かつて下村 治というエコノミストがいて,1960年の安保騒動直後に登場した池田勇人首相に助言し,庶民向けに「所得倍増計画」の夢を表明させた,事後それなりに成就していった,だが,半世紀以上が経った現段階になって,同じ提唱をかかげようとした岸田文雄・新首相の「発想の軽率」(その2)

  池田勇人いけだ・はやと,1899年-1965年)は,日本の政治家で大蔵官僚であり,衆議院議員を7期,その間,大蔵大臣や通商産業大臣経済審議庁長官を務めた。自民党では,自由党政調会長・幹事長,内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。

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【 ま え が き 】

 表記の題名で記述をした昨日,2021年11月3日の内容「🌑 前 論 🌑 本日の記述に関連する話題を最初にとりあげておく」は,つぎの3項目を柱に立て,書いていた。この「本稿・その1」となる記述は,あくまでその現時点における内容・議論になっていた。

   前論の ① 「所得倍増論」といういまどきの幻想論

        前論の ② 駒野 剛「〈多事奏論〉令和の『所得倍増』 展望あやふや,民は 

        奮い立たず」『朝日新聞』2021年11月3日朝刊13面「オピニオン」

        前論の ③ リーマンショックが発生したあとにも,下村 治を話題にする人がいた。

 

-------- 以上の「前論」:住所へのリンクは(  ↓  )---------

 

 本日の11月4日につづけて記述するのは,,本ブログの旧ブログが2015年11月13日に「真実を語ったエコノミスト-下村 治」と題して議論した内容であり,これを再掲,復活させている。

 実は,この旧ブログの中身はさらにさかのぼって,2009年2月12日の時点で記述されていたが,きっかけがあって2015年11月に補正をくわえ,再公表していた。そして今回また,再々となるわけだが,この記述として公表することになった。

 いまから半世紀以上も前,そのころに新しく内閣総理大臣となって登場した池田勇人が,「所得倍増論」という政治目標を提唱した。そして最近,この10月4日に自民党総裁から日本国総理大臣に就いた岸田文雄が,その池田の提唱をなぞり,反復するかのように提唱した。

 本ブログ筆者は,そうした岸田文雄が新首相となってだが,自分の政治理念らしきものを具体的に表現するための素材に再利用した「所得倍増論」は,たいそう昔に提唱されていたにもかかわらず,岸田はこのたび「それ」をわざわざもちだしていた。

 しかし,自民党極右的な専制的独裁志向の政権が,安倍晋三の第2次政権から菅 義偉まで足かけ10年もつづいた。その「2012年12月26日から2021年10月4日までの日本国」は,まさしく国家を「崩壊し,破綻させ,沈没していく」悪路に向かうばかりであって,それもなんと,好きこのんで突き進んできたかのようにも映る政治過程をたどってきた。

 ところが,この安倍晋三と菅 義偉という2人の首相は,「みずから描きながら構築してきた」つもりであっても,自分たちが結果させてき「現実とその負の実績”」を,まともに事後評価できないままに終わっていた。むろん,それがために彼らは,そうした「負の成果」を自覚できないどころか,自分たち側ではいい貢献をしえたのと,我田引水だけはしっかりこだわっている。

 補注)噴飯モノ(そのてんこ盛り)の安倍晋三はさておき,菅 義偉は2021年10月31日に実施された衆議院選挙の運動期間中に,「自分のおかげでコロナ過がこのごろはすっかり収まった」と豪語していたらしい。

 

 だが菅 義偉は,コロナ過が猛威を振るっていた時期にオリンピックを開催させるなど,それこそ気▲い沙汰の采配していた。新型コロナウイルス感染症としての特徴についてはなにも知識をもたず,くわえてはなにも学ばぬまま,そのように小学生程度の自意識だけが地滑り的に横溢させうる語りならば,彼はたくさん披瀝していた。

