慮している。

 補注)この手の主張,つまり「相撲神事」観に関してとなると実は,これを語る相撲取りたち自身が,いかほどにその歴史と本質を理解しているかについて,疑問が多々あった。大正時代からであったが,相撲協会が自組織をとくに神聖「観」とむすびつける傾向が,皇室との関係で徐々に強まった事実を忘れてはなるまい。いまの日本相撲協会じたいは,大昔の時代に淵源しうるほどの「歴史的な事情」など,具体的にはなにももちあわせていない。

 

 「〈鬼筆のスポ魂〉かち上げ,張り手正当化の白鵬に相撲の美しさ分からせるには 植村徹也」『産経新聞』2019/12/27 11:52,https://www.sankei.com/article/20191227-5OMAYDAVEZMZ5CLIXZTYLO4J6A/

 前段に出してあった画像資料は,「白鵬 かち上げ 出血 画像」でもってネット上を検索したところで現われた「もろもろ画面の全体」からその一部(上・下にして並んだ2葉)を切り取ったものであった。

 

 そのうち「上の画像」の出所を訪ね,該当の原文・記述をのぞいてみると,「白鵬『右ひじ特注サポーター』の異常硬度」と題された文章が,白鵬に対して一方的・全面的に非難する文句を,わめき立てるかのように書きつらねていた。

 目には目を歯には歯を…では,大相撲ならではの美しさはどこかに吹き飛んでしまう。それは衝撃的な発言だった。大相撲初場所(2020年1月12日初日=東京・両国国技館)の番付発表を受けて24日に会見した横綱白鵬は,立ち会いからのかち上げや張り手が問題視されていることについて「自分は自分の相撲を取るだけなのでね。禁じ手っていうかね,そういうものでもないわけですからね」と語った。

 先場所で前人未到の43度目の優勝を飾り,初場所は4場所ぶりに東の正横綱に復帰した。「来年は年間3回の優勝を目標にしている」などと話していた白鵬は,批判が渦巻いている立ち会いからのかち上げや張り手について,初めて胸の内を明らかにした。発言の趣旨はルール違反ではないのだから問題などあるはずもなく,物言いを付けている方がおかしい…というものだった。

 補注)白鵬は14年間,横綱として相撲界に君臨した。とくに優勝回数は前人未到の45回を数え,幕内通算1093勝などほとんどの大相撲記録を塗り替えた。今後においてこれらの記録を超える成績を残す力士は,そう簡単には登場しまい。それだけに「日本の国技」とされる相撲協会の表看板としては痛しかゆしの大横綱の存在でありつづけてきたわけである。

〔記事に戻る→〕 以前から問題視されていた立ち会いへの非難が再燃したのは,九州場所12日目の小結遠藤戦。立ち会いで右からかち上げ,ぶ厚い肘のサポーターで遠藤の顔面をヒットすると,左右から張り手の連打。敗れた遠藤は鼻血を流して右目付近は腫れ上がった。先場所後に開かれた横綱審議委員会では矢野弘典委員長が「横綱の振る舞いとして見苦しい,と(委員の)ほとんど全員から意見が出た」と明らかにした。

 横綱は大相撲の力士の番付における最高位の称号であり,全力士を代表する存在。古くから伝わる神事としての相撲では神のよりごころともいわれる。なので横綱土俵入りがおこなわれ,横綱はその地位にふさわしい品格と抜群の力量を求められる。つまり大相撲における横綱は『ただ強ければいい』ではダメで,地位にふさわしい品格が要求される。だからこそ,横綱審議委員会は「振る舞いとして見苦しい」と物言いを付けた。

 さらに指摘するなら,対戦相手の力士たちは大横綱の権威をリスペクトし,白鵬に対してかち上げや張り手は慎んでいる。実際,白鵬に対して張り手を見舞った取り口などはみたこともない。これがもし目には目を歯には歯を…となれば,大相撲ならではの伝統や格式,美しさなどは吹き飛んでしまう。いってみれば下位力士の方が,大相撲のなんたるか-をわきまえているといっても過言ではない。

 補注)ここまでの議論=主張を聞いていると妙な感じとなる。ならば,かち上げや張り手は禁じ手にすればそれの済むことではないのか? 相撲という競技がそう変更して決めたからといって,今後になにかまずいことが起こるわけではあるまいし,ひとまず禁じ手にしておくのが得策ではないのか?

 大相撲史のなかでは白鵬並みに,ハデなかち上げを常用していた力士がいなかったのではない。八百長問題ひとつとっても,これをまともに根絶などできた試しはなかった事実に即していっても,そう断定するほかない。この付近の問題については,学者が分かりやすく検討した論稿もあるくらいである。

 たとえばここでは,つぎのごときに「皮肉いっぱいの結語」における記述をもって,当該問題を語っていた学術論文を紹介しておく。この論文は,日本相撲協会にとって八百長問題のもつ本義や因縁を,それなりに的確に表現しているはずである。

 大相撲はスポーツだからガチンコでなければいけないなどいう近代スポーツのイデオロギーに染まった良識に堕してはならない。その良識は八百長が亡霊的に大相撲に憑きまとうことの不可避性をしらないために,ガチンコ力士への敬意を決定的に欠いている。

 

