徐々にかつ確実に衰退してきた日本の国家体制,自民・公明はむろん立憲も共産も(維新は論外),この国の未来を展望できずまともに復旧できない,人民たちがこれからもただ困窮していくばかりで,高齢化現象だけが昂進しつつ弱小後進国へと突きすすむだけの現状(その2)

 国家運営体制のあり方に対して向けられるべき,つまり最低限は絶対に必要である「国民としての権利であり義務である」「本当の怒り」を忘れた「この民たち」になりはてたままで,今後も同じに生きていけるつもりか?

 3代目のろくでもなく世間しらずの世襲政治屋たちが,国会では国民たちの日常生活感覚とはまったく無縁の別世界で,踊り狂うようにして,それも仲間うちの「毛繕いばかりである」「手前勝手の私物化為政」に専念しているが,これでいいのか,許していていいのか。

 そうこうしているうちにこの国は,彼奴等が奏でる行進曲に乗せられ後進国化へと向かう道を,足並みをそろえてこれからも確実に歩まされるほかないのか。国政選挙に半数が棄権する国民たちがいるのだから,もしかするとその行進曲が奏でる意味についてすら,まだまともに理解できていないということになるのか。

「本稿(その1)」は以下の記述である】

 

  本日:2021年11月25日の新聞報道にみつかる関連の記事から紹介
     -弱者・貧者をまともに救わぬこの国は,ろくでなしの「世襲(2・3代目)政治屋」がのさばり,「3流国風の体たらく」が乱舞するー

 1)「〈経済気象台)バラマキより継続的支援を」朝日新聞』2021年11月25日朝刊10面「金融情報」

 岸田首相が創設した新しい資本主義実現会議は緊急提言で,持続可能性や「人」を重視する新しい資本主義の構築や,多様性と包摂性を尊重し,誰一人として取り残さない社会の実現をうたった。効率一辺倒だった経済運営が変わる,という期待を抱いた国民も少なくなかっただろう。

 しかし,公表された経済対策は規模の大きさへのこだわりや不明確な財源確保策,給付金のバラマキなど,期待にそぐわない古臭さを強く感じさせる。とくに子供向け給付金は特段困っていない世帯にも広く配られ,選挙目当て以外の意図を汲みとることがむずかしい。

 コロナ禍によって生活の糧を失った労働者やその家族を,眼前の危機から救う必要性と緊急性はいうまでもない。しかし,非正規労働者や母子家庭,貧困世帯,障害者,要介護高齢者など,大きな困難に向きあう多くの人びと,

 換言すれば成長と分配から取り残されてきた人びとには,一度かぎりの救済を超えた継続的支援の強化充実こそが重要だろう。彼らを日々支えるNPOへの支援強化を含め,税制・財政・制度を通じた手立てに知恵と金を絞ってほしい。

 コロナ禍で過大な債務を抱えた中小企業は,これから正念場を迎える。コロナ後の経済社会の変容や,ゼロカーボンやデジタル化のうねりに対応した,中小企業ならではの付加価値の創出が不可欠である。当座の現金給付を超えて,たとえば外部専門機関の伴走型支援をえて事業変革やイノベーションに取り組む企業への継続的支援が必要だろう。

 岸田首相がめざす新しい経済社会の実現に特効薬はない。地道で息の長い支援と政策が不可欠だ。われわれはそれをアベノミクスの失敗から学んだはずではないか。(山人)(引用終わり)

 a) 岸田文雄政権は「文雄を仮面を被った晋三・アベ」的な政権だと皮肉られた点は,すでに既知のことがらであった。この経済気象台への寄稿をした人物「山人」は,このようにはっきりと『アベノミクスの失敗』と記している。

 2021年12月26日に成立・発足した第2次政権以後の安倍晋三による〈お子様的な総理大臣〉為政は7年と8カ月続き,そのあとに登場した菅 義偉政権も,ヒドクすさんだデタラメ政権だったゆえか,1年ほどしかもたず,2021年10月4日には退場した。