 そうした国家全体がはまっている体たらく状態のなかにありながらも,自堕落である「執権党の自分たち」だけによって,この国のマツリゴトを好き勝手にいじくりまわし,ひたすら野放図に為政(?)してきた。そうした彼らのでたらめなその為政のもとでは,民たちの生活ぶりが目線のなかにまともに入るわけがなかった。

 その間,とくに2020年からはこの国の民たちが強いられてきた「コロナ過における苦労・困窮」など,どの吹く風とばかりと,安倍晋三や菅 義偉たちは「死物(私物)化為政」に励んできた。

 そのなによりの現実的な証拠は,一国の実力を計れる経済指標に端的に表現されてきている。だが,日本の現状は「今は昔」の状態に映っている。

 ともかく12年も前の「昔に書いていたこの文書」を思い出して,今日の記述に再生させることにしたのは,それなりに意味がありうると思ったからである。

 なお,本記述をここに再々の掲出をするにあたっては必要な最低限の補正となる改筆がなされている。

 

   ◆ 骨あるエコノミストだった下村 治 ◆
      -日米関係のなかの日本経済「論」-

  日本国の対米従属は政治(軍事)だけでなく,経済(産業)もそうである

 下村  治(しもむら・おさむ,1910年~1989年)という官僚出身のエコノミストがいた。いま,この時期になってこのエコノミストを再評価する声が高い。下村 治『日本は悪くない-悪いのはアメリカだ-』(文藝春秋,1987年4月初版)は,「文藝春秋,2009年1月」として復刻されていた。本ブログ筆者もこの文庫本で,下村の経済思想に初めて触れた。

 本書の詳細と目次は,つぎのように解説されている。さきに下村の経歴を紹介しておく。

 佐賀県出身。東大経済学部卒後,大蔵省入省。アメリカ在勤後,日銀政策委員等を歴任。退任後はエコノミストとして活躍した。池田勇人内閣の経済ブレーンとし て,日本の高度経済成長を予見。所得倍増計画の策定に携わる。1973年の第1次石油ショック後は,成長の条件がなくなったとして,ゼロ成長論を一貫して唱えた。

    戦後を代表するエコノミスト,下村 治が書いた『日本は悪くない-悪いのはアメリカだ-』1987年は,日本がバブルの絶頂 へ向け驀進していたなか,「日米は縮小均衡から再出発せよ」と異端の警鐘を鳴らしていた。米国の金融バブルが崩壊し,恐慌の縁に立つ世界に,切実に響く議論を展開していたのである。同書の目次はこうである。

      第1章 世界的経済不安定の元凶は日本ではない

      第2章 アメリカの言いがかり

      第3章 日本は事態を正しく認識していない

    第4章 自由貿易が絶対的に善か

      第5章 もうすでにマイナス成長がはじまっている

   第6章 “国民経済” という視点を忘れたエコノミストたち

      第7章 ドル崩落の危険性はこれほどある

      第8章 日米は縮小均衡から再出発せよ

      第9章 個人生活は異常な膨脹以前の姿にもどる

 2008年9月の米リーマン・ブラザーズ破綻に端を発する世界金融危機の本質は,どこにあったのか。日本のとるべき道は? その答えを探るのに格好のテキストこそ,21〔34〕年も前に,戦後を代表するエコノミスト下村 治が上梓した本書であった。

 「アメリカ経済はまったくの消費経済になった」「株信仰がつくる株高現象はいつか崩れる」 --実体のない金融ゲームにうつつを抜かしてきたあげく,恐慌の淵で脅えているわれわれは,いまこそ下村の遺した声に真摯に耳を傾ける必要があります。神谷秀樹氏による序文,水木楊氏による解説をくわえて緊急出版! 

