安倍晋三政治の「失政・悪政・拙政」に破壊されつくし,「子ども(シンゾウ)の幼稚園(後進国)」と化したこの国を正常化に向けて再起動させるためには,衆議院総選挙では「自民党と政教一致政党:公明党」との野合政権やこの補完政党である雑党には投票しない

              (2015年4月4日,更新 2021年10月22日)

   「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』命名,「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の首相(本ブログ命名でしかありえない安倍晋三は,この国をどうしようもないほどに破壊してきた,10月31日の衆議院総選挙においては,いまのこの国の荒廃と惨状をともかくも,修復していくために必要な大前提,「民主主義政治を正常に再起動」させるための契機を掴まねばなるまい。

 本日の『日本経済新聞』朝刊1面コラム「春秋」が末尾でいわく,

 

 「世界が一斉に脱炭素に走るなかでの景気冷えこみの気配。対処には多彩で多くの国が協調できる策が必要なようである。コロナの長いトンネルを抜け,どこまでも続く冬景色が広がるのは誰だってごめんだろう」。

 

 それはそうである。自公民政権の汚濁まみれで「腐敗し尽くしたこの専制主義独裁的政権」の「長いトンネル」から抜け出さないことには,これからも「さらにこの失政・悪政・拙政」しかありえない政治社会から脱出できない,いまのままでは,この国はこれからもなお “日本・ヘル的なこの現実の世相” をまったく変えられない。

  ★投票すべきではない諸政党★

 

 その1:自民党 ……世襲政治屋金権政治にまみれて海底に沈没している悪政党,自民党としてアホノミクスとカスノミクスの失政・悪政・拙政は「永遠に不滅デス」

 

 その2:公明党 ……宗教と政治が「完璧に癒着した創価学会党」,単なる自民党の補完勢力であり,野党になると時限爆弾が破裂してしまう恐怖に怯えている池田大作「党」

 

 その3:日本維新の会 ……代表が若いころヤンキーとしてたくましく成長した時期があっていけないのではなく,そのヤンキー流儀のまま,民主政にかかわっている国民的な大迷惑

 

 その4:国民民主党 ……国民のための民主党を標榜しているらしいが,早く自民党の1派閥になりたい粗悪の野党であり,わずかの存在価値もなし,早く消滅すべき泡沫党

 

  その5:N党 ……NHKが国営報道でなくなれば不必要となる些末政党ゆえ,これからもほそぼそと存在しつづけていく余地さえない「党」(?)

  本日の記述は本ブログの旧編のなから,2015年4月4日に書いていた文書を復活,再掲している。もちろん,2021年10月時点としての記述として必要な補正はくわえてある。

 安倍晋三の第2次政権がそのおバカさ加減の猛威を振るいだしてからというもの,この日本の政治・経済・社会は絶望的なまで哀れな姿に変わりはてた。それも宗主国(海の向こう側にある大国)のいいなりに,なおかつそれも喜んでなのだが,自国を属国化(対米服属関係の徹底化)させる方途で,そう落ちこんでいったのだから,なにをかいわんやである。

 この「岸 信介の外孫」というチビた血統以外なにも誇るものがない「単なる世襲3代目の政治屋」は,自分が力んでかかげた標語であったはずの「戦後レジームからの脱却」を全然果たしえないまま,その「肥だめとみなすほかない〈日米関係的な政治空間〉」のなかに,わざわざダイビングして飛びこむ「快挙」(正確には怪虚)をなしとげただけであった。

  ★ ジャパン・ハンドラーズの1人,マイケル・グリーンの画像など ★

 

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 補注)この小泉とはむろん進次郎のことで,そのオヤジのことではない。

 

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          付記)これは市販されているTシャツ

 マイケル・グリーン(ジャパンハンドラーズの1人)は,アメリカ側の「日本通」(?)である識者の1人として,この国の人びとに向かい傲岸不遜にも「日本の首相はバカにしかやらせない」という態度を隠さなかった。

 要は,アメリカ側のそうした「日本を属国あつかいしている」人たちの気分を,平然とかつ当たりまえに吐いていた。安倍晋三のつぎに予定されている候補としての世襲政治屋の1人が,あの小泉進次郎である。

 安倍晋三のあと,2020年9月16日から1年ほどだったが,首相の座を継承した菅 義偉という政治屋もいたが,この人物はアベに輪をかけたごときガラクタ(日本政治の破壊者)でしかなかった。

 そして2021年10月5日になると,アベの仮面を喜んでかぶった次期首相として登場したのが,これまた世襲政治屋である岸田文雄である。10月31日の衆議院総選挙の直前に登場した。アベにとっては無害有益な自民党の現首相であるが,国民たちにとってみれば百害あって一利なしの人物にしかみえない。

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 2021年12月26日に発足した安倍晋三の第2次政権は,シンゾウ自身が主張していたはずの「美しい国へ」向かうどころか,「モリ・かけ・桜,案里」などのために,内閣がなんどでも吹っ飛ぶような不祥事を積み重ねていくことにしか能(関心!?)がなかった。

 2021年12月26日以前の民主党政権のことを,安倍晋三は「悪夢のような民主党政権」と悪しざまに非難していた。だが,それ以後における安倍の自民党山口那津男公明党との合体・野合政権のほうは,まさしく「悪夢(悪魔の所業?)そのものである反・民主主義政治」を定着させる以外,国民たちのためになる為政はなにもおこなっていなかった。

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 本日(2021年)朝刊(『朝日新聞』の紙面だが)の記事下広告に,上の画像のように新刊本が広告されていた。日本という国家全体にとっては,この本の書名のとおりになっていた,みごとなまでに失敗だけしていた。

 だが,自民党の連中にとっては長期間の執政をわずかも「失政」とは感じていない。そのようなことをたがいにいいあっているうちに,この国は21世紀的に,タイタニック号「化」への道を確実に歩んできた。

 本日,以下に再出する記述は,下記のごとき題名であって,だいぶ長い文章であった。いつものことだが,そこは「寛容と忍耐」をもって読んでほしい。面倒な場合は,適当に読み飛ばしつつ,拾い読みにでもしてくれれば幸いである。

  『主題』 安倍晋三政権の「国民監視・威圧・恫喝」政治,古賀茂明の政権批判からみる〈暗愚の首相〉の「幼稚で傲慢」の「化けの皮」

 

 副題・1」 民主主義から再び,縁遠くなりつつあるこの国の政情(2021年秋までには,すっかりそのとおりになっていた)

 

 副題・2」  「民主主義をまねた独裁的政権」が,なににでも口出したがる未熟国家(その悪夢=悪魔性だけはたくましく成長してきた)

 