 というしだいで,そのあとに岸田文雄が登場するまでこの国のマツリゴトは,政治の面では民主的な基盤が破壊しつくされ,経済の面では沈下傾向ならばより確実となってしまい,社会の面では不安と不幸と不満がうっせきするばかりであった。

 アベノミクスがうわべだけなのであれば華やかに提唱されていた時期,このコラム「経済気象台」に寄稿されたごとき前段の文章に相当するような記事が,大手紙の経済面に掲載されることはなかなかむずかしかった。

 要は「社会の木鐸」としての使命に関する自覚が,新聞社(大手紙)には多かれ少なかれあったはずだという社会認識は,当の新聞社「幹部記者たちの記憶」からはどこかへ飛んでしまった状態になっていた。

 いまごろ,このコラム「経済気象台」の寄稿者のように発言してみてくれたところで-もちろん,いわないよりはずっとマシではあるけれども-,安倍晋三君がまだ首相をやっていた時期においてこそ,このような批判(論評)がそれこそガンガン放たれることがなかったという「過去:歴史の実績」は,いまとなってはなんとももの悲しい記憶である。

 b) たとえば,つぎに参照する『朝日新聞』2021年10月20日朝刊の1面記事のなかに出されていた統計図表は,あのアベノミクスの提唱者自身がまさしく世襲政治屋として,とりわけ3代目としてのダメさ加減を,まさに文字どおりに『売り家と唐様で書く三代目』として,大いに発揮しつづけた「2010年代における日本経済過程〔が衰退していく様相〕」の実態を分かりやすく描いていた。

【参考記事】-『朝日新聞』2021年10月20日朝刊から-

 

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 ところが,当時の過程のなかですでに分かりきっていたそうした「歴史の事実」が,その時々において安倍晋三に向けて突きつけられ,批判の材料に使われ,その責任をとりあげ,問い詰めるといった「新聞記者であればしごく当然の仕事」は,なぜか,極力回避されていた。つまり,言論人みずからが自分たちの萎縮した立場を,無様にもさらけ出していた。

 だが,安倍晋三とこの相棒だった菅 義偉が首相を辞めてから2週間ほど経ったところで,前掲の2021年10月20日朝日新聞』「朝刊の1面」においてようやく,このように「アベノミクスのダメノミクス的なゴミノミクス性」,いいかえれば「国民生活全体にとっては無益であるどころか有害な基本性格」を,視覚的に分かりやすくする工夫をした図表が出されていた。

 しかし,これこそまさに時遅しの事例であった。

 安倍晋三がまだ首相であった時期にであれば,このような図表は「政権の失策」を真っ向から批判する記事の中身として生きかされているはずだった。だが,その後の「当時の〈いまごろ〉」になってから,それを朝刊1面にかかげて説明したところで,これが本来意味させようとした中身の〈現在的な価値〉は半減(以下の意味)にしか受けとれない。

 c) 要は,安倍晋三の第2次政権下,「腰が引けた報道しかできなくなった大手紙」は,安倍晋三や菅 義偉の極端なまでの悪政(失政・暴政)に少しも歯止めをかけられず,いいようにやられっぱなしであった事実を記録する新聞・紙面造りしかできないでいた。

 だから,アベ・スガが首相だった時期,2012年12月26から2021年10月4日という期間は「日本の民主主義は窒息死寸前」にまで追いこまれていた。この事態に真っ向から抵抗する大手紙はなかった。

 そのせいか,冗談半分(以上!?)に世間では,日本のクウォリティ・ペーパーは『日刊ゲンダイ』だなどと大マジメに評価されている。この指摘はいまとなっては,冗談ではなくなっており,以前であればそれほど真剣に相手にもされなかったこのタブロイド判夕刊紙が,アベ・スガの極端なまでの悪政がつづく政治状況のなかで,新聞業界における相対的な地位を確実に上昇してきた。