 以上,出版元の宣伝・広告がしらせる下村 治のエコノミストとしての面目躍如ぶりであるから,多少は割り引いて聞く余地がありそうである。だが,以上の下村に対する「著作を介した説明」はそれほどおおげさに修飾されているわけではない。

 ここでは,つぎの解説を住所(リンク先)だけを指示するかっこうで紹介しておくが,これを読んでもらえれば,経済学者としても高い評価が与えられているエコノミスト:下村 治の理解が進むはずである。

 ⇒  https://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/pdf/tenzi_shimomura.pdf

 

 1) アメリカ経済の浪費癖を批判

 前段に氏名の出ていた神谷秀樹は,下村 治『日本は悪くない-悪いのはアメリカだ-』に巻かれた帯に,「本書こそ日本が進むべき『正しい道』が示されている」との「断言」を書いている。下村 治の氏名をもって,インターネットを検索してみると,まず最初にこの神谷の記述が登場する。

 「神谷秀樹の『日米企業往来』」なるホームページの欄は,2008年2月4日に「下村治博士の20年前の警告をみつめよ」と,以下のように記述している。しばらく引用する。

  a) 池田内閣の参謀として所得倍増計画を設計した経済学者としてしられる下村 治博士は,石油ショック以降は,「安価な資源が無制限に安定供給されるという『成長の基盤』はもはやなくなった」と喝破し,「ゼロ成長論者」になった。

 そして,1987年にはさらに『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』ネスコ発行,文藝春秋,という著書を発表している。

 現在〔当時〕起こっている米国のサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)問題を発端とする米国ならびに世界経済の混乱の本質を理解するには,実に20〔34〕年前に書かれた本書をひもといていくことをお勧めする。

 なぜなら,現在の混乱は,下村博士が当時に指摘した問題と,その解決として提唱された処方箋を,米国も日本も採用せず,対症療法を重ね,さらに問題を数段拡大してしまった結果と理解できるからである。

 下村博士が本書で指摘している根本問題は,レーガノミックス以降の,米国の財政並びに経常収支の「双子の赤字」とその赤字を招いている,米国消費者の「稼ぐために金を借りて消費する」体質である。

 米国のGDP(国内総生産)の7割は個人消費である。この個人消費は,クレジット・カード,ホームエクイティ・ローン,自動車ローンなどの借金によって形成された。日本や中国からの輸出も彼らの借金力に大いに頼っていたのである。

 b) アメリカは借金で火の車の経済にメスを入れた。国家の財政も赤字,経常収支も赤字,生産力は低下するなかで,発展途上国であればとっくの昔に破綻し,IMF国際通貨基金)の管理下に入ったであろう。

 その国が,たまたまドルという基軸通貨を自国通貨とし, 海外に垂れ流した金が還流するシステムを構築することで,「借金火の車経済」を繰りまわし,あたかも繁栄しているかのようにみせかけつづけた。

 下村博士はこれを「砂上の楼閣」と呼んでいる。そして「身の丈以上の生活の仕方はやがて破綻し,その時にドルは暴落する。また日本が米国にいった貯金も返らなくなる」と警告した。

 米国政府に対しては大幅な歳出削減と増税以外に道はないと説いた。そして米国民に対しては,「マネーゲームに惑わされず,堅実な生活設計を立てること。あまり欲の皮を張りすぎると悪徳業者にだまされるのがオチである」と説いていた。

 しかし,実際にはどうなったのか。誰も博士の警告に耳を傾けなかった。その後も日本の土地バブルを含めて,日米ともに何度かのバブルと,バブルの崩壊を経験したが,日米政府ともにつねに金利を下げ,通貨供給量を増やし,「バブルの崩壊の処方箋は,またバブルを創ること」という政策を重ねた。

 注記)http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080122/144992/(←なお,このサイトは現在〔2015年11月13日〕ではみつからなかった。今日〔2021年11月4日)も同じであった。

 2) アメリカの手先(?)が日本にいる-竹中平蔵

 1980年代後半の日本経済がバブルであったとは,当時誰も気づかなかったとよくいわれるが,バブルを見越した経済学者はいた。故下村 治氏である。

 1987年4月初版の『日本は悪くない-悪いのはアメリカだ-』という,やや激越なタイトルの本のなかで,下村氏は,当時の株価高騰についてズバリ,「このブームに安易に乗っていてはやけどをする。なぜなら,この動きは経済の実体を反映していない特殊な動きだからだ。株というものに対する一種の信仰が現在の株価を支えているにすぎない」と断言した。