 副題・3」  「こそこそやるな,ボロ:ウミが完全に出切るまで堂々とやれ,独裁が大好きな    I am Shintarou ABE」(世界中から小バカにされてきた,ボクちん世襲屋・政権のやることなすことが,ママゴトに終始していた)


 最近,世の中で評判の話題〔ただし,ここで2015年の話であったので,念のため……〕

 元経済産業省の官僚古賀茂明が,日本という国家における民主主義体制の「永遠的な未完成度」を暴露する言動をしており,マスコミやネットで騒がれている。とくに古賀が当時,テレビ朝日のニュース番組『報道ステーション』で放った発言をめぐり,話題になっている。この問題の根源には,安倍晋三が言論・マスコミ業界全般に対して,陰険かつ露骨な圧力をかけている暗愚の背景が控えている。

 最近は,マスコミ・言論界が客観報道の基本精神から離れている状況にある。戦前・戦中にも似た性質の悪い社会的雰囲気が醸しだされている。この社会変調に大きく貢献しているのが,いうまでもなく安倍晋三自民党の政権である。

 民主主義によった方法であったけれども,2012年12月の衆議院選挙などで〔「不当にも」圧倒的に〕多過ぎる議席を獲得した自民党〔プラス若干の公明党〕が,いまではやたらと好き勝手に「独裁的な日本国の政治的運営」に執心し,実行にかかっている最中である。

 しかも「幼稚と傲慢」の首相である安倍晋三は,つぎの ② ような過去(来歴)をもった政治家である。関連する論点については,日本共産党のホームページが要領よく説明しているので,これに聞いてみたい。

 

 安倍晋三の政治家としての悪しき履歴

 「NHK『従軍慰安婦』番組への政治介入-なにが問題なのか-」は,この題名の事件について,以下のように解説している。いまから10〔2021年からだと16〕年ほど前の『しんぶん赤旗』の記事などに関説した内容になっている。

慰安婦なにが問題なのか ※


 1) ときの政権の座にいる自民党議員がNHKの番組に放送前に介入し,改変させた事件が大きな政治問題に浮上している。

 

 NHKの番組「戦争をどう裁くか (2)  問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)に,安倍晋三幹事長代理(当時・内閣官房副長官),中川昭一経済産業相が事前に介入し,番組の内容が大きく変更されたと告発されている。いったいなにが起こり,なにが問題なのか。

 

 放送日の前日,安倍官房副長官と面会したNHK幹部はスタジオへとって返し,作りなおしを指示。編集作業は深夜に及び,44分ものだったのが43分になって完成した。さらに放送日当日の夕方,幹部から再度「カット」の指示が出て,編集は夜10時の放送まぎわまで続いた。

 

 放送されたのは40分のものであった。なにが消され,なにがくわえられたのか。実際に放送された番組と,44分版の修正台本を比較し,番組改変のありさまをみてみた(『しんぶん赤旗』2005年1月16日付)。

 

 2) 長井 暁チーフ・プロデューサーが証言した改変内容(2001年1月29日)は,以下のとおりである。

   (1) 「女性国際戦犯法廷」が,日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し,日本国と昭和天皇に責任があるとした部分を全面的にカットする。

   (2) スタジオの出演者であるカルフォルニア大学の米山リサ準教授の話を数カ所でカットする。

   (3) 「女性国際戦犯法廷」に反対の立場をとる日本大学の秦 郁彦教授補注)のインタビューを大幅に追加する。

 補注)秦 郁彦は従軍慰安婦問題の歴史的な存在じたいは否定しないものの,その歴史的な様相はなるべく過小に理解するために自分の学識を利用する日本近現代史の研究者である。なお,秦 郁彦も国家官僚出身である。

 

 2001年1月30日(放送当日)には,つぎのものがその改変の対象であった。

   (1) 中国人被害者の紹介と証言。

   (2) 東チモール慰安所の紹介と,元慰安婦の証言。

   (3) みずからが体験した慰安所や強姦についての元日本軍兵士の証言。

 

 3)  隠せない介入の事実-安倍氏の弁解を検証-

 「圧力をかけていない」「公正・中立にといっただけ」。自民党安倍晋三幹事長代理が,NHKの「従軍慰安婦」番組改竄問題で,あれこれ弁明している。介入を明白に認めた当初の発言を変えるなど否定に躍起。しかし,この間の経過や安倍氏自身の発言をみても,圧力・介入の事実は隠しようがない。

 

      ☆-1 具体的注文こそが圧力

      ☆-2 面会後に内容が改変されたのは事実

      ☆-3 なぜ特定の番組を説明したのか

 

 4) NHK番組介入問題の経過

   イ) 2000年12月8~12日  「女性国際戦犯法廷」開催。

 

   ロ) 2001年1月29日午後 NHK総合企画室の野島直樹担当局長と松尾武放送総局長が安倍,中川両氏を議員会館に訪ね番組への理解を求める。了解をえられず,番組を変更するので放送させてほしいと説明。(安倍氏「NHK幹部が予算の説明できた。NHK側が自主的に番組内容を説明」,中川氏「会ったのは2月2日」)。

 

   ハ) 同日午後6時すぎ 松尾総局長と野島担当局長,伊東律子番組制作局長が完成済みの番組を試写し,内容の変更を制作現場に指示。同日深夜 制作現場が手直し作業し,44分の番組は43分に。

 

    ニ) 1月30日夕 松尾総局長が番組の改変を3点にわたり指示。番組は最終的に40分に短縮,同日午後10時番組放送。

 原文補注)以上は,長井NHKチーフ・プロデューサー(当時番組デスク)の証言にもとづく。(かっこ)内は安倍,中川氏の主張。
 

 5)「朝日」が検証特集(2005年1月19日付)-なにが問題か-

   a) 放送法に反する介入,憲法に反する検閲 --憲法21条は,言論・表現・報道の自由を保障し,検閲を禁止している。また放送法第3条は,放送内容についての外部からの介入を禁止している。政権・与党の政治家が,テレビ番組の内容について,事前に放送中止や,内容の変更を求めるということは,憲法放送法に反する民主主義破壊の行為である。

 

 こうした行為をおこなった政治家と,その圧力に屈して番組の改竄をおこなったNHK関係者は,それぞれがその責任をきびしく問われなければならない。

 

 安倍は当時内閣官房副長官,中川は現職の閣僚である。一政治家による放送内容への政治介入問題にとどまらず,政府の要職にあるものの政治介入として,小泉内閣の責任が問われる問題でもある。

 

   b) 「慰安婦」問題で歴史そのものの改竄を狙う --安倍は放送前日に,NHKの放送総局長に会い「意見」をいったことを認めつつ,番組が「ひどい内容」と攻撃してみずからの行為の正当化を図っている。

 