 それは大乃国の1勝の交換不可能な価値を理解できない。ガチンコの賭博性が近代スポーツ的勝敗原理主義を超越する可能性を開くからこそ,ガチンコに挑む力士たちと大相撲は魅力的なのだ。だから,われわれはその賭博性の擁護を以てガチンコを称えることにしよう。

 注記)「ガチンコと八百長-大相撲のスポーツ社会学-」『追手門学院大学社会学部紀要』2013年3月,第7号,14頁。

〔記事に戻る→〕 ただ,ここまで堂々とかち上げや張り手を正当化した白鵬が立ち会いをあらためることはないだろう。対戦相手は横綱の立ち合いを研究し,もっと対応策を練るべきだ。参考になるのは初場所で西小結に就いた大栄翔の九州場所2日目の白鵬戦だ。

 右からのかち上げを左ひじで跳ね上げ,そのまま懐に入って押し出した。同じ手をんんども食うほうも研究不足といわれても仕方ない。かち上げや張り手が通用しなくなれば,結果として見苦しい立ち会いは消える。

 大相撲の若返りは進んでいる。伸びてくる若手を来〔2020〕年の3月11日で35歳となる白鵬らが受けて立ち,まだまだその座を譲らないのか。それとも一気に世代交代となるのだろうか。令和2年〔2020年〕の相撲界はますます盛り上がるだろう。そうした流れの中で,日本人が愛してやまない相撲ならではの美しさが失われないことを切に願いたい。(引用終わり)(特別記者)

   ウーン,という印象である。「日本人が愛してやまない相撲ならではの〈美しさ〉(美学としての相撲道?)が失われないことを切に願いたい」という文句は,いったい,なにを意識し,前提したつもりで「願われたもの」なのか?

 もしかするとそれは,アウンの呼吸が必要な気合いが前提条件となるものゆえ,モンゴル力士にはとうてい分かりえない,「日本人だけ」に理解できる「この国の相撲の美しさ」だとでもいいいたいのか?

【参考資料】-1987年以降,横綱61代から73代まで,うちモンゴル力士は5名,ハワイ力士が2名で,全数13名中の過半を超えて,外国人力士が横綱になっていた-

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 日本の相撲は,歴史学の見地から議論した著作を1冊でも読めば分かることだが,時間の経過とともに変わっていく相撲史の事実が記録されてきた。この国の伝統競技であるとされた「日本の国技:相撲」が,唯一その例外でありうるかのように夢想するのは,いただけない。

 ここ20年ほどにわたってだが,日本相撲協会本場所からモンゴル勢力士をのぞいたら,昔風の宣伝・広告を真似していうと,

  「クリープの入っていないコーヒー」なんて「飲めない」

ではなくて,

  「コーヒーの入っていないクリープ」なんて「舐められない」

といったふうにでも形容されたらよい,日本相撲協会の「本場所の取り組み表」になっていたのではないか?

 ここは日本なのであり,われわれ側(日本人として)はなにも変えられないが,ともかくオマエたち(外国人,主にモンゴル勢)のほうですべてを黙ってかえろ,おとなしく「オレたち風に」適応していればいい,とだけいって済まされる21世紀の時代ではあるまい。

 モンゴル力士の参加・協力・応援があってこそ,日本相撲協会の繁栄も維持されてきたのではないか? 彼らの存在がなければ,21世紀の日本相撲強は,美しく「花を咲かせられない」日本相撲協会になっていたのではないか? 

 白鵬のエルボーわざ:かち上げは,日本相撲協会に特有である「架空・幻想の相撲観」に対しても,しかけられていたのではないかという解釈もできる。それとも,かち上げを禁じ手にする必要が白鵬の現役引退でなくなる,とでも受けとっておけばよいのか?

 本来,八百長とは切っても切れないのが,日本相撲協会という公益財団法人の仕事・業務である。それでもなお,タテマエと本音をミソクソにしたままに,時に「日本の伝統が聖なる相撲・道である」みたいに高唱したがる発想は,無理がありすぎた。

 もっとホンネで語ねばならない余地が大いにある。だがもしも,そうしたら空中分解しまう程度の日本相撲協会だとしたら,これこそ「クワバラ,クワバラ」の事態になるのか? ともかく,ケッタイな終わり方をする話になった。

 今日の記述はここまでとするが,とくに日大の背任事件に関連する最近の記事として最後に,『東京新聞』『日刊ゲンダイ』などから,関連する記事をいくつか紹介しておく。

 要するに,日本相撲協会が上っ面で相撲「道」について語ったところで,ある意味で非常なる欺瞞性を感じさせるだけであった。と同時に,日大の背任事件についてこの学校法人の理事長自身が「しらぬ存ぜぬ」の姿勢で逃げ切れると思いたがっているところには,日本相撲協会八百長相撲に対して,かなりトボケた態度で対応してきた事実に共通するなにかが控えていた。

 以下の参考記事には,自民党幹事長になっている「睡眠障害」男:甘利 明に関する記事も,ついでにかかげておくことにした。以上の記述に関連する報道としてオマケとして,余りになるかもしれないが,出してみた。

 ところで,このごろの日大理事長田中英寿理事長は,睡眠障害になっていることはないと思いたいが,もしかしたら御身が心配で甘利先輩と同じ症状が出ないともかぎらない。

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