 いまにして思えば,まさしくそのとおりだったのである。この本は,けっして反米思想や嫌米趣味の本ではない。むしろきわめて冷静に,当時進みつつあったアメリカの債務国化という現象の原因と問題点,日本に与える影響などを分析したものである。

 この本が出てから約13年〔22年→28年が〕経過しているが,その問題意識は決して陳腐化していないのみならず,いまの世界経済を考えるさい,ますます重要な視座になっている。

 補注)その後さらに年月が経過してきたが,同様に,現時点までも同じに受けとめてもよいはずである。この項目の見出しに出ていた竹中平蔵なる「経済学者業をなりわいとする人物:政商」が,菅 義偉政権時まで長期間,規制緩和新自由主義者として日本経済をむしばむ,それもアメリカの手先として大活躍してきた「過去」は,日本国民たちは絶対に忘れてはいけない「歴史の事実」となって記録されている。

 こうした事態が現実化したときの 日本経済への影響についても,氏は冷静に想定しておられる。そういうばあい,金融機関が真っ先に大きな影響を受けるが,一般国民や企業には直接即刻の影響はそれほどない。「なにしろ問題は,経済の実体ではなくてカネだけの話である。このアブクのようなものの流通が一時的に混乱するにすぎない」。

 金融機関の決済ネットワークが崩れさえしなければ,つまり,政府が信用秩序を維持するために細心の注意を払って,どんな小さな金融機関でも経営危機になれば乗り出すことさえしていれば,信用秩序が崩壊して恐慌が起こることはない,という。

 しかし,実際の1997年秋の山一証券,三洋証券,拓銀から始まった金融危機では,無責任な市場原理主義者の発言や不安心理に便乗した外資系金融機関の投機活動で,必要な信用秩序維持の努力が阻害され,いたずらに信用不安を拡大したのだ。中長期的な金融自由化と,目のまえの危機への対処をごっちゃにした市場原理主義者の罪は重い。

 さて,資産国家日本の一般国民への下村氏のメッセージはきわめてシンプルである。いわく「各個人はあまりマネーゲームに惑わされず堅実な生活設計をたてることだ。平凡で堅実な生きかた,それを続けるかぎり間違いはない。あまり欲の皮を張りすぎると悪徳業者にだまされるのがオチである」と。

 一昨年の円安時には外貨預金がはやり,最近再び株価が上昇基調に転じて投信ブームが来そうな感もあるが,われわれは充分慎重にかまえたほうがよさそうだ。そしてなによりも,氏は,国民に利己主義を捨て公のために汗を流す心構えを訴える。

 われわれの社会,われわれの経済を安定した望ましいかたちにするには,自分たちの汗と,ばあいによっては血を流さなければならない,という覚悟,そういう苦しみや犠牲に耐える覚悟と能力と意欲が必要であるという精神が,日本では非常に希薄になっている。これは世界的な傾向だが,アメリカなどにはまだ残っている。しかし 日本では非常に欠如している。

 なあ,竹中平蔵よ,学生運動のせいで東大の入試を受けられなかったために,日本のエスタブリッシュメントに入れなかったことが,そんなに悔しいか。靴屋の倅である(部落出身者である〔これは問題を含むことばとなりうる発言かもしれないが,本文どおり引用しておく〕)ことが そんなに悔しいか? 私〔神谷〕はここまでいう。

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 アメリカの手先そのものの竹中平蔵は,開銀に入行したのは,経済学者の下村 治にあこがれたからなのだそうだ。信じられない話である。なぜなら実は下村氏 こそ,真の愛国派エコノミストであるからだ。くわしくは,水木 楊氏の『エコノミスト三国志』(文春文庫)を読んでいただきたい。 