 「読売」「産経」の社説も制作現場や番組に矛先を向け,安倍氏の発言の後押しをしている。安倍氏やこれらのメディアが問題にしているのは,歴史の事実として従軍慰安婦問題をとりあげ,旧日本軍の関与や昭和天皇の戦争責任を明らかにすることそのものであった。

 

 政府は1993年に発表した見解でも,従軍慰安婦問題での旧日本軍の関与を認め,国際的に「お詫びと反省の気持」を明らかにしていた。それを否定するような番組の改竄は,まさに歴史そのものを改竄しようとするものである。

 

 「日本は過去の歴史の隠ぺいを中断し,今回の事件を自己反省のきっかけとすべきだ」(韓国・ソウル新聞2005年1月13日付),「日本で政治家が,慰安婦模擬裁判に関する報道でNHKに圧力」(マレーシア・華字紙星州日報2005年1月14日付)など,アジア各国から批判の声があがるのは当然である。

 註記)以上,http://www.jcp.or.jp/tokusyu-04/nhk/ 原文は引用にあたり文体の補正・変更をしている。原意に変わりはない。

 中川昭一は故人になっているが,安倍晋三は現在の首相(2021年10月時点では元首相だが)である。昨〔2014〕年夏あたりから日本社会を大騒ぎさせてきた朝日新聞の「従軍慰安婦誤報問題」は,この首相の先導(煽動)のせいで,異様なまでに「針小棒大」的な拡大解釈をくわえられながら,問題の歪曲と誤解をもとにその喧伝が展開されていった。

 すなわち,この従軍慰安婦問題じたいが,歴史上存在しなかったかのような論調さえまかり通り,〈実に奇妙な歴史歪曲〉となって「従軍慰安婦問題はなかった!」とでもいいたいかのようになっており,完全に〈歴史の事実〉を消去・削除できたつもりの誤説が,日本社会の一部にはびこることになっていた。

 戦争の時代における従軍慰安婦問題の存在についていえば,いまの子供たちのひいおじいちゃんの世代で戦場に駆りだされた男性であれば,ごくあたりまえに接してきた,日常的な風景であった。ところが,安倍晋三中川昭一は,そうした〈歴史の事実〉そのものを,頭からいっさい認めたくないのである。

【参考画像資料】

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 日本の政府・国民にあっては,隣国の人たちへの犯罪的行為に対する責任感・謝罪の意識があまりにも薄く,隣国の人たちの過去の苦しみにあまりにも鈍感だと思う。日本の政府・国民はこのことを反省し,その反省の上に立って対処の方針を考えてほしいと願う。

 註記)玖村敦彦『かえりみる日本近代史とその負の遺産-原爆を体験した戦中派からの《遺言》-』寿郎社,293頁。

 安倍晋三の政治意識は,ここに指摘されている反省の意識次元とはまったく無縁のところにまで飛んでいた。阿倍流の「美しい国」「ふつうの国」という観念の世界にあっては,絶対にあってはならない〈歴史の事実〉が従軍慰安婦問題であった。この点は, “察するにあまりある” 彼らの主観的な心情である。

 いま(2015年当時のこと)は首相である安倍晋三である。ともかく彼は,この立場を最大限に活用して,その〈歴史の事実〉を押しつぶしてしまい,隠蔽しておきたい。ともかく,自分が気に入らない,嫌に感じるものは,なきものにしておきたい。それを徹底的にすりつぶしたうえ,なんとかもみ消しておき,無実体(無内容)なものに変更しておきたい。安倍晋三らは実際にいままで,「そういう乱暴=歴史への冒涜」を平然とおこなってきている。

 最近におけるその攻撃対象,その最大の標的が,前段にも触れたように,従軍慰安婦問題を積極的にとりあげ報道してきた朝日新聞になっていた。安倍晋三朝日新聞に対する憎悪の感情は,幼児的でありながらも権力者の立場にも立って,執拗に維持されてきている。

 思うに,どの国でもそうであるが「美しい」だけの国など1国もない。美も汚もみな同じに受けとめ,それらを「清濁併せて」飲みこむほかないのが,人間が展開する歴史の姿であり,組織が構築する国家体制のつねである。

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 そもそも国が戦争をするとき,この出来事に美しいことなど,なにも生じるわけがない。軍事パレードのみごとな光景とは,全然わけが違う。

 オレも自働小銃を撃って,手榴弾も投げてみたい? 戦車の疾走がかっこいい? 軍艦のシルエットがキレイだ? 戦闘機が飛ぶのが勇ましい? 最高司令官の安倍晋三がカッコイイ?(この男はせいぜい,戦車の車長程度が一番ふさわしいのだが……)

 冗談じゃない。いつまでも愚かなことをいうのではない。死および破滅,流血と破壊,これが戦争という事態にとって,もっとも近しい現象であり,またその結果でもある。従軍慰安婦問題も,戦争の過程において狂い咲かざるをえなかった,旧大日本帝国軍に固有であった〈あだ花の一種〉である。

 戦争か生きて還れても,敵の攻撃を受けて自分の身体がひどく負傷させられたら,こういう目に遭う(  ↓  )。

【本ブログ内の関連する記述】

 これが「ふつうの国」としての「全然美しくない」真相が意味する現実である。またあるいは,他国にも似た「軍の制度」(性的奴隷制度)があったなどといって,妙に安心するなかれ。

 とりわけ安倍晋三のように,いまの  “自分は「美しい国」以外みたくないのだ”  からといって,故意にそれをみないようでは,〈歴史の事実〉は少しも直視できないし,まともに正視もできない。

  --さてここでようやく,冒頭の人,古賀茂明の話題に戻る。

 

 「〈どうする? 秘密法〉非公開は例外  古賀茂明さん」

 1)古賀茂明の,権力との闘争

   元経済産業省官僚・古賀茂明さん。--経済産業省に在職中,パソコンで文書を作るときは初めから,「機密性」の3文字が画面右肩に表示される設定でした。これを削らないと,秘密情報になってしまいます。役所では文書は原則秘密で,公開を例外と考えます。その理由は保身,つまりあとで責任を追及されたくないためです。

 特定秘密保護法とともに成立した国家安全保障会議(日本版NSC)設置法では,議事録の作成が義務づけられていません。仮に集団的自衛権の行使が認められ,日本が米国の戦争にくわわっても,議事録がなければNSCの議論を検証できません。参戦の根拠も特定秘密とされて国民に示されないかもしれません。

 秘密法は監視機能が不十分な点が最大の問題です。たとえば司法が秘密指定をしたことの妥当性をチェックし,一定期間後には公開される仕組になれば,そのプレッシャーによって誤った判断の歯止めになります。情報公開こそ私たちの生命・財産を守る監視機能であり,鍵なのです。

 野党が結束し,行政文書は原則公開するよう情報公開法を改正するべきです。非公開は例外という原則を踏まえ,秘密の範囲を外交と防衛に厳しく限定するよう秘密法も改正する必要があります。