 補注)ウィキペディアの説明。『日刊ゲンダイ』は,講談社系の出版社である株式会社日刊現代が発行するタブロイド判夕刊紙で,雑誌出版社の業界団体である日本雑誌協会に加盟している。国立国会図書館の分類ではスポーツ紙・夕刊紙に分類されている。日本新聞協会には加盟していない。即売を中心に,キヨスクなどの駅売りでは『夕刊フジ』や『東京スポーツ』と競っている。 

 要は「時の政権」の為政に関した「事実・真実」に肉薄し,その批判的な解明もできる報道姿勢を,基本から放棄した「アベ・スガ時代の大手各紙」は,報道機関としての存在価値をみずから矯める「権力・体制〈忖度〉路線」を選択していた。

 2020年東京オリンピックの開催は1年延期して,それもコロナ禍の最中にあえて実施されていたが,このムリ・無謀を基本から問題にし,批判する大手紙はなかった。というのは,五輪の支援企業に大手紙全部がなっていたゆえ,批判的な報道など,初めからできる相談ではなかった。

 そうした新聞業界の負抜けた情勢のなかではあるが,『日刊ゲンダイ』のほかにも,なぜか「スポーツ紙」の『スポニチ』(『スポーツニッポン新聞社』)が,政治欄のなかで果敢に政権批判を試みる記者がいたことが目立っている。

 d) 大手紙でも格別にヒドイのが『読売新聞』である(『産経新聞』も同列であるが,準大手紙)。『読売新聞』は報道をするのではなく,政府「広報紙」(使いっ走り:パシリ)の役目まで果たす,といったごとき体たらくを犯してでも新聞を発行してきた。

 『読売新聞』は文部科学省事務次官(当時)であった前川喜平に対して,完全にデッチ上げの記事を,官邸の意向を受けて書いていた。それも全国「地方版」の紙面全部に共通する記事として報道していた。この事実は,この読売新聞社は権力の手先であることまで告白した「事件」であった。この事件は『読売新聞』の歴史的な伝統一端の発露でもあったが……。

 補注)この『読売新聞』による前川喜平を「悪人化するために書いた政権奉仕のための捏造記事」の本性については,郷原信郎がブログに書いて分析し,批判をくわえていた。

 ここでは,『HUFFPOST』2017年6月5日の記事として転載された「該当の文章」から引用しておく。長文であるが,説得力がある。郷原「読売新聞は死んだに等しい」とまで決めつけていた。

 

 2)『日本経済新聞』2021年11月25日朝刊から,つぎの2点の記事をとりあげ参照し,若干の議論をしてみる。

 ※-1「賃上げ税制,実効性に壁   政府・与党,意見に隔たり   控除率・対象の要件焦点」(5面「経済・政策」)からは,前段にかかげてあった図表と類似の図表を,この記事から抜き出して紹介しておく。

 だいぶ上のほうにかかげてあったが,その先の図表と比較して分かるのは,こちらでは韓国を外した図表になっていた点である。その理由は説明するまでもあるまい。前段のその図表と比較してみれば,どうして韓国の折れ線グラフが除かれたか理解できそうである。

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 ※-2「〈大機小機〉規模追う経済対策,『賢さ』遠く」(25面「経済・政策」)

 各方面からの歳出拡大要求が強まる時にこそ賢い支出(ワイズスペンディングを心がける必要がある。ところが,〔11月〕19日に決まった経済対策は賢い支出から程遠い内容になってしまった。

 対策の総額という規模から議論が始まったのが間違いの元だ。規模が先に来ると,それを埋めるために必要性の薄い施策まで詰めこんでしまうことになる。

 規模で「過去最大」といったり,海外の財政支出と比較したりするのも間違いだ。経済対策のなかには国費による分と財政投融資による分,国内総生産(GDP)の増加に寄与するものとしないもの,新型コロナウイルス対策のように,経済効果を狙ったものではないものなどが入り交じっている。こうした多種多様な対策を総規模で評価することはできないはずだ。