 注記)〔 〕内補足は筆者。http://amesei.exblog.jp/1513131/ →このサイトも現在はみつからないが,2021年11月4日現在月4日にあらためて検索したところ,つぎの点(残骸)だけが掲示されていた。

 つまり,「ブログトップ」amesei.exblog.jp  のみが表示されており,「このブログは管理者のみ閲覧可能です」という非公開(中)のブログになっている。ただし,該当日に記述されていた題名のみは分かる⇒『ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報』。となれば,竹中平蔵への含意,きっとなかにはこの人が登場しているに違いない,という推測は不自然ではない。


  日本国の政治経済的主体性の問題

 1) 日本叩きの意味

  本ブログの筆者は,旧々ブログの「2008.12.13」「森田 実 & ベンジャミン・フルフォードの主張」,副題「真実を語り正論を吐くと干されるこの世の中」注記)において,数年まえまではマスコミなどの場をとおして,日本のエ スタブリッシュメントに対する「歯に衣着せぬ」率直な発言をしてきた政治評論家の森田 実が,いつのまにかメディア,それもとくにテレビ放送からその姿を 〈消された事実〉を指摘した。

 注記)この旧ブログの記述は近日中に再掲,復活させたい。

 森田 実『崩壊前夜-日本の危機-』日本文芸社,2008年10月は,世界中を不幸にした「市場原理主義」に決別せよ(!)と迫った著作である。「リーマン・ショックのつけをアメリカは日本に払わせようとしている」という批判も繰りだしていた。

 メディアの世界に登場・活躍していたときの森田は,「日本のエスタブリッシュメント」の耳には痛い直言を遠慮なく放つようになっていたからか,あるときの発言をきっかけに,その世界から彼は追放された。

 「日本のエスタブリッシュメント」層は,目の上のタンコブのように目障りな存在だった,つまり「本当のことを語り批判する」森田をメディアから遠ざけることによって,「自分たち」が〈裸の王様〉である真実の姿から目をそらすことができていたのである。

 補注)森田 実とほぼ同じ目に遭わされた経済学者として植草一秀がいる。この植草は竹中平蔵に向けて,非常に耳障りな,つまりまっとうな批判的意見を繰り出しつづけていた。それがために,竹中の強い反発や嫉視を惹起させてしまい,陰謀的(?)な策略の犠牲者になったと推定されている。そういった解釈が的を射て射た事実は,時間の経過とともにより明瞭になっている。

  かつて「中国との泥沼の戦争」や「アメリカとの経済力戦争」(大東亜戦争=太平洋戦争)に敗北した大日本帝国は戦後,真正(理想的!)ともいえる〈民主主義の憲法〉を与えられ,また「自国の名称」を日本国にかえさせられてからは,すっかり格落ちしてしまった。

 いまもそうなのであるが,アメリカ「帝国」に命じられると, すぐに「へい,へい」とすなおに聞き,ひたすらいわれるままに彼の国に頥使されて止まない〈子分・舎弟・三下〉が大勢いる〈3流の国家〉になり下がっていた。

    補注)最近〔その後の日本〕におけるその代表者は,安倍晋三に交代していた。このことは,贅言を要しないほど明々白々の事実であった。日本経済は落ち目に向かいつつあり,むしろ日本企業で活動が旺盛な会社の事業は,海外における製造・販売のほうが過半であり,より充実している。

   それゆえか,こんどはもっぱら軍事面での米国に対するご奉仕に熱心でありたいと願望しているのが,このオボッチャマ宰相であった。一見したところ愛国者に映る彼の姿は,実は売国主義的・反国民的である。

 敗戦後においてもこの国は,持前の勤勉さと努力・向上心はかわらず維持してきた。戦後日本経済は,明治帝国主義の立国理念(富国強兵ならぬ貧国強兵)に不可避だった「軍事費の軛」を外されていた。