 そのためには,世論の高まりが必要です。報道機関はあるべき情報公開の形を具体的に示す姿勢が求められます。私もメールマガジンや雑誌などで発信し,国会議員や政党に働きかけていきます。

 註記)THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2013年12月20日23時43分 参照。

 「日本の情報公開法とアメリカ情報自由法の違い」は,アメリカでは「知る権利」は根本にあるのに対し,日本の情報公開法では「知る権利」ということばが,明記されていない点にある。特定秘密保護法という法律は「特定」の「秘密」を「保護」するという漢字を連ねているけれども,これは国家が特定すればなんでも秘密にできるし,国家を保護するための法律でしかない。

 「国家=国民(人民)ではない」ところに,米日間において「知る権利」の意識水準:位置づけがまったく異なっており,彼我における「民主主義精神の態様・機能」に関して,決定的な相違をみいださざるをえない。

 アメリカの情報公開法がそれでは,なんでもあとで教えてくれるかといえば,絶対にそうではない。けれども,日本の場合はひど過ぎる。「3・11」発生後における政府中枢部の,この出来事に関する経過記録がきちんととられていない。

 いまや,ともかくふだんから「特定秘密保護法」でもって,その気になればなんでも内緒にしておける。国民の個人情報が政府・国家側が完全に掌握できる体制つくりが進展させられているのに比べ,その逆の関係は,ないがしろにされている。主権在民など「名」だけに過ぎない。

 この日本「国・民」は,天皇に象徴的に主権を奪われているだけでなく,安倍晋三個人にも実体的に主権を盗まれている状況に至りつつある。日本国・民にとっての民主主義は,いとも簡単に危殆に瀕している。

 わけても,「特定」「秘密」「保護」法という〈まやかし的な名称〉を単語を羅列し造語した法律でもって,人民=国民・市民の基本的な権利が徹底的に抑えこまれようとしている。そうした国家体制が徐々に準備されている。

 補注)ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906年2月4日- 1945年4月9日)というキリスト教神学者がいた。ドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師であり,20世紀を代表する神学者の1人であった。

 

 このボンヘッファーは第2次世界大戦中,ヒトラー暗殺計画に加担し,別件で逮捕されたのち,きわめて限定された条件のなかで著述を続けた。その後,暗殺計画は挫折し,ドイツ降伏直前の1945年4月9日,処刑を急ぐ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)により,フロッセンビュルク強制収容所で刑死した。

 

 ベルリン国立図書館の一階には,絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されている。

 

    当時のナチ党の思想下による国民の影響についてボンヘッファーは,良心は葛藤を避けるために自律を放棄して他律に陥り,それが当時のドイツではヒトラー崇拝というかたちをとった,との見方をした。

 註記)http://ja.wikipedia.org/wiki/ディートリッヒ・ボンヘッファー  参照。     

 2)特定秘密保護法の本質

 特定秘密保護法とは別の表現でいえばスパイ防止法であり,防諜法である。この法律が国民に対して向ければ,どうなるのか。ただちに,国民の全員がもともと,その疑いをもたれるべき潜在性をもった人びとと規定される。そうなっているに決まっている。

 「保護」というけれども,なにが・なにを・なにから保護するのかが問題である。国家が国民(市民・庶民・個人)を護るための保護法などではありえず,国民から国家を護るためのそれでしかない。つぎの歴史的な事実にさかのぼって類推してみれば,すぐに気づかされる真実がみつかるはずである。

 戦前・戦中期における「軍機保護法」の解説書として,『国家機密の保護』昭和12〔1937〕年9月1日が公表されていた。本書については,「安倍政権の『秘密保護法案』と共通点が!」と注目されている。以下にしばらく,この本に関する解説に聴いてみたい。

 この昭和12年9月1日に政府直轄の情報委員会が発行したのが「時局宣伝資料・国家機密の保護」である。同年の7月7日,日中戦争が開始されていた。その表紙の左上には「秘」と表示されており,さらに表紙裏には「(八)報道,(九)暗号は内容「秘」に属する」とある。

 a)  軍機保護法の目的は,処罰ではなく,「国民へ観念を普及し,警戒を与えること」だとされていた。つまり,日中戦争が7月に開始されていたのを受けて,昭和12年8月に改定された軍機保護法〔昭和12年8月14日法律第72号〕を説明する内容であった。なお「軍機」とは軍事機密のことである。

 「軍機保護法は軍機を漏泄したものを処罰すると言ふよりも,むしろ軍機保護の観念を国民に普及し警戒を与へるといふ点に真の意義がある」 と書かれていた。つまり「見ざる,言わざる,聞かざる」の風潮を国民に植えつけるのが目的ということである。

 補注)古賀茂明がする発言の関連で,一言断わっておく。最近の日本もこの「見ざる,言わざる,聞かざる」の風潮が,マスコミ・言論界には蔓延しつつある。安倍晋三には好ましい風潮ではあっても,日本国憲法下のありようとしては,問題があり過ぎるのである。安倍晋三改憲論の立場に立つ者である事実も,あらためて指摘しておく必要がある。

 b) 「国民生活の総てが国家機密に関係がある」,「平時から軍機保護に細心の注意を」などとも記述されている。秘密の範囲についての説明が続き,純粋に軍事的なことだけでなく,「日常の国民生活の総てが大なり小なり国家機密に関係がある」,「平時においても軍機保護上細心の注意を払わねばならぬことは勿論,戦時においては,之がため国民が種々不便,窮屈な目に遭ふことを覚悟せねばならない」とある。

 要するに,軍事機密を守る義務を負うのは,軍人や公務員だけでなく,すべての国民だというのである。 

 c) 動員に関する機密の大部分は,平常の国民生活と密接なもの。さらに,軍事機密の範囲が説明されている。軍事作戦や軍需生産だけでなく「国民総動員」についても機密保護の対象となった。

 つまり,国民生活に関することが全面的に「秘密」にされ,なにも話せない世の中になっていった。このときが昭和12年9月。 それから戦争の惨禍が広がり,総数で3百万人以上の兵士・市民が死亡させる結果=敗戦を迎えるまで,たった8年であった。

 d) 新聞や雑誌社は「国家的見地」に立った記事を書くようになっていった。報道に関する規制についてであるが,冒頭に「秘」と表示されている割には,実際におこなわれた激烈な言論弾圧を想起させる厳しい文章ではなく,どこか牧歌的な書きぶりである。それでも,報道機関に対して「国家的見地に立って」記事を書くよう求めるなど,言論機関に対する威圧的な姿勢は読みとれる。

 補注)安倍晋三は読売新聞・産経新聞とはツーカーの間柄であるが,そうなれるのはこの両社が「国家的見地に立って」記事を書くことに忠実である,かつ熱心だからである。つまり,両社は社会の木鐸としての役割は基本から麻痺させ,基本的に喪失した新聞社である。  