 個別の政策についても,およそ賢いとはいえない政策が盛りこまれた。代表例を二つ挙げよう。

 ひとつは18歳以下の子供がいる世帯への10万円相当の給付だ。これはなんのための給付なのかが分からない景気対策だとすれば,貯蓄率が高い現状では消費にはつながりにくい。困窮世帯を助けるためだとすれば,子供をもつ世帯が困窮世帯だとする根拠が不明だ。子育て支援だとすれば,1回だけ給付金を配っても効果はないだろう。

 もうひとつはガソリンの元売り業者への補助金である。これは自由経済の基本である価格の資源配分機能を阻害する。原油価格の上昇は石油の希少性が高まったというシグナルであり,それに従って石油関連製品の消費が抑制されるのが本来のメカニズムである。補助金によって切断すると効率的な資源配分が阻害されることになる。生活必需品が多いなかで,ガソリンだけに補助金を出す理由も不明だ。

 デフレの克服にも逆行している。日本の企業はコストアップを末端価格に反映させないよう努力してきた。それが賃金が上がりにくく,デフレ的な状態から抜け出せないひとつの理由である。企業はむしろ積極的にコストアップを価格に反映させるべきなのに,ガソリン補助金はそれをすべきでないという誤ったメッセージを伝えてしまう。

 今回の経済対策が,賢くない支出を多く含むものになってしまったのはまったく残念なことである。隅田川)(引用終わり)

 このコラム〈大機小機〉は,さすがに「アホノミクスを継承したかのようなキシダノミクス」(いずれも,このなんとかミクスに関した命名は浜 矩子による)の「賢くない」,つまり経済運営の基本方向すらもとからよく分かっていない現首相の「愚かさ」を批判している。

 なかでも,最近になって出てきた施策,「18歳以下の子供がいる世帯への10万円相当の給付」という対策は,「年収で960万円の所得制限」を付けていて,これ以上の所得がある世帯には給付しないという方針であったが,その後,与党内からも批判が出ていた。

 しかし,その世帯ごとに給付という当初の考え方がだいぶズレていた。つぎの図表は『東京新聞』から借りたものである。いまどきは夫婦が共働きする世帯が多数派になっている。

 にもかかわらず,専業主婦(これはけっして主夫を想定していない)の存在を大前提にした,しかもおおげさではなく「時代錯誤の発想」が,今回の「年収960万円の所得制限」という条件を付したかたちで,この「18歳以下の子供がいる世帯への10万円相当の給付」が決められていた。

 ◆「制度創設時は専業主婦が多かった」のだが「今は昔」◆

 

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 だとしたら,夫婦ともに働くこの2人がそれぞれ年収959万9999円ずつで,世帯としての年収の合計が1919万9998円ならば,その子供向けの給付は受けられる。この数値・金額の話題は一気に飛躍させて解釈するとなれば,こういう議論もできる。

 --明治中期以来にデッチ上げられてきた「日本伝統の家・家族観」は,その理念的な核心部分を〈家族の絆〉に求めていた。そこにあっては「夫が働き,妻や子供たち,さらには高齢のその祖父母まで,その夫=父が扶養する」という,いってみれば,大昔からいままで,けっして普遍的なあり方ではなかった「明治期に造型されたと思われる〈理想的な日本の家・家族の姿〉」「家父長制」が控えていた。

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 補注)フグ田夫婦の「フグ田」という姓は夫マスオの「姓」である。この同じ屋根の下に暮らす一家は「別姓・同士」として「家族の絆」の点に関して,「潜在的に問題あり」ということにならないか? 別姓使用反対の人たちは「同じ屋根の下」という観点では,いったいどのように考えるか?

 漫画『サザエさん』一家に典型的に代表される,敗戦後のある時期を想定して求められた家・家族「像」に関してだが,「標準形とみなされた一家の人的構成」を想起してみればいい。だが,21世紀の現時点では「1人住まい」と「夫婦(老)2人住まい」が,世帯の半数以上を占めている。

 2020年において単身世帯の比率は3割,核家族(夫婦と子供数人〔以上〕)が6割,「3世帯同居」が5分(5%),その他6分(6%)である。

 補注)「核家族」とは,a)「夫婦のみ」,b)「夫婦+未婚の子供」,c)「父親か母親のどちらか一方+未婚の子供」の構成による3形態の世帯を意味し,含む。となれば,「単身世帯」と a)「夫婦のみ」で子供の居ない世帯とを足すとどうなるか?