 1950年6月25日,北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国〕の独裁者支配者:金 日成が,スターリンや毛 沢東にも相談したうえで起こした〈朝鮮戦争〉は,日本経済にとって千載一遇の戦争景気をもたらした。その直前までは瀕死状態だった日本の産業経営は,起死回生の契機を与えられ,その後は徐々に本来の優秀さを挽回,発揮しうることができた。

 他方で,アメリカ産業経営は,ベトナム戦争(1960-1975年)の影響による国内疲弊の影響もあったが,対照的に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおだてられるようにもなった「日の丸:JAPAN」産業経営との経済戦争において,アメリカ側は大苦戦させられ,つぎつぎと敗退させられる屈辱を味わされてきた。

 アメリカ経済はその間, 日本諸企業の躍進などによって,すっかり日本経済・産業経営の後塵を拝する立場に追いこまれたのである。

 だが,そうした日米経済関係の劣勢傾向に焦りだしたアメリカは,1980年代に入ると「政・官・財」総力を挙げて「ジャパン・バッシング」(Japan  bashing)を画策しだした。日本を打ち負かすための国家戦略を具体的に樹立し実行することに,全力を集中しはじめてのである。

 アメリカは結局,その成果を上げてゆき,1991年の湾岸戦争開始のころまでには「ジャパン・パッシング」(Japan  passing)にまで成功する。1990年代の日本は,バブル経済破綻もあって一気に落ちこみ,事後,「失われた10年」といわれる〈苦難の時期〉を体験する。

 補注)その後において日本は,なんとさらに,その「失われた10年」を2度,3度と重ねてきた。その事実については,この国に暮らす民の1人として本ブログ筆者も,本当に情けなく感じてきた。

 アメリカはその間,21世紀になるまでにはさらに 「ジャパン・ナッシング」(Japan  nothing)を成就しえたかのようにも映る,アメリカが有利でありつづける〈米日関係の構築〉に成功した。

 2) 属国日本からの脱却

 21世紀での話になる。2008年には8回めにもなるアメリカからの『対日年次改革要望書』は,まるで日本〈国〉を属国あつかいする,対「日本国政」改善命令書のような中身であった。

 たとえば,最新の『年次改革要望書(日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書)』2008年10月15日は,

 「米国政府は,本要望書の提言について引き続き建設的な協議を期待するとともに,同イニシアティブの下,日本国政府からの提言を受理することを歓迎する」

と冒頭で断っていた。けれども,この要望書の実体は,アメリカが日本に突きつけてきた命令書に等しい点は,周知の事実であった。

 つぎに『対日改革要望書(2007年10月18日(第7次)』は,その表題だけ紹介しておく。在日アメリカ大使館のホームページには堂々と『対日年次改革要望書』が日本語訳でも掲載されている。日本国および日本人たちは,これをよく読んでおけ,ということなのか。要は,アメリカの〈要望〉は日本に〈半強制〉されてきている。

    『日米経済調和対話-米国側関心事項 2011年2月』は,最終版としての『対日年次改革要望書』になっていた。うがった見方をするとしたら,いまの日本は,今後の米日関係の枠組のなかでは,なにもいわれなくとも,アメリカのいうことをよく聴くということか。

    補注)この「対日年次改革要望書2011年」のホームページ,⇒ http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20110304-70.html  は,現在(2021年11月4日に再確認したもの)は削除されており,閲覧不可である。

 それはともかく,その要望書は最後の段落「米国側関心事項」において,アメリカが日本に要求する具体的な内容を詳細に記述してあった。

 関連する「日本政府側の関連ページ」,http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/tyouwataiwa1102.html は,現在も公開されている。これを読んでみれば,いわゆる米日間の「服属的な国際関係」が理解できるはずである。

 ⇒ 外務省:「日米経済調和対話」事務レベル会合の開催について

 下村 治『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』1987年は,そうした超大国意識むき出しのアメリカ国家の身勝手な要求を撥ねつけろと論じた「骨のある」著作である。筆者の専門領域である経営学に関係したつぎの個所を参照しておきたい。