 朝日新聞のように政権をまっこうから批判してきた新聞紙は,最近では安倍晋三から執拗な排斥・弾圧を受けている。従軍慰安婦問題はただ,そのネタに使われたに過ぎないといえなくもない。安倍晋三は「朝日新聞だけは許せない」〔すなわちこの新聞社は認めたくない→できれば潰したい〕と考えている。

 朝日新聞系のキー局であるテレビ朝日が,なにやかや安倍晋三から攻撃を受けやすい現状は,そうさせるのを当然とするごとき,昨今における政治的な背景と過去からの経緯もからんでいたためであった。古賀茂明の問題も,このテレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」を場にして起きていた。キー局関係でいえば,朝日新聞系列でなければ古賀茂明を出演させない。

 補注の 補注)その後についていえば,古賀茂明はマスコミ・メディアの世界から示さされ排除された。 

 e) 2013年に安倍政権が国会上程した「秘密保護法」(2014年12月10日に「特定秘密の保護に関する法律」が施行)と同様に,実際に秘密をしって漏洩した者だけでなく,「探知」しただけ,つまりしろうとしたがしるには至らなかった場合でも,最大で懲役10年という重い処罰となる(第2条)。さらに,他人に情報漏洩した場合は,最大で無期懲役になる(第4条)。

 したがってというか,当時(2015年時点)の古賀茂明は,テレビ局にゲストして招かれ発言するさい,在職中にしりえた情報・知識については守秘義務があるのでということで,自分自身でそのあたりに関しては,慎重に留意している旨を発言していた。

 だが,いずれにせよ,現代における特定秘密保護法(国家のために秘密を護るための法律だが)をもって,安倍晋三政権は国民に対する監視・統制・抑圧をもくろんでいる。例の “under control” というヤツで,われわれを抑えこむ魂胆である。東電福島第1原発事故とは違い,国民のその under control ならば容易だと思っている。

     
 「『政権批判の自粛,社会に広がっている』1200人声明」

 「イスラム国」人質事件後,政権批判の自粛が社会に広がっている。フリージャーナリストや学者らが〔2015年2月〕9日,会見を開き,「翼賛体制の構築に抗する言論人,報道人,表現者の声明」を発表した。インターネットなどを通じ,映画監督森達也さん,社会学者の宮台真司さん,作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し,NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。

 「政府が主権者やメディアに監視,検証され,批判されることは当然のこと。批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない」。そう指摘するのはジャーナリストの今井 一さん。今〔2〕月2~4日,衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑とNHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。2日は4分以上報じる民放がある一方,多くが1分以内。約20秒の番組もあった。「メディアは『自粛』しているという自覚がない。非常に危険だ」。

 補注)政府の行動・やっていること(国家権力側に関する事実)がまともに報道されなくなっている。そういう懸念が現実化している。新聞社や放送局によって以上のようにばらつきがあるのは異常であるのだが,この自覚・批判がない。 

 補注の補注)この2015年時点で言及した内容は,まったくそのようになっていき,2021年秋の時点になってみれば,当然であるかのような様相にさえ呈している。

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 元経済産業官僚の古賀茂明さんは「いまは相当危機的な状況に至っている」と語っていた。2015年3月下旬のことであった,コメンテーターとして出演するテレビ朝日の番組で人質事件に絡み「アイ・アム・ノット・アベ」と話したところ,ネット上で「政権批判をするな」などの非難が殺到。神奈川県警から自宅周辺の警備強化を打診されたという。声明では,「ものいえぬ空気」が70年前の戦争による破滅へ向かった,と指摘している。

 補注)「権力は腐敗する」というのは絶対的な法則でもあるのに,この政権を批判するなという〈非難〉を,どこの誰がネット上で発信するのか? 敗戦前であれば体制・支配者側から飛んでくる攻撃が,いまではネットを介しても,権力者側にすり寄っている(いない?)人間たちからも飛んでくる。いずれにせよ,古賀茂明は事後,もうテレビにはいっさい出演できなくなった。 

 昨年暮れの衆院選前に政権与党が報道各社に「公正な報道」を要請したことにからみ,古賀さんは当時,「報道の自由が失われるまでに3ステップある」とし,

  ◆-1 「ホップ」で報道抑圧,

  ◆-2 「ステップ」で報道機関の体制への迎合(自粛),

  ◆-3 「ジャンプ」で選挙による独裁政権の誕生

と指摘した。古賀さんは「報道の自粛が蔓延し,国民に正しい情報がゆきわたらなくなりつつあるのではないか」と警鐘を鳴らした。

 註記)THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2015年2月9日23時43分  参照。

 現状は,◆-2の「報道機関の体制への迎合(自粛)」から ,◆-3 「ジャンプ」で選挙による独裁政権の誕生の半ばまで,状況が進んでいる。

 補注)この記述は2015年中のものであったが,その後,安倍晋三政権が続くうちにその「◆-3」の「『ジャンプ』で選挙による独裁政権の誕生」に非常に近い態勢にまで,日本の各報道機関は落ちこんでいった。

 そこへ2020年になると襲来したのが「新型コロナウイルス感染症」であった。ところが,安倍政権はその対応には完全に失敗しつづけてきた。必然的だったと回顧できるほどに,独裁的采配しかできないがゆえに,それ相応にコロナ過に対しては無策・無能でしかありえなかった。

 最近は,世の中の出来事が,公正・中立・客観性を保って,ニュースに報道されないようになっている。われわれは想像力をよく働かせて,それでも部分的には報道される諸事実をよく観察・分析・解釈する必要がある。

 戦前の昭和6〔1931〕年9月18日,日本が「満洲事変」をしかけ,日中戦争への道を敷いた事実について日本国民がその真実をしったのは,敗戦後のGHQ占領・統治下であった。軍部の独断・独走が大東亜〔太平洋〕戦争にまでこの帝国を引きずりこんでいた。その結果が21世紀のいまにも「尾を引いている」。

 集団的自衛権行使容認,特定秘密保護法国家安全保障会議設置,武器輸出3原則緩和など,安倍晋三政権が軍事体制面で整備してきているつもりの法制面や方針面の基本からの変質は,これまで日本国憲法との均衡をなんとか保ちながら自衛隊3軍を維持・運営してきた方向性を,抜本から倒壊させつつある。

 補注)2020年秋となっている現段階としては,その軍制面の基本からの変質が成就させられたといっていい。高市早苗は最近「軍事費倍増(2倍にする)」を正式に表明していた。この早苗は,アメリカが喜ぶだけで,日本の国民たちにはなんの利も理もないファシスト的な発言を嬉々として放っていた。