 いくつの統計をみて判断する。その a)「夫婦のみ」の世帯は,2021年だとほぼ2割5分にかぎりなく近づいたと観察できる。これはしかも「下一桁の%」単位での違いしかなかった。

 ともかく「単身世帯」と「夫婦のみ」の世帯を合計すると,全体のうち「5割5分」が「子供のいない(もしくは同居なしも入れての)世帯」である。

 単身世帯に家族の絆がまったく無縁の意識(観念)だとはいいきれない。血縁や姻戚の関係がある場合,同居していないその相手との間柄において,その絆がなにもないなどと断定はできない。その点はそれぞれの場合によってまたいろいろである。

 また,夫婦の間柄(これは「絆」だけで捕捉できる感情か?)になると,家庭内離婚はさておき,夫婦間でその絆というものが具体的にはどのように把握できるのか,まだ分かりにくい。そう解釈しておくほかあるまいい。

 以上の説明にさらに,異論があるようであれば,それなりに反論し,説明し,説得する努力をしてほしいものである。しかし,このあたり問題を生活感覚的に,かつ家族社会学的な見地から,平明に解説してくれる人はみつかっていない。「家族の絆」が情緒的に叫ばれる割には,それを論理だって説明できる人がいない。自民党関係者でさえ,以上に関した “まともな説明” が提供できていない。

 だがそれでも,いまの自民党世襲政治家たちの頭中に収まっている脳細胞の理解によれば,サザエさん物語り的には「家族の絆」が想定可能である。だから,夫婦共稼ぎの世帯にあっては,子供が居れば「10万円相当の給付」が,「ダブルチャンス:2倍というかたち」をとって,2人ともに小さな幸運が受けられることになる。しかし,当然のこと「それっておかしいよね」という話題になっていた。

 この「18歳以下の子供がいる世帯への10万円相当の給付」は,途中から半額はクーポン券で,それもあとで渡すとかなんとか,来年7月に予定されている参議院選挙の意識してなのか,小手先でこねくりまわすばかりの〈ケチ臭い工夫〉まで画策されてきた。

 つぎの ② の話題は,〈ならず者〉たちが構成する日本維新の会は,自民党の第5列ではないかという話題である。

 

 「『ダメ野党物語から記述を再開』『野党は批判ばかり』を植え付けたいのか「野党批判』しかしない維新・吉村」『まるこ姫の独り言』2021.11.21,http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2021/11/post-5c4f7e.html
 
 「野党はなんでも反対・批判ばかりしている」という与党や維新。百歩譲って自民党がいうなら話も分かるが,なんでいちおう野党の維新がそれをいう? メディアまで野党批判を繰り広げるこの国。

 この国では,声の大きな人たちによりいったもん勝ちの「野党は批判ばかり」が定着してしまった。というわけで,本来の役目を果たしてきた野党が批判ばかりされている。

 維新が「野党は批判ばかり」に貢献したのはいうまでもない。その吉村,偉そうに上から目線で立憲を論評している。

 ▲「吉村知事 立憲民主に『何でも反対,批判から脱却してもらいたい』代表選告示で」2021/11/19 (金) 16:29 配信『デイリースポーツ』。
 
 ▲「吉村知事は『他党のことなのでとくにコメントはない』としながらも,『立憲民主党もとにかくなんでも反対,とにかく批判,官僚をつるし上げる,スキャンダル追及…そういったことから脱却してもらいたい。自民党,与党が非常に強いので,われわれ維新としては自民党と勝負できる野党をめざしていきたい』と思いを明かした」。