 下村は「自分だけが正しい,という思想がアメリカを大きな間違いに導いている」と項目で,こう記述している。

 

 アメリカ政府が自由貿易主義が自由貿易主義を金科玉条にする背後には,多国籍企業の論理が存在すると考える。

 

 多国籍企業というのは国民経済の利点についてはまったく考えない。ところが,アメリカの経済思想には多国籍企業の思想が強く反映しているため,どうしても国民経済を無視しがちになってしまう。

 

 では多国籍企業はどういう考え方をするのか。単純にいえば,勝手気儘にやらせてくれ,ということである。そして,こういう考え方がアメリカ政府や産業界を支配しているため,国民経済の観点からいえば不都合なことでも,アメリカの声として日本にもちこまれる(105頁)。

 

 典型的なのがアメリカの経済学者である。日本人はどういうわけか,アメリカの経済学者といえばすぐ優秀で尊敬に値すると思いがちだが,私にいわせれば必ずしも優秀ではない。もちろん,頭脳そのものは優れているだろうが,なにしろ,彼らの頭にあるのはカネだけだから狂ってしまっている(93頁)。

 「頭にあるのはカネだけ」で「狂ってしまっている」人間がいるのは,なにもアメリカだけでなく,日本・日本人であっても,さらにいえばどの国の人間であってもまったく同じである。

 とうことで,どこの国の人間であっても,カネのためなら必死になってなんでもする,という御仁のほうが多数派である。しかも,何千円か何万円のために強盗や人殺しをしてしまう人間までいる。

 いずれにせよ,下村の最後のことば「アメリカの」「頭にあるのはカネだけ」は,注意して聞く必要がある。

 ともかく,アメリカはいま(ここでは「当時とは2015年」のこと), 日本政府が1990年代において自国産業経済を救済するために導入した施策に酷似する措置を,新大統領オバマのもとでとり入れ,実行しようとしていた。

 ところが当時,日本政府が自国経済社会をてこ入れし,蘇生させるためにとり入れた施策を,アメリカは自由主義経済の観点からきびしく非難していた。

 結局,いまや米日間の立場が逆転した。アメリカは,かつて日本を非難したのと同じ方法を自国産業経済の再生策としてとり入れている。まことに身勝手で矛盾した 「一国超帝国主義」の支離滅裂なる行動である。現段階におけるアメリカはまさしく,『裸の王様,アメリカ』(宮内勝典著,岩波書店,2002年の題名)である。

 現段階での世界政治経済の構図は,大きくかわりつつある。2008年後半(当時),けっつまづいたような状態にある中国経済やロシア経済はさておき,ブラジルやインド,トルコなどの経済成長に注目する必要がある。

 日本が旧帝国主義時代の悪印象をいまだに払拭できないまま,アジア地域で政治・経済上のリーダーシップをとれないのはどうしてか,をいま一度深考してみる必要がある。

 日本が,60年以上〔→70(76)年〕もまえに終結した第2次世界大戦にかかわる「戦争責任」問題さえ超克できないようでは,いつまで経っても東アジアにおいて指導的な立場を構築できないし,そしてまた「頼りになる日本」という名誉ある地位も獲得できない。

 しかし,アメリカは,そのような立場・地位に日本がなることを,けっして期待も要望もしていない。アメリカは実のところ,日本がそうならないように,裏であれこれ妨害・阻止はしてきている。

 たとえば,中東における日本の評判は,イラク戦争への日本軍〔自衛隊3軍〕の派遣によって確実に落ちていた。アメリカはこの変化を, 自分の表情をかみ殺しながらも,本当は心底ほくそ笑んでいたはずである。

 忘れてならないのは,「俺のいうことを聞け,黙ってカネだけは出せ」が U.S.A. の基本姿勢であることである。旧ソ連という国があって,この国はいつも「俺のものは俺のもの,お前のものも俺のもの」という強引な態度が特徴的であった。似たり寄ったり・・・。

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【参考記事】

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