 かといって,いまの日本国は昔の大日本帝国ではない。いつも触れているとおり,日本全国には米軍基地が戦略的に配置されている。しかも緩急あれば,この外国軍が軍事力を強力に急展開できる体制にある。

 大日本帝国の陸海軍が存在していた時代における軍事状況とは,まるっきり異なった米日従属的な軍事同盟関係が,この日本国内には存在している。この状況なかで安倍晋三が,前段のように整備してきた軍事体制面の前提条件は,もっぱらアメリカのためになるものばかりである。

 実際にアメリカ軍は在日する米軍基地に,会社組織風にいえば現地本部を置いたような配置=軍制を構えている。日本国予算による「思いやり予算」関係は総額で7千億円近い水準である。

 2015年度,日本の防衛予算は4兆9,801億円であるから,その7分の1相当の予算が在日米軍のために献上させられている。以前,この米軍の存在を〈番犬〉だと形容したバカな自民党副総理がいた。だが,この番犬はあくまでアメリカに飼われているのであって,けっして日本国に忠実な番犬ではありえない。この程度のことさえ分からずに発言していた政治家がいた。

 相手国がいくら友好国とはいえ,自国内にその外国の軍隊の基地を数多く置かせ,しかもの維持・管理のための,予算まで大判振るまいで,進呈しつづけている。安倍晋三君よ,これが「ふつうの国」として「美しい国へ」と向かうべき日本「国」の軍事政策といえるか?

 「在日」米軍(という軍制上の名称はアメリカ軍側には正式にはないが)は,その全部・総員が日本から退去・撤退してもらえないのであれば,安倍晋三がふだんから唱えている国家概念には,根本から「反する日本国家体制」が存在しつづけている。

 

 報ステ生放送で口論 古舘さんと古賀さん,番組出演巡り」-2015年3月28日-

 以下も,既述の内容とさらに関係した記述の展開となる。

 テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」の2015年3月27日の生放送で,コメンテーターの元経済産業省官僚の古賀茂明さんとキャスターの古舘伊知郎さんが番組への出演をめぐり,激しくいい争う場面があった。

 古賀さんは,中東情勢について意見を求められたさいに突然話題を変え,テレビ朝日や古舘氏の所属事務所のトップの意向だとして,「私は今日が最後」と発言。つづけて「菅〔義偉〕官房長官をはじめ官邸のみなさんには,ものすごいバッシングを受けてきましたけれども,それを上回るみなさんの応援のおかげで非常に楽しくやらせていただいた」と話した。

 これに対し,古舘さんは「いまのお話は私としては承服できません」「古賀さんがこれですべてテレビ側から降ろされるということは,違うと思うんですよ」と反論した。しかし,古賀さんは「古舘さんいわれましたよね。私がこういうふうになることについて『自分はなにもできなかった,本当に申しわけない』と。(やりとりは)全部録音させていただきました」などと話した。

 補注)関連する画像資料はすでに前段でかかげておいた。ここでは,古賀茂明がこの番組のなかで出した看板(パネル,フリップ)を,より大きく撮した画像を紹介しておく。

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 その後,古賀さんは「I am not ABE」と政権批判ともとれる自作の紙を提示し,「官邸から批判が来るかもしれないが,陰でいわないで,直接私のところに文句をいってきて」と述べた。古賀さんは以前にも同番組で,過激派組織「イスラム国」(IS)による人質事件への日本政府の対応を批判し,「I am not ABE」と発言し,議論を呼んでいた。

 テレビ朝日によると,金曜日のコメンテーターはこれまでも固定化しておらずその日のテーマに合ったコメンテーターを招いており,古賀さんもその1人だという。

 テレビ朝日広報部は「私どもは視聴者の方々にお伝えすべきニュースを報道しており,古賀さんの個人的な意見や,放送中に突然,一部事実にもとづかないコメントがなされたことについて,承服できない思いでおります。結果として,番組に一部混乱がみられたことについて,視聴者のみなさまにおわび致します」とコメントした。

 註記)THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2015年3月28日18時04分  参照。

 

 「菅長官,バッシング『事実無根だ』報ステでの発言に」-2015年3月30日-

 菅 義偉官房長官は〔2015年〕3月30日午前の記者会見で,テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーターが,生放送中に菅氏の名を挙げて「バッシングを受けた」と語ったことについて,「事実に反するコメントだ。公共の電波を使った行為であり,きわめて不適切だ」と批判した。

 〔3月〕27日の「報道ステーション」で,元経済産業省官僚の古賀茂明さんが「菅官房長官をはじめ,官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきた」などと発言した。菅氏は会見で古賀氏の発言について「まったくの事実無根だ」としたうえで,「放送法という法律があるので,まずテレビ局がどう対応されるかを見守りたい」と述べた。

 〔3月〕30日夜放送の「報道ステーション」は菅氏の発言をニュースとして報道。そのうえでキャスターの古舘伊知郎さんが「古賀さんがニュースと関係のない部分でコメントをしたことに関しては,残念だと思っております。テレビ朝日といたしましては,そういった事態を防げなかった,この一点におきましても,テレビをご覧の皆様方に重ねておわびをしなければいけないと考えております」などと述べた。

 註記)THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2015年3月30日22時59分  参照。

 

 報ステ古賀氏発言,暴走か圧力か  局側の萎縮懸念」-2015年4月2日-

 コメンテーターの暴走か,権力による圧力か。テレビ朝日の「報道ステーション」の生放送中,元経済産業省官僚の古賀茂明氏が,官邸などを批判した問題が波紋を広げている。安倍政権は「放送法」をもち出し,テレビ局を牽制。関係者は放送への影響を懸念する。

 テレビ朝日は〔2015年〕3月31日,年度末の定例社長会見に出席した早河洋会長が「ニュースの解説・伝達が役割の番組で,出演をめぐるやりとりが番組内であり,あってはならない件だった。皆さまにおわびをしたい」と陳謝した。

 古賀氏は27日の「報ステ」に出演中,古舘伊知郎キャスターから中東情勢への意見を求められたさいに突然話題を変え,早河会長らの意向で降板に至った,と発言。つづけて「菅(義偉)官房長官をはじめ官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」と述べた。

 早河会長は会見で「古賀氏は金曜日のゲストコメンテーターで,有識者をその都度呼んできた」と説明。4月の年度替わりにさいし,コメンテーターの人選も含めた内容の刷新を指示したが,「固有名詞を挙げて議論をしたことはない」とした。政治家からの圧力については,「いっさいありません」と述べ,古賀氏が「バッシングを受けてきた」と話したことについては,「具体的な中身について聞いていない」とした。