 「他党のことなのでとくにコメントはない」といいながら,どれだけコメントしているんだ? まったく狡猾な奴だ。しかも,「あることないこと」ではなく「ないことないこと」を,いかにも真実のように話すから始末に負えない。

 多分,維新ファンや,国会をただの一度も観たことた事のない国民は「立憲民主党は官僚をつるし上げたり,スキャンダル追及しか能が無いんだ。。」と思いこみ,それが刷りこまれていくのだろう。

 維新やメディアの「野党は批判ばかり」誘導は,もう相当この国の国民は刷りこまれている。国民の政治に無関心や無知を利用する維新や自民の戦略は巧み過ぎて怖くなる。

 現に立憲のなかからも「野党ヒア」に及び腰になっている議員がどんどん出ている。すっかり委縮してしまって野党本来の役目を放棄しようとしているのは,なんなんだ?

 「野党は反対ありき」とか「政策論もやらずスキャンダル追及」と思っている人は,国会を観たことがない人だ。

 別に維新を除く野党は,つねに与党に対して反対ばかりしているわけではなく対案を出しているし法案にも賛成している。その他に疑問に思ったことを質しているだけだ。

 だからこそ,モリカケ問題や桜を見る会の税金私物化が発覚し,アベスガ政権の公文書改ざんや捏造や廃棄が明るみになった。これは野党の功績じゃないか。

 維新や国民は,官僚をつるし上げは見苦しく気の毒で不毛だといいたいのだろうが,官僚は与党命でいるから,野党がどれだけ質しても質している方をバカにしているとしか思えない,のらりくらりの返しが常態化している。

 質している方が少し声を荒げたら,つるし上げ? 冗談じゃない,官僚の野党(国民の代表)を小馬鹿にしたような態度を問題視するべきだ。

 しかし,維新が自民党と勝負できる野党って,どんな悪い冗談なのか。自民党といっしょになって暴走するだけじゃないか。自公に維新が付けば,怖いものなしでこの国は壊れていく。

 自分さえ良ければの非常識な社会に拍車がかかる。(引用終わり)

  「自分=自民党」政権さえよければの「非常識な政治社会意識」に拍車がかった状態にあるのが,いまの日本という国家体制の全体的な様相,その政治病理として深刻な症状である。

 前項 ② の記述に即していえば,『サザエさん一家』風にもとづく時代遅れの感覚で理解した「2021年における日本の『家・家族像』」は,基本からして完全に見当外れになるほかなかった。それでも,脳天気政権なりに創案した「臨時・子供手当支給」が決められていた。

 そもそも,いまの若者たち(20代としておく)はそのうちかなりの数が,結婚願望すら諦めてしまい,封印するほかない経済生活環境のなかに生きている。世帯も家庭ももてない年収層(所得層⇒下級市民)にとってみれば,「結婚⇒子供誕生⇒・・・・」という人生の行路そのものすら,初めから絶望的な気持に落ちこみながら放棄せざるをえない状況に置かれている。

 補注)昨日におけるこのブログの記述では,介護職を24年間,17万円の手取り給料で生きてきたが,42歳の現在は辞めて無職であるという人物の嘆きを紹介した。月給手取り17万円だったら,自分1人でしか生きていけないのは「道理以前の無理」に相当する話題にしかなりえない。

 この42歳の人は男性か女性か,明かしていなかった。おそらく女性かもしれない。また多分,未婚なのかもしれない。その仕事を始めた時は18歳になるはずだから,高校を卒業してずっと介護職の仕事をしてきたものと推察する。この人は,結婚する機会があったのか推しはかれるような材料は書かれていなかったので,なんともいえないのだが,あれこれ想像してみたくなっていた……。

 自民党政権は,現代の若者たちを囲み支える「現実の生活状況・基盤」の実態を,よくしらないらしい。世襲3代目の政治屋ともなれば,そうした現代の若者たちの当面している苦労・懊悩は,想像のおよばない「現実の世界,実際の社会」の出来事なのか。

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【未 完】「本稿(その3)」はできしだい,ここに住所を指示する。

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