 古賀氏には放送後に報道局長らが厳重に抗議し,今後の出演は依頼していないという。朝日新聞は古賀氏に電話などで取材を申しこんだが,回答はえられていない。テレビ関係者からは古賀氏の発言に対して疑問の声が上がっている。別の民放情報番組のプロデューサーは「番組側としては突然の発言は困るし,公共の電波で私的な発言をするのはおかしい」と批判する。

 テレビ局が報道・情報番組でコメンテーターを招くのは,多様な意見を紹介する狙いからだ。通常は事前に綿密に打ちあわせて放送に臨み,不測の発言は出にくい。ある民放幹部は「出演者が放送中にもめ事を持ち出すのは記憶にない事態だ」と驚く。一方で,「古賀氏にはやむにやまれぬ思いがあったのではないか」とも話した。

 a)「意見や論評よりも解説で良いのか」 --番組が放送された〔2015年3月〕27日から,古賀氏の言動をめぐりツイッター上では賛否が割れた。「政府や官僚が伝えたがらないことを伝えた」と理解を示す意見がある一方,「混乱した」「私憤を番組内で発言するなんて」などの批判もある。そもそも,番組のコメンテーターに求められるのはどんな役割なのか。

 ニューズウィーク日本版元編集長の竹田圭吾さんは「番組をみる視聴者になんらかの知見を提供する役割」と考え,自身も出演のさいに努めているという。古賀氏の行動については「コメンテーターとしての責任放棄だ」と批判する。

 安倍政権のメディアへの接し方には首をかしげたくなることもあるが,番組出演中に私情をはさんで政権批判をするのであれば,明確な根拠を示すべきだという。「それがなければ視聴者には単なる『いいがかり』にしかみえない」。生放送のライブ性を生かし,予定調和を超えた批判を展開するのも「あり」。だが,露骨な表現でなく,ユーモアを織り交ぜ論理的に「風刺」する方が視聴者に伝わりやすいという。

 ただ,懸念するのはテレビ局側の萎縮だ。「コメンテーターの発言内容を事前に確かめるような状態になってはいけない」。経済アナリストの森永卓郎さんは最近,在京の民放番組で「強い意見をいう人」が求められていないと感じる。

 長くコメンテーターを務め,選挙期間をのぞき,局側から発言の規制はないというが,「『左派』に限らず『右派』といわれる人も出番が減った。異なる主張をぶつけあう討論番組じたいもここ10年で尻すぼみになっている」と語る。森永さんは局側の体力不足があるとみる。「制作費が削られるなどして余力がなくなり,面倒なことになるような発言をする人を避けているのかも」。

 一方で,ジャーナリストの池上 彰さんや予備校講師の林 修さんのように,わかりやすく「解説する人」が重宝されていると指摘。「本来,視聴者が多様な意見をしり,判断するのが民主主義。でもいまは意見や論評よりも解説が望まれる。そんな状態がよいのかどうか,考えるきっかけになれば」と話した。

 b)「神経とがらす政権」 --官房長官や官邸からバッシングを受けたとする古賀氏の発言に,安倍政権も神経をとがらせる。菅官房長官は〔2015年3月〕30日,会見で「まったくの事実無根」としたうえで,「放送法という法律があるので,まずテレビ局がどう対応されるかを見守りたい」と述べた。放送法は4条1項で「報道は事実を曲げないですること」と定める。

 テレビ朝日の早河会長は「(放送法違反があったかどうかは)私どもの主観だけでなく,専門家の見解を伺って判断したい」と述べた。菅氏が放送法に言及したことに,政府から放送免許を受けているテレビ局からは戸惑いの声も上がる。民放のプロデューサーは「なにかといえば放送法をもち出す空気が気になる。放送法を権力側が都合よく使っていないか」。

 実際,放送局に対し,「政治的に公平であること」と定めた放送法に沿った注文がつくケースが増えている。自民党は昨〔2014〕年11月,在京テレビキー局に,衆院選の報道に「公平中立,公正の確保」を求める文書を送り,街頭インタビューなどでも一方的な意見に偏らないように要請。

 TBSのニュース番組に出演した安倍晋三首相が,「街の声」の選定について注文を付ける一幕もあった。今〔2015〕年3月には,維新の党が大阪都構想に反対する立場のコメンテーターの起用を疑問視する公開質問状を大阪の朝日放送に送っている。

 別の民放幹部は「もちろんわれわれも公平性には敏感に放送しなければならないが,そもそも放送法は権力側が放送局に介入しないという趣旨の法律ではなかったか」と話す。放送法3条は定める。「放送番組は,法律に定める権限に基づく場合でなければ,何人からも干渉され,又は規律されることがない」。

 c) 砂川浩慶(ひろよし)立教大学准教授(メディア論) --生放送中のハプニングは番組として不適切ではあったものの,今回のもっとも大きな問題は,政権与党と放送メディアとの関係だ。官房長官が「放送法」をもち出したのは非常に巧妙。直接的ではなくても,口に出すことで圧力になる。

 今後,テレビ局側が当たり障りのないコメンテーターを使うなど,結果的にメディアによる権力批判が封じられることにつながることを懸念する。言論表現の自由は本来,市民が権力を批判するためにあるもので,権力をもっているものが振りかざすものではない。権力者が振りかざす表現の自由は,権力に都合のよい言論の自由にすり替わる。

 今後もテレビ局は波風をたてることを恐れず,少数意見や政権を批判する意見も報道し,多様な角度から報道することが重要だ。

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 出所)については,http://www.honmotakeshi.com/archives/43547300.html

 d) 古賀茂明氏「圧力〔は〕,いわれた側がどう感じるかだ」  --テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」の生放送中に突然,自身の番組からの「降板」について語った元経済産業省官僚の古賀茂明氏が〔4月〕2日,インターネットメディアの「IWJ」で約1時間半にわたり,ジャーナリストの岩上安身氏の取材に応じた。

 「官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきた」という古賀氏のテレビでの発言に対し,菅 義偉官房長官が記者会見で「事実無根」「放送法という法律があるので,まずテレビ局がどう対応されるかを見守りたい」と話したことについて,岩上氏が「放送法をもち出すことが圧力ではないか」と問うと「そうです」と同意した。

 過去に圧力があったのかどうかをめぐるやりとりで古賀氏は「圧力とは,いわれたほうがどう感じるかだ」などと話した。

 註記)THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2015年4月2日23時22分  参照。

 

  簡単なまとめ

 以上,古賀茂明の言論活動に関する話題を追いながら時系列的に,安倍晋三政権が言論機関に対して,どのような姿勢で対峙してきたかについて,その基本線を理解してもらうための記述の構成にしたつもりである。したがって,後半部分はほとんど記事の紹介で埋められているが,このように並べて読んでいけば,安倍晋三がいま,なにをもくろみ,たくらんでいるか,およそは理解できるはずである。

 問題の焦点はとくに,戦前回帰を志向するかのような旧態依然の政治志向しかもちあわせない安倍晋三の政治手法は,なかでも米日安保条約体制を除去できないかぎり,これからも永遠に「アメリカの手下・子分でしか」ないし,そしてもちろん「美しくも・ふつうでもない国」でありつづけていくほかない。

 要言すれば,完全に時代遅れの政治家がいま現在,民主主義の基本理念からしだいに別離していくほかない「非民主主義的な独裁政治」をおこなっている最中である。古賀茂明という元経済産業官僚は,安倍晋三政権の反民主制度を告発する役目を果たしていたと解釈してよい。

 敗戦後70年(以上,2021年だと76年も)経っているが,この国は経済大国ではなくなった。もとより政治大国にはなれなかったまま,いまでは,よりひどい政治貧国になりつつある。そこにさらに拍車をかけてきたのが,いうまでもない「われらが首相〔だった〕の安倍晋三」君のみごとなまでの演技ぶり,もちろん大根役者としての有害無益だらけのそれであった。

 

 付 説-「古館と古賀のいいあらそい」をどうみるか,その関連事情など-

 ここでは,「『古館・古賀論争』は,なぜ放送され続けたのか」-『報ステ』スタッフの対応に沸く疑問-(『東洋経済  ONLINE』 2015年4月3日 )を紹介する。この寄稿は,野呂エイシロウ(放送作家,PRコンサルタント)のものである。前項までの記述に大いに関連する内容である。

 テレビ朝日報道ステーション』の生放送(2015年3月27日夜)において,キャスターの古館伊知郎氏とゲストコメンテーターの古賀茂明氏が自身の降板について口論になった騒動。古賀氏が番組内で主張した「官邸からの圧力があった」のかどうかの真相はわからないが,騒動発生から1週間が経とうとしているいまも,世間はこの話題でもちきりだ。

 テレビ朝日早河洋会長は3月31日の定例会見で,「予定にないハプニング的なことで遺憾に思っている」とコメントし,今回の降板に早河会長らの意向や官邸の圧力があったという古賀氏の主張を否定した。

 今回の件,テレビ業界で放送作家も務めている筆者には,ひとつの疑問がある。というのも,テレビ番組の撮影や中継,放送は,すべてがスタジオのなかだけで起こっているわけではなく,出演者がすべてを仕切っているわけでもないからだ。スタジオ外にも大量のスタッフがいる。

 --突発事態が起これば「サブ」が判断する。

 とくに,テレビ番組のすべてを最終的に仕切っているのはある意味で「副調整室」という司令塔である。通常,副調整室は「サブ」と呼ばれる。対する「メイン」はスタジオだ。テレビドラマや番宣などでの一コマで目にしたことがある人も少なくないだろう。

 サブにはモニターがズラリと並び,ディレクターやタイムキーパー,音声,照明など多くのスタッフがそこにいてスタジオをサポートしながら番組を作っている。たとえば,スタジオのカメラのスイッチの切り替え,取材VTRのスタートや音量,時間の調整などのすべてをおこなっているのがサブである。

 テレビ番組の放送中は,スタジオでいろんなことが起こる。突発的な事態もある。それについて対応・調整するのが,この副調整室の役割だ。

 今回,報道ステーションの生放送中に古館氏と古賀氏の間で不穏な会話がなされた。途中のタイミングで,テレ朝スタッフはその気になれば,無理やりCMを挟むことは物理的にはできただろう。サブでCMをスタートするスイッチを押せば,番組をいったん遮ることも不可能ではなかったかもしれない。

 もちろん,CMの提供枠は時間の問題もあって不可能だったという事情があったのかもしれない。ならば,音声を遮ったり,違うVTRを流したりといろいろな方法を採ることも考えられたはず。まあ,とっさのことで,判断は難しかったのかもしれない。現場では「まさか・・・」という感じがあったのかもしれない。

 ただ,生放送のスタッフは本当に反射神経がいい。筆者も生放送の現場で10年以上も放送作家をやっている。生放送ディレクターの神業を何度もみた。多分かなり短い時間にいろんな判断ができるはずだ。

 --「やらせ」説も飛び交うが・・・。

 なかには,この1件の騒動すべてを「やらせ」と考えているような人もいるかもしれない。筆者は考え過ぎだと思う。視聴率が飛び抜けていいわけでもない。番組サイドにもメリットが浮かばない。いまさら話題づくりが必要な番組でもない。

 テレ朝の早河会長も2015年3月31日の定例会見で,「生放送だったので局としてはあれば精いっぱいの対応だったが,あのような事態に至ったことについては反省している」と述べている。

 テレ朝は単に止められなかったのか,それとも止めなかったのか。これも本当のことは表からは分からない。ただ,報道ステーションのスタッフが,2人のいいあらそいをそのまま放送しつづけたということは,テレビ業界をしる人間からすると不思議に思う面はあるのだ。

 註記)http://toyokeizai.net/articles/-/65196?page=2

    今回の騒動は,古賀 vs 古舘・テレビ朝日という構図に矮小化されている。古賀氏が真に訴えたかったのは,もっと大きな危機だ。古賀はこう警告している。

 「古賀 vs 古舘の構図で語られたり,テレ朝の内紛で片づけられるのは,結果的に官邸の思うつぼです。このままでは本当に日本は独裁になってしまいますよ」。

 

 「 “あなたがすることのほとんどは無意味であるが,それでもしなくてはならない。世界によって自分が変えられないようにするためである”  というガンジーの言葉を番組で出しました」。

 

 「いま,いろんな圧力があるのに,その実態は報道されなくなっています。だからなにか特別なことをしなければ報道されない。報ステでの行動で,今後,テレビに出られなくなるのは百も承知です。それでも,マスコミの人たちに『あなたたちのしらないうちに自分が変えられているんですよ。胸に手を当てて考えてください』と伝えたかったのです」。

    註記)http://news.livedoor.com/article/detail/9968888/
    出典)元記事は『日刊ゲンダイ』2015年4月4日10時26分。

 さて,このテレビ局内部の事情にくわしい人が解説する古賀茂明自身と,そして関連の出来事「など」について,われわれはどのように受けとめればよいのか? 

 話は前にほうに飛ぶが,たとえ安倍晋三が首相としてやりたいことを思う存分にやったとしても,この国の未来がよくなるという保証はない。むしろ悪くなることは請けあえる。安倍晋三は「戦後70年の談話」を出したいらしいが,世紀の歴史に「日本国の恥辱」を記すような中身にならないことを祈るばかりである。

 補注)その安倍晋三「戦後70年の談話」については,この記述のあとに発表された件であったので,たとえば,つぎの記事などで確認してほしい。もっとも,この人にこのたぐいの重大な問題が語れるのか,当初から疑念だらけであった。

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